幻燈日記帳

認める・認めない

マイ・ネーム・イズ・ジャック

川辺君と吉田の3人で取材を受けるために渋谷へ向かう。久しぶりの電車移動だ。カバンに「ダンピアのおいしい冒険」の4巻を詰める。そして読む。電車の中で泣きそうになった。悲しい出来事に涙がでそうになるのもそうなんだけれども、不思議とそこではない気もする。

あるバーで話し込んだ。場所が場所だったからそのまますぐ飲み会になり、ならば私も先日ようやくお酒が飲めるようになったんだよ(先日のSLSS2022のバックヤードのケータリングでいくつかお酒を飲んだら、ご陽気になるだけで、体になにひとつ異変がなかったんだ。これは本当に嬉しかったことのひとつ)、とお酒をいただくことに。SLSSのバックヤードで飲んだサングリアも日本酒もなかったのでなにか飲みやすいおすすめをもらうことにする。「これ、トニックで割るとスポドリみたいな味だからいいんじゃないですかね」と勧められ、軽く飲んでいた。顔を合わせて話すのも久しぶりだからとても楽しく、お酒も味は好きで、こういう日々を望んでいたのかもしれないね。なんて嬉しくなっていたのだが、あるところを超え、「あ、これやっぱり駄目だ」と自覚するに至る。たちまち具合が悪くなり、崩れていくかりそめのしあわせを眺めながら私はこの酒をビールや焼酎と同じく、ブラックリストに入れるべくバーカウンターに問う。「これなんてお酒でしたっけ」「これはコアントローですよ」「そうですか……」コアントローときいて、はっと思い出す。スパンクハッピーの名盤「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」の表題曲でフォクシーと一緒に飲み干す描写がある。ゆらいでいく自身とともに原曲に敬意を払い、「生きていればXX歳になるのね私のXX」と頭の中で唱えた。

川辺君に気を遣ってもらって「あんまり無理しないでいいんだよ、俺らもそんなに長くいないからキツかったら帰るのもありだよ」なんて言ってくれたのだが、酒が回ってまともに歩ける気がしない。水とお茶をひたすら飲み、耐え、なんとか戻ってくることが出来た。武田砂鉄さん、おれまだまだ駄目みたいです。

帰りの電車で全曲シャッフルをしたらジョン・サイモンの「マイ・ネーム・イズ・ジャック」がかかった。と言っても1968年版ではない。1998年にリリースされた「ホーム」というアルバムに、日本盤のみのボーナス・トラックとして収められたヴァージョンだった。曲が始まり「His name was jack」と歌われる。オリジナルなら「My name is jack」なのだが、このヴァージョンでは三人称で、しかも過去形に書き換えられていることに気がついた。それだけのことなのにとても悲しいことのように思えてきて、思わず新宿で途中下車をした。夜の新宿は昔のようだ。マスクなんて誰もしていないような気すらしてくる。昔好きだった思い出横丁を通りすぎ、またさっきのバーでのことを思い出して自己嫌悪に陥った。乗り換えの駅まで歩いて電車にまた乗る。暗い気持ちになってしまうが、「ダンピアのおいしい冒険」の4巻の続きを読む。大好きだった駅のベンチに座って電車のなかで読みきれなかった分を読む、という行為が久しぶりに出来て心が落ち着いた気がした。しばらくささくれだっていたのだが、数日後、ジョン・サイモンのアルバムを引っ張り出し、解説と対訳を見た。そこには新しく「僕達は裏のジャックから学べることがある / 僕達のすべきこと / いつも互いを愛し合おう / きっと向こうも君を愛してくれるさ」という詩が足されていたことを知ることが出来た。家に帰ってきてすぐこの詩を読んでいたら、また違った今があったに違いない。

パンジーだけが花

某日

姫乃さんと落ち合い、「僕とジョルジュ3」のヴォーカル録音。いいのが録れた。ちょっと変わったメロディを書いてしまったので録音も2日ぐらいかかるかな、と思っていたけど3時間で終わった。ふたりして拍子抜けする。

