幻燈日記帳

スカート澤部渡公式ブログ

東京最後の日

去年買った変態っぽいコートを羽織って吉祥寺行きのバスに乗った。ココナッツディスクに寄って、金野さんから預かった戸張大輔「ギター」のプロモ盤を矢島さんに渡す。そして少し立ち話。つい長くなってしまう。これから僕も矢島さんも同じライヴを見に行く。ぼくはファースト・ステージ。矢島さんはセカンド・ステージ。台風の話をしながら「ファースト・ステージにすればよかったなあ」と矢島さん。「無職はほら、時間に自由がきくから、こういう時は早い時間にしないと」。

ココナッツディスクを出てユザワヤに寄って養生テープを探す。「窓ガラス割れたとき大変だからちょっとでも楽なようにするのにおすすめだよ」みたいな感じの動画をTwitterで見たのだ。大きな台風が来る。みんなそわそわしている。昨日、西友にないか見たんだけれどもやっぱりなかったのだ。あ、養生あるじゃん!と思ったらすずらんテープだった。ユザワヤにももちろんないのだ。

諦めて新宿まで出てそこから大江戸線に乗り換え、ビルボードへついた。受付で名前を言う。こんな気持ちで自分の名前を言うのはいつぶりだろうか。傘を預け、7インチを買い、コートを預けてバーカウンターに向かう。クランベリージュースを注文して5階席のいちばんはじっこに座る。しばらくするとライヴが始まった。自分が歌わない前提で書き始めるから書ける詩がある、ということを知ったのは割と最近のこと。「自分で作った歌を自分で歌う」ということを改めて考えさせられた。

ライヴがはねたらひとりで帰る。今日のライヴは女性の目線でえがかれる失恋の歌が胸にしみた。ひとりで勝手に失恋した気持ちにまでなっていた。エスカレーターを降りきるととらやがあったのでいくつか羊羹とホールインワン最中を買った。期間限定だか店舗限定だったかで紙袋の虎が折り紙仕様になっているのもご用意できる、と書いてあったので、それにしてもらった。かわいい。店を出て恋人に電話をかける。「いま終わったよ。ミッドタウンにいるけどなにか必要なものはある?とらやの羊羹はちょっと買った」「なんで羊羹?」「ふふふ、それぐらいいいライヴだったということだろうね」

 

吉祥寺からビルボードまでまったく外に出る必要がなかったため、今、雨がどれぐらい降っているか、というのが再び乗り換えの新宿に出るまでわからなかった。もうひどい雨になっちゃって、ちゃんと家に帰れなかったらどうしよう、なんて思ったりもしたけれど、周りを歩く人達をみて考えるのをやめた。なんの音楽も聴かないで街を歩く。大江戸線から地上に出てビックロにモバイルバッテリーを買いに寄る。すでに商品の陳列棚はほとんどからっぽで、さあどうしよう、なんて気持ちが遠くなっていったのだけど「今、店の入口に入ってきたばかりのが並んでますので」というので向かってみると小さいコンテナボックスに積まれたモバイルバッテリーが並んでいた。その中のひとつを手に取り「いくつか種類があるけれども」「違いを教えてもらえませんか?」と店員さんに訊く。「こちらが2回分ぐらい、そちらが3回分くらい充電できます。2回分の方はケーブルも最初からついているけど3回分の方はついてないです」と丁寧に教えてくれた。(じゃあ3回分だな)とそちらの方を手に取って売り場を離れるとき、店員さんが「最後の入荷です。あるだけです」と言っていたのが小西さんがとばしたジョークと重なった。

ビックロを出て紀伊国屋も寄れるかな、と思っていたけれども閉まっていた。汗をかきながら新宿の気温計に目をやると21℃と表示されていた。変態っぽいコートはまだ早かった。金曜の夜だというのに表通りはあまり人がいなくて、少し狭い道に入ると妙に人が多い不思議な街だった。電車もいつもより人も少なく、駅から一番近いスーパーマーケットはもぬけの殻だった。それでも長蛇の列のレジを抜け、炭酸水と野菜ジュースだけ買って帰った。いつもの街だ。明日はそうはいかないだろうけど、明後日はまたいつもの街であってほしい。どうか。どうか。

 

 

