幻燈日記帳

認める・認めない

白い港

なりすレコードの平澤さんから大滝詠一の新譜試聴会いかない?という怪しすぎるメールを受け取って半信半疑で市ヶ谷に向かうと本当にその催しは開かれていた。ソニーのビルの試聴室で大滝詠一さんの83年のライヴ盤を聴かせてもらう。何を話してもネタバレになりそうなので多くを書くのはしないでおきたいのだけれども、恥ずかしい話「白い港」がこんなにいい曲だったなんて今の今まで気が付かなかった、ということだけ今は書いておきたい。ほかは何を書いてもネタバレになる。もちろん試聴会という特別な場所があったからそういう気持ちになったんだけど、ライヴを見に行くような気持ちでライヴ盤を聴いたのなんていつぶりだろう。「どんなライヴをするのかな」というのは初めて誰かのライヴを見に行く気持ちと一緒だった。

試聴会で興奮したふたりは市ヶ谷のルノアールで激アマドリンクをシバきつつ近況を報告し合った。平澤さんと別れて総武線に乗り込む。中野までしか行かない電車だとわかっていて乗ったのだけどやっぱりこのまま中央線に乗り換えてたまるか、と途中下車。ユニオンを物色。キンクスのレコードを買う。店頭で素晴らしい音楽がかかっていてなんだろう、と見てみるとポール・マッカートニーの「キス・オン・ザ・ボトム」だった。スタンダードのカバー集なんでしょ?とすっかり見過ごしていた自分を心のそこから恥じる。ジョン・ピザレリの「ミッドナイト・マッカートニー」とチェット・ベイカーの「シングス・アゲイン」(もしくは「シングス・アンド・プレイズ」)の中間みたいなレコードじゃん!と興奮した。ちゃんと悪人が歌っているレコード。悪人が歌うためのスペースが演奏に用意されているレコード。絶対LPで手に入れよう、と家に帰って調べたらギターがジョン・ピザレリだったと知って更に興奮した。

カバンのなかに漫画を3冊、文庫を1冊忍ばせていたのだけど漫画を1冊の半分ぐらいしか読めなかった。

ジューシー

ライヴと制作とプロモーションが同時に進行していて生きた気がしなかった時期を抜け、今は制作だけに集中できる〜!最高〜!とか思っていたけれども、時間というのは流れてみないと、何が手元に残ったかがわからないんだな、と実感する。そうです、思考が止まった。マネジャーからの別案件の確認中に何故か心がガッツリ折れて暗い気持ちで蕎麦屋に入ると中島美嘉さんのベスト盤がかかっていた。そばを食べ終わり店の外に出てぐっと体調が悪くなる。これはもしかして…と思っていたものの止まった思考をゆっくりと湯煎で溶かさねばならない、とそのままバスに乗る。吉祥寺まで出て飛び込みでリハスタに入り、新曲CとDのデモを制作。終わる頃には体調のもやもやも消えていて、あれはなんだんだろうか。ともかくドラムの録音をしてこの日は終了。

起きて随分長い間PCに向かう。ベースの調子が悪い。プレイも、機材自体の問題もあり、ベースが一番時間がかかった。休憩と称して青春高校3年C組をリアルタイム見る。最初の中井先生の表情から最後の前川さんの表情まで完璧だった。作業に戻り、簡単にミックスしてメンバー、スタッフに送信。何度か聴き返しているうちにDのミックスをやり直す。更に時間は過ぎて晩飯を食う頃には21時を過ぎていた。早炊きした白米に冷蔵庫にあった鶏ももと中村屋インドカレーのルーをあわせてそのまま米に乗せて食うのだ。チーズもふりかけた。納豆も、生卵も添えた。向き合う気持ちが大切。今はデモを聴き返して成果を確認している。止まっている時はやれることをやるしかない。

Winter

Teenage Fanclubのライヴに行く。昨年聴いた"songs from northern britain"の素晴らしさにやられてからまだちょっとしか聴いてないのに来日するなら見なければ、と行ってきた。2曲目で「"Thirteen"のめっちゃいい曲始まった!」(The Cabbage)ぐらいの知識の浅さだったのだけど、とにかくひたすらいい曲の乱れ撃ち。最初に聴いたレコードが"songs from nothern britain"だったからそれより前のレコードでのディストーションの感じや分離のいいドラムの感じをうまく消化しきれなくて大好きなのにどう聴けばいいのかわからねえ…とか思っていたんだけど、今回ライヴを見に行ってそのへんがフラットになった気がした。過去の曲も現在の曲も本当の意味で並列になるライヴは本当に楽しいなあ、と素直に思ってしまった。「3週間前にレコーディングした」と言って始まった新曲が素晴らしすぎてイントロ終わったあとに涙が出た。

