幻燈日記帳

認める・認めない

しんしんしん

某日

作詞のため、ファミレスに缶詰になる。イメージをふくらませるためにいくつかの本や漫画を持ち込んだ。それは「神戸在住」や「ふたつのスピカ」や「黄色い本」と言った10代の頃から私にとって大切な漫画たちだった。読み返した「黄色い本」は読むたびに泣きそうになる部分が違う。今回は最後のページで泣いてしまった。それが詩にとってどう有効だったかはもはやわからない。つまづいたときのための息抜きかもしれない。曲からたちのぼる風景をより具体的にするためのものだったかもしれない。とにかく納得のいくものが書けた。

 

某日

本屋に寄る。ほしかった漫画は売っていなかったがレコード・コレクターズ鬼頭莫宏さんの短編集が買えた。鬼頭莫宏さんの短編集は今は絶版になってしまった「残暑」に収録されていたものも収録されたものだ。高校生の頃に熱心に読んだ漫画のひとつ。自分の曲に「花をもって」という曲があるけれど、これは「華精荘に花を持って」という短編から拝借したものだった。「残暑」は誰かに貸したっきり帰ってこなくて10年以上読んでいなかったけど、今読んでもジンとくる。

 

Live at WWWX ライナーノーツ

4/10まで販売している(た)bandcampでリリースしたライヴ盤にmp3の音源をおまけでつけたい、でもトラックリストにこれが入ってるってわかってほしくない、でもおまけの添付にはmp3は入れられない、どうにかならんのかと考えていたら、テキストファイルにURL仕込めば良いんじゃん、となり慌てて書いたライナーノーツはこんな内容でした。

 

 

「もうすぐでこんな暮らしもおしまいかな」と寝ぼけた年末を過ごした東京は、年が明けてみれば過去最高の感染状況に陥った。またふさぎ込んでしまう時期が来てしまうのか、と考えたりもした。でもこの2年という永すぎる時間を経て、気持ちが少し変わってきたのも感じていた。それはやぶれかぶれなのかもしれない。もっと誠実なものかもしれない。我々はチキンレースを強いられているのかもしれない。自分でもどういうことなのかわかっていないのだけど、早い話がやれるならやりたい、と気持ちが動いた、ということだ。「音楽の灯を絶やすな」、なんて言いたくない気持ちには変わりはないのだけど、2年前は「自分の歌を歌いながら、そのフィクションであった景色がフィクションに思えなくなってきてしまう」ということが気持ちに水を差し、苦しんだ。しかし、その状況にはなんと慣れてしまったようだ。一昨年の3月は『駆ける』をリリースして、それで燃え尽きていたから余計に喰らっていたのではないか、と勘ぐったりもするが、冷静に考えるのはもっともっと後でもいいはずだ。

 

刻一刻と状況が悪くなっていくけれども、生活は続く。音楽の灯を絶やすな、というよりも音楽を聴いて興奮できる生活を絶やすな、ならわかる。食堂が、スーパーマーケットが、タレントが、芸人が、漫画家が、とにかくすべての人がそうするように我々もやれるうちは粛々とやっていくしかないのだ。そう思えるようになったのは、去年の春に出演予定だった舞台が開演を待たずに全公演中止になってしまったことも大いに関係しているのだろう。

 

1月21日。我々はある仕事のためにレコーディングスタジオに集まっていた。アクリル板に仕切られた円卓を囲み、怯えきった顔をしながら話し合う。12月のワンマンでやった曲とやり慣れている曲で構成すれば、リハーサルを最小限にできるのでは。という結論に至り、明後日に控えたリハーサルのキャンセルすることになった。これは「とにかくステージに立つことを優先しよう」という我々なりのポジティヴな選択だったのだ。

 

もともと想定していたセットリストから大幅に組み換え、その曲順で弾き語りで録音してメンバーに共有して、それを簡単なリハーサルとした。(この頃は演奏時間を50分だと勘違いしていて、のちに慌てて曲順を変えることになる)

 

本番の2日前、大好きなダウ90000の舞台を見に行った。描かれるコロナ禍前の街で躍動する物語。セリフや挙動を愛おしく思い、物語の強さというのを改めて感じてライヴに向けてより気合が入ったことも残しておきたい。

 

