幻燈日記帳

認める・認めない

小さなカバン

3日

とよ田みのるさんの小学館漫画大賞受賞パーティにお誘いを受けて漫画家の友人に声をかけ、ふたりでうかがう。とよ田さんの漫画は高校生の頃から読んでいる。「ラブロマ」の1巻からだ。とよ田さんの漫画がヒットして、賞を取って、アニメ化までするなんて本当に嬉しい。いいものを作り続ければいつかはきっと多くの人が知ってくれる、という大いなる希望であると同時に、いつまでもいいものを作り続けなければならない、というプレッシャーにもなった。プレッシャーだと言葉が強いか、気合いが入った、というべきか。とにかく素晴らしいパーティーだった。大関さん、Mg.アンドゥ氏の勧めにより密かにラジオを聴きはじめていたマユリカの中谷さんと、兼ねてから川島さんとのラジオ番組(「川島明のねごと」)を拝聴していた天津飯太郎さんとお近づきになれてあたしゃ嬉しい。はじめて帝国ホテルに入って、あれこれじろじろとみて回ってしまった。帰りに友人と「もっと頑張ろう」と励まし合う。やるぜやるぜ。気持ちが静かに燃え上がる。

 

某日

最後の歌詞を書き上げる。タイトルは「スペシャル」になった。絶対にこれは時間がかからない、と読んでいたけど実際に3時間で書き上がった。たまにこういうことがある。充実感からステーキとハンバーグが一緒に乗ってる高いやつを注する。くーっ。

 

8-10日

久しぶりにライヴのため、6年ぶりに沖縄へ。少ないながらもいくつかの街をライヴで回ったけど、訪ねてみるとコロナ前と何か変わってしまった、と感じることの方がおおい。しかし沖縄はまるで6年前と同じような顔で我々を迎えてくれた。でも予約していたホテルは10年前に泊まったホテルだったが名前が変わっていたし、当時テンションあがった記憶のある朝食バイキングは値段が上がり、驚きが減っていた。

Output Laugh Projectというイヴェントでお笑いのライヴにミュージシャンも出演する、というもので、ほとんどが芸人が中心のライヴ。桜坂劇場とOutputの二会場で行われるイヴェントだったが、私はOutputでの出演だ。久しぶりにぴんくさんにもお会いできるし、コロナの流行の前はバティオスとかV-1とかいわゆる西武新宿の界隈でよくみていたヤーレンズさんにもご挨拶ができた。イヴェントの性質上、お笑いを見にきている人が大半だから、いっぱいだったお客さんもぴんくさんの出番が終われば桜坂劇場に全員移動すると思ったが1/3ぐらいは残ってくれて本当に嬉しかった。誇張でもなんでもなく全員移動すると本気でちょっと思っていた。万感の思いで新曲をおろし、ぴんくさんとの久しぶりの「だんご三兄弟」で爆発。終演後にはスギムさんとの久しぶりの再会を喜ぶ。桜坂劇場の1Fは古本屋も併設されていて、値段は高いがキレのいい本ばかりあって驚いた。樹村みのりさん特集のぱふを買って帰る。おれはといえば打ち上げの場でさえも人見知りを発動、漫画売り場にだいたいいたし、シンクロニシティ西野さんに「ファンです、最初の単独の抽選外れました」というのが精一杯だった。たのしいイヴェントだった。東京でみているものを異国の地でみているような気持ちにもなれてなんだかうれしくなった。

10日。妻がタコスを食べたいという。なんて魅力的なんだ。レンタカーを借りて3店舗まわる。メキシコというお店のタコスが異常な美味さで体の芯から喜ぶ。続いてのチャーリータコスでは中学生の頃にギターを習って、昭和音大に進むのはどう?と提案してくれたK先生となぜがばったり遭遇。本当にこんなことってあるんだ。嬉しくてたまらない。タコスは確かに美味しかった。最後にメヒコ。塩で食べる、という選択肢があり、試してみると確かにこれがいい。ウェットな食べ物としてのタコスだけがタコスの表情じゃないと気がつかせてくれた。こうやって思い出してもメキシコのタコス、今すぐにでも食べたい。帰りにJimmy'sで買い物をしてから、ミュージック・パンチというレコード屋へ。シティポップレイディオの収録で知った門あさ美さんのアルバムがレンタル落ちであった。大好きな曲になったので嬉しい。他にも気になるレコードをいくつか買って東京に戻った。

太陽がいっぱい ‑ 曲・歌詞:門あさ美 | Spotify

 

11日

ムーンライダーズのライヴ。昨年の国際フォーラムとはまた違ってライヴハウスならではのノリに溢れたいいライヴになったと思う。Y.B.J.から良明さんがガンガン引っ張っていって最高。

