showgunnさんがうすやまさんのツイートを指して声を荒げているのを見てしまった。うすやまさんのツイートは「サマーヌード」や「Shangri-la」を理解するのに当時はタイムラグがあった、という内容で、showgunnさんは並列に扱われていることに違和感がある、という。私がうまくshowgunnさんのツイートを捉えられなかっただけかもしれないけどどうやら曲どうこうというよりも真心と電気が並列になっているのが気に入らないようで、サマーヌードとShangri-laのオリコンの順位まで書いていた。そしてそれが歴史的事実みたいに語って、それが鵜呑みにされてるのは良くない、ということで声を荒げて、しまいには「ウソヤマに改名したらいいんじゃね」とまで言い出していて何もかもくだらなくて腹が立って仕方なくなった。そもそもRTが少し伸びてるぐらいでRTした人が本当に鵜呑みにしているかどうかなんてわからないじゃない。showgunnさんのツイートも大好きだし、はじめてDJでお会いした時は一緒に写真撮ったりしてもらった。あれは終日ONEだった。懐かしい。うすやまさんは私の師匠のような人だ。中学生の頃からうすやまさんのDJを聴いて音楽への接し方のいくつかの面はおいては大いに影響を受けた。ただただイタいティーンエイジャーだった私に音楽を通して広すぎる世界を見せてくれた。うすやまさんはいつだって偏った(と私は思っていないのだけれど、そう言わないと伝わらないかもしれないからそう言う。私からしたら「偏った」なんてつかないただの)音楽の素晴らしさをいつも提示してくれる。俺は音楽やその人を通して、調べればわかることをわざわざ知りたいと思わない。その人が暮らしてきた中でどういう形でその音楽が響いたのか、そういう話が聴きたい。showgunnさんが言うようにそれが事実のように語ってるなら問題だけど私にはそう見えなかった。それは私がうすやまさんのツイートをよくみてるからかもしれない。私はうすやまさんは悪くない、なんてことがいいたいのではない。ただ、Twitterなんて便所の落書きだという前提がなくなったような気がしておれは悲しい。自分もできていない気がするから自戒も込めて書くけど、歴史書に載らないような話も真に受けながらも話半分に聞けるようになりたい。私に於いての話だけど、(Twitterだけの話じゃなく)これまで話半分に聞くことによって検証や考える余地が生まれ、それがまた豊かさに繋がって広がってきたはずだ。それはうすやまさんに対してもそうだし、showgunnさんの過去のツイートにもそういう瞬間があった。今夜、私は私の弱さから、求めたいはずの豊かさからまた遠ざかってしまった気がしてならない。でも書かなければ多分今夜は布団に入ることさえできなかったはずだ。今夜はよく眠りたいんだ。どうでもいいけど2人ともアイコンに恵方巻きぶっ刺さってる。
ジュースのない夜
4日(6日でした)
シマダ選手権は今回もとんでもないヴァイブスだった。姫乃たま×シマダボーイズは今回も桃源郷で、表現ということはなんだったんだろう、と思いを巡らせた。爆音の中、先輩のサンプラーから頼りない軽いスネアが聴こえてきて、そこでじっと耳を傾ける。これがいい。そうして必要な情報を頭が抜き出そうとする。なにやら声が聴こえてくる。もう少し奥まで掘り進めていった先に「ジャンジャンバリバリ ジャンジャンバリバリ パチンコマン」というリリックが聴こえてきた。私は感動しながら膝から崩れ落ちた。思考にも似た想定というコップから表面張力を破って溢れ出したものが「PACHINCO・MAN」だったのだ。パンドラの箱の一番底に「PACHINCO・MAN」があった、と言ってもいいのかもしれない。
PACHINCO・MAN - song and lyrics by ブギー・マン | Spotify
6日(4日でした)
