幻燈日記帳

認める・認めない

ポップ・ロンダリング



金曜日
家を出る前に風呂に入っていたら、
腿の辺りが黄色くなっていた。Oh、これは死か。
ともかく気にせず家を出たはいいが、
バスに乗って今までを思い出して見ると、
この前日、前々日と胃の痛みが続いて、
うーん、こいつはおかしいゾエ、なんて、
次々と死亡フラグが立っていったので電車に腰を押し付けて、
決死の覚悟で「腿が黄色くなってる」と検索窓に入力。
検索結果に「肝臓病」と出てきて目の前が真っ白になった。
その勢いで携帯を一度閉じて気持ちを落ち着かせる。
もう一度ひらいて見ると「顔や足の裏が黄色くなる」というものだった。
幸い足の裏が黄色い訳ではない。落ち着きを取り戻し、
気の進まない森林探索を続けていると、
「アザが治りかけるとき、黄色くなる時がありますよ」
Yahoo!知恵袋に書いてあるのをみかけた。
本当かどうか知らないが、思い出して見ると、
先週のインディーファンクラブ、TJNYでドラムを叩いたとき、
スネアと椅子の位置関係が崩壊していて、
僕はひたすら腿を打ち付けながら演奏していたのだった。
後日、友人にこの顛末を話したら、
「でも、いつかはそうなるだろうね」と返されて、
仮面のような顔になっていたことだろう。
とりあえず、プール通いは復活させました。


下北沢Club Queにてサカシマというバンドにお呼ばれしてレコ発に参加。
何度も誘ってもらっていたのだけれども、
どうにもタイミングが合なくてようやく都合がつき、出演の運びになりました。
Club Queでライヴをやるのは去年のインディーファンクラブ以来なのだけど、
清水君はQueで演奏したことなんかすっかり忘れていたようで、
「あれ、去年ってシェルターじゃなかったでしたっけ?」
と言っていて僕は僕で「え、どうだっけー」なんてすっとぼけていたけど、
私は覚えていた。去年、スカートが演奏したのはQueで、
なぜそれをしっかり覚えていたか、というと、
僕が中学3年生の時にはじめて行ったライヴハウスがQueだったからだ。
2002年の10月だったと思うので、あれももう11年前。
今書き出して私自身でとても驚いている。
あれからもう11年経ってしまったの!?そら25歳にもなるわ!
諸事情あって3人でのパフォーマンスになってしまいましたが、
ぶっつけ本番にも強い頼もしいメンズに支えられ、
全9曲の演奏を怪我なく終えることができました。
家に帰って風呂に入ると腿の黄色くなっていたところもなくなっていました。