この日の演奏はやぶれかぶれであり、誠実であり、私はとにかく楽しく演奏することができた。”MC1”で話していたメッセンジャーバッグの件で傷ついた心をファニーなものへと昇華できたのもよかったんだと思う。終演後の楽屋でカクバリズムの角張社長とタッツこと仲原くんに「今日の録音、次のライヴまでの期間限定とかで販売するのいいかもしれないね」と持ちかけ、ノってくれたのも嬉しかった。ライヴ盤はもともと「ある日の記録」という側面が大きいものだと思うが、今までスカートがリリースしてきたライヴ盤は(言葉が難しくて語弊があるかもしれないけれども)「スカートというバンドがこういうことを積み上げていった結果(ないしは物語)」みたいなものと捉えることが多かった。でもこういう演奏をした、ということを残しておきたい(ならば期間限定でなくてもいいのでは?とも思うのだけど、勢いある演奏を勢いよくリリースするにはなにかひとつそういうムードが欲しかったのだ)、と思えたのは2012年7月25日、渋谷WWWでの「月光密造の夜」以来かもしれない。これは2022年1月29日のスカートの記録です。

YAON

4/9

野音でライヴ。先月のムーンライダーズとはまた違った充実感。1/29のWWWXでの野性味あふれるライヴとも違う手応え。リハーサルも入れなかったのでああいうライヴができたことが嬉しい。今のバンドの土台のようなものを感じることができた。4/1に妻が濃厚接触に該当していたというのがCOCOAの通知で届いたのが4/3。4/4にPCR検査の予約を取り、不安の中眠りにつく。すべての人が思い描くような「雨の日」の月曜日だ。病院について、外で待つ。10分刻みの予約だったはずなのに20分以上待ってあの予約は一体何だったんだろう、と疑問に思う。スッと鼻に長い棒を刺してあっけなく終了。会計の紳士は意外にもウレタンマスクだった。「陽性だったら22時までに電話があります」と説明を受ける。この日はAマッソのチケットが取れてたのにもちろん行けなくなり、予定していた野音に向けたリハーサルもキャンセルになってしまった。ふてくされて眠っていると電話が鳴り目が覚める。陽性だったのか、と電話に出るとリハーサルのキャンセルの連絡を忘れてしまっていたため、時間過ぎても誰も来ないからスタジオが確認の電話をくれただけだった。結局、陽性を知らせる電話は鳴らず。妻がいろいろ調べて東京都の抗原検査キットをオーダーしてくれた。ウーバーイーツと直前の買い出しで食事はなんとか乗り切ることができた。その間、私は締切を過ぎた作詞をなんとか終わらせ、次の仕事の資料に目を通し、一日5時間Apexをプレイするに至った。リハーサルに入れないため急遽、久しぶりにやる予定だった曲を外して、セットリストを改めて組み直す。そのセットリストをメンバーに共有。翌日には弾き語りで録音。久しぶりのライヴを想定して、部屋でたちながら歌うのだが腹筋が足らない、と痛感し、その夜から本番まで軽く腹筋して過ごすことにする。弾き語りの音源をメンバーに共有。すると佐久間さんからスタジオで練習したドラムのテイクが送られてくる!感激。それに合わせて本番までの数日間、部屋で練習した。本番当日の全日の夜、東京都から届いた抗原検査キットを使ってみると、無事陰性が確認された。胸をなでおろす。昨日、部屋で録音した音源を聴いて会場に入る。野音に車停められると勝手に思っていたからYSIG始まるギリギリに会場についた。すると駐車場はいっぱいなので日比谷公園の駐車場を使ってほしい、との説明を受けて、機材を下ろしてまた車に乗り込む。すぐ近くの日比谷公園の駐車場に車をとめ、階段をのぼり、公園へ出る。うららかな春の午後だ。そうして近づくYSIGのサウンド。ライヴは絶対に最初から見たほうが良いに決まっているのだけど、(カーネーションのときも思ったんだけど)だんだん音が近づいてくるっていうのは本当に気分がいい。公園を横切っているその途中に「今日は最高の1日になる気がする」と思えた。

ライヴはいい具合にできた。"CALL"で始めたら「ヤバイヤバイヤバイ〜!」ってアガってるお客さんいてそれも大変良かった。

楽屋で優介と大関さんと3人で「アネット」の話ができたのもよかった。試写で見て震えたんだけど自分でも震えている理由がわからなくて、話しながらだんだんとそれが明確になっていったのがよかった。自分は映画音痴なのでサブアカでフォローしている鍵アカの人が「古い。お寒い。スパークスのメロディはいいけど断トツで今年ワースト」(要約ですけど)みたいなことをつぶやいていて、「まあそう思う人もいるよな」とも納得できたんだけど、どこかで怖気づいていたから、やっぱり傑作だったよね、と確認できたのがなおさらよかった。クンニして顔上げて歌うシーンとかもそうだし、とにかくあの曖昧になっていくさま。曖昧になっていった先にあるひとつのものだけが形づいていく。あの奇妙さが忘れられない。絶対もう一回観に行く。