グレイモヤのスピンオフ企画。憧れのライヴに何故か唯一のミュージシャンとして出演することになった。あまりにかかって全員ぶん殴る気持ちで選曲、なんなら普段やらないような個人練習まで入って、この曲のここの隙間で弦をビギーってやったらギーンってなってゾックゾクするっしょ、とかやっていた。当日のリハで、普段のライヴだってここまで調整しないよ、っていうほどエレキ弾き語りのセット追い込んで組んだ。が、結局3分だけリハしたアコギで本番を迎えることになった。詳細な心変わりは近々エッセイとして書いたのでしばしお待ちを。全組客席で見ていて、全員最高だった。ムラムラタムラ氏の本番中に出番が近づいたので譜面を取りに行って、戻ってきたらもうもとにいた場所には戻れなく、舞台がまったく見えない状態だったのだけど、それでも「面白さ」が舞台が見れていたときと全く変わっていなかった。もちろん見れないことによって損なわれていたものはあった。しかし、それを補填しようと聴覚に力が入ったとき、考えている状況が頭の中に広がるとき、これが「想像力の翼」というやつだったのか、と知ることができた。「うん、質量は一緒だね」というやつだった。自分のライヴもめちゃくちゃご機嫌にやれた気がしたので観に来てくれた友人を無理矢理家まで送る、と言いながら韓国料理をつまんで遅い時間まで話し込んだ。とてもエポックな日だった。
某日
松永良平さんにアメリカを乞う。7月にハリウッド・ボウルで行われるスパークスとThey Might Be Giantsのライヴを見に行きたいが、いろいろ現実的じゃない、70万空から降ってきたら考えよう、と思っていたのだが、なんと空からは降ってこなかったがまとまった入金があるということがわかって、妻とふたりで焦っていろいろ調べだした。しかし、いろいろ実態や経験が追いつかず途方に暮れてしまったので松永さんにいろいろ伺うことにしたのだ。ホテルは?治安は?行ったほうがいいところは?チップの感覚ってどうなの?ノートにメモをとって、GoogleMapにピンがいくつも立った。チケットは取れるんだろうか。なんだかとてもワクワクしています。
某日
壁の模様の一部がラリったクマに一瞬だけ見えてうろたえる。
某日
シマダ選手権から数日経ったある日、車の中で妻とその日のことを話し合っていて「こんなホットな時期にペッパーミルやれるって先輩はホントすごいよね、体幹がないとできないよ」と私が言うと、妻は「それは違う。もうみんなペッパーミルを忘れて始めていた。先輩が思い出すのが一番早かったんだ」と言う。車はトンネルに差し掛かっていた。かつては車が通れなかった道を走っている。丘を削り、トンネルを通し、環八がつながった道路だ。私は感動していた。急でもなだらかでもない坂を上るとドン・キホーテの看板が見える。そうすると、まっすぐに道が伸びている。その途端、私の目線はドライヴァーの目線から、大空と言うには狭い空を飛ぶ鳥の目線を獲得していた。衝撃だった。「思い出すのが早い」そんな言葉聞いたことがなかった。目から鱗だ。心に刻もうと思う。
某日
絶対に選挙行こう、とニュースを見て心に改めて刻み込む。
某日
さまざまな改悪によりPCでTweetdeck開いているときにTLみるぐらいになっていってしまった。気が滅入り、mixiのおしまいのときってこんな気持だったな、なんて悲しい目をしてみる。
某日
祖母の法事。祖母が亡くなった直後、お坊さんがお経を読むのが面白くて仕方なくて、何度も笑いをこらえていたっけな、としみじみ窓の外を見たのだが、お経が始まるとまだ面白かった。代替わりして若いお坊さんになってから落ち着いていたのだけど、(先代はダンディなアナログ・シンセサイザーといった趣だったが、)技術を次第に身につけていって先代に近いディープさが出てきていた。
澤部家の墓には墓石の表記揺れがある。澤邊、澤辺、沢辺もあった気がする。家系図の類は何百年前にお寺が燃えて焼失してしまったそうなので詳しいことがわからないのだけど、こういうとき名前とは……戸籍とは……と考え込んでしまう。
某日
加藤和彦トリビュートのリハーサルで代々木八幡に向かう。充実したリハーサルになった多くの人に知られてほしい。ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルです。笹倉慎介→トクマルシューゴ→サニーデイ・サービス→パスカルズ→加藤和彦トリビュート→在日ファンク→EGO-WRAPPIN'→田島貴男→ムーンライダーズなんていうフェス二度とないかもしれないっす。気にしてくれ〜
