幻燈日記帳

認める・認めない

来るべき洪水の予感

14日

翌日のラジオの収録のための選曲作業でナンバーガールを久しぶりに引っ張り出した。2002年に解散したときに自分の中でスパっと終わってしまった感覚があって、アナログ再発されたときとかに聴き返していたけど、それすらもう3,4年前で懐かしいを通り越して新鮮に響いた。バスに乗って吉祥寺まで出る。昼から事務所での打ち合わせのために早起きするつもりだったが、なんだかんだでギリギリ。ご飯すら来るべきニューアルバムのためのものだった。なんだかんだで4時間ぐらいかかり、新宿で恋人と落ちあってチョコレートを買いに行った。熱におされて「ガナッシュが食いたい」と言い、安いのを2つほど見繕った。帰りの電車で母からLINEが入る。18歳になる老猫のドラちゃんがあんまりご飯食べなくて痩せてきちゃった、薬飲むために食べさせているチュールすら食べない、という内容だった。急いで車に乗り換えて実家に向かってドラちゃんに顔を見せる。ボサっとしてたけど相変わらずのでっかさで確かに元気はないけど18歳だからもしかしたらこれぐらい普通だったりするのかな。安心も出来ず、不安にもなれず、なんとも言えない気持ちで部屋に帰った。帰ったあとにtwitterを見たら実家のいろんなところにドラちゃんがいる写真が上がっていてなんだか死に場所を探しているみたいに見えてしまった。

15日

朝起きて母から病院に行って検査受けたけど問題なさそう、点滴だけして帰ってきたけど相変わらずご飯は食べない、という知らせ。そしたらナンバーガール再結成です。その日はラジオ収録。放送の日が2/22だから猫選曲になった。何かの因果を感じながら収録。終わる頃に母親から更に連絡。おもらしが始まってしまって他の二匹の猫が困惑している、という内容だった。介護猫になっちゃうのかな〜、ともかくラジオ収録のあとにもうひとつ仕事あるかけどそれ終わったら行くよ、と連絡。恋人にも連絡をして落ち合って車で実家に向かう。母から何も連絡がなかったのも手伝って嫌な予感が加速して首都高速の5号線を走りながら思わず涙が出た。実家につくなり親の顔もろくに見ないで急いでドラちゃんが眠っているであろう奥の部屋に向かったが、もうすでにドラちゃんは亡くなってしまっていた。「もう冷たくなっちゃってるでしょ?」と母が言った通りだった。僕がラジオの収録が終わってバカ面でチャーハンを食い終わり、アホ面でハンドルを握っていた頃、ドラちゃんは死んじまったのか。うん、それでも苦しまないで死んだほうだと思いたい、とか、いろんなことを頭が回る。泣いても泣いても涙が止まらない。生きているうちはろくに触れなかったおなかの下に手を入れるとまだ暖かくて、悪いことをしているような気持ちになった。生まれたときから犬が2匹いた。ゆうとくまも送った、インコのピーちゃんも、うさぎもデイジーちゃん(忍ペンまん丸から)も送った。その後来たバセットのヨーゼフ(ハイジから)だってもういない。それでもこんなにお別れはさみしい。

16日

部屋に帰ってきても眠れない。泣いても泣いても涙が出てこなくなって頭の裏に蓋が刺さっていて、ときどきその蓋から溢れる。少し声が出て涙が溢れて、すぐに止まった。こんな感覚は初めてで混乱した。布団に入ってCDを聴くんだけどあっという間にそのCDが終わってしまう。ようやく眠れたのは何時頃だったんだろうか。アラームに起こされる前に目がさめた。よく眠れなかった。頭にガムが張り付いたような朝。洗濯物をランドリーにぶち込み、チャーハンを作った。いろんなことを考える。いろんなことを考える。

車に乗り込んで代々木のポニーキャニオンのスタジオに向かう。着いたときにレッドブルの差し入れが置いてあったのでとりあえずすぐにそれを飲み干した。コートも脱がずドラムの音をチェックしていて佐久間さんとナンバーガール再結成の話をして「ちょっとコート脱いで来ますわ〜」とスタジオを出る。佐久間さんは笑いながら「わざわざ言わないでもいいのに!」と言った。この日は優介、なおみちさん、佐久間さんの4人での録音。しばらくなんてことないっす、っていう顔で作業していたけどプレイバックを聴きながら何をどう説明していいかわからなくなった時、マネージャーに「なんか今日落ち着きがないですね」って言われて実家で飼っていた老猫が死んじゃったんだ、と話した。湿っぽくはなっちゃうけど仕方ない。レコードは記録だ。みんなちょっと優しくしてくれた。もともと2曲の予定だったけどベーシックを3曲録音。特に3曲目に録った新曲のサウンドが素晴らしい。現段階ではアルバムの最後に置こう、と決めた。