夜はラッキーオールドサンとのライヴ会場でなぜかお誘いを受けたトンツカタン森本さんのブチ切れデトックスへ。あぁ〜しらきさんが出てきてトークテーマがかかれたサイコロを振って、どれが出ても同じ話しかしない、など、本当に悪夢のような内容で最高だった。僕ジョルの録音と地続きかもしれない。

 

某日

慶一さんと優介とラジオ出演。しかし、先にK-PROのライヴ、行列の先頭のチケットを取ってしまっていた。この日の「行列の先頭」はランジャタイ、錦鯉、真空ジェシカといったM-1ファイナリスト凱旋もあれば、アルコ&ピースもいて、さらにはママタルトやダウ90000まで出る。しかも渋谷公会堂だ。これをどうしても見に行きたい、この日のために俺は頑張ってきたんだ、と野田マネージャーに相談。結果、超巻き巻きでの収録になった。しかし話は相変わらず濃いです。お楽しみに。

優介に「あんた……」と呆れられながらも見に行った「行列の先頭」は最高だった。お祭りムードの中、全組がきれいにホームランを決めていて胸がスッとした。

 

某日

昼。ナイポレの収録でムーンライダーズ岡田徹さんの作品をかけて、次の曲聴いてたら岡田さんから着信があった。やだ〜シンクロニシティじゃん〜。

三鷹で打ち合わせを一本。普段あまりない場所での打ち合わせになんだか気分もあがった。23区を出た打ち合わせなんて今まであっただろうか。打ち合わせを終えて帰宅する途中、ふらっと車を吉祥寺で降りる。とても天気がいい。「青空のかなしさ」というのはなんの言葉だっただろうか。あすなひろしの漫画を指しての言葉じゃなかったか。思い出せないけれども、まさにそういう青空。私は街を歩いた。すっかり元通りにもならず、日常が逆転してしまった。あの頃、そうなるだろうな、とうっすら思っていたような未来になった、と思いながら信号を待つ。

 

某日

真夜中にビッロビロのボーダーでゴミ出ししてたら突然声をかけられる。どうした!と思ったら、僕も最近聴いていてかっこいいと思っていた年下のミュージシャンだった。話をきくと、本当にすぐ近くに住んでいるそうだ。連絡先を交換し、「ファミレス行こうよ」などとキャッキャする。

 

某日

シティポップのラジオの収録のあと、整体に向かう。2年近くぶりだ。体調もメンタルもヤバかったので青柳くんに見てもらった。施術が終わったあと、それまで脳がなんとかごまかしていた体中の痛みを感じることができた。

施術終わりで新宿をうろつく。駐車場の向かいにあった立ち食いそば屋に入ってしまう。どうした俺。日中、レコード屋に寄っても欲しい物がなかった虚しさをデパ地下で発散できないか、と新宿に寄ったのだった。ルミネエストにできたタカ吉田氏のお店にも向かう。ルミネだから久野遥子さんのアニメーションが流れていて本当に嬉しい気持ちになる。いやなことがあってもこの光景が見れるだけでも頑張れそう。ちょうすてき。タカ吉田氏のお店はテイクアウトやってなかったので諦める。なぜならそば食っておなかいっぱいだからね。テイクアウトは来月から始まるそう。紀伊国屋のコミックフロアに行っていくつか買い物。手にとっては戻す。「エロマンガベスト100」という書籍のポップとして、店員が兄の書棚にあるハードコアエロ漫画家(あえて伏せる)の本を見つけて兄を見る目は変わったが、時間が経って今なら兄弟だったと判る、といったことが書いてあって、つい買いそうになったが、私が成年漫画に求めているのは「ベスト100」と言った概念にはないような気がする、と見送った。

 

某日

ダウ90000のライヴを見に行く。「なんか面白そうなお笑いのライヴがあったら教えてよ」と社長がいうので、ダウ90000のライヴを薦めたらチケットを取って来てくれた。内容はあまりにも素晴らしく。ネタバレがあるからあんまり言えないんだけどあのネタ、このネタ、ヤバすぎるっしょ。あるネタに至っては終わって天井見ちゃった。社長も大変刺激になったそうでブチ上がって解散。坂を下り、東急の本店に向かう。佐賀の白山文雅というカレー屋がきているのだ。バナナマンのせっかくグルメでハナコの菊田さんがとんでもない表情をしながら食べていたのが印象的で、半年ぐらい待って取り寄せて食べれていたのだけど、せっかく来ているなら、と妻とふたりで食べた。私は牛テールのカレーで、妻は森のきのこカレー。とても美味しかった。寿司屋の居抜きもいいけど、いつか現地に行きたい。

