幻燈日記帳

認める・認めない

はちみつ通りのヴァカンス

1日

豪の部屋に出演。家を出る前に妻から「余計なことをしゃべるんじゃないよ」と釘を刺される。私も私自身で釘を刺した。雨の予報を無視して部屋を出てしまって、渋谷で立ち往生。コンビニで傘を買ったら1000円して、私と現代と現在への憎悪がメラメラと燃えさかる。ほんのり遅刻してスタジオに入る。実際とても楽しく話せたので多くの人に見て欲しい。余計なことはあんまり言わなかったとおもう。私としては同性の方から向けられる性的な視線や行動についてのトラウマの件を話せて少し肩の荷が下りて大変助かった。

エゴサーチしていたら吉田のコバーン派?コベイン派?の何が面白いのかわからない、と言ってる方がいて、なるほど、確かにわからない人にはわからないかもしれない、豪さんもキョトンとしていたような気もする……ので、説明する。「なんだお前らロックの話もしないのか」という軽口に対して、日本ではカート・「コバーン」とされてきたけど、本国の発音としては「コベイン」のほうがより近い表記になるし、ちょっとツウぶった態度を取れる。それを指して「コバーン派?コベイン派?」と言い放った。確かにロックの話ではある。が、まったくロックの話ではない、とも言える。どちらでもあり、どちらでもないというその鮮やかさ!私はまるで手品でも見るような気持ちで爆笑していた、という話でした。)

youtu.be

放送が終わって外に出ると雨はもう上がっていた。右手に持つ傘が1000円に感じる。

 

2日

ONCE ダブリンの街角で」の上映がある、ぜひコメントを、と連絡がきたので見返す。2008年とかだったと思うんだけど、おかもとだいすけ先生に連れられて行った夏合宿で観せてもらったのが最初で、あの時は「人と映画をみる」ということがほとんどなかったはずだから、妙に緊張したのを覚えている。あの頃はただの学生、よく言ってもシンガーソングライター志願者で、今も似たようなものだけど、状況は少し違う。そうしてこの映画を見ると、また違った見え方をしてくる。とにかく冒頭、街で弾き語りしているシーンの音響にものすごく引き込まれた。音が散って散って仕方がない感じ。このひと月、音響設備のある場所でたくさん演奏したからか、ものすごく羨ましく思えた。今見れてよかった。これ、リンダリンダリンダもそうだけど、(20年近く前の特別な思い出は一度棚上げして)スクリーンで見る人羨ましいっす。

映画『once ダブリンの街角で』公式サイト

 

3日

半蔵門でラジオの収録をした後、高田馬場の甚三といううどん屋に行く。冷たい肉醤油うどんを食べる。確かにうまい、と食べ進めて、「邪道かもしれないけど調味料推奨」と書いて貼ってあったので、試しに卓上にあった黒胡椒をガリガリかけてみるとまた自分のなかで表情が変わった。うどんと黒胡椒、せいぜい釜玉バターでしかお目にかかれない組み合わせだが、全然冷たい醤油うどん+生卵でもオッケー。こんなにマッチするなんて知らなかった。感動した。

 

某日

アフター6ジャンクション2で上半期のおすすめ漫画の話をするため、積んでしまっていた漫画をひたすら読む。今年の前半はチリチリ言ってるぼんやりとした頭をガツンといかれる傑作揃いだから迷いに迷ってなんとか提出。ファミレスでこうの史代さんの短編集読んでてたらあまりの素晴らしさにさめざめ泣いてしまって、かばんを探ったらイギー・ポップのタオルが出てきたのでそれで涙を拭った。

こうの史代さんは高校生の頃に知って大学時代をかけて夢中になって読んで、新作が出版されては大喜びしていた。でも10年以上、こうのさんの新作を読めていなかった。それは新刊の内容が古事記や震災、仏教、と描かれる題材に距離があるように思えて、「今回は多分私に向けての作品ではない気がする」とか横柄なことを考えて、読まなかったのだと思う。書店でのパトロールで今回のこの短編集の出版を知り、手に取って、買って、制作でチリチリ言ってるぼんやりした頭で読んだ。冒頭に収められたMONGOL 800「小さな恋の歌」を題材とした作品にガツンとやられた。MONGOL 800のヒットを横目に違う音楽を聴いていた子供だったし、友人たちもカラオケで歌うこともなかったと思う。

「小さな恋の歌」にちゃんと触れた最初はいつだろう。金魚草の伝説のGIGをノーカンとしていいならばおそらくラヴィット!で東京ホテイソンのタケル氏が歌ったのを聞いたのが最初だと思う。その時に「永遠の淵」と歌われていたのを聞いて、よくも悪くも違和感があったのだが、漫画の中にもその言葉が出てきて、楽曲と同じように、よくも悪くも違和感を受けとった。あとがきを読むと「「永遠の淵」という言葉はもっと上手く消化できたらよかった」と書かれていて、勝手に感動する。それは、私もこうのさんも同じだったのか、という驚きに近い感情だった。

「小さな恋の歌」には自分にはどうにもならないこと、どうやっても届かないことが描かれている。大袈裟にいうならば、構図としては「ミノタウルスの皿」のようなものかもしれない。そういうふうに一度見えてくると、読み返していくうちに涙が溢れた。これは良くない、とかばんを探るとイギー・ポップのライヴで買ったタオルしかなくて、イギー・ポップのタオルで涙を拭った。

イギー・ポップは母が若い頃に夢中になったアーティストで、高校の卒業アルバムの寄せ書きにはイギー・ポップについての言及があるほどだ。あれから40年以上が経ち、今ではイギーは「パンクのゴッド・ファーザー」の異名を取るレジェンドだ。私の子供の頃のトラウマに「ファンハウス」のジャケットはあるし、ミドルティーンの頃に読んだ「イディオット」の日本盤の解説に書かれたライヴの様子を伝える生々しい文章はショッキングだった。イギーの音楽をちゃんと聴いたのはデヴィッド・ボウイを好きになった高校生以降だったはずだ。すべてのアルバムを聴き込んで大好きなアーティスト、というわけではない。今となってはほどんど聴かないレコードもあれば、そもそも聴いたことないタイトルだっていくつもあるが、私にとってイギー・ポップはやはりちょっと特別な存在なのだ。私は先日の来日公演で私はイギー・ポップのライヴをはじめて体験したのだけど、それが本当に特別な体験になった。数日のうちはイギーのことしか考えられず、母には「アメリカでもブラジルでもいいから絶対観にいったほうがいい」と連絡をした。そのライヴ会場で記念としてグッズのタオルを購入していて、それがたまたまその日、カバンの中に入っていて、たまたまその日こうの史代さんの短編集を読んで涙を流したのだ。うまく説明できる気がしないのだが、イギーのタオルで涙を拭った瞬間は非常に特別な瞬間に思えた。まったく触れてこなかったもの(小さな恋の歌)がこうの史代さんによって解かれ、そこで揺れ動かされた感情をイギー・ポップが支えてくれた。自分が選ばなかったもの、選んできたもののいくつかがその瞬間に交差したのだ。その瞬間は「たった今、澤部渡という人間が完成した」とさえ思ったのだけど、冷静に考えるとちょっとよくわからない。でもそう思ったことだけは書き残しておきたい。

 

某日

締切はあるが予定がないことをいいことにとにかくたまりにたまったラヴィット!を消化しまくる。みなさんはいま2025年7月を生きていると思いますが私はまだ2024年の11月にいます。しかし11月めちゃくちゃ面白い。チャンスさんのニューヨーク不動産もあるし、悪口を畳み掛けるカードゲームも最高だったけど、若槻千夏さんのグラビア撮影旅が最高だった。窓に吹きかけられた霧吹きに対して外野のモグライダー芝さんが「お酢です、お酢」と言っていて感動する。なんて意味のないやりとりなんだろう!

その後、2025年1月の放送にようやく入ってひと安心。だがカレンダーは7月の終わりを指し始めていた。

 

9日

医者にかかる。こうして医者にかかったのは半年ぐらい前、あたたかい紅茶を飲んでいたら信じられないほど前歯が痛み出し、唇まで痺れ出した、ということがあった。慌てて歯医者に行くと、全く問題なし、との診断。だったら一体なんなんでしょうね……と医師と話すと、「シビれっていうのが怖いですよね。脳神経外科とか行ったほうがいいかもしれません」という話に。そのまま次の日から脳神経外科に通うことになり、血液検査等いくつかのチェックをして、太りすぎててMRIを通過できなかったことと血圧が思いのほか高かったと言ったような悪いところに目をつぶればほぼ問題なく(©️大鶴肥満氏)、そういう中で「CPAPでもやったほうがいいのでは」という話になったのだった。何年か前に一度トライしたのだけど、CPAPが保険適用内になる数値にあと0.1足りなく断念していたが、制作のプレッシャーから眠りが浅い毎日の只中にあった私にかかれば、検査の数値は問題なく保険適用内にまで手繰り寄せることができた。かくしてCPAP生活がはじまるのだが、問題が発生。重度の鼻炎持ちである私は口に空気が送り込まれるようになるカップを装着することになった。扁桃腺があほみたいにデカくてただでさえ喉が激弱にそれが耐えられるだろうか、という疑問が湧き、ツアーが終わるまでは使用はやめておこう、となっていたのだった。そうして!ツアーが!終わって!ようやく試してみたのだが全くうまくいかない。1週間ぐらい試してみたのだけど、思ったより乾燥はどうにかなりそうだった。でも口呼吸である、寝相が悪い、このふたつがどれだけCPAPに向かないかが痛いほどわかった。送られてきた結果を医師とみながら、私はまた遠い場所にあった。「一旦……昼寝するときとかに装着してみて慣らしていきますね……」なんて遠い目をして答えることしかできない。

 

某日

選挙が近づき、SNSを見ていて悲痛な気持ちになる。Twitterはもうグンナイ。これからはblueskyの時代だ。人が少なくて過ごしやすいです。

bsky.app

 

某日

作曲仕事。久しぶりだから最初はうまくいかない。どうしたもんか、と手だけ動かしていくうちにどうにか形になっていった。

 

某日

ポニーキャニオンの社員さんや業界の方々と飲みにく、という珍しい夜。楽しくて2時ぐらいまでお茶を飲んでいた。音楽の話が聞くのも話すのも嬉しい。

 

16日

京都でDJ。カバンに7インチを詰めて京都に入る。たどり着いてみると豪雨であまり歩き回れもせず、粛々とDJをやる。とても楽しかった。和ろうそくのゆるキャラが踊ってくれたのがとてもグッときた。ナイポレのディレクター、Y氏から「祇園祭の日だからホテル早めにとったほうがいいですよ」という連絡を受け、カクバリズムにそれを伝えたのだけど、タイムテーブルをみたタッツから「これなら日帰りいけるよね」と言われ素直に「……はい」と言ったことを悔やむ。DJがはねてあまり深い挨拶もできないままに会場を後にして、タクシーで京都駅に向かう。華やいだ夜の街、浮ついた夜の街が少しずつ遠ざかっていくのをただじっとみている。私はどうしてこのまま帰るんだろう。最終の新幹線を少し待って東京に戻った。

 

20日

ハンドメイドインジャパンフェスに弾き語りで出演。ビッグサイトの西ホール。いつかのコミティアで来て以来だったから懐かしく思ったりする。7年ぐらい前に出たときも思ったけど、やっぱりビッグサイトでライヴをやるのは本当に特別。万感の思いだからこそ、ストーリーとかいい出来だったと思う。嬉しい。

終わって少し回ってタコスを食べてビルボードに移動する。ギリギリトリプルファイヤーのライヴに間に合った。演奏は素晴らしく、フジロックをピークにする、と思っていたけど、この日はこの日の別の頂であった。かくありたい。1曲目からトーン・クラスターが陰謀論に堕ちていく描写が危うくも眩しい「ユニバーサル・カルマ」で、アンコールでは「愛の言霊〜spiritual message〜」が演奏された。1987年生まれの我々として、「愛の言霊」は特別な意味がある曲だと思う。ひとつの円を描いたように見えた。

 

22日

「ONCE〜ダブリンの街角で」の上映に登壇するのでジョン・カーニー監督作品を見ていた。音楽のあり方としてはファンタジーに振り切り、物語を通した音楽の楽しさが存分にはじける「はじまりのうた」は最高だった。なにかが始まることへのワクワク感みたいなものには抗えない。続いて、当時見ようと思ったけど見ていなかった「シング・ストリート」は本当にめちゃくちゃ楽しく見ていたはずなのに終わる頃には自分のなかのどこかの部分が冷めていて、果たしてこれはなんだろう、と一日中考えをめぐらせた。昔から「84年以降の洋楽は難しく感じる」と思っていた、ということを鑑みるとなるほど、まんまその時代の話だから入り込めなかったのか、と一度は納得がいったのだが、どうやらそれも座りが悪い。それからまた考え込んで自分の中で一旦落ち着いたのは彼らが「いじめっこをローディとしてバンド仲間に引き入れる」という選択を取った、ということな気もする。こういうことをいちいち考えてしまうから映画は向かないのかもしれない。

 

某日

いとこが働いている老舗のちゃんこ屋が店を閉めるというので妻と実家チームでたずねる。中学生ぐらいの頃に来たぶりだったけどおいしくてもっとちゃんと来ればよかった、なんて思う。実家にも顔を出し猫と戯れる。

 

某日

作曲仕事で曲を書く。締切がめっちゃ近かったため焦って弾き語りのデモを送ったらやっぱり反応が芳しくなかったのでもうちょっと作り込んで、Bメロとか変えて再送。

 

某日

アルバムの狂騒が嘘のように落ち着いた。仕事で初めて一緒にやるチームと楽曲を作っていった。web上でやりとりしていたのだけど、安田くんの采配でスタジオを押さえて、そこであーだこーだやっていくことに。意外とやれること少ないんじゃないかな、とか考えたりしていたけど実際顔を合わせるとああやってみませんか、こうしてみよう、とかアイデアが出て楽しかった。

