幻燈日記帳

認める・認めない

あぶない!シティ

25日

ナイポレの収録。岡田さん追悼特集にしようか、とも思ったがとてもじゃないけどそんな気分にもなれない。そうして高橋幸宏さんが自分にとっていかに遠い存在であったか、ということを今更ながらに知った。結局、新入荷報告会にして、最後に岡田さんの訃報に触れ、「バイバイグッドバイサラバイ」を流してもらう、という形を取った。放送局のライブラリーに「バイバイグッドバイサラバイ」があるというので、それを聴きながらしんみりしていると最後のピアノの独奏が入っていないシングルヴァージョンだということがわかり、慌ててレコードを引っ張り出し盤から起こしてディレクターY氏に送信した。あのピアノがないと今回はだめなんだ。自分で放送も聴いて最後のピアノの後、小さく拍手をする。

https://radiko.jp/#!/ts/ALPHA-STATION/20230303200000

 

26日

高野寛さんとスーパー銭湯という嬉しいツーマン。アンコールでセッションをやろう、と提案してくれて、僭越ながらも「ちょっとツラインダ」を提案。今、この曲を本人たち以外が歌うなら僕等しかいないに違いない。自分のリハーサルを終えて、会場入りした高野さんと多くを語るわけでもなく、4年前に一度合わせた「9月の海はクラゲの海」を演奏する。演奏しながらどちらが歌うか、ということをなんとなく整理していく過程で、(こういうことをいうのはいかにもミュ〜ジシャンで恥ずかしいのだけど)お互いがどれほど深く傷ついているか、みたいなものが通じ合ったような気がした。もしかしたら身勝手なセラピーのようなものかもしれないのだけど、1部のアンコールで演奏した「9月の海はクラゲの海」は個人的には一生胸に抱くような演奏になった。ひとりでは絶対に歌えなかった。2部では高野さんがこの世で一番いい曲のひとつであるロジャー・ニコルスの「The Drifter」を日本語でカヴァーした「ドゥリフター」、大好きな「いつのまにか晴れ」を歌っていてとてもうれしくなった。「虹の都へ」でブチあがってる社長も見れてよかった。

帰り道、全曲シャッフルにして道を走っていると一昨年のEXシアターでのライヴ音源の「さよならは夜明けの夢に」が流れてきた。「我が人生最良の一日です」と岡田さんがMCでこたえる。「50周年に向けてリハビリも頑張っていきたい」というような内容だった。今は正確な言葉を確認できる気持ちじゃないから違ったら申し訳ないのだけど、とにかくそういう内容だった。もっと号泣してしまうんじゃないかと思っていたし、実際涙は溢れたのだが、ハンドルを握りながら冷静な自分も居た。胸に穴が空いてしまったとしか言いようがない。

 

 

27日

夜、これから仲良くなりたい、と思っている人から飲みに誘われついていったらスターが3人サプライズで登場して腰を抜かした。ずっと緊張してしまったけど、もうしばらくやっていなかった飲み会のようなものが、私の暮らしに輝き始めた。人と話すの、人の話きくのすげーたのしい。

 

28日

某Rec。納得行くギターがなかなか録音できず迷惑をかけてしまった。

 

3月1日

街裏ぴんくさんと旧友松本健人くん、妻の4人でご飯を食べた。お笑いの話、音楽の話が入り乱れ学生の頃、放課後のような瞬間も、キャリアも中堅を迎えつつある我々のこれからをじっと見つめる瞬間もあり、気持ちが大いに揺れ動く日になった。

 

2日

自宅で某作業。頭を抱える。でもやれることはやった。いつか公開されたら笑ってみてください。

 

3日

ラジオの収録の前に新宿の高島屋で開催されていた味百選のエクステンデッド・エディションに向かう。渋いラインナップながらも刺激的でラジオの収録に遅刻してしまった。愚者。収録はつつがなく終わり、夕方迫る六本木から下北沢へ向かう。ニュー風知空知で岡田さんのいい仕事を語り合うイヴェントに出演。まだ整理がついていなく、そういう気持ちをみんなで語り合って少しずつ気分を軽くしていく。終盤で優介が「もう新しい曲は聞けないけれども我々にはまだ出会えていない岡田さんの曲がたくさんある」と話していて、なんて大人なんだ、俺なんか「寂しい〜〜〜」とかしか言えていないというのに。

