幻燈日記帳

認める・認めない

きっとチューイングガム



夕食の素材を買い込み自転車に乗った。
信号が変わるのを待つためにペダルを漕ぐのをやめ、
また漕ぎだそうとした時、バコッと音がした。
概ね察しがついた。僕を見つめるのはパンダコパンダiPhoneケース。
カーディガンの浅いポケットからこぼれたのは私のiPhoneだったのだ。
もう何もかもわかった。そうだよね、そうだよね。
つまみ上げたらやっぱり画面がばきばきに割れていた。
事実から目を背けるためにiPhoneをポケットに入れて、
すぐ自転車を漕ぎだした。
家に帰り、夕食の食材を冷蔵庫にぶち込む気力もなく、
牛乳だけバンとしまいこみ、
ポケットから出したiPhoneをもう一度みる。
やっぱり割れているんだ。
ああ、僕はなんていうことをしてしまったんだ。
神戸へ行く新幹線、時間を殺すために、
充電しながらZOOKEEPERをやっていたら、
なぜか滑りがとても悪く、こりゃ、
画面の保護シートが悪くなってしまったに違いない。
そう考えた私はその場で保護シートをはがしてしまった。
(だが充電してると滑りが悪くなると気づいたのは、
はがし終わった数分後だった)
iPhone5にして1年ぐらい経っただろうか。
神戸へ行った27日から今日に至るまでが、
私のiPhoneにとって画面が無防備になる最初の日々であった。
「つやつやの画面もわるくないね」
と油断していたらこの大失態。
ふとした瞬間、iPhoneに目がいく度、
数日前の自分を憎むし、数時間前の自分を憎む。
どうしてこんなことになってしまったんだ。
カーディガンの浅いポケットが悪いのか。
あのとき信号が変わっていなければその先に信号はないから、
スムーズに自宅に着けたのではないか。
いや、そもそも保護シートどうしてつけなかったの。
イヤフォンでもしておけばよかったね(道路交通法的にダメ)。
様々な反省と悲しみを具材にして、
目の前の鍋がどんどんと煮えたぎっていくのをただ眺めているだけだった。