幻燈日記帳

認める・認めない

台湾通信

12/6

車でマネージャーの家のそばまで行く。親父からでかい車を借りたのだけど、CDしか聴けないことをすっかり忘れていて車の中に転がっていたTMBGのベスト盤を聴いた。マネージャーと落ち合い、運転を変わってもらう。何か忘れ物をしていないかだけが気がかりだった。空港に着き、車を降りるとずいぶん寒く感じた。「12月でこれかよ」と呟く。現地で待っていた駐車場の人に車を預け、荷物をカートに写し、集合場所でみんなと合流。僕以外は海外の渡航経験のある人たちなので、なんかソワソワする。大所帯なので荷物を預けるだけでも一苦労だった。

飛行機は気流の関係や、空港の混雑からだいぶ遅れたけれども、無事台湾に着いた。飛行機を降りると「ここが!台湾!」という感慨も与えさせず移動が続く。言葉の通じない国じゃ機内で配られていた入国カードを爆睡ゆえに貰いそびれただけで大変だった。「アーーー アーーー エアプレーン……カード……」としかいえなかった時、心の底から落ち込んだ。なんとかなることなど一つもないのだ。

空港のロビーで今回の主催のスパイキーと落ち合う。僕ははじめての海外に浮かれ倒して早速自動販売機でお茶を買った。持ったことのないお札、みたこともなかった小銭が手の中にある。不思議な感覚だった。

到着したのが夕方だったということもあってか道路は混雑。1時間ほどたっただろうか、宿泊するホテルについた。それぞれの部屋に荷物を押し込めロビーで落ち合い夕食を摂りに行った。街の居酒屋のような場所で乾杯をする。その店は店内に二つ、すたみた太郎でしかみないようなでっかい炊飯器が設置してあってご飯は基本フリーだった。小さい茶碗に米をよそっていたのだが、佐久間さんが米を茶碗から平たい皿に移していたのがなんともいえずおかしかった。知らない街に戸惑いながらも楽しい食事を終え、ホテルに帰る。僕だけタピオカすすりに街へ残った。なんとか注文したタピオカは達成感というスパイスにより美味しく感じた。部屋でのんびりしたのち、眠る。

 

12/7

明日、お昼ご飯行けそうだったら11時にロビー集合で、とLINEに投げ、翌朝マネージャー以外は集まってくれた。起こそうか迷ったが「えっ、飯とか……どうでもいいから寝かせてくださいよ……」と言われたら心が粉々になるどころじゃないのでこっそり部屋をでる。メンバー+PAの荻野さんでタクシーを相乗りして牛肉麺のお店にきた。バナナTVでやってた牛肉トマト麺が食べたくて…… 食事は美味しかったし、みんなでご飯食べるのは楽しい。お腹もいっぱいだ。いい滑り出し。ホテルのロビーでなおみちさんが「もし行けたらもう1軒行きたいな」と言っていたけど、満腹のため解散。そのまま徒歩でホテル戻る組とタクシー乗る組みに別れた。

ライヴハウスに向かう。今回はTHE WALLというところ。近くには大学がいくつかあるらしく、古い街並みに時々娯楽が転がっている不思議な街だった。言葉の壁を感じつつ、リハーサルを済ませ夜市に繰り出した。それぞれ思うままのつまみ食いをする。肉まん焼いたみたいなやつ、美味しかったし、みんなと別れてから食べた麺線は忘れられない味になった。ライヴハウスに戻り、スパイキーに台湾の言葉を少しだけ、レコード屋も少しだけ教えてもらった。街へ出る。バスに乗ってみたかったがバスのコミュニケーションは難しそうだ、と判断し、電車に乗る。切符だと思っていたがゲームで使うようなプラスチック製のコインが切符の代わりでカルチャーショックを受けた。日本の電車と雰囲気が違うんだけど、ホームの感じは大阪の地下鉄とか、京王線を思い出す感じ。知らない言葉が飛び交う中、改めて海外にきたんだ、と実感した。

