幻燈日記帳

認める・認めない

ノーバディーズ・フール

スタッフとのやりとりの上で知念里奈の"CLUB ZIPANGU"の引用で「チョイ待ちBaby」って書いたのを慌てて消して「チョットマッテクダサイ」に変えた。ゴールデンハーフ

 

年明けに楽しみにしていたテレビが自分とは合わなかったことを思い出しては落ち込んでいる。もうひと月も経つというのに。

 

月に一度、お取り寄せでなんか頼むというのをしている。今月はPCに張り付いて岡山に行ったときに食べたスープカレーなっぱのカレーを取りうた。食べるのがいまから楽しみ。

 

筒井秀行さんの「書道教室」をちまちま読み進めていたのだけど、4話の「ジンギスカン鍋」で信じられないぐらい引き込まれた。この漫画、とにかく妙に読みづらい。なのに独特の愛嬌があって、読後感が最高に気持ちいい。

 

宇波拓さんからフリーボの「すきまから」が届いた。針をおろして数曲聴いて興奮して宇波さんにまとまらないメールを送ってしまった。

 

とにもかくにもギターを持つ。

 

Apexをやっていて今日なんか音声オンにしてる子供とマッチングするな〜と思ったら祝日だった。

みずうま

部屋で作業。修正なのだけど結構難しく、あーでもない、こーでもないとやっている間に日が過ぎていってしまった。

部屋の掃除をしようとするがうまくいかない。インスタグラムに1年放置していたNICE POP RADIOのプレイリストを投稿する際に、カメラ越しに見た自分の部屋の汚さというのは肉眼で見るよりもリアルで、脳みそというのは偉大だな、と改めて感じた。歩くのに邪魔なところに段ボールがあろうが、暮らしているとど〜でも良くなっていくものが、カメラを通して見たときに牙を向いてくるのだ。

アーント・サリーの再発を神保町の某店に取り置きしていたので取りに行った。ほしかったレコードもあったので新宿→神保町と車で流す。アーント・サリーのLPはbandcampで販売されたのを買おうと思ったらこの状況で送料が異常に高くてやめたのだけど、結局こうして店頭で手に入れたレコードの販売価格も6800円とかだった。新宿のタワーレコードでは浅川マキさんの再発と崎山蒼志くんの新譜を買いに行った。軽く店内を流してカエターノ・ヴェローゾの新譜も買った。その会計にポニーキャニオンから結婚祝いとしてもらったタワレコのギフト券を全部突っ込む。

夜は「サラリーマン川西の冬のボーナス50万争奪ライブ」を配信で見る。ダウ90000圧巻。ダウ90000寄席でも見たバーカウンター。妻は「よく昔の漫才師のネタに対してXXっていうネタがあって、みたいな話になるけど、このネタもそうなるんだな、っていう瞬間を見ていると思うね」と言う。街裏ぴんくさん、音楽のライヴを見に行って「こういうふうにギター弾けたらどんなに楽しいんだろう」って思う瞬間と全く同じ気持ちになる。イマジネーションの離散!

今日は一日遊んでしまったので明日は仕事を頑張る。そう誓う午前6時だ。

数は重要ではない

やらなきゃいけない仕事を棚に一旦あげて、風通しをよくしてから取り組みましょ、っていうわけでPCとテレビの前を行ったり来たりする。先日のライヴのエアー録音とライン録音を松田さんから受け取り、それを夜通しミックスした。

昼過ぎまで眠ろうと思ったのだが、午前中の郵便に叩き起こされた。ミックスの最終チェックを進めて、特典でメンバーに共有したリハーサルとしての弾き語り音源も添付……と思ったらやりたい形のボートラ扱いにはできなくて、妥協案としてテキストファイルにリンクを忍ばせる、という方法を取ることになった。だったら、とライナーノーツを書いた。落ち着かない心のまま、先手先手で洗濯機を回す。その合間にもう一度音源をチェックして、文章をチェックして、なんとかリリースにこぎつけた。ライナーや日記でも書いている通り、リハーサルができなかったライヴだから穴だらけ……になると思いきや、そりゃもちろんうまく歌えなかったところやコードがもつれたところはあるんだけど、そうじゃない部分ってあるじゃない、っていうことを残したかった、っていうことをライナーノーツにも書いたから一応添付しておきます。そのさらに下にはリンクも貼っています。BandcampFridayという奇祭があるんですけど、これはBandcampがこの24時間だけは手数料も取らずバンドにそのまま渡す、という催しです。去年を生きながらえたのはこのBandcampによるものが大きいっす。圧倒的感謝。日記に書いても急いで触れない人が多いだろうけど、いつであろうと聴いてもらえることはうれしいことっす。よろしくおねがいします。