ニュー風知空知から出るとライヴを終えたばかりのHei Tanaka一行とばったり。サトゥーさんに抱きついてうれしい出会いを噛みしめる。

 

4日

座・高円寺2に魔の巣を観に行く。ぴんくさんがバチバチかましてくれて最高にかっこよかった。あらゆる方向に脳を揺さぶられる感覚はぴんくさんの漫談でしか得られないものになっている。

 

5日

リハーサル。今回から5人でのリハーサル。5人で最近やれてなかった曲をさらってから通してやる。これがめちゃくちゃに疲れた。おそらくセットリストはこれでフィックス。もうすぐツアーだ。ひとりでも多くの人に見てもらいたい。

live : スカート オフィシャルサイト

 

 

 

_/_/_/_凸

22日

岡田徹さんの訃報が発表された。少し前にマネージャーの野田さんから電話を頂いて知ったのだけどやはり落ち込んだ。今でもどう言っていいのか、なにを思っていいのかわからない。LINEまで知ってる人が死んでしまうということが今までなかったからだ。誰かが亡くなって思えることなんて限られている、というのがひと月前の自分の日記に書いてあるが、やはりそうなのだろうか、頭が回らなくなってしまった。ただただ悲しい。思い出を整理してみるがうまくいかない。はじめてiPhoneのカメラロールの「ピープル」の機能を使って岡田さんを登録した。3/3にやる予定だったライヴについて岡田さんに連絡すればよかったな、「楽しみです」「あの曲やりましょう」、そう送ればきっと優しく返事をくれたはずだ。

夜は夜衝2を観に行った。ダウ90000蓮見くん作・演出のコントライヴ。構成力や台本の力といったものを飛び越えるような瞬間がいくつかあってめまいがした。束の間、傷ついた心も忘れて楽しんだ。終わって妻と街へ出る。かつてよく行った店がいくつも閉店してしまっていて、どう受け取っていいのかわからない。

 

23日

ナイポレの選曲を進めていく。とてもじゃないけど追悼・岡田徹特集をやれる状態ではなく、別の選曲テーマを煮詰める。月に一度が恒例になりつつある新入荷報告会。去年手に入れていた珍しい音源のOA許可をアーティストさんにも取った。いい形になったはずだ。いい曲が今回も揃ったので収録がうまくいくといいな。

 

24日

取材。高田馬場へ出る。またもやカウンセリングのような取材になってしまった。どういう形でまとまるか心配だけど、楽しい取材だったことも確かだ。記事が出たらまた報告します。

取材が終わってラーメンを食べた。とても美味しかったのだけど、ユニオンでレコード見ているときに目が滑ってる感覚のようなものがあった。実際、高田馬場のユニオンに行ったのだけど目が滑ってしまってなにも買えなかった。

電車のなかで「天幕のジャードゥーガル」の2巻を読む。真っ直ぐで安定した線路が私と物語を運んでいく。私は何を待っているのだろうか。ずっとここにいるためにずっとここにいるのだろうか。考えだけが巡っていく。

ロザモンド・モンモランシー・ファンクラブ

16日

永田敬介さんのトークライヴを観に行く。客入れ中も客出し後も永田さんとスクースクータイム井口さんが話し続けるというライヴ。この日のライヴの面白さはどう説明したらいいのかわからないんだけど、めちゃくちゃ面白かった。「火の鳥」を指して「これからもどんどん新しくなり続ける漫画」という意味のことをおっしゃっていて感銘を受けた。

 

18日

悲しい気持ちでライヴ会場へ向かう。こんな悲しい気持ちの日にライヴなんて。リハーサルを終えて、PINK MOON RECORDSで買い物していたらまつきあゆむさんにばったりお会いできた。小さいお子さんを連れてらっしゃって、「サージェント・ペパーズ」やビースティ・ボーイズなんかを聴いているそうだ。奇しくもその時の店内BGMは「サージェント・ペパーズ」のカヴァー・アルバムだった。若い店員さんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。

