幻燈日記帳

認める・認めない

サインコ

2日

部屋の外へ出る。あまりにも静かで嬉しくなる。少し前にラジオに出たときに「年始の人がいない東京が好きなんですよね」と言って、そうか、コロナ禍でもう正月に実家帰る人も減っちゃってるのかもしれない、時代遅れなことをいってしまったかも、と思ったのだが、まだ有効だったようだ。もっとも、人が少ない東京、というのは都心のことを指していたはずだったけど。

実家に顔を出す。年齢を重ねるごとに、自分の貯金のなさや、税金の支払いに苦悶し、俺の人生とは、と考えるのだけど、父は若くして家を建てた……俺に、俺の芸術にそれだけの甲斐性があったら、と人知れず嘆く。

 

7日

ドラァグ・クイーンのショウ、オピュランスを観にZepp Diver Cityへ。コロナ禍において私を救ってくれたもののひとつが「ル・ポールのドラァグ・レース」だ。私の抱える(べき)芸術を見つめなおすきっかけにもなったし、大いに影響を受けた。日本では新シーズンすらまともに見られなくなってしまったけれど、それでも4人のクイーンが来日してショウを披露する、というのでウキウキと向かった。最後にZeppに来たのは2019年のTeenage Fanclubだった、ということも思い出す。オピュランスはエネルギーの塊のような場で、きらびやかな世界だった。

 

9日

母と映画を見に行く妻を吉祥寺まで送ってココナッツに顔を出す。金剛地さんに教えてもらったツィッギー主演のミュージカル映画、「ボーイ・フレンド」のサウンドトラックを見つける。新年早々縁起がいいわね。海外の方がクラスターの超かっこいいジャケットのやつを試聴させてもらったあと、元々お店でかけてたスティーヴィー・ワンダー、それも「イン・スクエア・サークル」!に戻った時、海外の方が「クラスターからスティーヴィーなんて繋ぎ、聴いたことないネ」と言っていた笑ってしまった。店を出て吉祥寺の裏道を歩く。廃屋になった一軒家の庭に見事に寒椿が咲いている。それだけなのに心に穴が空いたような気持ちになってしまう。

 

 

地下鉄状

年内、28日までぎっちり入っていたはずの仕事が徐々になくなっていく。ある仕事は先方がコロナにかかってしまったため、ある仕事はひとつ前のやり取りで完結したため。そういうわけであらゆる仕事が少しずつ落ち着いてきて、あまりにも汚すぎる部屋のことを除けば調子はいい。『SONGS』のリリースの間、聴けなかったレコードやCDを聴きながら考え事をしている。松永良平さんに教えてもらったジョン・ブライオンのソロ・アルバムはないちゃいそうになるぐらい最高だった。その勢いで年内積んでいたレコードをいくつも聴いて盤起こしをしていった。ストレスとある程度潤沢な時間が1/6放送のNICE POP RADIOを特別なものにしてくれました。お楽しみに。

 

29日の深夜、モナレコードでうすやまさんのDJパーティ「涙」でDJ。長谷さん、哲人さん、関さんという音楽に愛された人々の選曲を楽しんだ。私のDJもとても楽しかった。大きい音で聴きたい音楽をたくさん聴けた。朝5時の手前、うすやまクラシックでもある「帰れない二人」の「東京上空いらっしゃいませ」ヴァージョンが明け方のモナレコードに響き渡ると眠たいはずのフロアに活気が戻り、多くの人がDJブースに詰めかけた。この景色だ。35にして酒も煙草もコーヒーもたしなめない大人になってしまったけれど、シラフで音楽の効力がねじまがったり、はね飛んだりする瞬間を知ることができた。

 

べろべろに酔った友人が「あのタモリが新しい戦前っていうなんて、モウロクしちまったよ」と言っていて、なるほど、永遠のオルタナティヴ、タモリが今暮らしているなら誰もが感じているはずのことをわざわざ言う、みなまでいうな、粋じゃないね、ということなのだろう、と一度頷いた。別の友人にその話をすると「いや、それをちゃんとテレビで言うのが」と返され、たしかに、と頷いた。

 

去年の年明けにある番組を見て、ずーっとムカついていた。その番組は大好きな芸人をパネラーに迎えたフェイクドキュメンタリーなんだけど、とにかく作りが粗く、ショッキングに見せたいものだけが不必要に浮かび上がる形になっていて、その前後やカメラがそこに在る意味などがなおざりになっていてフェイクドキュメンタリーの中の登場人物にも、それを見てるパネラーにも、彼らを撮っているカメラにすら気持ちが入っていかなく、ただただイラつくばかりだった。そうして友人に会うたび「観た?」と訊いては悪態をついていたのだ。そのテレビ番組を作ったディレクターが、年明けのNHKの特番で「吐き気を催す番組を作りたい」「嫌な気持ちにさせたい」と話されていて、なるほど、と頷いた。

 

 

ジュース概論

PUNPEEさんのライヴで大阪に向かう。ついでにプロモーションも組んでもらった。おれはまだまだ「SONGS」を聴いてほしいんだ。はじめて行くベイサイドのZeppはとても広い会場で、通された楽屋は運河に面していて大きな観覧車が見えた。隣には大きな立体駐車場があるのだけど、全く車は停まっていない。週末になるとUSJのお客さんたちの車であふれるのだろう。ライヴは最高だった。PUNPEEさんとライヴをすると本当に最高なんだけど、自分もこれぐらい大きい規模のライヴができるようになるのだろうか、と考え込んでしまう。俺はもっと頑張りたい、と楽屋で社長とそういうアツめの話をした。

 

