幻燈日記帳

認める・認めない

アイ・ワナ・ビー・オーディナリー・ガイ(フー・ジャスト・ライクド・トゥー・バイ・ウィークリー・マガジンズ)

26日

スリーピースのリハーサル。明らかに楽器の数が足りない曲に対してどう迫力をつけたしていくかを話し合い、実際にプレイしていって磨いていく。結果的にいい形になった。スカートのリハーサルは休憩に本質が宿ることが多いのだが、この日はろくに休憩もしないでどんどん試したり、体に馴染ませるために演奏を繰り返した。途中、おなかが痛くなってトイレに入ったついでにメルカリ見たら今から54年前の日本盤、帯付きのレコードを安くはないけど買うことができた。痛みなくして得るものなし、とは言うけれども。

 

27日

打ち合わせ。うれしい打ち合わせ。うまくいくといいのだけど、うまくいくようにするのよ〜

ナイポレの収録。24日に一日で終わらせるはずだったナイポレの選曲(「6周年」をテーマにデビューしてから6年の曲)が終わりきらなかったっため、26日のリハーサルのために家を出るギリギリまでまた選曲をしていたのに、この日も追加で検証、組み替えを直前までする。今回は「このテーマならこの曲かけたい」というよりも、このバンドはどうだ?このアーティストはどうだ!と総当たりしていって、調べて、やっと選曲リストに入っていくので時間はめちゃくちゃかかったけど、6周年にふさわしい回になった気がする。全部撮り終わって流石に暗すぎる、となり、急遽差し替えまでした。みなさんがどう思うのか早く知りたい。

 

28日

若洲公園キャンプ場で弾き語りのライヴ。状況からすると完全にアウェイ、でも季節や環境はホームと思える不思議なライヴになった。お客さんの反応を見て、がっつりいくか、チルにいくか考えていたのだが、結局どっちが正解だったのかがいまだにわからない。でも考えあぐねいて選んだ「オータムリーヴス」で吹いた口笛は本当に気持ちがよかった。

 

29日

豊田道倫さんとのツーマン。自然と気合が入る。しかもこのメンバーでは初めてのスリーピース。セットリストは豊田さんから強く影響を受けていた時期の曲から、最近の曲で3人でやったらまた違う面が見えるような曲まで広く選曲しなければならなく、ものすごく気を遣った。結果、激情のスカートと言った感じにもなれた気がする。やりきった達成感だけはあって、楽屋に引っ込むと豊田さんが「アンコールでなにかやろうか?」と言ってくれた。名古屋に豊田さんと小西さんとのライヴを見に行く前、もし会ったら「当日何かセッションとかします?」ときこうと思っていたのに、ライヴを見終わるとそんなことは聞いちゃいけないようなことの気がして飲み込んでいたのだった。豊田さんが「SING A SONG」をリリースした自主レーベルの名前はHAPPENINGだ。「どの曲やりましょう?なおみちさんさすがに急には参加できないだろうから"City Light 2001"で僕がベース弾くとかどうですか?」と提案すると、いやせっかくだから3人みんなでやろう、と言ってくれて、なおみちさんもノってくれることになった。そして出された案が「ゴッホの手紙、オレの手紙」だった。昆虫キッズとのコラボレーションで録音された『ABCD』収録に収録され、35歳の時のゴッホが書いた手紙と自分を重ね自暴自棄になる名曲だ。オリジナル・レコーディングにも佐久間さんは参加していたけれど、実際にこの曲を叩くのは13年ぶりのことになる。僕も好きな曲だからなんとなく頭に入っているけどちゃんと演奏するのは多分初めて。で、なおみちさんからすると聴いたこともない曲。なんだかハイになってしまって楽屋で簡単なコード譜を書き殴り終えた頃には豊田さんのステージは3曲演奏しおえたぐらいの時だった。ハイになった状態で観る豊田さんのステージは実に奇妙だった。基本的には近年の曲で固められたセットリストだったが最後の最後にパラダイス・ガラージ期の名曲「スーパーマーケットハニー」が大爆発。興奮したまま演奏した「ゴッホの手紙、オレの手紙」はまさにそういう演奏になった。前奏が始まって、歌が始まったら王子パートをなぞろうと思っていたが、合わせてみるとうまくいかなく、すぐに高橋くんパートに戻す。岩淵さんが撮影した動画がYouTubeにあがっていて、そういう瞬間瞬間の判断が記録されている、見てもらえたらわかる。

