幻燈日記帳

認める・認めない

文化人のサンバ

20日

 

4時前に眠ったのに8時に目が覚めてしまった。8時間は眠らなければそれは休んだことにはなるけど眠ったうちには入らない超燃費悪い体の私からしたら痛手だ。朝食を摂り、ラジオ聴きながらゲームしたり、マンガ読んだり部屋の片付けをしたりしているうちに昼近くなっていた。(ちなみにその中で触れた川島明さんのねごと、藤井隆さんがゲストの回であまりにも最高過ぎてこの日だけで3回聴いた。枕をプレゼントされるくだり、「きんたま太鼓」、男畑中……脈略がないように見えるのだけどまったく逸脱しているか、というとそうではない。薄皮1枚でも現世の感情につながる何かがあってそこが狂おしいほどに美しく、感動しながら爆笑してしまった。)Twitterを見ていると森薫さんの原画展をやっていると知る。「早く言ってよ〜」とワクワクしていたら明日までの開催だとわかりいてもたってもいられず家を飛び出した。道中のローソンでチケットを発券して、右も左もわからない所沢についた。噂にきく角川の新しいそれってこれだったのね、と不思議な形の建物を眺める。展示は最高。大学生のときにあすなひろしさんの原画展見たときも感動したけど、今回も原稿見ていてわけもなく涙がでそうになった。(これはわかってもらえなくていいんですけど)たまに人がペンで文字書いているの見てるだけで感動して泣きそうになっちゃうときあるのだが、それの超強いやつが襲いかかってきて泣きそうになっちゃった、という感じかもしれない。漫画を読むことの快楽とはなんだろう、と改めて考え込んだ。単行本で好きだったシーンがより克明に浮かび上がってくる。ないものがあるということがなんでこんなに美しいんだろう。

原画展見るたびに音楽のパラデータ聞ける展示会とかできないもんかな〜って思ってはダルい展示になりそうだな、って考えを改める。

せっかくこっちまで来たんだから、と周りを少し散策する。しかし4時間しか眠っていないことが今更しんどくなってきたのでソフトクリームで散らすなどする。コバトンのグッズとかないかな、と探したが、あったのは埼玉じゅうのゆるキャラが印刷されたティーバッグのなかのひとつと、ローカルテレビ番組の特別パッケージ版として発売されていた十万石まんじゅうしかなかった。普段なら「十万石」と焼かれているところに、そのローカル番組関連のデザインが複数焼かれていて、その中のひとつがコバトン、というもの。ローカル番組は見たこともなかったのだけれども、十万石まんじゅうは買った。

 

21日

創作をするために部屋を片付けている。こんな部屋じゃ曲も詩もかけない。でも椅子に座るとインターネットしちゃうよね。松永さんがあげてた「風街ろまん」のレヴューをDeepLにつっこんで読む。以前、誰かから「結局海外で評価されてるはっぴいえんどはゆでめんのファズ踏んでる曲だけだよ」と言われて「そ、そんな」と思っていたけど、今回の翻訳を読んでみるとなるほどそうだったのかもしれない。なんて思った。松永さんも言っていたけど最後に本当に重要なことが書いてあった。今の自分に対して効く言葉である。うーむ。よく噛み締めて生きていこう。

Happy End: Kazemachi Roman Album Review | Pitchfork

瞬間の頂上

13日

野音ムーンライダーズのライヴ。リハーサルが終わってくたくたになって帰宅して、復習もできずテレビ見ながら寝落ちする日々を抜け、とても充実感を感じた。「黒いシェパード」の冒頭は最初、原曲と同じようにメロディと同じに歌っていたのだけど、優介から「オクターヴ上のほうがきっといいっすよ」と助言をもらってそのようにしたことを書き残しておこう。「くれない埠頭」で歌った部分は今まで歌ってきたどのライヴよりも気持ちよく歌えた気がする。不思議な気分だ。

ライヴが終わってしばらくすると矢部浩志さんと遭遇。思わず抱きつく。しばらくしてそこに優介も合流。見つけるなり抱きついててそれもよかった。

 