ライヴハウスに戻る。弾き語りは普段、そのばその場でやりたい曲をどんどんやっていくことが多く、この日もそうするつもりだったのだけど、うまく行かない気がして曲順を組んで臨むことにした。対バンだったLaura day romanceの川島くんから「今日もセットリスト決めないでやるんですか?インスタライヴで「いつかの手紙」リクエストしてたの俺です」と言われて背中を押された。曲順は白紙に戻すよ、悲しい気持ちがなんだっていうんだ、それとこれとは別だよ、と自分を奮起させた。ライヴはいい調子だったと思う。「ポップな音楽というと楽しいものを想定してしまいがちだけど寂しい音楽もポップの範疇、今の自分にとって一番ポップな曲をやります」みたいなことを言って「四月のばらの歌のこと」を演奏したのだけど、終演後ひとりの青年に声をかけられて、あのMCがとても響いた、と言ってくれた。嬉しいねえ。

 

19日

急に思い立ってコミティアに行った。急に思い立って行ったもんだから事前にティアマガすら買えず、昼からの参加となった。久しぶりのビッグサイト。前回行った時は青海の方だった気がする。不思議と久しぶりな気がしない。志村日誌オルタナティブ(現:志村日誌ナゴヤ )の志村伸夫さんがサークル参加されると聴いたからだった。志村さんの本は結局買えなかったけど久しぶりにたいぼくさんや亀井薄雪さんに会えて嬉しかった。本もたくさん買った。ののもとむむむさんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。誤算だったのはあんまりたくさん買うつもりじゃなかったのだが、実際足を運んでみると「持ってない既刊」が多すぎた。お金はあっという間にそこを尽きてしまった。

そのままリハーサルスタジオに向かう。3人体制でのツアーのリハーサル。まだセットリスト触れるところは触っていってよりよくしようとしていく。コミティアの後だからさすがに疲れ果てる。

車から降りて部屋の灯りが見えたとき「悲しい気分だから電話かけたのさ」という歌詞がなんとも胸に染み入る夜だ、と突然思った。

いい言葉ちょうだい - song and lyrics by Fishmans | Spotify

 

20日

元パニックハウス加口くん、ユームラウト西村氏の3人で飯を食った。別れた後、加口くんが「粗悪な月あかり」の詩をほめ忘れた、とツイートしてくれていてアガる。同業者にもっとほめられたい。

 

21日

昼間、完璧な晴れの街を歩く。「空が青い、と歌うだけで悲しさを表現できる」というのは加藤和彦さんが高橋幸宏さんを評しての言葉だ。

sorayaさんとシンリズムくんのライヴをふらっと観に行った。素晴らしかった。この組み合わせで今見れてよかった。転換中に「あっ!あの!ODDTAXIの!ファーストテイクも見ました!」と若者に声かけられて「そうです、PUNPEEじゃない方です」と答えたのはちょっといけ好かなかったかもしれない、私が悪かった。終演後には別の青年に声をかけられ「澤部さんがツイートしている音楽から掘って行っていろいろ聴いています。yes, mama ok?とか、ムーンライダーズとか」と言われて、すぐ近くにうすやま氏(私が14歳の頃からDJを聴いて影響を受けた人)がいて、「いや〜〜〜いいっすね〜〜〜」とかわけのわからない絡み方をしてしまった。

アンコールでリズムくんを交えた3人で演奏した「ひとり」がすごく良かった。完璧なポップ・レコードがすでにここにあるのに、ピアノ、ベース、歌、ギターというシンプルな編成だからこそ、それを凌駕する何かがあった。

 