最初のレコード店は先行一車という店。なぜか友川カズキフリーク店主が経営するというレコード屋。まず入口がわからない。湿った路地裏を何度かうろうろしてようやく店の入口に気がついた。ドアを開けたが雑然とした部屋が目に飛び込んできてゾッとする。無力無善寺初めて入った人とかこういう気持ちだったのかな。とか考えた。恐る恐る奥に進むと女性の店員さんがいて、店内にはクラシックが流れていた。拙い英語でやり取りをして、レコードを見ていく。欲しい!と思ったものはちゃんと値付けがされていて、これじゃ東京で買ってもおんなじだなぁ、と考えを改めた。東京じゃ買わないようなど定番を敢えて買うか、と切り替えたのだが、それもこれ、というものに出会えず、結局WIREの12インチを買って店を出た。見たことのない雨樋や、見たことのない柵を持った家を通り過ぎ、次はWHITE WRABBITというお店へ。こちらはとても綺麗な店内で日本の音楽も積極的に紹介されていた。ここでは落日飛車のCDを購入。駅に向かう途中、信号待ちで立ち止まったところでふと街の写真を一枚撮った。日本にいる時、なんでもないところで写真撮っている外国人観光客を見て「はて」、と思っていたのだが、旅情というのはこういうことだったのかもしれない。もう一度電車に乗ってPAR STOREを目指す。駅を出るとこれまで見た古い街並みとは違う、ピッカピカの街並みが目に飛び込んできて驚いた。銀座か表参道のような雰囲気。少し歩くと看板が目に入ってワクワクしながら扉を開けた。モンキー君もお店にいて、久しぶりの再開を楽しんだ。最近どんな音楽聴いてる?というやり取りで僕は田中ヤコブ君を。モンキーからは我是機車少女というユニット?を紹介してもらい、そのCDを買って帰った。モンキーとの話が嬉しくてつい伸びてしまって、最初から見ようと思っていた自分の出るイヴェンとに遅刻。どのバンドも魅力的だったけど、フレンドリーで我々みたいな引っ込み思案、内弁慶バンドには助かった。

東京でライヴをやるときとあまり変わらない気持ちで演奏できたのが自分でも不思議だった。いつもより疲れは感じていたけど、楽しく演奏できた。打ち上げは楽屋で小規模に。ケータリングにいくつか料理を頼んでくれたのだけど、そのうちの一つが松屋の生姜焼き丼みたいなやつだった。異国でみる慣れ親しんだチェーン店の名前はどう響いたのか、今となっては思い出せない。

夜遅くにホテルに帰ってきて24時間開いているスーパーマーケットに向かう。東京にいる恋人とLINEしながら家に買って帰るものを選んだ。真夜中のスーパーは西友みたいな雰囲気で、置いてあるものも日本の物も多く、商品を手に取るたびにここがどこだかわからなくなっていく仕組みになっているようだった。スーパーを出てシンとした街を歩く。

 

12/8

昨日、なおみちさんが言っていたもう一軒行きたかった店が気になって向かおうとしたらなおみちさんももうすでに着いていたようだった。いわゆる台湾の朝ごはん、みたいな風情の店で中国風とされるおにぎりやオムレツをパンで挟んだような一見キテレツな料理を食べる。どれも美味しかった。小籠包もようやくここで食べる。なおみちさんとタクシーでホテルに戻り、部屋の片付けをしてホテルをでた。この時、部屋にネックピローを忘れたことには気づいていない。みんなと別れて財布に残った小銭を全部吐き出す。余裕を持って行動したつもりだったけど出発ロビーがあまりに遠く結構ギリギリになってしまった。急いで飛行機に飛び乗り、座席についた時マネージャーから数分前にLINEが来ていた。「澤部さん以外全員もう座ってます」