曽我部さんのライヴも凄まじかった。Zepp Diver Cityなんていう大箱で生アコースティック・ギター、一本。曽我部さんが体を揺らせばギターも揺れて、音も揺れる。この規模でそれを見れたのが最高だった。

生活は遠い

もう閉店してしまったかつてのバイト先の書店で朝の4時から本を売る仕事をする、という夢を見た。でも朝の4時からだったので何度も眠ってしまう、という内容のものだった。気がつくとまったく違う場所にいる。何らかの罪を犯し、船に詰め込まれ、どこかに運ばれる途中だった。生々しくて居心地が悪い。いろんな最悪なことが起きて、みんなが脱獄していくなか、ひとりおとなしくどこかに着くのを待っていた。もうすぐ船が着く頃、黒ギャルが現れ「逃げないのか、着岸する時が一番いいんだ」というけど「いいんです」と断ったら、突然脱ぎ出した。鎖骨のあたりにWANIMAのロゴみたいなフォントで「SEX」というタトゥーが入っていた。一言二言、言葉を交わす前に夢から醒めた。昔、トリプルファイヤーを見にTHREEにライヴを見に行ったら過激なパフォーマンスで有名だったバンドが演奏していて「景気がいいね〜」なんてステージに目をやった途端、おっぱいもろだしの女性が見えた気がしたのだが、幻覚か真実か確かめる間もなくすぐにライヴは終わってしまった。転換のときに「あんなに興奮しないおっぱいみたのは初めてだぜ〜!はっはっはっ!」と言っていたお客さんがいて、(この世に興奮しないおっぱいなんてあるのだろうか……)と更に暗い気持ちになり、切ない気持ちでトリプルファイヤーのライヴを見たことがあるのだけれども、その日の気分を思い出す。

それが伝染して切ない気持ちのまま届いたVulfpeckのアナログに針を落とす。今日はいい日にしないと、と思い立った。でもいい日とはなんだったんだろう。根幹から問い質してみる。好きな音楽を聴くことかい?溜まった仕事を片付けることかい?そうではない、きっとエアコンのフィルターの掃除だ、と1年振りぐらいにフィルターの掃除をした。雨の予報も雪の予報も外れちゃったな、なんて太陽が高いうちに干したのだけど気になって検索したら力強い主婦の口調で「あんなものはかげ干しで充分」って書いてあって生活は遠い、と目を細めた。

札幌通信

たらふく飯を食って、凛とした空気を吸い込んで、面倒なエレベーターに乗った。インキーしたと思った鍵は内ポケットから出てきた。まずコートを脱いだ。そしてセーターを脱ぐ。シャツを脱ぎ捨て、ジーンズを脱ぎ捨て、暖かいと思い込んで飛び込んだベッドが冷たかった。声が出そうになった。ここは札幌の宿だ。今日はニューシングル「君がいるなら」のキャンペーンで札幌にいるのだ。


さて、あと数十分でスカートの音源の一部がサブスクで聴けるようになる。なってしまう。ポニーキャニオンに入って何度も話し合い、その度に「やりたくない」と言ってきた。でも時代の流れには抗えなかった。ごく一部の人たちには力不足で申し訳ない、といい、多くの人たちには明るいいつもの顔でよろしくね、と言う他ない。個人の意見だけど音楽は音楽だけでの力は弱い。録音芸術としてのポップ・ミュージックは特にそうだと思う。スカートみたいな音楽性でも作品を作ったという達成感があるのは「パッケージ」に依るものが大きいはずだ。瞬発性に富み、しなやかに時代の波にのまれていく。それはポップ・ミュージックの避けられない宿命だし、それが本質なのかもしれない。しかし、そこに流れていたはずの時間、流れていたかもしれない時間を切り取ることができるのがポップ・ミュージックの醍醐味でもある。録音芸術としてのポップミュージックにとって、サブスクリプション・サーヴィスはどんなものになるのだろう。ポップ・ミュージックのあるべき姿、誤解を恐れずに言うならば読み捨てられる雑誌のようなものにまたなるのだろうか。

