幻燈日記帳

認める・認めない

ジャッジメント・ブルース

5時に寝て14時に起きる日が2日続いてこりゃいかん、と気持ちを奮い立たせ、5時に寝て11時に起きる。その日は数週間前に壊れたテレビの修理もあったので居間を片付けた。修理は無事に終わり、ヨドバシカメラの保証さまさま、あの日ポイントの割合悪くして長期保証に入った判断とヨドバシカメラに向かって手を合わせる。代替え品のテレビともおさらば。

 

NICE POP RADIOの選曲で行き詰まり、ディレクターの大和さんにLINEをする。こう言う形で相談することがあまりなかった気がするので、番組作ってるな〜と勝手に気分が上がった。

 

ギターを手にしたら仕事でつくらきゃいけない曲のアイデアは一つも浮かばなかったけど別のアイデアがでてきてとてもうれしくなった。ようやく体のどこかで薪が焚べられた気がする。あとはうまく火がつくといいのだけど。

 

チェンソーマンと空電の姫君、九龍ジェネリックロマンスの新刊を買ってきた。チェンソーマンは7巻で個人的に落ち着いてしまった気持ちもあったのだけどやっぱりシビれる。2回読んだ。

 

衿沢世衣子さんの新刊「光の箱」も相変わらずの面白さ。体温低いビートにとんでもないことが乗っかる感じは相対性理論を思い出したりした。

 

9/5のライヴに向けて体力をつけなければ、と1時間弱ほど自転車を漕いだ。

 

 

島があるかい

部屋が寒くて目が覚める。ドライの28度でもフィルター掃除するだけでこんなになっちまうんですね。

 

いくつか仕事をこなそうとしていく。実作業に頭がついていかないということがわかったので追加でいただいた資料を見る時間に当てたり、NICE POP RADIOの選曲をしたり、弾き語り音源のミックスをしたりした。すっかり陽も落ちたころ、ソファに身を投げてうたた寝していたらソファから投げ出された自分の右腕の重さで目がさめた。冷蔵庫に入っていた鶏肉と昨日いたずらに買ったナスとエリンギとパプリカでグリーンカレーを作り食べた。ナスとエリンギは普段のスーパーで買うものとの違いがよくわからなかったけど、たしかにパプリカは美味しく感じた。適当につけていたテレビで北野武が「こういう調子悪い時に自分の好きなことやれっていうのはウソだね」と言っていて救いはないのだけどおんなじ人いるだなーと少し安心する。そして好きなことを仕事にしてきたんだな、と実感してしまった。ふむ。

 

もう半年近く前に勢いで買った小さいスパークリングワインの缶を開けてみた。味は好きだけどたちまち喘息が重くなったのでドクターペッパーなら「こんな量ならくいっとのんじまえよ」と言われそうな量を残してサランラップを丸めて飲み口を埋めた。

仮説

目が覚めたら昼の13時をとっくに過ぎていた。12時にスタジオライヴの告知があったからそれまでには起きてるでしょ、と布団に潜った自分が悪かった。マスクを持たずに街へ出てしまう夢を見た。そしてマスクを買わなければと未来めいた吉祥寺のキラリナ(「キラリナ」て!)でなぜかPITTAだけを求め続ける、という内容だった。

 

テレビをつけたら感染者増加のニュース。土日挟んでしまうなら、と思い切って車に乗り買い出しに向かう。車内ではまたプリファブ ・スプラウトを全曲シャッフル。最初聴いた時は「フツーのROCKジャン」と低く見ていた"The Golden Calf"が最近とんでもなくセンチメンタルな音楽に聴こえてきていたので、夕暮れ迫る街にとてもよく合っていた。吉祥寺のHMVで買えてなかったKhruangbinの新譜とズルい女の7インチ買ったりしていたら突然に頭がパカーンとなり、そのまま下のスーパーマーケットでやたら高い卵やらやたら高い牛乳やらやたら高いナスやらやたら高いパプリカやらを買い込んだ。今まであまり感じたことのない気分の高揚だった。黒酢まで買った。今なら苦手なアマプラとかHuluとかの番組を選択する画面も難なく乗りこなせそう、有名なあの映画を見て、あのドラマを見よう。同じような日々はもうすぐ過去だぜ!!!!と車のキーを回したらプリファブ ・スプラウトがかかるもんだから部屋に帰った頃にはすっかりおセンチになってましたとさ。

 