ひとり - song and lyrics by soraya | Spotify

あむそれ

9日

日本橋高島屋に行って百貨店展を見る。小さいスペースに少ないけれども濃い展示で胸が騒いだ。当時配られたという百貨店白木屋の小冊子など、興味は尽きない。丸善に寄って本を買う。漫画を1冊、それと英語の本を買った。頭が動いていない気がするのは実際に頭が動いていないからだ、というのもあるし、あらゆる音楽を聴いて、どうして私はこの言葉がわからないんだろう、とずっと思ってきた。中学の頃に些細なことでつまずいて、そのつまずきがいつの間にか積もってしまい諦めたのだ。もう一度取り戻すんだ、と平積みになっていた「中学英語をもう一度ひとつひとつわかりやすく。」という本を買った。その日の夜から少しずつ、読んで解いて理解しようとするのだが些細なことでまたつまずいた。まずつまずいたのが3人称単数なら動詞にsがつくけど、3人称複数ならsがつかない、ということ。大人なんだから、と調べてみると「英語はそういうもんだ」という記事がほとんどで、ようやく見つけた記事を読んでなんとか納得することができた。30分以上あーでもないこーでもない、とやっていると次は"Is that Mt. Fuji?"の回答でつまずいた。"Yes, It is"ということが飲み込めなかったのだ。Thatの返答がモノならitというのはわかっていたのだけど、富士山をモノだと認識することができずアワアワとしてしまうばかりになったので、一度「モノとは」と検索をかけてみる。それでも整理しきれず、頭の中に部屋のなかの「モノ」を広げてみる。この部屋でものではないものはどれだけあるだろう、ソファに座っている私と妻以外はすべてものであろう、ということは最初のうちは理解できていた。だが、部屋を俯瞰で見たとたんに困ってしまった。建築物はモノなのだろうか?そう思ってしまったら水道はものではない、という気がしてきた。時計はモノだが壁は?壁紙はモノかもしれないが紙はモノなのだろうか。そうだった、私はこうして中学の時に挫折したのだった。頭から煙を吐きながら本を閉じた。

ゴミ捨てで深夜、マスクもしないで外に出ると子供の頃にかいだ冬の匂いがした。

眠る前にバート・バカラックの訃報が届く。94歳、大往生ならばなんにも惜しくはないし、悲しい気持ちにもならないはずなんだけど、どういう訳かちょっと落ち込む。

Are You There (With Another Girl) - song and lyrics by Anita Kerr Singers | Spotify

 

10日

目が覚めると雪が降っていた。しかし今日は散髪の予定をいれてしまっていたのだ。一昨日みたいになにもかもだめだ、という感じもしなく、たやすく動き出せたので支度をして部屋を出るとまだ半端な雪景色。屋根屋根は白くなり、アスファルトはべしょべしょ。道の少し先ではおじさんがまだ踏まれていない道をわざわざ選んで歩いていた。バスに乗って吉祥寺へ出る。雪が降ってうれしい。永福町に着いた頃には雨はすっかり雪になってしまっていた。歩きづらい道を歩いていると先輩ミュージシャンとばったり。少しだけ立ち話して別れる。散髪は今回も順調で、シゲルさんは"SONGS"を絶賛してくれた。人と会う機会があまりないので「アルバム良かったよ」と直接言ってくれる人があんまりいないから嬉しい。併設されている奥さんのお店でお茶を飲む。受験から帰ってきたばかりの娘さんもお茶を飲んでいて、高い窓の前に座ってブラックコーヒーを飲む彼女はかっこよかった。

店を出ると外はすっかり雨になってしまっていた。なんだかつまらないな、と思いながら傘を広げる。お店の軒先からドサッと音をたてて雪が落ちてきた。街も普通の顔に戻りつつあった。

電車に乗って吉祥寺に出る。窓の外を眺める。文庫もある、携帯もあるけどじっと窓の外を見てみる。これは学生時代の、精神のコスプレだ。屋根屋根が連なり、どれも雪が積もっている。真っ白な東京ではないのだけど、今はこれで足りている気がしてしまって自分もつまらない大人になってしまった、と痛感する。

 

12日

家を出る直前まで英語の本を読む。妻にも付き合ってもらう。私に比べると英語に覚えがあるので「これはどうなってるの?」と訊くたび一緒になって考えてくれるのだが、人を表す代名詞でまたつまずいた。「彼の写真はとても美しい。私はそれらを気に入っています」の「それら」が空欄になっていて、そこを埋める、という問題だったのだが、写真をthemとすることに抵抗が出てきてしまった。外に出てみて誰かの家の軒先に吊るされている洗濯物がtheyのようにどうしても思えなかったのだ。