飛行機は空港につき、今度はしっかりもらった入国カードを記入しようと記入台でペンを握ったのだが、ペンが出ないし、記入台はガタガタしていた。こいつは美しい国。こいつはおもてなしじゃないか。

空港で待っていた駐車場の方から車を受け取り、機材を積んでいく。帰り道は車の中に転がっていたRUNT STARのFIRST LIGHTを聴いた。っつーか、なくしたと思ってた。

嘘みたいに輝くそれ

清水の舞台から飛び降りる気持ちでピチカート・ファイヴの7インチボックスを買った。因果なことに8/31に買ったヘッド博士の煽り(だけではない…住民税…国保…年金…)を食らって金欠になってしまっていたため、予約はしていなかったし、現在もバキバキの金欠状態が続いているのだけどミューマガに原稿書いたりしていたもんだからずーっと欲しくてソワソワしていて、こりゃこの気持ちどうにもならない、買うしかないのか、ないのかと思いを巡らせていた。そこで「明日の朝、HMVの開店より早く目が覚めたら行くだけ行ってみよう。売り切れていたら諦めがつくよ」と唱えて布団に入った。そして目を覚ますと時計は開店より前だった。最低8時間は眠らないと眠った気がしない僕が!6時間弱の睡眠で!こりゃもう運命じゃん!ぐらいの浮ついた気持ちでHMVに向かったのだが31にもなって襲ってくる金欠とは一体なんなのか、ということを自問自答。そして思い出す。浪費癖はない、と思いこんでいたけど、あるのだ。

いつもより賑わう開店して間もないHMVに在庫はあった。しかし厚紙のサンプルしか店頭に出ていなく、一気に吹いていた風が止まる。(大好きなスタジオ・ライヴの7インチは予約特典だったな〜、それは付かないんだろうな〜)と思い、それなら無理して買うまでもないよ、生活が第一だよ、と店内を徘徊。新入荷を見て少しずつ心が落ち着いていく。これでよかったんだ。マジドラのシウォンチュさんソロだけを持ってレジに向かった。レジ打ってくれた店員さんに「ピチカート・ファイヴのボックスって特典…付かないですよね?」と訊いたら「つきますよ」とのことだったので食い気味で「買います」と伝えたのでした。ポイントが溜まったからナンバーガールの12インチを500円とかで買えましたよ。来月の僕よ、一緒に頑張ろう。

君には懐かしい10月でしょうか

「正月みたいな空とは」、「どんなだったか」。アパートのドアを開け、短い共同の廊下を歩いてそう考えた。バスに乗り、地下鉄に乗り換えて打ち合わせを一本。神保町で降りてマネージャーとエチオピアでカレーを食べる。マネージャーと別行動でユニオンをのぞいたりする。手元から知らぬ間にいなくなっていた(金がない頃に売っぱらってしまったんだろうか)CDを2枚救出。そこから歩いて移動。寒くなってきて寂しい気持ちになる。本当に淋しさには名前がないのか。名前をつけてきたのが僕たちなのではなかっただろうか。なにか音楽を聴こう、とイヤフォンをつける。20周年のツアーのトレーラーを見て以来、DC/PRG結成20周年ツアー<20YEARS HOLLY ALTER WAR MIRROR BALLISM>トレーラー(over 30 min) - YouTube DCPRGが妙に聴きたくてたまらない衝動に駆られていた。そういえばサブスクが解禁されていたな、と思ってAppleMusicでファーストを聴いたら、"PLAYMATE AT HANOI"の左チャンネルのバスドラムが凶悪すぎて笑っちゃった。すごいっすよ。何度も聴いたテイクなのに作用が変わった感じする。そしてそこからもう一本打ち合わせ。どちらも楽しみでしかたがない。早く言いたい。

