幻燈日記帳

認める・認めない

SGBB

「部屋に飾っていた」けど「プレイヤーもってないから聴いていない」ため「ほぼ新品」のレコードを一か八かでメルカリで購入。部屋に飾っていたから写真ではわからなかったぐらいほんのちょっとだけジャケット焼けてて、盤もちょっとだけ歪んでた。リリースから20年近く経つんだ。仕方ない。この賭けに乗ったのは私の方なので、評価はもちろん「良い」だ。

私の影はどこまで伸びる

電池が切れて変な時間に眠ってしまい、充電されて変な時間に起きてしまった。風呂に入って歯を磨いてすぐに眠った。部屋を出て医者にかかる。薬をもらい書店を覗く。欲しかった本は半分しか置いていなかったけど地元の本屋も利用していくことにした。「波よ聞いてくれ」と「天国大魔境」の新刊をそれぞれ購入。

部屋に帰り簡単だけどおいしい食事をとる。なぜ簡単かつおいしいか。それは沖縄で買った生麺とそばだしがあるから。白だしで鶏肉ちゃっと茹でて乗せりゃ沖縄そばの完成。あと一食分の生麺が希望の形をして冷蔵庫で待っている。素敵じゃないか。

アルバムの本当の追い込みはこれからだ。タイトルが決まっていない曲が数曲あり、アルバムのタイトルもまだこれだ!というものが出ていない。だけれども休みは必要だ、と電車に飛び乗り新宿のレコード屋をいくつか回る。ディスクユニオンではアレスキーとブリジット・フォンテーヌのレコードとかミカ・バンドのファーストをようやく買ったりした。タワーの10階にできたレコードフロアも初めて行った。すると我が社の社長、おもちレコード望月さん、流通会社でお世話になった新実さん、青い果実のDJ、KOYANMUSICさんらにばったり。その少し前にはSOLEILのそれいゆさん、その後にはNegiccoのMeguさんも居たようで場の求心力のエグさにおののいた。

値段は確かにちょっと割高かもしれないけど、おっこれは、というのも何枚もあったし今後も楽しみ。しかし何よりこのフロア、景色がいい。レコ屋特有の閉鎖感がなくて最高です。ずーっといれそう。多くのレコード屋が持つ居心地の悪さも好きなんだけど、逃げ場がなくて棚見ても目が滑ってただ彷徨うだけになることが結構多くて、そこにさらに普段聞かないような音楽が爆音で鳴ってたりするともうおしまい!っていう気持ちになってしまうけど、ここならそうなる心配があまりない気がする。少し解放的なココナッツやダウンタウンレコード、京都の10万tレコードとかの居心地のよさとはまた違う居心地のよさ。とにかく気分がいい。タワーの9階にあった窓際のニューエイジコーナーの試聴機が大好きだった。それを思い出していた。

ちょっと茶店でタイトルでもひねりますか、とか思っていたけどドッと疲れて帰りに大きな本屋寄って帰ってきました。

カーニバルへ

カフェアリエが閉店してしまった。「さみしいね」そういうと店員だったKくんは「そんなに来なかったじゃん」と笑う。今、住んでる街には6年暮らしている。この街には喫茶店やカフェがぼくの知る限り3つある。歩いて3分で行けるコーヒー屋に行った回数は1度きり。駅前にあるシャレたイキフンのくせに流れるBGMはYouTube由来で、片方のスピーカーが死んでるカフェは2回だけ。家とは反対側の出口を少し行った喫茶店もせいぜい3回だ。そんな私が年に数回顔をだす喫茶店は今までなかった。多分見知った顔がいる、というのは大きいのかったもしれない。喫茶店はファミレスよりは他人じゃない、と考えているのかもしれない。街の喫茶店が居心地よくなることはあるんだろうか。僕はいつになったらおおらかなコミュニケーションが取れるようになるんだろう。

柴田聡子さんの「結婚しました」のMVは華やかでばかばかしくって笑っちゃうんだけどなんだか泣ける。

柴田聡子「結婚しました」(Official Video) - YouTube

丸一日かけてNICE POP RADIOのハードコア選曲回の選曲そしてデータ作成。ぽっかりスケジュールが空いていて本当に助かった。いままでで1番時間かかった気がする。6時過ぎにはおなかすいていたのに結局ごはん食べたのは9時を過ぎていた。実時間じっくりかけて音楽聴くのはたのしい。というわけで3/29のNICE POP RADIOはハードコア選曲回です。