17日

今日は歌入れがあるから、と行きの車の中でカーネーションを歌いながら青梅街道をひたすら走る。何曲か景気がいい曲が続いたときにフィードバックの向こう側にドラムが立ち昇る。「one day」だ。シンプルなメロディの中で涙が滲み、突き抜けた展開の「遠く離れても僕らは自由じゃない」と歌われたときに一気に溢れた。歌うためにカーネーションをかけていたはずなのに声に出しても揺れてしまって一音も合わせることができない。それでもなぜかずっと詩を口に宿し、アクセルを踏み、ハンドルを握っていた。あと10分というところで今日これから歌入れする曲を聴いた。まともに歌えるのかな?とも思ったけど、どういうわけかいいテイクが残せた。

佐久間さんとなおみちさんが合流してベーシックの続き。締切の直前に出来たため煮詰まりきらない部分が多かったためこの日はその1曲だけに集中した。全体の音の感じから何から何まで時間がかかったけれども、きっといい感じ。ボーイのパーカッションのダビング、町あかりさんとのギグを終えたばかりの優介も合流してダビング。すべての録音が完了してハードディスクのコピーが仕上がった頃には深夜2時を回っていた。葛西さん、優介と渋谷でそばを食べたが、「うまいねえ〜香りがちがうね〜」とか言ったことまでは覚えているんだけど味までは覚えていられなかった。優介を家まで送る間、たくさんの話をする。どうして僕みたいな半端な人間が音楽をやろうと決断してなんとなくやれてしまっているんだろう、とココ最近考えることが多かったのだけど、やっぱりレコーディングスタジオに入ってピアノにマイクが立って、コントロールルームで優介が弾いたその音を聴く、というあの瞬間が原動力になっていることは間違いないんだろうな、と改めて気がついた。

18日

家についたのは5時近かったのかな。もう覚えていない。昼に目が覚めて何もやる気が起きずはじめてUberEatsで食事を注文。それを食べてまた眠る。布団に入って天井を見つめる。いろんなことを考えた。いろんなことを考えた。

白い港

なりすレコードの平澤さんから大滝詠一の新譜試聴会いかない?という怪しすぎるメールを受け取って半信半疑で市ヶ谷に向かうと本当にその催しは開かれていた。ソニーのビルの試聴室で大滝詠一さんの83年のライヴ盤を聴かせてもらう。何を話してもネタバレになりそうなので多くを書くのはしないでおきたいのだけれども、恥ずかしい話「白い港」がこんなにいい曲だったなんて今の今まで気が付かなかった、ということだけ今は書いておきたい。ほかは何を書いてもネタバレになる。もちろん試聴会という特別な場所があったからそういう気持ちになったんだけど、ライヴを見に行くような気持ちでライヴ盤を聴いたのなんていつぶりだろう。「どんなライヴをするのかな」というのは初めて誰かのライヴを見に行く気持ちと一緒だった。

試聴会で興奮したふたりは市ヶ谷のルノアールで激アマドリンクをシバきつつ近況を報告し合った。平澤さんと別れて総武線に乗り込む。中野までしか行かない電車だとわかっていて乗ったのだけどやっぱりこのまま中央線に乗り換えてたまるか、と途中下車。ユニオンを物色。キンクスのレコードを買う。店頭で素晴らしい音楽がかかっていてなんだろう、と見てみるとポール・マッカートニーの「キス・オン・ザ・ボトム」だった。スタンダードのカバー集なんでしょ?とすっかり見過ごしていた自分を心のそこから恥じる。ジョン・ピザレリの「ミッドナイト・マッカートニー」とチェット・ベイカーの「シングス・アゲイン」(もしくは「シングス・アンド・プレイズ」)の中間みたいなレコードじゃん!と興奮した。ちゃんと悪人が歌っているレコード。悪人が歌うためのスペースが演奏に用意されているレコード。絶対LPで手に入れよう、と家に帰って調べたらギターがジョン・ピザレリだったと知って更に興奮した。

