幻燈日記帳

認める・認めない

バイバイいうことなかれ

ユニオンから荷物が届く。去年Twitterで見かけて気になったジルベルト・ジルの新譜がアナログで出たよ、というのをたまたまみて買おうか迷っているうちに売り切れてしまっていてしょんぼりしていたのだがやっぱりひっかかりつづけていたので通販でえいや、とCDを買ったのだ。なぜ迷っていたのか、というとジルベルト・ジルのことは「トリピカリア」ぐらいしか聴いていなかったからだったのだけど、あーもっと早く聴くべきだった、と反省した。めちゃくちゃ良かった。

Aさんからプリファブ・スプラウトのレコードをドカンといただいた。以前もいろいろレコードをくれるときがあって、Aさんは「ぼくが持っているよりも澤部くんが持ってるほうがいい」というのだ。その度、牧村さんから続くようなこの伝統を私も守らなければならない、と強く思うのだ。そうして「Nightingales」の12インチに針をおろす。12インチ・ヴァージョンを聴くのははじめて。何周か無音部をトレースしてリズムが鳴りだす。そしておなじみのイントロのフレーズが鳴り、おっ、バンジョーが鳴り、駆け上がりのストリングスが鳴って脳みそがスパーク。幸せすぎる。ここにも貼りたいのだけど、なぜか入力レベル過多で音が割れまくってるのばかりでまともな音源がなく断念。とにかく嬉しいです。

吉祥寺で大石まさるさんの新刊、ミュージック・マガジンレコード・コレクターズを買った。引きこもりの生活をしていたから外にいるだけで新鮮な気持ちになった。

新宿で打ち合わせ。どうなるか楽しみ。久しぶりに来ちゃったんだから、と帰りにタワレコ伊勢丹をハシゴする。タワレコではジルベルト・ジルの2018年のアルバム「OK OK OK」と崎山くんのアルバムを買った。そうして伊勢丹へ。デパ地下は救済だ、と改めて思った。駐車場の精算をするときに料金の改定があります、と紙を渡された。2000円の購入で1時間無料だからなにかの帰りにちらっと寄ったりできたのが最高だったのだけど、今度から駐車場代がサーヴィスになる最低ラインが上がるのだそう。小さなほころびが心に重くのしかかる。

3色ショッピングブギ

某日

ポニーキャニオン本社で取材を受けた後、別の打ち合わせをリモートでやっていたら副社長が来て「やあ!ミスタースカート!」と声をかけてくれた。いい会社に拾われたな〜、としみじみする。

 

某日

荷が重い取材を一件。とても緊張していたが、受けていくうちにだんだんカウンセリングみたいになっていった気がする。うまくいったか不安だったが仕事の都合で冒頭だけ顔出すつもりで来た社長が最後まで居て、「おもしろかったよ」と言ってくれたので、面白かったかもしれない。面白くあってくれ。帰りの車では「ああいった方がよかったかもしれない。いや、あのレコードも引き合いに出せばよかった……」と繰り返し反芻しながらゆらゆら帝国の「空洞です」をきいた。その日話してきた音楽の極北にこのレコードがある、という話をしたかったはずなのに、そこにはいけず気がつくと2時間近く経っていたのだった。

 

某日

急遽ホームメジャーが必要になり近所のスーパーに買いにいくことに。車移動ばかりで自転車すら乗らない暮らしが3ヶ月近く続いているのでたまには歩くか、とイヤフォンをした。ヘッドフォンでの作業はまああるとして、イヤフォンで音楽を聴く、っていうのは結構久しぶりだったようで、「えっ、音楽ってこんな聴こえ方しますっけ」と脳が驚いてしまい、アパートの廊下でよろけてしまった。近所のスーパーにホームメジャーはなく、駅前のスーパーまで向かうことになったのだが、いったりきたりでせいぜい30分ぐらいのはずなのにとても充実した気持ちになる。トリプルファイヤーの「銀行に行った日」を本当の意味でわかった気がした。

 