どうして月を撃たない

レコーディングが終わり、車に乗ったあたりで具合がグンと悪くなった。レコーディングが終わったのは(バスなら)深夜(料金になるような時間)で、青梅街道をひたすら西へ向かっていた帰り道を一旦戻り、新宿のドラッグストアで風邪薬を買って帰った。部屋につく頃には熱っぽくなり、眠る直前にはしっかりと発熱。ごはんはしっかり食べて薬をのんで布団に入るのだが眠れない。体はめちゃくちゃ疲れていたから眠ろうとするんだけど、体が熱くて眠れないのだ。「明日のライヴどうなっちゃうんだよ〜」なんて布団でぼんやりしていたのだけど、ああ、なんて晴れないこの気持ち!とからだを起こして携帯電話を見てみると1時間も経っていたのだった。体は休んだけど頭は休めてなかったのだろうか。はたまたその逆か。

それでもいつしか眠りについて、アラームが鳴る前には目が覚めた。起きると発熱は収まっていて、頭痛もない。耳閉感だけは残ったけど、それ以外は何も問題ない。ホッとしてまだ起ききれていない体をひいて今日のライヴの1曲目の歌いだしを口ずさんだ。……本当に大丈夫?

結論から言うなら、大丈夫だった。

福岡に着き、佐久間佐藤でハイダルというカレー屋でバイ調(ヴァイブス調整)を済ませたこともあったのか、弦を張り替えたこともあったのか、お客さんもたくさんいたこともあったのか、久しぶりのライヴだったけど、楽屋にカポ忘れた以外は問題なく声も出た。深夜の絶望は一体なんだったのか。

呼んでいただいた日食なつこさんチームと打ち上げ。日食なつこさんもライヴで説明してくださったけど、本当に本当のはじめましてだったから楽しい会になった。

福岡に一泊、倒れるように眠り東京に戻る。タッチの差で住んでいる街の近くへ向かうバスに乗れなくて40分の待ち時間が出来てしまった。空港の喫茶店に入り、紅茶を頼み、ストレートでじわじわ飲んでから角砂糖を放り投げる。さあこれから混ぜるぞ、お前は今から全体的に甘くなるんだ、とティースプーンを手に取ったのだが、少しずつほどけていくかたまりに見入ってしまった。ここが箱庭だったら、ここが海辺だったら、ここが私の部屋だったら、ここが喫茶店だったら。秋だからこんな気持ちになるのでしょうか。

そしてそっとクイズを出す

印税って知ってるかい。詳しく説明する気はない。気になったならば検索してみてほしい。ミュージシャンの大切な収入源であり、究極のあぶく銭であるこの印税。その印税は2月、5月、8月、11月の末に振り込まれる。該当の月の末にもなると明細が届くので、そわそわしながらうなされるかのようにポストと部屋を行ったり来たりするミュージシャンもいるそうだ。ともかく、印税が入った。ドラマもやった!映画もやった!からめちゃくちゃ入ってるっしょ、と思ったけどどうやらまだそのあたりは振り込みの対象外(もしくは夢を見すぎているだけかもしれない)のようでめちゃくちゃ堅実な額が口座に振り込まれるに至った。早く楽になりたい。どうしてこんなに国保、住民税、年金は高いんだ、それに消費税まで上がるなんて正気じゃいられねえズラよ〜。

昼間に起きて伝承ホールへAマッソの単独を見に行った。Aマッソは今のようにお笑いを見に行くようになるきっかけになったコンビ。中学からの友人の松本くんに教えられた動画(Aマッソコント「出ろよ」(公式 CH) - YouTube)を見て即ハマり、最初に見に行った新宿バッシュのライヴでランジャタイや街裏ぴんくさんなんかを初めて見てまたさらに衝撃を受けたのだった。初めて見るネタの数々、まいどまいどこれしか言えなくて恥ずかしいのだけど頭がシビれた。まだ大阪公演が残っているので多くは話せないけれど、毎回、爆笑しながら大いに感動するのだ。

伝承ホールの前の席にテレビ東京の佐久間宣行さんがいらした、と気がついたのは終演後だった。「青春高校、毎日楽しみにしてます」「豊洲PITも見に行きました!」(終演後、豊洲PITから勝どき駅まで歩いたのがなんともエモかった。大きな橋を渡ると潮の香りが鼻をつくのだ。)と伝えたかったけれど、タイミングが合わず断念。終演後Aマッソのおふたりにご挨拶をする。