神戸・沖縄

オファーを受けた時はアルバム完成しているだろうからご褒美だろうな、なんて思っていた神戸・沖縄への遠征だったが、アルバム制作が押して、その押し出されたものに原稿の締め切りというものがあり、それを抱えての神戸入りとなった。神戸は高校生の時に今みたいに漫画を読むきっかけになった「神戸在住」の舞台だから楽しみにしていた分、失望も大きかったけど、ライヴで新曲をおろす事により気持ちをなんとか保った。UOMOで時々書いている漫画を紹介する原稿だったのだけど、紹介する漫画を東京に忘れて来てしまったことに気が付いたのは新幹線に乗ったぐらいの頃だった。ライヴをおえてホテルにチェックインしてPC広げて三ノ宮、書店を検索。紹介する漫画が少し古い漫画だったため、三ノ宮の書店に片っ端から電話をかけるもどこも在庫を持っていなかった。ところが那覇ジュンク堂にはある、とのことだった。作詞をするためについ最近読み返した作品だったから、諦めて土台だけを書いて、沖縄に持ち越すことを決意。

偉いから早めに神戸空港についた。ポートライナーに乗ってみる風景は僕の知ってる神戸であり、僕の知らない景色だった。那覇に着き、ホテルにチェックインしてベッドに倒れこむ。頭の中ではなぜかdoubleのbedが流れていた。泊まるホテルから少し歩いてジュンク堂へ行き、なんとか題材になる漫画を調達し、outputへ向かう。リハの合間などで少しずつ再読し、原稿のそこはこうして、あそこはこうして、などと考えている間に本番になった。ライヴは好調。特に「アンダーカレント」はよくやれた。analogfishの20周年記念ライヴだった。佐々木さんや下岡さんみたいに歌えたらどんなにいいだろう。言葉の大きさとメロディの大きさとアンサンブルの隙間に宿るそれ!!!!

おおきなオムレツ

アルバムの作業がいよいよ大詰めで毎回苦労する詩に今回も振り回されている。あっちに行ってはこっちに戻り、そうではなかったと書き連ねた文字をぐしゃっと塗りつぶす。メロディがなければ書きたいことなんて山程あるのに!と適当にペンを走らせてももちろんなにも出てこない。この曲にはこの風景、というのを頭に浮かべてそこにめがけて作業をする。でもそのプールに水が張ってなかったら?

ある時、ピチカート・ファイヴの「カップルズ」を聴き返していたら「むこうとこちら」というフレーズが耳に入ってきてハッとする。読んでいなかった樹村みのりさんの「菜の花畑のむこうとこちら」をすぐに注文した。本屋で働いているときに注文できたはずだったのにどうしてしなかったんだろう。ぼくの手元には「雨」という作品集だけがあった。深夜のファミリーレストランで苦手なコーヒーを啜りながら、なんて自分は寂しい場所に居るんだ、と思ったら気が滅入ってしまった。どこまでも西に続きそうな街道沿いの24時間営業のファミリーレストランで、なかった場所を想い、誰かのセンチメンタルが自分のセンチメンタルになるのを待つ。屋上のサーカスの娘を、神戸に住むあの娘のことを考える。

学生2枚 クマ1枚

22日

目が覚めたら1時を過ぎていた。よく眠った。作詞をするつもりだった。風呂にも入るつもりだった。ゲームもやりたかった。よくよく考えたら洗濯物が溜まっていた。それらを丁寧にこなしていった。どんなに身近なことでも丁寧に、だ。窓の外をみてごらん、すっかり暗くなってらあ。こりゃだめ、もうなにもかも終わり。まだ一言も当ててない新曲の歌い出しのメロディと「なにもかも終わり」がぴったりとハマった。歌い出しで「なにもかも終わり」と高らかに諦めた彼女がどうやってまた一歩を踏み出したのか。頭の中のそれを浚っていくけど絶対に最善の策ではない、と気がついた。そうです。夜になっていた。喫茶店に行って〜とか考えていたけどすべて諦める。かばんなんて持たない。丸腰で吉祥寺に出て本屋を覗く。収穫なし。HMVで新入荷さくさく見ていたら加納エミリさんの「ごめんね」がかかっていて趣味のいいレコード屋だ…と思っていたらインストアイベントが終わった直後だったらしく、なりすの平澤さんも居た。まだ買っていなかった7インチを買って、チェキまで撮ってもらった。自分の手元に残るチェキを撮ったのは初めてかもしれない。その後ユニオンに流れ着いたらすでに閉店時間が近くて煽られるような気持ちで新入荷を見ていった。持っていなかったジョージ・ラッセルの80年のアルバムなどを買った。