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル 2023 公式サイト
リハーサルの合間に妻のお使いでtecona bagel worksでベーグルを買いに行ったらお店でかかっているのがBlossom Dearie Singsで「春です」「もう完全に春」と多めにベーグルを買ってしまった。
シャンデリア・ゴー・ゴー
17日
ワンマンの最終ゲネ。曲順なども変更なし。いい調子だがめちゃくちゃ疲れる。
18日
ツアーの支度に明け暮れる。
19日
メンバーより先に関西に入る。この日は台風クラブ石塚くんとラジオの収録。少し早く入ってレコード屋を見たり、気になっていた蕎麦屋へ行く。春が近い京都はいわゆる「うららか」の予感というやつで、大変気分が良かった。どこまでも行けそうな気がするよ、とはよく言ったもんだ。まだなるべく歩く、というのは続いていて、荒神橋から烏丸御池まで歩いた。あまりにも「うららか」の予感なもんだから飛び石を歩いて鴨川を渡った。
楽しい収録が終わり、ひとり夜の街を彷徨う。京都の夜は早く、目当てだった店は開いていたのだが、入ったら「ごめんね、今日はもうおしまい」と断れてしまった。この店、3回ぐらいそう断られている。つくづく縁がない。しょんぼりとして適当に歩いて見つけたラーメン屋に入った。これはこれでうまい。
α-STATIONが用意してくれた宿が本当に素晴らしい宿で、ベッドなんて縦で寝ても横で寝ても問題ない、という塩梅だった。部屋に備え付けられたレコードプレイヤーで今日買ったレコードを聴こうと思ったら盤が歪んでしまっていることに気がついてしまってちょっとしょげる。
京都を出て大阪へ向かう。道中は萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」を読んだ。自分が好きな作品の多くが隅に追いやられながら描かれたものだと知る。私が母からの薦めで萩尾望都さんを読みだした頃、すでに萩尾望都さんは少女漫画の大家で、母から当時のムードの話を聞いたことがあってもどうにも信じられなかった。しかし、本人から当時の回想を読んで、そのムードがより立体的になる。
大阪について、食いっぱぐれた昼食をなんとかしよう、とクアトロまでの道を歩きながら考える。すると、私の大好きな会津屋があり、そこでたこ焼きを買って会場入りした。メンバーと落ち合い、(萩尾望都さんの漫画をその時は読んでいなかったのになぜか)「一度きりの大泉の話」を読んでいた佐久間さんと本について少し話した。
久しぶりのレコ発ツアーということもあり、開演まで落ち着かなくて外に出てレコードを見た。地図も見ないでユニオンを目指す。するとどうだろう。SEEEDSに着いていた。お店の人と話して、ドド・マーマローサとアート・ヴァン・ダムのレコードを買って、ギリギリに会場に戻った。慌ててシャツを着て、ステージに向かう。大阪は前回のトワイライトツアーと同じく横ばい、人の入りは寂しい。でもその分、真剣に聴いてくれるのが伝わったし、それに応えていいライヴが出来た。特に歌はこの日が多分一番良かったし、ずっと歩いていたからか、身体が柔らかかった気がした。
21日
大阪で一泊。打上げも楽しくて、珍しく二次会にまで出た。名古屋のライヴは前日の反省を反映出来て、いい出来。しかし、「駆ける」始まる直前、カウントの裏に何かが崩れるような音が聞こえて(どうやら製氷機の音だったらしい)、気持ちを整理するのが大変だったし、アウトロで盛大に間違えた。他にも謎のコンコン、という音がときどき聞こえて集中力が乱されるなどして自分のメンタルの弱さを改めて知る。(謎の音はボーイ以外は全員聞こえていたようで、しかもすり合わせていくと全員違う聞こえ方をしていたようだった。そして録音にはその音は入っていなかった)集客こそトワイライトツアーと同じく横ばい、人の入りは寂しい。しかし演奏は調子もよく、お客さんの盛り上がりもまるで東京、ホームのような盛り上がりだった。
23日
網戸の交換。ずっとガタガタですぐ外れてしまうので困っていたから助かった。
夕方前に吉祥寺に出て本屋へ向かう。今日はほそやゆきのさんの「夏・ユートピアノ」の発売日だ。こんなに嬉しい気持ちで本屋に行くのはいつぶりだろう。新刊コーナーに本が並んでいるのを見ただけで気分が高揚した。他にもいくつか新刊を購入する。
