幻燈日記帳

認める・認めない

showgunnさんがうすやまさんのツイートを指して声を荒げているのを見てしまった。うすやまさんのツイートは「サマーヌード」や「Shangri-la」を理解するのに当時はタイムラグがあった、という内容で、showgunnさんは並列に扱われていることに違和感がある、という。私がうまくshowgunnさんのツイートを捉えられなかっただけかもしれないけどどうやら曲どうこうというよりも真心と電気が並列になっているのが気に入らないようで、サマーヌードShangri-laオリコンの順位まで書いていた。そしてそれが歴史的事実みたいに語って、それが鵜呑みにされてるのは良くない、ということで声を荒げて、しまいには「ウソヤマに改名したらいいんじゃね」とまで言い出していて何もかもくだらなくて腹が立って仕方なくなった。そもそもRTが少し伸びてるぐらいでRTした人が本当に鵜呑みにしているかどうかなんてわからないじゃない。showgunnさんのツイートも大好きだし、はじめてDJでお会いした時は一緒に写真撮ったりしてもらった。あれは終日ONEだった。懐かしい。うすやまさんは私の師匠のような人だ。中学生の頃からうすやまさんのDJを聴いて音楽への接し方のいくつかの面はおいては大いに影響を受けた。ただただイタいティーンエイジャーだった私に音楽を通して広すぎる世界を見せてくれた。うすやまさんはいつだって偏った(と私は思っていないのだけれど、そう言わないと伝わらないかもしれないからそう言う。私からしたら「偏った」なんてつかないただの)音楽の素晴らしさをいつも提示してくれる。俺は音楽やその人を通して、調べればわかることをわざわざ知りたいと思わない。その人が暮らしてきた中でどういう形でその音楽が響いたのか、そういう話が聴きたい。showgunnさんが言うようにそれが事実のように語ってるなら問題だけど私にはそう見えなかった。それは私がうすやまさんのツイートをよくみてるからかもしれない。私はうすやまさんは悪くない、なんてことがいいたいのではない。ただ、Twitterなんて便所の落書きだという前提がなくなったような気がしておれは悲しい。自分もできていない気がするから自戒も込めて書くけど、歴史書に載らないような話も真に受けながらも話半分に聞けるようになりたい。私に於いての話だけど、(Twitterだけの話じゃなく)これまで話半分に聞くことによって検証や考える余地が生まれ、それがまた豊かさに繋がって広がってきたはずだ。それはうすやまさんに対してもそうだし、showgunnさんの過去のツイートにもそういう瞬間があった。今夜、私は私の弱さから、求めたいはずの豊かさからまた遠ざかってしまった気がしてならない。でも書かなければ多分今夜は布団に入ることさえできなかったはずだ。今夜はよく眠りたいんだ。どうでもいいけど2人ともアイコンに恵方巻きぶっ刺さってる。