某日
楽屋で優介と佐久間さんが音楽の話しててなんとなくiPhoneから10秒ほど流した音楽がめちゃくちゃカッコよくてそのままメモしてそのまま注文したKassa OverallのAnimalsというアルバムだった。しばらく経ってようやく聴いて確かにめちゃくちゃカッコいいんだけどそれ以上にロウきついな、と感じてしまって冷静な判断がまだできない。ロウ感ひとつで世界に取り残されてしまうのか、俺は。
某日
朝、ラジオの録音して、終わってそのままCIRCLEで使った楽器を川崎の方まで取りに行く。1時間ちょっとの道が本当に知らない場所まできたような気持ちになり、持て余した。無事に楽器を受け取り、眠り足りなかったので少しだけ眠って、リハーサルに向かう。「今日はね、ラジオ録音して楽器の受け渡しやって、ちょっと眠って今ですね」と佐久間さんに説明したのだけど、疲労感をこれっぽっちも伝えることができなかった。
連日作曲が続いている。仕事で曲を書いているのだけど、右往左往してその度にうまくいかない、と嘆く。しかし2、3年前とは違って、ギターを持ってコードを弾けば自然とメロディが出て、簡単なスケッチにはなる。ぼんやりとしたオーダーだけど、力強いオーダーなので、たびたび立ち止まっては検証し、また別のスケッチを描いていく。自分に納得のいくものを作ると、オーダーに応えらている気がしなくなって不安になった。こんなにひとつのオーダーに対して何案もスケッチだけだけど書くことは今まであんまりなかったので、楽しい、という気持ちまで混ざり始めて頭がこんがらがる。夜中のスタジオのミキサーの電源の音すら気になる日もあったし、向かいでドラマーが個人練習していても気にならない日もあった。
某日
ZOOMで打ち合わせだったのだが、自分のモニターで後ろにあるレコード棚に畑中葉子さんの「後ろから前から」が置いてあることに気がついて、どういう気持ちになったらいいのかわからなくなってしまった。何日か経ったが今でもわからない。
26日
森、道、市場の前乗り。ロックの話になり、やっぱりまだOASIS(オゥエイシス)がわからない、という話をした時、「団地出身の持たざる若者が楽器を手にして、それが聴衆を巻き込んで大きいところでライヴやる、みたいな部分をみるなら、今のヒップホップに近い」(意訳)と佐久間さんが言っていて、膝を打った。いまいちハマれないのはストーリーと音楽が同等にあったからなのかもしれない。音楽の先にストーリーがあるのは好きなのだけど、ストーリーが同等になるとそれは確かに中学の頃から嫌悪が始まったロックのそれではあったのか。しかし、それは俺自身が抱える、自身のストーリーのなさからの反発なのだろうか。
27日
森、道、市場。いつか呼ばれないかな、と思い続け幾星霜。やっと出演できて嬉しい。嫌われているとさえ思っていたからョ……
某日
やっと曲の形になった。超ギリギリで提出、イントロを別案にするだけでなんとかなりそうで胸を撫で下ろす。
某日
yes, mama ok?のリハーサル。ずっと曲を書き続けていたそのさなかだったから一曲一曲の重みにシビれ倒す。ここで……こういって……ここへ……!!!?で驚きたい、という気持ちと、もっとライトなものも作りたい、という気持ちがないまぜになって今のスカートがある。それでも1曲だけでもyes, mama ok?のような曲がいつか作れたらいいのに、って思い続けて、曲を書き続けるのだ。(えっ、サブスク一時期コロムビアのもあったのにどうしてLD&Kだけになってるの……)
某日
ハリウッド・ボウルでのSparksのチケットを取った。結局TMBGのサイトがサイトでフリー音源DLした人には先行のコード出しますよ、と言っていたのでそちらから購入。チケット代はステージから少し離れた場所だけど、俯瞰で見れる場所。55ドル。
29日
狭山でライヴ。トノバンズ、楽屋でアコースティックリハ。これがまたなんとも言えずいい。そりゃもとがフォークなんだから、と言われそうだけど「シトロン・ガール」とか「どんたく」の感じがまたよかったのだ。本番も快調。
