幻燈日記帳

認める・認めない

ゼイ・セイ

18日

 

京都の磔磔でライヴ。台風で延期になってしまったもんだから予定は組みなおし。平日になってしまった。今日は久しぶりの新宿集合。10年前の1月も京都でライヴがあったな、なんて思い出していた。朝早かったのに電車はもう混んでいて、座れず、文庫も開く気分になれなかった。閉まっている小田急の前での集合。10年前と違うのはそこだ。車で京都に向かう。優介と佐久間さんはずっとしゃべっていて、この感じは10年変わっていない。秋山さんのスーパー運転により遅れることなく磔磔についた。磔磔は何回来ても気持ちがシャンとする。ここ数日なんだか心が閉じているような気がして、うまくライヴできるだろうか、とちょっと思っていたのだが、磔磔の入り口に立つだけで気合が入った。リハーサルで半分ぐらい曲をさらって、アンコールの「静かな夜がいい」のセッションリハーサル。半分ずつぐらい歌う、という内容だったのだけど、信じられないぐらいの曽我部さんの声。あまりに圧倒されて、落ち込みそうだったけれど、逆に奮い立った。

この日、サニーデイPAとして同行してきたのは「ストーリー」と「ひみつ」を録音してくれた馬場ちゃんだった。13年続けてそれぞれの成果が自分たちの見えるところで開く瞬間というのは実にいい。

サニーデイのリハーサルが「月光荘」で始まったとき、今日は絶対にいい日になる、と確信した。

ホテルにチェックインして、シャワーを浴びて30分ほど眠った。どうやらこれが正解だったらしく、移動で溜まった披露は吹き飛んだようだ。ホテルから磔磔へ向かう途中、佐久間さんとなおみちさんとロビーで鉢合わせ、3人で京都の街を歩いた。佐久間さんと「あの頃は僕らも全員20代だったもんね」、と笑う。

カクバリズムの20周年公演なのでサニーデイが先行。新旧織り混ざった絶妙なセットリストで最高だった。海辺のレストラン、苺畑でつかまえて、ときて、魔法のフィルインが始まったあの瞬間は自分の中で永遠だった。

スカートのライヴもここ最近のライヴでは屈指の出来だったんじゃなかろうか。アンコールのセッションでは本番よりも声が出ていたらしく、終演後メンバーやスタッフに笑われた。磔磔で軽く打ち上げ。ボーイがとても気の利いたジョークを一つ言ったのだが、それがなんだか思い出せない。とにかく最高の夜だった。

 

19日

メンバーは一泊して車で東京に戻る。私はそのまま京都に残り仕事をして帰ることになった。その前に宿の近くのCD屋でいいところ掴んだ。経営の危機だというホットラインにも寄っていつもより多めにレコードを買った。すぐ近くのリンデンバウムにも寄って甘いものも手に入れた。KBS京都に移動してラジオ番組の収録。膨大なレコードライブラリーから選曲するという番組で、いつか出たい番組のひとつだった。松永良平さんがつないでくれて出演が叶う。KBSのレコード室は入荷した順番にレコードが並んでいて、4時間近く選んでいたにも関わらず66年ぐらいから73年まで、88年から89年までしか見れなかった。夕方の京都にあの曲が鳴り響いたらそんなに素敵なんだろう。放送の日取りが決まったらまたお知らせします。もうひとつはNICE POP RADIO。悩みに悩んだのだけど高橋幸宏さんの特集を組んだ。追悼、というのがどうしても苦手になってしまった。記憶がおぼろげなのだけど、忌野清志郎さんが亡くなったときに、交流もあったシンガーソングライターが「どうして死んでからこう持ち上げるんだ。生きていた晩年の彼を世間は評価してなかったじゃないか」というようなことを言っていたことが自分にも当てはまってしまったからだと思う。あの頃、僕も若くて、晩年の活動を見ていて「自分からKINGとかGODとか言っちゃうのはなんか違うよね」とか自分勝手に思っていたのを見透かされたような気がしたのだった。でも悲しいのは悲しくてさらにどうしたらいいかわからなくなったことをよく覚えている。それ以来、著名人が亡くなったときにどう対処していいかわからなくなってしまったのだ。そして、自分も幸宏さんの優秀なリスナーではない。過去のアルバム、特に90年代のアルバムで聴いてこなかったアルバムがいくつかある。そういう事情もあって特集を組むかものすごく迷ったのだけど、気持ちに整理をつけないまま選曲を進めた。だからこそ、収録は大変だった。選曲はギリギリまで迷ったし、最初のリストから急遽変えた部分もある。「BLUE MOON BLUE」からかけるべきか、「audio sponge」からかけるべきか、結局後者を選んだのだが、前者が収録から1週間経った今でもチラついている。不安定な放送になってしまうかもしれないけれど、よかったら聴いてください。

収録が終わって、一泊するか東京に帰るか迷って、終電ギリギリで東京に帰ることにした。せっかくだからゆっくりするべきだったかもしれないが、なんとなくこうして正解だったような気がしている。