幻燈日記帳

認める・認めない

少しずつズレていった時計に対して正しい時間に戻れというのは残酷なことなのではないだろうか



目覚まし時計が鳴る前に起きる事ができた。
その日はくたくたで眠ったので、
目が覚めたら収録時間でもおかしくないと思っていたのだが、
運良く目が覚めた。二度寝もしなかった。
iPhoneがないのでいつもより多めの漫画をトートバッグに詰めて家を出る。
祝日だから各駅と言えども混んでるかな、と思ったが、
それは杞憂で余裕を持ってシートに腰をかけ、
イシデ電さんの「餅巣菓さんに呼ばれる」に手をかけた。
汚い部屋に埋もれているのを発見。
自分が年を取ったな、と思うきっかけは、
腰が痛くなった時でもなく、
階段をのぼりたくない、という気持ちでもなく、
買った漫画をすぐ読まなくなってしまった、という部分だ。
餅巣菓さんかわいい。本当にかわいい。
もう今はそれしか言いたくない。
乗り換えのため中井で降りて大江戸線に向かう。
窓ガラスに映った自分の髪が少し撥ねていたので、
手櫛でさっさっさっと流した。橋を渡る。地下へ降りる。
電車に乗って一駅寝過ごして大急ぎで反対方向の電車に乗り、
目的の駅に着いた。
改札に向かうエスカレーターで右側を駆け抜けて行こうとした、
若そうな女性が急に止まり「最悪…」と漏らした。
なんだろう、と眼をやって見ると靴が脱げてしまったようだった。
iPhoneにイヤホンをつないでシャットアウトしてしまっていたら、
きっと見逃してしまった景色だった。
駅にある地図にラジオ局の表示あるだろ、
と思ってよくよく見たのだがないんだ。
ぼんやりとしか頭に入っていない地図を思い出しながら、
ああだった、こうだった、と道を行く。
「坂をのぼるんですけどね」
打ち合わせの時に作家さんがそういっていた。
だがこうだと思った道に会話に出したくなるほどの坂がない。
仕事中悪いと思ったが配達の人が歩いていたので思い切って場所を聴いた。
「ラジオ日本ってどっちでしょうか…」
「大通りに出て中華料理屋を左に曲がって、
坂をのぼって突き当たりを左ですよ」
とても親切にわかりやすく教えてくれた。
ありがとう、クロネコヤマトをひいきにしたい。
大通りに出た。東京タワーが見える。
中華料理屋を左に曲がった。
古風な街並と大きいマンションが同じ視線に入ってくる。
坂をのぼった。ちょっと急な坂だ。
突き当たりを左に…。大使館しかなさそうだ。
頭の中に入っている地図では大使館のすぐ傍のはずなんだが、
実際ここを左に曲がるのは少し怖い。
電話ボックスのような所に警察官が配置されていたので、
「あの…ラジオ日本に行きたいんですが…」
と訊いたらきっと「あっ、ここそのまま左行ったとこですよ」
となると思ったのだが、
「えっ、ラジオ…日本?…ちょっと待ってください」
そういって警察官は無線で確認を取り始めた。
「今訊いてるんでもしわからなかったら…」
わからなかったらなんだろう、諦めて帰れと言うのだろうか、
「…住所を…」
それはそうだ。住所がわかればすべて解決する。
だけど僕にはiPhoneがない。
自分がiPhoneにどれだけ依存しているか痛いほどわかったよ。
回答が帰ってくる前に心配した作家の方が迎えにきてくれたのが見えた。
警察官に非礼を詫び、大使館の方向に進んでラジオ日本に入った。
ラジオの収録はまだ回数が少ない。
どうしてもテンションがあがってしまうのをグッと堪えて、
多少はクールなふりをしたが、多分うまくいっていなかった。
僕が好きなデュオについて語ってきました。
大変有意義なものになったと思います。
エンディングで自分の曲もかけてもらいました。
データでもよかったんだけど、
シリウス」の盤を持っていって再生してもらった。
やっぱり溝を引っ掻いて音が鳴るというのはセクシーですね。
という話に落ち着いた。
帰り道は東京タワー近辺をうろつき、知らない方向に歩いていった。
ここはいったいどこなんだろう、と思いたかったんだけど、
割とすぐ神谷町の駅についてしまった。
さてここからどうやって帰ったものか。
何も考えずに直感で乗り換えていったら、
電車賃が高くついてしまった。贅沢な遊びになってしまった。
帰りの電車で漫画を読む体力も残っていない。
寒い夜には何が似合うだろう。
孤独だろうか、暖かいシチューだろうか。
家に帰り姿見の中の自分と目が合った。
髭が少しだけ伸びている。
風呂に入り少し古い刃で髭を剃っていった。
「どうして髭なんてそるの?」
「髭が伸びてる女の子なんていないよ!」
「では剃刀を頬にあててる気分はどうだい」
「それじゃあまるで自分が男みたいじゃないか」
すべてを一蹴してやっと、
「僕は男だしそこにはなんの疑問もないが」
と口に出してみる。
毎日髭をそらないとみっともなくなるような男になるしかなかったんだ。