8/2の16時からスタジオライヴが配信されることになりました。6月までの在宅ライヴを経て、9月のホールライヴへのパイロットフィルムです。このライヴのための久しぶりのリハーサルをしていたとき、「楽器がでかい音で鳴っている」という恐怖が楽しさを超える瞬間というのがあって、どうにも心が晴れないまま耳栓してモヤモヤとリハしてたんだけど、最終的に耳栓とって最後の数曲やったら「あ〜これ〜」となりました。少し取り戻したところでリハは解散、そのまま本番、しかもいつものライヴとはモニター環境から照明から楽器のセッティングから全て違うからどうなるかなーと思ったんだけど、何から何まで手探りな中、答えではないかもしれないけど、そこに至ろうとするのが記録されだと思っています。いつものメンバー、いつものエンジニア、いつものレコスタだったから本来の意味での環境こそ違えど、少しリラックスできた気もするし。(「トワイライトひとりぼっち」の収録の時に映像も入れたんだけど、萎縮しまくって半ばトラウマになってしまって、結局映像自体もお蔵入りになってしまったという過去があるので、変に気が張っておかしくなるのがほんとうに怖かったんだよ!)16時からみんなでせーので見られる(アーカイヴされるまで巻き戻しができない)プレミア上映ですので、みなさま冷たい飲み物用意してご覧ください。

 

https://youtu.be/aorqBETTpS8

TKG

起きてラジオを聴きながら実況パワフルプロ野球サクセススペシャルで選手を作る。もっともらしい1日の始まりのはずだったが少しずつ座りが悪くなってきているのを感じる。

 

マイナビラフターナイトの無観客ライヴでのじぐざぐは凄かった。Aの話からBの話にいくならわかる。しかしAからJやNやTの話に出来る人はなかなかいない。AからアとかAから亜みたいな飛び方はたくさんあると思うけど、感動しました。

 

yes, mama ok?の「問と解」耳コピをさらに進めた。何ヶ月か前にやったときより一瞬核心に触れた気がしてドキドキした。そうなってたんですね〜!というところとこれのはずなのに違う気がする、の繰り返しで大変だった。

 

NICE POP RADIOの収録に向けて支度をしていく。その回は昔から好きなアーティストの特集回で、記憶の整理をしていく途中で開けてはならない記憶の蓋がぱかっと開いてしまい、何分かわーとかあーしか言えない時間があった。これがなくなる薬はないのか。実際の収録ではあれを話そうこれを話そうと計画を立てたのだが、結局1/10も言えなかった気がする。この感じに覚えがある、と探っていくといつぞやのアトロクで好きな漫画について語る回のゲストで呼ばれたのになんにも整理もつかず宇垣さんにめちゃくちゃ助けられたあのときの感じだった。果たしてどう聴こえるのか今から不安で仕方がない。

ないものはなぜないのか

ターンテーブルスパークスの新譜を乗せる。2枚組でまだ1枚目しか聴けていないけどとにかく"Stravinsky's Only Hit"にぶちのめされる。前作のライヴバンド然とした所作のアルバムももちろん大好きだけど、スパークス的としか言い表せない訳の分からない快楽よ!!!これこれ!!!!日本盤出てほしい

https://open.spotify.com/track/401QMqNNeCkxsaPftqiWtg?si=f_I3XgwURiC-6QSxqy8_9g

 

ここ数日、気持ちも落ち込んで体調も悪かったんだけどどちらも少しだけ盛り返してきたので作詞のために頭を回そう、と夜の散歩に出かけたらほんの40分ぐらい歩いただけで汗だくになって帰ってくるハメになった。風呂桶を洗い、カビカラーをして、鏡を付け替えた。頭が回る前に体が疲れてしまい、自分の想像していた未来に想いを馳せる。「想像していた未来と違う〜!」だとか「大きな窓と小さなドアーと部屋には古い暖炉があるのよ」だとかではない。もっと狭い範囲、目の届く範囲のそれだ。普通にライヴができて、普通にリハーサルに入れて、普通に友達に会えて、普通に深夜の貸しスタジオでギターを抱えていたはずの未来。非日常が日常の顔をしていたのか、日常が非日常を強要しているのか、もはや分からなくなってしまった。家から少し歩くと街道に出ることができる。そこから新宿方向へ。いくつもの街灯を数え、マスク越しに空気を吸う。いつもなら登らないような歩道橋に登るほど私はセンチメンタルだったようだ。出来かけの曲を繰り返し聴いていくうちに、こうなる前にしなきゃいけないことがたくさんあったんだなぁ、と思い返した。せめて酒ぐらい飲めたら。