 

この日の演奏はやぶれかぶれであり、誠実であり、私はとにかく楽しく演奏することができた。”MC1”で話していたメッセンジャーバッグの件で傷ついた心をファニーなものへと昇華できたのもよかったんだと思う。終演後の楽屋でカクバリズムの角張社長とタッツこと仲原くんに「今日の録音、次のライヴまでの期間限定とかで販売するのいいかもしれないね」と持ちかけ、ノってくれたのも嬉しかった。ライヴ盤はもともと「ある日の記録」という側面が大きいものだと思うが、今までスカートがリリースしてきたライヴ盤は(言葉が難しくて語弊があるかもしれないけれども)「スカートというバンドがこういうことを積み上げていった結果(ないしは物語)」みたいなものと捉えることが多かった。でもこういう演奏をした、ということを残しておきたい(ならば期間限定でなくてもいいのでは?とも思うのだけど、勢いある演奏を勢いよくリリースするにはなにかひとつそういうムードが欲しかったのだ)、と思えたのは2012年7月25日、渋谷WWWでの「月光密造の夜」以来かもしれない。これは2022年1月29日のスカートの記録です。

 

s-k-i-r-t.bandcamp.com

Mごめ

30日

 

数日前に白武さんから突然LINEが来た。「大鶴肥満を追ったドキュメンタリーの上映イベントにコロナで大鶴肥満が出演できなくなってしまったから代役をやってくれないか」という内容で一も二もなく飛びつき、出演することになった。GERAもstand.fmもどちらも聴くほどのまーごめ(マーちゃんごめんねの意)な私にとって、これほど嬉しいことはない。ママタルトはめちゃくちゃ好きで、2019年の秋、爆裂な台風が来ている中、新宿のブリーカーでやったライヴは最高だったし、それより更に前に見たグレイモヤでの「チャイニーズデカ腹ピンク大将やん!」にもグッと掴まれ、それよりも昔に何かで見たときの「エッチだるま」というフレーズは折に触れて思い出す。(檜原さんがnoteに書いてくれましたけど、2019年のM-1の一回戦の見に行こうとしたら、待ってる人が多すぎてママタルトも赤もみじも見れなさそうだ、となり、向かいのらんぶるでチョコレートパフェをしばいていたら檜原さんが気づいてくれて、AirDropでステージ上での録音をくれたのでした。この録音は広島での弾き語りライヴと「標識の影・鉄塔の影」の作曲スケッチに挟まれてボイスメモに保存されています。)大鶴肥満さんの代役ということならば、とピンクのジャケット以外を急いで手配し、無事に当日を迎えたわけです。大鶴肥満さんを追ったドキュメンタリー「まーごめ180kg」を会場で見たわけですけど、私もBMI値48前後の世界を生きている人間ですので、肥満さんがプラスサイズとして生きて来たこれまでを見ると、自分の中にも人知れずできあがった厚い壁のようなものがあって、それは常に作品として外に出ているのかもしれない、なんていうことも考えた。私は幸い、ひどいいじめのようなものを受けずに来た。(今でも顔も忘れず恨んでる人なんて数えるほどで、とりわけ今でも不幸にな〜れ、って思っている人なんて「質問するときは手あげろって言ったよな、クソデブ」と言ってきた「たかしん」っていう塾の先生ぐらいだ。)それでもやはり常に何かちょっとしたことで傷つくように世の中ができている。たとえばスペースマウンテンに乗ってみたら安全バーの締め付けが尋常じゃない、とか、かわいい靴を見つけて買ったら足の甲の高さに全然合わなくて足が爆発しそうになったり、デザインが死んだ大きいサイズ専用コーナーで喉を掻っ切って死んでしまおうか、って思ったことは一度や二度ではない。こないだのライヴでも話したような、メッセンジャーバッグを買いに行ったら肩掛けの紐が短すぎて鞄として機能しない、みたいなことが常に転がっているわけだ。そうして私の口数は減っていったのだ。あらゆる意味で生きづらい、それをどう捉えるべきか、と悩むことなんてもう飽きてしまったけれど、まーごめ180kgを見て、もう一度向き合ってみなければ、と思ったとか思わないとか。みんなも見て思ったり思わなかったりしたらいいと思う。深刻な部分ばかり書いたけど超楽しかったです。