『夏・ユートピアノ』(ほそや ゆきの)|講談社コミックプラス
窓を開けて漫画を読む。20ページの「昨日は濃い霧が出ていて あんまり外に出たいような日でもなかった」と語るコマがある。そこが印刷されることによって裏のページのコマもほんの少し透け、20ページの淡さがより強調されたような気がしてぐっとくる。アナログのレコーディングでいうと転写のような感じだろうか。物語に入っていけるような気がして最高だった。73ページから数ページ続くピアノの内部の描写も美しい。この日記読んでる人には絶対読んでほしい。
25日
東京公演。袖で緊張しているとTchotchkeの「Dizzy」に乗せて佐久間さんが手拍子しながら出ていったのを見て、なんてやさしいドラマーとバンドをやっているんだろう、と少し泣きそうになった。大阪・名古屋と空いている会場を見慣れてしまったからか、大勢のお客さんを前に身体が固くなるのを感じる。実際、序盤は声は出ているものの、どこか声がまっすぐ出ない感じがあった。でも熱いお客さんと仕上がった演奏にほぐされていき、最終的にはいいライヴになった。終演後、メンバーで牛角に向かい、ひたすらメシを食い疲れを労った。
28日
渋谷で会食があるため向かう。電車の中でほそやゆきのさんの『夏・ユートピアノ』をあらためて読み返した。連載のときも、買ってすぐ読んだときも、気持ちが揺れるところが違うのだけど、今回は響子がピアノの弦を切ってしまったときの回想のところで気持ちが大いに揺れた。しかし揺れた理由がわからない。そうして何度も考える。これがいいんだ。渋谷の駅で降り、スクランブル交差点で信号を待っていると、青になったのに動き出さない。はて、と思ったらみんな写真撮影をしていた。よく見ると海外の観光客の方々だった。3年前のような光景に驚いた。
ターンがスペシャル
6日
ずっと導入を検討していた食器棚がついに納品。我が家に収納革命が起こる。妻だと無理して取らなければならなかったアパート備え付けの収納にしまっていた普段遣いの食器を少しずつ入れていき、それまでダンボールに収められていた行き場のない食器が見事にアパート備え付けの収納に収められていった。食器棚は高いものではないのだけど、木の香りがして、そこだけ新築のような香りがする。
週末が福岡・長崎でのライヴだったため、いつも毎週録音していたナイポレはものすごく久しぶりに2本録り敢行。
7日
シティポップレイディオの収録。翌週末に控えた生放送についての作戦会議も濃かった。気が引き締まった。
友人を訪ねて機材の受け渡し。つい雑談に花が咲いてしまう。しかしその花、食虫植物だったんです……(下世話な会話も多かったことの比喩) 昼飯を食うつもりでいたのだがすっかり夕方になってしまった。友人に近くのとんかつ屋に行こうと思っているんだ、と告げると、まだ開店前。近くのとんかつ屋を紹介してもらったのだけど、そちらは定休日。でももう一軒のおすすめのとんかつ屋を教えてもらってなんてとんかつだらけの街なんだ、と感動した。
8日
昼間一本取材。多分記事にならない雑談の部分が大いに盛り上がる。その後夜に控えたインスタライヴまで時間があるので京王百貨店の九州展でいくつか買い物をした。インスタライヴは200人いくかいかないか、と思っていたが300人ぐらい見てくれてとても嬉しかった。もうちょっとライヴのチケット売上伸ばしたいんじゃ。
9日
定期検診。採血。今回も珍しく一発で採血が完了した。結果はともかく痩せよう、と医師と話す。とにかく歩いてみたらどうだ、という。膝の負担を考えて、プールに行ったり自転車に乗ったりしたのだが、まあいいよ、とにかく歩ける時は歩いてみよう、という話に落ち着いた。部屋に戻り、作業してからRRRを見に行った。立川ではインターヴァルを設けた上映をやっているのだ。前回見た時に、とんでもないスピード感で前半が終わって、インターヴァルとは画面にでるものの、そのまま後編が始まってしまったもんだから、後半の冒頭の部分がちょっと物足りなく感じたりもしていたのだけど、インターヴァル取ることによって後半の冒頭もめちゃくちゃ頭に入ってくる。休憩込みの作品かもしれない、と痛感。A面、B面の感覚だ。