 

某日

レコード屋から帰ってきたところを大家に目撃され、「それ何?」と訊かれる。「えへへ、レコードなんですよ」。「今はやってるもんね〜」「昔いっぱいあったけど全部手放しちゃったよ」「この街にも昔、2軒レコード屋があったよ」「駅前の弁当屋わかる?あそこと」「あのファストフード屋が入ってるビルにあったんだ」「20年前ぐらいまではあったと思うなあ」。そうして私は過去に通ったCD屋のいくつもを思い出す。高島平の十字屋、西台のアシーネ、蓮根のボイス、ときわ台の南口にあった名前忘れちゃったけど通い始めたらすぐ閉めちゃったお店。街にはレコード屋があったもんだぜ、って最後の世代になってしまったんだな。と気がつきぼうぜんとする。俺は未来になにをしてやれるというのか。

 

某日

ダウ90000を見終わったあとの大関さんとたまらず会食をしてきた。「あのネタ!な!あのネタ!」「あそこでああいうセリフが出てくるのすごいよね……」なんて言い合う。あっという間に5時間ぐらい経っていた。

 

某日

先日、声をかけられた超近所に住む年下のミュージシャンがコロナ陽性になってしまった、とツイートしていたので見舞いのメールを送る。なにか必要なものがあったら言ってね、と生鮮食料品などを届けるつもりでいたのだが、返ってきたのは「なんか漫画貸してください!」というものだった。向こうからの指定の日常の5〜10巻以外をどうしよう、と、何人かの漫画家の名前を出して、知ってるか知らないか傾向を探り、7冊ほど見繕った。ゴミ出しのついでに玄関の前に下げて部屋に戻った。

今・今・今

某日

街裏ぴんくさんの単独を見に行く。毎度のことだけどすごすぎる。今回特に「人情噺」と題されたそれが自分の頭の隙間に入り込んで頭がすごいことになった。感動した。イマジネーションの隙間、というべきだろうか。「こんな情景、想像すらしたことなかった」となれる感動である。

帰り道に妻とつけ麺をすすっていたらビーチ・ボーイズの「ココモ」がかかりだした。ビーチ・ボーイズが1988年にリリースしたなんとも脳天気な曲。特別好きなはずじゃないのに、なぜか憎めず時々聴いてしまう、そういう曲だ。時代感を感じてもらいたいのでMV貼っておきます。

The Beach Boys - Kokomo (1988) - YouTube

つけ麺をすすっている際にまさかこの曲が流れる、なんてそれも今まで考えたことがなかったことだ。街裏ぴんくさんの単独が呼び寄せたこの上ない現実が今目の前に広がっている。ちょっと感動していると今度はジョン・レノンの「イマジン」が流れ出した。

Imagine - Remastered 2010 - song by John Lennon | Spotify

街裏ぴんくさんの単独を見終わったあと、つけ麺屋入って、つけ汁を浸し尽くしてしまってつけ汁の追加をオーダーした頃、イマジンが聴こえてきたら」なんて誰が考えるだろうか。以前入っていた(ブログを読んでいると自分の気持ちが守りきれない瞬間が増えてきて、今は退会してしまったのだ)ASKAさんのファンクラブ会員限定の日記で「現世は幻覚」だという話をしていて、「なるほど」と思ったけれども、今なら「そうかもしれない」と思える。「イマジン」が終わる頃、食事を終え、マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」のイントロに背中を押されながら店を出た。

What's Going On - song by Marvin Gaye | Spotify

 

某日

ある仕事のためにスタジオにメンバー集結。いつも使っているスタジオが空いていなかったのでビクターの302スタジオ。藤原さくらさんの録音以来だけど天井高いし最高。録音したのはこないだ2分20秒でガッツポーズした曲。シンプルな曲、というのもあったからか14時にはじめて17時前にはベーシックが録り終わってしまったので「これならもう1曲用意すればよかった」と悔やむ。ところが歌入れやらなんやらやったら23時を過ぎていた。