 

28日

トリプルファイヤーの勇姿をアマプラで見届ける。本当に素晴らしいライヴだった。

 

30日

小西康陽さんとツーマン。緊張してギリギリまでどういう曲をやるのか考えた。カヴァーネタをいくつも仕込もうと「日曜日の印象」の耳コピを始めたりしたのだけど、結局こんな機会は滅多にないのだから、とスカートの曲ばかり演奏することに決めた。しかし実際のステージは1曲ずつ演奏する、というもので流れ上、カヴァー曲が必要だと感じてチャクラの「まだ」を選んだ。もっと適切な曲があったかもしれない。でもこれだったよ。

小西さんのシンガーとしてのライヴを見てからピチカート・ファイヴの聞こえ方が変わったのだけど、弾き語りのライヴを見てからは小西さんが提供した曲の聞こえ方も変わってきた。どういうことか自分でも説明しづらいのだけど、たとえば深田恭子さんの「キミノヒトミニコイシテル」が小西さんの声で再生することができるようになった。歌というのは本当に不思議だ。最高。

手元を追ったり口元を追ったりしながら次になんの曲をやろうか、という贅沢な時間が流れた。

当日、モナレコードのビルの屋上に登った。喫煙者はそこでタバコをすうらしいが私はただの物珍しさから屋上に登った。景色ははっきりいって風知空知(現・シ寅屋)の方がいい。でも高校生の頃から通っていたモナレコードが形を変えてこうあって、そして今日があってこの景色なのだから、特別なのである。人生というのを大いに感じる一日になった。

ジョニーはジョニーだった

6/1

4人編成の最終調整。ギリギリまで粘って曲順を入れ替えたりしていく。みんなで意見出し合った結果とても良い形にまとまった気がする。

 

某日

昼はナイポレの収録に藤井隆さんがきてくれて夜は岡村詩野さんにお誘いを受けてスパークスのインタヴューという無茶苦茶な一日。藤井さんと話すと自分の感覚が拡張されていく感じがする。本当にいい回になったと思います。まだラジコのプレミアムなプランなら間に合う!是非。

https://radiko.jp/#!/ts/ALPHA-STATION/20250613200000

スパークスは過去に2度インタヴューをしている。ひとつは「スパークス・ブラザーズ」公開時。

スカート澤部渡が深堀りインタビュー!『スパークス・ブラザーズ』 エドガー・ライト監督初の音楽ドキュメンタリー | 映画 | BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!!

もうひとつは未発表に終わってしまったが2017年に「アネット」の制作が動き出した時、「ヒポポタマス」のツアーに合わせて行われたインタヴューだった。当時の私は「20/20」をリリースしたばかりでキネマ倶楽部で行われたライヴは観れなかったのだが、インタヴュアーとしてスパークスに会うことができたのであった。「アネット」が公開されたらパンフに収録されるインタヴューとのことだったけど、当時はキャストも違っていたりしたことも影響したのか、結局使われなかった。というわけで3度目のスパークス!前回の「スパークス・ブラザーズ」公開時のインタヴューは事前にしっかりと質問を用意して、そこにおふたりにのってもらう、というものだったけど、TURNならばミュージシャンとしてどういうことを聞くべきか、ということを考え方がいいだろう、と「こういうことを訊きたい」ということを頭の中に浮かべ「そこからふたりの言葉から次に広げるような……」と妄想していたのだけどやはり緊張でうまく喋れなかったり、英語にしづらい日本語をバンバン使ってしまって通訳さんに申し訳なかった。近日公開予定。

終わって「灯りは遠く」のミックスに向かう。1年ぐらい前に録音していた「ふたりソロキャンプ」のOPのために書いた曲で、アルバムの制作で記憶の片隅に追いやられていたのだけど、ロッドで叩かれるドラムの気持ちよさ、地味だけどいい具合に捻くれたメロディ、どれを取ってもお気に入りで安心した。いい仕上がり!!

 

5日

関西キャンペーン始まる。京都のタワレコでインストア。店の中でドカンとやるインストアで嬉しくなる。たのしい。ひとしきり予定が終わった頃、ジャーマネI氏も交えてポニーYくん、Tくんと4人で飲む。一件目で「みんなあんまり食べないんだな〜」と机の上にあるものをひょいひょいつまんでいたらあっという間に満腹になってしまって、二件目に移動した際においしそうなものがたくさんあったのに一口ぐらいしか手をつけられなかった。何度目かの気付きだけどだからみんなシメとかいうんだな。飲み会みたいなものの作法とまではいかないけど、ハウツー本とかないんですかね。

 

6日

磔磔でのライヴを前に街を歩く。どこで昼食を摂ろうかと彷徨うのだが、なかなか決まらず、自分でもどうしてそうなったのかわからないんだけど気がついたらかつくらでとんかつを食べていた。それにしてもとんかつというのはいつでも私に勇気をくれる。とんかつを前にすれば対価を支払う、そしてその値段を気にする、というのがこんなにも愚かしいことなのか、とさえ思えてくる。

とんかつに勇気をもらった私は揚々と磔磔へ向かった。定刻のスタート。客入れのBGM、The Whoの"So Sad About Us"を背負ってステージに向かう。ライヴはお客さんの熱狂的な盛り上がりがとにかく「受け入れられている」というムードに満ち溢れていて最高だった。得三もそうなんだけど、磔磔もなぜかヴォーカルが取れなくて毎度苦労する。今回も苦労した。どうしてこうなるんだ。終演後PA松田さんと相談して、どこの帯域が膨らんでしまうような気がするのか、などを話す。地球屋というお店で打ち上げ。スピーカーがときどきハウリングをなぜか起こすことを除けばかかっていた音楽も最高だったし、雰囲気も歴史もあってさらにいい夜になった。ホテルに戻って、翌朝にかけて早速送ってもらった録音をちょっとずつ聴き返していく。初日らしいいい演奏。

 

7日

10時チェックアウトで街に放り出され、名古屋へ移動。セイロンママというお店に移動してみんなでカレーを食べる。私が食べたミールス的なセットもおいしかったけど、ボーイが注文していたパイナップルジュースが異常なほどにおいしかった。いいドライヴがかかっている気がする。この日はXTCの"Making Plans For Nigel"を背負ってステージへ。ライヴは京都とはまた違う盛り上がり。体感としてはガツンと盛り上がる前列、熱い演奏をしっとりかつホットに受け止める後列、という感じだったような気がしてこれはこれでいい。メンバーは新幹線で帰京、私は京都行きの新幹線に乗った。

 

8日

京都の朝はいい。気候もいい。街を歩くだけで最高。イノダで優雅にモーニングと洒落込み、ジョーズ・ガレージでCDを買って、妻と落ち合ってタケリア・タコスでタコスを食べる。噛む前、口に持って行った瞬間から美味しい。束の間京都を楽しむ。

今夜はスパークスのワールド・ツアーの初日だ。思い切って参加を決めたのだが、いろんな思いが乗っかって気分が高揚する。はじめてスパークスを観に行ったフジロックのときの気持ちも少し混ざっている気がする。今夜、我々はまだ誰も知らない、setlist.fmにも載ってないワールド・ツアーのセットリストの目撃者になるのだ。どうしたら高揚しないでいれようか!ロームシアターのサウスホールは定員800名ほどのホールで音響から照明、全てがちょうどよい素晴らしいホールだった。ラッセルの「イキマショウ!」という声でライヴはスタート。「So May We Start」で始まり、「Do Things My Own Way」に繋がるこの鮮やかさ。近年の代表的な2曲を浴びた後、51年前に発表された「Reinforcements」のイントロが鳴ってあまりの事態に驚く。そこからはそりゃみんなその曲好きだけどそれやるかね!っていう絶妙なラインの過去の曲を数曲演奏して、2019年にシングルとして発表され、2020年のアルバムにもラストを飾る曲として収録された「Please Don't Fuck Up My World」へ。「お願いだからぼくの世界をめちゃくちゃにしないで」と歌われるこの曲は現状と重なって、発表時とはまた違う聴こえ方をしてくる。インタヴューをした時に「Insane」という言葉が出た時に「A Land Insane」を引き合いに出すべきかとても迷って引っ込めた。ボウイの「アラジン・セイン」の元となった言葉、という言い方でいいのかわからないのだけど、とにかく私にとって「MAD!」、そして昨今の街や社会や私やあなたの表情の裏には「1913-1938-202?」が刻まれてしまっている気がする。今夜はそれをポップ・アートとして噛み締めるひとときなのかもしれない。「Suburban Homeboy」でロンがデコイことデコピンのキャップをかぶって登場、そこから「All You Ever Think About Is Sex」!!!!ホットに演奏するスパークス、ロンにのみパイが投げられるあのMVでお馴染みの!!影アナの「ものを投げないでください」の警告がこんなところに効いてくるとは。デコピンのキャップも「ドジャースとメッツの試合を覚えてる?」への伏線だったか、と妙に納得してしまった。近年のスパークスはアルバムで提示したエレクトロニクスを中心にした世界をバンドでの表現としてステージ上で再提示するような部分がある気がするのだけど、この日演奏された新曲でその気持ちよさを最も感じたのが「 Drowned In A Sea Of Tears」だった。あの縦乗りの感じ!音源では巧みなミキシングから縦乗りのリズム感をあえて前に出さない設計になっていたのか、と気がついた。我が人生の一曲「The Number One Song In Heaven」ではもちろん落涙。「ランランララ」とハミングする瞬間が毎回たまらない。あの瞬間に私の人生があると言って過言ではないのだ。

open.spotify.com

The Number One Song In Heaven

The Number One Song In Heaven

  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

「Music That You Can Dance To」〜「My Way」〜「Heaven」〜「This Town」と近年ではお馴染みの流れでこのまま終わりか、と思ったところで、さらにまた演奏が始まった。すぐ聴いただけではどの曲だったっけ、とわからなかったのだけどセカンドアルバムから「Whippings And Apologies」だった。そこから最新作からの「Lord Have Marcy」にこの日のライヴが着地するその様子があまりにも美しくて、スパークスが持つ歴史の軽やかさにめまいがした。最高のショウだった。強いて言うなら「A Little Bit Of Light Banter」が聴きたかった。たとえば「A Little Bit Of Light Banter」からファーストの「Slow Boat」が演奏されて本編が終わるようなことがあっても違和感がなかっただろう。これってマジすげーんすよ……

岸野さんと落ち合ってマルシン飯店に向かうも満員で入れず、龍門で楽しく食事を摂った。

 

9日

京都は割と仕事でくるから妻の行きたいところを中心に回っていくはずで、heathで揚げたてのドーナツを食べたまでは良かったけど、葵屋やきもち総本舗でおはぎを買い、カリルでカレーを食べ、リンデンバウムでクッキー買う、というのは私の範疇のような気がしてならない。

夜のグレイモヤXに間に合うように新幹線に乗る。ライヴは最高だった。柴田さんがあまりに素晴らしくて、普段開かない部位がひらいたようで終演後、お馴染みの「元気のシャワー」の歌詞がどんどん自分に入ってきて、なんというか怖かった。普段のグレイモヤの終演後にかかる「元気のシャワー」とは全くの別物だった。部屋に帰って調べてみると作詞が松本隆さんで膝から崩れ落ちる。

 

10日

タワー新宿でインストアライヴ。昔のようなフィーリングが自分にもタワーにもまだちゃんとあるということがわかって嬉しくなった。終わって街に出て上白石萌歌氏の写真集を買う。写真集を買うことってほとんどなかったのだけど、今の私にはこれが必要なのだ。クルンテープで食事を摂って帰宅。

 

12日

スパークスは東京公演も最高だった。京都では二階席だったけど、この日は1階のスタンディング。景色も音響もまた違って楽しい☺️ 前回のツアーはduo Music EXchangeでの、渋谷公会堂での、ハリウッドボウルでの、それぞれの揺れ方みたいなものがあって、グッとくる瞬間が会場によってかなり違いがあったのだけど、今回はあまりそういう揺れのようななく、ずっと感動しっぱなしだった。

 

13日

シャッポのツアーにゲスト出演するために金沢へ。元ジャーマネ安藤ロス極まれる状態にあり、同行スタッフなし。でもシャッポもカクバリズムのアーティストだからね、こういうときは持ちつ持たれつよ、と新幹線も自分で押さえて向かう。東海道線とは違って本数も少なく、自由席で金沢に入ることになった。駅のホームで向井秀徳さんとバッタリお会いして握手を交わす。「今夜はもっきりやなんです」と言うと「おぉ、ンもっきり」とかえってきた。THIS IS 向井秀徳を喰らって一人静かにブチ上がる。いいスタート。昼食を食いっぱぐれたので金沢駅構内をうろついてかつぞうというお店で派手なカツ丼を食べた。美味しかった。店をあとにしようとするとお店の方が声をかけてくれてファンだと言うので驚いてしまった。いい流れ。

バスに乗る。目に飛び込んできた景色が普通の街とは少し違うことが気になった。行ったことないけどロンドンのようにも思えた瞬間があるかと思えば、街の中心地の角だなんて東京だったら大きいビルが立っていそうな場所に植え込みと銅像だけがあったり、なんとも言えない雰囲気がもう立ち込めていた。バスを降りてもっきりやを目指す。大通りから路地に入る。なんてことない街だと思っていると、すぐに川が流れ出す。店の入り口が橋の向こうにある、あの形だ。そうしてしばらく歩いていると古い教会ともう営業していない古い喫茶店が目に入ってきた。店の名前は「芝生」だった。どういうわけか息をのんだ。この時はただそのレトロ感に圧倒されていただけだったはずだった。