混乱した頭のままリハーサル。『SONGS』ツアーのリハーサル2日目だ。この日は佐久間さん、なおみちさんの3人に加え社長もきてくれた。前回、改訂したセットリストを頭からためそう、という話で集まったのだが、ミドルテンポの1曲目に対し「スロースターターになってしまうのでは」、という懸念が出てきたため、1曲目を変えてみて、そこから実際演奏してみてどういう曲がほしいか、というのを提案し合って形にしていった。13年バンドやってきたけどこういう決め方は初めてで少し興奮した。リハーサルは延長され、5時間経ってやっと終わった。ボロ布になった澤部佐久間でリハスタのロビーで2時間話し続け、家帰って社長とも1時間長電話してしまった。さすがに疲れ果てた。

 

山 _ 山

3日

NICE POP RADIO、新入荷報告会の収録。1月放送の新入荷報告会でかけきれなかったものも多くあったから、そういうのもかけたい、SONGSのツアーももうそろそろなのでスカートの曲もかけたい、と思っていたのだけど純粋な新入荷があまりに多かったのでそれらは1曲もかけられなかった。選曲作業を終えたところで吉祥寺のココナッツで買ったレコードから1曲も選曲されていないことに気がついて、はて、と思っていたらある日買ったレコードがごっそり聴けていない、ということがわかってしまった。今回も最高ですけど、次回の新入荷も相当濃いものになりそうです。

 

4日

常備している薬がなくなったので耳鼻科に診療にかかる。土曜日だったのでなかなかな混雑具合で、一度受付を済ませて本屋に向かった。すべての本が黙っているような店内、新刊コーナーに並んでいた田沼朝さんの漫画と高津マコトさんの新刊を買って待合にまた並ぶ。土曜日である。

吉祥寺のココナッツでレコードを買う。目当てだったパイザノ・アンド・ラフは売り切れてしまっていたけど、ゲイリー・マクファーランドの「バター・スコッチ・ラム」は買えた。他にもアート・ヴァン・ダムの1958年にリリースされたアルバムの日本盤EPやジャケ買いしたGuy Cabayの7インチなんかも買った。

トリプルファイヤーのワンマンに行く。道が混んでいて10分遅刻してしまった。着いたら増本さんに「3曲目です」と言われ、そうか、押さなかったのか、と悔やみ、久しぶりのグッドマンの扉をあける。ライヴハウスあるあるだろうけど、入り口はぎゅうぎゅうでこりゃ定時に始めるわ、と人がいっぱいのライヴハウスを見て嬉しくなった。数曲演奏したあとに吉田が「俺はライヴハウスはいつも10分ぐらい遅刻してしまう」という話をしていてまさに俺の話じゃねえか、と居心地悪くも笑ってしまった。この日のファイヤーは新曲中心のセット。それもまだ出ていない次のアルバムの次に出るアルバムに収録される新曲。まだ出ていないアルバムはアフロであり、ファンクであり、呪術的でもあり、祈りのようでもあり、そういうエグい新曲が溢れているのだが、今回披露された新曲の多くは、10年前のファイヤーが持っていた性急さやニュー・ウェーヴィーなムードを決して(過去への再訪という意味に於いては)振り返らず、更新していてシビれた。アンコールで演奏された「スキルアップ」も、「アンコールだからサーヴィスで代表曲を」という感じではなく、10年経って今再びの提示のようにも感じられてグッと来た。最高だった。

部屋に帰ってレコードを聴く。まずは今日買ったレコード。特にGuy Cabayの7インチが素晴らしすぎて目が覚めた。それとA氏から譲り受けたレコード・コレクションに針をおろしていく。Prefab Sproutの"Crimson / Red"というアルバム。大好きなアルバムだったのだけど、針をおろし、音がなって、段々と興奮してくる。この感覚は"Jordan : The Comeback"と全く同じ感覚だ。改めてこの気持になれるなんて思っていなかった。冬でよかった。

