幻燈日記帳

認める・認めない

日陰の才能



怒涛の3日連続レコーディングが無事?終わった。快調だった初日、二日目をよそに3日目だけ妙に時間がかかることばかりで、疲れがかなり残ったのか、本当だったらやらなきゃならない作詞作業を置いといて漫画を買ったり、よりによって2時間スペシャルのバラエティ番組を見てしまったりした。本来だったら作詞の作業をしなきゃならなかったのに遊んでしまったのは予備日で来週も日程押さえていたのがここ数日の作業で予備じゃねえ、その日も作業だ、となったというのも大きいだろう。そんなレコーディングの中日だった今日は伸び放題だった髪を切ったまでは本当に良かった。いや、メンテに出していたベースを受け取ったのも本当にいいことしたと思える。TSUTAYAに寄って漫画買ったりDVD買ったりしたのも最高。電車は絶対端っこに座りたかったから1本待ったのも正解。バスに乗るのもいい選択だった。スーパーに行ったら急に鍋が食いたくなってカット野菜と肉をぶち込んで3人前ぐらいの鍋を平らげてしまったことだけが負い目だ。おなかいっぱいでなんのスイッチも入らず、この日の営業は終了。漫画読みながらレコード聴いてるけど実に贅沢な時間を過ごしているよ、ははは。


以前、自分の政治的思想がどうこうではなく、いてもたってもいられず国会前でやっていた抗議活動に参加したら目の前の現実に打ちのめされた経験があって、その時のツイート(http://twilog.org/sawabe/date-150716)を斜め読みした勤め人の兄から白々しい目で見られた事があった。どういう場所なら居心地が良くて、どういう話し方が心地よくて、どういう椅子が長く座っていられて、どういう靴が恥ずかしくなくて、というのは自分には一生かかっても解らない。状況というのは変わる。一生連れ添う覚悟でタトゥーを入れたとしても、それは水を汲んだコップの形が一生変わらない事への敬意の表明にはならない。飲み下せない事を飲み下すしかないのか。何かがおかしい、そう思っても、そう思うことしか出来ないのがちょっと歯がゆいね。