Spotifyはプレイリストに入ると律儀にメールをくれる。新しく届いたのでどんなプレイリストなのかな〜〜〜って見に行ってみると「歌うJ-Rock」というプレイリストだった。プレイリストを見に行ってみると「Spotifyの新機能シンガロングを使って、みんなでロック!(歌詞ページ左下の🎤ボタンを押してシンガロング機能をお楽しみください)」と書いてあり、実際に🎤のボタンを押すと不自然にヴォーカルが奥に引っ込んだ。我々ががんばって納品したデータが🎤ボタンひとつ押すだけで不自然にヴォーカルが奥に引っ込む。我々は🎤ボタンを押して不自然にヴォーカルが奥に引っ込むために納品したわけじゃないのに……むごすぎる……

 

胃のあたりの不調の定期検診。3月ぐらいからずっと痛く、消化器科にかかり定期的にいろいろ検査を受けている。11/4のナイポレの生放送の裏で痛みがひどくなり「終わった……」と内科にかけこみ、9月の血液検査を見てもらったりいくつかの検査を経て、なんともない、とわかり安心しながらもなんだそれは……となっている。それ以降、症状は落ち着いていて、じんわり違和感がある程度になった。3ヶ月ぶりの採血はなんと一発成功。症状も落ち着いているので通院の期間もちょっと間を空けることになった。

 

スカートのワンマン。4年前にやった全体を俯瞰するようなライヴの続編のようなライヴ。セットリストは大いに悩んだのだけど、1曲目を「ひみつ」にする、となってからはわりとすんなり決まった。せっかくの椅子席でのライヴだったから多少は曲順がボコッとしてもいいだろう、ライヴハウスだったらやれないような似たようなテンポの曲が続くような場所があってもオッケー、などと考えた結果、そういうセットリストになった。自信のあるアルバムのリリースのあとだったからチケットのソールドアウトも期待したのだけど、あと僅かでソールドアウトにはならなかった。昔だったら「いつもどおりじゃん〜」で終わるのだけど、大阪でのアツい会話のあとだったから「ああいうことができたかもしれない」「こういう見せ方を宣伝の段階でできていたら違ったのかもしれない」などと思いを巡らせる。内容は受難の2022年を薙ぎ払うような上々のライヴになった。いくつもハイライトがあったように思えるし、「SONGS」が出た直後にこういう選曲のライヴができたということは大きな意味がある。

 

数ヶ月前、大家に部屋が手狭になってきた、引っ越すこともありえるかもしれない、と素直に告げていたら、となりの部屋が空いたという。「ベランダのパーテーションなんて取っ払っちゃっていいから借りちゃったら」というので借りることにした。2DKの1DKを友人に貸してシェアハウスという形を取った。11月から少しずつ隣の部屋に荷物を運んでいたのだが、すっかり寒くなり外に出るのも億劫になってしまった。中途半端に解体された部屋に積まれた書籍類レコード類が行く手を阻む12月。

 

ムーンライダーズのリハーサル。「便利な発電所と温和な労働者」を演奏しているときにくじらさんが「なんでこんなに難しい曲にしちゃったんだ」と笑っていたのだが、その数時間後には「鬼火」のアウトロに9/8の拍子をくっつけることになっていた。優介がよく言うんだけど「誰も楽をしようとしていない」が加速していて最高。本番は当日売り出されるポスターがあまりに最高で2枚買った。一生部屋に飾っていたい。

ミッドナイトだ それ集まれ

某日

ナイポレの収録。テーマは酒。選曲は最初はお酒について歌った曲を中心に集めていたのだが、なんだか行き詰まりを感じて別の路線に切り替えた。お酒を飲みながら聴いたらいいだろうな、という路線。より曖昧になって話すこともまとまらなくなり、いざ収録となった際、下戸でありすぎるがゆえに酒をテーマにした話が全く思いつかず気が遠くなった。まごついてしまう瞬間が何度もあり、シンプルに「終わった」と思っていたのだが大和さんがうまいこと編集してくれて、OA上は「酒について話すことないんだなこの人」ぐらいになっていたので助かった。

 

某日

何日か前に吉田豪さんがRTしたHanada編集長と斎藤貴男氏の対談を読んだ。それが何日も何日も尾を引いた。「そもそも、容疑者の恨みというのは何なのか。母の高額献金で家庭が壊れたのはもう20年前もことですよ。」と花田氏が言っているのを見て目の前が暗くなったのだ。安倍さんが「こんな人達に負けるわけにはいかない」と言ったことも頭をかすめた。今の居心地の悪さはなんなんだろう。学生の頃の居心地の悪さではないのだ。非常階段に座ってガラスの仮面を読むことでどうにか(ならなかったが)しようとしたときとは少しちがう。俺は俺の居心地の悪さを表現する言葉が態度が見つからない。

 

14日

車で福井に向けて出発する。福井はあまりにも遠く、何度か今の自分を疑った。ハードな移動があるたびに「スカートがもっと売れていたら」と嘆く。髷結ってふんどし締めてテレキャス持つしかないのか。そうしたら半年後には武道館が埋まるかもしれない。新作が出来上がってすぐだからナーヴァスにもなるのだ。私には重い空気がのしかかっていたが、静岡のサーヴィスエリアで佐久間さんがミニ四駆買っているのを見て気持ちが晴れた。もっと頑張ろう、と思えた。8時間近くかかってたどり着いてコンビニ飯を腹に沈めて就寝。

 

15日

福井でライヴ。会場に向かう田舎道の中をナンバーなし、ノーヘルのスクーターが駆けて行った。ヴァイオレンス・シティである。ボーイ不参加のこの日は、サウンドチェックでステージにあがった瞬間、行程と似て、ハードな環境のライヴになる、と確信して頭をハードモードに切り替えた。どういうことかと説明すると、各楽器のバランスを取りながらモニターできるライヴにはならない、ということだ。狭くないステージのはずなのに気持ちはo-nestで演奏していた8年ぐらい前のそれになっていて、ハードでタフかつスウィートにセットリストを駆け抜けた。やりきった。やりきったのだが何故か手応えがない。演奏もよかったはずだ。それなのに何かやりきれなさがある。どういうわけだ。そうか、帰り道もハードだからか。福井を少し過ぎたあたりの高速道路は夜の7時なのに深夜2時のような静けさだった。なんとかみんなの終電の前に東京に着くことができた。