10日
福岡へ向かう。翌日に控えたライヴのために前乗りしてアルバムの追加プロモーション。ポニーキャニオンの2人と空港で待ち合わせ、座席に着く。安田くんに「もし少しでもいびきがうるさかったら殺してください」と頼む。生きて福岡に着くことが出来た。福岡担当のポニーの高橋さんも合流し、ラジオの生放送を1本終え、ギリギリの時間になってしまったが、みんなでハイダルに行きたい、と電話したら、ハイダルさんは歓迎してくれた。インスタにあがっていた新メニュー、ゴルブナとポロタのセット。ゴルブナはとろみのついた牛肉のカレー、ポロタはチーズのナン、とのことだった。店主のハイダルさんは翌日、バングラデシュの病院の打ち合わせがあるため、帰郷しなければならなかったそうで、タイミングもよかったようだ。嬉しい。そして実においしい。いつきても感動する。CROSS FMの収録が終わったあと、それぞれに別れてレコード屋を目指した。春が来そうな福岡を歩く。ティーンエイジ・ドリーム・レコードに行くのは4,5年振りだろうか。前回来た時はNRBQのデッドストックが買えた。今回は何が買えるだろうか、と店内を見ていくと、The Nazzのアンソロジーのデッドストックがあった。中古で売っててもめちゃくちゃ高いものではないと思うけどなんだか嬉しくなって購入してしまった。
11日
起きてレコード屋に向かう。グルーヴィンを見て13時から田口商店を見る、という完璧な流れの予定。グルーヴィンではジョアン・ドナートの2001年作などを買う。後で家できいたのだけどこれが傑作。まだ2曲目だけどそう言いたくなる。
Ê Lalá Lay-Ê - Album by João Donato | Spotify
グルーヴィンから田口商店へ向かったのだが全然開かず諦める。取材(と昼食)のために西新に向かう。初めての街。小洒落た店と古い店が混在としていて昔の下北沢みたいだった。せっかく行くのなら、とついでの目当てにしていたレコード屋はもうやっていなかった。同じ住所の古本屋の人に訪ねてみると随分前に閉店していたそうで、それでもGoogleMapには情報が残ってしまっているのだそう。昼食のタローノカレーは普段はFM局で働く主人が土曜日限定で出しているお店。ポタージュがめちゃくちゃ美味しかった。香りの強い野菜が多く使われていて最高。
松浦アジフライパークというイヴェントに出演、取材が伸びてしまってユザーンさんのライヴは観れなかった。自分の出番はなかなかうまく行って嬉しい。特に突然に決まったユザーンさんとのセッションした「静かな夜がいい」は言葉が飛んでいく感覚があった。もし、これで歌詞がもっと開けた言葉だったらどうなっていたんだろうか。最近は弱っているので自分の創作に対してifを投げかけてしまうことが増えた。
終演後、アジフライをいただく。魚介が苦手な私はアジフライも今まで何度もチャレンジして食べられないことが多かったのだけど、ときどきあの独特の臭みが顔を出し、私を追い越しそうになったのだが、結果的には生まれてはじめておいしく食べることが出来た。会場には松浦の名物もいくつかあって、その中に「やきりんご」というお菓子があった。昔からあって変わらないお菓子なのだという。パッケージのあまりの可愛さに購入。食べてみたらいわゆるブッセのような仕上がりでひとつもやきりんご要素がなかった。だが、そこが可愛い。
終演後、あまりお腹が空いていなかった我々は、2時間後に晩御飯の予定を入れた。ポニーキャニオン一行はホテルに向かうというので井上さんに楽器を預け、昼間あまりいけなかったレコード屋を回ることにした。ボーダーラインレコードには定期的に地方のレコード屋が間借りするコーナーがあって、行った時は岡山のレコード屋というお店が入っていた。グリーンハウスの店名が変わったのだそう。そこでOh! Penelopeのプロモ盤を見つけてしまった。高額盤だった。1時間近く店内をぐるぐるして、どうしよう、どうするべきか、と考えを巡らせ、結果買ってしまった。嬉しい気持ちと罪悪感が同時に押し寄せ、他のレコード屋には寄らず、夕食の店まで歩くことにした。嬉しい気持ちと罪悪感がせめぎ合った結果、どうなってしまったかはもう思い出せない。