打ち合わせを終えてさらにユニオンへ行く。気がついたら手に持っていたのがテレヴィジョンとかペイル・ファウンテンズとかエリック・カズで、「薄々思っていたのだけれど、これからの人生は過去に聴いていた曲を聴き返す感じなの?」となり、手に持っていた何枚かのCDを全部戻していった。ところがエリック・カズだけもうすでに棚がギッチギチになっていて戻すことができなかったので購入。電車に乗って新宿を目指した。

「プリファブ・スプラウトを聴かないと」。去年ベスト盤の『38カラット・コレクション』を聴いて以来、大事に聴いていたのだけど、「最新からさかのぼって聴くのはどうですか?」という優介の指南の通りに『クリムゾン/レッド』から聴いたんだけどまあそりゃ泣いちゃうぐらい良くて、そうしているうちにアナログの再発の報せがあったもんだからベスト盤で聴いて大好きだった"Jesse James Bolero"の入っている『ヨルダン:ザ・カムバック』と『アンドロメダ・ハイツ』を取り急ぎ探すことにした。タワレコの10階のTOWER VINYLで『ヨルダン:ザ・カムバック』を確保。素晴らしい接客をしてくれた店員さん曰く「やっぱりその2枚が人気です。私も…やっぱりその2枚…」「ふふふ、ですよね〜!」と答えるのだが私は「ですよね〜!」と言える立場ではないのだ。カードで払うか現金で払うか少し迷って現金で会計をして、エレベーターを降りていく。外は暗くなっていて、パチンコ屋の隙間を抜けるのにうってつけだった。ユニオンレコードで新入荷に目もくれず店員さんに「『アンドロメダ・ハイツ』は売り切れちゃいましたかねえ〜」と尋ねたら、ユニオンレコードに在庫はないけどインディー・オルタナティヴ館にある、と教えてくださり取り置きの手はずまでしてくれた。そのまますぐ移動。ざわつく胸を押さえてエレベーターのボタンを押す。心が落ち着くのを待つように店内を見て回った。あのCDもほしい、このレコードもほしい、でもプリファブ・スプラウトの『アンドロメダ・ハイツ』がほしい…となった最高のタイミングでレジに声をかけ、会計を済ませる。今度は楽天カードでの支払いだ!!

2階のアクセサリー館で実家に奉納する細野晴臣さんのサイン入り『はらいそ』を飾るための額を買い、新宿を出た。ここは現金。

部屋に帰り、3日ぐらい炊飯器に入れっぱなしだった白米をどうにかして食えないか、と炒飯にしたりして、実際食って大丈夫だったかどうかわからないまま『ヨルダン:ザ・カムバック』に針をおとす。溝をトーレスする音が聴こえる。音楽が始まる。「ベスト盤で聴いた曲だ」とか思って聴くんだけどとにかく聴こえ方が違う。こんなに寂しい音楽だっただろうか。テープの転写が聴こえた気がしたが、DLコードについていたWAVも聴いてみたら、それはテープの転写ではなく、もとから録音されていた演出だったようだ。"Moon Dog"で音像が急にモノラルになって演奏も少しラフになるところに驚いたり、そうだ、ベスト盤でも聴いていたけど"All The World Loves Lovers"はこんなにいい曲だっただろうか。たった5つの音を鳴らすだけのピアノの音に涙が出たりした。

Prefab Sprout - All the World Loves Lovers - YouTube

東京最後の日

去年買った変態っぽいコートを羽織って吉祥寺行きのバスに乗った。ココナッツディスクに寄って、金野さんから預かった戸張大輔「ギター」のプロモ盤を矢島さんに渡す。そして少し立ち話。つい長くなってしまう。これから僕も矢島さんも同じライヴを見に行く。ぼくはファースト・ステージ。矢島さんはセカンド・ステージ。台風の話をしながら「ファースト・ステージにすればよかったなあ」と矢島さん。「無職はほら、時間に自由がきくから、こういう時は早い時間にしないと」。