カバンのなかに漫画を3冊、文庫を1冊忍ばせていたのだけど漫画を1冊の半分ぐらいしか読めなかった。

ジューシー

ライヴと制作とプロモーションが同時に進行していて生きた気がしなかった時期を抜け、今は制作だけに集中できる〜!最高〜!とか思っていたけれども、時間というのは流れてみないと、何が手元に残ったかがわからないんだな、と実感する。そうです、思考が止まった。マネジャーからの別案件の確認中に何故か心がガッツリ折れて暗い気持ちで蕎麦屋に入ると中島美嘉さんのベスト盤がかかっていた。そばを食べ終わり店の外に出てぐっと体調が悪くなる。これはもしかして…と思っていたものの止まった思考をゆっくりと湯煎で溶かさねばならない、とそのままバスに乗る。吉祥寺まで出て飛び込みでリハスタに入り、新曲CとDのデモを制作。終わる頃には体調のもやもやも消えていて、あれはなんだんだろうか。ともかくドラムの録音をしてこの日は終了。

起きて随分長い間PCに向かう。ベースの調子が悪い。プレイも、機材自体の問題もあり、ベースが一番時間がかかった。休憩と称して青春高校3年C組をリアルタイム見る。最初の中井先生の表情から最後の前川さんの表情まで完璧だった。作業に戻り、簡単にミックスしてメンバー、スタッフに送信。何度か聴き返しているうちにDのミックスをやり直す。更に時間は過ぎて晩飯を食う頃には21時を過ぎていた。早炊きした白米に冷蔵庫にあった鶏ももと中村屋インドカレーのルーをあわせてそのまま米に乗せて食うのだ。チーズもふりかけた。納豆も、生卵も添えた。向き合う気持ちが大切。今はデモを聴き返して成果を確認している。止まっている時はやれることをやるしかない。

Winter

Teenage Fanclubのライヴに行く。昨年聴いた"songs from northern britain"の素晴らしさにやられてからまだちょっとしか聴いてないのに来日するなら見なければ、と行ってきた。2曲目で「"Thirteen"のめっちゃいい曲始まった!」(The Cabbage)ぐらいの知識の浅さだったのだけど、とにかくひたすらいい曲の乱れ撃ち。最初に聴いたレコードが"songs from nothern britain"だったからそれより前のレコードでのディストーションの感じや分離のいいドラムの感じをうまく消化しきれなくて大好きなのにどう聴けばいいのかわからねえ…とか思っていたんだけど、今回ライヴを見に行ってそのへんがフラットになった気がした。過去の曲も現在の曲も本当の意味で並列になるライヴは本当に楽しいなあ、と素直に思ってしまった。「3週間前にレコーディングした」と言って始まった新曲が素晴らしすぎてイントロ終わったあとに涙が出た。

曽我部さんのライヴも凄まじかった。Zepp Diver Cityなんていう大箱で生アコースティック・ギター、一本。曽我部さんが体を揺らせばギターも揺れて、音も揺れる。この規模でそれを見れたのが最高だった。

生活は遠い

もう閉店してしまったかつてのバイト先の書店で朝の4時から本を売る仕事をする、という夢を見た。でも朝の4時からだったので何度も眠ってしまう、という内容のものだった。気がつくとまったく違う場所にいる。何らかの罪を犯し、船に詰め込まれ、どこかに運ばれる途中だった。生々しくて居心地が悪い。いろんな最悪なことが起きて、みんなが脱獄していくなか、ひとりおとなしくどこかに着くのを待っていた。もうすぐ船が着く頃、黒ギャルが現れ「逃げないのか、着岸する時が一番いいんだ」というけど「いいんです」と断ったら、突然脱ぎ出した。鎖骨のあたりにWANIMAのロゴみたいなフォントで「SEX」というタトゥーが入っていた。一言二言、言葉を交わす前に夢から醒めた。昔、トリプルファイヤーを見にTHREEにライヴを見に行ったら過激なパフォーマンスで有名だったバンドが演奏していて「景気がいいね〜」なんてステージに目をやった途端、おっぱいもろだしの女性が見えた気がしたのだが、幻覚か真実か確かめる間もなくすぐにライヴは終わってしまった。転換のときに「あんなに興奮しないおっぱいみたのは初めてだぜ〜!はっはっはっ!」と言っていたお客さんがいて、(この世に興奮しないおっぱいなんてあるのだろうか……)と更に暗い気持ちになり、切ない気持ちでトリプルファイヤーのライヴを見たことがあるのだけれども、その日の気分を思い出す。