ムーンライダーズ。慶一さんに託された「さよならは夜明けの夢に」を歌っている時の気持ちはどう言えばいいのだろう。涙は流れていないけど確実に泣いていて、自分でもよく冷静を装って歌えるものだな、と(冷めているように思われそうだけど全く違う次元で)思った。
5月4日
かが屋の単独を見に行く。寿司屋のコントがあまりに素晴らしすぎて打ちのめされる。感動のあまりに「わっ」とか「アッ」とか言ってたら妻に叱られた。しかしどえらいものを目撃した。もちろん他のコントも素晴らしかったのだけど、最高。妻は当日券で2日後また見に行っていた。
某日
街裏ぴんくさんと松本くんとの打ち合わせは盛り上がりに盛り上がり、累計10時間を超えた。松本くんが細かく色々考えてくれて形になった。本番が楽しみ。
8日
想像を超える内容のライヴになった。自分でも知らなかった自分の曲の側面が出た。そういうライヴはいいライヴ。自分を超えた何かがあった気がする。
近くの居酒屋で軽い打ち上げをした。メニューにかんぱちがあったので注文をする。6年前のCIRCLEの打ち上げや藤井隆さんとの打ち上げを経て、少しずつ苦手だった魚介類に近づきつつあったので、興が乗ってオーダーした形だったのだけど、いざ食べてみると自分が苦手だった魚の要素が一口食べて口の中いっぱいに広がった。いつもの私なら落ち込んで使い物にならなくなるところだったけど、今日は違う。なぜなら最高のライヴをしたからさ。
9日
GOODYEAR MUSIC AIRSHlIP〜シティポップ レイディオ〜の収録。前日の熱が体に残り、口がうまく回らず、何度も「今薄いことしか言えなかった」と収録を戻したりした。
11日
どついたるねんのリハーサル。先輩が途中で手紙を読み出して、それがすごい内容で終わったあとに尋ねたら、95年の24時間テレビでキムタクが自分に向けて書いた手紙のパロディだという。感動しちゃったよね。YouTubeの動画だとピアノのBGMが邪魔だな。
24H TV 1995 木村拓哉、自分自身への手紙 - YouTube
12日
ライヴは大盛況。チケットの予約ないって話聞いていたからどんだけガラガラなんだろう、って怯えていたけど結果的にまあまあ人が入って嬉しかった。帰りがけにHOGO地球のだらりくんの住所を無理矢理聞き出し、その場でAmazonでほそやゆきのさんの「夏・ユートピアノ」を送りつけた。
前も話したけどこの日記読んでる人は全員読んでほしい。
15日
ムーンライダーズリハーサル。この日のリハーサルは珍しく丸く囲まれた配置でいつもと違う。NHKで放送された「30年のサバイバル」はこんな感じだったよな、なんて思い出す。夜明け近くまで旅の支度をした。明日から5泊6日だ。
16日
ぴんくさんとのツーマン、大阪編。東京とは違ったグルーヴになった。東京の方ははじめての割にはすぐにふたりのムードになった気がするけど、この日は少しずつ時間をかけてとんでもないことになっていった感じがして、それはそれでめちゃくちゃだった。「静かな夜がいい」めっちゃよかった。特にショートネタを3つずつ披露するゾーンは「もし俺が客だったら」って強く思った。客席で観たかった。打ち上げも濃厚に終え、ホテルの部屋で泥のように眠る。
17日
めちゃくちゃ暑い。喫茶店でお茶をしてたこやき食べて札幌に向かう。翌日、TENDOUJIのライヴに弾き語りで出演するためだ。飛行機を降りるとめちゃくちゃ寒くてどうにかなりそうだった。急いでホテルの部屋に向かい、荷物を解く。久しぶりの長旅でいろいろ詰めたトランクが悲鳴をあげ、ポケットに入れてあったビオレが爆発していた。一旦その事実を無視して体を温めることに専念。部屋でぼんやりしたのち、せっかくだからとジンギスカンを食べにいった。何も考えずにオーダーしていたら1万円超えていて流石に泣きそうになった。でもめっちゃくちゃ美味しかった。でも泣きそうにはなった。部屋に帰ってビオレが爆発したトランクと向き合う。幸い、Tシャツ一枚だめになっただけでどうにかなったが、いろんな澱は積もっていく。深夜、テレビをつけたら0:15から水曜どうでしょうが始まって、さすがすぎた。昔、札幌入ってテレビつけたら流氷にアザラシ乗ってる映像流れてたことあったけど、そのとき以来に「北海道」の大きさを見せつけられた瞬間だった気がする。