ココナッツディスクを出てユザワヤに寄って養生テープを探す。「窓ガラス割れたとき大変だからちょっとでも楽なようにするのにおすすめだよ」みたいな感じの動画をTwitterで見たのだ。大きな台風が来る。みんなそわそわしている。昨日、西友にないか見たんだけれどもやっぱりなかったのだ。あ、養生あるじゃん!と思ったらすずらんテープだった。ユザワヤにももちろんないのだ。

諦めて新宿まで出てそこから大江戸線に乗り換え、ビルボードへついた。受付で名前を言う。こんな気持ちで自分の名前を言うのはいつぶりだろうか。傘を預け、7インチを買い、コートを預けてバーカウンターに向かう。クランベリージュースを注文して5階席のいちばんはじっこに座る。しばらくするとライヴが始まった。自分が歌わない前提で書き始めるから書ける詩がある、ということを知ったのは割と最近のこと。「自分で作った歌を自分で歌う」ということを改めて考えさせられた。

ライヴがはねたらひとりで帰る。今日のライヴは女性の目線でえがかれる失恋の歌が胸にしみた。ひとりで勝手に失恋した気持ちにまでなっていた。エスカレーターを降りきるととらやがあったのでいくつか羊羹とホールインワン最中を買った。期間限定だか店舗限定だったかで紙袋の虎が折り紙仕様になっているのもご用意できる、と書いてあったので、それにしてもらった。かわいい。店を出て恋人に電話をかける。「いま終わったよ。ミッドタウンにいるけどなにか必要なものはある?とらやの羊羹はちょっと買った」「なんで羊羹?」「ふふふ、それぐらいいいライヴだったということだろうね」

 

吉祥寺からビルボードまでまったく外に出る必要がなかったため、今、雨がどれぐらい降っているか、というのが再び乗り換えの新宿に出るまでわからなかった。もうひどい雨になっちゃって、ちゃんと家に帰れなかったらどうしよう、なんて思ったりもしたけれど、周りを歩く人達をみて考えるのをやめた。なんの音楽も聴かないで街を歩く。大江戸線から地上に出てビックロにモバイルバッテリーを買いに寄る。すでに商品の陳列棚はほとんどからっぽで、さあどうしよう、なんて気持ちが遠くなっていったのだけど「今、店の入口に入ってきたばかりのが並んでますので」というので向かってみると小さいコンテナボックスに積まれたモバイルバッテリーが並んでいた。その中のひとつを手に取り「いくつか種類があるけれども」「違いを教えてもらえませんか?」と店員さんに訊く。「こちらが2回分ぐらい、そちらが3回分くらい充電できます。2回分の方はケーブルも最初からついているけど3回分の方はついてないです」と丁寧に教えてくれた。(じゃあ3回分だな)とそちらの方を手に取って売り場を離れるとき、店員さんが「最後の入荷です。あるだけです」と言っていたのが小西さんがとばしたジョークと重なった。

ビックロを出て紀伊国屋も寄れるかな、と思っていたけれども閉まっていた。汗をかきながら新宿の気温計に目をやると21℃と表示されていた。変態っぽいコートはまだ早かった。金曜の夜だというのに表通りはあまり人がいなくて、少し狭い道に入ると妙に人が多い不思議な街だった。電車もいつもより人も少なく、駅から一番近いスーパーマーケットはもぬけの殻だった。それでも長蛇の列のレジを抜け、炭酸水と野菜ジュースだけ買って帰った。いつもの街だ。明日はそうはいかないだろうけど、明後日はまたいつもの街であってほしい。どうか。どうか。

 

 