某日

トリプルファイヤー吉田の自叙伝「持ってこなかった男」をお先に読ませていただいた。同じ時代を違う土地で生きる吉田を追いながら私は一体何をやっていたんだ、と思うに至る。いくつもあった分岐点の選択肢で何を選び、何を選ばなかったのか。たとえばひーくんが頭に浮かんだ。ひーくんの兄ちゃんが買った坂本龍一のボックスセットのほぼすべて、いや全部だったかもしれない。とにかく10枚組のそれをダビングしてもらうだけではなく、電話口で曲のタイトルを教えてもらう暴挙に出た私だったが、「メディア・バーン・ライヴ」のタイトルを教えてもらっている途中、あまりの膨大さに「もういいでしょ!」と電話を切られ、その後話しもしなくなってしまったひーくん。ああ、ひーくん、もしカセットにダビングしてくれ、なんて頼んでいなかったら、いや、せめてタイトルを教えてくれなんて電話をしていなかったら今でも友達でいてくれただろうか。でもあの時ダビングしてくれた「メディア・バーン・ライヴ」は今でも心の一本だよ。そこから何人かの友達が出来たんだよ。他にも、大学の新歓で心を閉じなかったらどうなっていただろう、だとかそういうことを思い始めたりもした。心を閉じたから得られたものもあったはずだ、と信じたい。とにかく、過ぎてしまった日々を振り向くにはその道は西陽が強く、さらにオフロードが過ぎる。あらゆる思い出というには美しくない日々が錆びたオルゴールのように巡るではないか。「持ってこなかった男」は緊急事態宣言の壁面に空いた細く不気味な穴だ。ステイ・ホーム、そして「うちで踊ろう」の先に「個」だけが響く夜がある。

ジャムたっぷり交響曲

8日

ジョン・カビラ氏のラジオに2度目の出演。6時20分起き、というのは随分久しぶりな気がする、と思ったが昨年12月の頭に藤原さくらさんのMVで千葉に行ったときもそれぐらいだった。外に出ると空気はキンと冷えていて、車に乗り込みかじかむ指先で洗浄液を噴射させたところ、たちまち凍っていった。早い時間に出たつもりだったが道が混んでいて少し遅刻をしてしまった。そうしてたどり着いたJ-WAVEは閑散としていた。窓の外に広がる景色は相変わらず壮観。今日は「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌いに行くんだ、と家を出たけど、実際そうなって少し嬉しかった。自分では書けない詩だけど、この曲を歌っている間、少しでも自分がなにかの「役」になりきることができる。それがたまらなく嬉しいのだ。だから照れもせず、本気で歌った。きっと3年後聞き返したら「ふざけてるのかな?」っていうぐらい入り込んじゃっているんだけど、本気だった、ということも書き残しておきたい。

 

9日

新年二度目のナイポレの収録。素晴らしい新入荷がとても多かったおかげで実り多い放送になったかと思います。

 

10日

ソファに座ろうとしたら床板をぶち抜いた。今日はソファに座ろうとしたら床板をぶち抜いた記念日。

 

11日

渋谷のタワーレコードでオンラインライヴの配信。道を間違えてスクランブル交差点を通ったのだけど人の多さに心のそこから驚いた。そりゃ減らないわけだ。車で会場に入って、リハーサルしてひっさしぶりにタワレコ行くもんだから、と、バックヤードから店内にでて物色。しかしとにかく人がいない。ル・ポールのドラァグ・レースのリップシンク対決でとびきり感動したアレサの「ナチュラル・ウーマン」が入っているアルバムや、ジェリー・マリガンのアルバム、そしてラヴェル管弦楽作品全集を買った。4枚組!その後、HMV&BOOKSに足を伸ばす。こちらもまあとにかく人がいない。スクランブル交差点のあたりにいた方々は渋谷で働いている人たち、ということなのだろうか。と思うと、胸がいっぱいになった。あまり参照したことのない感情のまま、レジに並び、鶴谷香央理さんの新刊を2冊購入。再びタワーのバックヤードにどう戻ったらいいかわからずレジの方に「このあとのインストアイヴェントの出演者なんですけれども…」と説明して、「それならあちらの階段から〜」と案内されたがうまく入れず、もう一度戻るとお客さんだと思われていたようで2度ほど「本人です」と言うことに。そりゃそうだ〜。ライヴはうまくできた気もする。話しすぎた。そうして楽屋に引っ込む。片付けをして、終演から20分後には撤収が完了、私は井ノ頭通りを爆走するSUZUKIワゴンRのドライヴァーとなっていたのだった。

