幻燈日記帳

認める・認めない

"LIFE"→"LIFE"→"eclectic"→"LIFE"



ceroの新作シングルは傑作です。
タイトル曲の音が鳴った瞬間に、
ああきっと明け方の寂しさが描かれているに違いない、
と思わせる手触り。こりゃやられた、完全にやられた。
しかもC/Wに収録されているのは小沢健二さんのカバー。
ブギーバックでもない。
訳知り顔で流星ビバップをやる訳でもない。
「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」という選曲もシビれる。
かつてスライ・ストーンがリズムボックスの中に身体性を盛り込んだ方法の、
その対極にあるとも言えるぐらい極端なほどにアルバムを通してフィルインがほとんど出てこない、
というストイックなリズムの組み立てで作り上げたアルバムからの選曲。
それを敢えてかつて小沢本人が自らのアルバムのタイトルに掲げたスライの「LIFE」のように祝祭的なアレンジに変えたのが衝撃だった。
(管のフレーズがミーターズだったりするのも倒錯的で素敵だ)
磯部涼さんがceroのカバーについて小沢さん本人が好意的とも受け止められるコメントを寄せた事に対して非難していた(https://twitter.com/isoberyo/status/547124512727130112)のだけど、
「懐メロ商売やってるおっさん」にさせてしまったのは、
あの素晴らしい「eclectic」の、「毎日の環境学」の輝きを影にしてしまったのは、果たして誰だ。
答えは簡単で。多分我々だろう。
磯部さんも絶対にそうなってほしくなかったから、
ああいう風に言ったんだろうけど、ずっとなにか飲み下せないものがある。
そして影になりかけていた部分に光を当てたとするなら、
果たして「LIFE」に回帰させてよかったのか、という部分もある。
「楽器を演奏するのがとても好きなのだと思います」
というコメントもそこに対する抵抗だったりするのか?
と邪推してしまっているけど、それに限らず、
そもそも「LIFE」に回帰させてる、とかは絶対に僕の思い込みだし、
考えすぎだし、考えなさすぎなのだろう。
CDを買った日からそんなことをずっと考えていたのだけど、
うまくまとまらなかったのでこんな時期になってしまいました。
http://www.amazon.co.jp/Orphans-%E5%A4%9C%E5%8E%BB-cero/dp/B00OHZW01Q/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1420990068&sr=8-1&keywords=cero