幻燈日記帳

認める・認めない

エス・オー・エスの録音に関するあれこれ



 大学を卒業するので、卒業するまでに録音しなきゃな。4年生になったばかりの僕はそう考えて、いままで作った曲をちゃんと録音して、レコードを作るんだ、と息巻いていたはずなのだが、気がついたらすでにあれほど暑かったはずの夏はあけていた。課題での録音や作曲などはせっせとこなしていたが、肝心の個人での録音は手つかずだった。夏休みがあけて、しばらくするとエンジニア志望の齋藤粋生(いき)くんと組んで何曲かの録音を開始した。最初の録音はアルバムの収録が見送られた「百万年のピクニック」という曲だったと思う。自分でドラムを録音するときは、レコーダーはカセットの4トラックで、マイクを4本立てて、そのまま間違えたらその場で停止ボタン押して、巻き戻して、という俊敏性の高いものだったので、それをハードディスクでの録音にも流用できたら、と考え、ブースではなくてコントロールルームにドラムを立てて録音した。「音は調整しづらいけど」と言われたがこんな無茶振りを粋生くんは快諾してくれた。
 スタジオを利用した録音は卒業する3月末まで断片的に続けられている。卒業した4月以降も、自宅で録音を続けていった。全てのトラックを自宅で録音した曲は「おまえ(仮)」の1曲のみであり、他の曲はなんかしらの音をスタジオで録音している。
 「ハル」「S.F.」「花をもって(ベーシック)」の3曲は同日にスタジオで録音されている。もともとスタジオの予約を入れていたのだが、1週間くらい前に「機材のメンテが入る」と言われて予定がつぶれてしまい、悲しいことに録音もオジャンになってしまった。やっぱりレコードなんかつくれないのか、と頭を抱えていたら前日に、メンテの延期が発表され、メンバーに急遽、連絡すると奇跡的に誰も他の予定を入れていなかった。粋生くんに至っては「今日はなんかある気がして空けといたんですよ」と言ってくれた。午前中にチェロ奏者のハタナカさん(a.k.a. 失踪)を呼んで録音は開始された。何回か演奏していくうちに、ブース側はよくなっている、と思ったのだが、途中でハタナカさんが「これ以上は弾けないので他のうまい人を呼んでください」と言ってスタジオを飛び出してしまった。レコードではなんてことないように演奏しているが、このテイクはいい演奏をつなぎ合わせて作った疑似のテイク。できればこんなことはしたくなかったが、時間の関係上、諦めざるを得なかった。「ハル」の録音を終えて、次は「花をもって」の録音。ドラム(澤部)ベース(佐藤優介)ギター(塩野海)フェンダーローズ(森篤史)の4人でクリックも聴かないで「せーの」で録音した。いくつかあったテイクのうち、いちばnいいテイクに、僕がアコースティックギター、そして歌を乗せてその日の作業は終了した。歌はこんなハードなスケジュールで録音した日の最後に録音したもので、2テイクしか時間的に録れなかった。調子はあまりよくないかもしれないが、これが記録だ、と思ってOKテイクにすることになった。このデータを家に持ち帰り、後日そこにオートチューンをかけた歌の録音、ギターソロの録音をして「花をもって」は完成した。
 アルバムと平行して卒業制作の録音もすすめていた。曲は「Taroupho」と「ゴウスツ」だった。
 「ゴウスツ」は6月とかの段階でタイトルもあって、もうドラムは録音してあった。その後、ベースを入れたりギターを入れたりしたのだけれども、あまり噛み合なくてどれもボツにして、結局オケが出そろったのは11月くらいの頃だったと思う。オルガンはベースアンプから音を出して録音するといいよ、と言われてそのやり方で録音した。歌入れやミックス、なんだかんだでとっても時間がかかった。
 「わるふざけ」も同様に課題で録音したけれども、これは3年生の頃の録音。曲もいいペースで出来ず、デモを録音できずに先生にギターを弾いて聴いてもらった記憶がある。歌詞は録音に向かう電車の中で書き上げた。歌もサックスも同時録音。
 「Taroupho」はブラスセクションの導入という課題のもと、制作した。曲ができないなーなんて思ってピアノを叩いていたらでてきた曲だった。冒頭のリズムボックスの音はまさに「美術館で会った人だろ」、メロディは「チェリーブラッサム」ににてしまったな、と思っている。コーラスの録音は大学の人を集めて一本のマイクで録音した。コーラスの録音が終わった後、そのマイクをそのままにして、全然関係ないところに置いてあるドラムセットに座って「スウィッチ」のドラムを録音した。「スウィッチ」のドラムパターンを頭で描いて、それをドラムで練習しないで、一回だけ「レコーディング」する、という実験だった。実に骨っぽいドラムが録音できたと思っている。「スウィッチ」はそれ以外の音は全部自宅で録音した。
