幻燈日記帳

認める・認めない

星屑のすみか



7年くらい勤めたバイト先の社長にメールを打つ。
やめるときに「月に一本くらい活動報告します!」
と言ったんだけどこのぐうたらだ。
いままで一本も送っていなかった。
印象的な出来事をなるべくていねいに書いていった。
その日は京都の遠征から帰ってきて、そのまま実家に一泊して、
その流れで元バイト先の南天堂におみやげを私に行こうと思っていたのだけれど、
夜に予定されていたトーベヤンソンニューヨークの、
マスタリングに向けて音源をチェックしていたら、
数カ所ノイズを発見してそれどころではなくなってしまい、
慌ただしく家を出たため、おみやげは実家の冷蔵庫に保管されたままになっていた。
数日後、なかば強引に実家へ帰り、一泊。
目が覚めたら母は編み物教室に出かけていて猫しか居なかった。
録画が貯まっていたテレビ番組を何本か見ていたら母からメールが届く。
忘れ物をしてしまったので池袋まで届けてほしい。というものだった。
いいよいいよ、と気安く請け負って荷物をまとめた。
おみやげを持って歩いて南天堂へ向かう。
2ヶ月ぶりくらいに来るけどなんか新鮮だ。
新刊をチェックしたけど読みたかった漫画はなかった。
社員さんやバイトの人と少し話した。
「湘南の風のライヴにタオル忘れたら悲惨」という話になって、
「そうですよね、ピザ生地回す訳にはいきませんもんね」と言ったら、
すべってはいないんだけどあまり盛り上がらなくて、へんな傷つき方した。
「ライヴ終わる頃にはもうもっちもちになっちゃって」
「ボーノ!っつっちゃって」ぐらいまで無理してでも言うべきだった。
悲しい気持ちのまま電車に乗った。
電車に乗ったら6年ぐらい前にバイトで一緒だった人と遭遇した。
最近はどうなんですか、なんて話をしていたらあっという間に乗り換えの駅。
西巣鴨で降りて都電に乗り換えた。はじめて乗ったかもしれない。
のんびりと知らない街の景色を走っていく。
とてもおだやかな気持ちだ。一点の曇りもなさそうだ。
東池袋に着き、母の忘れ物を受付の人に手渡した。
昼休みの間に渡せればよかったのだけど、少し遅れてしまったためだ。
そこから池袋まで歩いてタワレコに寄った。
岡村靖幸さんのシングルを買うために。
中学高校と通い詰めたのでとても思い出深い池袋タワー。
5Fのエレベーター降りてすぐのところに試聴機があったのは本当に昔のこと。
あの頃の池袋のタワーが好きだった。
幼かったから盲目的だろうけれども、品揃えもこだわりが見えたし、
新しい音楽と出逢うことも多かった。
(そこで出逢った新しい音楽を今も聴いてるかといわれると、
実はそうでもないのが心苦しい。ソラミミとかタラチネとかヤマタイコクとか…)
早速岡村さんのCDを手にとって自分のCDがおかれているかを見てみた。
スカートのコーナーは確かにあった。
『ひみつ』と『ストーリー』がおかれていた。
『ひみつ』はタワレコメンのステッカーはまあいいとして、
値札さえ貼られていなかった。
そしてなによりとてもいい雰囲気のあの紙ジャケットは、
ギッチギチに詰め込まれた他の商品に圧迫されまくってぺしゃんこになっていた。
大きくため息が出た。
店内では直線的なビートが印象的な四つ打ちの日本語のロックがかかっていた。
レジではおじいさんが何かを注文しようとしているのか、
店員とやりとりをしていて、列は少し長くなっていた。
数日前、何かのインフォメーションでこういう謳い文句を見た。
『…昨今のインディーシーンに蔓延る「DIY」という言葉と完全に決別し…』
(確かこれで正解だと思う。違ってたらごめんなさい。)
トータルの文章で見たらフックなようなもので、
自分も実際そこ(割愛した部分は、
「真に自立した形でアルバムを作った…」みたいな感じだったと思う)
に属するんだけど、何かを言われているような気持ちになった。
「いや、違うんだ。DIYでやらざるを得ないのは、
自分の理想とするパッケージングやレコーディングを、
自分の理想を理解してくれる人が声をかけてくれないんだ。
じゃあ自分で切り開ける道というのは限られてくるだろ。
Amazonで数日だけひみつをディスったレビュー掲載されてたけど、
他のレビューが山下達郎さんを引き合いにだして、
『どこが山下達郎?』みたいなことかかれていたけど、
予算20万で山下達郎になれるんだったら誰も苦労しないわ、クソ」
だなんて具合に頭のなかで言い訳じみた言葉を、
何度も何度も呪文のように繰り返していた。
諦めに似た気持ちが少しずつ膨らんでいくのを感じた。
(もう雰囲気を重視して耐久性を軽視したパッケージングは限界なのかもしれない、という意味です)
タワーから駅へ向かう途中、何人も向こうから「わ!ひさしぶりじゃん!」
と声をかけそうになったが、それは近づくと全然知らない人だったのだ。
ところが、いけふくろうの横あたりで肩を叩かれて振り向いた。
7年ぐらい前に南天堂で3ヶ月くらい一緒に働いた仲間だった。
「うわー!ここで逢うなんて!」と普通にもりあがったし、
うれしかったんだけど、帰り際に、
「まあ、俺たちtwitterでも繋がってるから」と言われた。
その瞬間に自分の中の湿度がグンと下がっていった。
また暗い気持ちが膨れ上がっていく。
吉祥寺までどういう顔で帰ったか覚えていない。
ただ、どんな音楽を聴こうとしてもどうにもならないと解っていた。
でも耳に栓をして自分の中に籠りたかった。
ああ、あの曲が聴きたい。と思って『そして、神戸』という曲をひたすら聴いた。
"神戸 船の灯うつす 濁り水の中に 靴を投げ落す"
なんて凄い歌詞なんだ、今の俺の気持ちを代弁できるのは前川清、あんただけだよ!
絶望的な気持ちのなか家に帰り、ぼーっとする暇もあまりなく、
ノートを広げて真剣な顔をして作詞を始めた。
"ここから先が深い森ならば なにを隠せばさまになるのか"
とても明るいスリーコードにこの歌詞が乗ったのがとてもうれしい。
翌日に控えた仙台弾き語りライヴにこの曲を組み込んで眠りに就いたのだった。