4/10まで販売している(た)bandcampでリリースしたライヴ盤にmp3の音源をおまけでつけたい、でもトラックリストにこれが入ってるってわかってほしくない、でもおまけの添付にはmp3は入れられない、どうにかならんのかと考えていたら、テキストファイルにURL仕込めば良いんじゃん、となり慌てて書いたライナーノーツはこんな内容でした。
「もうすぐでこんな暮らしもおしまいかな」と寝ぼけた年末を過ごした東京は、年が明けてみれば過去最高の感染状況に陥った。またふさぎ込んでしまう時期が来てしまうのか、と考えたりもした。でもこの2年という永すぎる時間を経て、気持ちが少し変わってきたのも感じていた。それはやぶれかぶれなのかもしれない。もっと誠実なものかもしれない。我々はチキンレースを強いられているのかもしれない。自分でもどういうことなのかわかっていないのだけど、早い話がやれるならやりたい、と気持ちが動いた、ということだ。「音楽の灯を絶やすな」、なんて言いたくない気持ちには変わりはないのだけど、2年前は「自分の歌を歌いながら、そのフィクションであった景色がフィクションに思えなくなってきてしまう」ということが気持ちに水を差し、苦しんだ。しかし、その状況にはなんと慣れてしまったようだ。一昨年の3月は『駆ける』をリリースして、それで燃え尽きていたから余計に喰らっていたのではないか、と勘ぐったりもするが、冷静に考えるのはもっともっと後でもいいはずだ。
刻一刻と状況が悪くなっていくけれども、生活は続く。音楽の灯を絶やすな、というよりも音楽を聴いて興奮できる生活を絶やすな、ならわかる。食堂が、スーパーマーケットが、タレントが、芸人が、漫画家が、とにかくすべての人がそうするように我々もやれるうちは粛々とやっていくしかないのだ。そう思えるようになったのは、去年の春に出演予定だった舞台が開演を待たずに全公演中止になってしまったことも大いに関係しているのだろう。
1月21日。我々はある仕事のためにレコーディングスタジオに集まっていた。アクリル板に仕切られた円卓を囲み、怯えきった顔をしながら話し合う。12月のワンマンでやった曲とやり慣れている曲で構成すれば、リハーサルを最小限にできるのでは。という結論に至り、明後日に控えたリハーサルのキャンセルすることになった。これは「とにかくステージに立つことを優先しよう」という我々なりのポジティヴな選択だったのだ。
もともと想定していたセットリストから大幅に組み換え、その曲順で弾き語りで録音してメンバーに共有して、それを簡単なリハーサルとした。(この頃は演奏時間を50分だと勘違いしていて、のちに慌てて曲順を変えることになる)
本番の2日前、大好きなダウ90000の舞台を見に行った。描かれるコロナ禍前の街で躍動する物語。セリフや挙動を愛おしく思い、物語の強さというのを改めて感じてライヴに向けてより気合が入ったことも残しておきたい。
この日の演奏はやぶれかぶれであり、誠実であり、私はとにかく楽しく演奏することができた。”MC1”で話していたメッセンジャーバッグの件で傷ついた心をファニーなものへと昇華できたのもよかったんだと思う。終演後の楽屋でカクバリズムの角張社長とタッツこと仲原くんに「今日の録音、次のライヴまでの期間限定とかで販売するのいいかもしれないね」と持ちかけ、ノってくれたのも嬉しかった。ライヴ盤はもともと「ある日の記録」という側面が大きいものだと思うが、今までスカートがリリースしてきたライヴ盤は(言葉が難しくて語弊があるかもしれないけれども)「スカートというバンドがこういうことを積み上げていった結果(ないしは物語)」みたいなものと捉えることが多かった。でもこういう演奏をした、ということを残しておきたい(ならば期間限定でなくてもいいのでは?とも思うのだけど、勢いある演奏を勢いよくリリースするにはなにかひとつそういうムードが欲しかったのだ)、と思えたのは2012年7月25日、渋谷WWWでの「月光密造の夜」以来かもしれない。これは2022年1月29日のスカートの記録です。