 

某日

弾き語り盤のミックスを進める。「トワイライトひとりぼっち」とはちがう生々しさにしたい、とリヴァーブの類いはかけなかった。ミックスした音をゲームをしながら聴いたり、PCの画面に張り付いて聴いたりしてフェーダーを上げたり下げたりした。なんとか仕上がるが、迷いもあり、ヴォーカル0.5db下げのヴァージョンも作ってマスタリングに持っていく。タイトルは土壇場で「SING A SONGS」に変えてもらった。ミックスしているときに突然気がついたのだ。これは「SING A SONGS」じゃん、と。

 

20日

弾き語り盤のマスタリング。小鐡さんに自分の部屋で録音したものをマスタリングしてもらうというのは贅沢なんだけど、贅沢すぎて申し訳なくもなる。小鐡さんのスタジオのムジークが鳴るその瞬間まで落ち着かなかった。小鐡さんの手腕もあって、自分でも納得いくものができた。マスタリングの合間に昔の話もいくつかうかがったりした。当時のカッティングの話が主だった。ミックスは2曲だけ-0.5dbのものを使った。

マスタリングを8曲目まで終えて家に帰る。そのままNICE POP RADIOの収録。一度別のテーマで進めていたのだが、自分のなかでうまくまとまらず、収録の2日前に大和さんに泣きついて他のテーマにしてもらった。ずっと暖めていた秘蔵のテーマ、ブロッサム・ディアリーと3人のミュージシャン。サイ・コールマン、デイヴ・フリッシュバーグ、ボブ・ドロウの特集。途中、曲が良すぎて泣いてしまった。

Eleanor: If There Were More People Like You (From "Eleanor") - song and lyrics by Cy Coleman | Spotify

「エレノア」というミュージカルの主題歌になるはずの曲だったが、ミュージカルの制作自体が頓挫してしまったそうだ。他のいくつかの曲はその後の別の作品に転用されていったそうだが、この曲は次のミュージカル「シーソー」の試演会で演奏されて、カットされてしまったらしい。こんなに美しい曲あるかね。

 

21日

弾き語り盤、マスタリング2日目。やった〜!いい仕上がり。絶対聴いてくれ!!!

 

22日

久しぶりの仙台遠征。仙台につくなりレコードライブラリーを目指す。久しぶりだったけどお店が相変わらずで本当に嬉しい。ジャズは買わず、ゲイリー・マクファーランド男闘呼組のEPを買った。いかれてると私も思う。でも「TIME ZONE」のステッカー付きをはじめ、ノヴェルティがついているのがいくらかあったからまとめて買わないわけにはいかなかった。本当にいかれてると思う。短い滞在時間でレコードライブラリーを後にして、PARCO2の屋上でカクバリズムの20周年イヴェント。わたしは弾き語りとDJでの参加。弾き語りが特にうまく行った。ギターの音も歌声も一直線に飛んでいく気持ちよさがあった。直前の告知にも関わらずたくさんお客さんが集まってくれたこともあって、久しぶりに「人前に立てた」という気持ちになれた。一度硬くなった心が柔らかくなったのを感じる。ライヴが終わった後、オノマトペ大臣も見に来てくれてDJを聴いてくれた。萩の月のお土産まで頂いて「結局これが一番トべるんですよね」と伝えた。XTALさんのDJも最高で、Princeの"POP LIFE"をかけててその素晴らしさにぐっとくる。あまりにも歪んだ音像の最高のポップ・ミュージック。2日後に開催されたTerminal JiveでのDJで見事にパクった。その後、モーリスさん、XTALさん、OYAT増田くんと話せたのが嬉しかった。モーリスさんは買ったレコードの袋から透けるレコードを見て「ゲイリー・マクファーランド!?」って反応してくれた。素敵な日だ。この日は社長に無理を言って仙台に留まる。夕食を摂ろうとGoogleマップに星付きで保存されていた牛タン屋に行ってみると長蛇の列だった。近くに支店があるというのでそちらも覗いてみたが、そちらも長蛇の列。何もかもいやになり、諦め、そこでお弁当を買ってホテルで虚しく食べる。確かにうまいのだが決して満たされない何かが横たわっていた。部屋でゴロゴロしてコンビニに向かったのだがその道中、ゲロ踏んですっ転んだ。34年生きてきて初めての経験だった。靴とジーンズが少し汚れてしまった。きっとレコードライブラリーで男闘呼組を邪な気持ちでまとめ買いしたバチが当たったのだ。ホテルの部屋に帰り、泣きながら汚れてしまった部分を洗う。俺は仙台でなにしているんだ。

 

23日

洗ったはいいものの気持ちにケチがついたため大きいサイズの洋服を売っている店を探してズボンを買いにいくことにした。その道中、昨晩増田くんから聞いたそば屋に行こうと思ったのだが日曜日は定休日。さらに心が沈むが仙台の街を歩いていて森雅之さんの「ブレイクファースト」とという大好きな漫画を思い出してもいた。「ああ!美しい十月」。(正しい表記は友達に貸してしまっていてわからないのだけど)あの素晴らしい短編を頭の中でなぞる。気持ちのいい朝であることは間違いないようだ。途中、別の店でそばをすすったりして、店を目指した。昔ライヴをやったライヴハウスの楽屋から見えた落書きを訪ねたりしていたらホテルのチェックアウトも近づいてしまっていたので裾上げはあとでまた取りに来ることにした。計画性がないのだ。