もっきりやについてリハーサルを終え、弊バンドの物販がないことに気が付く。私は「シャッポだってカクバリズムのバンドだもんね、きっと用意してくれる」ぐらいに思っていたが、安藤氏の後継で入った複数のスタッフはもともとのそれぞれの業務に忙殺されていてバタバタだったらしく、当然のように物販は用意されいなかった。むう。しかし、この事態、カクバリズムに10年いる私ならば予想しようと思えばできたはずだ。「新幹線の切符を自分で取る」、というのはさすがに初めてだったから、まずここで何かひとつ警戒すべきだった。それにしても安藤氏がつくまでは「現場やライヴにスタッフが付かない」なんていうのが当たり前だった時期もあるので、もはや特別と感じていなかった、そこで確認を怠ってしまった、ということだ。無念。不覚。金沢のみなさん、すみません。

ホテルへチェックインに向かう。さっきの芝生と教会の横に川が流れていて、カーヴしていることに気づいて胸が張り裂けそうになる。そしてその右手奥には真新しいマンション、そして石彫刻まで建っている。この街は一体どうなってしまっているんだ。堅町通りという小さな目抜通りを横切ると、"What's Going On"のサックスが小さく聴こえてきた。これも重要な瞬間の一つだった。ホテルにつき、チェックインを済ませて、もっきりやの方に戻ってあたりを散策してみる。古くからある「ビューティーミキ」という美容室の看板が妙に頼もしい。そこから2分も歩かないうちに二十一世紀美術館が見えて私は本当に感動していた。この街は過去も現在も未来も否定しないのだろう。

ライヴは札止め、シャッポの演奏も中で聴けないぐらい。演奏も好調。シャッポとのセッションも気持ちよく終わってひと安心。みんなで飲みに行って楽しい夜になった。

 

14日

ギリギリまで金沢を楽しもうと妻に伺いを立てると、おいしいパン屋とビリヤニ屋の情報が入ってきた。バスに2,30分ぐらい乗ったのだけど、やっぱり街の雰囲気は少しだけ違う気がする。ビリヤニ屋では工藤祐次郎くんの曲がかかっていてそれが本当に良かった。そこからまたバスに乗ってエブリデイレコードという店で買い物。手頃な広さのいいお店だった。次のバスが来るまでの1時間、じっくりみる。デリック・ハリオットのクリスマスアルバムが買えた。たとえ内容がよくなくてもデリック・ハリオットのクリスマスアルバムが手元にある、というだけで私の気持ちは少しは軽くなる気がするのだ。昨日のライヴを観ていたというお客さんから驚いたように声をかけられたけど、それもそうだろう、という気がする。

バスを途中で降りて、前から来てみたかった甘納豆のお店、かわむらで買い物。このかわむらのあたりはまた街並みが極端に古く、本当に奥が深い街だぜ、なんて簡単に思う。かわむらからホテルまであまり距離がなさそうだったので歩いて向かう。その際に数時間前にバスで渡った橋を渡った時、橋の向こうとこちらであまりにも景色が違ったから本当に驚いた。我々の生活における橋、というのはせいぜい「向こう」と「こちら」をつなぐ、ぐらいのものだったはずだったのだが、「向こう」と「こちら」でその表情が全く違っていたのだ。橋の向こう、繁華街の方は建物の背も高く、ぎゅうぎゅうとした景色が広がっていたのだが、橋のこちら側はおだやかな街並みが続いていた。あとでもちろんくんとTwitterでやりとりしたけど、空襲がなかったから街の役割が当時のまま残っている部分がある、とのことだった。簡単に思ってしまったが、決して簡単ではなかった。

釜めし食って帰京。

 

15日

翌日、エアコンの取り替え工事が決まったので慌てて掃除をする。泣きながら掃除をする。

 

16日

なんとか取り替え工事が完了する。冷房のスイッチを押してみると涼しい風が出てくる。これがなんとも嬉しい。ギリ眠れるぐらいのぬるい風がぴゅーと出るだけだったのだ。うれしさからつけっぱなしにして外に出て、戻ってきたときに部屋全体が涼しくなっていて衝撃を受けた。

 

17日

リハーサル。順調すぎて怖い。京都・名古屋でのライヴを受けて、曲順の最終調整をしていった。

 

18日

キャンペーンのため、札幌入り。5時起きで6時ちょっと過ぎのバスに乗ったのだが大渋滞で肝が冷える。集合時間から30分も遅刻したけど無事に飛行機に乗れた。ラジオ局をいくつか回る。この時期の札幌は最高としか言いようがない。東京よりは明らかに涼しく、それでも札幌の方々は「暑いでしょう!」なんて言ってくれる。これぐらいの気候だったら大歓迎だ。入りが早かった分、あがりも早い。ポニーキャニオンチームと新ジャーマネI氏と寿司を喰む。I氏と移動してププリエでケーキを食べる。チョコブリュレ。あまりにも最高。ホテルの部屋にカボチャプリンをテイクアウトしてこの日は静かにすすきのに散る(ひとりジンギスカン食って寝た)……

 

19日

ライヴ当日。入りは夕方なのでラーメン食べたりレコードみたりしよう、と向かったのがファイブ・レコーズ。噂には聞いていたけど全然想像していた感じと違う。店に入ろうとしても、あまりに在庫が多くて入れないのだ。店主が軒先にブルーシートを敷いて、そこに店の在庫を広げてくれる。「うちはね!シングル1万枚あるから」と言いながら置いていくのだけど、風が強くてたびたび吹き飛ばされていたのが、わけわからなくて楽しい時間だった。「普通の客だったらこのへんで引いていくんだろうな」というのを店主のまなざしから察したのだけど、宝の山であることには変わりはなく、どんどんギラついた目で「もっと!もっと見たいんです!!」とジャンジャン出してもらっていろいろいい買い物ができた。特に嬉しかったのがエイブラハム先生とストロベリー小学校の4年生の"America, Let's Get Started Again"の7インチだった。うれしさを胸に抱いて店を後にして、以前慶一さんに教えてもらったクラシックなラーメンを食べて、会場に向かった。

トラブル発生。物販が届いていないという。しかしカクバリズムが送った物販は届いていて、ポニーが送ったCD類がなんと秋田に届いてしまった、ということだった。どういう手違いだったんだ……もう物販につよい神社仏閣を訪ねてお祓いしてもらうしかないのか。音響のトラブルも発生。どうしてもノイズが乗る。あゆくんに連絡してあーだこーだやっていたのだけど、結局DIから一本シールド延ばして靴に突っ込む、という対策をしてことなきを得た。

ライヴは弾き語りなのに熱狂的に迎え入れてくれて本当に嬉しい。リクエストも珍しい曲がいくつか並んだ。ププリエのマスター、しほさんがケーキを抱えてみにきてくれて、終演後にみんなで食べたのだけど、これが幸せでなかったら何が幸せというのだろう、という時間だった。

 

20日

札幌から移動。にぎりめしで買ったおにぎりを胸に抱いて福岡に向かう。二時間とちょっとで福岡についてしまって14時間かかったLAって本当に遠かったんだな、なんてぼんやり思う。絶妙な時間早く着いてしまったため、20分ぐらい宿のすぐ隣にあったまんだらけを冷やかす。「イエスタデイをうたって」のAfterwordという外伝本?が棚に並んでいて、存在すら知らなかったので驚いた。調べてみると、アニメ化の頃に出版されたもので、内容は過去にでた「EX」に後日談が足されただけのものとのことだった。新品で買おう、と調べたのだが、もうどうやら在庫はないらしく、無念、と言いながら古本で購入。カットされていなければどこかのラジオで話したのだけど「ひとつ欠けただけ」は「イエスタデイをうたって」の榀子の歌を書こうと思ったのが最初だった。アルバムを作っているときに気持ちが折れそうになって「こんな恵まれた環境でいつまでもレコード作れるわけがない」「今回が最後かもしれない」「だとしたら、ファーストの1曲目がハルなのだから」「榀子の歌がアルバムの最後になればスカートというバンドのキャリアがひとつの円になる」と作詞をはじめた。結果的に気持ちは折れきれず、榀子的なワードが桜というところににじむにとどまったのだけど。ホテルの机に乱雑に置いてみると、ハルが私をみているような気持ちになった。気持ちに気合が入る。いつだっていつが最後になるかわかったものではないのだ。

プロモーションが終わってお気に入りのもつ鍋屋へ。Tさん、Tくん、Iさんの4人でわいわいやって天神に散る(腹ちぎれるぐらい食って寝た)……

 

21日

ハイダルで昼食を摂る。マトンビリヤニにトッピング全部のせ。何口か食べ進めていくと突然スコーンと口の中を何かが撃ち抜く。最高の瞬間だ。今夜のライヴはうまくいく気がする。レコードポリスでスパークスの"Tryout For The Human Race"の7インチを購入。"No.1 In Heaven"期のシングルはジャケットも最高だから嬉しい。マヌコーヒーに向かって、細かい調整をして、楽屋に引っ込む。コーヒー屋でのライヴなのにコーヒーが飲めない私、デカフェのラテを出してもらっておいしさに衝撃を受ける。カフェインが体質的にダメだとわかってきたのでコーヒーは積極的に遠ざけなければならなかったのだけど、やはりコーヒー飲める人が羨ましく思える私にとって束の間、劣等感が埋まった瞬間となった。ライヴが始まってみると、昼間の予感はあたって、ここ最近のライヴで一番というぐらい声が飛んだ気がした。リクエストでも「3と33」を出すなんて、なかなかシビれた。マヌコーヒーには結構な人が集まってくれて嬉しい反面、気のせいでなければ「6年前もここで演奏したんです。あの時は楽しかったなあ、あの日いらっしゃった方いますか?」と訊いてみると、4人ぐらいしか手が上がらなかった。これがいいことなのか、悪いことなのか、いまだに心の中で答えが出せない。しかも、そのうち2人は当時の主催格のふたりだった。

 

22日

8時50分の飛行機で東京に戻り、投票を済ませて、14時から5時間リハーサル。普段入らないスタジオを借りたら、真新しいスタジオで、西陽が異常なほどに突き刺してきて大変だった。最初の通しのリハーサルは元気よくできたのだけど、2回目の通しリハを前に電池が切れる。休憩時間にスタジオを抜け出し、ファミマで買った唐揚げをアンプの上に置いて「これがあるから!がんばれるんですよ!」と力説するなどした。夜中まで選挙の結果がどうなったか気にする。投票した方は無事当選していて安堵。それにしても、日本人ファーストって相入れない考え方。本当に危険だと思う。でも危険なのはそこだけじゃない。あまりにキツいからこっちも「日本人ファーストキツい」っていうけど、きついのはここだけではない。どうなっちゃうの。勘弁してくれ。Please Don't Fuck Up My Worldだよトホホ〜

 

27日

あおやぎくんの整体へ。道中鞄にパンパンに詰めた漫画を取っ替え引っ替え読んでいく。ようやく漫画が読めてるようになった。頭がチリチリいっちゃって文字も絵も滑っていく時期が続いていたから嬉しい。そして面白い漫画がたくさん、本当にたくさんある。整体をしてもらって街に出る。Thinkというパン屋に寄ってみたかったんだ。整体をしてもらった直後というのは、自分が自分でないような感覚になる。歩く、腕を振る、息をする、影が揺れる、どれかがワンフレーム早いか遅いかするような感覚だ。軽くバグったような感覚。その感覚をつれて真夏のような街を歩き、たどり着いたらThinkはイヴェント出展による臨時休業だった。

 

28日

ライヴ。燃え尽きた。衣装でネクタイをしてみるとギターの演奏に信じられないぐらい支障があったりして驚く。あんなに支障があるとは思ってなかった。おかげで「Aを弾け」のソロはボロボロになってしまった。メンタル強化は永遠のテーマだ。京都と名古屋での機材面、居住面での反省を生かしかなり手を尽くしてもらった。アンプを普段のYAMAHAのアンプからマーシャルに変更。これはどうやらよかったらしい。どうやっても低音が回るため、ライヴはヴォーカルがマスキングされてしまいがち。特にギターと歌だけのパートになるとより不安定になってしまうのをなんとかしようとドラムが敷くマットを広げてくれたりもした。京都名古屋に比べれば格段に歌いやすくはなったが、それは単純にステージの大きさの問題かも知れない。やはりイヤモニしかないのだろうか。でもイヤモニは、口を開け方で顎が動いてイヤフォンも動いて聞こえ方が瞬時に変わる、というのが本当に落ち着かない。苦手そうな要素がたくさんあるからなかなか踏み込みきれない。10万かけて「合いませんでした〜」ってなったら悲惨だしなあ。Clairoがやってたみたいにヘッドフォンのモニターが一番性に合ってる気はするが、パフォーマンスとの相性は悪そうだ。課題はいつも残る。

終演後、「四月怪談」と「すみか」の感想を多く受け取ってうれしい。打ち上げもしっとりとした良い打ち上げだった。

年末から続いたムードがようやく終わる。棚上げしてしまっている仕事がいくつかある。がんばる。

 

7月1日

SpotifyのCEOが兵器開発の会社に投資をしている、ということからディアフーフSpotifyからの撤退を決めた、と記事で読む。悲しい気持ちになる。私は20年以上継ぎ足してきた旧iTunesのデータを蹂躙されたくないがために、サブスクはSpotifyを中心にせざるを得ない。現状Apple MusicとSpotifyの二足の草鞋を履く私は、過去にLINE MUSICもTOWER RECORD MUSICも登録したけど使い勝手の面から、結局Spotifyに戻ってきてしまった。思うところがある。本当に毎日思うところがたくさんある。ここで立ち止まらなければならない理由というのは、ここで悲しい気持ちになっている私というのは、一体なんなんだろう。