デクノ・ボウ

3日

目が覚めて録画をいくつか消費したあと、テレビをつけたら箱根駅伝がちょうどゴールするあたりで、大手町はまあまあな人だかりに見えてびっくりした。すぐにハイライトになってしまったから幻のようにも思えた。そしてチャンネルを変えるとなんばグランド花月からの生中継。劇場はどうやらパンパンのようだった。我々が座席を半分にしてやった9月のライヴとは一体何だったんだ…と切なくなった。

メールが届いく。通販で頼んでいたCDを郵便受けに投函したよ、という内容だった。そうして今年はじめて外に出たのだ。こんなにいい天気、外は正月みたいな空だね、公演から子供の声が聴こえるのにどうしてこんなに切ない。郵便を受け取って部屋に帰り、ナイポレの収録だった。精神的なダメージが大きい回になりましたので要注目だ!!!

 

4日

車に乗って横浜を目指す。FMヨコハマの生放送。割と直前まで「あるのかな?ないのかな?」と思っていたけど、やっぱりあった。FMヨコハマのロビーでポニーの橋本さんと「どうなりますかね〜」なんて話をする。窓の外は港町。「せっかくきたんだし」「中華街ぐらい行きたいっすよ」と橋本さんに言うと「せっかくここまできたんだからね、このまま帰るのはちょっとね。テイクアウトとかならいいんじゃないすか?」とアイデアを頂き、なるほど、と生放送終わりで中華街に向けて車を走らせた。街はいつもの正月みたい。人は多くなくて、車もそんなに多くない。ああ、人の少ない年末年始の街が一番好きだよ。道を一本間違えて、中華街の端の方を走ると、結構な人出を確認。駐車場に止めるまでもなくそのまま第三京浜に吸い込まれていくのであった。私は第三京浜が好きだよ。三ツ沢から乗るのが好きなんだ。通行料も安いし、三車線だし、真っすぐで南北に伸びているから眩しくないんだ。

勢いで桃鉄を買った。買ったらすぐ佐久間さんから「やろうよ」と連絡が来た。ワクワクしながらやったけど超負けました。

 

スペルがわからない

収録があすに控えたNICE POP RADIOの選曲のためにmixiの日記を読み返す。この幻燈日記帳はソトヅラのために作った日記だったと記憶している。当時はmixiが誰でも見れるコンテンツになるなんて思っていなかったから、クローズドだったmixiにある(全体に公開していたけど)日記は当時もエグみが強くてキッツイ。そしてそれは今読んでも新鮮なほどにエグみが強くてキッツイ。悩んで悩んで悪い方向に行っている様子が今の自分にも重なった。当時の日記に「かつてこういうことがあったということを今でもはっきり覚えている」と書いてあったのだけど、それをもう忘れてしまっていた。日記を読み返していったら、こんなこともあったんだね、これは忘れてしまえてよかった、と思えることもたくさんあったけど、小学校の先生からユニコーンのベストを借りた時にHMVの袋に入れて貸してくれたことぐらいは憶えていたかった。

 

ミスター・オラクル

アフター6ジャンクションで「すみか」を歌っているときに、とても調子がよくて、脳内インタヴュアーが出てきて「素晴らしいですね」と言ってくるので「そうですね、やっぱりライヴはいいですね」とか頭の中ではじまった途端に、E♭m7-5を弾かなきゃいけなかったのにD♭dim7を弾いていて「悪い癖が出ました。反省します。」と心の中で唱える。(2月の川辺くんとのツーマンで「視界良好」を歌っているときも似たようなことがあった気がする。すこぶる調子がよくて曲がどんどん前に出ていくような感覚。このまま続いたら私はどうなっちゃうんだ!と思った途端に間違えたのだ。)ライヴ自体はとてもうまく行ったと思う。20代中頃のライヴを思い出しながら歌っていた。「アナザー・ストーリー」を出してよかった。と思う。

 

