幻燈日記帳

認める・認めない

T.V.G.P.S.

Facebookに小学生の同級生だったNくんからメッセージが届いていた。届いたのは夏だったけど、向き合いそこねて今に至っていた。それは年末に同窓会のような飲み会やろうと思っているから来てね、LINEグループ作ったから登録してね、という内容だった。私はそのメッセージに返信することも出来ず、添えてあったLINEのIDを登録することも出来なかった。31にもなって人見知りだなんて恥ずかしくて仕方がないけれども卒業して19年経った小学校の同窓会で僕は楽しくやれるだろうか。とにかくうまくやれてる未来が想像できない。家庭を築いただろうか。仕事は順調だろうか。楽しくやっているのだろうか。でも、19年という時間は何が埋めてくれるというのだろう。それぞれの19年間の話なのだろうか、それともあの6年間の話なのだろうか。SNSやアルコールではないと信じたい。気を遣って声をかけてくれたNくんには申し訳ないけれども、同窓会には出れそうにない。

 

室外機のファンの音は少しうるさく、練馬区の閑静な住宅街の夜にちょっとしたエッセンスを加えている。二日前。寒すぎて2時間しか作業が出来なかった。だがエアコンのリモコンが見つからなかった。そもそもパンツ一丁で窓際に座っていたら誰だって寒い。一日前。ズボンを履いてみた。それでも寒い。今度は指が寒い。キーボードを打つにも、ノートに文字をつらつらと書くにも、どうにもならない!ここでエアコンのリモコンを見つけなければ人間じゃない。そう思い、私は部屋の掃除を始めたのだった。部屋中に散らばったCD、レコード、漫画……私はこの状況を何度説明しないといけないのだろう。そして何度この部屋の収納に限界を感じなければならないのだろう。本は本棚を買ったおかげでだいぶましになったのだが、今度はCDが入り切らなくなっていた。「人生は前後左右」…… どうにもならない時は視点を思いっきり引いてみる。私は高校の頃に担任だった数学のO先生が見せてくれた「パワーズ・オブ・テン」からそういうことを学んだ。そうすると自然とエアコンのリモコンが見つかった。ほらね、作業部屋ではなく居間にあったんだ。今はCDが入り切らないという事実は忘れろ、今に於いてはそれが視点を引くという意味(のはず)だ(と思うんだけれども)。

 

川辺くんと飯を食う。お互いの近況を報告しあう。頭の中にあるヴィジョンをあーだこーだこねこねしていたってだめで、実際にちょっとでも口に出した途端にクリアーになるときがあるんだけど、そういう瞬間がちょっとあった。そしてそれがヒントになる。落ち込んでいたやる気がぐわーっと戻ってきた。