定一(49)と篤(20)は外出なので、
佐代子(46)と私(18)で、
小粋な佐代子の計らいで近所のステーキ屋で食事。
最近について話し込む。
私は大学に多くの不安を抱いていること、
母親は今日行った美術館がひとばっかで諦めたことなどを話す。
「3年生になる前に大学をやめていそうで怖い」といった。
絶対に怒られると思ったが、
「自立できるならいつだってやめたって構わない」と言われた。
おお、とも思ったが、実際はとても酷な条件だ。
僕みたいな童貞のぺーぺーは社会にまだ出れなさそうだ。
とても、とても大きな音で、
RCサクセションの「多摩蘭坂」を聴いている。
母親が20歳そこそこのころに買ったLP、「BLUE」
いままで出したこともないような大きな音だけど、
2つ先の部屋に居る母親はなにも言ってこない。
首の周りが熱くなってきた。キスしておくれよ、窓から。
僕はもしかしたら生まれて初めて音楽を聴いたのかもしれない。
今はシングルマンを聴いている。
これも母親が20歳そこそこの頃に買ったLPで聴いている。
かなり聞き込んでいてところどころ針飛びがあるが、
その感じが何とも言えない。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
なんだこの憂鬱は。
僕は結局高校の頃から何も変わっていない。
高校は楽しかった。
あれだけ不安で憂鬱だった高校生活が楽しかったのだ。
いつも胸の辺りがもやもやしていたけど、
友人は居たから楽しかった。
大学はどうだろう。
これほど憂鬱で退屈で不安定な生活は。
音楽が友人だ、といいそうになったが、
あんなやつは友達じゃない。
いいたいことは音楽として出てきてくれない。
歌いたいメロディは音楽として出てきてくれない。
ああ、もっと君と話しがしたいんだ。
キスがしたいんだ。セックスがしたいんだ。
デートがしたいんだ。一緒にご飯が食べたいんだ。
でも出来ないんだ。音楽に形がないからだ。
本当はあるのかもしれない。
プロフィールの蘭の横に僕が十月のうちに再生した、
音楽のランキングがあったんだけど、
その全部が僕自身の曲だった。
mixiやめたい。
と一瞬だけ思った。
僕は結局この18年間で音楽の何を聴いてきたんだろう。
たぶん、これは僕の片思いだ。
音楽は僕を受け入れてくれていないのかもしれない。