幻燈日記帳

認める・認めない

影・影・影



実家にまだ居た頃の話。風呂に浸かって防水のラジオをひねる。普段はTBSにしているのだけどその日はAFN(旧FEN)にしていた。知らない音楽が矢継ぎ早にかかかった後、よく知った曲がかかる。トーキング・ヘッズの「ワンス・イン・ア・ライフタイム」だった。一日の終わりにとてもいいカードを引いたような気持ちだったのをよく覚えているんだけど、あれから何年か経って、あれが一生のうちに何度もあることじゃないってだんだん解ってきた。(それぞれがそれぞれ特別な体験だという前置きをして)たとえばDJが好きな曲をかけた、とも、街を歩いていて好きな曲がかかっていた、とも、喫茶店に入ったら好きな曲がかかっていたとも違う充実感。どんどん美化されているだけなのかもしれないが、「ラジオからのスティーリー・ダン」というあの歌詞をとても近くに感じることができるようになった(という事を残しておく必要を感じたので書き残しておく)。


作詞が全然進まない。とにかく集中できない。夕方ファミレスに行ったら段々と家族連れで店内は溢れ、そうか、今日は土曜日だった、と自分のフリーターっぷりに驚嘆。持っていった本を読む。高校の頃から大好きだけど、後半に進むにつれ、自分の状況と重なる部分があり、精神に負担がかからないようにと超スローペースで読み返していたボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を読み終えた。鞄に忍ばせたもう一冊、大島弓子さんの「いちご物語」から9年前に観に行った昆虫キッズのライヴのチケットが出てきてちょっとおセンチに。「わいわいワールド」の初演の日だったような覚えがある。


見えている風景のしっぽを掴んだと思ったら、それは何週間か前に見た幻だと気づいたり、そもそもしっぽを掴めていなかったり、と散々だ。ここ最近実家にも顔を出せていないので来週に控えたダビング・歌入れ千本ノックを前に晩飯だけでもたかりに行こうかと思っていたのにこれでは無理だ、と母に「作詞が全然終わらないから明日行けないや」とLINEを送る。「行き詰まっているなら大島弓子を読みな」とアドバイスが来て親子だなあ、だなんて思った。読んだことのない話を勧められたので探して読まないと。


今まで見たことないぐらいドでかい膿栓が口から出てくる。そういう日だよ、まったく。