パン状態

某日

一度悪い方に考え出すとどうにもならないのは血筋かもしれない。小学生のときに兄が体調悪くて病院に行く、となったときに「俺は死ぬんだ」と泣きわめいていたのをよく覚えている。胃が痛くても2週間ぐらい放っておいたのも「今まであまり感じたことない胃の痛みだ」「もしかしたらやばい病気かもしれない」「ムーンライダーズのライヴにはせめて立ちたい」と思ったからだった。死なないまでも入院かもしれない……とさみしい犬みたいな顔で病院に向かったのは前回の日記で書いたとおり。薬で散らしていたが、こちらとしてはすっかりやばい病気判定に入っていたので今すぐ何らかの検査の予約を、と近場の消化器科に電話をかけていくもどこも胃カメラまではやっておらず、昨日かかった医者に電話で泣きつく。来週の火曜日に行けないんだけどどうしたらいいの、と言うと丁寧に別のクリニックを紹介してくれた。そのクリニックに電話をかけ、事情を説明すると翌日にキャンセルが出た、とのことであれよあれよと朝一番の胃カメラの予約が取れた。その後、様々な確認。たとえば麻酔をするかしないかの確認。するならその日いち日は運転はしちゃダメ、と言われ、明日クリニックで悩んでいいか、と伝える。なぜなら午後は急に入った仕事があったため、できれば車で移動したかったのだ。麻酔しなきゃいけないぐらいの行為ならば麻酔したほうがいいんじゃないか、と思う反面、「当院の鼻から入れる胃カメラは不快感も少なくておすすめ!」みたいなポスターもどこかの病院で見たことがある。鼻からカメラを挿れられているイラストの女性は笑っていたはずだ。

 

某日

結局麻酔はなしでやることになった。クリニックのベッドに横たわり、採血を済ます。10回は覚悟したけど助手の方2人、医師1人に代わる代わる刺され、3回目で採血することができた。「いやーそれにしても血管見つからないね」と医師が言うので、「今回採れたところにタトゥーいれておきます」と返したが、まあまあスベった。麻酔無しで胃に違和感がダイレクトで伝わってくる。この異物感を楽しむんだ、と考えるだけ考えてみた。あっという間に終わり、イラストの女性の気持ちもわかった。そうして診断がくだされる。撮った写真を見ながら解説をきく。「とにかくきれい」「君みたいに太っていると逆流性食道炎とかなりやすいんだけどその痕跡もない」「自律神経の問題だね」「胃は元気なので何食べても問題ない」「寝る前3時間だけなにも食べないようにしてほしい」であっけなく終わった。「手術だね、これ以上放っておくと危ないから今すぐ行って。紹介状書いたから。」って言われる未来を想像していたから拍子抜けしてしまった。病院から出て曇った街を歩きブックオフに入ってCDを何枚か買った。なかったかもしれない日常が手元に戻ってきたのだ。タイ料理のお惣菜だって買って帰るさ、そりゃ。

バウンド日和

某日

近所の古本屋がレコードの取り扱いを始めていて驚く。いくつか見てみるとストーリーヴィルのレコードが1枚あった。ストーリーヴィルから出たジャッキー・アンド・ロイやサージ・チャロフのレコードが好きだったので購入しようと思ったのだが、一応検盤させてもらったら中身が赤盤のスティーヴン・フォスター名曲集だった。無念。購入を諦めようと思ったら裏ジャケットのすみに落書きを見つける。「1956.12.25 T.H. 銀座ストアー」。胸がいっぱいになる。このレコードは多分発売してすぐ日本に輸入されてきて、時間が経ち、知らないうちにスティーヴン・フォスター名曲集に中身が変わったまま、こんな場末の古本屋へたどり着いてしまった。きっと私がこのレコードを買わなかったらこのジャケットすら処分されてしまう。それでいいのか。いや、よくない。だが、そのレコードのジャケットが家にあったからなんだというんだ。ツイッターにアップして「ヒーン!中身確認しないで買ったら盤違ったけど素敵な落書きありましたわ!」とおちゃらけるのが関の山だ。しばらく悩んで「それ…ください」とも言えず店を出た。自転車で家に帰る途中、一度(やはり戻るべきか)とも思ったが、強い気持ちをもって鍵穴に鍵を挿す。どうしてこんな気持になるんだ。

