2024年某日
途中までいい感じに進んでいた部屋の掃除が途中でど〜でもよくなる。もう一歩進むのは2025年の目標にしよう。
テレビを見ていて「2024年もあとわずか」みたいなことばを聴いた時に「あれ?まだ2024年?」と思った。こんなことは初めてで少し戸惑う。
31日
恒例となった松本家での年越しに向かう。せめて天ぷらぐらいでも買っていきたい、と吉祥寺のアトレを目指したがとっくに閉店していた。ギリ地元のスーパーが空いていたの寄り、半額の天ぷらを買う。どことなくもう取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになった。そばをいただき、テーブルゲームに興じる。これが楽しいんだ。もっと外交的になって日常的にブロックスとかやりたいって思う時あるけど、年に一度この時間があるならまあそれはそれだよな、だなんて受け入れてしまう。
1日
ずっと窓際にいたからか、お得意の寒暖差アレルギー?自律神経のバイナラ?でじんわり体調が悪くなり、吐きそうで吐かないいやな気持ち悪さに苛まれ、ゲーム中に離脱。バケツまで用意してもらったが10分ぐらいしたら良くなった。新年早々縁起が悪い。
一泊お世話になって車に乗って松本一家と小野照崎神社にお参りに。去年は長男氏の開くおみせやさんにの客になり、石を買うために石を支払ったものだが、今年は鬼のターンが長く続いた。
6日
家にいるとどうしてもフォートナイトをやってしまうし、録画したテレビを見てしまうので、自宅から離れて集中して作曲ができる環境に一旦身を置こう、と年末から宿を探していた。作曲するならピアノがある部屋がいい、最近の作曲の傾向からピアノがあったほうがいい、とピアノがある部屋を探すのだが、超高級ホテルかコテージばかりで一度は諦めかけていた。しかし、しぶとく探してたら年明けに京都のゲストハウスにアップライトがある、音出しも21時まで可能、さらに6日からなら3泊4日分部屋がある、ということがわかって、たまらず押さえた。場所も街中、値段もそこまで高くはない。久しぶりにライヴじゃない用事で京都に行くのだから観光もしたい、人にも会いたい、なんて思っていたのだけど、知り合いや友人に声をかけたら際限なくサボりそうだったのでひっそりと向かった。到着した部屋はかつての居住場所をギャラリーかなにかにしてさらにゲストハウスにしたような、ヴィンテージの家具以外はなにもかもがピカピカな部屋だった。初日はすぐ集中して作曲なんてできないだろ、と思っていたけど、部屋に常設されている小さすぎるテレビをつけてみればちょうど水戸黄門がやっていて見ちゃった以外は、スッとピアノの前にむかえたし、すぐモチーフができた。翌日によくわかったのだけど、このゲストハウス、日光が差す部屋もあるんだけど主な居住スペースはあんまり明るくなくてそれも集中力にいい方向に作用したようだった。21時まで楽器触って曲作って、それ終わったら散歩しながらどこかにご飯食べに行って、詩についてもいくつかまとめよう、という気持ちがあったのだが、周りには21時以降開いてる店がほとんどなく、散歩の部分だけ生かして街に出るだけ出た。京都の街をふらつき、何かいいお店はないものか、と適当に歩いたのだけど、結局どこにも決めきれず、自炊を決意。近所のスーパーでパスタに関係するいろいろを買って、IHのキッチンで調理をする。実家も今のアパートもガスなのでIHを使うのは初めて。途中までジュージュー言ってくれてたのに途中で突然スンとなったりして、全く火が通っていかない鶏肉を悲しい目で見つめながら、茹で上がったパスタが固くなっていくのをなんとも言えない気持ちで眺め、なんとも言えない気持ちでなんとか出来上がったパスタを食べた。「音出しの21時以降は散歩&作詞」なんて言っていた自分が懐かしい。今回の旅での作詞を諦める。