12日
安田くんの運転で波佐見町を目指す。道中、絶メシロードでも訪れていたさんゆうしという店が通り道と言えば通り道だったので寄ってもらい昼食を摂った。たろめんは一度は途絶えたソウルフードだそうで、シックな見た目の割にはパンチがきいていて素晴らしい昼食になった。会場であるHIROPPAに着いた頃には雨が降り出した。長崎でライヴが決まったよ、と言われたときは「えっ、人来るのかな」なんて思ったけど、結構人が集まってくれていた。本当に嬉しい。終わってお皿を買ったり、プリンを食べたりする。なんてことないかもしれないけれど、演奏が終わってからもしみじみ良い時間になった。天候にこそ恵まれなかったけれど、小玉ユキさんの「青の花 器の森」の舞台にもなった町だ、どうしたってテンションはあがる。東京に戻ったらまた最初から読み返そう。
お世話になったゲストハウスの玄関に怖いポスターが飾ってあって妻にその写真を撮って送ったら「MF Doomじゃねえか」と返信が来た。ヒップホップリテラシーのなさが浮き彫りになってしまった。
13日
帰りの空港で食べたラーメンがあまりに口合わなくひどく悲しい気持ちになる。
あぶない!シティ
25日
ナイポレの収録。岡田さん追悼特集にしようか、とも思ったがとてもじゃないけどそんな気分にもなれない。そうして高橋幸宏さんが自分にとっていかに遠い存在であったか、ということを今更ながらに知った。結局、新入荷報告会にして、最後に岡田さんの訃報に触れ、「バイバイグッドバイサラバイ」を流してもらう、という形を取った。放送局のライブラリーに「バイバイグッドバイサラバイ」があるというので、それを聴きながらしんみりしていると最後のピアノの独奏が入っていないシングルヴァージョンだということがわかり、慌ててレコードを引っ張り出し盤から起こしてディレクターY氏に送信した。あのピアノがないと今回はだめなんだ。自分で放送も聴いて最後のピアノの後、小さく拍手をする。
https://radiko.jp/#!/ts/ALPHA-STATION/20230303200000
26日
高野寛さんとスーパー銭湯という嬉しいツーマン。アンコールでセッションをやろう、と提案してくれて、僭越ながらも「ちょっとツラインダ」を提案。今、この曲を本人たち以外が歌うなら僕等しかいないに違いない。自分のリハーサルを終えて、会場入りした高野さんと多くを語るわけでもなく、4年前に一度合わせた「9月の海はクラゲの海」を演奏する。演奏しながらどちらが歌うか、ということをなんとなく整理していく過程で、(こういうことをいうのはいかにもミュ〜ジシャンで恥ずかしいのだけど)お互いがどれほど深く傷ついているか、みたいなものが通じ合ったような気がした。もしかしたら身勝手なセラピーのようなものかもしれないのだけど、1部のアンコールで演奏した「9月の海はクラゲの海」は個人的には一生胸に抱くような演奏になった。ひとりでは絶対に歌えなかった。2部では高野さんがこの世で一番いい曲のひとつであるロジャー・ニコルスの「The Drifter」を日本語でカヴァーした「ドゥリフター」、大好きな「いつのまにか晴れ」を歌っていてとてもうれしくなった。「虹の都へ」でブチあがってる社長も見れてよかった。
帰り道、全曲シャッフルにして道を走っていると一昨年のEXシアターでのライヴ音源の「さよならは夜明けの夢に」が流れてきた。「我が人生最良の一日です」と岡田さんがMCでこたえる。「50周年に向けてリハビリも頑張っていきたい」というような内容だった。今は正確な言葉を確認できる気持ちじゃないから違ったら申し訳ないのだけど、とにかくそういう内容だった。もっと号泣してしまうんじゃないかと思っていたし、実際涙は溢れたのだが、ハンドルを握りながら冷静な自分も居た。胸に穴が空いてしまったとしか言いようがない。
27日
夜、これから仲良くなりたい、と思っている人から飲みに誘われついていったらスターが3人サプライズで登場して腰を抜かした。ずっと緊張してしまったけど、もうしばらくやっていなかった飲み会のようなものが、私の暮らしに輝き始めた。人と話すの、人の話きくのすげーたのしい。
28日
某Rec。納得行くギターがなかなか録音できず迷惑をかけてしまった。