23日

ドアをあけたら春だった。コートなんてすぐ脱いだ。セーターだけ着て自転車に飛び乗る。へいへい、どうしたみんな。ダウンなんて着ちゃって。それより春だよ、春がきたんだよ。暖かい陽射しじゃないか。はっはっはっ!自転車を適当に走らせて少し遠いうどん屋で昼食を摂る。土曜日ということもあってかお客さんがひっきりなしで、フリーのミュージシャンとしては馴染みのない光景で、やはり落ち着かなかった。食事を摂り終え、また自転車に。家の近所のファミリーレストランで詩を書くためにあすなひろしさんや衿沢世衣子さんの漫画を読み返した。たまたま友人と遭遇したり、結局長い時間ファミレスに居たけれどあと数行を残し退散。店の外に出るとすっかり寒い。どうして僕はコートを着ていないんだっけ?

24日

方南町にお笑いのライヴを見に行った。街裏ぴんくさん、ママタルト、キュウ、かが屋、じぐざぐなど見たかった人たちがいっぺんに見れて最高だった。キュウの最終的にふたりとも内容のあることを何も言わなくなるという展開がアツかった。部屋に帰っておととい買ったジョージ・ラッセルのレコードを聴く。前に買った83年のライヴ盤のときもそう思ったんだけどDCPRGの礎、マイルスとスストの他にもこれがあったのか!という認識を改めて深める。さらに前に買ったMPSだったかから出たレコードは当時さっぱりわからなくて手放してしまったんだけど、全部聞かないとだめだったアーティストだ、と痛感。

読み返したい文庫が部屋から出てこない。それなら、と菫画報に手が伸びたのだが、1巻の背表紙が退色していることに気がついた。当時も退色しているものが多く、きれいな黄色のやつを買った、と思っていたんだけどこの菫画報を買ったのも2003年とかのはずだからもう手元に16年もあるのか、なんて過ぎてしまった時間に思いを馳せる。3話以降のギアの入り方ってなんなんだろう、今読んでもドキドキする。

 

 

 

 

 

 

ゆらめき IN THE AIR

ceroフィッシュマンズのライヴを見てきた。アルバム出てからceroを見るのは初めて。リリースされた時、友人が「ポリライフっていうからもっとぐっわんぐわんの想像したけど違って安心した」と言うのでわかったような顔をして「詩の目線とかはポリだよね〜」みたいなこと言った気がするけど、実際ライヴで見ると"Buzzle Bee Ride"や"Waters"のキまり方すごかった。洪水みたいな音楽をやったあと、MCで高城くんが話すと親しみやすさもグッと増すのがいい。

何回か話している事かもしれないけれども書いておく。フィッシュマンズをはじめて聴いたのは高校1年の夏。2003年の夏だった。仲のいい友達に誘われて美術部に入った私は越後妻有トリエンナーレを見に行く、という夏合宿に参加していた。今となっては宿舎のそばにある遅い・まずい・高いの3拍子揃った食堂と、新潟の田舎道を走る車で聴いた音楽のことしか覚えていない。教育実習生の車と顧問の車に分かれ、僕は教育実習生の車に乗っていた。そこで初めて聴いたのが「空中キャンプ」だったのだけどいじわるな教育実習生はそのCDが誰のものなのか教えてくれなかった。でもCDを替える時、印象的なレーベルが見えた。きれいな水色の首のない…いや、これはマネキンか。一瞬ぎょっとしたのもよく覚えている。一緒に乗っていたMくんは「オレンジがどうこうって詩で言ってたよ」と教えてくれた。東京に帰り、池袋のタワーレコードに行った。そしてきっとこれは90年代の音楽だ、という野生の勘を信じてサニーデイ・サービスフィッシュマンズの棚を見始めた。最初に見たのはサニーデイで、やっぱり実物みたぐらいじゃわからねえな、レンタルCDショップ行ったほうがよかったか…とか思ったけど、フィッシュマンズのCDを一枚一枚見ていくと新潟の車で見たあの盤面が見えた。「空中キャンプ」はインレイのないタイプのジャケットで、新品でもCDの盤面が見えるデザインになっていたのだ。あのときの感動はどうやっても表現出来ない。15歳の高校生がこのアルバムに出会うこれ以上ないシチュエーションな気がする。J-POPにもロックにもいい顔ができなかった僕にとって彼らの音楽は必要なものだった。その後、久しぶりのライヴが開催される、となってチケットも買えないだろうな、と思っていたけど、スペースシャワーTV見てたら急に先行販売かなんかが始まって運良くチケットが買えてしまったのだった。いろんな気持ちを抱えてAXに見に行ったのが2005年。茂木さんが歌う「Go Go Round This World」は今でも頭に残っている。