7日
8時に起きてラヴィット!を見ながら2時間かけて頭を起こしていく。10時なったらギターかピアノを腹が減るまで触る。昔から行ってみたかったつけ麺屋が歩いて10分ほどだったので向かい、ちょっと散歩して帰ってくる。そしてまたギターを触り、ピアノを触り、水戸黄門をみながら寝落ち、起き上がってまた作業、ときどき持ってきた漫画を読む。その中の1冊にスキップとローファーの最新刊があって、前回の流れを忘れてしまっていたのだけど、京都修学旅行編で信じられないほどエモい気持ちで読んだ。その末、05ができあがる。01が妙な曲になって、もっと妙な曲を作りたい、という気持ちと、だからこそもっとノーマルめな曲を作って01の存在を浮かせたい、という気持ちがせめぎ合い、05に顕現。一筆書きのような短い1曲になった。そして次に取り掛かろうとしたけど集中力が切れて音出しが可能な21時を目前に終了。テレビをなんとなくつけながら夕食を作る。昨日よりはちょっと上手く行った。
8日
腹が減るところまでは昨日と同じ。ちょっと遠出してランチを食べに行った。北大路まで電車に乗り、歩いてグリルはせがわへ。GoogleMapにはある時から誰に薦められたか、どこで見たか、をメモするようにしているのだけど、メモがない時代に星がつけられていた店。福富とかにおしえてもらったような気がする。ほうれん草のクリームソースのハンバーグを食べて、北に向かう。昨日読んだスキップとローファーが頭にあるうちに京都を歩きたかった。「きっとみつみたちは来ないような場所だけど」と思いながら歩く。NICE POP RADIOの検聴もしながら歩いていたら鴨川沿いに視界が開ける瞬間、崎山くんが書いたadieuの曲が流れ出して自分の中のエモーショナルが爆発する。なんてよく晴れた冬の午後。あらゆるものが混ざってしまって大変なことになった。泣くわけでもない、笑うわけでもない、感情の行き場がない。踏み締めるアスファルト、川を泳ぐ鳥、通り過ぎる人、遠くに見える山々。あの言葉にできない瞬間がものすごく特別になった。何年か前のフジロックでSuchmosのヨンスくんが「木々たちよ……」と言って話題になったけど、エモーショナルが行くところまで行くと、自分の外のものに気持ちがいくのだろうな、という気づきがあった。
今回の旅でレコード屋に寄るのは2つだけ、と決めていた。ひとつはJETSETにご挨拶。これは最終日に叶う。そしてもうひとつが去年の松永良平さんのラジオに店主の方がゲストで出ていたお店、レコードショップGG。北大路と北山の中間ぐらいにあるのだけど、歩いてみると意外とあったような気がする。広すぎない店内に入ると、めちゃくちゃいい曲が流れている。ジュディ・シルの未発表曲かな、とさえ思うほどのいい曲だった。Shazamしてもひっかからないので店主に訊いてみると、それはGraham And Eileen Prattというデュオの曲だった。絶対買おう、と決めて店内を見ていく。GGは在庫を端から端まで見るのに最適なサイズ。新入荷からそれぞれのコーナーまで欲しかったレコード、知らないレコード、聴いてみたいレコードをピックアップするとあっという間に10枚以上になってしまった。そこからすごい顔してどれを買うか決める。Nazzのファーストの当時出た国内盤、ピッグバッグの7インチ、ビフ・ローズ、CMの曲がたくさん入ったレコードなどなど。楽しい買い物だった。
部屋に戻り、打ち合わせを一件済ませ、水戸黄門を見て、作業。もう1曲できる。これを06とする。年末に03を作った時に「ありきたりなコード進行で何かをやりたい」と息巻いて、意識的にそのコード進行から作曲を始めたんだけど全くの無自覚で06と03のAメロが同じ進行になった。歌いやすいようにキーをいじっていったらキーまで一緒になってしまったと途中で気付いたけどもうこういう時はこういう時だ。