18日
日本橋の催事で来ていた洋菓子店、ププリエにやっと行けた。催事のときはガレットだけだったけど、この日の目当てはケーキ。喫茶のスペースも再開されていて、そこでチョコレートケーキ、カボチャのプリンと紅茶をいただく。どちらもめちゃくちゃうまい。カボチャのプリンもチョコレートケーキもシンプルながらも複雑、つまりは最高。お店の方に声をかけられ、なんとスカートを知ってくれているという。大泉洋大先生のサインの入ったポスターの横のポスターにサインを書かせていただいた。驚いちゃうよね。あまりの美味しさにホテルで食べる、と言っていくつかケーキを取り置きしてもらった。そこから楽音舎で買い物。NRBQがカール・パーキンスとやってるやつとかいいもの買えて嬉しい。
ライヴは(広義の)パンクバンドに挟まれ、弾き語りをしなければならなかったため、どうなるかと思ったのだけど、想像以上にパンクにやれた手応えがあった。TENDOUJIは本当にチャーミングなバンドだ。いつ観てもワクワクする。
打ち上げ参加するかどうか尋ねられたけど、翌日が8時台発の飛行機だったため、泣く泣く断念。GoogleMapで一番評価が高かったラーメン屋でラーメン食って部屋で眠る。
19日
寝起きでププリエで買ったケーキを食べ、にぎりめしでおにぎり買って、飛行機。そのまま福岡へ入る。ライダーズのメンバーとは少し時間がずれるのでひとりだけハイダルにいった。マトンのカレーを食べ、ようやく全てが落ち着いてきたような気がする。
この日はラジオ局を一緒に回る。慶一さん、夏秋さん、そして僕。「ムーンライダーズの鈴木慶一さん、夏秋文尚さん、澤部渡さんにお越しいただきました」と言われて背筋が伸びる。
夜はESPにてインプロアルバムのドキュメンタリー?の上映会。当日、スタジオ内がどんな感じか見れていなかったのでとても興味深かった。この音はこの人が出していたんだなあ、なんて今更ながらに思ったりもした。
打ち上げも楽しく、料理も美味しかった。ずっと落ち着いた味の料理が運ばれてきていたのに最後の最後にガーリックライスが運ばれてきて情緒がどこかへいった。食ったけど。
CIRCLE。ライダーズのライヴはとてもうまくいった気がする。良明さんがぶっちぎってて最高だった。演者でありながら客として見にきていた頃の「うおー、かっこいい、これこのあとどうなるんだ!」を体験していた。DJも多くの人が見にきてくれて嬉しかった。終演後、社長と同じバスに乗り、ホテルに向かい、10時からのムーンライダーズの打ち上げに参加する予定だったけど、冷えてきたし早く帰りたい、とゴネたら相乗りでもよければ席が空いたら案内してくれる、ということになった。しばらく経って「澤部さーん」と声をかけられ、バスに飛び乗ってみるとSOILの社長さんと向井秀徳さんが乗っていた。あまりの事態にガチガチになったのだけど、意外なことに向井さんが声をかけてくれた。「ムーンライダーズ、すごく良かった。先輩たちの姿をみると勇気がでる」というのだ。「気がつくとそこに ポケットに手を突っ込んでセンチメンタル通りを 練り歩く17歳の俺がいた」とかつて歌った向井さんが今のライダーズを見て、そうおっしゃってくれていることが嬉しくてたまらなかった。中学生の頃に心酔したナンバーガール、そして大学生の頃に心酔したムーンライダーズ。それがこういう形で、こういう場所で交わったのだ。それからいくつかの雑談を経て、ホテルの部屋に行こうとしたら、飲みに行こうか、と誘ってくれた。その時点でほぼ10時になりそうだったのだが、ライダーズには「なんやかんやあって遅れています!」とだけ伝えることにした。タクシーに乗り、向井さんは一言「親不孝通りまで」と運転手に告げる。シビレル。タクシーを降り、連れていってもらったロックバーで向井さんが「ジンライム」とオーダーするので、私もジンライムをオーダーした。普段飲めない私が、コアントローでBAD入っちゃったこの俺が、ジンライムなんてオーダーして大丈夫なのだろうか、と思ったのだけど結果的に意外と飲めた。緊張のあまり飲めたのかもしれない。向井さんは機嫌良くバンドがライヴをやったあとのバーで「今夜はきっと彼らがこういう演奏をしたに違いない」と「ばーっばっばっばばー」「スウィージェーン」と捻り上げた。なんという光景だろう!音楽やっててよかったよ!!しかし、ムーンライダーズの打ち上げにも参加したかったので情けないことに途中で席を立ち、そちらに到着。くじらさんが壁にかかった絵の傾きを直していた。