3月1日
街裏ぴんくさんと旧友松本健人くん、妻の4人でご飯を食べた。お笑いの話、音楽の話が入り乱れ学生の頃、放課後のような瞬間も、キャリアも中堅を迎えつつある我々のこれからをじっと見つめる瞬間もあり、気持ちが大いに揺れ動く日になった。
2日
自宅で某作業。頭を抱える。でもやれることはやった。いつか公開されたら笑ってみてください。
3日
ラジオの収録の前に新宿の高島屋で開催されていた味百選のエクステンデッド・エディションに向かう。渋いラインナップながらも刺激的でラジオの収録に遅刻してしまった。愚者。収録はつつがなく終わり、夕方迫る六本木から下北沢へ向かう。ニュー風知空知で岡田さんのいい仕事を語り合うイヴェントに出演。まだ整理がついていなく、そういう気持ちをみんなで語り合って少しずつ気分を軽くしていく。終盤で優介が「もう新しい曲は聞けないけれども我々にはまだ出会えていない岡田さんの曲がたくさんある」と話していて、なんて大人なんだ、俺なんか「寂しい〜〜〜」とかしか言えていないというのに。
ニュー風知空知から出るとライヴを終えたばかりのHei Tanaka一行とばったり。サトゥーさんに抱きついてうれしい出会いを噛みしめる。
4日
座・高円寺2に魔の巣を観に行く。ぴんくさんがバチバチにかましてくれて最高にかっこよかった。あらゆる方向に脳を揺さぶられる感覚はぴんくさんの漫談でしか得られないものになっている。
5日
リハーサル。今回から5人でのリハーサル。5人で最近やれてなかった曲をさらってから通してやる。これがめちゃくちゃに疲れた。おそらくセットリストはこれでフィックス。もうすぐツアーだ。ひとりでも多くの人に見てもらいたい。
_/_/_/_凸
22日
岡田徹さんの訃報が発表された。少し前にマネージャーの野田さんから電話を頂いて知ったのだけどやはり落ち込んだ。今でもどう言っていいのか、なにを思っていいのかわからない。LINEまで知ってる人が死んでしまうということが今までなかったからだ。誰かが亡くなって思えることなんて限られている、というのがひと月前の自分の日記に書いてあるが、やはりそうなのだろうか、頭が回らなくなってしまった。ただただ悲しい。思い出を整理してみるがうまくいかない。はじめてiPhoneのカメラロールの「ピープル」の機能を使って岡田さんを登録した。3/3にやる予定だったライヴについて岡田さんに連絡すればよかったな、「楽しみです」「あの曲やりましょう」、そう送ればきっと優しく返事をくれたはずだ。
夜は夜衝2を観に行った。ダウ90000蓮見くん作・演出のコントライヴ。構成力や台本の力といったものを飛び越えるような瞬間がいくつかあってめまいがした。束の間、傷ついた心も忘れて楽しんだ。終わって妻と街へ出る。かつてよく行った店がいくつも閉店してしまっていて、どう受け取っていいのかわからない。
23日
ナイポレの選曲を進めていく。とてもじゃないけど追悼・岡田徹特集をやれる状態ではなく、別の選曲テーマを煮詰める。月に一度が恒例になりつつある新入荷報告会。去年手に入れていた珍しい音源のOA許可をアーティストさんにも取った。いい形になったはずだ。いい曲が今回も揃ったので収録がうまくいくといいな。
24日
取材。高田馬場へ出る。またもやカウンセリングのような取材になってしまった。どういう形でまとまるか心配だけど、楽しい取材だったことも確かだ。記事が出たらまた報告します。
取材が終わってラーメンを食べた。とても美味しかったのだけど、ユニオンでレコード見ているときに目が滑ってる感覚のようなものがあった。実際、高田馬場のユニオンに行ったのだけど目が滑ってしまってなにも買えなかった。
電車のなかで「天幕のジャードゥーガル」の2巻を読む。真っ直ぐで安定した線路が私と物語を運んでいく。私は何を待っているのだろうか。ずっとここにいるためにずっとここにいるのだろうか。考えだけが巡っていく。
ロザモンド・モンモランシー・ファンクラブ
16日
永田敬介さんのトークライヴを観に行く。客入れ中も客出し後も永田さんとスクースクータイム井口さんが話し続けるというライヴ。この日のライヴの面白さはどう説明したらいいのかわからないんだけど、めちゃくちゃ面白かった。「火の鳥」を指して「これからもどんどん新しくなり続ける漫画」という意味のことをおっしゃっていて感銘を受けた。