ホテルに戻り、荷造りをしてほぼ定刻通りにホテルを出る。そこから歩いてJ&BでレコードとCDを数枚買う。ズボンを無事に受け取り、履き替え、ディスクノートに行こうとしたら突然の大雨。歩いていくつもりだったのだが慌ててタクシーに飛び乗った。雨はひどくなる一方だったのに突然止み、無事ディスクノートにたどり着けた。ハンガリーのジャズ・ピアニストのアルバムと、なぜかなかなか出会えなかったデューク・エリントンの「女王組曲」が買えた。バスに乗り、妻にお土産を買って東京に戻った。帰りの新幹線でトンネルがずっと続く。抜けたと思ったらまたトンネル。なぜかそれが心に残っている。

 

24日

昼間、夜にあるDJイヴェントのためにレコードを選ぶ。そのまま選びきれたら、よかったのだが時間が来てしまった。夕方、某所へ向かう。細野晴臣さんのプログラム、Daisy Holiday!の収録のためだ。カクバリズム20周年の一環で社長と一緒に出演。細野さんの音楽を聴いて人生が狂った、と言っても過言ではないのでこうやってご一緒できるのが本当に嬉しい。ミラクルライトで存在を知って、確か5年か6年のときに新しく入ってきた図工の滝沢先生に「好きな音楽はなんですか?」と訊いたら「YMOだな〜」と教えてくれたことをきっかけに興味が出て母にその話をしたら、家にレコードならある、しかしプレイヤーがない、という。すると父がレコードプレイヤーを買ってきてくれて、晴れて私の人生はめちゃくちゃになったのです。放送では緊張もあって変な言い方をしてしまったような気もするが、はじめて「泰安洋行」を聴いた後に学校行ったときの階段の感じとかを強烈に覚えているのだ。改めて記憶を整理してみると、その階段の先には図工室があった。滝沢先生にその衝撃を伝えたりしたのだろうか。思い出せない。それでも今でも私の記憶に残っているのは図工準備室で聴いた「omni sight Seeing」と「Medicine Compilation」だ。特に「Medicine Compilation」は「怖い」と思った。でも「泰安洋行」をはじめて聴いたときも「怖い」とまではいかなかったがそれに近い何かを思ったはずだ。その細野さんと話している不思議。長く続けるもんだ。

一度家に帰り、またレコードを選ぶ、という効率の悪すぎる方法でなんとかレコードを選んで小里さん主催のDJイヴェントTerminal JiveでDJ。さっきのさっきだったから細野さん関係のレコードを何枚か忍ばせた。

 

 

パラレル風呂

9/19-22

ライヴは延期になってしまったのだが、もともと参加できないはずだったムーンライダーズのリハーサルの初日から参加できることになった。頭が働かないような日に仕事が入ったのは不幸中の幸いと言えるだろう。このまま部屋に居たらやりきれなさが募ってしまっていたはずだ。今回のライヴはレコ発ライヴ。そのアルバムからほとんどの曲を演奏するという攻めたライヴだ。僕自身、いつものリハーサルより悪戦苦闘するが、いつものライヴのように流れの中に身を任せるしかない。本番当日のリハーサルまで毎日進化していった。今回は岡田さんが不参加だったので、LINEを送ると「留守の間は頼むね!」と返信が来る。普段だと行き帰りはセットリストをプレイリストにして、それを聴いたり、リハーサルの音源を繰り返し聴くのだけど、それらは家の作業に回して、車の中だけはムーンライダーズを全曲シャッフルにして聴いていた。その方が練習になる気が何故かしたのだ。そして旧曲に混ざって時々「It's the moooonriders」の曲がかかる。その立ち姿を見極められたら嬉しい。

リハーサルの帰り道に優介と「9月の海はクラゲの海」について語り合う。比較的そういう話はめちゃくちゃするほうだと思うけど、なんだか学生の頃を少し思い出していた。

リハーサルが終わってはロイヤルホストに向かい詩を書いた。蓮見くんから送ってもらった資料を読みながら、時々漫画を読みながら作業をする。鼻先の人参としてのおいしい食事を摂る。この1週間で私はロイヤルホストに2万は遣った。そうしないと救われない魂や物語があるのだ。

 

9/23

書き上がった詩を手に新大久保のフリーダム・スタジオで歌入れ。はじめてのスタジオ。あの『フリーダムのピチカート・ファイヴ』のフリーダム・スタジオだ。今回録音で入ったのは3Fのブースがひとつあるスタジオだった。思ったより時間はかからず終わったのだが、それには理由がある。どちらの曲も2分ない曲だったからだ。

終わってひどい雨だったが一芳に行く。かつては大行列を誇ったタピオカドリンクの専門店だ。新宿にも渋谷にも吉祥寺にもあったがコロナ禍とブームの終焉により店舗は激減。現在は大久保と浅草にしかないようだ。ひさしぶりに飲めて気分が晴れる。歌入れが全曲終わった開放感もあるかもしれない。

 

9/24

ムーンライダーズのレコ発ライヴ。楽屋に入ると良明さんが譜面を広げて博文さんやくじらさんと意見を出し合っていた。はじめての人見記念講堂は広く、残響が多く、決してやりやすい環境ではなかったが、「S.A.D」でくじらさんが爆発しているのを見て、本当に嬉しくなった。あとで配信の動画を見せていただいたのだが、まさにその瞬間がカメラに抜かれていてこんな顔していたのか、と驚く。ライヴは緞帳が降り、客出しの最中もインプロヴィゼーションが続いて、再び緞帳があがると空っぽの客席があった。言葉にできない感動があった。(通常、ライヴはお客さんがいるところに我々が入り、お客さんに見送られて帰っていく。事前のリハーサルもあるし、ことが済んだら片付けなどをしにまたステージに戻るから)空っぽの客席に感動したわけではない。楽器を持ったまま緞帳があがり、誰もいないが熱を残した客席のように見えてとても異質なものに感じたのだ。

 

9/25

昼、NICE POP RADIOの収録。とんでもないスケジュールの中、選曲はうまくまとまったのだが、あとで放送を聴いたらなんかえへらえへらしてる自分がいて改めよう、と心に強く刻んだ。