Sweet Jane - song and lyrics by The Velvet Underground | Spotify
22日
どうしてもプリファブ・スプラウトの"Steve McQueen"アコースティック盤が欲しくてレコードストアデイに参加することにした。皆ほしいに違いない。だったら並ぶしかない。と自転車を漕ぐ。先を急ぐその人、この人も"Steve McQueen"がほしい人のように見えてくるが、そんな世の中だったらもっといい世の中になっているはずなのだ。
吉祥寺のユニオンに着き、並んでくじ引き方式で整理券をもらう。整理番号は3番。並んでいる間にアメリカ行きの飛行機と宿を見る。やはりなかなかの額になるのでなかなかクレジットカードが通らず、来月にならないと買えないかもね、なんて話していたのだが、待っている間に試してみたらすんなりと取れてしまって狼狽する。俺は行くのか、アメリカへ。
無事に入店、目当てだったプリファブは買えた。「今すぐKiss Me」と「BELIEVE IN LOVE」も買えた。「今すぐKiss Me」はプロモ盤が存在したから需要あるのもわかるんだけどなぜ「BELIEVE IN LOVE」がアナログになったのだろう。5以降も7インチになるのか、なんてちょっと想像して興奮している。「恋をしようよ Yeah Yeah / Magical Dreamer」とか「会いたくて -Lover soul- / 胸さわぎのAfter School」とかありえるのだろうか……Ⅸはフルでアナログにしてくれたっていいんだよ…… プリファブは入荷の棚に2枚刺さってて、無事に買えて安心していたのだけど、帰り際にもう1周見てみたらまだあった。うむ。しかしNRBQのTOKYOは入荷がなかったそうで慌ててHMVに向かう。するとそちらには普通に面陳になって複数の"Steve McQueen"が並んでいたのであった。そしてTOKYOはこちらも売り切れ。慌てて平澤さんに「吉祥寺はHもユニオンも売り切れ!」と連絡を入れると渋谷のタワーのパイドだったらきっとあるよ、というので向かってみると実際あった。ちゃっかりレコードストアデイを楽しんでしまっている。帰りに更にココナッツに寄り、初期の台風クラブのリプレス盤も購入。これこそ本当の俺のレコードストアデイだ。
帰り道の自転車がこんなにも心地よい。達成感とアメリカ行きの支払いのプレッシャーが交互に押し寄せてくる。
23日
街裏ぴんく氏と松本健人くんの3人でクアトロツアーの内容を詰めていく。前日の全体打ち合わせを入れたら6時間近くの打ち合わせを経て、ただただ楽しみでございます。頼む、一生のお願いだから観に来てくれ。
27日
作曲のため、吉祥寺のスタジオまで歩いて行く。2ヶ月ほどなるべく歩く、は続いていて、毎日8000歩いたほうがいい、なんて記事読んでそんなんむりっすわ、と折れかけていたが、週に1日1万歩歩けたらいいよね、ぐらいの気持ちになってからはやれているからそのうち痩せちゃうかもしれない。痩せない。しかし我が家から吉祥寺といったら大した距離で、自転車だったら気が楽なのだがたどり着いた頃には疲れ果ててしまい作曲も大した成果を挙げることが出来なかった。丁度いい運動量を見極めるのが難しい。
28日
昨日の反省を生かし、自転車で吉祥寺に向かう。翌日に控えたハイドパークミュージックフェスティバルの最終調整を行う。譜面に足りていなかった要素を書き込んだり、コーラスのラインを再び確認したりしていった。なにかとてつもなく大きいものを感じる。
15日