 

終演後、真空ジェシカのガクさんに「快楽天の連載も読んでいます」と伝えると、一瞬ファン過ぎて快楽天の連載まで追ってるように取られてしまった。申し訳ねえ、罪滅ぼしに、今わたしが単行本を心待ちにしている成年漫画の作家さんを紹介します。いだ天ふにすけ先生、なまえれんらく先生、高柳カツヤ先生、シャモナベ先生です。そもそもここの幻燈日記帳という名前も、三浦靖冬さんの単行本から拝借しています。

 

劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ | Zaiko

写真・懐かしい

某日

ナイポレの収録のために選曲をすすめる。次の週はアーティスト特集。持ってなかった音源や手放してしまった音源をユニオン上の在庫から買い戻すなどをする。そこで久しぶりに聴くレコードなんかを大音量で聴いて信じられないぐらいの悦に浸る。音楽最高。生きててよかった。

 

1/27

ダウ90000の単独へ行く。この期間、いくつも見に行くライヴをキャンセルしたのだけど1/29のライヴをやるとハラを決めたならばエンターテインメントを見に行く、というのがどういうことなのか、っていうのを一度考え、行動しないとだめなのでは、とか思ったりもしたし、でも心のどこかでなんだそれは、って思う自分もいて、どうするべきか、心がぐにゃぐにゃになりそうになったけど、思いの外塞ぎ込まないでいられるのも最初の一年で驚くほどふさぎ込んだからかもしれない。あらゆる言い訳を両手にかかえるなんてしたくないし、したくないというポーズも取りたい自分も見えた。軽薄さと切実さの狭間にはさまるその紙はいったいどんな手触りをしているのだろうか。ダウ90000のステージは最高だった。人が少ないわけではない新宿。人の営みとは。文化とは。そうしておれは明後日ステージに立つんだ、と改めて気持ちを固めた。

 

1/28

レコーディング。憧れのONKIO HAUSだった。ちょっと変わった仕事で、クライアントさんが押さえてくれたのがONKIOだった。1日で全部終わらせなければならないスケジュールで大変だったけど今の5人でギュッとした演奏ができて嬉しい。昼過ぎに集合してベーシックが終わって、パーカッションのダビングも終わって、ヴォーカルの録音も終わって、ミックスを待っている間、スタジオの中心に置いてあるピアノに向かい、曲をひねり出す。超ポップな曲を書きたい、と思っていたのに妙な曲の断片が出来上がった。深夜にミックスが終わり高速道路で家に帰る。

 