斬新街道

5月1日

虹の黄昏さんのライヴを見に行く。安定の野方区民ホール。ゲストは真空ジェシカのガクさんとこたけ正義感さん。川北さんが熱の中にあったため、急遽ガクさんがピンだったけど非常に濃厚、しつこいけど上品という絶妙な味わい。いいイヴェントだった。

 

4日

おとぎ話とツーマン。ジャーマネアン・ドゥ氏電撃退職後初のライヴで心細い。おとぎ話は身近な人は本当にたくさんいるのにすれ違うばかりでようやくちゃんと共演できた。音デカくてカッコいいってすごく大切なことなんだな、なんて思う。スカートのスリーピースは弾き語りよりも剥き出しになるような感じがする。ゴールデンウィークということもあり、地方から何人かお客さんが来てくれた、と終演後知る。スカートは最近如実に人気がないと感じていたからとても嬉しかった。

 

5日

打ち合わせを終え、この日はKaedeさんの個人練習にあてる、と前から決めていた。優介に誘われてKaedeさんのバックバンドを一緒に務めることになったからだった。まず、譜面がどこにあるかを探さなければならない。車のなか、倉庫の書類入れのなか、あらゆるところを探し、ようやく見つかった。テレビの横にあるなんて誰がわかるのよ。普通に日が暮れていた。曲を聴きながら譜面を読むだけでこの日は終わった。むう。

 

某日

テレビの収録。今をときめくCANDY TUNEのおふたりと今をときめくラランドニシダさんと今をときめく柴田聡子さんと一緒。ホストの3人を差し置いて勝手に盛り上がる瞬間があって申し訳ないやら楽しいやら。

tver.jp

 

8日

工藤祐次郎さんとツーマン。ジャーマネA氏の電撃退職により現場は揺れに揺れているのでいつもより多くスタッフが来て、社長が来るのはわかるんだけどローディの秋山さんまで来てなんか笑ってしまった。こないだの7th Floorのライヴで用意しておきながらもなんとなくやる流れになれなかった「こんな感じ」を演奏できてよかった。

 

9日

優介と新潟入り。Kaedeさん、雪田さんにも久しぶりに会えて嬉しい。曲は久しぶりに演奏する曲や、初めて演奏する曲が混ざっていて不安なところもあったけど、そういうところはなんとかリハーサルでつぶせた。リハーサルを終えて雪田さんとご飯に行く。なにを食べてもおいしく、木梨憲武さん扮するペレのサインが色紙で飾ってあって驚いた。過去、何度か見たことがあったけど色紙の例は初めてだったのだ。特に印象に残ったのがタレカツ丼で、かかるタレは最小限、でもそれがなんとも絶妙な塩梅。いいいちにち。

 

10日

ライヴ会場である関川村は渡辺邸を目指す。その道中、クマさんがおすすめだというお店による。到着すると行列ができていた。飾られている食品サンプルがどれもまぶしく見え、迷っていると優介が後ろに並んだ地元の方におすすめは何かと訊ねた。「シュウマイは名物だけど、私は餃子だね、日本一の餃子だと思うよ」というのでそれぞれのオーダーに加え、シュウマイも餃子もオーダー。シュウマイと餃子のうまさとデカさにたじろいだが昼食にして腹爆発寸前まで自身を追い込んだ。渡辺邸に無事入った頃、かえぽがポッポ焼きを差し入れてくれたのだが、ライヴが終わるまで手がつけられないほどの満腹感だった。ポッポ焼きといえばちちゃこい日記という漫画で出てきた覚えがあり、サワミソノさんはお元気だろうか、とかゼキさんの顔を思い浮かべるなどする。

渡辺邸は由緒ある建物で重要文化財にも指定されている。豪商の豪邸で、楽屋として通された部屋はやたらとカメムシがいて二人で怯えた。演奏もミスもほぼなし、素晴らしい雰囲気で終了。本当に思い出深い演奏になった気がする。語弊がありそうだけど、強烈だった。Kaedeさんがセットリストにスカートの古い曲を選んでくれたのもうれしかった。新幹線で帰京。つくづくいいライヴだった。優介とふたりで演奏旅行なんて2017年の蒜山でのライヴ以来だ。

 

11日

昼、ナイポレの収録をして荻窪のルミネに向かう。近すぎて逆に遅刻した。すごい人が観にきてくれていろいろ励みになる。それと同時にスカート聴いてるけど「夜にライヴハウスに行く」という選択が取れない人の多さも感じた。うーむ、どうしたもんか。演奏もここからしばらく続く「スペシャル」を主軸においたライヴの一発目としては上出来。嬉しい出発。最高。

 

12日

謎収録。本当に変だった。早く言いたい。何ヶ月か経って私に対する「なにそれ」っていう案件があったら多分この日撮影されたものです。

 

13日

万感の思いで迎えるフラゲ日。とにかく落ち着かない。エゴサばっかりするけどそれでも気が紛れてくれない。「スペシャル」はバンドの力と私の居場所のなさで構成されている。居場所なんてもともとないんだ、悲嘆に暮れるなよ、と君が言うのもわかる。でも居場所がなかったから頑張って作った、という自負もあるのだ。居心地の悪さを私が今歌う、というのが今のテーマなのかもしれない。だから「地下鉄の揺れるリズムで」で「これ以上悲しくならないために」と歌ったのに、「ひとつ欠けただけ」で「今よりも悪くならないために」と歌えたのだ。書いた時から重複している、と気づいていたけれど「今はこう歌う他ない」と思ってしまった。これ以上、今よりも、と言い聞かせて生きていく。私にとって「スペシャル」とは今の社会や日々の暮らし、あまりにも不甲斐ない自分自身に対する怒りと無力さに満ちたアルバムであるのだけど、でもそれをやはりよしとはしない、という宣言を持ったアルバムでもある。ひとりでも多くの人が聴いて気に入ってくれることを願うばかり。

夜はココナッツでインストアライヴ。近すぎて逆に遅刻したら、店内はもう満杯。機材を出しながら「どうしましょう……」なんて話す。「ふた回しにする?」「それだと遅くなりすぎちゃう?」「一回だけにしてインスタライヴで生中継する?」だなんてやりとりをして、来ていたお客さんにも意見を伺うと、やはりふた回しの方が良さそう、インスタライヴもやっちゃおう、ということになり、急遽ふた回しが決定。ありがたい。普段、ココナッツのインストアライヴは直前の発表が多かった。でも今回は私がナーヴァスになっていたこともあり、1週間前から告知を始めていたのだ。もうスカートは世間的な旬はとっくに過ぎていて、今はもういて当たり前、いつでも観れるバンド、ぐらいに思われている、という自覚がある。だからこそ焦っていたし、もう見向きもしてくれないんじゃないか、なんて思ってしまっていた。ところがどうでしょう、たくさんの方が観にきてくれて最高でした。この日を思い出せばもうちょっとやれます。アーカイヴこちら。

Instagram (一部)

Instagram video by 澤部渡 • May 13, 2025 at 6:16 AM (二部)

 

14日

渋谷のタワーでインストア。過去にやったことがないK-POPフロアのレジの奥に設置されたイベントスペースでのインストア。会議室みたいな雰囲気で本当に不思議で不気味だった。インストアといえばCDやレコードに囲まれてやるのが通例だったはずなのに、壁と人しか見えなかった。昨日の熱狂とは違ったものがあって心をどう置くべきかに時間を費やしてしまったが、サイン会になればそんなことはどうでも良くなった。多くの方が期待してくれて集まってくれたのだ、なんて恵まれたミュージシャン人生。それでもなにか気持ちの置き所が難しい。

 

15日

MVの撮影。ゼキさん渾身のワンカット作品。部屋のエレピアンを撮影で使うことにしたため部屋の生態系が崩れる。おしまいだ。

撮影の合間に口座を見てみると還付金の入金がやっとあって妻にスクショを送る。日々の暮らしにただただ感謝。こんなに還付金が嬉しかったことはない。なぜなら2ヶ月待ったから。なんで二ヶ月もかかったんだ……

撮影は無事に終わり、ゼキさんとボーイと3人で寿司を食って軽い打ち上げとした。

 

16日

京都大阪キャンペーン。NU茶屋町のタワーでインストアだったのだけど、お店のことをほとんど何も覚えていなかった。一度行った場所は絶対に覚えていると過信していたからこそ打ちのめされる。そして前回来た時は「20/20」のキャンペーンだったんだった、と思い出した。メジャーデビューのプレッシャーから心身ともに変になっていた時期で、ツアーの最終リハーサルは床に突っ伏していたし、やっと演奏できると思ったら椅子に座ってギターを弾くばかりだった。私はその時のプロモーションの広島で日本酒なら飲めると知ったのであった。しかしこうも記憶からごっそりと抜け落ちていると本当に気味が悪い。今はあらゆるものが落ち着いて、なんというか噛み締めながら演奏できたし、噛み締めながらサインもした。人が集まってくれて、CDを買ってくれるって本当にすごいことだわよ。

 

17日

「多分いけないと思うけど昼間にお笑いライヴのチケット取りました」と馬鹿正直にカレンダーに書いておいたらキャンペーンは当日戻りにしてくれて、無事観劇。Dr.ハインリッヒとキュウと街裏ぴんくさんのスリーマン。なんというスリーマン。佇まいがとにかく美しい。キュウさんは本当にすごい。日本語の教科書とかに載せた方がいい。

大橋裕之さんから誘われて渋谷でDJをして、部屋に戻りラジオの生放送にリモートで出演して慌ただしく一日が終わった。DJの現場で久しぶりにEMCの江本くんに会えたのが嬉しかった。

 

18日

ダウ90000の「ロマンス」を招待していただいて観る。素晴らしかった。どんな感想を言ってもネタバレになりそうで、終演後みんなで写真を撮ったのにあげられないでいる。何周もしてこういえばネタバレにならない、という言い方をひと月の間、考え続けている。観れる人は観た方がいい。

急いで吉祥寺のスタジオでスカートのリハーサル。以前佐久間さんと決めたセットリストを実際にバンドで叩いて行って構成をさらに良くしていく、という作業を(30分遅刻してしまったから)ほぼ休憩なしで5時間半みっちり。次のツアー、多分めちゃくちゃいいぞ。

 

某日

ツアーの仕込みや取材をやったりしながらも仕事としてはちょっとずつ落ち着いていく。生態系が崩れた部屋をなんとか戻そうと一日足掻いたがどうにもならなかった。

森川さんとふたりでコード感や譜面上での問題がないか、などを確認するため二度ほどスタジオに入ってからバンドで1度入った。これがまたべらぼうに良くて「スペシャル」を演奏しているときの佐久間さんがキース・ムーンに見えた。今回のツアーで息切れだけは絶対にしてはならない、とジム通いに熱が入る。いい循環。

 

24日

昼間ナイポレの収録。スパークス特集。直前まであーだこーだやった結果、収録の開始は一時間押した。その分より濃厚な内容にはなったけど、それにしてもまさかのご本人がコメントに登場。あまりの事態に冷静を装うのに必死になっていた時間があった。

夜は5月末に収録したAmazon Music Studioでのライヴが放映された。Tik Tokでも配信されるというから見てみると10人ぐらいしか観てなくてそれがよかった。反応も上々で嬉しい。アルバムのスカートと、この日のスカートと、ツアーのスカートはまたそれぞれ違う表情を持っているような気がする。この日記を書いている段階でツアーも弾き語りと東京だけだけど、よかったら気にしてください。

www.youtube.com

 

 

26日

発売から1週間経つ。好評のような気がする。でもそれはいつもそうだ。もうずーっとそう。私のこの特別な手応えが何かに直結するようなことはあるのだろうか。試しにSpotifyAmazon Musicの再生回数を見てみる。アップされたばかりのMVに張り付いてみる。数字が可視化されるのは嬉しいのだけど、どこか噛み応えがないのだ。ラジオの帰り道に新宿のタワレコに寄った。展開されているその様子をこの目で見たかった。エレベータを降りて店内をうろうろしてみる。この規模ならここだろう、というところに展開がなく、もう終わってしまったんだ、残念だ、もっと早く来るべきだった、と店内を歩いていると、レジ前に大きな展開が残っていた。その光景を見て説明しきれない何かがともる。「CDを買って欲しい」。あえて言語化するならばそういうことだ。スカートはサブスクの回数が回るバンドでも、MVがバズって再生回数があがるバンドでもなかった。2019年以降じわじわ続けてきた人体実験によってそれが証明されてしまったのだ。それでもカクバリズムポニーキャニオンも新しくレコード作らせてくれている。こんな環境を作ってくれた方々にどうやってなにを返せるんだろうか、それは少し考えたらすぐに答えが出た。ひとつはこれからもいい曲を作る、そしてもうひとつは「CD・買ってくれ」と口に出して言うこと。もちろん利益の話もあるのよ。CDの利益があれば次を作れる。サブスクはスカートのやり方だと収益を期待するのが難しい。でもいま「CD・買ってくれ」というのは、やはりものとしての面だ。「いいアルバムができた」というのはポップ・アートとしての側面を多分に含む。触ることができて、紙の匂いがして、ピカピカなディスクを手に取る。手で触れない、目で見れない、匂いもしないはずの音楽があなたのそばにあった確かな証拠をぜひ。

スカート/スペシャル [CD+Blu-ray Disc]

 

31日

新ジャーマネのI氏と大阪に向かう。長居公園でライヴ。ANATAKIKOUやYeYeさん、DENIMSもいるという超いい空間だった。芝生で聴くANATAKIKOUは信じられないぐらいよかった。「アーチ越えて」を生で聴けて大感激。自分のライヴは途中、向かいのスタジアムでやってたサッカーの応援にかき消される瞬間があって、正直びっくりしたんだけどすごくいい体験だった。これは絶対にライヴハウスでは体験できない。「いろんな人がいろんな予定でそこにいる」という公園の本質を見た気がした。京都に移動してインディアゲートでビリヤニを食べる。あまりにうまい。衝撃。それからナイポレの収録。ディレクターY氏にI氏を紹介してほぼ最終で帰京。怒涛の5月が終わり、怒涛の6月が始まる。人生である。人生でしかない。

アーチ越えて ‑ 曲・歌詞:ANATAKIKOU | Spotify

してほしい'25

2日

ミックスの最終チェック。ロンドン帰りの葛西さんを無理やり召喚し、わずかにやり直し、イギー・ポップを当日券で観にいく。こういう言い方はあまりよくないのだけど、自分かイギーのどちらかが死ぬ前に一度、姿だけでも見れればいい、ぐらいの気持ちで観に行った。今までイギー・ポップを聴いてきたどの瞬間よりも音楽的な体験で、"T.V.eye"の終盤で泣いた。イギーの音楽を聴いて泣く日が来るなんて考えたことがなかった。客出しの列の中、ライヴを思い出してもう一度泣いた。『Post Pop Depression』からは1曲も聴けなかったけど、気持ちの上では十分。これから数日、イギー・ポップのことしか考えられなくなるぐらい最高だった。イギー・ポップは母が十代の頃夢中になって聴いていて、レコードが残っていて、それを多感な時期に聴くことができた。無理してでも母も連れてくればよかった、と反省する。私でこれだけ感動しているんだ、青春の一部を捧げたような人ならどういうふうにあのライヴを受け取ったんだろう。終わって葛西さんのところに戻って最終チェックの最終チェックを済ませる。4日、5日と2日かけてマスタリングも無事終了。『スペシャル』完成!