板橋は高島平で行われるITa Fesに出演。the band apartさんの主催のイヴェントに呼んでいただいた。当日は生憎の雨、アコギにトラブル、などなど悪い条件も重なったが演奏は調子が良かったように思う。佐久間さん不在だったために、アコースティック・セットだったけどリハーサルのときに「もうちょっと16っぽい曲やっても大丈夫そう」となり追加した「回想」は出色の出来だった。普段のライヴとも違い、ゆったりと間合いを取れたのもよかったのかもしれない。会場となった場所は夏になると花火で盛り上がるあたりだったはずだ。花火の思い出も35歳になってくすみ始めていて、そんな思い出あっただろうか、と思うザマである。生まれた街でこうやって歌をうたうのなんでいつぶりだろうか。小学生の時に団地のお祭りに同級生と参加してPUFFYの「これが私の生きる道」を演奏したとき以来ではなかろうか。あの日とは随分勝手が違う。でもあの日のことは今でもよくおぼえていて、露天に売られていたプリズムに心奪われていた記憶のように、協賛のタニタさんのブースで買った万歩計を見ながら、この日のこともまたいつか思い出すのでしょう。高島平の思い出はこちらを御覧ください。
西台・高島平 ─ 努めて忘れようとすれば、常に曇天のノスタルジー | スカート・澤部渡 - SUUMOタウン
16日
妻と大関さんことゼキさんとグレイモヤを観に行く。みんな面白かったのだけどトリのダウ90000が本当に素晴らしすぎた。おかしくて切ない、というのはビリー・ワイルダーや男はつらいよをみた10代中頃以降の私に巣食ったテーマのひとつなのかもしれない。感動して深夜までココスでゼキさんと語らう。
17日
友田オレ氏の単独を観に行く。客入れのBGMがJAPANのTin Drumで腰を抜かした。グッドメロディに乗せて麻生太郎の家系図(女性は省略されていない!)をたどる、というネタがとてもいい意味で虚しく響く。
18・19日
カレンダーには「作曲」と入力されていたがなにも出来なかった。
医者に行って、そのあと散髪という予定で、妙に時間が空いたので荻窪から吉祥寺へ向かうのを電車ではなく、南善福寺行きというよくわからないバスに乗るだけ乗って南善福寺に着いてから考えてみよう、としてみた。南善福寺のバス停も知らない場所ではなかったし、そこから20分ぐらい歩いて吉祥寺にも出ることが出来た。なんなら暑いぐらいの4月に戸惑う。「4月でこんなに暑かったら8月どうなっちゃうのよ」と家に帰って妻にいうと「テレビで熊谷市の人が一言一句違わずおんなじこと言ってたよ」と教えてくれた。
散髪に向かう最中に昨日一昨日のあがらなかった成果の「作曲」という言葉が突然のしかかってきた。どうやったら自分は変わるんだろう、しかし変わりたい自分がなまけものの自分なのか、大して売れないような曲を書き続けている自分なのか判断がつかなくなった。「今日はどうしよう?」とシゲルさんに言われて、「例えば、髪型を変えるとしたらどういうのがいいんでしょう?」と訊くだけ訊いてみて、デコを出す方向で髪を切ってみることにした。鏡の前ではいい具合にも見えたのだが、帰る頃にはまた長く歩いたこともあり汗をかき、普通にぺったんこになっていてなんとも言えない気持ちになった。
21日
ナイポレの収録。「本当にインターネットにない曲特集」と風呂敷を広げて収録を開始したのだが、収録中にリストにあがっていたうちの2曲がインターネット上にあると発覚、急遽組み直しすることになった。以前、サブスクにない曲特集をやった時にヘッド博士はサブスクにないよね、と「GROOVE TUBE」をかけたのだが、放送後にシングルズに収録されていたのがサブスク解禁されているとリスナーから教えてもらったという経緯があったので慎重にもなるのだ、ふふふ、ははは。絶妙なラインの曲がたくさんかかる個人的にはいい回になった。
