幻燈日記帳

認める・認めない

8月と9月

8/6

ライヴの予定だったがなくなってしまった。療養から明けてすぐ、喘息がひどくなり、あまりまともに歌えない気がしていたから本当のことをいうとちょっとだけ安心してしまった。

 

8/7

自宅療養期間中、すこしずつ進めていた部屋の掃除の成果がなんとか出る。CREAの取材で本棚を見せてほしい、というものだ。なるべく細かく本棚を確認して、写ると問題がありそうなエロ本のたぐいは裏返しにする、などの対策を取った。編集部さんが手みあげをくれてたが、妻とのふたりじゃ食べ切れそうになかったのでそれぞれの実家にいくつか持っていくことにした。

 

8/9

朝から夜にかけて某撮影。それが終わってからレコーディングに向かった。「架空の帰り道」の録音。もともとは7月中に録音するはずだったのだが、コロナ感染のため延期を余儀なくされ、なんとか都合があう日を見つけたらここしかなかったのだ。信じられないほどの疲労感の中、もともとは歌まで録るという話だったのだが、無理だ、と、葛西さんと旧知の仲であり、スカートも何度か録ってもらっている加瀬さんを翌日に呼ぶことに成功。それでも終わった頃にはもちろん日付が変わっていたような記憶がある。

 

8/11

無事納品。

 

8/19

スパークスを観にソニックマニアへ行く。素晴らしい演奏と歌唱にクラッとする。

 

8/25,26

レコーディング。Demo1とDemo2ともう1曲。手練たちの演奏によりベーシックがサクサク進んだのでもともと2日に分けて録るはずだったが、1日で終われた。翌日はボーイを呼んでパーカッションのダビングやギターのダビングをする。

 

8/27

Aマッソの単独を観に行った。ほぼ同年代のAマッソが毎年単独をやってくれていることは私にとって大きな励みになっている。

 

8/某日

後藤輝基LIVEマカロワのリハーサルが後藤さん不在で始まる。瞬間瞬間が刺激的で、同期でライヴやるのすらはじめてだったけどこんなに有機的なものだったということすら知らなかった。いつもと違うメンバーでスカートの楽曲を演奏しているのも不思議な気分だった。初日は下準備にくわえて朝からシティポップのラジオの収録があったため終わりの方にはうつらうつらしてしまって申し訳なかった。

 

9/某日

アルバムジャケットのイラストレーターの方と打ち合わせ。いつものアルバムとは少し毛色や成り立ちが違うから好きな漫画家さんに頼みました〜だと事故が起きそうな気がして、森さんと打ち合わせしながらどの方がいいか決めた。森さんが大量に用意してくれた近年のイラストレーションの雑誌を眺めながら決めた方。絶対いいものになる。しかしこの段階でまだタイトルが決まっていないため、モヤッとした打ち合わせにはなってしまった。

 

9/某日

歌入れに間に合わすために1曲歌詞を書き上げなければならないので職場であるロイヤルホストへ向かう。パラティーを飲みながら古いアフタヌーンの漫画をいくつか読む。鬼頭莫宏さんのヴァンデミエールの翼を読んだ。久しぶりに再読したからとんでもない気持ちになれたのは言うまでもないんだけど、裏表紙に書いてあった定価が480円で驚いた。えっ、じゃあラブロマは?神戸在住は?とか年代順に見ていったんだけど熊倉献さんの「春と盆暗」の裏表紙を見たら定価が書いてないものだった。なんとも言えない喪失感が胸に残った。

 

9/4

トーベヤンソン・ニューヨークで集合写真を撮ろう、ということになった。NO MUSIC, NO LIFEの平間至さんの写真館での撮影。三宿は駐車場が全然なく、やや遅刻してた分、さらにそこに上乗せさせられることになった。平間さんとは初めてお会いするのだけれど、「It's The Moooonriders」の写真を撮られたのも平間さんだったとご挨拶をさせていただいて初めて気づくという無礼をぶっこく。みんなに雑談目当てじゃなく集まるのはとても久しぶりで楽しかった。撮影は順調。平間さんは不思議な音楽に造詣が深く、まったく聴いたこともない珍妙な音楽をいくつか紹介してくれた。

残ったメンバーの何人かに「SONGS」というアルバムタイトルはどう思う?と訊いたら「(そりゃSONGSはチラつくけど)いいと思うよ」と背中を押され、正式決定。

 

9/5

アルバムが加速度を増す。ジャケットの打ち合わせも済んだ。全12曲で組んだ曲順を提出したりするのだが、いろいろあって「もう1曲いる」という判断が自分の中で下る。俺はやるしかないのよ。

 

9/7

後藤さんのライヴのために前乗り。本当は当日朝に出る予定だったのだけど、後藤さんのコロナ療養があけるのが当日だったため、早めに入ってリハーサルの時間を多く割こう、そのためには前乗り出来る人は前乗りすることになったのだ。久しぶりの大阪、少し気合が入り、昼過ぎぐらいに到着。レコード屋をいくつか見るつもりでなんばまで行ったのだが、目当ての店の2つは定休日だった。愚者。近くを検索すると何軒かレコード屋があったので覗いてみると、少年隊のステッカーを購入することができた。晩ごはんに行こうと思っていたお店もほとんど閉まっていてなにかを呪ってしまう。やけになって地下街にあった中華料理屋で夕食。俯瞰で見るような寂しい夕食だった。

 