夜は龍門まで行って全く映えない飯を食い、前回ひとりで来た時も思ったことを独りごつ。「ひとりで来る店じゃねえな」。
9日
最終日、チェックアウトは10時なので作曲はせず2曲完成でフィニッシュ。うーん、あと2曲書けてたらよかったのだけど。JETSETに挨拶に行って、小野さんに「京都でなんかレコード買った?」と訊かれて「GG行ったんですよ、めちゃくちゃいいレコード買えて。イギリスのトラッド系のやつとか」と口から出てそのレコードを買うのを忘れていたと気がついた。オクノ修さんのLPだけ買って、店を出てGGに電話をして、取り置きをしてもらってまたGGに戻った。なんだか情けない。でも買えて嬉しい。東京に戻って妻と落ち合ってラヴィットのポップアップショップでラッピーとガガンモのステッカーを買って帰る。まだ6月のラヴィット!を見ている途中なので、ネタバレが目に入っても頭に残らないようにするので必死だった。
店を入った時にかかっていたのは"Last Load"という曲だった。
Early Birds | Graham and Eileen Pratt
11日
伊藤銀次さんとツーマン。嬉しいツーマンは加茂敬太郎氏が仕掛けてくれた。何度か書いたような気がするんだけど、加茂さんは僕が高校1年のときに所属していたバンドESP主催のコンテストの審査員で、あの時ベストギタリスト賞をくれたから私はESP系列店で使える10000円のギフト券をいただき、そのギフト券で6000円で売られていたTASCAMのPORTASTUDIO 414、いわゆるカセットMTRを購入できて、多重録音の道に進んで、今がある。コミティアシリーズ作っていた頃とかはいろいろ試して、ドラムだけこのMTR(故障しちゃったから同じやつ買い替えたんですけど)で録ったりしていたこともあった。銀次さんは始めてお会いするのに初めてじゃないような気さえして、とても楽しく時間が過ぎた。リクエストの"BABY BLUE"も生で聴けて大感激。弾き語りになってコードの忙しさがより目に見えて最高。ステージ上でも、楽屋でもいろいろ話せて楽しく、なおかつ自分に対して気づく部分もあった。いい夜。
BABY BLUE ‑ 曲・歌詞:伊藤銀次 | Spotify
某日
レコーディング。初日は01を全員で。二日目は優介のスケジュールが合わなくて4人で04と05を。01は想像以上にストレンジ、でもポップに、そして05が個人的にすごくいい仕上がりになって嬉しい。04は4人で揉みに揉んで最初の弾き語りのボイスメモとは違う仕上がりになった。合間に佐久間さんとスケジュールを書き出して「どうするんだ」「果たしてできるのか」「この日は絶対ギター持ってください」「いつ作れるのよ」と、いよいよバンドらしくなってきた。
某日
正月に妻がついでで吉池によって幼少期に食べていたというサガミハムのウインナーを買っていたのだが、オゲレツパスタ(心のままにワカメとか納豆とか冷蔵庫に余ってるものとか入れてしまう欲望をぶちまけるだけのパスタ)に入れたらおいしくてびっくりする。
某日
ファミレスで作詞してたら閉店時間が来てしまったので部屋でノートを広げて書いた走り書きをテキストエディットに落とし込んでいく。「人 人が埋まっても」って書いてあってギョッとしたのだがよく見てみると汚すぎる「ノートが埋まっても」だった。
某日
車で赤坂見附のあたりを走っていたら、シュレッダーされたであろう細かくちぎられた紙がぱんぱんに詰まったゴミ袋が飛ばされていて、あたりに飛び散っていた。個人情報が雪のように降っていて、見ようと思っても見れないし、想像すらしたことなかった景色だったから気持ちに深く刻まれた。
某日
