幻燈日記帳

認める・認めない

京都迷宮案内後編



13日
起きて宿を出る支度をする。当然一番支度が遅いのは私だ。
車を宿から少し出たところのコインパーキングに停め、
みんなでイノダでブランチを摂った。
コーヒーもスパゲッティも、ケーキもうまい。天国のような場所だった。
特にケーキはとてもおいしく、みんなで注文して少しずつ分けあって食べた。
レモンパイというケーキが実に素晴らしく、上にはメレンゲ
下にはレモンクリームという、それはそれは素晴らしいものでした。
車に戻る途中、偶然にタンタンショップを発見。
僕と優介だけ異常にテンションあがり、優介はパーカーを買っていた。
ぼくはバンド貯金でタンタンのトランプを買いました。
ここからは別行動になり、佐久間さんは2時間近くドラムを叩くことになるので、
近くの漫画喫茶で仮眠をとる、とのことだった。
清水くん、耕自くんはそれぞれ京都散策。
残った人たちで車を出して見富さんの案内で東福寺へ行った。
寺かー、なんて心のどこかで思っていたけど、
修学旅行で行った寺は寺じゃなかったんじゃないかっていうくらいよかった。
こどもの頃は人がたくさんいてよくわからない、という印象だったけれども、
橋を渡るだけで、参拝料を払うだけで徳を積んだような、
それすなわちスピリチュアル体験をしたような気がした。
しまいには全員糸井重里になり「いいなーわかるなーよさがあるなー」しか言わなくなった。
素晴らしい景観にいい気分になり、待ち合わせに遅れないように車に乗るも、
まさかの小渋滞。ちょっと遅刻したけど着いた頃には、
ひとつ前のバンドが遅刻してるんで全然問題ないっす、と言われた。
そこへ耕自くんがちょっと近くのセブンまで乗せてってくれない?というので、
現地の方に案内してもらおうとしたのだけれども、
まあびっくりするほどセブンイレブンがない。
諦めて引き返そうとしたら京都の右折左折に厳しい道に完全に右往左往。
ドン遅刻してリハーサルをすることになった。
さっきまでのスピった気持ちは何処へ行った、いらだった気持ちしか残ってない。
だが、このからだでよかった、と思うこともある。
ストレスは1時間も経てばだいたい消えてしまうのだ。
誰かと顔を合わせて話をするとすぐ忘れてしまった。
ライヴはロングセット。それもつなぎのDJが病欠とのことで2曲追加しました。
演奏が終わり汗だく汗だく汗だくで昆虫キッズを見る。
こんなに疲れてるんだから佐久間さんには悪いけどすぐ上に行こう、
なんて心の隅で考えていたのだけど、演奏が始まったら、
もう一転の曇りもない素晴らしいパフォーマンス。
すばらしすぎてその場から動けない。結局スカート以上のロングセットをずっと見ていた。
最後の曲が演奏されているときにぼくは昂ってしまい佐久間さんの為にビールを注文していた。
昆虫のライヴが終わって清水くんと優介は急遽深夜バスで帰って行った。
今おもえばそれが一番の正解だった。
楽屋に戻りコンビニで買ったカップ麺をすすり、
すこしだけぼんやりしていたらもうDJの時間。
主に前回のTOIROでやったときのセットを踏襲してるんだけど、
RAH BANDのSLIDE、12インチ等いろいろ新たに投入。音圧がすごくてかなり驚いた。
ついちょっとローを削ってしまうほどだった。
DJが終わって今度こそぼんやりするぞ、と汚いソファに身を沈める。
そしたらすぐにオカダダ〜オノマトペ大臣のセット。
だが疲れもたまっていたのかオカダダさんの後半で近場にあった椅子に座り込んでしまい、
大臣がフロアーを煽る声で目が覚めた。
大臣のライヴをみるのは結構久しぶり。
サマーオブラブ以来かも。TJNYのリハーサルやライヴでは顔を合わすけど、
やっぱりステージでの大臣はずば抜けてカッコよかった。
オカダダさんと大臣とスリーショットで写真も撮れた。


夜も更け、それぞれの宿へ向かうことへ。
イベントの主宰の方の家に別れて泊まる。
女子チームを送り、バンドチームで宿へ向かった。
車をコインパーキングに停めて、細かいところに京都を見出し、
これが京都か…とわなわな震え続けた。なんていいところ!住みたい!
と思っていたのは僕だけではなかったらしく、
見富さんが本気で京都移住を考えた、と話していた。
シャワーを浴びるだけで気持ちが引き締まった。
部屋は暖かくなっていてとても気持ちよく眠れた。


14日
朝、出発して宿泊先が違った見富さんを拾いにイノダコーヒーへ。
ついでに東京へのお土産と称してケーキを数個買って帰った。
東京では雪が降っているらしい。親や友人から気をつけて、と連絡が来た。
昼には京都を出てゆっくり帰ろう、なんて言っていて、
実際とにかくよくSA、PAに入ったし、飯を食ったら1時間くらい話し込んでいた。
車はいい感じに進むのだが静岡あたりで昆虫カーから悲報が入り出す。
「鬼も黙る渋滞」わははは。やっぱり新東名行かなくて正解でしたね、
なんて言っていたけど新東名と東名が混ざったあと、少ししたあたり?
神奈川入ると全く車が動かなくなっていた。
終電はヨユーですよ、なんて言っていた頃が既に懐かしい。
ミツメ車、昆虫車、スカート車で状況をやりとりしあって、
どうやって帰るのが一番良いのか、と考えたが、
スカート車はとりあえずこの渋滞をもう少し行ってみる、ということになった。
海老名のSAを出るのに30分経って車内は気づく。下道行った方がいい、と。
それから数時間経ってようやく出口を見つけて下道におりてみると、
道はカッチコチ。空いているのに30km/h以上は出せない、という地獄の雪景色だった。
気がつくともう陽は昇っていた。


15日
目に入ったローソンで運転手を交代し、僕がハンドルを握ることになった。
スタッドレスを履いているとはいえ、なかなかハンドルをもっていかれる。
高速おりて2時間か3時間くらいで馬場ちゃんを次の現場で下ろした。
馬場ちゃんはこれからなんと車で名古屋へいかなければならないとのことだった。
生きて会いましょう、なんて心の中で交わして、見富さんを別の場所で下ろした。
さて、ドライバー2人は車を降りてしまった。ココからが本当の地獄だ。
恋人は疲れ果てたのか後部座席で横になってしまっていた。
すっかり陽は昇り、なるべく大きい道路は避け…ると、
かっちんこっちんの道が待ち受けているのだけれども…そうやって、
車をなんとか池袋まで持ってきた。
途中、ひどい疲れにより、眠気が襲いかかってくるのだけれども、
幸いなことに今は冬だ。窓をあければギンギンの冷気が襲いかかってくる。
眠気には冷気を宛てがいなんとか凌いだ。
佐久間さんとふたりで車内の掃除をして、
恋人を送り出し、私はひとり『バトルアンドロマンス』を聴きながら、
少し狭い道を探し、無事に家に帰ることが出来た。
いつもなら佐久間さんを家まで送って、その帰り道で聴いて、
ちょうどいいサイズのアルバムなのに、
道路渋滞が激しかったのでおまけで『僕等のセンチュリー』も聴けた。
家に着いたのは午後1時。京都を出たのは前の日の午後1時だった。