 

12日

スタジオで作業してからカイリー・ミノーグを妻のお供として観に行く。私はカイリー・ミノーグにそんなに明るくないのだけど、信じられないぐらいに最高だった。あの夜見たミラーボールが今後の一生を照らしてくれる気がする。

 

某日

歌録り。ちょっと無茶して3曲録った。2曲だけ録って18日に1曲残すつもりでいたけど、喉の調子がよく、18日も花粉で良し悪しどちらに転ぶかわからなかったので気合い入れて頑張った。13時間スタジオにいてかなりクタクタだったのだけど、帰りの駐車場の値段を見て落ち込む。さらに新札対応ではなくさらに落ち込む。予定外にカード切るのいやなタチだから値段の高い大きめの駐車場で新札対応してないの本当に嫌。でもあがった成果を爆音で聴きながらご機嫌に帰宅。

 

某日

かかった医者に血液検査の結果を聞きに行く。結果は2年ぐらい前にあまりの胃の痛さに診てもらっていた頃と変わらなかった。前回の診察で血圧の話になり、「普通の血圧計じゃもう測れないんですよ」「以前も水銀計で診てもらってて」「その頃は意外にも通常の血圧だったんです」とまくしたてる。「うーん、それでも血圧計買いましょう」となっていたのだけど、アルバムの詰めの作業からか、完全に頭から抜け落ちていた。「血圧計買いました?」と言われ、すっかり忘れていたのにペラペラと言い訳を立てる。すると言い訳を見抜かれたらしく、「下の薬局にある血圧計を持ってきてもらうので試してみましょう、そんで多分大丈夫だから買いましょう」とトントン拍子で話が進んでしまった。しかし実際に持ってきてもらった血圧計は私の腕を通らなかったのだ。そりゃねえぜ。「でも一度」と医者。「この医院にある血圧計で測ってみましょう」やってみたら170ぐらい。「ほれみたことか」といわんばかりに降圧剤を処方された。その後、ジムにも血圧計があるので毎回測るのだけど140を下回る時もあれば180を超えるときもある。そして腕周り35cm未満の方以外は使うな、という警告文も添えてあった。私の腕周りは45cmあった。

 

某日

地元のスーパーで沖縄でばったりあったギターの恩師にまた再会。これはなにかのメッセージ。ギターをもっと練習しなさい、ということだろう。

 

某日

各曲のタイトルが出揃っておらず、さらにアルバムタイトルも決まっておらず、ChatGPTと話しながらタイトルを決めていこうとするのだけど、これがなかなかうまくいかない。スタッフサイドに一度決めたものを取り消してはあたらしいものを提案する、という日々が続く。

 

15日

吉祥寺の東急で弾き語り。映画「BAUS」のイヴェントに急遽混ぜてもらった。共演が直枝さん、慶一さん、湯浅さん、井手くん、甫木元くんという一癖も二癖もあるイヴェント。東急の屋上に上ったことがなかったから、そこからの景色も含めて驚きのある一日。まずとにかく寒い。次に雨が降りそう。さらに直枝さん、慶一さんのステージにちょっと参加する、というわけ。直枝さんは「やるせなく果てしなく」が猛烈に響く。慶一さんはこの日ははちみつぱいセット。いきなり「こうもりの飛ぶ頃」でかっ飛ばす。ディレイとエコーのギターのサイケさはあくまで装飾、奥に揺れ動くあの声こそがサイケデリックといえるものだった。「塀の上で」は寒さもあってかリハで間違えなかったところを間違えてしまったのが心残り。でも呼び込みのときに「あっ!バンド仲間がいる!」と呼び込んでくれたことは一生忘れられない。最初はその名誉に感動していたのだけど、すぐに「そうだった、吉祥寺という街は「あっ!(バンド)仲間がいる!」となる街だった」と気がついた。はちみつぱい終焉の地と言ってもいいであろうこの吉祥寺で二人でこの曲を演奏しているというのは信じられないものがある。噛み締めるように演奏して、噛み締めるように間違えた。

 

16日

ベルマインツとツーマン。コロナ禍で中止になってしまったイヴェントから数えてもう4年経つ。大比良瑞希さんのライヴでO.A.で出てて共演とかはあったけど、やっとちゃんと一緒にやれて嬉しかった。変に気合が入って新曲4曲もやってしまった。ベルマインツもコーラスワークがめちゃくちゃ良くて、コーラスはやっぱり生で聞くのが一番感動するな、と改めて思う。

 