 

豊田道倫 with スカート「ゴッホの手紙、オレの手紙」(live at 晴れたら空にまいて,2023.10.29) - YouTube

 

31日

母校の音楽祭で演奏。18年ぶりに池袋芸術劇場のステージに戻ってきた。バックヤードで先生に「前回が2005年でしょう?ここにいる学生まだ生まれてない人も結構いるんじゃないんですかね〜」なんて言っていたが18年経っているのでほとんどの生徒が産まれていないのであった。この日のことは別にもうちょっと詳しく書くつもり。

 

3日

日芸の文化祭で放送学科がやるラジオにゲスト出演。日芸は初めて行くな、と気がついてちょっと動揺していた。江古田はどういうわけか自分にとって近いようで遠い街だ。ココナッツの江古田店にもまだ行ったことがないと記憶している。自分の中でぽっかりと穴が空いた街、江古田で若者と話して、数曲歌った。ハプニングもあったけど、その感じもなんだか懐かしかった。言葉にするのが本当に難しいのだが、スカートは本当に誰が聴いているのか見えない。だからこそ、こういう場に呼ばれて終わった後に持ってきてくれたレコードにサインするような瞬間というのが訪れて、ようやく誰が聴いているのか、というのがわかって安心するのだ。

帰り道に吉祥寺のHMVによってブッチャーズのbirdyと浅川マキさんの2枚を買ってそのままNICE POP RADIO収録。

 

4-6日

札幌でライヴのため前乗り。ケーキ店ププリエで念願のガレットを食し、さらにはケーキまで食う。この選択は果たして「昼食」としていいのかしら、と頭にも浮かぶのだが後悔は一切なかった。ガレットも本当に美味しいのだけど、ケーキもどれも最高。でもどれかひとつだけ教えろ、というならば私はかぼちゃのプリンを推します。マスターが「今、ちょうど紅葉が見頃なんです」というので、北海道大学の銀杏並木を歩く。札幌駅からわずかに歩いたところにこの大自然。北海道の偉大さを思い知る。一日中歩き回って夜21時から翌日のためのリハーサル。VJの渡部さんとのすり合わせなのだけど、基本的に私はいつも通りのことをすることしかできないし、映像が見れない。見れても映写機の小窓に反射するとても小さい映像だけだった。でもその感じが良かった。終わった後、スタッフとして同行した妻に感想をきくと「すごい、すごい、すごい」と3種類の言い方ですごいと言っていたのできっといいものだったのだろう。本番のライヴも密度が濃いものにできたという実感があったし、観てくれた人からもすごくいい反応があった。

最終日は飛行機が遅い時間に設定してあったので朝からギリギリまで北海道を堪能しよう、という話になり、とりあえずレンタカーを借りてテレビで見たジンギスカン屋に行ったり、道の駅に行ったりなどする。途中でナビの示す行程を無視してしまい、巻き返すために入った道路がまるで赤毛のアンに出てきそうな道で心が弾む。まっすぐな道だ。その道の両側には樹がさみしそうに等間隔に植えられている。私にとっては豊かな景色にも映ったが、アン・シャーリーだったらこの道になんて名前をつけただろう。

 

7日

夜、ランジャタイのがんばれ地上波のイヴェントを見に行った。豊洲PITの最寄りの駅から見えた豊洲PITが信じられないぐらいスンとしていて笑ってしまった。本当にこの後ここでライヴあるのかよ、と言いたくなるような雰囲気だった。ライヴは最高だった。鏡に映る自分にぶちぎれる、という恒例の企画で虹の黄昏さんが鏡の前に立ったあの後ろ姿の美しさが忘れられない。

 

某日

小忙しかった日々がようやく安寧に傾き始め、傾いた拍子にそこからなにかが溢れた。それでも時々ギターを持つ。5拍子の曲が全く進まない。時々あるのだ。気に入りすぎると続きが思い浮かばない。歳を重ねてそういうことも増えてきて、代案を思いつくにも時間がかかるようになってしまった。じっと考える。別のスケッチも少しずつ進めていく。次の形が見えてくるような気もする。しかし形が見えてきたからなんだというのだ。結局は考える時間も増えて自分が今なぜ音楽をやっているのか、なぜ音楽で身を立て続けようとしているのか、自問自答の日々になった。