9/8

ライヴ当日。Kyutaroでうどんをひっかけてから向かう。宿に戻り楽器を担いでビルボードに向かうのだが、なかなかたどり着けなかった。なぜか知らない街の知らないライヴハウスということを忘れていたのだった。リハーサルの開始時間も早まり、ツーステージ。ハードな一日を覚悟したのだが、後藤さんを交えたリハーサルがなんと一回でキマる。プロフェッショナルを間近に浴びたような気がした。一瞬一瞬があまりにもスペシャル。ちょうどできたての藤井隆さんの「Music Restaurant Royal Host」もご恵投いただく。楽屋でメンバー全員でそのあまりにもなクオリティに驚き、私はクレジットされていた東郷清丸にそっと嫉妬するのであった。

 

9/9

ふたたびKyutaroでうどんをひっかけ、ToToToRecordに向かう。「ワッショイ -最後の楽園-」という謎の7インチを購入。家に帰って聴いたのだが、本当によくわからなかった。なんで買ったのかがわからない。わからなくなりたかったのだろうか。

東京に戻り、ダウ90000の蓮見さんと打ち合わせ。打ち合わせといってもファミレスだったので雑談が中心。いいもの作るぞ、と気持ちを新たにして、スケジュールのヤバさを再確認して身体じゅうの何かが爆散。

 

9/10

歌入れ。入ったスタジオの下の階が焼肉屋で「絶対ここで晩飯を食うんだ」を合言葉に録音を開始。進行状況は悪くはなかったのだが、60分したら店出る、とかそういう条件つけないとのうのうと焼き肉は食えないかもしれない、という結論に一度なりかけたのだが、後から合流したスタッフが「60分とか時間決めたら大丈夫でしょう」というので悪魔の気持ちで階段を朗々と駆け下りた。ところが無慈悲にも「満席」。そうだった土曜日だった。落胆する我々に葛西さんが提案してくれたのが「かっぱ」というもつ煮込みしか出してない店だった。そしてそこの白米が異常なうまさで確実にいままで食ってきた白米の中でも相当上位のものだった。結果的に極上の気分にたどり着いた我々は2曲分の歌入れを完了し、私は私で歌テイクを選んでもらっている時間に悶ながらも新曲を一曲、いい形に持っていけそうなモチーフをかきあげた。

 

9/11

夕方のナイポレの収録に向けて準備をいろいろする。サニーデイ・サービス特集。収録を無事終え、ひと眠りしてリハーサルスタジオに昨日のモチーフを発展させに行こうとしたのだが、布団に入ったところで「逆に今行ったらいいんじゃねえの」と気づき、もそもそと部屋を出る。数時間の作業で完成。落ち着かないビート感を持ったいい曲ができた。

 

9/12

映画「アザー・ミュージック」の上映後トークに呼ばれる。スケジュール的には断った方が絶対よかったのだが、なにか気持ちを楽にしないとどこかでぶっ壊れる、と判断、快諾に至った。アメリカのレコードショップ、アザー・ミュージックの生涯を描いた作品で、音楽で暮らしていくことのままならなさと音楽のある暮らしの豊かさに胸が張り裂けそうになった。現在公開中。みんなも見て。

映画『アザー・ミュージック』オフィシャルサイト

 

9/13

Tokyo FMでGOODYEAR MUSIC AIRSHIPの収録を終え、新宿に一度出て京王の北海道展に顔を出す。「俺はこの後超絶名曲を書くのだから2700円のステーキ弁当を買っても問題ない」と2700円のステーキ弁当を購入。バカでかいざんぎも買った。そのまま、スカートで入るために取ったリハーサルスタジオに個人練習で入って、曲作りをする手はずだったのだが都内近郊、駐車場のあるスタジオのほとんどが抑えられてしまっていたのだ。普段だったらこんなに混んでることないのに!!!駐車場はなかったけど代々木のスタジオに空きがあって直行。泣きながらステーキ弁当を食ったが、成果はあがりきらず。泣きながらみんなと磔磔のライヴでのリハーサルをした。

 

9/14

お久しぶりの中野のVoltaで録音。3日前に作った曲を録音。俺なりのインスタント・カーマですわ。夜は蓮見さんのラジオにゲスト出演。

 

9/15

後藤輝基LIVE マカロワ横浜公演のため横浜に向かう。第三京浜大好き。このライヴはその回ごとに表情が違ってそれが面白かった。配信もされたラストセットは違った表情がそれぞれ盛り付けられたような回だった。演奏終わってバックステージに戻るメンバーもものすごく興奮していた。このライヴが終わって、横浜の夜景が見れたら最高だろうな。見に来た妻と中華街の遅くまでやってた店で食事。そんで帰りも第三京浜。大好き。

 

9/16

某録音日。ついに曲がかけないままスタジオ入りだ。34歳にして初めてなにもないままスタジオに入った。ピアノの前に座り、ギターを弾き、ピアノを弾き、ドラムを叩き、ギターを弾き、夕食の時間になっていた。腹も減っていた。なので「黄金の定食」で紹介されていた髙ひろで付き合ってくれているエンジニアの加瀬さんとポニーの安田くんと夕食。私は肉豆腐だ。成果があがらなくてもメシはうまい。しかしデカダンの味がする。一時はどうなるかと思ったが、最終的になんとかなり、稽古終わりに遊びに来てくれた蓮見くんとも笑顔で別れた。最高の気分。

 

9/17

赤もみじのラストギグがあったので大阪のチケットを取っていたのだがいけないことはだいぶ前にわかっていた。妻を大阪に送り出し私は職場であるファミレスで歌詞を書く。インスタント・カーマにはその段階で「Aを今弾け」というタイトルがついたのだが、後々考えて「Aを弾け」の方がかっこいいな、となり、そちらを採用することにした。

 

9/18

ナイポレ収録からの別の仕事もうひとつ。台風の予報がどんどん厳しくなっていく。昼から社長とやり取りを続ける。結果的には延期になってしまった。やりきれねえ〜〜〜〜〜〜〜