 

5日

新宿文化センターにグレイモヤβを観に行く。5年ほど前に「バスク」を観に来た時はエレベーターで上まであがった記憶があるが、階段で3階まであがらなければならず、ヘトヘトになってしまった。息を整えるために水も買った。オッパショ石が不気味で素晴らしく、村田大樹さんのピンネタで一番の爆発があって嬉しい。帰り道、裏手の薬局に寄ったのだが空いてなく、遊歩道のような道を妻と歩いているとき、通り過ぎた女性二人組も「オッパショ石が〜」と話していてよかった。

 

6日

SONGSツアーのリハーサル初日。セットリストの叩き台を作っていってそれを全員で検証する。有意義だった。2020年の頭につきっきりでついてくれいたマネージャーが辞めたこともあり、野良犬のようにやっていたこともあったけど、客観視ができなくなっていたので全員でやりとりして問題点も見え、再検証して、それをまた近々のリハーサルで試してみることになった。いつもよりスタジオの回数が増えたから集客が増える訳ではないけれど、多くのバンドがコロナ禍でそうであったように、ライヴバンドとしては瀬戸際のような状態から、あの磔磔でのライヴに繋ぐことができたのだから、腹を据えてやるのは今しかないのかもしれない。

 

7日

フューチャーフィッシャー昴生すごかったな。

 

8日

最近は、といってもここ何年か、頭が働いていないように感じる。コロナ禍に頭が慣れてしまったのか、脳だけがおいてけぼりになって、体だけが前に進んでいるような感覚に陥っていたのだけど、今日は体もだめなようだ。やりたいことがあったのに、なんだかだるくソファに座ってゲームやることしかできなかった。ゲームに飽きては本を開く、そしてまたゲームに戻る、という究極の堕落だと昔なら感じただろう。必要な時間だ、と解釈するようにしている。脳のザルの網目がどんどん荒くなっていくのを感じる。しかし、これも正しい表現ではない。繊細になるところは繊細に、粗くなる部分は粗くなっているようなのだ。都合よく年齢を重ねているのだろうか。やろうと思っていたことはほとんどやれないまま、夕方布団に潜った。そういう日だ。

さん回となえろ

26日

10時から胃の医者にかかるために早起きしてバスに乗る。平日の昼過ぎ、乗客はあまりいなく、景色を流すのにはうってつけの日だった。受付をすませて、待合室でもう何ヶ月読んでるんだ、赤毛のアンを読みながら待つ。しばらくすると名前を呼ばれて診察室に入る。すっかり良くなったわけではないのだがじわじわと良くなっている、と伝える。痩せなきゃね、と言われていたのにいろいろあって全く痩せられていないことだけが心に棘が刺さる。しかし刺さった棘はすぐに忘れてしまうのだ。

14時から事務所で打ち合わせがあったので吉祥寺に出る。早いけど移動して向こうで飯でもくおうか、と考えたのだけど井の頭線は停まっていたようで人だかりができていたので街をうろつく。時間をつぶすのが本当に下手だ。いくつか店を覗いたあと、電車は動き出していたので電車に乗る。文庫の続きを読み、駒場東大前で降りて菱田屋で昼食と洒落込んだ。

それでも1時間以上早く着いてしまっていたのでむやみにあるく。どこかに喫茶店はないものか。と検索してみると、手頃な店がない。高速を挟めばあるみたいだけど高速の向こう側に行くのは、少し面倒なのだ。結局30分ぐらい歩くだけ歩いてどの店に入る気持ちにもなれず、事務所のインターフォンを押すに至った。ああ。私は、私は。

 

27日

仕事で拝島に向かう。道は驚くほどまっすぐ、そして驚くほど片側一車線。30分遅刻。痛恨。無事に仕事は終わり、ずっと行ってみたかったシャーロック・ホームズでハンバーグを食べることもできた。食べたことのないとろっとろ、びっしゃびしゃの食感のハンバーグで最高。納豆のソースも最高。プレートに残った油と納豆のソースが俺を見つめていた。米じゃなくてパンにするべきだった。シャーロック・ホームズの店内はイギリス風味ではなく、超アメリカンだった。帰路で2件のハードオフチャンスをものにして、あまりにも最高のジャケットだったので「あぶない刑事」のサントラを800円で購入。妻の誕生日でもあったのでケーキを買って帰る。