スカートはこれまで通り、パッケージにこだわりたい。こだわっていけるならこだわっていきたい。「エス・オー・エス」を作った時、このCDがいつか中古屋に面陳されたらいいな、と思った。物があれば残る。その価値がそこに宿る。そこだけに宿る。それが希望だった。「エス・オー・エス」というのは砂浜に書かれたそれなのだ。メジャーというフィールドで我々が何を問えるか。"compact disc is dead"という言葉が頭を巡る。クラウドの砂浜に我々は何という文字を刻み、どんな顔をして聴かれるのを待つのだろうか。

サブスクリプション・サーヴィスでスカートを知った方々にもいつの日かレコードやCDで音楽を所有するというポップ・アートとしての快楽を知ってほしい。そんな日は来ないかもしれない。無駄な努力かもしれない。それでも我々は(それでも)(いつでも / いつかは)(また)「手でさわって、目でたしかめて、耳できこう」と言いたいんだ。


ヒューーゴ

ソファで眠ってしまって起きたら4時近かった。30日が可燃ごみの回収、最後の日だから部屋の掃除をするんだ、と息巻いていたくせにバキバキの体と朝の4時という事実に為す術もなく最終的にPCの前に向かうこととなった。

昨日は涙14に出演。WHY@DOLLさん、脇田もなりさん、星野みちるさん、加納エミリさんといったアイドル勢にまぎれてユメトコスメ、ヒトリカンケイさん、Orangeade-1に加えぼく、という無茶苦茶なイベント。超高度。ひたすらポップを浴び続ける奇祭と化し、僕は2018年に作った曲しかやらない!と息巻いていたのですが会場の熱気がすごくて最後の最後に「静かな夜がいい」を投入。ギターの弾き語りのはずなのに自分でも今鳴っている音はなんなんだろう、と思う時があるんだけど昨日もそんな感じだった。バンドも楽しいんだけど弾き語りも楽しい。明日に迫ったアトロク公開生放送で歌い納めだけど、不思議と気持ちの上では納まってしまった感覚になりながら車を走らせる。納まった感覚は疲れ切った喉が感じているのだろうか、とか考えたけどまだ暗い青梅街道を走りながらサイドミラーに映った東の空がだんだんと白んじていくのを見て正気に戻った。コンビニに寄って飲み物を買って店を出るとすっかり朝の気配。年内のあと一本のライヴに思いを馳せる。部屋の掃除は、多分終わらない。

かに準々決勝あんかけチャーハン

昼過ぎぐらいからPCとにらめっこして「君がいるなら」の特典でつくブートレッグの選曲。ここ数ヶ月のうちにやったライヴを聴き返していく。ライヴをやったときに感触がよかったものばかり並べるとなんだか息苦しいし、流れで聴くとなにも気にならないミスも単曲でポンと聴くと気になったりする。絶妙なバランスになるように曲を選んで並べてみる。今日はそれに集中。昨日眠る前は「明日は作曲だ〜」とか言っていたけどそんな絵空事は布団に溶けちまった。

あっという間に時間は過ぎた。夜になって洗濯、乾燥機をかけにランドリーに向かう。そうか、日が出ているうちに外に出ておけばよかった。カーテンも締め切ったままの部屋を呪う。家にある洗濯機ではさばききれないほど溢れかえった洗濯物をコインランドリーの巨大な洗濯機に沈めていった。

気分転換に駅前の本屋でミュージック・マガジンを買った。Felicityの広告にはやっぱり"Compact Disc Is Dead"って書かれたままだった。近所の肉屋でホルモンを買って、スーパーで野菜と鍋の素を買ってさて帰るか、と家に向かおうとしたら定期券を拾ってしまった。スルーすることもできた。だが冷静になるとこの年の瀬に定期を落としたらとんでもなく悲しいだろう、という気持ちになり、きたみちを戻り、駅に届けた。

そして再びコインランドリーに寄って仕上がった洗濯物を乾燥機にぶち込んでいく。仕上がったばかりのアチアチ(©どついたるねんの先輩)の洗濯物が好きなのにソファーで眠ってしまい、目が冷めた頃にはチンチンに冷えた洗濯物が寂しそうに横たわっているのだった。

部屋に戻り漫画を読みながら確認作業の続き。桜井のりおさんの「僕の心のヤバいやつ」、平尾アウリさんの「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」を読んだ。桜井のりおさん初めて読んだけどそうか、今の僕にはラブコメが必要だったんだ、と思えた。平尾さんの新刊は岡山から東京を車で移動する苦しみを思い出した。しかも運転手は僕一人だったなァ。大阪挟んだからなんとかなったけど、思い出すたびに胸に染み入るはじめての野外フェスに向かったときのこと……