夜は神田明神ホールにSouth Penguin×街裏ぴんく×進行方向別通行区分のスリーマンを観に行く。すごいライヴだった。見たことない景色だった。あとで調べたら進行のライヴを観に行くのは6年ぶりとかだったみたいだ。失礼な話、もう少し懐メロっぽく聞こえてしまうんじゃないか、って思っていた部分もあったんだけど、まったくそんなことなかった。異端でありポップ。

帰り道にアナーキー吉田氏と遭遇。ジョニー大蔵大臣は怪我のため来れなかったそうだ。10/9のワンマンライヴの成功を神田明神に祈願した。

 

9/26

最後のダビングで管楽器に登場していただく。詳しくかけないけど超いいっす。共同でアレンジ考えてくれていた方も大変喜んでくれていたはず!テープ操作のエフェクトを1曲録音して、そのままスタジオに残り、エンジニアを加瀬さんに変わってもらってもう1曲、ダウ90000のオープニングを録音。葛西さんはそのまま葛西さんの作業場に向かいミックスを始めてもらう。

 

9/27

ラジオ収録。国葬による混雑を予想して30分はやく家を出た。10分早く着いた。どうしてこんなことに。収録は無事に終わる。肝いりというと変だけど、気合い入れた回の収録でもあった。10/15放送のGOODYEAR MUSIC AIRSHIPは「シティポップ番外地」と第してお届けします。うまく話せているといいんだけど。そこから神保町で打ち合わせのため神保町に向かう。レコード屋を見たり、うどんを食べたりしていると打ち合わせが神保町じゃなくて麹町だと気がついた。慌てて車に乗り込む。ナビが九段下の方にいけ、というので面白半分の気持ちで向かう。警備がものものしくショックを受ける。どうしてこうなっているのか本当に意味がわからない。ちょっと遅刻してしまう。打ち合わせも快調に進む。

 

9/28,29

葛西さんのスタジオでミックスに立ち会う。あ〜でもない、こ〜でもないと口を出しながら、自分の理想のものになっていく。ぎりのぎりまで粘りながらいい落とし所を探ってもらう。「この音の質感がナントカでこのギターのXXkhzあたりを1.2dbぐらい下げようか〜〜」とか言えたらいいんだけど、「ここ、もうちょっとなんというか、柔らかい感じになりませんかね」とか言うから情けない気持ちになる。

 

9/30

NICE POP RADIO収録を閉店後のココナッツディスク吉祥寺店で敢行。全ての機材を広げたところでUSBのケーブルがないと気づき慌てて家に取りに帰る。矢島さんとディレクターY氏を待たせる展開に泣きそうになりながらもう一度吉祥寺通りから井ノ頭通りを右折しようとした瞬間、奥に「一芳」の看板が見えた。吉祥寺に一芳が帰ってきた。うれしいのだけど現実である自信がなくて泣きそうになった。もう離さない。

ナイポレの収録はとても楽しかった。いくらでもこうやって話せそう。ココ吉に来たのは、中3だったかの頃、エチケットレコーディングのコンピを取り置きしてもらったのが最初だったはずだ。その時は高島平の自宅から成増までバスに乗り、成増からまた吉祥寺へバスで向かった。これまで乗ってきたバスは大通りを行くものばかりだったから、上石神井の駅前の通りが狭すぎて衝撃を受けたことを今でも覚えている。実家を出て最初にその街に住むことになったのだからなんとも奇妙だ。そうして私は当時まだそんなに店舗数がなかったグラニフでTシャツを買い、取り置きしていたCDを買い、テクノデリックのLPを500円で買った。グラニフはかつてanvilのボディにプリントされていて、大柄な私でも入るサイズがあったのだが、大学に入ったあたりで自分の成長を止められなかったことと、ボディが変わってしまったことが原因で買わなくなってしまった。段々と世界から弾かれていく、そういうことを実感したいくつものうちのひとつだ。

 

10/1-2

ミックスチェック。全曲終わってホッとする。家に帰ってもう一度聴いてみると、途端にそれまで気になってこなかったノイズとかが気になりだす。バランスを見直したくなる。葛西さんに泣きついて翌朝、次の仕事が始まるまで時間を頂いて処理してもらうことになった。

 

10/3

チェックしていくと全部で8曲も直しがあった。泣きそうになりながらも根気強く葛西さんが対応してくれてなんとかなった。が、数曲翌日に持ち越し。

 

10/4

13時のマスタリング開始ギリギリまで葛西さんのスタジオで粘る。粘った結果、取れないと思っていたノイズの原因が解明。少し遅刻してマスタリングスタジオに着いた。事前に送ってくれていたデータを元に1曲目のチェックが早速開始される。小鐡さんのスタジオは本当に音がいい。ミックスの音源をまず聴いて、そこから小鐡さんが化粧してくれた音に切り替える。ミックスの表情を尊重しながら新しい面を引き出してくれる。マスタリングは個人的にはメロンを桐の箱にいれる作業だと思っている。学生の頃になんとなくそう思って、そのまま来てしまったのだが、どうやら大きく間違ってはいないようだ。ときどきメロンを切って皿に盛ることがマスタリングだと思っている人もいるようだが、小鐡さんのマスタリングは学生の頃に思い描いていたそれだった。後はメロンを受け取った人が冷やしたり、スプーンでくり抜くなりなんなりすればいい。8曲目までやってその日の作業は終了。

 

10/5

マスタリング2日目。全曲の調整が終わり、通しで聴いて確認していく。1箇所だけ曲間の見直しが入ったが、他は全く問題なくまたいいアルバムが仕上がった。スランプだったし、もっと苦悶したようなみっともないアルバムになったかもしれないけれども、そうはならなかった。トワイライトの延長みたいなアルバムになっちゃうかもなって心配していたけれど、そうはならなかった。でもどうしてそうならなかったのかがまだわからない。出来上がるまでも何度も何度も聴いたアルバムになった。毎度のことだけど、出来上がっても何度も何度も聴いている。