 

8日

堀込泰行さんとツーマン。憧れの人との共演がついに叶う!以前レコードで共演させてもらったときはコロナ禍もコロナ禍で、どうにもうまくいかず、ライヴも特になく時間ばかりがすぎた。スカートもセットリストを決める際、「4/8は絶対外せない」と言いながら決めたため、バチバチ。実際の演奏もHOTかつ軽快にキメたい、と試行錯誤する。いつもよりギターの高さを低くしてオルタナ感も演出。クアトロとアンダーカレントの相性の良さは抜群だと認識しているのでもちろん組み込んだ。演奏も上々。新曲としておろした「スペシャル」はかなりボロボロだったけど、不思議とそれでもいいか、と思える。泰行さんは「ビリー」が聴けたのが本当に嬉しかった。谷口くんのキーボードも決まっていて、いろんな巡り合わせに感謝する一日だった。

 

某日

てんやわんや。ここに便利なのに美しい言葉がある。「後になって笑えるなら君にも話そう」。

最終定理 -post modern living- ‑ 曲・歌詞:yes, mama ok? | Spotify

 

某日

長年勤めていたアルバイト先で飲み会があるというので声をかけてもらって参加。社長は今、移住していて東京にはあまりいなく、ときどき戻ってくる、という状態だったので、会うのも久しぶり。待ち合わせ場所がかつての事務所だったので、今はテナントが入っていない地下の売り場を見せてもらったのだけど、がらんとしていてなんとも言えない気持ちになる。でもそこから立ち上がってくる景色のようなものがはっきりと見えた。あの瞬間は言葉にできない。あと教科書販売のための作業場にもなっていたから本の匂いがしたことに対して本当に嬉しくもなったし、でもここが人のために開かれることはないんだな、と寂しくもなった。打ち上げの場所はコテコテの居酒屋で、この年まで打ち上げをなんとか回避してきた人間からしたらカルチャーショックが満載だった。久しぶりに会うみなさんも本当にお変わりなくて安心。前の中高の同窓会でも思ったことだったけど、ここにいないたとえばFさんやTくんやSくんやOさん、みんな元気だろうか、ということが気にかかる。

 

12日

GO OUT JAMBOREE出演。ジャーマネA氏が自宅に迎えに来てくれるというV.I.P.待遇に涙が出そうになる。ふもとっぱらまでなんてそんなかからないと思っていたけれど、土曜日だったこともあり混雑。到着してみると富士山のあまりの大きさに戸惑う。我々が感じていた富士山は富士山ではなかった。ライヴはTBちゃん(tofubeats氏)と半分に割って、という謎ステージ。どうしてこうなったのか誰も覚えてなかったのが本当によかった。帰り道にジャーマネA氏のおすすめで「赤ちゃんのGERA NEXT」を聴く。特別な体験になった。

 

14日

医者にかかり、先月の続きをあれこれと。「血圧計買いました?」「買ってないですよね」「取り寄せられる大きいやつが医療機関用のやつしかなくて」「2万するんですけど」「それがさっきのやつなんですけど」と言われたのだが、その「さっきのやつ」は順番待ちの際、助手の方が何度試してもエラーが出てしまって、どうにもならなかったのだった。重く苦しい空気が流れて、私は全てを諦めた。心が石のようにかたい。それは池に投げれば沈んでいくし、高いところから投げれば割れる。高くなくても強い力でコンクリに打ち付ければ割れる。医者はいう。「BMI値的には……そうですね……80kg痩せましょう」、私は和やかに笑いながら心は静かに散っていった。

 

15日

岸野さんから連絡があって旅行に来ているリン・イーラーさんとごはんに行くことに。久しぶりの再会を喜び、近況を報告し合い、新譜を交換した。「また台湾に行きたい」と真剣な顔をして言った気がする。2019年の末に行った台湾は私にとって初めての海外だったからいろいろ衝撃が大きく、なんてことない街の景色までもが心に刻まれている。

 

16日

sorayaとトリプルファイヤーのライヴを見にいく。4人編成で奏でられる"EXTRA"の楽曲は、確かに足りない。でも足りない分、ベースとギターでこういう動きをしていたのか、とか、ドラムのフレーズでここは引っ張っていたのか、と言ったように骨格が見えて興奮した。転換中にあまりの感動にその衝撃を楽屋に伝えにいった。

フロアに戻るとき、女性から声をかけられて驚く。リン・イーラーさんだった。そんなことある?驚きすぎて気付いてないみたいなリアクションになっていただろう。この日、ギターを弾いていた高木大丈夫さんとは日本でライヴやると一緒に演奏しているそうでその縁で遊びにきたけど楽屋の入り方がわからない、という。さっき行っておいてよかったよ!「終演後、案内するよ!」と胸を張って言えた。

sorayaもさすがのステージング。トリプルファイヤーのカヴァーまではかなりサイケな感じ、60年代〜70年代のヨーロッパのジャズ、MPSのサイケなレコードとか、カーリン・クローグの"We Could Be Flying"とかああいう面が見えていたのだけど、それがなんとも自然にだんだんと「歌」に集約されていく姿は感動的だった。"ルーシー"だったと思うけど、ほんの数小節弾かれたオルガンになにかとんでもないものが滲んでいた。

 

19日

神戸でライヴ。ちょっと早めについてレコード展を2店舗だけ回る。オリジナルのシングルを持っていたので買っていなかったキリンジの「2in1」が買えた。ボートラ付きじゃなかったけど凝った装丁で嬉しい。神戸の街は歩くだけでうきうきする。なぜなら私の心には常に「神戸在住」という漫画があるから。今日のライヴはKiss FM主催のアコースティック・フェスティバルという神戸では馴染みのサーキット・イヴェント。タイムテーブルを見て、お客さんは「ほとんどいない」か「なぜか満員」かのどちらかだと思っていたのだが、蓋を開けてみたら7〜8割埋まっていて逆に驚く。リアルすぎる。演奏も良かったと思うけどもっと威嚇してよかったのかもしれない、と後になって気がついた。しかしその選択肢を取る勇気はあっただろうか。きっとできなかったと思う。終わった後、ポニーT氏と腹ちぎれるぐらい中華を食う。やりすぎた。

 

20日

神戸で一泊してホテルからパウル・クレー展がやっている兵庫県立美術館まで歩いていく。昨日は暑くてたまらなかったけど今日はちょっと暑いぐらいで済んでよかった。海辺を目指すのだがなかなか出られない。大きいマンションの横の公園を突っ切ったら海辺の遊歩道に出た。Blossom Dearie Singsの最後の曲をスキップしてSpotifyが提案するおすすめを片っ端からだらだら歩きながら聴く。うきうきするような曲ばかり、知らない曲ばかり流れて本当に嬉しい気持ちになる。正当に音楽を聴いていないからアニー・ロスがジェリー・マリガン・カルテットとやってるアルバムがあるなんて知らなかったよあたしゃ……

I Guess I'll Have To Change My Plans ‑ 曲・歌詞:アニー・ロス, Gerry Mulligan Quartet | Spotify

美術館についてチケットを買う。今日ここにいるのは昨日、街を歩いていたらパウル・クレーの「北方のフローラのハーモニー」のTシャツを着て歩いている人がいて、そういえば、と思い出したからだった。はっきり言って私はパウル・クレーについてほとんど知らない。教科書やインターネットで知った好きな絵がいくつかある。パウル・クレーを題材にした妙なレコードを一時期よく聴いていた。それぐらいだ。

open.spotify.com

実際観にいくと好きだった絵のほとんどは展示がなかった。その代わり、パウル・クレーの人生、その時代、その仲間、その芸術、新しく作品を知ることができた。「都市の描写」と題された絵がずっと残っている。行ってよかった。

美術館から歩いて洋食SAEKIという店で食事を摂って、近くにレコード屋はないか、と検索してみるとフリークアウトレコードという店があるので歩いて向かってみる。途中王子動物園に出くわして「神戸在住で!スケッチに訪れた!あの!王子動物園!」と胸が躍った。店はそこらじゅうに自生しているレコードがあるような雰囲気。あと80kg痩せないと店内の全ては見られなかっただろう。スパークスの"Change"の12インチがあって、「ふ〜ん」と裏面を見てみると"This Town Ain't Enough For Both Of Us (Acoustic Version)"とありたまげる。もちろん購入。あとジェリー・マリガンチェット・ベイカーバディ・デフランコの共演盤があったので購入したのだが、家に帰って針をおろして気づく。これはA面がマリガンのカルテット、B面がデフランコのグループの録音ということだった。ちょっと残念。そのままバスに乗って妻から教えてもらったナダシンの餅に行き、おはぎと草餅がセットになったものを購入して、荷物を預けていたホテルに戻り、そこから新神戸に向かって旅は終了。またゆっくり神戸に行きたい。

 

23日

優介のライヴを観にいく。最初は1979年!!1979年!!!という気持ちで観ていたのだが、上の2ケタだけが変わり続けて3079年に辿り着いていた。開演のギリギリについたから演者はほとんど観えなかったけど、観えない分、何かを補おうと脳も働く。特別濃いライヴ体験になった。本当に何がなんだかわからなくなったところに本当に何がなんだかわからないレゲエセッションが差し込まれて腰を抜かした。なんだったんだ、あれは。コーチェラで観たい。

 

27日

J-WAVEでラジオの収録。六本木→原宿という行程だったので、車停めたらえらいことになるな、とギターを背負って電車で移動。とても気持ちのいい天気。最初の収録は無事に済み、腹が減ったのでどこかで飯でも、と頭にいくつか候補を出すのだが、どうにもむちゃくちゃになりたくてはなまるうどんに向かった。温玉ぶっかけに豚肉のったやつを大で頼んだだけで1000円超えて衝撃を受ける。天ぷら2つつけたら1400円近かった。10年前はうどんだけで600円、なんやかんやつけても1000円いかなかったはずですよ…… むちゃくちゃになったあと、1時間ほどまだ時間があったので歩いて原宿まで行ってみる。勘とGoogleMapを頼りに動いてみると青山霊園に出て、霊園をつっきってみた。不思議なほどに穏やかな日曜日。人もほとんどいない。本当にここは東京なのだろうか、と思いながら歩いていたが、霊園を抜けて1分歩いたらもう東京というか港区というか、そういう感じの雰囲気に満ちていったのがなんともしっくりこなかった。携帯をみてみるともう集合時間になりかけていて、慌ててタクシーを止めてハラカドにあるJ-WAVEのスタジオで収録。よくわからない角度から入ってよくわからない角度に抜けていく今回とびきり濃い収録になった。はじめてのハラカドだったので6階でジェラート食べたり、歩き回ったりする。しかしそれなら因幡うどん食べればよかったじゃん、と白目にもなった。それにしても原宿はとんでもない人ごみ。「人間ってこんなにいたの?」と素直に思った。そこからニューバランスを目指す。かなり前「じゅん散歩」かなにかで足を3Dスキャンして足にフィットするのを紹介してくれる、というのを観てから、私を救ってくれるのはニューバランスしかない、と過度な期待をしていたのだ。実際、街歩きのスニーカーで私が入りそうなものはUSの990v6しかなく、色もグレーだけだった。うっすらわかっていたのだけど、やはりニューバランスは私を救ってはくれなかった。ものすごく悲しい気持ちで電車に乗った。気持ちに余裕がない。

 

某日

最近はジム的な場所で運動している間、Spotifyが提案するおすすめを千切っては投げ、千切っては投げしているのだが、このジャケット出てきて心奪われる。最高すぎる。

open.spotify.com

 

30日

某ライヴ収録。初めてのスタジオ。5人全員揃って演奏するのは今年初めて。だしカクバリズムのスタッフが全員集まっているのも、ものすごく珍しい。なんらかで近々公開とのこと。