showgunnさんがうすやまさんのツイートを指して声を荒げているのを見てしまった。うすやまさんのツイートは「サマーヌード」や「Shangri-la」を理解するのに当時はタイムラグがあった、という内容で、showgunnさんは並列に扱われていることに違和感がある、という。私がうまくshowgunnさんのツイートを捉えられなかっただけかもしれないけどどうやら曲どうこうというよりも真心と電気が並列になっているのが気に入らないようで、サマーヌードとShangri-laのオリコンの順位まで書いていた。そしてそれが歴史的事実みたいに語って、それが鵜呑みにされてるのは良くない、ということで声を荒げて、しまいには「ウソヤマに改名したらいいんじゃね」とまで言い出していて何もかもくだらなくて腹が立って仕方なくなった。そもそもRTが少し伸びてるぐらいでRTした人が本当に鵜呑みにしているかどうかなんてわからないじゃない。showgunnさんのツイートも大好きだし、はじめてDJでお会いした時は一緒に写真撮ったりしてもらった。あれは終日ONEだった。懐かしい。うすやまさんは私の師匠のような人だ。中学生の頃からうすやまさんのDJを聴いて音楽への接し方のいくつかの面はおいては大いに影響を受けた。ただただイタいティーンエイジャーだった私に音楽を通して広すぎる世界を見せてくれた。うすやまさんはいつだって偏った(と私は思っていないのだけれど、そう言わないと伝わらないかもしれないからそう言う。私からしたら「偏った」なんてつかないただの)音楽の素晴らしさをいつも提示してくれる。俺は音楽やその人を通して、調べればわかることをわざわざ知りたいと思わない。その人が暮らしてきた中でどういう形でその音楽が響いたのか、そういう話が聴きたい。showgunnさんが言うようにそれが事実のように語ってるなら問題だけど私にはそう見えなかった。それは私がうすやまさんのツイートをよくみてるからかもしれない。私はうすやまさんは悪くない、なんてことがいいたいのではない。ただ、Twitterなんて便所の落書きだという前提がなくなったような気がしておれは悲しい。自分もできていない気がするから自戒も込めて書くけど、歴史書に載らないような話も真に受けながらも話半分に聞けるようになりたい。私に於いての話だけど、(Twitterだけの話じゃなく)これまで話半分に聞くことによって検証や考える余地が生まれ、それがまた豊かさに繋がって広がってきたはずだ。それはうすやまさんに対してもそうだし、showgunnさんの過去のツイートにもそういう瞬間があった。今夜、私は私の弱さから、求めたいはずの豊かさからまた遠ざかってしまった気がしてならない。でも書かなければ多分今夜は布団に入ることさえできなかったはずだ。今夜はよく眠りたいんだ。どうでもいいけど2人ともアイコンに恵方巻きぶっ刺さってる。
4日(6日でした)
シマダ選手権は今回もとんでもないヴァイブスだった。姫乃たま×シマダボーイズは今回も桃源郷で、表現ということはなんだったんだろう、と思いを巡らせた。爆音の中、先輩のサンプラーから頼りない軽いスネアが聴こえてきて、そこでじっと耳を傾ける。これがいい。そうして必要な情報を頭が抜き出そうとする。なにやら声が聴こえてくる。もう少し奥まで掘り進めていった先に「ジャンジャンバリバリ ジャンジャンバリバリ パチンコマン」というリリックが聴こえてきた。私は感動しながら膝から崩れ落ちた。思考にも似た想定というコップから表面張力を破って溢れ出したものが「PACHINCO・MAN」だったのだ。パンドラの箱の一番底に「PACHINCO・MAN」があった、と言ってもいいのかもしれない。
PACHINCO・MAN - song and lyrics by ブギー・マン | Spotify
6日(4日でした)
グレイモヤのスピンオフ企画。憧れのライヴに何故か唯一のミュージシャンとして出演することになった。あまりにかかって全員ぶん殴る気持ちで選曲、なんなら普段やらないような個人練習まで入って、この曲のここの隙間で弦をビギーってやったらギーンってなってゾックゾクするっしょ、とかやっていた。当日のリハで、普段のライヴだってここまで調整しないよ、っていうほどエレキ弾き語りのセット追い込んで組んだ。が、結局3分だけリハしたアコギで本番を迎えることになった。詳細な心変わりは近々エッセイとして書いたのでしばしお待ちを。全組客席で見ていて、全員最高だった。ムラムラタムラ氏の本番中に出番が近づいたので譜面を取りに行って、戻ってきたらもうもとにいた場所には戻れなく、舞台がまったく見えない状態だったのだけど、それでも「面白さ」が舞台が見れていたときと全く変わっていなかった。もちろん見れないことによって損なわれていたものはあった。しかし、それを補填しようと聴覚に力が入ったとき、考えている状況が頭の中に広がるとき、これが「想像力の翼」というやつだったのか、と知ることができた。「うん、質量は一緒だね」というやつだった。自分のライヴもめちゃくちゃご機嫌にやれた気がしたので観に来てくれた友人を無理矢理家まで送る、と言いながら韓国料理をつまんで遅い時間まで話し込んだ。とてもエポックな日だった。