葛西さんに「街裏ぴんくさんのラジオ聴いたよ!すごかったね」と言われて嬉しくなる。本アカウント(skirt_oh_skirt)でお笑いの話してもあんまりにも反応ないから裏アカ(sawabe)でしかしなくなっちゃってたけど、本アカウントでしたツイートにこういうリアクションあると嬉しい。

2022年5月15日(日)20:00~20:55 | ラジオワールド「街裏ぴんくのもう離さないもん最終回スペシャル」 | TBSラジオ | radiko

 

某日

週末にある予定が入ったのでどうしても散髪する必要が出てきたため、慌ててシゲルさんに連絡をして髪を切ってもらうことになった。原宿のteteではなく、新しくオープンしたシゲルさんのお店で切ってもらう。お店は奥さんの経営する喫茶店と一緒になっていて、とても素敵なお店だった。お店でPredawnの新譜がかかっていて、それがとてもよかった。曲が素晴らしいのはもちろんだけど、楽曲としての総合的な佇まいの美しさ。以前一度対バンしただけだったのにマネージャーの安川さんが送ってくださっていたのにDLするだけして聴けていなかったので申し訳ないと同時に悔しい気持ちになる。こんな素晴らしいレコードをHDDに眠らせるだけ眠らせてしまっていたなんて。

伸びまくった髪を切ってもらったあと、車で新宿へ。タカシマヤに向かう。以前買ったピカタの森というところのプリンがあまりに美味しかったため、最終日にもう一度様子を見に行ったのだった。プリンは種類は減っていたものの無事購入。他にもいかめしなども購入し、タワレコPredawnの新譜、青野りえさんの新譜、tofubeatsの新譜を購入する。部屋でPredawnさんのCDをプレイヤーに入れて36分と表示されて思わず声が出る。内容はもちろん最高。

The Gaze - Album by Predawn | Spotify

 

それからマーチ

妻が「ゆきちゃんどうかねえ」というので22時過ぎに母にLINEを送る。「この時間だから寝てると思うんだけど念のため、ご加減いかが?」みたいな内容。すぐに既読もつかず返信もないから眠っているんだろう、と思ったら0時を過ぎて母から返信がくる。22時過ぎに亡くなったそうだ。それでは、翌日お線香でも手向けに行きます、と返事。妻にも伝えてひとしきり泣く。「今頃は大好きなごはんもばくばく食べて、もちろん晩年できた変なイボも消えて、さらには6年前に動かなくなっちゃった後ろ足も動いて元気に走り回っているんだろうか」とか思ったらさらに泣けてきた。

葬儀屋に9時に電話するからゆきちゃんに線香あげるなら葬儀屋に持っていってもらう前じゃないと、と9時より前にアラームをかけるも目が覚めたら10時になってしまっていた。11時に出ることになったよ、という内容のLINEも来ていた。急いで支度をして部屋を出る。よく晴れている。

家につくとゆきちゃんはすっかりチンチンに冷たくなってしまっていた。葬儀屋さんがくるのかと思っていたが父が自分で霊園に連れていく、と言い出したらしく、車にゆきちゃんを乗せることになった。10年前におなじバセットハウンドのヨーゼフが死んだときは、葬儀屋さんが来て、そのまま段ボールでできたお棺に詰められて、それが今生の別れとなってしまった。それが父の中でひっかかっていたのだろうか。

霊園について段ボールのお棺に詰め替える。そうして思い出す。棺桶もそうなのだがやはり閉じる、という感覚がちょっとつらいのだった。しかもお棺と言えども段ボールでできているからとても日常にありふれたもののように感じてしまう。まるで荷物でも送るように段ボールを閉じて、ガムテープでも貼りそうになるところを棺掛けを垂らす。日常と非日常のスイッチングがなんとも絶妙で、難易度が高く、気持ちに整理がつかない。納骨堂のスピーカーからはもの悲しげな音楽が流れていた。