土曜日
タイトな睡眠スケジュールから抜け出すとそこはまだ午前10時だった。
そりゃそうだ。この日はDUM-DUM PARTY。
出番は早めな上に事前に4人でリハーサルに入った。
1時間と短めの時間だったけど、パーティ向けの選曲にしたために、
慣れた曲が多かったのでリハーサルは円滑に進み、
10分前にはリハーサルスタジオを退出していた。
楽屋でトランプなどを嗜んでいたら、結構いい時間になってしまった。
ステージドリンクを友人に買ってきてもらい、
と書いたところで友人にその時のお金渡すの忘れてたことに気づいた。
ごめんよ!耕自くん!
パーティという名の潤滑油も加わり、滑らかな演奏ができたと思います。
ここ1年くらい、自分がヴォーカルを外さないために、
モニターからの返しをヴォーカル多めにもらったりしていたんだけど、
耳がすぐ疲れてしまってライヴ中に崩壊することが時々あって、
これは一体どうすればいいんだ、と悩んでいたんだけど、
ギターを聴くというよりベースの音階を聴いて歌うと、
あまり外れることがない、ということに最近気づいて、
そのやり方で最近ライヴをしているため、
昔のように耳にストレスがとてもかかるようなことが減ってとてもうれしいです。
これに耳栓を加えたら耳にも優しいのだろうな。
早いところ試してみたいと思っています。
ライヴが終わり、ちょっと物販でだらんとした後に、
トリプルファイヤーを少し見て、ミツメは人がいっぱい、
という情報を入手したので、上の物販でだらんとなったのち、
私は用意していたジャケットに身を包んで恋人を連れ、
意気揚々と銀座線に飛び込んだのであります。
目的地は表参道下車徒歩8分、BLUE NOTE TOKYO
私の敬愛するボブ・ドロウさんがその年89歳にして初来日。
DUM-DUM PARTYの出演が決まっていたのですが、
DUM-DUMの野村さんにすぐ電話して、
ボブ・ドロウが見たいんです、どうしても見たいんです、
なので出演時間をどうにか早めてもらえないでしょうか、と泣いて頼みました。
うそです。もっと寛容で穏やかな声で私の条件を飲んでもらいました。
本当にボブ・ドロウが日本に来てるのだろうか。
twitterでボブ・ドロウって検索しても、
え!ボブ・ドロウ来てるの?ボブ・ドロウみたい!みたいなのばかりで、
ひとりだけボブ・ドロウ見てきたって言う人いたんだけど、
僕が検索した段階では本当にその一件だけだったので、
逆に嘘なんじゃないの?って疑ってしまったほどだった。
はじめてブルーノートのドアをくぐると、
ライヴハウス文化に慣れ親しんだ私の想像を遥かに越える上品さ。
野蛮さのかけらもない。昨日出たQueでは物販の席に虫が出てたことを思い出した。
まあ、ともかくどういう風に受付を済ませばいいのかわからない。
受付らしいところで名前を告げ、財布に手を伸ばすと、
「会計は飲食代とご一緒にお支払いいただきうんぬんかんぬん」
どこで!どの段階で!支払えばいいのか!
恋人の前なので会計くらいスマートに済ませたい、
という気持ちで支払いを生き急いでしまったが、
最終的に通された席に腰を落ち着けてシステムをやんわりと理解して、
財布はジャケットのポケットにしまわれた。
開演の前にボブ・ドロウのドキュメンタリーフィルムが流れていた。
デイヴ・フリッシュバーグもそこに居て、
ああ、デイヴ・フリッシュバーグも来日してくれないものか。
そしたら僕は今日と同じようにお気に入りのレコードを抱えて観に行くのに!
ふと後ろを振り向くと映像を楽しそうな表情で見るボブ・ドロウが。
何故か僕の緊張がここで高まったのを覚えている。
あと注文した飲み物が想像以上に酸っぱかったのも。
ほどなくして演奏が始まる。
多くの人は89歳のおじいさんがピンシャンしているのを見るだけで、
きっと心穏やかになり、自然といい顔になると思うのだが、
彼の場合はそこにスウィングが加わる。これがとにかく痛快。
最高にいい気分で演奏は進んでいく訳です。
最初に演奏した曲は"Begining To See The Light"でしたのよ。
"I'm Hip"とか"Nothing Like You"も。
さらには"The Sweetest Sound"なんかも演奏してしまう訳です。
で、当たり前のことなんですが、そこに居るのはまぎれもなくボブ・ドロウ。
数時間前に35分10曲のライヴを終えて、
ヘトヘトだったことなんかすっかり忘れてしまっていた。
終演後、もしや、と思って"JUST ABOUT ANYTHING"のLPを持ってきていた。
するともしやは的中、サイン会が開催され、
それぞれが好きなLPやCDを抱えて並び、写真まで一緒に撮ってくれた。
時計を見ると既に21時半を廻っていて、
これはマズい、急いで帰らないと!
(物販とかはエンジニアの馬場ちゃんに任せていたため)
ふたりでタクシーに飛び乗った。
僕は軽い放心状態で、nestへ行きたい、
道玄坂のてっぺんで降ろしてくれ、ということを伝えるのに、
少し時間がかかってしまうほどだった。
無事について裏口から入るとそこには、
僕が昔から好きなアーティストさんがちょうど帰るとこだった。
逢えて感激です、スカートというバンドをやってます、
と伝えて、握手をしてもらった。
ボブ・ドロウにサインをもらっただけでも十分すぎる一日。
本当にうれしい、本当にうれしい。
今日のことを糧に今後の活動に反映させたいです。


日曜日
ヘトヘトだったのでともかくよく眠れた。
起きてからは3時間くらいかけてCDの組み立て作業をして、
だらだらした、という感じでした。ぐう。