どうして月を撃たない

レコーディングが終わり、車に乗ったあたりで具合がグンと悪くなった。レコーディングが終わったのは(バスなら)深夜(料金になるような時間)で、青梅街道をひたすら西へ向かっていた帰り道を一旦戻り、新宿のドラッグストアで風邪薬を買って帰った。部屋につく頃には熱っぽくなり、眠る直前にはしっかりと発熱。ごはんはしっかり食べて薬をのんで布団に入るのだが眠れない。体はめちゃくちゃ疲れていたから眠ろうとするんだけど、体が熱くて眠れないのだ。「明日のライヴどうなっちゃうんだよ〜」なんて布団でぼんやりしていたのだけど、ああ、なんて晴れないこの気持ち!とからだを起こして携帯電話を見てみると1時間も経っていたのだった。体は休んだけど頭は休めてなかったのだろうか。はたまたその逆か。

それでもいつしか眠りについて、アラームが鳴る前には目が覚めた。起きると発熱は収まっていて、頭痛もない。耳閉感だけは残ったけど、それ以外は何も問題ない。ホッとしてまだ起ききれていない体をひいて今日のライヴの1曲目の歌いだしを口ずさんだ。……本当に大丈夫?

結論から言うなら、大丈夫だった。

福岡に着き、佐久間佐藤でハイダルというカレー屋でバイ調(ヴァイブス調整)を済ませたこともあったのか、弦を張り替えたこともあったのか、お客さんもたくさんいたこともあったのか、久しぶりのライヴだったけど、楽屋にカポ忘れた以外は問題なく声も出た。深夜の絶望は一体なんだったのか。

呼んでいただいた日食なつこさんチームと打ち上げ。日食なつこさんもライヴで説明してくださったけど、本当に本当のはじめましてだったから楽しい会になった。

福岡に一泊、倒れるように眠り東京に戻る。タッチの差で住んでいる街の近くへ向かうバスに乗れなくて40分の待ち時間が出来てしまった。空港の喫茶店に入り、紅茶を頼み、ストレートでじわじわ飲んでから角砂糖を放り投げる。さあこれから混ぜるぞ、お前は今から全体的に甘くなるんだ、とティースプーンを手に取ったのだが、少しずつほどけていくかたまりに見入ってしまった。ここが箱庭だったら、ここが海辺だったら、ここが私の部屋だったら、ここが喫茶店だったら。秋だからこんな気持ちになるのでしょうか。

そしてそっとクイズを出す

印税って知ってるかい。詳しく説明する気はない。気になったならば検索してみてほしい。ミュージシャンの大切な収入源であり、究極のあぶく銭であるこの印税。その印税は2月、5月、8月、11月の末に振り込まれる。該当の月の末にもなると明細が届くので、そわそわしながらうなされるかのようにポストと部屋を行ったり来たりするミュージシャンもいるそうだ。ともかく、印税が入った。ドラマもやった!映画もやった!からめちゃくちゃ入ってるっしょ、と思ったけどどうやらまだそのあたりは振り込みの対象外(もしくは夢を見すぎているだけかもしれない)のようでめちゃくちゃ堅実な額が口座に振り込まれるに至った。早く楽になりたい。どうしてこんなに国保、住民税、年金は高いんだ、それに消費税まで上がるなんて正気じゃいられねえズラよ〜。

昼間に起きて伝承ホールへAマッソの単独を見に行った。Aマッソは今のようにお笑いを見に行くようになるきっかけになったコンビ。中学からの友人の松本くんに教えられた動画(Aマッソコント「出ろよ」(公式 CH) - YouTube)を見て即ハマり、最初に見に行った新宿バッシュのライヴでランジャタイや街裏ぴんくさんなんかを初めて見てまたさらに衝撃を受けたのだった。初めて見るネタの数々、まいどまいどこれしか言えなくて恥ずかしいのだけど頭がシビれた。まだ大阪公演が残っているので多くは話せないけれど、毎回、爆笑しながら大いに感動するのだ。