人のいない東京を車で走って家についた。恋人は天ぷらをあげようとしてくれている。私は風呂に入りいろいろ考えた。散々な一年だった。そう思うためにいろいろ考えた。多くのインタヴューで今年は散々だ!と言い散らしたが、藤原さくらさんの「ゆめのなか」と後藤輝基さんの「悲しみSWING」の編曲の仕上がりは、しばらく経って人生にきいてくる気がするのだ。ああ、一年が終わる。鏡の中の私をみて急に髭を剃ろうと決めた。クソタレな気分になろうとした自分を蹴っ飛ばすために髭を剃るのだ。

https://open.spotify.com/track/3IfHP1xvnX93f1BajLrcZv?si=PLLj5WmASd-V9c0nzy3qDg

 

毎年恒例になっていた高校の部活の集まりもそれぞれが大学を出て、仕事を持ち、家庭を持ち、年々規模が縮小していって、ここ5年ぐらいはアウトロー4,5人の集まりになっていて今年の開催はどうなるのか、と思っていたのだが、今年は結局ZOOMでの開催になった。アーカンソーにいるI、アングラDでおなじみM、先輩のS、そして恋人も加わってわいのわいのと話す。私は途中で眠ってしまったけれども、あとできいたら合計50試合もオンライン大富豪を楽しんだそうで、いいな、と思いました。みんながそれぞれ今年の抱負を言うくだりがあって「売れる、売れなかったら痩せる」と言っておいた。ナイポレでも話したけど「売れてないからしたら売れてて、売れてるからしたら売れてなさすぎる」のだ。スカートは10年そうしてきたので、心から声だしていこうとおもう。売れたい!せめて環八の内側にすみたい!と。スカートのスタッフグループLINEには「とにかく去年はろくに曲がかけなかったので3月までに5曲は書きたい」といったような抱負も書き込んだ。

 

カーテンすらあけないまま元日が過ぎていった。

ヌレ・テニ・アワ

荒れ放題だった部屋に手を少しだけ入れる。そうしては手が止まる。また溢れ出したレコードや漫画たちに目をやる。半年ぐらいシールドすら刺していないコロンビアのエレピアンの上に乗せた加湿器に電源を入れると、エレピに睨まれたような気がした。

夜中になってポストに荷物を出しにいくついでに郵便受けをみるといくつかの封筒が入っていた。そのうちのひとつが石塚くんからで、台風クラブの新譜、Tシャツ、そして手紙が入っていて本当に嬉しくなった。

以前、ラジオでミンガスをかけて、そのサイドメンを紹介するときにエリック・ドルフィーの名前を挙げたら放送終了後に母から「エリック・ドルフィーの「ラスト・デイト」は最高だった。ずっと忘れてたけど今思い出した。」とLINEが入った。サックスってそんなに興味がなかったからジョージ・ラッセルとかコルトレーンのアルバムに参加しているのしか聴いたことなかったけど、そこまで言うなら、と買っていたのを、この年の瀬にようやく聴いた。1曲目がとにかくダウナーな感じで、焦点が合わないような、うまく立てないような、絶妙なアンサンブル。ちょっと重たいな、と思っていたはずなのにどんどん引き込まれていった。「You Don't Know What Love Is」を葬式でかけろ、というので了解した。祖母が亡くなったときに、葬儀会場でずっと「Amazing Grace」がかかっていて、本当に悲しくなったことがあった。そのときに母と「我々が死んだ時は絶対にこうならないようにしないと」と話し合ったのだ。雰囲気のために流れる音楽が、誰からも雰囲気だとすら思われないその光景が頭から離れない。だから私の(かつて)iTunes(とよばれた現・ミュージック)には「葬式」というMax Roachの「Equipoise」やThe Beatlesの「Your Mother Should Know」が組み込まれたプレイリストがあるのだ。

アフター6ジャンクションの生放送に向けて弦を張り替える。今年は何回ギターの弦を張り替えただろうか。久しぶりに張り替えたFG-180はある時、弦が切れてしまってひと月ちかくそのままで部屋に転がってしまっている。

エリック・ドルフィーの演奏が終わって、拍手がやんで、人の声がして驚いた。"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again"と言っているそうだ。秋には、年末には、来年こそは、と考え続けていたら1年が終わった。過ぎていってしまった。でも過ぎることができたのならそれでもう上等なのかもしれない。私はこれから浴槽を磨くことができるだろうか。「自動」のボタンを押せるだろうか。浴槽は磨くし、自動のボタンも押せる。でもそれができたらもうバッチリ。あとはいつものようにするだけ、そう思うことにした。