 

28日 / 29日

翌日に迫ったNICE POP RADIOの収録のためにかなりの時間をかけて選曲をしていた。今回はギター特集。日記にはかいてなかったけど、空いた時間でコツコツやってきていて、近年では一番時間をかけて選曲したし、候補に入った曲数も膨大になっていた。なにより、自分自身がギターに向き合う、という過去にやらなかったことをやったため、かなり心に来た。しかしまとめて見ると、いつもの感じになったような気もして、なんとも無駄な時間を費やしてしまったのだろう、と悲嘆に暮れる。収録はもんもんとしながらだったので果たしてどうなることだろう、と思っていたのだが、さっき完パケデータ聴いたらいい回でした。ギタリストとしての私とは一体何なのだろう、ギターとは一体何なのだろう、という問だけが今は転がっている。

 

30日

夜中にダウ90000が栃木の大衆演劇場でライヴやる、という告知ツイートが流れてきて妻と目を丸くする。なぜ。一体何が起こっているのだ。そしてリンクを踏んだらこれはいかなくてはならないのでは、と決意を固める。大衆演劇は17年前に一度観ている。その時は美術部の合宿で行った宿(確かホテルニューおおるりじゃなかっただろうか)(後日追記:万葉亭だ!!!!)の夕食の会場で観たのだ。その時の異文化っぷりに我々は熱くなり、しばらくの間は出演していた子供が演じていた「船方さん」がアンセムと化すようなことも起きた。ともかく我々は翌日早起きして栃木に向かうことにした。

 

2月1日

車は順調に北上、定刻通りに船生かぶき村に着いた。建物の外見からとんでもないグルーヴが滲んでいる。そして劇場にあがって更に濃いグルーヴを受け取る。おにぎりと無愛想なからあげのパックと一緒に座席に案内される。周りを見渡してみるがダウ90000目当てで来たのは我々だけのようだった。とても濃い空間。ここでダウは一体なにを……。劇団駒三郎のプログラムが始まる。人情物の劇。驚いたのはとにかく劇のBGMの音量やマイクの音量が爆音だということ。しばらく経って私は妻からティッシュを受け取り、丸めて特に弱い右耳に詰めた。妻がよく「お宝鑑定団は音がでかいんだ」と言ってテレビのリモコンに手をかけている様子を何度も見たことがあったのだが、これもきっと同じ現象の器の上の出来事なのだろう。劇がクライマックスを迎え、ご婦人たちが涙に暮れる中、BGMがグンと大きくなる。Shazamしたら五木ひろしさんの「裏通り」という曲だった。面積考えたらそこらのクラブよりも大きい音量でかかっていて、この経験できただけでも栃木に来てよかった、と思えた。

その後、お客さん参加のカラオケコーナー(全員うまい)をはさみ、踊りのコーナーへ。あ、これリップシンク守谷日和さんの「表現」の中間だ、となり大変ぶちあがる。その中で劇団暁さんか劇団駒三郎さんのどちらかが演目に取り入れられていた「484のブルース」があまりにカッコよくシビレ散らす。グルーヴ演歌、とでも言えそうな内容でめまいがした。

484のブルース【歌、録り直しバージョン】/平田満(幸斉たけし) - YouTube

劇団の公演が終わり、始まったダウ90000はなんと新作コントだった。ここまでアウェイなダウもはじめてだろう、と思ったのだが、大衆演劇に寄せることなくやりきる8人はかっこよかったし、お客さんたちも暖かく迎え入れている様子が美しかった。すべての演目が終わり、劇団とダウのエンディングトークが気持ちよくはずんだところで客出しBGMとして「ダンシング・ヒーロー」がかかって、なんというかなにもかもがどうでも良くなった。大きいことも小さいことも悩むことがたくさんあって、人生の苦味を噛みしめる昨今、芝居がハネて「ダンシング・ヒーロー」さえかかっちゃえばすべてオッケーなのである。栃木の夕陽はそう教えてくれた。