伝承ホールの前の席にテレビ東京の佐久間宣行さんがいらした、と気がついたのは終演後だった。「青春高校、毎日楽しみにしてます」「豊洲PITも見に行きました!」(終演後、豊洲PITから勝どき駅まで歩いたのがなんともエモかった。大きな橋を渡ると潮の香りが鼻をつくのだ。)と伝えたかったけれど、タイミングが合わず断念。終演後Aマッソのおふたりにご挨拶をする。

冒頭で印税の話しをしたのはわけがある。レコードを作ったあとの収入で欲しかった高いレコードや、新しいCDを買うのが最高のご褒美なのだ。今回のご褒美として買ったのがフリッパーズ・ギターの「ヘッド博士の世界塔」だった。妙な機会があって1度だけ、ヘッド博士のアナログを実家の部屋で聴いたことがあったのだけど、その時の感動が忘れられず、いつかは買うぞ、と思い過ごしてきました。何度も、たくさんの人が、口にした言葉「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」を信じて8月が終わってしまう前に店に飛び込んだのだった。今まで買ったレコードの中で比べようがないぐらい高額のレコードだったけど、ココナッツディスクのポイントカードをめいっぱい!14枚も使って買った。矢島さんが「行くべき人のところに行った」と言ってくれて、部屋で聴いて感動したあの日が救われた感じがした。そうして針を下ろす。何度も聴いたアルバムのレコードをオーディオの前でじっくりと聴く。いろんなことを思い出すだろう、と思ったのだけど、不思議と「こんなにギターとベースのアルバムだったのか」と新しい発見ばかりに目が行った。儀式のように窓を開けると、8月と9月の境目というのはなにも時間のながれというだけのことではない気がしてくるじゃあないか。

なにがサマーでだれがオブ・ラヴ

電車のなかで少しずつ「スキップとローファー」を読みすすめていく。3回くらいの外出に連れて行ってまだ読み切れていない。だいじに読むのだ。

 

某日

 

ナンバーガールが再結成される、と聞いたとき動揺した。小学生の頃に「透明少女」のMVを夕方のテレビで見てぶっ飛ばされ、ちょっと間あいて本格的に聞き出したから、中1から中3という痛々しい中2病をともに過ごしたのがナンバーガールだった。それゆえに実際開いちゃいけない記憶の蓋もいくつか開いた。中3から高1にかけて自分の中で価値観が変わることがいくつかあった。自分はロックが好きなんだ、と思っていた頃に軸としていたのはナンバーガールだったんだな、と今なら思う。そしてナンバーガールを軸にしてロックの範疇を広げようとしたとき、その軸はナイーヴ過ぎたのだった。僕が求めていたのは「学生通りは午後6時」「交差点でおれはいまいちだった」「俺、憂い夕暮れに たまーにさァーとなるカンジ」「福岡空港から離陸しますって実況する俺の真上に ヒコーキ雲が すぐに消えてなくなるのだろうか」というようなそれだった。中3の頃にyes, mama ok?をちゃんと聴き出したのも大きかったけど、いろいろあって高1の時にロックと折り合いがつかなくなり、そのまま距離を置いてしまった。そして時間だけが経った。アナログが出たときはもちろん買ったし、その時一通り聴いてしおらしい気持ちになったりもしたけれど、再結成となると話が変わってくる。複雑な気持ちからチケットの先行を見送ったもんだから、その後もちろんチケットが取れるはずはなかった。同じくナンバーガールが大好きな佐久間さんといろいろ話していてくうちにやっぱりみたいね、となり、野音に音漏れを聴きに行ったのだった。会場の周りには大勢の人が来ていて、度々「道を開けてください」と警備員の指導が入るほどの大盛況だった。仕事終わりでこっちに向かう佐久間さんにLINEで「今この曲やってます!」なんて実況しながら演奏を聴く。障壁がいくつもあるので音はもちろん悪い。でもその壁を乗り越えて響くギターの音は僕が聴きたかったナンバーガールそのものだった。真剣に聞き入る人、生け垣に座ってハンディレコーダーを回す人、何人かで聞きに来てときどき雑談をしながら楽しむ学生、奇声をあげる人、周りは様々だった。そのうち佐久間さんと合流、ココナッツの中川くんともばったり遭遇して「いいっすねえ」「この曲やるんだね」「最初はね、なんか外でもバランス悪かったんスけど」「普通にいい曲だよね」なんて言いながら最後まで見た。終演後、佐久間さんと恋人と松本楼に入った。中学生の頃、池袋のPARCOには松本楼があって、母と買い物に来るとよく連れて行ってもらったものだった。おそらくあの頃と同じ味のオムライスを食べながら今日見れなかったけど聴いた感想を言ったり、年末から始まるツアーの日程を見ながらいろいろ話した。さて、果たして一連のこれはノスタルジーだったんだろうか。だとしたら、なんかちょっと想像していたノスタルジーとは違うな。