それが伝染して切ない気持ちのまま届いたVulfpeckのアナログに針を落とす。今日はいい日にしないと、と思い立った。でもいい日とはなんだったんだろう。根幹から問い質してみる。好きな音楽を聴くことかい?溜まった仕事を片付けることかい?そうではない、きっとエアコンのフィルターの掃除だ、と1年振りぐらいにフィルターの掃除をした。雨の予報も雪の予報も外れちゃったな、なんて太陽が高いうちに干したのだけど気になって検索したら力強い主婦の口調で「あんなものはかげ干しで充分」って書いてあって生活は遠い、と目を細めた。

札幌通信

たらふく飯を食って、凛とした空気を吸い込んで、面倒なエレベーターに乗った。インキーしたと思った鍵は内ポケットから出てきた。まずコートを脱いだ。そしてセーターを脱ぐ。シャツを脱ぎ捨て、ジーンズを脱ぎ捨て、暖かいと思い込んで飛び込んだベッドが冷たかった。声が出そうになった。ここは札幌の宿だ。今日はニューシングル「君がいるなら」のキャンペーンで札幌にいるのだ。


さて、あと数十分でスカートの音源の一部がサブスクで聴けるようになる。なってしまう。ポニーキャニオンに入って何度も話し合い、その度に「やりたくない」と言ってきた。でも時代の流れには抗えなかった。ごく一部の人たちには力不足で申し訳ない、といい、多くの人たちには明るいいつもの顔でよろしくね、と言う他ない。個人の意見だけど音楽は音楽だけでの力は弱い。録音芸術としてのポップ・ミュージックは特にそうだと思う。スカートみたいな音楽性でも作品を作ったという達成感があるのは「パッケージ」に依るものが大きいはずだ。瞬発性に富み、しなやかに時代の波にのまれていく。それはポップ・ミュージックの避けられない宿命だし、それが本質なのかもしれない。しかし、そこに流れていたはずの時間、流れていたかもしれない時間を切り取ることができるのがポップ・ミュージックの醍醐味でもある。録音芸術としてのポップミュージックにとって、サブスクリプション・サーヴィスはどんなものになるのだろう。ポップ・ミュージックのあるべき姿、誤解を恐れずに言うならば読み捨てられる雑誌のようなものにまたなるのだろうか。

スカートはこれまで通り、パッケージにこだわりたい。こだわっていけるならこだわっていきたい。「エス・オー・エス」を作った時、このCDがいつか中古屋に面陳されたらいいな、と思った。物があれば残る。その価値がそこに宿る。そこだけに宿る。それが希望だった。「エス・オー・エス」というのは砂浜に書かれたそれなのだ。メジャーというフィールドで我々が何を問えるか。"compact disc is dead"という言葉が頭を巡る。クラウドの砂浜に我々は何という文字を刻み、どんな顔をして聴かれるのを待つのだろうか。

サブスクリプション・サーヴィスでスカートを知った方々にもいつの日かレコードやCDで音楽を所有するというポップ・アートとしての快楽を知ってほしい。そんな日は来ないかもしれない。無駄な努力かもしれない。それでも我々は(それでも)(いつでも / いつかは)(また)「手でさわって、目でたしかめて、耳できこう」と言いたいんだ。


ヒューーゴ

ソファで眠ってしまって起きたら4時近かった。30日が可燃ごみの回収、最後の日だから部屋の掃除をするんだ、と息巻いていたくせにバキバキの体と朝の4時という事実に為す術もなく最終的にPCの前に向かうこととなった。

昨日は涙14に出演。WHY@DOLLさん、脇田もなりさん、星野みちるさん、加納エミリさんといったアイドル勢にまぎれてユメトコスメ、ヒトリカンケイさん、Orangeade-1に加えぼく、という無茶苦茶なイベント。超高度。ひたすらポップを浴び続ける奇祭と化し、僕は2018年に作った曲しかやらない!と息巻いていたのですが会場の熱気がすごくて最後の最後に「静かな夜がいい」を投入。ギターの弾き語りのはずなのに自分でも今鳴っている音はなんなんだろう、と思う時があるんだけど昨日もそんな感じだった。バンドも楽しいんだけど弾き語りも楽しい。明日に迫ったアトロク公開生放送で歌い納めだけど、不思議と気持ちの上では納まってしまった感覚になりながら車を走らせる。納まった感覚は疲れ切った喉が感じているのだろうか、とか考えたけどまだ暗い青梅街道を走りながらサイドミラーに映った東の空がだんだんと白んじていくのを見て正気に戻った。コンビニに寄って飲み物を買って店を出るとすっかり朝の気配。年内のあと一本のライヴに思いを馳せる。部屋の掃除は、多分終わらない。