1/29

ライヴ。直前までやるのかやらないのか、と気をもんでいた少し前とは違って堂々とした気持ちでいることができた。そうでもしないとおかしくなる、というのもわかったけれども、私の身を守ってくれるのは音楽しかない、という(哀しい)事実がこの軽自動車の後部座席に横たわっている。約2ヶ月ぶりのライヴだったがリハーサルに入ることができなかった。13日に入ったリハーサルスタジオで知り合いのバンドと入れ替えでスタジオに入ったのだけど、彼らがコロナに感染してしまいライヴをキャンセルした、という知らせをその一週間後の録音スタジオで知って「どうしたもんか」となってしまったのだ。とにかく本番のステージにみんなで立つ、ということを目標に設定したらリハーサルに入る、という選択肢を消さざるを得なかった。なので、一人でセットリストを弾き語った音声ファイルをメンバーに共有して、曲間などを確認してもらった。更に他の予定の都合で佐久間さんが当日のリハーサルに参加できない、ということもあり、本来だったら焦ったりもしたんだろうけど、そういう状態でライヴをする、ということが本当に久しぶりだし、昔の馴染みの景色のような気もして、なんだかとても楽しみだったのだ。家主とのツーマンだったっていうのもあると思う。車をWWWXの前に停め、機材をおろす。久しぶりに本田さんに会い、駐車場の札を受け取ろうと思ったら「コロナ禍で維持することができなくなっちゃって……」と寂しそうに駐車場の閉鎖を知らされた。なにもかも変わってしまった。アローパーキングに車を停め、佐久間さん不在でふざけまくったリハーサルが終わり、タワーレコードに向かう。ほしいレコードがあったのだけど、妙に目が滑って早々に出てしまった。ライヴのMCで話したような悲しい顛末があり、WWWXに戻った。ライヴは意外にも快調で、今こうやって勢いだけのライヴがやれたことが本当に意味が大きい気がして、終演後に楽屋に戻る階段を駆け上りながら佐久間さんに「今日、ここ最近でも一番よかった気がしますわ」と言うと仕事を終えて駆けつけ、即ステージだった佐久間さんは「とにかく今は全く客観的にはなれてないよ!」と笑った。

終演後、見に来てくれた松永さんに「ふふふ、明後日収録のナイポレはXX特集です」と言うと「えっ、それは出たい」となりそのまま松永さんの参加が決定。ちょう嬉しい。

ローディーの秋山さんにすべての楽器関連を任せ、溶け出しそうなぐらい楽屋でだらけ、車を取りにWWWXを出る。東急ハンズを過ぎて、笑いながら女性が「あはは、ねえ、もう一本煙草吸っていい?」と言いながら通り過ぎていった。誰かのほんの一瞬がとても輝いたものに見えて声しか聴こえなかったその人に大いなる幸あれ、と駐車場の精算を済ませた。

 

1/30

まーごめ

劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ | Zaiko

覚えているのか

(書きかけで続きを書くのももう違う感じになっちゃったけど投稿しないのはもったいないので投稿しておく)

 

まぶしくて直視できなかった締切だったが目がなれてきてだんだんと全体像が見えるようになってきてしまった。そうだ。近づいている。穏やかな顔をしている。険しい顔をしているようにも見える。私は大げさに目を閉じる。

 

目が覚めて、雪が降っている朝の空気を感じた。ウキウキしながら冷たい玄関のドアを開けてみたのだが、まだ降っていなかった。私はテレビをつけて、ろくすっぽ見もせず、冷蔵庫の野菜片を集めて豚こまと炒めてインスタントラーメンに乗せた。そうしているうちに雪が降り出した。天気予報ではあまり長く降らない、積もらないよ、って言っていたけどスーパーに買い出しにでかける。小粒な雪を見て(東京に34年も暮らしているとわかる)(この雪は積もらないな……)だなんて思った。スーパーも人がいなくて、ここ数日分の食料を調達しておしまい。あっけなく家に帰ってきてしまった。仕事部屋の椅子に座って幾星霜、仕事があまりに進まない。どうにもならないのでラジオを聴きながらゲームをした。2時間が経っていた。もう一度仕事部屋に戻る。寒い窓際の椅子に座り、詩を書く。なんとか2行進んだ。気分転換だ、とラジオを聴きながらゲームをする。2時間が経っていた。

滝がみえるか

某日

 

詩をなんとか半分書き上げた。冬のファミレス、窓際は寒い。

 

某日

 

仕事で作曲のため、久しぶりに深夜のリハスタを借りる。寒い夜に車で近くの24時間営業のリハスタを予約もせずに飛び込んだ。平日の夜だからひとも少ないかな、と思ったのに意外といて、隣の部屋と向かいの部屋が個人練習のドラマーで、どちらもツーバスを踏んでいてカルマを感じる。リハスタを出て店員さんと談笑。もうほとんど昔通りのにぎわいだそう。どうやっていつもどおりの顔をしよう。

