40歳になる前にお酒かタバコか爆音環境のどれかを克服しないと未来はない。でかけた帰り道にそう思った。我々の聖典(pizzicato five / パーフェクト・ワールド参照)には「パーフェクトな一日は目覚めてすぐわかる」と書いてあるけれども、難しいよね。私は渋谷駅ですれ違う人、人、人のうちのひとりが僕が大好きな大阪のたこ焼き屋、会津屋の紙袋を下げているのを見てパーフェクトへ近づくことはできるのではないか、その努力は美しいのではないか、と考えた。スマホで調べてみるとちょうど東急の催事場で「第十四回なにわうまいもん市」が開催されていた。エレベーターで8Fに向かい、たこ焼きだけではなく豚まんやふわふわのだし巻き卵を買った。気分はとてもいい。あと少しでパーフェクトな気がする。聖典をもう一度開いてみる。「パーフェクトな世界は愛に溢れてる」のだ。シブツタに寄って衿沢世衣子さんの新刊も購入。渋谷を後にして新宿で途中下車してCDを2枚ほど買い、タピオカミルクティーも押さえた。荷物が異様に重いことを除けばとても気分がいい。電車の中で衿沢さんの新刊も読んだ。雑誌で読むよりもストレートに頭に入ってくる気がするのはなんでなんだろうか。電車の中で読みきれず、最寄りのホームのベンチに座って続きを読んだ。私はこの時間が好きだ。誰もが家路を急ぐ駅という場所で、誰にも急かされずに電車が何本来ても私はそこでページを捲るだけだ。聖典には「パーフェクトな一日は誰にもやってくる」と記されている。部屋に戻り、私の努力はちゃんと美しいものだったのだろうか、と部屋で買ったCDを聴いたら少し違和感があって、ちゃんと調べてみると正規の再発ではないことがわかった。正規の再発でないものなんていくつも買ってきただろうけど、今夜ばかりは分が悪い。買ったCDは1500円、紙ジャケットでの再発のものだったが、11月にある正規の再発は3240円だった。ボートラは15トラックもついているそうだ。でも聖典に目を落としてみる。「パーフェクトな世界がいつかはやってくる」のだろうか。本当は今日、友人の結婚パーティがあったのだけど、そこでうまく立ち振る舞えなかった。クラブという環境に萎縮した形だ。普段あまり聴かないような音量で音楽がかかっていた。私は耳が弱い。すぐにだめになってしまう。喉も弱い。音楽に負けない声量で話かけることに躊躇してしまう。友人が沢山いたのに、たったの二歩を踏み出して「やあ」と声をかけることができなかった。クラブのフロアーで一番暗い場所に腰をおろし、そうして私ははしごを眺めた。あのはしごはどこへ繋がっているのだろうか。少なくとも大行列のバーカウンターでもDJブースでもないだろう。私もそこに連れて行ってくれ。それでも新婚の二人に大いなる幸せが降り注ぐべきだ。本当に、心からそう思う。フロアの奥の方から見た二人は遠くにいるのに幸せだということがわかった。あのふたりを見れただけでも素敵なパーティだったと胸を張って言える。