正気でいたいなら

仕事の手もはかどらず、仕事ではない作曲もほとんどできず、もともと引きこもりだったけどさらに箔のついた引きこもりになってきていて、やれ喘息がどうの、やれ扁桃腺が少し腫れてるだの、やれアレルギーで鼻が通らないだの、些細なことが積み重なり更に扉を重くさせている。締め切りが確実にすぐそこで微笑みかけているのに(「どれ、もっと近くで顔を見せておくれ」と私によく似た老人は言うだろうか)、どうしても歌詞が書けなくて、どうやって歌詞を書いていたか1週間ぐらいかけて思い出そうとしたんだけど、思い出せないわけではなくてそこに蓋をしているだけだと気付いたのだ。だが、そんなことだって、もう1週間も前にはわかり切っていたことだった。

 

PCで作業をしながらプリファブ ・スプラウト名義で再発されたパディのソロを聴いていた。鳴り出した音の瑞々しさ(のようなもの)に震えながら「ああ、夕立なんてものがかつてあったよな」とカーテンに手を当てて外を眺めた。そんなに都合のいいことはないよね、と再び作業に戻って10分ぐらいしたら外から雨の音がしてきた。私の勘も鈍ったものだ。

 

どうしたら気持ちが軽くなるかもわからず、垂直に腕をあげたり、肩をぶん回してみるだけみるような日常なもんだからNICE POP RADIOの収録に全振りしている。普段のNICE POP RADIOは収録の前に1日予定を空けてその日にガッと選曲して、収録の当日にあーでもないこーでもないと曲順を決めていたのだけど、狭義の仕事は確実に減っているので選曲にやたら時間がかけられて楽しい。スタジオに行かない弊害は確実にあって、たとえばゲストが呼びづらい。現在はzoomで京都のディレクターとやりとりしながら音声を録音して送る、というやり方。音源はzoomを介して再生されるのだけど、そうすると音がとにかく悪く、通信状況ではコマ切れになったりしてしまうのだ。ゲストを呼んで「この曲いいんすよ〜」ってやるようなプログラムだから、どうしてもなかなか呼びづらい。ゲストがいたとして、二人のやり取りの音質をZOOMでどこまで保てるかは最近のラジオを聴いているとよくわかる。はやくどうにかなってほしい。だけどもとっても燃えてはいるのでここ2ヶ月ぐらいの選曲リストを見ると「いいな〜」と我ながら思ってしまう。

 

もう2,3ヶ月前の話だけどひょんなことから「ペット」をみた。あの大蛇が大きなブロックに潰されて死ななきゃいけない理由なんてあったか?とずっと思い続けている。僕には映画を見る才能がない。

 

部屋の掃除をしていたら16ページ目にしおりが挟んである新書が出てきた。そういえば買ったよ、これ、でもどうしてこの本を読もうと思ったのか思い出せなくて過去の日記、ツイッターiPhoneのメモにある「ひとからのおすすめ」や、ノートにまで遡ってみたのだけど手掛かりは見つからず、僕がこの人の影響なら普段読まない本も読みそうだな、という人のツイートを何人か見て行ったらようやくうすやまさんのツイートだったと思い出せた。どうして16ページでしおりを挟み、万年床の下から出てきたのかということこそ思い出したくもないが今度こそ少しずつでも読んでいくことになるといいな。

 

だいなし

ストレスが体に出るタイプで、リリース前とかになるとなんらかの形で体調を崩すのだけど、かつては初めての胃痛を経験し、それぐらいならいいのだけど、ヒステリー球、胸の中心に攣るような痛みが走る、まぶたが痙攣する、些細な音が鳴るたび右耳の鼓膜がざわつくなどなどいろいろあった。コロナ禍の中で新しく症状に加わったのが左耳がコポコポいう、というもの。すぐに耳鼻科にかかって耳管狭窄症では、と言われ「そんな気がする〜」っつって薬飲んだら治ったのだけど2週間も経たずに再発したのできっとそういうことなんだろう、と思うことにした。ヒステリー球は1年以上付き合い、右耳の鼓膜がざわつく感じに至ってはもう何年あるんだろう、とにかくもうなんかそいうもの、と捉えてつきあっていくしかないのかもしれない。

久しぶりにバンドでのリハーサル。突然の大音量に体がびっくりしてうまくバランスが取れなかった。これは音量的なこともそうだし、心の話でもある。耳栓をしたら今度は回ってくる低音に体が驚き、耳栓を取るとシンプルに大音量に目が回った。それでも最後に数曲確認で演奏したとき、充実感のようなものが戻ってきたのを感じた。音が大きいことも気にならなかった。汗だくになってかつて書いた曲を歌う。今、果たして音楽にどれぐらいの意味があるのか、社会とは、わたくしとは、生活とは。それらを飛び越した瞬間があった、ということは書き残しておきたい。