小さなカバン

3日

とよ田みのるさんの小学館漫画大賞受賞パーティにお誘いを受けて漫画家の友人に声をかけ、ふたりでうかがう。とよ田さんの漫画は高校生の頃から読んでいる。「ラブロマ」の1巻からだ。とよ田さんの漫画がヒットして、賞を取って、アニメ化までするなんて本当に嬉しい。いいものを作り続ければいつかはきっと多くの人が知ってくれる、という大いなる希望であると同時に、いつまでもいいものを作り続けなければならない、というプレッシャーにもなった。プレッシャーだと言葉が強いか、気合いが入った、というべきか。とにかく素晴らしいパーティーだった。大関さん、Mg.アンドゥ氏の勧めにより密かにラジオを聴きはじめていたマユリカの中谷さんと、兼ねてから川島さんとのラジオ番組(「川島明のねごと」)を拝聴していた天津飯太郎さんとお近づきになれてあたしゃ嬉しい。はじめて帝国ホテルに入って、あれこれじろじろとみて回ってしまった。帰りに友人と「もっと頑張ろう」と励まし合う。やるぜやるぜ。気持ちが静かに燃え上がる。

 

某日

最後の歌詞を書き上げる。タイトルは「スペシャル」になった。絶対にこれは時間がかからない、と読んでいたけど実際に3時間で書き上がった。たまにこういうことがある。充実感からステーキとハンバーグが一緒に乗ってる高いやつを注する。くーっ。

 

8-10日

久しぶりにライヴのため、6年ぶりに沖縄へ。少ないながらもいくつかの街をライヴで回ったけど、訪ねてみるとコロナ前と何か変わってしまった、と感じることの方がおおい。しかし沖縄はまるで6年前と同じような顔で我々を迎えてくれた。でも予約していたホテルは10年前に泊まったホテルだったが名前が変わっていたし、当時テンションあがった記憶のある朝食バイキングは値段が上がり、驚きが減っていた。

Output Laugh Projectというイヴェントでお笑いのライヴにミュージシャンも出演する、というもので、ほとんどが芸人が中心のライヴ。桜坂劇場とOutputの二会場で行われるイヴェントだったが、私はOutputでの出演だ。久しぶりにぴんくさんにもお会いできるし、コロナの流行の前はバティオスとかV-1とかいわゆる西武新宿の界隈でよくみていたヤーレンズさんにもご挨拶ができた。イヴェントの性質上、お笑いを見にきている人が大半だから、いっぱいだったお客さんもぴんくさんの出番が終われば桜坂劇場に全員移動すると思ったが1/3ぐらいは残ってくれて本当に嬉しかった。誇張でもなんでもなく全員移動すると本気でちょっと思っていた。万感の思いで新曲をおろし、ぴんくさんとの久しぶりの「だんご三兄弟」で爆発。終演後にはスギムさんとの久しぶりの再会を喜ぶ。桜坂劇場の1Fは古本屋も併設されていて、値段は高いがキレのいい本ばかりあって驚いた。樹村みのりさん特集のぱふを買って帰る。おれはといえば打ち上げの場でさえも人見知りを発動、漫画売り場にだいたいいたし、シンクロニシティ西野さんに「ファンです、最初の単独の抽選外れました」というのが精一杯だった。たのしいイヴェントだった。東京でみているものを異国の地でみているような気持ちにもなれてなんだかうれしくなった。

10日。妻がタコスを食べたいという。なんて魅力的なんだ。レンタカーを借りて3店舗まわる。メキシコというお店のタコスが異常な美味さで体の芯から喜ぶ。続いてのチャーリータコスでは中学生の頃にギターを習って、昭和音大に進むのはどう?と提案してくれたK先生となぜがばったり遭遇。本当にこんなことってあるんだ。嬉しくてたまらない。タコスは確かに美味しかった。最後にメヒコ。塩で食べる、という選択肢があり、試してみると確かにこれがいい。ウェットな食べ物としてのタコスだけがタコスの表情じゃないと気がつかせてくれた。こうやって思い出してもメキシコのタコス、今すぐにでも食べたい。帰りにJimmy'sで買い物をしてから、ミュージック・パンチというレコード屋へ。シティポップレイディオの収録で知った門あさ美さんのアルバムがレンタル落ちであった。大好きな曲になったので嬉しい。他にも気になるレコードをいくつか買って東京に戻った。

太陽がいっぱい ‑ 曲・歌詞:門あさ美 | Spotify

 

11日

ムーンライダーズのライヴ。昨年の国際フォーラムとはまた違ってライヴハウスならではのノリに溢れたいいライヴになったと思う。Y.B.J.から良明さんがガンガン引っ張っていって最高。

 

12日

スタジオで作業してからカイリー・ミノーグを妻のお供として観に行く。私はカイリー・ミノーグにそんなに明るくないのだけど、信じられないぐらいに最高だった。あの夜見たミラーボールが今後の一生を照らしてくれる気がする。

 

某日

歌録り。ちょっと無茶して3曲録った。2曲だけ録って18日に1曲残すつもりでいたけど、喉の調子がよく、18日も花粉で良し悪しどちらに転ぶかわからなかったので気合い入れて頑張った。13時間スタジオにいてかなりクタクタだったのだけど、帰りの駐車場の値段を見て落ち込む。さらに新札対応ではなくさらに落ち込む。予定外にカード切るのいやなタチだから値段の高い大きめの駐車場で新札対応してないの本当に嫌。でもあがった成果を爆音で聴きながらご機嫌に帰宅。

 

某日

かかった医者に血液検査の結果を聞きに行く。結果は2年ぐらい前にあまりの胃の痛さに診てもらっていた頃と変わらなかった。前回の診察で血圧の話になり、「普通の血圧計じゃもう測れないんですよ」「以前も水銀計で診てもらってて」「その頃は意外にも通常の血圧だったんです」とまくしたてる。「うーん、それでも血圧計買いましょう」となっていたのだけど、アルバムの詰めの作業からか、完全に頭から抜け落ちていた。「血圧計買いました?」と言われ、すっかり忘れていたのにペラペラと言い訳を立てる。すると言い訳を見抜かれたらしく、「下の薬局にある血圧計を持ってきてもらうので試してみましょう、そんで多分大丈夫だから買いましょう」とトントン拍子で話が進んでしまった。しかし実際に持ってきてもらった血圧計は私の腕を通らなかったのだ。そりゃねえぜ。「でも一度」と医者。「この医院にある血圧計で測ってみましょう」やってみたら170ぐらい。「ほれみたことか」といわんばかりに降圧剤を処方された。その後、ジムにも血圧計があるので毎回測るのだけど140を下回る時もあれば180を超えるときもある。そして腕周り35cm未満の方以外は使うな、という警告文も添えてあった。私の腕周りは45cmあった。

 

某日

地元のスーパーで沖縄でばったりあったギターの恩師にまた再会。これはなにかのメッセージ。ギターをもっと練習しなさい、ということだろう。

 

某日

各曲のタイトルが出揃っておらず、さらにアルバムタイトルも決まっておらず、ChatGPTと話しながらタイトルを決めていこうとするのだけど、これがなかなかうまくいかない。スタッフサイドに一度決めたものを取り消してはあたらしいものを提案する、という日々が続く。

 

15日

吉祥寺の東急で弾き語り。映画「BAUS」のイヴェントに急遽混ぜてもらった。共演が直枝さん、慶一さん、湯浅さん、井手くん、甫木元くんという一癖も二癖もあるイヴェント。東急の屋上に上ったことがなかったから、そこからの景色も含めて驚きのある一日。まずとにかく寒い。次に雨が降りそう。さらに直枝さん、慶一さんのステージにちょっと参加する、というわけ。直枝さんは「やるせなく果てしなく」が猛烈に響く。慶一さんはこの日ははちみつぱいセット。いきなり「こうもりの飛ぶ頃」でかっ飛ばす。ディレイとエコーのギターのサイケさはあくまで装飾、奥に揺れ動くあの声こそがサイケデリックといえるものだった。「塀の上で」は寒さもあってかリハで間違えなかったところを間違えてしまったのが心残り。でも呼び込みのときに「あっ!バンド仲間がいる!」と呼び込んでくれたことは一生忘れられない。最初はその名誉に感動していたのだけど、すぐに「そうだった、吉祥寺という街は「あっ!(バンド)仲間がいる!」となる街だった」と気がついた。はちみつぱい終焉の地と言ってもいいであろうこの吉祥寺で二人でこの曲を演奏しているというのは信じられないものがある。噛み締めるように演奏して、噛み締めるように間違えた。

 

16日

ベルマインツとツーマン。コロナ禍で中止になってしまったイヴェントから数えてもう4年経つ。大比良瑞希さんのライヴでO.A.で出てて共演とかはあったけど、やっとちゃんと一緒にやれて嬉しかった。変に気合が入って新曲4曲もやってしまった。ベルマインツもコーラスワークがめちゃくちゃ良くて、コーラスはやっぱり生で聞くのが一番感動するな、と改めて思う。

 

17日

アー写撮影と15周年優勝ヴィジュアル撮影。何事か、と思われる方はこちらも併せてご参照ください。

スカート10周年特設サイト

10周年がソッコーでコロナ禍に飲み込まれて、このサイトのこともすっかり忘れていた。ポニーT氏から15周年にもこのサイトみたいにコメントください、と言われて久しぶりに思い出した。あの頃はそれどころじゃなかったんだな。ともかく見返してみるとその浮き足立ってる感じにギュッとなる。そのギュッとなった感じが15周年のサイトのコメントになった。撮影に使用したユニフォームは5XOというサイズだったが全然キツい。今更調べたのだけど5XOは4L相当だそうでそりゃ入るわけないよ。「5XOなら大丈夫でしょう」とか言ってちゃんと調べなかった俺が悪い。しかし背中の生地を切ってなんとか着て撮影。正面を撮影するときは背中を切った5XO、予備で作ってた4XOを背後の撮影、と使い分けながらノリにノっていろいろ試した。

スカート CDデビュー15周年特設サイト

 

18日

シティポップレイディオ収録。最後から2つめの収録で自然と選曲にも気合が入った。A氏になんとかアグネス・ラムを残してほしい、と懇願したけどその甲斐があった。しかし収録はあと一回になってしまう。なんとも寂しい。(この日記は基本Spotifyを貼るようにしてるんだけど、過去あったはずなのに無くなっていたのでリンクはAppleMusicです。iTunesのローカルデータを大事に育ててきたおれだから、それと食い合わせが悪いAppleMusicはあまり積極的に使ってなかったんだけど、サブスクの金にならなさやっぱり半端ないのでなんとか分配率がまだ高いAppleMusic利用しよう、とSpotifyとの二刀流再課金始めたんだけど、使いやすさ、新しい音楽の出会いやすさからどうしてもSpotify使っちゃうんだ。あたしゃ意志が弱いよ。)

ムーンライト ベイ

ムーンライト ベイ

  • アグネス・ラム
  • 謡曲
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

そこからコーラスRecへ。重住さんを監督に招き、素晴らしいものが録れた。畳野さん、柴田さんも激烈にいい。

 

19日

朝起きると、寒い。真冬の寒さだ。どうやら雪が降っているそうだ。台所の小さい窓から外を眺めると車が雪に埋もれ始めている様子が見えた。乱暴な朝食を済ませ、長い時間身支度して、昼過ぎにようやくファミレスへ向かうために外に出る。ドアを開けてみるともうすっかり雪は溶けてしまっていて、3月の雪の儚さを痛感する。しかし、鼻を抜ける匂いが雪の日のそれだった。子供の頃、スキーに行ったときに感じたあの凛と冷えた匂い。あとは口元からマジックテープの匂いがしたら絶対にスキー場だった。

ファミレスでアルバムのタイトル、曲のタイトルの最終追い込みをしていく。これでいいのか?これでいくのか?それでいいのか?30年後はどう?発表したその瞬間はどう?と自問自答に疲れ、ChatGPTに意見を聞きながら進める。08は「ひとつ欠けただけ」にする。腹が決まった。だが02と04で苦戦。02は「一旦これにしよう」という案は出た(が、後日ボツになって最終的に大島弓子さんの漫画のタイトルを引用して「四月怪談」になった)ものの、04が全くだめ。頭がオーバーヒートを起こしているような気さえして、冷静になるために30分ほど余計にいたずらに車を走らせた。そんなことをしても04のタイトルが浮かぶわけではないというのに。

 

20日

小鐡さんのスタジオで"Extended Vol.1"のアナログのカッティングチェック。めちゃくちゃいい。とくにパ音のリミックスびっくりしちゃった。A面に4曲入れてB面はリミックスだけというアイデア松永良平氏のアイデアをそのままいただいたものです。松永さんありがとうございます。

 

某日

ジムでエアロバイクを漕いでいる時に04のタイトルを思いつく。メモする。やっぱり違う気がする。

 

25日

シティポップレイディオの最終回収録。いただいたリクエストにすべて目を通し、聴けるものは聴いて、というのを土・日・月と繰り返し、ギリギリまで作家A氏と内容を詰める。その中で、リクエストにビリー・バンバンの「1965年夏」という曲があり、これは素晴らしい、ぜひO.A.したい、と思ったのだけど、CDもレコードもすぐに手に入りそうになく途方に暮れる。しかし、最後の悪あがきで探している時にコロムビアからのリリースだと気がついて、ムーンライダーズでお世話になっているNさんにダメもとで連絡を取ってみたらなんと音源を手配してくれた。夕暮れと収録迫る耳鼻科の帰り道、私はひとり街中で嬉しくて焼き鳥を買って帰った。メンチもつけた。

おかげで収録は上々。あるあるや懐メロに堕することもなく(懐メロ自体を否定したくないんだけど、現在のシティポップというのは「見つける」という面がかなり大きいと思えるのであえてこういう)3年間続けられたのはリスナー、スタッフ、そして昨年までスポンサーでいてくれたGOODYEARさんのおかげ。自分で言うのもなんだけどいい番組だった。残念。あと普通に収入が減るので気持ちが露頭に迷う。

風呂入ってたらタイトルが決まらなかった04のタイトルが突然浮かぶ。そしてあまりの疲労でメモするのを忘れる。そして、そのまま忘れる。

 