18日
悲しい気持ちでライヴ会場へ向かう。こんな悲しい気持ちの日にライヴなんて。リハーサルを終えて、PINK MOON RECORDSで買い物していたらまつきあゆむさんにばったりお会いできた。小さいお子さんを連れてらっしゃって、「サージェント・ペパーズ」やビースティ・ボーイズなんかを聴いているそうだ。奇しくもその時の店内BGMは「サージェント・ペパーズ」のカヴァー・アルバムだった。若い店員さんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。
ライヴハウスに戻る。弾き語りは普段、そのばその場でやりたい曲をどんどんやっていくことが多く、この日もそうするつもりだったのだけど、うまく行かない気がして曲順を組んで臨むことにした。対バンだったLaura day romanceの川島くんから「今日もセットリスト決めないでやるんですか?インスタライヴで「いつかの手紙」リクエストしてたの俺です」と言われて背中を押された。曲順は白紙に戻すよ、悲しい気持ちがなんだっていうんだ、それとこれとは別だよ、と自分を奮起させた。ライヴはいい調子だったと思う。「ポップな音楽というと楽しいものを想定してしまいがちだけど寂しい音楽もポップの範疇、今の自分にとって一番ポップな曲をやります」みたいなことを言って「四月のばらの歌のこと」を演奏したのだけど、終演後ひとりの青年に声をかけられて、あのMCがとても響いた、と言ってくれた。嬉しいねえ。
19日
急に思い立ってコミティアに行った。急に思い立って行ったもんだから事前にティアマガすら買えず、昼からの参加となった。久しぶりのビッグサイト。前回行った時は青海の方だった気がする。不思議と久しぶりな気がしない。志村日誌オルタナティブ(現:志村日誌ナゴヤ )の志村伸夫さんがサークル参加されると聴いたからだった。志村さんの本は結局買えなかったけど久しぶりにたいぼくさんや亀井薄雪さんに会えて嬉しかった。本もたくさん買った。ののもとむむむさんに「ムーンライダーズでお見かけしています」と言われる。誤算だったのはあんまりたくさん買うつもりじゃなかったのだが、実際足を運んでみると「持ってない既刊」が多すぎた。お金はあっという間にそこを尽きてしまった。
そのままリハーサルスタジオに向かう。3人体制でのツアーのリハーサル。まだセットリスト触れるところは触っていってよりよくしようとしていく。コミティアの後だからさすがに疲れ果てる。
車から降りて部屋の灯りが見えたとき「悲しい気分だから電話かけたのさ」という歌詞がなんとも胸に染み入る夜だ、と突然思った。
いい言葉ちょうだい - song and lyrics by Fishmans | Spotify
元パニックハウス加口くん、ユームラウト西村氏の3人で飯を食った。別れた後、加口くんが「粗悪な月あかり」の詩をほめ忘れた、とツイートしてくれていてアガる。同業者にもっとほめられたい。
21日
昼間、完璧な晴れの街を歩く。「空が青い、と歌うだけで悲しさを表現できる」というのは加藤和彦さんが高橋幸宏さんを評しての言葉だ。
sorayaさんとシンリズムくんのライヴをふらっと観に行った。素晴らしかった。この組み合わせで今見れてよかった。転換中に「あっ!あの!ODDTAXIの!ファーストテイクも見ました!」と若者に声かけられて「そうです、PUNPEEじゃない方です」と答えたのはちょっといけ好かなかったかもしれない、私が悪かった。終演後には別の青年に声をかけられ「澤部さんがツイートしている音楽から掘って行っていろいろ聴いています。yes, mama ok?とか、ムーンライダーズとか」と言われて、すぐ近くにうすやま氏(私が14歳の頃からDJを聴いて影響を受けた人)がいて、「いや〜〜〜いいっすね〜〜〜」とかわけのわからない絡み方をしてしまった。
アンコールでリズムくんを交えた3人で演奏した「ひとり」がすごく良かった。完璧なポップ・レコードがすでにここにあるのに、ピアノ、ベース、歌、ギターというシンプルな編成だからこそ、それを凌駕する何かがあった。