幻燈日記帳

認める・認めない

バウンド日和

某日

近所の古本屋がレコードの取り扱いを始めていて驚く。いくつか見てみるとストーリーヴィルのレコードが1枚あった。ストーリーヴィルから出たジャッキー・アンド・ロイやサージ・チャロフのレコードが好きだったので購入しようと思ったのだが、一応検盤させてもらったら中身が赤盤のスティーヴン・フォスター名曲集だった。無念。購入を諦めようと思ったら裏ジャケットのすみに落書きを見つける。「1956.12.25 T.H. 銀座ストアー」。胸がいっぱいになる。このレコードは多分発売してすぐ日本に輸入されてきて、時間が経ち、知らないうちにスティーヴン・フォスター名曲集に中身が変わったまま、こんな場末の古本屋へたどり着いてしまった。きっと私がこのレコードを買わなかったらこのジャケットすら処分されてしまう。それでいいのか。いや、よくない。だが、そのレコードのジャケットが家にあったからなんだというんだ。ツイッターにアップして「ヒーン!中身確認しないで買ったら盤違ったけど素敵な落書きありましたわ!」とおちゃらけるのが関の山だ。しばらく悩んで「それ…ください」とも言えず店を出た。自転車で家に帰る途中、一度(やはり戻るべきか)とも思ったが、強い気持ちをもって鍵穴に鍵を挿す。どうしてこんな気持になるんだ。

 

某日

ファンクラブ入ってるぐらい好きなアーティストが会員限定のブログで不安になるようなことしか言わなくなってしまったため、落ち込みそうなときは自分から情報を選ぶのも自衛のひとつだよな、と思い、勇気を出してファンクラブを退会した。入っていたら見ちゃうしそうやって不安になっていっちゃうし、仕方がないよね。

 

某日

ある撮影。川辺くんにあって「いや〜こちらではご無沙汰」「いつぶりだっけ」ってなったんだけど多分ナタリーの鼎談以来だ、ということになりなかなかどうして。コロナが憎い。

 

某日

先週、胃が痛くて、医者にかかった。「ここ1〜2週間ぐらいですかね。胃が痛くて。食べ過ぎかもしれませんね、HAHAHA」だなんてピエロめいたことを言うと胃薬を処方してもらうだけで終わった。その薬を飲んで症状も落ち着き始めたのだけど、薬がなくなった途端に悪くなっていると気がつき、再び医者にかかるに至る。待合室で何年読んでんだ、っていう本をページを湿らせながら読む。呼び出しがかかると、泌尿器科を専門にしている先生のところに通された。「薬はまあ、効いてると思います」「でも、良くならなくて。」「その、例えば血液検査でも」「胃カメラとか」「ないんでしょうかね」と言うと「来週の火曜日に消化器科の先生来るからそのときに」という非情の一言で、診察が終わってしまった。不安に思い待合室で近隣の病院を調べてみたが木曜は休みのところばかりで、おとなしく薬を飲むだけ飲もう、と処方箋を受け取り、薬局で胃薬をもらい家に帰った。家に帰るなり妻にママタルトの漫才の下りを真似して「コロナ禍で院長先生が診察できないのはまあ分かるけど、泌尿器科の医師しかいないんだったら一本ぐらい電話くれよな!」と嘆く。

 

某日

聴いていたレコードのジャケットに中指立てたギタリストが写ってることに気がついて無性にいらだち、1曲目で針をあげる。そういう日だってある。