 

10/6

医者にかかる。血液検査の結果も比較的良好だった。診察を終えて、荻窪のルミネの地下で昼食を漁ったのだが、なんかテンションあがらず吉祥寺に向かった。道中できあがったばかりのアルバムをイヤフォンで聴く。久しぶりに電車に乗る気がする。窓の外を眺めると、等間隔に並ぶ送電塔がくもり空に消えていく。いいアルバム。妻のリクエストでバインミーを買って帰った。

夜はダウ90000を観に行く。書きかけの台本を送ってもらって詩やオープニングを書いたから、文字で見ていた言葉がこうやって形づいていくのか、と興奮した。最終的には決定稿も送ってもらっていたのだけど、詩も完成させた後だったので、なんとか自制をかけ、決定稿を読まずに当日を迎えられた。ファンとしてはドキドキしながら物語の終わりを待つのだが、クレジットされている身分からすると、その後の展開から考えたら書いた曲が合っていなかったらどうしよう、とヒヤヒヤしていたのもまた事実だったが、どうやら杞憂に終わって最高に晴れ晴れした気持ちでシアタートップスを後にすることができた。11/1から配信開始です。エンディングテーマのギターソロはシンリズムくんに弾いてもらっています。

【動画配信】ダウ90000「いちおう捨てるけどとっておく」 | ぴあエンタメ情報

 

10/7

初回盤につく弾き語りを少しずつ録音していく。いろいろ試す。2時間ぐらいみっちりやったら疲れてしまった。

 

10/11

夜、渋谷のWWWXに出かける。アントニオ・ロウレイロとハファエル・マルチニのデュオと長谷川白紙くんのライヴを観に行くためだ。部屋を出て、耳栓を持ってないことに気がついて戻る。白紙くんのライヴは音が大きいかもしれないから念のため。そうしてまた部屋を出て、廊下を歩いているときに突然(電車の中で「SONGS」聴きてえ……)と思い、また戻り、イヤフォンを手に持って家を出た。夜の上りの電車は空いているから最高なのにこの日は少し混んでいた。景色がぼやけていて、そういう景色に「SONGS」はとても気分良くハマった。渋谷の駅で降りるなんていつぶりだろうか。昔みたいな渋谷を歩き、WWWXの階段をヒーヒー言いながら登っていく。当日券を買い求め、会場に入るとすでに結構人が入っていた。葛西さんにもばったり会えた。ダウ90000の公演を見た葛西さんとほんの少しだけ「よかったよね!」と交わしあった。フロアーに向かい、こういう時間を持て余しているときはどうやって過ごしていただろうか、と心細くなる。白紙くんのライヴは最高だった。queさんがアニメーションを制作している花譜さんの「蕾と雷」を作者である白紙くんが歌っていてぐっと来た。

【組曲】花譜×長谷川白紙 #98「蕾に雷」【オリジナルMV】 - YouTube

発表されたときは少しだけ意外にも思えていた組み合わせだったけど、なるほど三途の川の対岸にミナスが広がるようなライヴだった。ロウレイロとマルティニのライヴは極上だった。特に3曲目があまりに素晴らしく、物販で「3曲目って……どのアルバムに入っていますか……」って訊きそうになったのだけど、訊いたところでわからないだろう、シャイボーイが顔をだして結局マルティニのアルバムを3枚買うことになった。後悔はもちろんない。(家に帰ってアルバム聴いたけど多分入っていなかった……)

 

8月と9月

8/6

ライヴの予定だったがなくなってしまった。療養から明けてすぐ、喘息がひどくなり、あまりまともに歌えない気がしていたから本当のことをいうとちょっとだけ安心してしまった。

 

8/7

自宅療養期間中、すこしずつ進めていた部屋の掃除の成果がなんとか出る。CREAの取材で本棚を見せてほしい、というものだ。なるべく細かく本棚を確認して、写ると問題がありそうなエロ本のたぐいは裏返しにする、などの対策を取った。編集部さんが手みあげをくれてたが、妻とのふたりじゃ食べ切れそうになかったのでそれぞれの実家にいくつか持っていくことにした。

 

8/9

朝から夜にかけて某撮影。それが終わってからレコーディングに向かった。「架空の帰り道」の録音。もともとは7月中に録音するはずだったのだが、コロナ感染のため延期を余儀なくされ、なんとか都合があう日を見つけたらここしかなかったのだ。信じられないほどの疲労感の中、もともとは歌まで録るという話だったのだが、無理だ、と、葛西さんと旧知の仲であり、スカートも何度か録ってもらっている加瀬さんを翌日に呼ぶことに成功。それでも終わった頃にはもちろん日付が変わっていたような記憶がある。

 

8/11

無事納品。

 

8/19

スパークスを観にソニックマニアへ行く。素晴らしい演奏と歌唱にクラッとする。

 

8/25,26

レコーディング。Demo1とDemo2ともう1曲。手練たちの演奏によりベーシックがサクサク進んだのでもともと2日に分けて録るはずだったが、1日で終われた。翌日はボーイを呼んでパーカッションのダビングやギターのダビングをする。

 

8/27

Aマッソの単独を観に行った。ほぼ同年代のAマッソが毎年単独をやってくれていることは私にとって大きな励みになっている。

 

8/某日

後藤輝基LIVEマカロワのリハーサルが後藤さん不在で始まる。瞬間瞬間が刺激的で、同期でライヴやるのすらはじめてだったけどこんなに有機的なものだったということすら知らなかった。いつもと違うメンバーでスカートの楽曲を演奏しているのも不思議な気分だった。初日は下準備にくわえて朝からシティポップのラジオの収録があったため終わりの方にはうつらうつらしてしまって申し訳なかった。

 