帰り道に父が「万世に行こう」というので高島通りの万世に行く。子供の頃に来た以来だろうから20年以上ぶりとかだと思う。とにかく母をねぎらう。6年間も下半身不随になってしまったゆきちゃんをなんともまっとうに正直に介護し続けたのだ。俺が全知全能の神さまだったなら今すぐ母の膝の痛みを取り除くのに、と思いながらハンバーグを神さまの気持ちでついばんだ。

家に帰りゆきちゃんがいない納戸を眺める。私が晴れやかな気持ちになるピースは足りている。それをどう並べればいいのかもわかっている。でもほんの少しうまくいかない。

 

帰り道、久しぶりに高田書房に寄った。新入荷のなかからジャケ買いした1枚の1曲目が素晴らしかった。The Light Companyというバンド。その1曲目はサイモン&ガーファンクルの曲だったそうで("ブックエンド"は聴いたことがなかったぜ)、いろいろ調べるのだが、そのバンド自体の情報があまり出てこない。ジャケットに貼られた値札($3.00)に"Kanesville Records"という店名も書いてあり、眺めていくうちにそれがとても愛おしく思えてGoogleMapに"Kanesville Records"と入れてみたら"Kanesville Kollectables"という店がヒットした。どうやらここのようだ。アイオワ州のカウンシル・ブラフスという街。ストリートヴューで街を流す。そして街について調べる。人口は6万人にも満たない。アート・ファーマーが生まれた街。2007年以降Googleのサーバーがある街。そうしてこんな素晴らしいテイクがどうして話題にあがらないんだろう、と調べていくと、誰かがアップしたYouTubeの動画にたどり着いた。その画像を見て驚いたのだが、多分ここで映っているレコードと私が今日買ったレコードは多分同じだ。値札だけなら、このThe Light Companyというバンドがアイオワ州のローカルバンドで、同じ店で大量に売られてた、ということも考えられる。しかし左側にできたシワがまったく一緒。実に奇妙な縁で嬉しい。この人が手放して私の手元に来たのだろうか。だからどうした、という話でもあるが、書き残しておきたい。

The Light Company - Punky's Dilemma - YouTube

ターンの才能

某日

慶一さんと優介でラジオの収録で渋谷に向かう。はじめて入る収録スタジオで楽しく話せた。打ち上げや飲み会といったコミュニケーションが取りづらくなったから、こうして収録で話せるのが嬉しくて仕方がない。収録が終わって、Hi-Fiに向かい松永さんと少ししゃべる。何枚かレコードを紹介してもらう。7インチコーナーからデニス・ランバートの最初期の7インチを見つけて、ちょっと高かったけれど存在すら知らない曲だったからこれは払うべきお金だ、と購入。夜の渋谷は人が多かった。これまでとこれからに思いを馳せる。

冬目景さんの新刊を買いに渋谷のTSUTAYAのコミックフロアに行ったのだが、在庫がなかった。発売日から数日と経っていなかったはずなのに。大いにしょげてしまう。

 

某日

ナイポレの収録が終わったあとにどんな特集をするか、というかんたんな会議のなかで「RSDもありましたけど、なんか買いました?」なんて会話になって、そういえば全くチェックしてなかった、と、その場でサイトをひらいた。その際、「一番星」と書かれたレコードが一際異彩を放っていて気になり、購入してみた。帯からして「ショッキング歌謡登場!」ときたもんで、それはそれは素晴らしい内容だった。次回収録のナイポレは新入荷報告会です。

ルーエにいだ天ふにすけさんの初単行本を買いに出かける。成年漫画のサブスクリプション・サーヴィス、Komifloでチェックしていたから、紙の単行本が出ることがこんなにも嬉しい。早く書棚に納めたい、と3階まで階段を駆け上がるも見つからなかった。成年漫画だったからレジの人に問い合わせるわけにもいかず、大いにしょげてしまう。

 

某日

お笑いのライヴを見に行ったら沖縄で対バンしたシバノソウさんと遭遇することが増えてきた。その際に「今昆虫キッズめっちゃ聞いてます」と言われて嬉しい気持ちになる。「マイベスト!(昆虫キッズとかをリリースしていたレーベル)は20年後にはURCとかベルウッドみたいになってますよ」と当時言ってしまった記憶があったが、ギリあるかもしれない。