 

某日

 

部屋の掃除をしようと思ったのだけど、それより前に部屋にものが多すぎる、という話になった。レコードが棚から溢れている。漫画が棚から溢れている。CDもだ。CDは150枚分ぐらいのプラケをソフトケースに入れ替え事なきを得た。そしてついにレコードを売ろうという決意をする。頭の中では100枚近いレコードを車に積んで「これ買い取ってくれますか」という絵が見えていたのだが、結局大きめのトートに入り切る数を店頭に持っていくだけだった。ジャケ違いだから…とかプレスした国が違うから…とか言って2枚持っているやつを中心にしてしまったから30枚ぐらいしか手放せなかった。もっととことん突き詰めるべきだ。それかその前にもっと沢山ものが置ける部屋に住めるぐらいの稼ぎになるかだ。部屋の掃除はまだ続いている。ストレスなく掃除機をかけられるようになるまで今回はやる。

 

某日

 

ポニーキャニオンで打ち合わせ。未来の話をすると、未来のことを考えるのだけど、すべてが現実味がなく、またその逆でもある。僕は今、人生で一番リアリティに浸り、なおかつファンタジーで身を穢しているのだ。すべての未来が等しく明るく在りたいね。打ち合わせを終えて少し足伸ばして丸香で釜玉カルピスバターを食べた。地下鉄の神保町のホームにはいい予感のいい思い出しかないから、心は弾むのに階段を駆け上がってももうコミック高岡もジャニスもないのが本当にさみしい。探していた漫画があったのだが三省堂でもグランデでも売り切れてしまっていた。

 

某日

 

友人の松本くんの粋な計らいでカナメストーンさん、ゆーびーむ☆さんとごはんを食べることに。松本くんとは中学の頃からの友人で、高校の頃は同じ美術部に所属していて、今でも「こういう音楽がよかった」「こういうテレビが面白かった」という話をよくする。松本くんに薦められて見たAマッソの動画で改めてお笑いにハマることにもなった。いくつか劇場に足を運んでライヴを見るうちに、カナメストーンさんも僕らの音楽を好きだということがわかり、更に松本くんの今の仕事がテレビのディレクターで仕事を一緒にしていたということもあり、今回の席が用意されたという流れだった。漫画家さんと話すときもそうだけど、物の見方、接し方が似ているようで違う。とにかく笑った。たとえば冗談を飛ばす山口さんにゆーびーむさんが言い返して、はたいて、ワインを注いだ。些細なことかもしれないけれども、冗談に対して言い返すのはわかる。はたくのもわかる。だが最後にワインを注いだのだ。逸脱した瞬間、どこだかわからない場所に感情が持っていかれる。こういう瞬間のために自分は生きているんだ、と大げさに言ってしまおう。年明けに見たカナメストーンの漫才もその凄みがあったのだ。「どうもありがとうございました」という言葉の意味さえ改めて考えさせられる。(twitterには別の載せたけどこっちも好きだからこっちにはこれを載せよう…)

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