26日

起きて頭を抱える。04のタイトルが思い出せない。ジムに行く前、スタッフチームになんか違う、と思っていたタイトルで04を一度提出。エアロバイクを漕いでいると忘れたタイトルを思い出した。「遠くへ行きたい」。これからは運動の時代だ。全曲のタイトルが無事決定。

夕方から弦のレコーディング。ポニーY氏の提案で入れることになったけど、本当に入れてよかった。優介のスコアも最高。チェロで3連刻むところがあるんですけどエモすぎ。青弦さんチームも最高。葛西さんも最高。みんな優勝。

そのままミックスへ。かなり佳境。あーでもないこーでもないと意見を出す。深夜、ヘロヘロの帰宅。

 

27日

トラックダウン取り急ぎの最終日。(取り急ぎとはどういうことか。一旦寝かして数日後に作業日を設けて、そこで最終調整をする、ということです。)マスタリング終わるまでまだわからないけど、いいアルバムになってる。本当に嬉しい。作業が終わってちょうど間に合いそうだったのでその足である種のご褒美だ、と当日券でヴァン・ダイク・パークスを観に行った。ヴァン・ダイク・パークスは大好きだけど付き合い方がちょっと特殊だ。擦り切れるほど聴いて聴き込んで「大好き」というのではない。ときどき訪れては「……やば」とつぶやき、また何年か経って「……最高」とかいうタイプの「大好き」。たった3人で演奏される音楽の中にすべてに似たなにかがあった。これはこないだの東急の屋上で見た慶一さんの弾き語りにもあったものだ。少ない楽器のなか、イマジネーションが爆発する瞬間の連続。素晴らしすぎる。眩しすぎる。私もあんな80代を迎えたい。頂いたサインは一生の宝です。その反面、英語でなにも伝えられなかったことが悔やまれる。2年も!Duolingoを続けているのに!MCも半分は聞き取れなかったし。伝えようとする部位と考える部位、読み取る部位、書き出す部位、口に出す部位はきっとそれぞれ別なのだろうか。「大好きな"Oppotunity For Two"をイナラ・ジョージさんとデュオで聴けるなんて思ってもいませんでした。私の人生でも特別な瞬間になりました。音楽には様々な側面がありますが、今夜はそのいい面を観て、聴いて、知ることができました。私も音楽をやっているんです。ニュー・アルバムができたらきっとこの頂いた名刺のアドレスにお送りします」ぐらい言えるようになりたい。

I never thought I'd get to hear my favorite song, "Oppotunity For Two," performed as a duo with Inara George. It was a special moment in my life. Music has many different sides to it, and tonight I was able to see, hear, and learn about the good side of it. I'm also a musician. When I finish my new album, I'll definitely send it to the address on this business card you gave me.

翻訳サイトにコピペすればこんなに簡単なのに。少なくとも"Tonight was a special moment in my life"ぐらい出てもいいよな。

 

28日

小西康陽さんの弾き語りを観にいく。あまりにも特別な一日。これを言葉にしないでどうする、とこれを言葉にしたくない、がせめぎ合い、言葉にしないことを選ぶ。絶対にあとで後悔するんだろうな。でも後悔したらいい。そしてあの時ああ言っていた、となんとか思い出そうとするんだ。現在の私は未来の私に何かを託している。最近のお前は日記を答え合わせとして活用し過ぎている。日記は答え合わせではない。でも、書けばいいのに。

 

30日

花見に誘われるもアパートの排水管の清掃、力加減あやまってホースを突き抜けたらしくシンクの下が水浸しのため痛恨の2時間遅れ。びたびたになってしまったキッチンのフロアマットは廃棄した。

近所に住んでいるのに普段なかなか会えない、離れたところに住んでいるからそもそもなかなか会えない友人たちと楽しく桜を見る、というよりわいわいやる。季節外れの寒さが身にこたえるまえにそのままZ氏邸に押しかける。料理も信じられないぐらいおいしくて、ずーっとなにかを食べていた。いい日だ。ホースの件も一旦棚上げにできる本当にいい日だった。

MDLP4

某日

TOKYO FMでラジオの収録。シュガーベイブ『SONGS』を特集する、というもの。家を出る直前に作家のA氏から「収録に際して澤部さんが持ってるアナログ持ってきてくれたら映えるかも」と連絡があり、それもそうだ、と以前池袋のココナッツで買ったエレック盤を持参。一度、居間のソファに忘れかけたのだが、妻が気がついてことなきを得た。TOKYO FMに入ると、隣のスタジオでサンソンを収録していることが発覚、スタッフふくめ騒然となる。しかし、達郎氏はスタジオに入っておらず、ホッとしたような、ちょっと残念だったような。収録は言葉を選び、悩みに悩んで、ある箇所なんて4回ぐらい録り直したりした。番組内でも言ったけど、自分にとって『SONGS』は特別なアルバム。すべての環境や状況が整ったアルバムではないけれども、これほどまでに輝く、という意味で、私の人生と照らし合わせてみてもひとつの救いのようなアルバムといっても大袈裟ではない。改めて自分にとってこのアルバムがどれぐらい大きいものかを再確認するような回になった。頭をぐるぐると回転させてへとへとになって収録が終わった頃、なんと達郎氏がスタジオに入られた、というではないか。収録が同じ日になったことは以前にもあったけど、たまたま手にエレック盤のソングスがあって、という機会はきっと二度と来ない。 その場にいるTOKYO  FMスタッフのネットワークを総動員してなんとアタックに成功、サインをいただけることになった。達郎さんは「こういう時は自分の作品持ってくるもんだよ」と笑いながら、持参したサインペンを指して「このサインペンは10年経ったら消えちゃうから」と言ってマジックインキのサインペンでサインを書いてくれた。次があるなら絶対に新作を持っていこう、今作っているアルバムを絶対いいものにするんだ、という気持ちを強くした。そしてあまりの事態だったからココナッツディスクに寄って矢島さんに自慢してから家に帰った。

 

某日

佐久間さんと二人、まだ録音が済んでいない残りの3曲のアレンジを固めていく。ふにゃんとしていた06はやけっぱち感満載のキレのいいナンバーに昇格、バラードの08はABだけのシンプルな構成だったが「こういう曲なんだったらCメロあったらもうちょっと売れそうな感じにもできるんじゃない?」と提案を受ける。なるほど、それもそうかも。佐藤優介のバンド、歯の治療でベースを弾くことになり、音楽の理論を少し勉強した、という佐久間さんからコード進行の性格を読み解いてもらい、Cメロがどこに行ったら気持ちがいいかを探っていく。3時間の大決闘も虚しく、Cメロはまとまらなかったのだが、Bメロの収め方を変えることによってよりAとBそれぞれのメロディが立つような構成に変えることができた。(07は事前のやりとりでほぼできてたので割愛)終わっってトンカツ食って解散。めちゃくちゃ疲れた。

 

某日

6,7,8それぞれ録音。それぞれ違う化け方をして心強い。作っているときは07がリードかな、と思っていたけど06がめちゃくちゃいい。

 

某日

小西康陽さんにインタビュー、という嬉しすぎる仕事。こないだの達郎さんのこともあったから、それを話のタネにして『カップルズ』のLPを持って行ってサインをしてもらった。うれしい。脱線もしつつ、泣きそうになる程胸が熱くなる話も聞けたし、恩師牧村憲一さんの話も出た。充実していると思います。帰り道、渋谷に出てハイファイに寄ろうと決めてどうやって出るのがいいのだろう、と検索すると、すぐそばにバス停があったから、それに乗って渋谷を目指す。バスに乗って景色が動いてすぐにわかった。学生の頃、心臓の病気で入院された牧村さんを見舞いに行くときに乗っていたバスと同じ路線だった。流れる景色は不思議と変わっていないように思えた。違うことがあるとすれば今は音楽で生計をなんとか立てられている、ということ、あの頃より私はみんくるが好きだ、ということぐらいだろう。いろんな思いが胸に押し寄せる。ハイファイは定休日だった。

次号「BPM」は1冊丸ごと小西康陽!歴代作品紹介、インタビュー、対談などで魅力に迫る - 音楽ナタリー

 

某日

予定や体調の問題でスケジュールが合わなかった優介のレコーディングを一日でガーッとやる。録りも録ったりその数7曲。2日に分けてやらないと、と思っていたけどさすがはジーニアス。特に07はより強力なものになったと思う。

 

11日

このどぶろっくがすごい!というライヴにプレゼンターとして出演。どぶろっくはいつも最高だけど、あまり表立って言ったことがなかったからオファーが来た時は驚いたし、嬉しかった。私のリクエストは「エグチンタンゴ」。年始のお茶の間を阿鼻叫喚に、お笑いファンを歓喜の渦に叩き込んだ傑作タンゴを絶対に聴きたかった。リクエスト集中してしまうかも、と危惧したのだけど、結果的にリクエスト被りはゼロ。これはどぶろっくの音楽性なのかネタの間口なのか、とにかくなんらかの広さを象徴していた気がする。どぶろっくは独特のエレガントさを持っている。どんなにエグめのこといってもそれが下ネタに聞こえない瞬間が来るのだ。「下ネタ」というのはどこから来るのだろう。どぶろっくを見るとそれを本当に考える。そして答えは出ない。楽屋のウキウキした感じがステージにも反映されていたような気がする。本当に楽しかった。終演後、BKBさん、どぶろっくさんと楽しく飲む。

 

14日

キネマ倶楽部でライヴ。リハーサル快調。しかし本番始まって2曲目で異変が起こる。Dm7を弾くと音がぼよんぼよん、ぐにゃんぐにゃんになる。耳が疲れると正常なキーが判断できなくなるということはあるのだけど、特定の音(DとAだった)と音価(短ければ短いほどぼよんぼよん、ぐにゃんぐにゃんになる)に対しておかしくなるようで、あまり集中できなかったが、過去に似たようなことはあった。それらのライヴのことを思い出し、自分を強く持つだけ……結果、力ずくでいいライヴにできた。ステージにはあらゆるタイプの魔物がいる。あと演奏してて楽しくなっちゃって動いてたら速攻で息が切れた。本番前の楽屋では真面目に英語の話をなおみちさんに訊く。We haven't planted the flowers in the garden yet.におけるplantedが、現在完了形でhave+過去分詞になる、というとてもシンプルなことなのだが、「植えてないのにplantedにどうしてなるんだ」ということがひっかかり、理解が追いつかなくて困っていたのだが、「そういうものと覚えるしかない。でも英語話者の日常会話に現在完了形はあんまり出てこないよ」となぐさめてもらう。その様子を見ていた森川さんが「バンドによって本番前ってこんなに違うんですね」と言っていたけど、イレギュラー回だ。それを取り戻すように佐久間さんがMC台本を壁に貼られたセットリストに書き連ねていって最高だった。

 

15日

歌Rec。昨日のライヴで調子がよかった分がちゃんと録音にも反映された気がする。

 

16日

ベースメントバーでライヴ。みらんさんと地球から2ミリ浮いてる人たちのイヴェントにお呼ばれ。みんなうまい。年寄りらしい言葉を使うなら「我々が若い頃なんてうまいバンドなんてあんまりいなかったよ」。うらやましい。それで曲もいい。刺激になる。楽屋a.k.a.バーミヤンでやっぱり体力だよ、という話になった。Amazonでジムで履くための上履きを探し始める。

 

某日

ひたすら作詞。ファミレスで作詞をしていて、安い客だと思われたくない&リスペクトを込めて注文するのでとにかく金がかかる。家計を圧迫している。しんどい。

 

21日

トリプルファイヤーのライヴを観に行く。最高。終盤はimaiさんが踊りすぎて天井に頭ぶつかりそうになってて笑った。この日は完全に鳥居真道という惑星と細野晴臣という惑星が直列に並んだひだったと思う。そしてバンドの演奏も最高。肩の力が抜けた素晴らしいライヴだった。吉田もライヴでのリズムの表現がやっぱり進化していっているのをさらに感じる。ほぼスターバンドのそれだったので、いつか床からバシュっと出てくる吉田や、ギフテッド!と歌うたびに火柱が上がるようなライヴがみたい。

 

某日

ついにジム通いを始める。初回は機材のレクチャーだった。3分エアロバイク漕いだだけで「もう漕ぎたくない」と思う。

 

某日

他はもうずーっと作詞。

毛布がないじゃん・2

2024年某日

途中までいい感じに進んでいた部屋の掃除が途中でど〜でもよくなる。もう一歩進むのは2025年の目標にしよう。

テレビを見ていて「2024年もあとわずか」みたいなことばを聴いた時に「あれ?まだ2024年?」と思った。こんなことは初めてで少し戸惑う。

 

31日

恒例となった松本家での年越しに向かう。せめて天ぷらぐらいでも買っていきたい、と吉祥寺のアトレを目指したがとっくに閉店していた。ギリ地元のスーパーが空いていたの寄り、半額の天ぷらを買う。どことなくもう取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになった。そばをいただき、テーブルゲームに興じる。これが楽しいんだ。もっと外交的になって日常的にブロックスとかやりたいって思う時あるけど、年に一度この時間があるならまあそれはそれだよな、だなんて受け入れてしまう。

 

1日

ずっと窓際にいたからか、お得意の寒暖差アレルギー?自律神経のバイナラ?でじんわり体調が悪くなり、吐きそうで吐かないいやな気持ち悪さに苛まれ、ゲーム中に離脱。バケツまで用意してもらったが10分ぐらいしたら良くなった。新年早々縁起が悪い。

一泊お世話になって車に乗って松本一家と小野照崎神社にお参りに。去年は長男氏の開くおみせやさんにの客になり、石を買うために石を支払ったものだが、今年は鬼のターンが長く続いた。

 