 

某日

実家の老バセットハウンド(13歳)にお迎えが来そうだ、というので実家にちょくちょく顔を出している。最初の頃は「ごはんは食べないけどバウムクーヘンなら食べる」だったがついにバウムクーヘンすら食べなくなり、水すら口にすることもできなくなってしまったようだ。そんな状況だから顔を出すごとに老犬は衰弱していくようだし、見ていて寂しい。私の実家は不思議なことに動物が途切れたことがなく、あるときはいとこの家の屋根裏で生まれてしまった子猫が来て、あるときは児童館の脇に子猫が捨てられる瞬間を目撃してしまったり、あるときはご近所で飼いきれなくなってしまった犬が我が家に引き取られてきたり、といった具合。5/2現在、まだゆきちゃんは生きている。これまでまあまあの数の動物たちを送ってきたがやはり慣れないのう。

 

某日

映画の試写に呼ばれて渋谷に向かう。坂の向こうからズーシミが降りてきてほんの少しだけ話した。すると姫乃さんのコンカフェ?がやっていて本人がいる、という情報を教えてくれた。「このあともう一本観るんです」と言っていた。元気でよろしい。試写が終わり、晴れやかな気持ちで姫乃さんのコンカフェに向かい、チャイをすすりながら少しだけ話した。渋谷の街に出てユニオンを覗いた。爆音で音楽がかかっていて神経がすり減ってしまった。盤をなくしてしまっていた昆虫キッズ「アンネ」のCDRがあったから購入。俺でいいのか、他の人が手にとった方がいいのではないか、と一瞬ためらいもあったのだが、そういった奥ゆかしさにも似たエセ・ロマンティシズムは店内でかかる爆音の音楽にかき消されていった。

 

某日

リハーサル。暫く続くライヴのためのリハーサルと仕事のためのリハーサルをどちらもやる。なんと4時間も。それでも時間が足りなく、リハーサルの終わりの方は駆け足になってしまった。仕事のために書いた新曲を合わせていて、全然アレンジも固まってないんだけどレコーダーを止めたときに2分20秒で「うわーめっちゃいい〜〜〜」って言ってしまって佐久間さんに「こんな素描も素描でそんなに手応えあるかね」と突っ込まれる。なぜか私は短い曲はできると嬉しくてたまらなくなってしまうのだ。

 

某日

母と話していて小学校の卒アルを捨てたことを思い出した。もうすべてがおぼろげだけど、吹奏楽部のゴミ箱に捨てた覚えがある。しかもなぜか捨てた、というより、燃やした、という感覚が残っている。きっとゴミ捨ての当番か何かのときに一緒に捨てた、ということだと思う。(どうしてそんなことを……)という気持ちもあるし(よくやった)と思う気持ちもある。人の心はフクザツなのである。

しんしんしん

某日

作詞のため、ファミレスに缶詰になる。イメージをふくらませるためにいくつかの本や漫画を持ち込んだ。それは「神戸在住」や「ふたつのスピカ」や「黄色い本」と言った10代の頃から私にとって大切な漫画たちだった。読み返した「黄色い本」は読むたびに泣きそうになる部分が違う。今回は最後のページで泣いてしまった。それが詩にとってどう有効だったかはもはやわからない。つまづいたときのための息抜きかもしれない。曲からたちのぼる風景をより具体的にするためのものだったかもしれない。とにかく納得のいくものが書けた。

 

某日

本屋に寄る。ほしかった漫画は売っていなかったがレコード・コレクターズ鬼頭莫宏さんの短編集が買えた。鬼頭莫宏さんの短編集は今は絶版になってしまった「残暑」に収録されていたものも収録されたものだ。高校生の頃に熱心に読んだ漫画のひとつ。自分の曲に「花をもって」という曲があるけれど、これは「華精荘に花を持って」という短編から拝借したものだった。「残暑」は誰かに貸したっきり帰ってこなくて10年以上読んでいなかったけど、今読んでもジンとくる。

 