17日

アー写撮影と15周年優勝ヴィジュアル撮影。何事か、と思われる方はこちらも併せてご参照ください。

スカート10周年特設サイト

10周年がソッコーでコロナ禍に飲み込まれて、このサイトのこともすっかり忘れていた。ポニーT氏から15周年にもこのサイトみたいにコメントください、と言われて久しぶりに思い出した。あの頃はそれどころじゃなかったんだな。ともかく見返してみるとその浮き足立ってる感じにギュッとなる。そのギュッとなった感じが15周年のサイトのコメントになった。撮影に使用したユニフォームは5XOというサイズだったが全然キツい。今更調べたのだけど5XOは4L相当だそうでそりゃ入るわけないよ。「5XOなら大丈夫でしょう」とか言ってちゃんと調べなかった俺が悪い。しかし背中の生地を切ってなんとか着て撮影。正面を撮影するときは背中を切った5XO、予備で作ってた4XOを背後の撮影、と使い分けながらノリにノっていろいろ試した。

スカート CDデビュー15周年特設サイト

 

18日

シティポップレイディオ収録。最後から2つめの収録で自然と選曲にも気合が入った。A氏になんとかアグネス・ラムを残してほしい、と懇願したけどその甲斐があった。しかし収録はあと一回になってしまう。なんとも寂しい。(この日記は基本Spotifyを貼るようにしてるんだけど、過去あったはずなのに無くなっていたのでリンクはAppleMusicです。iTunesのローカルデータを大事に育ててきたおれだから、それと食い合わせが悪いAppleMusicはあまり積極的に使ってなかったんだけど、サブスクの金にならなさやっぱり半端ないのでなんとか分配率がまだ高いAppleMusic利用しよう、とSpotifyとの二刀流再課金始めたんだけど、使いやすさ、新しい音楽の出会いやすさからどうしてもSpotify使っちゃうんだ。あたしゃ意志が弱いよ。)

ムーンライト ベイ

ムーンライト ベイ

  • アグネス・ラム
  • 謡曲
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

そこからコーラスRecへ。重住さんを監督に招き、素晴らしいものが録れた。畳野さん、柴田さんも激烈にいい。

 

19日

朝起きると、寒い。真冬の寒さだ。どうやら雪が降っているそうだ。台所の小さい窓から外を眺めると車が雪に埋もれ始めている様子が見えた。乱暴な朝食を済ませ、長い時間身支度して、昼過ぎにようやくファミレスへ向かうために外に出る。ドアを開けてみるともうすっかり雪は溶けてしまっていて、3月の雪の儚さを痛感する。しかし、鼻を抜ける匂いが雪の日のそれだった。子供の頃、スキーに行ったときに感じたあの凛と冷えた匂い。あとは口元からマジックテープの匂いがしたら絶対にスキー場だった。

ファミレスでアルバムのタイトル、曲のタイトルの最終追い込みをしていく。これでいいのか?これでいくのか?それでいいのか?30年後はどう?発表したその瞬間はどう?と自問自答に疲れ、ChatGPTに意見を聞きながら進める。08は「ひとつ欠けただけ」にする。腹が決まった。だが02と04で苦戦。02は「一旦これにしよう」という案は出た(が、後日ボツになって最終的に大島弓子さんの漫画のタイトルを引用して「四月怪談」になった)ものの、04が全くだめ。頭がオーバーヒートを起こしているような気さえして、冷静になるために30分ほど余計にいたずらに車を走らせた。そんなことをしても04のタイトルが浮かぶわけではないというのに。

 

20日

小鐡さんのスタジオで"Extended Vol.1"のアナログのカッティングチェック。めちゃくちゃいい。とくにパ音のリミックスびっくりしちゃった。A面に4曲入れてB面はリミックスだけというアイデア松永良平氏のアイデアをそのままいただいたものです。松永さんありがとうございます。

 

某日

ジムでエアロバイクを漕いでいる時に04のタイトルを思いつく。メモする。やっぱり違う気がする。

 

25日

シティポップレイディオの最終回収録。いただいたリクエストにすべて目を通し、聴けるものは聴いて、というのを土・日・月と繰り返し、ギリギリまで作家A氏と内容を詰める。その中で、リクエストにビリー・バンバンの「1965年夏」という曲があり、これは素晴らしい、ぜひO.A.したい、と思ったのだけど、CDもレコードもすぐに手に入りそうになく途方に暮れる。しかし、最後の悪あがきで探している時にコロムビアからのリリースだと気がついて、ムーンライダーズでお世話になっているNさんにダメもとで連絡を取ってみたらなんと音源を手配してくれた。夕暮れと収録迫る耳鼻科の帰り道、私はひとり街中で嬉しくて焼き鳥を買って帰った。メンチもつけた。