レーベルメイトのceroフィッシュマンズと対バンする、というだけでも大事件なのに初期のメンバーで「あの娘が眠ってる」を0曲目に演奏。メンバーが出てきて1曲目が「Oh Slime」だった。続いて「ナイトクルージング」、「なんてったの」。『'98.12.28 男達の別れ』と同じ曲順だった。Twitterでフォローしてる知人が茂木さんのリハツイートを指して「ドラムセットが今までで1番当時っぽい気がする」と言っていたけど、なるほど、そういうことか。男達の別れゾーンを少し外れ、行くところまで行った「土曜日の夜」も最高だったけど「Smilin' Days, Summer Holiday」のコーラスのサンプルで佐藤伸治の声が流れた(んじゃなかろうか。「Oh Slime」の「THE FISHMANS」のサンプルもおそらく茂木さんが新しくとりなおしたものなんじゃないか、って気がしたし)。その瞬間の寂しさと嬉しさと、いろんな感情が折り重なる。これは確かAXでもそう思った気がする。ライヴも終盤という空気の中、風の音のようなシンセが鳴り響く。「ゆらめき IN THE AIR」だ。茂木さんが「スリー、フォー」と言って演奏が始まって涙腺が崩壊。すると佐藤伸治の歌が聴こえた。何度も、何度も、繰り返し聴いた『'98.12.28 男達の別れ』の佐藤伸治と今、この現在のフィッシュマンズが交差する。大号泣。さっきの知人のツイートを逆さにするならば夢にすら見ることができなかった光景だった。そして間奏でHONZIのヴァイオリンが聴こえた時、ついに声を出して泣いてしまった。何度も聴いたよ。MDLPの最低の音質でだって、AACの128kpbsの圧縮音源でだって、CDでだって何度も聴いた。CDと違ったのは佐藤伸治のヴォーカルにエフェクトがかかることがほとんどなかったこと。その分、生々しくて眩しかった。いないはずの人間が、もちろんいないんだけど、それでもいるんじゃないか、自分が見ているのはなんなんだろう、夢だろうか、幻だろうか。あの世でも見られないライヴを見ているんだ。少し怖くなるけれども、いろんなことを考える暇もなくとめどなく涙が溢れた。そしてCDでキックに深くエコーがかかるところで茂木さんがひときわ大きくキックを踏んだように聴こえてグッとくる。スッ、と音がなくなるエンディングのあと、CDにはないかき回しがアレンジで入っていた。あのままあのかき回しがなかったら一体いつまで拍手や歓声が起きなかったんだろう。こんなにライヴで泣いたのはムーンライダーズのかしぶちさん追悼コンサートぶりです。

アンコール?で高城くんが出てきて「Just Thing」を演奏。現代的にアップデートされながらも93年のオリジナルのフレーズがHAKASE-SUNが弾いたりするもんだから、そうか93年と98年と99年と19年がなかったらこの瞬間はないんだ。90年代の年号はそれぞれの作品や出来事に置き換える。以前、サブスク解禁について書いた日記の「物があれば残る。その価値がそこに宿る。そこだけに宿る。それが希望だった。」の部分をわざわざ引用して「この人はアーティストのくせに想像力に欠けている。ものがあったら遺るなんて当たり前じゃないか」と指摘してきた人間がいたけれども、半分正解で半分くたばっちまえ、と思っていた。当たり前の連続で日常が成り立つならば気は楽なんだ。その人はそこにいながらなぜそこにいるのか、そこにあるならばなぜそこにあるのか、考えたことがきっとなかったんだろう。フィッシュマンズは当たり前の連続を歌いながら、当たり前の連続からの逸脱も同時に歌ってきたんだと思う。だからこそ『8月の現状』のあの「新しい人」を発表できたんじゃないか、と。

帰り道、改めて『'98.12.28 男達の別れ』の「Long Season」を聴いた。僕にとってこのアルバムはその日を切り取ったライヴ盤、という以上の意味を持っている、ということに気がついた。