Live at WWWX ライナーノーツ

4/10まで販売している(た)bandcampでリリースしたライヴ盤にmp3の音源をおまけでつけたい、でもトラックリストにこれが入ってるってわかってほしくない、でもおまけの添付にはmp3は入れられない、どうにかならんのかと考えていたら、テキストファイルにURL仕込めば良いんじゃん、となり慌てて書いたライナーノーツはこんな内容でした。

 

 

「もうすぐでこんな暮らしもおしまいかな」と寝ぼけた年末を過ごした東京は、年が明けてみれば過去最高の感染状況に陥った。またふさぎ込んでしまう時期が来てしまうのか、と考えたりもした。でもこの2年という永すぎる時間を経て、気持ちが少し変わってきたのも感じていた。それはやぶれかぶれなのかもしれない。もっと誠実なものかもしれない。我々はチキンレースを強いられているのかもしれない。自分でもどういうことなのかわかっていないのだけど、早い話がやれるならやりたい、と気持ちが動いた、ということだ。「音楽の灯を絶やすな」、なんて言いたくない気持ちには変わりはないのだけど、2年前は「自分の歌を歌いながら、そのフィクションであった景色がフィクションに思えなくなってきてしまう」ということが気持ちに水を差し、苦しんだ。しかし、その状況にはなんと慣れてしまったようだ。一昨年の3月は『駆ける』をリリースして、それで燃え尽きていたから余計に喰らっていたのではないか、と勘ぐったりもするが、冷静に考えるのはもっともっと後でもいいはずだ。

 

刻一刻と状況が悪くなっていくけれども、生活は続く。音楽の灯を絶やすな、というよりも音楽を聴いて興奮できる生活を絶やすな、ならわかる。食堂が、スーパーマーケットが、タレントが、芸人が、漫画家が、とにかくすべての人がそうするように我々もやれるうちは粛々とやっていくしかないのだ。そう思えるようになったのは、去年の春に出演予定だった舞台が開演を待たずに全公演中止になってしまったことも大いに関係しているのだろう。

 

1月21日。我々はある仕事のためにレコーディングスタジオに集まっていた。アクリル板に仕切られた円卓を囲み、怯えきった顔をしながら話し合う。12月のワンマンでやった曲とやり慣れている曲で構成すれば、リハーサルを最小限にできるのでは。という結論に至り、明後日に控えたリハーサルのキャンセルすることになった。これは「とにかくステージに立つことを優先しよう」という我々なりのポジティヴな選択だったのだ。

 

もともと想定していたセットリストから大幅に組み換え、その曲順で弾き語りで録音してメンバーに共有して、それを簡単なリハーサルとした。(この頃は演奏時間を50分だと勘違いしていて、のちに慌てて曲順を変えることになる)

 

本番の2日前、大好きなダウ90000の舞台を見に行った。描かれるコロナ禍前の街で躍動する物語。セリフや挙動を愛おしく思い、物語の強さというのを改めて感じてライヴに向けてより気合が入ったことも残しておきたい。

 

この日の演奏はやぶれかぶれであり、誠実であり、私はとにかく楽しく演奏することができた。”MC1”で話していたメッセンジャーバッグの件で傷ついた心をファニーなものへと昇華できたのもよかったんだと思う。終演後の楽屋でカクバリズムの角張社長とタッツこと仲原くんに「今日の録音、次のライヴまでの期間限定とかで販売するのいいかもしれないね」と持ちかけ、ノってくれたのも嬉しかった。ライヴ盤はもともと「ある日の記録」という側面が大きいものだと思うが、今までスカートがリリースしてきたライヴ盤は(言葉が難しくて語弊があるかもしれないけれども)「スカートというバンドがこういうことを積み上げていった結果(ないしは物語)」みたいなものと捉えることが多かった。でもこういう演奏をした、ということを残しておきたい(ならば期間限定でなくてもいいのでは?とも思うのだけど、勢いある演奏を勢いよくリリースするにはなにかひとつそういうムードが欲しかったのだ)、と思えたのは2012年7月25日、渋谷WWWでの「月光密造の夜」以来かもしれない。これは2022年1月29日のスカートの記録です。