14日

オッドタクシーの映画版の試写を観に行く。竹芝をなめてた。駐車場が10分300円とかそういうレヴェルの場所だった。商業施設になんとか停める。映画はものすごく引き込まれた。アニメでの一話見終わったごとにある「さっ、次回(来週)どうなるんだろ」の感覚もいいんだけど、こうやって2時間で駆け抜けられるとたまらなかった。

試写を終わり、竹芝だったので海が近かったのでぼんやりと近づいていく。夕暮れせまる海を見ながら昨日のライヴを思い出す。慶一さんがBS朝日でのインタヴュー動画で野音の編成はどうなりますか?と訊かれて「今の6人、そして澤部くんと優介くんというのは揺るがない」と言ってくださっていたのを見たことを思い出して、改めて人生ってすごいな、と考えた。ベンチはいくつかあったのだけど、なにかを見せるためのベンチであって、理由もなくあるようなベンチではなかった。私は今、ここを理由もなく漂っているだけなのに、レインボーブリッジを見るために設置されたベンチに座るわけにはいかないのだ。夕暮れでもないし、埠頭と言えるほど埠頭でもないけど、しみる。「このまま小田急線に乗って本厚木で降りなければ小田原の海で24時間砂を食べていることだって可能なんだ」と泣いていた18歳の自分が今の自分を見たらなんて言うだろう。そうしてベンチには座らず、欄干にもたれる。

 

 

15日

シティポップレイディオの収録。最初はシティポップという言葉に戸惑っていたけど、個人的にはやっぱり楽しい。学生の頃の牧村さんの授業を受けていた頃を思い出す。「不思議なんだよ。人の前に立つとそれまでまとまっていなかったことや考えたこともなかったことが突然話せたりするんだ」とベローチェでお茶をしながら牧村さんは言っていたけど、ここ数年ラジオで話すようになってからそれを実感していたのだが、初回の放送で「killer tune kills meで韓国語のラップが入る、ということは海外で評価があがるシティポップのある意味でのオリエンタルさみたいなものの追体験」みたいなことを言ったのも突然思いついて話したことだった。今回の収録でもそれに近いことがあって、やっぱり楽しい。ナイポレと切り口が全く違うのもいいのだろう。半蔵門でランチ。パワーウインドウぶっ壊れてディーラーに見てもらう。部品の交換で5万円の出費が確定。22年も乗っているこのワゴンRに涙が出そうになった。「アレとソレのギャラってどうなりそうですかね……車買い換える日が近い気がして……」とLINEしたらタッツと社長からありとあらゆる中古車情報が送られてきて笑った。「男ってホントばか」みたいな気持ちになれた。

 

16日

うっかり一日ゲームしてしまった。志はとても高く、部屋の掃除をしようとしていたはずなのに、すっかり日は暮れ、深夜には地震が来て、エレピの上が崩壊してしまった。明日こそがんばる。

シティ・ポップ彷徨

収録で永田町へ向かう。TOKYO FMで新しくレギュラー番組がはじまるのでその収録。番組のタイトルは「GOODYEAR MUSIC AIRSHIP〜シティポップレディオ〜」。シティ・ポップという言葉には人並み以上に思いがある。『CALL』リリース時の取材で牧村さんに「『CALL』をシティ・ポップって言ってくる人たちが居たらどうする?」と訊ねられてなにも答えられなかったことがあった。

 

“次にスカートがやらなきゃいけないこと” 澤部渡&「生きる伝説」牧村憲一対談 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

 

その時はヘラヘラしてお茶を濁してしまったが胸に刺さった言葉だった。そして考え続けても6年間答えが出ていない。その間に「シティ・ポップ」という言葉の意味はどんどん積み重なっていった。そして、その間にシティ・ポップについて書いたり語ったりすることも増えたし、そのたびに必ず「自分にはシティ・ポップというものがわからない」とエクスキューズをつけた。今回の収録もつけたのだけど、そこに更に付け足すことにした。放送でどういうふうに言ったか忘れてしまったが平たく言うと「シティ・ポップをきっかけにして国内外から日本の昔の音楽に注目が集まるのは嬉しいこと。私も含めてみなさんもどんどん音楽聴いてこっ!」みたいな感じ。肥大化したシティ・ポップには日本の素晴らしいポップ・ミュージックを新たに掘り返す力がある(かもしれない)。私はそこに賭けているのだ。そこから(私にとって)少しだけ生きやすい世界になり、少しだけ世界が(私にとって)美しくなるかもしれない。極端な話だけど、そう思っている。そうしてまた牧村さんの言葉を思い出す。