 

某日

ファンクラブ入ってるぐらい好きなアーティストが会員限定のブログで不安になるようなことしか言わなくなってしまったため、落ち込みそうなときは自分から情報を選ぶのも自衛のひとつだよな、と思い、勇気を出してファンクラブを退会した。入っていたら見ちゃうしそうやって不安になっていっちゃうし、仕方がないよね。

 

某日

ある撮影。川辺くんにあって「いや〜こちらではご無沙汰」「いつぶりだっけ」ってなったんだけど多分ナタリーの鼎談以来だ、ということになりなかなかどうして。コロナが憎い。

 

某日

先週、胃が痛くて、医者にかかった。「ここ1〜2週間ぐらいですかね。胃が痛くて。食べ過ぎかもしれませんね、HAHAHA」だなんてピエロめいたことを言うと胃薬を処方してもらうだけで終わった。その薬を飲んで症状も落ち着き始めたのだけど、薬がなくなった途端に悪くなっていると気がつき、再び医者にかかるに至る。待合室で何年読んでんだ、っていう本をページを湿らせながら読む。呼び出しがかかると、泌尿器科を専門にしている先生のところに通された。「薬はまあ、効いてると思います」「でも、良くならなくて。」「その、例えば血液検査でも」「胃カメラとか」「ないんでしょうかね」と言うと「来週の火曜日に消化器科の先生来るからそのときに」という非情の一言で、診察が終わってしまった。不安に思い待合室で近隣の病院を調べてみたが木曜は休みのところばかりで、おとなしく薬を飲むだけ飲もう、と処方箋を受け取り、薬局で胃薬をもらい家に帰った。家に帰るなり妻にママタルトの漫才の下りを真似して「コロナ禍で院長先生が診察できないのはまあ分かるけど、泌尿器科の医師しかいないんだったら一本ぐらい電話くれよな!」と嘆く。

 

某日

聴いていたレコードのジャケットに中指立てたギタリストが写ってることに気がついて無性にいらだち、1曲目で針をあげる。そういう日だってある。

文化人のサンバ

20日

 

4時前に眠ったのに8時に目が覚めてしまった。8時間は眠らなければそれは休んだことにはなるけど眠ったうちには入らない超燃費悪い体の私からしたら痛手だ。朝食を摂り、ラジオ聴きながらゲームしたり、マンガ読んだり部屋の片付けをしたりしているうちに昼近くなっていた。(ちなみにその中で触れた川島明さんのねごと、藤井隆さんがゲストの回であまりにも最高過ぎてこの日だけで3回聴いた。枕をプレゼントされるくだり、「きんたま太鼓」、男畑中……脈略がないように見えるのだけどまったく逸脱しているか、というとそうではない。薄皮1枚でも現世の感情につながる何かがあってそこが狂おしいほどに美しく、感動しながら爆笑してしまった。)Twitterを見ていると森薫さんの原画展をやっていると知る。「早く言ってよ〜」とワクワクしていたら明日までの開催だとわかりいてもたってもいられず家を飛び出した。道中のローソンでチケットを発券して、右も左もわからない所沢についた。噂にきく角川の新しいそれってこれだったのね、と不思議な形の建物を眺める。展示は最高。大学生のときにあすなひろしさんの原画展見たときも感動したけど、今回も原稿見ていてわけもなく涙がでそうになった。(これはわかってもらえなくていいんですけど)たまに人がペンで文字書いているの見てるだけで感動して泣きそうになっちゃうときあるのだが、それの超強いやつが襲いかかってきて泣きそうになっちゃった、という感じかもしれない。漫画を読むことの快楽とはなんだろう、と改めて考え込んだ。単行本で好きだったシーンがより克明に浮かび上がってくる。ないものがあるということがなんでこんなに美しいんだろう。

原画展見るたびに音楽のパラデータ聞ける展示会とかできないもんかな〜って思ってはダルい展示になりそうだな、って考えを改める。

せっかくこっちまで来たんだから、と周りを少し散策する。しかし4時間しか眠っていないことが今更しんどくなってきたのでソフトクリームで散らすなどする。コバトンのグッズとかないかな、と探したが、あったのは埼玉じゅうのゆるキャラが印刷されたティーバッグのなかのひとつと、ローカルテレビ番組の特別パッケージ版として発売されていた十万石まんじゅうしかなかった。普段なら「十万石」と焼かれているところに、そのローカル番組関連のデザインが複数焼かれていて、その中のひとつがコバトン、というもの。ローカル番組は見たこともなかったのだけれども、十万石まんじゅうは買った。

