幻燈日記帳

認める・認めない

ダンス無重力

12日

深夜までナイポレの収録のため、数日間続けていた選曲作業のつめに入る。膨大に膨れ上がった選曲リストから間引いて間引いて完成。それでもトータルの分数から察するに放送尺が足りないなんていうこともありえる、と予備も数曲選曲。アルバムの制作やプロモーションが一段落したからじっくり選曲に向き合えてたのしい。

 

13日

iPhoneのechofonが使えなくなる。調べてみるとサードパーティのクライアントは締め出されてしまったそうだ。Twitterの公式は通知を見るため、echofonは公式の検索がほとんど機能しないため(マイナスの指定などが反映されない。リスト化して見づらい)エゴサーチの鬼として使用していた。そしてリストを見るためのbuncho、PCでの閲覧はTweetdeckという具合。bunchoとTweetdeckは生きていたためあまり支障がないが、エゴサーチがちょっとしづらいだけでちょっとデジタルデトックスが遂行された気持ちになってほんの少し気分が良かった。これからはブログの時代だ。

腰の痛みに音を上げ整形外科の診断を受ける。1年ぶりの診断だそうで念の為レントゲンまで撮ってもらったのだが大きな問題があるわけではなかった。

ナイポレの収録は無事終了。とてもいい感じになったと思う。

 

14日

部屋の掃除をずーーーーーーっとしている。この日は本棚を動かすため、一度中身をからっぽにして動かしたりしていた。足の踏み場もなかった我が部屋に少しずつ足の踏み場が生まれることに感動する。そして本は少しずつ吸われていくが、行き場のないちょっとしたフライヤー、変わった大きさの書籍などをどうしたらいいのだろう、とまた抱える。シラフのつもりで生きているのだが、ときどきご作動で携帯のカメラが起動したとき、表示されたディスプレイを見て「えっ、こんなに俺の部屋汚いの?」と素直に思ってしまう。普段の私は何を見て、何を感じているんだろうか。シラフで生きてるはずじゃなかったのか?どんなに悲しくなってももうどうにもならない。泣きながら可能な限り部屋の端っこに少しずつものを積み上げていくしかないのか。

 

15日

ガス代が1万円を超えていて泡吹いて倒れる。今までこんなに高い金額になったことがあっただろうか。これからは追い焚きなんてしません。

昔シェアハウスしていた友人たちと久しぶりに会って話す。くだらない話で始まったかと思えば壮年期らしいシリアスな会話にもなる。まさか全員既婚者になるとは。軽やかで重みのある楽しい会だった。部屋に戻って買うだけ買って聴けていなかったレコードを聴きながら掃除の続きをした。

真夜中、風呂を掃除してお湯がたまるのを待っていたら高橋幸宏さんの訃報を受け取った。誰かが亡くなって思えることなんて限られている。悲しい。早過ぎる。元気になってもう一度ステージに立って欲しかった。浮かんでは消える。そんな思いを書くことに意味はあるのだろうか。とにかく悲し過ぎる。私の人生最良の瞬間は2015年の12月。鈴木慶一さんの45周年記念イヴェントでのことだった。ただでさえ天にも昇る気持ちだったのだが、リハーサルに立ち会えなかったアンコール、佐藤優介がアレンジした「エイト・メロディーズ」の演奏が始まった時、どういう訳かドラムのライザー、矢部さんと幸宏さんの真ん中に私がいたのだ。舞台監督の笹川さんからは「ケラさんが入るはずの位置に澤部くんが行くんだもん」とその後なじられたのだが。ともかく、曲は進み、静かなプログラム中心のパートから生バンドも加わるきっかけというのが矢部さんと幸宏さんがたたく(優介が指定したフレーズの!)フィルインだったのだ。あの瞬間、私の身体にはとんでもない衝撃が走り、これまで感じたことのない幸福感に包まれました。本当に素晴らしい瞬間でした。そこに至るための過去の全てが私を肯定してくれていたような気がするのです。あの衝撃はこれ以上言葉にすることができません。その日、牧村憲一さんがFacebookにかかれた記事のリンクを貼らせてください。本当に寂しい。ただただ悲しい。どうしたらいいんだろう。

 

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