おかげで収録は上々。あるあるや懐メロに堕することもなく(懐メロ自体を否定したくないんだけど、現在のシティポップというのは「見つける」という面がかなり大きいと思えるのであえてこういう)3年間続けられたのはリスナー、スタッフ、そして昨年までスポンサーでいてくれたGOODYEARさんのおかげ。自分で言うのもなんだけどいい番組だった。残念。あと普通に収入が減るので気持ちが露頭に迷う。

風呂入ってたらタイトルが決まらなかった04のタイトルが突然浮かぶ。そしてあまりの疲労でメモするのを忘れる。そして、そのまま忘れる。

 

26日

起きて頭を抱える。04のタイトルが思い出せない。ジムに行く前、スタッフチームになんか違う、と思っていたタイトルで04を一度提出。エアロバイクを漕いでいると忘れたタイトルを思い出した。「遠くへ行きたい」。これからは運動の時代だ。全曲のタイトルが無事決定。

夕方から弦のレコーディング。ポニーY氏の提案で入れることになったけど、本当に入れてよかった。優介のスコアも最高。チェロで3連刻むところがあるんですけどエモすぎ。青弦さんチームも最高。葛西さんも最高。みんな優勝。

そのままミックスへ。かなり佳境。あーでもないこーでもないと意見を出す。深夜、ヘロヘロの帰宅。

 

27日

トラックダウン取り急ぎの最終日。(取り急ぎとはどういうことか。一旦寝かして数日後に作業日を設けて、そこで最終調整をする、ということです。)マスタリング終わるまでまだわからないけど、いいアルバムになってる。本当に嬉しい。作業が終わってちょうど間に合いそうだったのでその足である種のご褒美だ、と当日券でヴァン・ダイク・パークスを観に行った。ヴァン・ダイク・パークスは大好きだけど付き合い方がちょっと特殊だ。擦り切れるほど聴いて聴き込んで「大好き」というのではない。ときどき訪れては「……やば」とつぶやき、また何年か経って「……最高」とかいうタイプの「大好き」。たった3人で演奏される音楽の中にすべてに似たなにかがあった。これはこないだの東急の屋上で見た慶一さんの弾き語りにもあったものだ。少ない楽器のなか、イマジネーションが爆発する瞬間の連続。素晴らしすぎる。眩しすぎる。私もあんな80代を迎えたい。頂いたサインは一生の宝です。その反面、英語でなにも伝えられなかったことが悔やまれる。2年も!Duolingoを続けているのに!MCも半分は聞き取れなかったし。伝えようとする部位と考える部位、読み取る部位、書き出す部位、口に出す部位はきっとそれぞれ別なのだろうか。「大好きな"Oppotunity For Two"をイナラ・ジョージさんとデュオで聴けるなんて思ってもいませんでした。私の人生でも特別な瞬間になりました。音楽には様々な側面がありますが、今夜はそのいい面を観て、聴いて、知ることができました。私も音楽をやっているんです。ニュー・アルバムができたらきっとこの頂いた名刺のアドレスにお送りします」ぐらい言えるようになりたい。

I never thought I'd get to hear my favorite song, "Oppotunity For Two," performed as a duo with Inara George. It was a special moment in my life. Music has many different sides to it, and tonight I was able to see, hear, and learn about the good side of it. I'm also a musician. When I finish my new album, I'll definitely send it to the address on this business card you gave me.

翻訳サイトにコピペすればこんなに簡単なのに。少なくとも"Tonight was a special moment in my life"ぐらい出てもいいよな。

 

28日

小西康陽さんの弾き語りを観にいく。あまりにも特別な一日。これを言葉にしないでどうする、とこれを言葉にしたくない、がせめぎ合い、言葉にしないことを選ぶ。絶対にあとで後悔するんだろうな。でも後悔したらいい。そしてあの時ああ言っていた、となんとか思い出そうとするんだ。現在の私は未来の私に何かを託している。最近のお前は日記を答え合わせとして活用し過ぎている。日記は答え合わせではない。でも、書けばいいのに。

 

30日

花見に誘われるもアパートの排水管の清掃、力加減あやまってホースを突き抜けたらしくシンクの下が水浸しのため痛恨の2時間遅れ。びたびたになってしまったキッチンのフロアマットは廃棄した。

近所に住んでいるのに普段なかなか会えない、離れたところに住んでいるからそもそもなかなか会えない友人たちと楽しく桜を見る、というよりわいわいやる。季節外れの寒さが身にこたえるまえにそのままZ氏邸に押しかける。料理も信じられないぐらいおいしくて、ずーっとなにかを食べていた。いい日だ。ホースの件も一旦棚上げにできる本当にいい日だった。