 

21日

創作をするために部屋を片付けている。こんな部屋じゃ曲も詩もかけない。でも椅子に座るとインターネットしちゃうよね。松永さんがあげてた「風街ろまん」のレヴューをDeepLにつっこんで読む。以前、誰かから「結局海外で評価されてるはっぴいえんどはゆでめんのファズ踏んでる曲だけだよ」と言われて「そ、そんな」と思っていたけど、今回の翻訳を読んでみるとなるほどそうだったのかもしれない。なんて思った。松永さんも言っていたけど最後に本当に重要なことが書いてあった。今の自分に対して効く言葉である。うーむ。よく噛み締めて生きていこう。

Happy End: Kazemachi Roman Album Review | Pitchfork

瞬間の頂上

13日

野音ムーンライダーズのライヴ。リハーサルが終わってくたくたになって帰宅して、復習もできずテレビ見ながら寝落ちする日々を抜け、とても充実感を感じた。「黒いシェパード」の冒頭は最初、原曲と同じようにメロディと同じに歌っていたのだけど、優介から「オクターヴ上のほうがきっといいっすよ」と助言をもらってそのようにしたことを書き残しておこう。「くれない埠頭」で歌った部分は今まで歌ってきたどのライヴよりも気持ちよく歌えた気がする。不思議な気分だ。

ライヴが終わってしばらくすると矢部浩志さんと遭遇。思わず抱きつく。しばらくしてそこに優介も合流。見つけるなり抱きついててそれもよかった。

 

14日

オッドタクシーの映画版の試写を観に行く。竹芝をなめてた。駐車場が10分300円とかそういうレヴェルの場所だった。商業施設になんとか停める。映画はものすごく引き込まれた。アニメでの一話見終わったごとにある「さっ、次回(来週)どうなるんだろ」の感覚もいいんだけど、こうやって2時間で駆け抜けられるとたまらなかった。

試写を終わり、竹芝だったので海が近かったのでぼんやりと近づいていく。夕暮れせまる海を見ながら昨日のライヴを思い出す。慶一さんがBS朝日でのインタヴュー動画で野音の編成はどうなりますか?と訊かれて「今の6人、そして澤部くんと優介くんというのは揺るがない」と言ってくださっていたのを見たことを思い出して、改めて人生ってすごいな、と考えた。ベンチはいくつかあったのだけど、なにかを見せるためのベンチであって、理由もなくあるようなベンチではなかった。私は今、ここを理由もなく漂っているだけなのに、レインボーブリッジを見るために設置されたベンチに座るわけにはいかないのだ。夕暮れでもないし、埠頭と言えるほど埠頭でもないけど、しみる。「このまま小田急線に乗って本厚木で降りなければ小田原の海で24時間砂を食べていることだって可能なんだ」と泣いていた18歳の自分が今の自分を見たらなんて言うだろう。そうしてベンチには座らず、欄干にもたれる。

 

 

15日

シティポップレイディオの収録。最初はシティポップという言葉に戸惑っていたけど、個人的にはやっぱり楽しい。学生の頃の牧村さんの授業を受けていた頃を思い出す。「不思議なんだよ。人の前に立つとそれまでまとまっていなかったことや考えたこともなかったことが突然話せたりするんだ」とベローチェでお茶をしながら牧村さんは言っていたけど、ここ数年ラジオで話すようになってからそれを実感していたのだが、初回の放送で「killer tune kills meで韓国語のラップが入る、ということは海外で評価があがるシティポップのある意味でのオリエンタルさみたいなものの追体験」みたいなことを言ったのも突然思いついて話したことだった。今回の収録でもそれに近いことがあって、やっぱり楽しい。ナイポレと切り口が全く違うのもいいのだろう。半蔵門でランチ。パワーウインドウぶっ壊れてディーラーに見てもらう。部品の交換で5万円の出費が確定。22年も乗っているこのワゴンRに涙が出そうになった。「アレとソレのギャラってどうなりそうですかね……車買い換える日が近い気がして……」とLINEしたらタッツと社長からありとあらゆる中古車情報が送られてきて笑った。「男ってホントばか」みたいな気持ちになれた。

 

16日

うっかり一日ゲームしてしまった。志はとても高く、部屋の掃除をしようとしていたはずなのに、すっかり日は暮れ、深夜には地震が来て、エレピの上が崩壊してしまった。明日こそがんばる。