 

2022年3月5日(土)11:00~11:25 | GOODYEAR MUSIC AIRSHIP~シティポップ レイディオ~ | TOKYO FM | radiko

 

24日のブルース

23日

夕食を作る気力をなくし、好きな中華屋のテイクアウトでもしよう、と向かうがシャッターが開いていない。数週間前も開いてなくて珍しいなと思っていたから潰れてしまったのかもしれない。家に帰って妻に報告して「俺たちどうやって生きていけるっていうんだよ」とさめざめ泣いた。

 

24日

目が覚めたら戦争になっていた。嫌すぎる。つらい。

花粉がひどくなりそうでアレルギーの薬を飲んだ。このままだと一日机に向かって原稿作業や選曲作業や調べ物で一日が終わりそうだったから歩いてスーパーへ買い物に出た。どうしてこんなにひどい気分なのか。よく理解する前に事態が悪くなっていって気持ちが荒むのはもう慣れたんじゃなかったの?と問いかける。カーブをなぞる。空き地に投げ捨てられたカップ麺の容器に気づく。横断歩道を渡る。スーパーに着いたが頭が回らず。これはひどい気分だからなのか、アレルギーの薬を飲んだからなのか。売り場をぼんやりと歩き回る。晩御飯に何が食べたいかなんて答えが出るわけでもなく一度放棄する。これらがあればなんとかなる、というものをカゴに突っ込んでいった。じゃがいも、なす、白菜、トマト、豚こま、鶏モモ、牛乳などなど。未来の俺に託すよ。そうして会計を済ませ、夕暮れの街を見渡す。いつも配達してくれる佐川の配達員の方がコンビニに車を停める。犬が吠える。横断歩道を渡る。頭の中の誰かが答えてくれるのを期待していたが「よく理解する前に事態が悪くなっていって気持ちが荒むのはもう慣れたんじゃなかったの?」の問いには誰も答えてくれなかったようだ。悔しいけれどバラエティ番組を見て気分を紛らわす。お腹も空いてさあどうしようとなり、買ってきたじゃがいもとなす、冷蔵庫にあったエリンギと玉ねぎを使ってカレーを作る。どうしよう。

チェインジ

19日

佐久間さんと優介でApexをやる。佐久間さんがボイスチャットに入ったときに音声が不調で、「どうしたんですか?スロッビング・グリッスルみたいな音でしたよ」と言うと「おじだね」となり、優介がそこに入ってきて「もはやおじいさんだ」という話に落ち着いた。

 

21日

前日の夜からソワソワする。大好きなバンドにリモートで取材。通訳の方を介して「絶対これは訊くんだ」と決めたことはきけた。人生間違ってなかった。バイト代6枚同時再発に突っ込んだ21歳の自分をほめたい。うまくまとまるといいな。

トリプルファイヤーのライヴに行こうと思ったけど、部屋で明日対談する吉田の本「今日は寝るのが一番良かった」を読むことにした。面白くって、でもときどき食らう。この視点をもって自分の過去を照らしてみると、思わぬ落とし穴にハマり、そして大きい声が出そうになる。この感じは視点こそまったく違えど冬野梅子さんの「まじめな会社員」にも通じるなにかだ。

確定申告に向けて、ネットで買った様々なものの領収書を印刷する。買ったときは「こんな紙の束、使い切らないだろ」って思っていたA4の紙がこの部屋に越してきて2束目にして真面目に使い切ることになりそうだ。1束目は管理がずさんすぎて印刷に使えないものばかりになってしまったから、いつかのボールペンと同じく、使い切ったことがひとつ大人になった証のように自分のなかでしてしまおう。こんなことで大人になったかも、って自分のものにしようとする34歳にどうして俺はなっちまったんだ。こんな気持になるのも吉田の本「今日は寝るのが一番良かった」が悪い。

 

サンキューったらないね

2/15

 

夜中、ゴミを出したら雪が降っていた。結構大粒の雪で(34年間東京に暮らしているとわかる)(この雪は積もる……)と確信し、アパートの駐車場に停まっているすべての車のワイパーをあげていった。そう、人類愛である。

