幻燈日記帳

認める・認めない

リラックスへの反抗



どんなに金がなくても月のはじめにはパスモに1万円チャージしてそのひと月の安心を買う。外に出ることが多いので財布が寂しくなくても「電車乗りたくねえ」という気持ちをチャージしてあるパスモをサッとかざすことによりささくれさせないためだ。しかし今月は特に外出が多く、17日にしてパスモがからっぽになってしまった。私は一体いつまで部屋の一点を見つめ繊細な心の維持と野武士のような精神性を矛盾しながら持ち合わせるための努力をしなければならないのだろうか。見つめた一点の先には棚から溢れだしたレコードが。「減らせばいいんじゃね」という結論に至る。なんとなく買ったレコードやカット盤買った後に日本盤買っちゃったレコードとか聴き返す頻度が少ないレコードを22枚ほど。メシアンが10円と言われたので「それなら…」と引き取って帰ってきてしまった。絶対コレがいけないんだよ。総額で2800円ほどになる。
このシェアハウスに来て3年近く経つが、6月での爆破解体が決定したのでちょいちょい物件を見てるのだがその度に「人生」「感謝」「将来」などの単語が頭のなかでコンテンポラリーダンスをご披露してくれる。僕も白塗りにしてそこへ行きたい。
暖かったある日、部屋の窓を開けてミツメの「eye」を聴いたら「そうか、次の夏はここじゃないどこかに居るんだ」と当たり前(になるはず)の事で感傷的な気持ちになった。冬はとんでもなく寒く、夏は少し涼しい練馬区は上石神井の居心地のいい一軒家。次に暮らす街を選ぶのは実家を出てここに来たとき以上の決心めいたそれが必要な気がする。
その練馬区は上石神井から台東区田原町のミックススタジオに最近通っている。新譜のミキシング作業。ジャケットも進行していてこれ以上ないぐらい毎日いい気持ちで過ごしている。だがその反面、何故か毎日異常に疲れる。で、部屋で出来上がったミックス聴き返して復活。その繰り返し。今日は中日で休み。たまった雑務をやるべきかプールに繰り出すべきか考えていたらすっかりこんな時間になってしまった。(いきって繰り出したプールは閉館日だった)