 

某日

 

「海岸線再訪」店着日だ。なんて美しい店着日。昼間一本ラジオのゲストに出演したあと、ポニーのYくんと一緒に渋谷、新宿とタワーレコードを巡った。シングルだというのに展開作ってくれて嬉しい。渋谷店でグソクムズのLPを購入したら特典引換券をくれたので、Yくんを待たせて一階の特典引換所に並ぶ。ところが列がまったく進まない。どうやら様々なリリースが重なり、アイドルの複数枚まとめて買う人の列になってしまっているようだった。JO1の特設レジの列は6階にまで伸びていたから特典引換所の対応できる人が限られているなんていうことはよくわかった。それでも学生が友人同士で制服で特典を求めて行列をなす様は、6階のレジにはなかった光景であったゆえに強烈に美しいものにも見えた。ところがいよいよ進まなくなり、20分以上待ってあと2人というところで急になにもかもバカバカしくなってしまって列を抜けてしまった。特典引換券を見ると当日の渋谷店でのみの引き換えに限る、と書いてあったのでクシャッと丸めて上着のポケットに突っ込んだ。おれにできた唯一の抵抗ということだったのだろうか。Yくんと再度合流して新宿店に向かった。夕方のラッシュの時間ということもあり、道は大混雑。電車だったらものの10分でついただろうに、と少し恨む。新宿店で試聴機を拝み、自分のコーナーを見る。「海岸線再訪」の太田麻衣子さんによるイラストが本当に頼もしく面陳されていた。その後ろにだいたいの旧譜が続いていて嬉しい気持ちになる。11年やってきたんだな、とも思えた。そうしてまた凪なのかもしれない、とちょっと思った。11年もやってると、やってることが当たり前で、何かを投げかけても「あっ、そうですか」ってなってるって(いうのはもう『サイダーの庭』の頃には思っていたけどよ!!)いうことに慣れつつあって、良くないことだ、と強く心に刻む。(ナタリーのインタヴューで「駆ける」の反応が凪すぎて心が折れたって話したけど、相席食堂のスペシャルでかけてくれたことは絶対に忘れない。)Yくんと別れて10階に移動。レコードとCDを物色。SOTAROの「パレード」とクリアランスコーナーに転がっていたフォーレとかを買って店を出ようとしたらめちゃくちゃいい音楽が流れ出してディスプレイを見てみたらポール・ウェラーのアルバムということがわかった。これまでポール・ウェラーの音楽をまともに聴いたことがなかったから本当に驚いた。フル・オーケストラの編曲でおそらくドラムすらない、そういう編成のなかでイギリス的なポップ・ミュージック。ビートはないけど曲に十分すぎるほどのビートがあって興奮。店内をうろうろしてそのCDを手に取る。今年開催されたライヴ盤だということがわかった。おお、そうだったんだ、こうして今なにかが決壊してポール・ウェラーのCDを手にとっている自分がいる。ポール・ウェラーのCDを手にとっている自分がいるんだ。

車を出してすっかり暗い街を走る。買ったばかりのポール・ウェラーのCDを興奮しながら聴いて、ココナッツディスクにも顔を出した。「海岸線再訪」がしっかりと新入荷の棚に並んでいて、家主やPERFECT YOUNG LADY、madobeとかと一緒に並んでいる。とても充実した新入荷の棚だよ。この一瞬に立ち会えたのが嬉しい。中古盤や取り置いてもらっていたレコードを買って家に帰った。

 

某日

 

確認してからじゃないと進められない仕事の返事がこない、ということは、と駆け込みで和田誠展に行く。若い頃の作品の大胆さによろめく。学生時代に制作されたポスターが素晴らしく、もしこれが家にあったらどんなに素敵だろう、と思ったが、そのポスターは売店にはなかった。いままで制作された演劇や映画のポスターがずらりと並ぶところでは自分のポスターにはやっぱりこれからも年号を絶対に入れるんだ、と改めて気合が入った。