9/某日

アルバムジャケットのイラストレーターの方と打ち合わせ。いつものアルバムとは少し毛色や成り立ちが違うから好きな漫画家さんに頼みました〜だと事故が起きそうな気がして、森さんと打ち合わせしながらどの方がいいか決めた。森さんが大量に用意してくれた近年のイラストレーションの雑誌を眺めながら決めた方。絶対いいものになる。しかしこの段階でまだタイトルが決まっていないため、モヤッとした打ち合わせにはなってしまった。

 

9/某日

歌入れに間に合わすために1曲歌詞を書き上げなければならないので職場であるロイヤルホストへ向かう。パラティーを飲みながら古いアフタヌーンの漫画をいくつか読む。鬼頭莫宏さんのヴァンデミエールの翼を読んだ。久しぶりに再読したからとんでもない気持ちになれたのは言うまでもないんだけど、裏表紙に書いてあった定価が480円で驚いた。えっ、じゃあラブロマは?神戸在住は?とか年代順に見ていったんだけど熊倉献さんの「春と盆暗」の裏表紙を見たら定価が書いてないものだった。なんとも言えない喪失感が胸に残った。

 

9/4

トーベヤンソン・ニューヨークで集合写真を撮ろう、ということになった。NO MUSIC, NO LIFEの平間至さんの写真館での撮影。三宿は駐車場が全然なく、やや遅刻してた分、さらにそこに上乗せさせられることになった。平間さんとは初めてお会いするのだけれど、「It's The Moooonriders」の写真を撮られたのも平間さんだったとご挨拶をさせていただいて初めて気づくという無礼をぶっこく。みんなに雑談目当てじゃなく集まるのはとても久しぶりで楽しかった。撮影は順調。平間さんは不思議な音楽に造詣が深く、まったく聴いたこともない珍妙な音楽をいくつか紹介してくれた。

残ったメンバーの何人かに「SONGS」というアルバムタイトルはどう思う?と訊いたら「(そりゃSONGSはチラつくけど)いいと思うよ」と背中を押され、正式決定。

 

9/5

アルバムが加速度を増す。ジャケットの打ち合わせも済んだ。全12曲で組んだ曲順を提出したりするのだが、いろいろあって「もう1曲いる」という判断が自分の中で下る。俺はやるしかないのよ。

 

9/7

後藤さんのライヴのために前乗り。本当は当日朝に出る予定だったのだけど、後藤さんのコロナ療養があけるのが当日だったため、早めに入ってリハーサルの時間を多く割こう、そのためには前乗り出来る人は前乗りすることになったのだ。久しぶりの大阪、少し気合が入り、昼過ぎぐらいに到着。レコード屋をいくつか見るつもりでなんばまで行ったのだが、目当ての店の2つは定休日だった。愚者。近くを検索すると何軒かレコード屋があったので覗いてみると、少年隊のステッカーを購入することができた。晩ごはんに行こうと思っていたお店もほとんど閉まっていてなにかを呪ってしまう。やけになって地下街にあった中華料理屋で夕食。俯瞰で見るような寂しい夕食だった。

 

9/8

ライヴ当日。Kyutaroでうどんをひっかけてから向かう。宿に戻り楽器を担いでビルボードに向かうのだが、なかなかたどり着けなかった。なぜか知らない街の知らないライヴハウスということを忘れていたのだった。リハーサルの開始時間も早まり、ツーステージ。ハードな一日を覚悟したのだが、後藤さんを交えたリハーサルがなんと一回でキマる。プロフェッショナルを間近に浴びたような気がした。一瞬一瞬があまりにもスペシャル。ちょうどできたての藤井隆さんの「Music Restaurant Royal Host」もご恵投いただく。楽屋でメンバー全員でそのあまりにもなクオリティに驚き、私はクレジットされていた東郷清丸にそっと嫉妬するのであった。

 

9/9

ふたたびKyutaroでうどんをひっかけ、ToToToRecordに向かう。「ワッショイ -最後の楽園-」という謎の7インチを購入。家に帰って聴いたのだが、本当によくわからなかった。なんで買ったのかがわからない。わからなくなりたかったのだろうか。

東京に戻り、ダウ90000の蓮見さんと打ち合わせ。打ち合わせといってもファミレスだったので雑談が中心。いいもの作るぞ、と気持ちを新たにして、スケジュールのヤバさを再確認して身体じゅうの何かが爆散。

 

9/10

歌入れ。入ったスタジオの下の階が焼肉屋で「絶対ここで晩飯を食うんだ」を合言葉に録音を開始。進行状況は悪くはなかったのだが、60分したら店出る、とかそういう条件つけないとのうのうと焼き肉は食えないかもしれない、という結論に一度なりかけたのだが、後から合流したスタッフが「60分とか時間決めたら大丈夫でしょう」というので悪魔の気持ちで階段を朗々と駆け下りた。ところが無慈悲にも「満席」。そうだった土曜日だった。落胆する我々に葛西さんが提案してくれたのが「かっぱ」というもつ煮込みしか出してない店だった。そしてそこの白米が異常なうまさで確実にいままで食ってきた白米の中でも相当上位のものだった。結果的に極上の気分にたどり着いた我々は2曲分の歌入れを完了し、私は私で歌テイクを選んでもらっている時間に悶ながらも新曲を一曲、いい形に持っていけそうなモチーフをかきあげた。

 

9/11

夕方のナイポレの収録に向けて準備をいろいろする。サニーデイ・サービス特集。収録を無事終え、ひと眠りしてリハーサルスタジオに昨日のモチーフを発展させに行こうとしたのだが、布団に入ったところで「逆に今行ったらいいんじゃねえの」と気づき、もそもそと部屋を出る。数時間の作業で完成。落ち着かないビート感を持ったいい曲ができた。

 

9/12

映画「アザー・ミュージック」の上映後トークに呼ばれる。スケジュール的には断った方が絶対よかったのだが、なにか気持ちを楽にしないとどこかでぶっ壊れる、と判断、快諾に至った。アメリカのレコードショップ、アザー・ミュージックの生涯を描いた作品で、音楽で暮らしていくことのままならなさと音楽のある暮らしの豊かさに胸が張り裂けそうになった。現在公開中。みんなも見て。