その後、POSEを朝5時まで観て、仮眠をとり、仕事部屋に戻り、窓の外を眺めると全く雪は積もっていなかった。仕事でもう一度観たい動画の閲覧権が消失したのを確認して、ラヴィット!を見ながらカレーそばを食べ、そしてすぐに布団に戻った。昼過ぎに目が覚める。眠っている間に妻が郵便を受け取ってくれていた。届いたのはTex Crickのアルバム。松永さんのインスタで見て、こんなジャケットで悪いはずがない、と思い注文したものだった。それと別口で注文していたBig Thiefのアナログも届いていた。Big Thiefは以前、NICE POP RADIOで「最近みなさんどんなの聴いてる?」っていうテーマメールを募集したときに若いリスナーが「最近はBig ThiefのUFOFを聴いている」と送ってくれてから聴き始めた。段ボールを開け、シュリンクを破り、Big Thiefの半透明のファクトリーシールを冷蔵庫に貼る。理由はない。なんとなく、そうしたかったのだ。

作業部屋に戻り、原稿仕事に向かいながらTex Crick、Big Thiefのアルバムを聴いた。どちらのアルバムも「この曲でレコードの片面が終わる」、と思わせてくれて嬉しい。

 

2/16

POSEを見る。シーズン2も見始めた。粛々と仕事も進める。

夕方、吉祥寺へ出かける。今年に入ってはじめてココナッツディスクに行く。ayU tokiOの「新たなる解」の最後の一枚を購入。他にもレコードをジャケ買っていく。矢島さんにも久しぶりにあって最近NICE POP RADIOを聴き出した、と教えてくれた。とにかくべた褒めしてくれて本当に嬉しかった。スカートというバンドもそうだけど、ずっとあると当たり前になっていって反応がなくなっていくのも感じなくもない(深刻ではないからお気になさらず)のでときどきこうやって褒められると嬉しくてたまらない。絶対にゲストで出てください!と伝えてお店を出た。

ユニオンで取り置いてもらったバッファロー・ドーターの新譜とメル・トーメのライヴ盤を受け取り家に帰る。メル・トーメのライヴ盤は「アット・ザ・クレッセンド」。よく見るジャケットだったけど、ぼくはずっとそれをベツレヘムから出たおなじみの1957年のやつだと思っていた。しかし、同じタイトルでその3年にリリースされた別物だと知り、さらにボートラが7曲入っているらしい、と知って慌てて探したのだった。

深夜、原稿を書きながらバッファロー・ドーターの新譜に針を下ろす。最高すぎてこれは昼間にでかい音で聴かねば、と途中で針をあげた。

ポーとなくなら

某日

 

妻が激推しするPOSEを朝5時まで見てしまった後に気がついた。仕事で見る動画のリンクの閲覧権がリンクを受け取ってから72時間で消失することを。一度見てとても最高だったからもう一度見てその仕事に臨みたい、と思ったのだが眠たい。リンクを貰ったのが2日前の11時。そこから72時間だから、今日の11時まで見られる。念のため、インターネットで「72時間」と検索し、我に返って「日時 計算」と検索し直す。やはり今日の11時まで見られる。現状動画の閲覧権が生きていることも確認して2時間ほど仮眠。眠い目をこすりPCに向かうと閲覧権が消失していた。

 

某日

 

ナイポレの収録。久しぶりの新入荷報告会。昨年から手に入れたあれやこれをどう1時間の枠に収めるべきかで大いに悩む。はじめてかけるアーティストが大半を占めてなんとなく嬉しい。

 

某日

 

誘っていただいて劇場に伺う。自分のコンディションの問題で終始ピントが合わなくて心の底から楽しむことができなかった。以前も似たようなことがあって、そのときは音楽のライヴだったのだけど、やはりピントが合わなくて、そういうときはどうしても自己嫌悪に陥る。どうして俺はこれを楽しむことができなかったんだ、とひとしきり考えて、考えて、考えて、落ち込むのだ。翌朝、目が覚めて後日あるという配信のチケットを購入した。

 

某日

 

ギターを手にしてすぐ置く日々が続いていたがやっと断片のしっぽを掴む。ウヒョー