某日
松永良平さんにアメリカを乞う。7月にハリウッド・ボウルで行われるスパークスとThey Might Be Giantsのライヴを見に行きたいが、いろいろ現実的じゃない、70万空から降ってきたら考えよう、と思っていたのだが、なんと空からは降ってこなかったがまとまった入金があるということがわかって、妻とふたりで焦っていろいろ調べだした。しかし、いろいろ実態や経験が追いつかず途方に暮れてしまったので松永さんにいろいろ伺うことにしたのだ。ホテルは?治安は?行ったほうがいいところは?チップの感覚ってどうなの?ノートにメモをとって、GoogleMapにピンがいくつも立った。チケットは取れるんだろうか。なんだかとてもワクワクしています。
某日
壁の模様の一部がラリったクマに一瞬だけ見えてうろたえる。
某日
シマダ選手権から数日経ったある日、車の中で妻とその日のことを話し合っていて「こんなホットな時期にペッパーミルやれるって先輩はホントすごいよね、体幹がないとできないよ」と私が言うと、妻は「それは違う。もうみんなペッパーミルを忘れて始めていた。先輩が思い出すのが一番早かったんだ」と言う。車はトンネルに差し掛かっていた。かつては車が通れなかった道を走っている。丘を削り、トンネルを通し、環八がつながった道路だ。私は感動していた。急でもなだらかでもない坂を上るとドン・キホーテの看板が見える。そうすると、まっすぐに道が伸びている。その途端、私の目線はドライヴァーの目線から、大空と言うには狭い空を飛ぶ鳥の目線を獲得していた。衝撃だった。「思い出すのが早い」そんな言葉聞いたことがなかった。目から鱗だ。心に刻もうと思う。
某日
絶対に選挙行こう、とニュースを見て心に改めて刻み込む。
某日
さまざまな改悪によりPCでTweetdeck開いているときにTLみるぐらいになっていってしまった。気が滅入り、mixiのおしまいのときってこんな気持だったな、なんて悲しい目をしてみる。
某日
祖母の法事。祖母が亡くなった直後、お坊さんがお経を読むのが面白くて仕方なくて、何度も笑いをこらえていたっけな、としみじみ窓の外を見たのだが、お経が始まるとまだ面白かった。代替わりして若いお坊さんになってから落ち着いていたのだけど、(先代はダンディなアナログ・シンセサイザーといった趣だったが、)技術を次第に身につけていって先代に近いディープさが出てきていた。
澤部家の墓には墓石の表記揺れがある。澤邊、澤辺、沢辺もあった気がする。家系図の類は何百年前にお寺が燃えて焼失してしまったそうなので詳しいことがわからないのだけど、こういうとき名前とは……戸籍とは……と考え込んでしまう。
某日
加藤和彦トリビュートのリハーサルで代々木八幡に向かう。充実したリハーサルになった多くの人に知られてほしい。ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルです。笹倉慎介→トクマルシューゴ→サニーデイ・サービス→パスカルズ→加藤和彦トリビュート→在日ファンク→EGO-WRAPPIN'→田島貴男→ムーンライダーズなんていうフェス二度とないかもしれないっす。気にしてくれ〜
ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル 2023 公式サイト
リハーサルの合間に妻のお使いでtecona bagel worksでベーグルを買いに行ったらお店でかかっているのがBlossom Dearie Singsで「春です」「もう完全に春」と多めにベーグルを買ってしまった。