幻燈日記帳

認める・認めない

Incomplete Questions



yes, mama ok?のボックスを買った。
過去の音源とは言え、2002年にファンになって以来、
初めて「予約→どきどき→購入」の本来あるべき手順を踏んだ作品だ。
タワーレコード新宿店で予約したのだが、
再発コーナーのあたりには視聴機も設けられていた。
ライナーで長嶋有さんも書いているが、
このボックスには何故か懐古的な感じがしない。
それは恐らく僕にとって未だにyes,mama ok?が、
進行形である、と思っているからかもしれない。
かといって、ベスト盤出して、清算したつもりになって、
そのあとの次のステップに進む、という感じもしない。
問題はいつも聴き手次第なのかもしれない。
特にyes, mama ok?のような音楽は特に。
よく晴れた湖畔だろうか、"yes,mama ok"の文字はあるが、
このバンドに一番重要だと思われる、疑問符はそこにない。
手に取って裏を見てみると、舞台は山頂へ。
吹雪にさらされ、凍り付いた巨大な疑問符。
おそらく、これがyes, mama ok?なのだろう。
これは、我々の言いたいことを、
受け入れないようにしているかのようにも見える。
しかし疑問符も謎も、ロックやポップというポピュラー音楽にとっては、
一番重要な要素であるべきなのだ。
謎の無い音楽は長い年数をかけて消費されることを拒む。
しかし、彼らのような音楽は、
何年聴いたって一定の謎や疑問符が頭をつきまとう。
「3年経って、10年経って変わらないことなどなにもない」
と彼はうたうのだが、普遍性を孕みながらも、
この独り言のような歌詞が、我々の肺にも巣食うことになるのだ。
家に帰るなり、CDプレイヤーにCDをセットしたのは、
とにかく久しぶりな感じがした。
よく知った楽曲がスピーカーから流れる。その音はどこか新鮮だ。
なぜだろう、と考えたら、
僕はここ最近yes,mama ok?をCDで聴いていなかった。
iPodやCDウォークマンで空気を通さずに聴くのは、
yes,mama ok?によく合っているようにも思っていたが、
こうして空気を通して聴くのがこんなに気分がいいとは。
もし、この日記を読んでyes,mama ok?に少しでも興味を持って、
さらに小金が懐にあるのなら、是非、この、
ボックスを買って聴いてみていただきたい。
どこから聴いても最高なのは保証しますが、
やはりDisc3のQ&A 65000にyes,mama ok?の核があると思います。
散々引っ掻き回したあげく、「最終定理」という曲で、
考えられる限りもっとも美しく終わるはずなのだ。
(もちろん、ボーナストラックも含めての話だ)
歌詞カードをよく見ながら、
10年前に投げかけられた問に解を出してみては如何だろうか。
「P.S. 僕には君のギターが見える」という、
高橋晃のコメントも泣かせる。