25日
ナイポレの収録。岡田さん追悼特集にしようか、とも思ったがとてもじゃないけどそんな気分にもなれない。そうして高橋幸宏さんが自分にとっていかに遠い存在であったか、ということを今更ながらに知った。結局、新入荷報告会にして、最後に岡田さんの訃報に触れ、「バイバイグッドバイサラバイ」を流してもらう、という形を取った。放送局のライブラリーに「バイバイグッドバイサラバイ」があるというので、それを聴きながらしんみりしていると最後のピアノの独奏が入っていないシングルヴァージョンだということがわかり、慌ててレコードを引っ張り出し盤から起こしてディレクターY氏に送信した。あのピアノがないと今回はだめなんだ。自分で放送も聴いて最後のピアノの後、小さく拍手をする。
https://radiko.jp/#!/ts/ALPHA-STATION/20230303200000
26日
高野寛さんとスーパー銭湯という嬉しいツーマン。アンコールでセッションをやろう、と提案してくれて、僭越ながらも「ちょっとツラインダ」を提案。今、この曲を本人たち以外が歌うなら僕等しかいないに違いない。自分のリハーサルを終えて、会場入りした高野さんと多くを語るわけでもなく、4年前に一度合わせた「9月の海はクラゲの海」を演奏する。演奏しながらどちらが歌うか、ということをなんとなく整理していく過程で、(こういうことをいうのはいかにもミュ〜ジシャンで恥ずかしいのだけど)お互いがどれほど深く傷ついているか、みたいなものが通じ合ったような気がした。もしかしたら身勝手なセラピーのようなものかもしれないのだけど、1部のアンコールで演奏した「9月の海はクラゲの海」は個人的には一生胸に抱くような演奏になった。ひとりでは絶対に歌えなかった。2部では高野さんがこの世で一番いい曲のひとつであるロジャー・ニコルスの「The Drifter」を日本語でカヴァーした「ドゥリフター」、大好きな「いつのまにか晴れ」を歌っていてとてもうれしくなった。「虹の都へ」でブチあがってる社長も見れてよかった。
帰り道、全曲シャッフルにして道を走っていると一昨年のEXシアターでのライヴ音源の「さよならは夜明けの夢に」が流れてきた。「我が人生最良の一日です」と岡田さんがMCでこたえる。「50周年に向けてリハビリも頑張っていきたい」というような内容だった。今は正確な言葉を確認できる気持ちじゃないから違ったら申し訳ないのだけど、とにかくそういう内容だった。もっと号泣してしまうんじゃないかと思っていたし、実際涙は溢れたのだが、ハンドルを握りながら冷静な自分も居た。胸に穴が空いてしまったとしか言いようがない。
27日
夜、これから仲良くなりたい、と思っている人から飲みに誘われついていったらスターが3人サプライズで登場して腰を抜かした。ずっと緊張してしまったけど、もうしばらくやっていなかった飲み会のようなものが、私の暮らしに輝き始めた。人と話すの、人の話きくのすげーたのしい。
28日
某Rec。納得行くギターがなかなか録音できず迷惑をかけてしまった。
3月1日
街裏ぴんくさんと旧友松本健人くん、妻の4人でご飯を食べた。お笑いの話、音楽の話が入り乱れ学生の頃、放課後のような瞬間も、キャリアも中堅を迎えつつある我々のこれからをじっと見つめる瞬間もあり、気持ちが大いに揺れ動く日になった。
2日
自宅で某作業。頭を抱える。でもやれることはやった。いつか公開されたら笑ってみてください。
3日
ラジオの収録の前に新宿の高島屋で開催されていた味百選のエクステンデッド・エディションに向かう。渋いラインナップながらも刺激的でラジオの収録に遅刻してしまった。愚者。収録はつつがなく終わり、夕方迫る六本木から下北沢へ向かう。ニュー風知空知で岡田さんのいい仕事を語り合うイヴェントに出演。まだ整理がついていなく、そういう気持ちをみんなで語り合って少しずつ気分を軽くしていく。終盤で優介が「もう新しい曲は聞けないけれども我々にはまだ出会えていない岡田さんの曲がたくさんある」と話していて、なんて大人なんだ、俺なんか「寂しい〜〜〜」とかしか言えていないというのに。
ニュー風知空知から出るとライヴを終えたばかりのHei Tanaka一行とばったり。サトゥーさんに抱きついてうれしい出会いを噛みしめる。
4日
座・高円寺2に魔の巣を観に行く。ぴんくさんがバチバチにかましてくれて最高にかっこよかった。あらゆる方向に脳を揺さぶられる感覚はぴんくさんの漫談でしか得られないものになっている。
5日
リハーサル。今回から5人でのリハーサル。5人で最近やれてなかった曲をさらってから通してやる。これがめちゃくちゃに疲れた。おそらくセットリストはこれでフィックス。もうすぐツアーだ。ひとりでも多くの人に見てもらいたい。