レコード屋を一軒、見ていくことにしたのだけど、そこが空いているかどうかわからず、検索していくうちに移転したかも、という話になり、どうやら蕎麦屋の一部に構えているらしい、という怪情報を得る。実際電話してみると、実在していた。安くレコードがいっぱい買える、というよりは品揃えが変なところ抑えている感じで興味深った。嬉しい新入荷あります。来週のナイポレでかけますので是非。

帰り道、街灯ひとつない東北自動車道を走りながら2008年のフジロックを思い出したりしていた。付き合ったその年にふたりでSPARKSを観に行ったのだ。あれから15年が経つ。今ならきっとできないことをあの頃のふたりはやっていた。今から15年経った頃、栃木にダウ90000観に行くなんて今はきっとやれないね、とふたりは笑っているだろうか。

UKAGNO

20日

打ち合わせが終わって、渋谷のWWWにayU tokiOと柴田聡子のツーマンを観に行く。車で行ってしまったため、どこに停めようか迷いに迷ったが、遅れそうだったのでWWWの目の前にあるPARCOの駐車場に停めることにした。時は金なり。雑多な売り場を抜けてWWWへ着く。開演前だった。ちょっと階段を降りただけで知り合いに会う。楽しい夜の予感がしていて、実際、楽しい夜だった。アンコールでファズを踏みながら「米農家の娘だから」を弾き語るあゆくんは、『遊撃手』のジャケットのそれであった。挨拶ぐらいすればいいのになんともシャイな気持ちが出てきてしまってそのまま帰ってしまった。とてもいい夜だった。

 

23日

ガイアの夜明けで観たガレットがあまりにも美味しそうで、妻と二人で日本橋三越で開催されていた北海道展へ行く。お目当てのププリエのガレットは美しく、気品に溢れた素晴らしいものだった。いつか札幌のお店に行きたい。他にもパンやらいろいろ買った。未来は明るくないかもしれないがしばらくは楽しい気持ちでいたい。

 

24日

収録と青柳くんの整体を経て池袋のココナッツに顔を出す。取置の受取で行ったのだけど、いいCDがいっぱいあったのでついつい買いすぎてしまった。ジャケ買いからそういや聴いてこなかったものまで、果ては旧規格版のマーティン・デニーの帯かわいい〜とか言いながら買った。せっかく久しぶりに来たんだから、とデパートに足を伸ばす。妻から西武の地下に味小路という新しくできた諸国銘菓のつえーやつができた、と教えてもらっていたのだ。いざ行ってみるとめまいがするほどのいい空間だった。私の知らないおいしいものが日本だけにもこれだけあるのだ。いろいろ買って帰った。音楽と食い物だけで生き延びているような気がする一日であった。

 

25日

MURAバんく。の土屋くんと日常レストランに行くため、渋谷のPARCOに向かう。ユニオンで落ち合うことにして先輩ミュージシャンとして小粋にレコードを買う背中をみせようと試みる。多分、小粋でもなんでもなかった。ジジイみたいな話をするけど「日常」は1巻が出たとき、働いていた書店で新刊コーナーに棚刺しになっていて、これは絶対なにかある、と手に取り、帯の裏に記載されていた「あらゐだらけのけいいちまつり」の文言にやられて購入してからのファンなのでこうして大ヒット作になって、前のシェアハウスの住人たちと話を咲かせたり、後輩ミュージシャンとこうやって日常を介して交流が深まったりするのは本当に、勝手だけど、嬉しい。オーダーしたロールケーキは量が多く、かつ大変甘いので、翌日までダメージが残った。土屋くんを家の近くまで送ったのだが、後半は甘さにやられてぼーっとしていてどういう話をしたか思い出せない。部屋に帰って甘さの回りが落ち着いてきた頃、買ってきたレコードを聴く。すごくいい内容なんだけど、とにかくジャケットが最高。こんなに良いジャケットのレコード久しぶりに買った気がする。

open.spotify.com