6日

家にいるとどうしてもフォートナイトをやってしまうし、録画したテレビを見てしまうので、自宅から離れて集中して作曲ができる環境に一旦身を置こう、と年末から宿を探していた。作曲するならピアノがある部屋がいい、最近の作曲の傾向からピアノがあったほうがいい、とピアノがある部屋を探すのだが、超高級ホテルかコテージばかりで一度は諦めかけていた。しかし、しぶとく探してたら年明けに京都のゲストハウスにアップライトがある、音出しも21時まで可能、さらに6日からなら3泊4日分部屋がある、ということがわかって、たまらず押さえた。場所も街中、値段もそこまで高くはない。久しぶりにライヴじゃない用事で京都に行くのだから観光もしたい、人にも会いたい、なんて思っていたのだけど、知り合いや友人に声をかけたら際限なくサボりそうだったのでひっそりと向かった。到着した部屋はかつての居住場所をギャラリーかなにかにしてさらにゲストハウスにしたような、ヴィンテージの家具以外はなにもかもがピカピカな部屋だった。初日はすぐ集中して作曲なんてできないだろ、と思っていたけど、部屋に常設されている小さすぎるテレビをつけてみればちょうど水戸黄門がやっていて見ちゃった以外は、スッとピアノの前にむかえたし、すぐモチーフができた。翌日によくわかったのだけど、このゲストハウス、日光が差す部屋もあるんだけど主な居住スペースはあんまり明るくなくてそれも集中力にいい方向に作用したようだった。21時まで楽器触って曲作って、それ終わったら散歩しながらどこかにご飯食べに行って、詩についてもいくつかまとめよう、という気持ちがあったのだが、周りには21時以降開いてる店がほとんどなく、散歩の部分だけ生かして街に出るだけ出た。京都の街をふらつき、何かいいお店はないものか、と適当に歩いたのだけど、結局どこにも決めきれず、自炊を決意。近所のスーパーでパスタに関係するいろいろを買って、IHのキッチンで調理をする。実家も今のアパートもガスなのでIHを使うのは初めて。途中までジュージュー言ってくれてたのに途中で突然スンとなったりして、全く火が通っていかない鶏肉を悲しい目で見つめながら、茹で上がったパスタが固くなっていくのをなんとも言えない気持ちで眺め、なんとも言えない気持ちでなんとか出来上がったパスタを食べた。「音出しの21時以降は散歩&作詞」なんて言っていた自分が懐かしい。今回の旅での作詞を諦める。

 

7日

8時に起きてラヴィット!を見ながら2時間かけて頭を起こしていく。10時なったらギターかピアノを腹が減るまで触る。昔から行ってみたかったつけ麺屋が歩いて10分ほどだったので向かい、ちょっと散歩して帰ってくる。そしてまたギターを触り、ピアノを触り、水戸黄門をみながら寝落ち、起き上がってまた作業、ときどき持ってきた漫画を読む。その中の1冊にスキップとローファーの最新刊があって、前回の流れを忘れてしまっていたのだけど、京都修学旅行編で信じられないほどエモい気持ちで読んだ。その末、05ができあがる。01が妙な曲になって、もっと妙な曲を作りたい、という気持ちと、だからこそもっとノーマルめな曲を作って01の存在を浮かせたい、という気持ちがせめぎ合い、05に顕現。一筆書きのような短い1曲になった。そして次に取り掛かろうとしたけど集中力が切れて音出しが可能な21時を目前に終了。テレビをなんとなくつけながら夕食を作る。昨日よりはちょっと上手く行った。

 

8日

腹が減るところまでは昨日と同じ。ちょっと遠出してランチを食べに行った。北大路まで電車に乗り、歩いてグリルはせがわへ。GoogleMapにはある時から誰に薦められたか、どこで見たか、をメモするようにしているのだけど、メモがない時代に星がつけられていた店。福富とかにおしえてもらったような気がする。ほうれん草のクリームソースのハンバーグを食べて、北に向かう。昨日読んだスキップとローファーが頭にあるうちに京都を歩きたかった。「きっとみつみたちは来ないような場所だけど」と思いながら歩く。NICE POP RADIOの検聴もしながら歩いていたら鴨川沿いに視界が開ける瞬間、崎山くんが書いたadieuの曲が流れ出して自分の中のエモーショナルが爆発する。なんてよく晴れた冬の午後。あらゆるものが混ざってしまって大変なことになった。泣くわけでもない、笑うわけでもない、感情の行き場がない。踏み締めるアスファルト、川を泳ぐ鳥、通り過ぎる人、遠くに見える山々。あの言葉にできない瞬間がものすごく特別になった。何年か前のフジロックSuchmosのヨンスくんが「木々たちよ……」と言って話題になったけど、エモーショナルが行くところまで行くと、自分の外のものに気持ちがいくのだろうな、という気づきがあった。

ほしくず ‑ 曲・歌詞:adieu | Spotify

今回の旅でレコード屋に寄るのは2つだけ、と決めていた。ひとつはJETSETにご挨拶。これは最終日に叶う。そしてもうひとつが去年の松永良平さんのラジオに店主の方がゲストで出ていたお店、レコードショップGG。北大路と北山の中間ぐらいにあるのだけど、歩いてみると意外とあったような気がする。広すぎない店内に入ると、めちゃくちゃいい曲が流れている。ジュディ・シルの未発表曲かな、とさえ思うほどのいい曲だった。Shazamしてもひっかからないので店主に訊いてみると、それはGraham And Eileen Prattというデュオの曲だった。絶対買おう、と決めて店内を見ていく。GGは在庫を端から端まで見るのに最適なサイズ。新入荷からそれぞれのコーナーまで欲しかったレコード、知らないレコード、聴いてみたいレコードをピックアップするとあっという間に10枚以上になってしまった。そこからすごい顔してどれを買うか決める。Nazzのファーストの当時出た国内盤、ピッグバッグの7インチ、ビフ・ローズ、CMの曲がたくさん入ったレコードなどなど。楽しい買い物だった。

 

部屋に戻り、打ち合わせを一件済ませ、水戸黄門を見て、作業。もう1曲できる。これを06とする。年末に03を作った時に「ありきたりなコード進行で何かをやりたい」と息巻いて、意識的にそのコード進行から作曲を始めたんだけど全くの無自覚で06と03のAメロが同じ進行になった。歌いやすいようにキーをいじっていったらキーまで一緒になってしまったと途中で気付いたけどもうこういう時はこういう時だ。

夜は龍門まで行って全く映えない飯を食い、前回ひとりで来た時も思ったことを独りごつ。「ひとりで来る店じゃねえな」。

 

9日

最終日、チェックアウトは10時なので作曲はせず2曲完成でフィニッシュ。うーん、あと2曲書けてたらよかったのだけど。JETSETに挨拶に行って、小野さんに「京都でなんかレコード買った?」と訊かれて「GG行ったんですよ、めちゃくちゃいいレコード買えて。イギリスのトラッド系のやつとか」と口から出てそのレコードを買うのを忘れていたと気がついた。オクノ修さんのLPだけ買って、店を出てGGに電話をして、取り置きをしてもらってまたGGに戻った。なんだか情けない。でも買えて嬉しい。東京に戻って妻と落ち合ってラヴィットのポップアップショップでラッピーとガガンモのステッカーを買って帰る。まだ6月のラヴィット!を見ている途中なので、ネタバレが目に入っても頭に残らないようにするので必死だった。

店を入った時にかかっていたのは"Last Load"という曲だった。

Early Birds | Graham and Eileen Pratt

 

11日

伊藤銀次さんとツーマン。嬉しいツーマンは加茂敬太郎氏が仕掛けてくれた。何度か書いたような気がするんだけど、加茂さんは僕が高校1年のときに所属していたバンドESP主催のコンテストの審査員で、あの時ベストギタリスト賞をくれたから私はESP系列店で使える10000円のギフト券をいただき、そのギフト券で6000円で売られていたTASCAMのPORTASTUDIO 414、いわゆるカセットMTRを購入できて、多重録音の道に進んで、今がある。コミティアシリーズ作っていた頃とかはいろいろ試して、ドラムだけこのMTR(故障しちゃったから同じやつ買い替えたんですけど)で録ったりしていたこともあった。銀次さんは始めてお会いするのに初めてじゃないような気さえして、とても楽しく時間が過ぎた。リクエストの"BABY BLUE"も生で聴けて大感激。弾き語りになってコードの忙しさがより目に見えて最高。ステージ上でも、楽屋でもいろいろ話せて楽しく、なおかつ自分に対して気づく部分もあった。いい夜。

BABY BLUE ‑ 曲・歌詞:伊藤銀次 | Spotify

 

某日

レコーディング。初日は01を全員で。二日目は優介のスケジュールが合わなくて4人で04と05を。01は想像以上にストレンジ、でもポップに、そして05が個人的にすごくいい仕上がりになって嬉しい。04は4人で揉みに揉んで最初の弾き語りのボイスメモとは違う仕上がりになった。合間に佐久間さんとスケジュールを書き出して「どうするんだ」「果たしてできるのか」「この日は絶対ギター持ってください」「いつ作れるのよ」と、いよいよバンドらしくなってきた。

 

某日

正月に妻がついでで吉池によって幼少期に食べていたというサガミハムのウインナーを買っていたのだが、オゲレツパスタ(心のままにワカメとか納豆とか冷蔵庫に余ってるものとか入れてしまう欲望をぶちまけるだけのパスタ)に入れたらおいしくてびっくりする。

 

某日

ファミレスで作詞してたら閉店時間が来てしまったので部屋でノートを広げて書いた走り書きをテキストエディットに落とし込んでいく。「人 人が埋まっても」って書いてあってギョッとしたのだがよく見てみると汚すぎる「ノートが埋まっても」だった。

 

某日

車で赤坂見附のあたりを走っていたら、シュレッダーされたであろう細かくちぎられた紙がぱんぱんに詰まったゴミ袋が飛ばされていて、あたりに飛び散っていた。個人情報が雪のように降っていて、見ようと思っても見れないし、想像すらしたことなかった景色だったから気持ちに深く刻まれた。

 

某日

01と05の作詞を始める。05は1分半の曲だからすぐできるっしょ、とたかを括って05から作詞を始めたのだがまったく終わらず、行きたかったライヴを2本諦めることに。その甲斐あって苦い詩が書き上がった。短い曲の方が難しいのかもしれない。ビートルズのモノ・ボックスのブックレットと森雅之さんの漫画を行ったり来たりしながら、もっとシンプルでいいのかもしれない、とか、いや、そうじゃないだろ、みたいなことをやってたらほぼいつもの感じになった。ビートルズの詩を読んでて「当たり前のこと言ってもいいんだな」と思って「ひとりになれば寂しくなるよ」としてみる。

 

16日

東郷清丸くんとKhaki平川くんとライヴ。リハ終わってフラッシュディスクランチを覗く。収録を翌日に控えたナイポレがソフトロック特集で、ジャズとロック、ポップスのモダンな解釈とは……とぶつくさ言っていた段階だったから、ジャッキー・アンド・ロイの「チェンジズ」が出てきて天啓かと思った。「チェンジズ」は「そういうのがあるらしい」ぐらいの認識だった。実際部屋に帰って聴いてみると不思議な手触りの作品だった。1966年にリリースされたアルバムで、ポップスやロックをジャズ的な目線で描いた作品だった。でも、消化する時間は作れず、買ったけど新入荷送りに。でもあの「天啓だ!」という瞬間は書き残しておきたい。

清丸くんとはコロナ禍突然レコーディングスタジオに呼ばれてセッションしたのが最後だったから、随分久しぶり。出会って10年経っていたと気付いて気が遠くなった。俺も年を取ったよ。05をおろす。アンコールでリクエストいただいた「窓辺にて」を歌っているときに最後の転調が思い出せなくて演奏が止まってしまった。とても気に入っている転調だったのに、パッと弾けなかった。悔しい。そしてリクエストしてくれた方、すみません……

 

22日

01と05に歌を入れる。

 

23日

秋山璃月くんとツーマン。音源では聴いていたけどライヴもかっこよかった。この日は01をおろす。妙に気合が入ってエレキで弾き語りしちゃったけど、秋山くんのライヴを見て、(もっと力入れずにやった方がよかったかな……エレキは失敗だったかもしれない……)とうっすら思いながら演奏していたのだけど、終演後、マネージャーアンドウ氏からは「定期的にエレキやった方がいいんじゃないですか?」と進言をいただく。年をとって客観視が難しくなってきた。

 

25日

ライダーズのライヴが中止になってしまった。無念。予定を変更してスタジオに向かって作曲。1曲できる。07とする。

 

26日

中高の同窓会。あまりのエモさに「当時こんな自販機なかった!」って思い出が全くない自販機を写真におさめていた。

 

某日

同窓会の衝撃から作曲活動に弾みがつく。同級生が笑いながら「今日のことも曲にしてよ」と言ったけど、多分細切れになって次のアルバムになる。08とする。途中メロディが何かに似ている、と気づいて深夜のスタジオから妻に連絡をとってなんだろう、と探り合う。結局「ただ泣きたくなるの」だった。私はこの曲は空気階段のラジオで知ったから、ふとしたところから似てしまうんだな、とちょっと驚く。あまりにも同じだったのでメロディを書き換えた。最近は"CALL"を話題に出されることが時々あって、あの頃の自分にないものはなんだろう、と考えて、シンコペがないのっぺりとしたメロディだ、と気づき、それに徹した。いい曲。

 

某日

Rec。02、03。02はかねてから佐久間さんとリズムの感じのやりとりをやっていたけど、ギターの雰囲気があまり出せず苦労。結局指引きで弾くように演奏した。03は一番迷って、最終的には佐久間さんは「なんとかでっちあげたな!」と笑っていたけど、いい仕上がり。完成が楽しみ。

 

某日

森川さんを迎えて初めてのリハーサル。かなり優介のフレーズをコピーしてきてくれていて驚く。コードの解釈など細かいところのすり合わせまでやれた。