01と05の作詞を始める。05は1分半の曲だからすぐできるっしょ、とたかを括って05から作詞を始めたのだがまったく終わらず、行きたかったライヴを2本諦めることに。その甲斐あって苦い詩が書き上がった。短い曲の方が難しいのかもしれない。ビートルズのモノ・ボックスのブックレットと森雅之さんの漫画を行ったり来たりしながら、もっとシンプルでいいのかもしれない、とか、いや、そうじゃないだろ、みたいなことをやってたらほぼいつもの感じになった。ビートルズの詩を読んでて「当たり前のこと言ってもいいんだな」と思って「ひとりになれば寂しくなるよ」としてみる。
16日
東郷清丸くんとKhaki平川くんとライヴ。リハ終わってフラッシュディスクランチを覗く。収録を翌日に控えたナイポレがソフトロック特集で、ジャズとロック、ポップスのモダンな解釈とは……とぶつくさ言っていた段階だったから、ジャッキー・アンド・ロイの「チェンジズ」が出てきて天啓かと思った。「チェンジズ」は「そういうのがあるらしい」ぐらいの認識だった。実際部屋に帰って聴いてみると不思議な手触りの作品だった。1966年にリリースされたアルバムで、ポップスやロックをジャズ的な目線で描いた作品だった。でも、消化する時間は作れず、買ったけど新入荷送りに。でもあの「天啓だ!」という瞬間は書き残しておきたい。
清丸くんとはコロナ禍突然レコーディングスタジオに呼ばれてセッションしたのが最後だったから、随分久しぶり。出会って10年経っていたと気付いて気が遠くなった。俺も年を取ったよ。05をおろす。アンコールでリクエストいただいた「窓辺にて」を歌っているときに最後の転調が思い出せなくて演奏が止まってしまった。とても気に入っている転調だったのに、パッと弾けなかった。悔しい。そしてリクエストしてくれた方、すみません……
22日
01と05に歌を入れる。
23日
秋山璃月くんとツーマン。音源では聴いていたけどライヴもかっこよかった。この日は01をおろす。妙に気合が入ってエレキで弾き語りしちゃったけど、秋山くんのライヴを見て、(もっと力入れずにやった方がよかったかな……エレキは失敗だったかもしれない……)とうっすら思いながら演奏していたのだけど、終演後、マネージャーアンドウ氏からは「定期的にエレキやった方がいいんじゃないですか?」と進言をいただく。年をとって客観視が難しくなってきた。
25日
ライダーズのライヴが中止になってしまった。無念。予定を変更してスタジオに向かって作曲。1曲できる。07とする。
26日
中高の同窓会。あまりのエモさに「当時こんな自販機なかった!」って思い出が全くない自販機を写真におさめていた。
某日
同窓会の衝撃から作曲活動に弾みがつく。同級生が笑いながら「今日のことも曲にしてよ」と言ったけど、多分細切れになって次のアルバムになる。08とする。途中メロディが何かに似ている、と気づいて深夜のスタジオから妻に連絡をとってなんだろう、と探り合う。結局「ただ泣きたくなるの」だった。私はこの曲は空気階段のラジオで知ったから、ふとしたところから似てしまうんだな、とちょっと驚く。あまりにも同じだったのでメロディを書き換えた。最近は"CALL"を話題に出されることが時々あって、あの頃の自分にないものはなんだろう、と考えて、シンコペがないのっぺりとしたメロディだ、と気づき、それに徹した。いい曲。
某日
Rec。02、03。02はかねてから佐久間さんとリズムの感じのやりとりをやっていたけど、ギターの雰囲気があまり出せず苦労。結局指引きで弾くように演奏した。03は一番迷って、最終的には佐久間さんは「なんとかでっちあげたな!」と笑っていたけど、いい仕上がり。完成が楽しみ。
某日
森川さんを迎えて初めてのリハーサル。かなり優介のフレーズをコピーしてきてくれていて驚く。コードの解釈など細かいところのすり合わせまでやれた。