映画『アザー・ミュージック』オフィシャルサイト

 

9/13

Tokyo FMでGOODYEAR MUSIC AIRSHIPの収録を終え、新宿に一度出て京王の北海道展に顔を出す。「俺はこの後超絶名曲を書くのだから2700円のステーキ弁当を買っても問題ない」と2700円のステーキ弁当を購入。バカでかいざんぎも買った。そのまま、スカートで入るために取ったリハーサルスタジオに個人練習で入って、曲作りをする手はずだったのだが都内近郊、駐車場のあるスタジオのほとんどが抑えられてしまっていたのだ。普段だったらこんなに混んでることないのに!!!駐車場はなかったけど代々木のスタジオに空きがあって直行。泣きながらステーキ弁当を食ったが、成果はあがりきらず。泣きながらみんなと磔磔のライヴでのリハーサルをした。

 

9/14

お久しぶりの中野のVoltaで録音。3日前に作った曲を録音。俺なりのインスタント・カーマですわ。夜は蓮見さんのラジオにゲスト出演。

 

9/15

後藤輝基LIVE マカロワ横浜公演のため横浜に向かう。第三京浜大好き。このライヴはその回ごとに表情が違ってそれが面白かった。配信もされたラストセットは違った表情がそれぞれ盛り付けられたような回だった。演奏終わってバックステージに戻るメンバーもものすごく興奮していた。このライヴが終わって、横浜の夜景が見れたら最高だろうな。見に来た妻と中華街の遅くまでやってた店で食事。そんで帰りも第三京浜。大好き。

 

9/16

某録音日。ついに曲がかけないままスタジオ入りだ。34歳にして初めてなにもないままスタジオに入った。ピアノの前に座り、ギターを弾き、ピアノを弾き、ドラムを叩き、ギターを弾き、夕食の時間になっていた。腹も減っていた。なので「黄金の定食」で紹介されていた髙ひろで付き合ってくれているエンジニアの加瀬さんとポニーの安田くんと夕食。私は肉豆腐だ。成果があがらなくてもメシはうまい。しかしデカダンの味がする。一時はどうなるかと思ったが、最終的になんとかなり、稽古終わりに遊びに来てくれた蓮見くんとも笑顔で別れた。最高の気分。

 

9/17

赤もみじのラストギグがあったので大阪のチケットを取っていたのだがいけないことはだいぶ前にわかっていた。妻を大阪に送り出し私は職場であるファミレスで歌詞を書く。インスタント・カーマにはその段階で「Aを今弾け」というタイトルがついたのだが、後々考えて「Aを弾け」の方がかっこいいな、となり、そちらを採用することにした。

 

9/18

ナイポレ収録からの別の仕事もうひとつ。台風の予報がどんどん厳しくなっていく。昼から社長とやり取りを続ける。結果的には延期になってしまった。やりきれねえ〜〜〜〜〜〜〜

ジゴロの頃

コロナの症状は発症してから4日ぐらいはその日ごとに一番つらい症状が違う感じだった。初日はのどの痛み、次の日は鼻水、次の日は熱、次の日は喉、しばらく喉が調子でなく、だんだんとやんわり収束に向かっていって最初に感じていた喉の痛みだけが戻ってきて、痰が残った、という形。明日はどこが悪いんだろう、と考えるだけでも精神衛生上最悪で、軽症で済んで良かった、となにかに感謝する他ない。それでも飛ばしてしまったライヴが一本、飛ばしたリハーサルが一本、飛ばしたレコーディングが一本。それらを思うと未だに整理がつかない。落ち着かないのだ。喉をやって入院して3本ぐらいライヴを飛ばしたことがあった。その時も相当食らったけど、自分自身やり過ごすためにどう気持ちを持っていくべきか、みたいなのが見えていた(ような気がする)はずだけど、何か比にならないしこりが残ってしまった、という実感だけがある。

療養中、かかった耳鼻科から電話が来た。妻の咳があまり良くならず医師に相談したかったからちょうどいい!なんて手厚いサービス!これからはここにお世話になろう!と感動していたら、話を聞くと、身内に感染者が出てしまい、濃厚接触者になってしまったから病院をしばらく閉めないといけないんだ、と言っていて気が遠くなった。新しく薬を出してもらえることになって、妻の症状はどんどんよくなったのでそれは嬉しいのだけど、これから数日間、その診察を受けられない人もいるのか、と複雑な気持ちになるしかなかった。

療養が明け、コンビニに行った。「夏が暑い」「ビーサンで歩くというのはこういう気持ちだっただろうか」。俺は何事もなかった街を歩く。ハロハロを購入し、手で掴んで部屋に戻る。その道中、昼間の暑さが残る深夜の歩道で少しずつ溶けていくハロハロを眺めることしかできない。このハロハロは今の俺だ。

療養で押しに押しているスケジュールに泣きながら口づけをしていく。そのために久しぶりにファミレスに向かい、詩を書くことにした。復帰初日だから、とあまり期待しないでノートと何冊かの漫画を持っていったのだ。店内には最近仲良くなった若いミュージシャンも居て、彼も締め切りで苦しんでいるようだった。こちらはなんと夕方以降の数時間の滞在で詩が書けてしまった。こんなにうれしいことはあるかい。出るタイミングが一緒だった若いミュージシャンのお茶代も気前よくかつ恩着せがましく支払い店を出た。彼も最近コロナにかかっていたのでその話題を少ししたのだが「外に出ると深呼吸しちゃいますよね、とりあえず。マーベルの映画とかで封印されてて復活したキャラが深呼吸するのってそういうことだったんだ、って」と話してくれたが、昨夜の俺は「夏が暑い」だったので笑いながら「そうだよね〜」と言ってしまったが、心のどこかで感受性の死を感じるほかなかった。