 「千のない」と「ディスコミュニケーション」は同じ日に大学の練習スタジオでベーシックを録音した。どちらもベーシックはカセットの4トラックで録音した。「千のない」はまずアコースティックギターから。アコースティックギターはグランドピアノのふたを開けて響かせて録音したが、ピアノにはマイクを立てていないのであまり意味がない。そしてボンゴ、シェイカー、ボーカルをその場で録音した。そして後日に細かい音を録音してく。ブロックごとに少しずつ音が増えていく仕掛けになっている。コンガの次はシェイカー、その次はボーカルのダブルと、本棚を叩く音が入る。そしてギターソロ、ここにタンバリンも加わっている。ソロがあけるとアルミっぽいテレビラックを叩く音が加わり、アウトロにはアコースティックギターの裏を叩く音、おかしの缶のふたを叩く音がさらに加わって曲が終わる。本棚の音にはモジュレーションをかけてシンセみたいな音にした。タンバリンもたしかひずませてある。これは僕の中ではニューウェーブのつもりで録音をしていった。
 「ディスコミュニケーション」はドラムを録音しよう、と考えていたのだが、カセット4トラックレコーダーではキャノンケーブルが差せなくて4本マイクが立てられない!もともと持ってる一本しかない!という事態に陥って、考えついたのが、4本マイクが立てられないなら、立てようと思っていた場所に立てて、4 回演奏すればいいんじゃないか、ということだった。4本重ねて録ったのを聴いてみたら、気持ち悪くて好きだったので採用した。後日、家に帰って他のパートも録音する。ギターは3本、ベースも3本重ねて、なるべく同じことをやろうとした。ドラムもギターアンプに通してカスカスな音にした。マンドリン、口笛、ボーカル、コーラス、なるべく多く重ねようとした。これは僕なりのウォール・オブ・サウンドのつもり。ウォール・オブ・サウンドという意味では「本を読もうよ」での後半のコーラスもそれに近い意識を持って望んだ。あの曲はギターだけスタジオで録音した。大学にあるウン十万というアコースティックギターをスタジオを広く使って自然のリバーブも録音した。このギターだけだと音が広く感じるだけなので、対照的にコンプをたくさんかけたガットギターの音も少し入っている。これはおそらく昆虫キッズの「text」収録の「nene」で弾くのもとさんのギターを意識したものではないか、と今なら思う。
 このアルバムの中で唯一全部の作業を自宅で行った曲がある。「おまえ(仮)」という曲で、これはボーカルもコーラスもギターもデモの段階からなにも変わっていない。ベースだけノイズが入っていたので録音し直したが、それ以外はデモとして録音したもののままだ。この曲は詩が先に出来上がっていたと思う。
 「3と33」は曲が出来て割とすぐに録音を開始した。粋生くんは構成表もないのによくやってくれたと思う。ドラムから録音を始めたのだけれども、早い曲なのでとにかく疲れる。2テイク、3テイク、とテイクを重ねていくごとにもう叩けない気がする、と弱気になるのだが、最後の一回だ、気合いいれていこうじゃないか、あー!!!!と叫んだらレコーダーが回ったらしくクリックがなりだした。冒頭の叫び声はそれで入ってしまっているものだ。そのテイクが無事採用になり、次は小さいオレンジのギターアンプでギターを録音した。にたようなことをダブルで録音しよう、ともう1度録音する。スタジオを見学に来た後輩が陰口のように「J-ROCKじゃん」と別の後輩に言っていたそうだ。うるせえ。 家に帰って聞き返すとギターがそんなによくないので、ギターの片方を自宅で録音し直して、ベースも録音して、歌も録音した。それらの作業は1日のうちにやったものではなく、断片的に続けられた作業だ。
 「ポップソング」は粋生くんに3曲くらいドラムを録音してもらった曲のうちのひとつで、粋生くんがミックスしてくれたものをLogic上に貼って、コンプやらディストーションやらで音を汚していった。ボーカルとかギターも化粧をするように汚していった。生まれもっての汚さではないが、どこかスウィートな音にしたかった。オルガンや弱々しい口笛とか、そういうので「悲しいことも忘れ形見さ/影を追ってしまう」とか「悲しいことも忘れて君は/髪を結ってしまう」と歌う顔も解らない男を想像して、録音した。


 レコーディングに関してはこのくらいかけば十分だろう。「エス・オー・エス」は大勢の人の善意でなりたったレコードです。手持ちの在庫はもうあと100枚くらいです。第二版からはジャケットも変わる、という計画もありますので、お早めにお買い求めください。


 上記の文章をMySpaceのブログに投稿したんですが、見づらいわ重いわでさんざんなのでこっちにも転載。