冒頭で印税の話しをしたのはわけがある。レコードを作ったあとの収入で欲しかった高いレコードや、新しいCDを買うのが最高のご褒美なのだ。今回のご褒美として買ったのがフリッパーズ・ギターの「ヘッド博士の世界塔」だった。妙な機会があって1度だけ、ヘッド博士のアナログを実家の部屋で聴いたことがあったのだけど、その時の感動が忘れられず、いつかは買うぞ、と思い過ごしてきました。何度も、たくさんの人が、口にした言葉「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」を信じて8月が終わってしまう前に店に飛び込んだのだった。今まで買ったレコードの中で比べようがないぐらい高額のレコードだったけど、ココナッツディスクのポイントカードをめいっぱい!14枚も使って買った。矢島さんが「行くべき人のところに行った」と言ってくれて、部屋で聴いて感動したあの日が救われた感じがした。そうして針を下ろす。何度も聴いたアルバムのレコードをオーディオの前でじっくりと聴く。いろんなことを思い出すだろう、と思ったのだけど、不思議と「こんなにギターとベースのアルバムだったのか」と新しい発見ばかりに目が行った。儀式のように窓を開けると、8月と9月の境目というのはなにも時間のながれというだけのことではない気がしてくるじゃあないか。

なにがサマーでだれがオブ・ラヴ

電車のなかで少しずつ「スキップとローファー」を読みすすめていく。3回くらいの外出に連れて行ってまだ読み切れていない。だいじに読むのだ。

 

某日

 

ナンバーガールが再結成される、と聞いたとき動揺した。小学生の頃に「透明少女」のMVを夕方のテレビで見てぶっ飛ばされ、ちょっと間あいて本格的に聞き出したから、中1から中3という痛々しい中2病をともに過ごしたのがナンバーガールだった。それゆえに実際開いちゃいけない記憶の蓋もいくつか開いた。中3から高1にかけて自分の中で価値観が変わることがいくつかあった。自分はロックが好きなんだ、と思っていた頃に軸としていたのはナンバーガールだったんだな、と今なら思う。そしてナンバーガールを軸にしてロックの範疇を広げようとしたとき、その軸はナイーヴ過ぎたのだった。僕が求めていたのは「学生通りは午後6時」「交差点でおれはいまいちだった」「俺、憂い夕暮れに たまーにさァーとなるカンジ」「福岡空港から離陸しますって実況する俺の真上に ヒコーキ雲が すぐに消えてなくなるのだろうか」というようなそれだった。中3の頃にyes, mama ok?をちゃんと聴き出したのも大きかったけど、いろいろあって高1の時にロックと折り合いがつかなくなり、そのまま距離を置いてしまった。そして時間だけが経った。アナログが出たときはもちろん買ったし、その時一通り聴いてしおらしい気持ちになったりもしたけれど、再結成となると話が変わってくる。複雑な気持ちからチケットの先行を見送ったもんだから、その後もちろんチケットが取れるはずはなかった。同じくナンバーガールが大好きな佐久間さんといろいろ話していてくうちにやっぱりみたいね、となり、野音に音漏れを聴きに行ったのだった。会場の周りには大勢の人が来ていて、度々「道を開けてください」と警備員の指導が入るほどの大盛況だった。仕事終わりでこっちに向かう佐久間さんにLINEで「今この曲やってます!」なんて実況しながら演奏を聴く。障壁がいくつもあるので音はもちろん悪い。でもその壁を乗り越えて響くギターの音は僕が聴きたかったナンバーガールそのものだった。真剣に聞き入る人、生け垣に座ってハンディレコーダーを回す人、何人かで聞きに来てときどき雑談をしながら楽しむ学生、奇声をあげる人、周りは様々だった。そのうち佐久間さんと合流、ココナッツの中川くんともばったり遭遇して「いいっすねえ」「この曲やるんだね」「最初はね、なんか外でもバランス悪かったんスけど」「普通にいい曲だよね」なんて言いながら最後まで見た。終演後、佐久間さんと恋人と松本楼に入った。中学生の頃、池袋のPARCOには松本楼があって、母と買い物に来るとよく連れて行ってもらったものだった。おそらくあの頃と同じ味のオムライスを食べながら今日見れなかったけど聴いた感想を言ったり、年末から始まるツアーの日程を見ながらいろいろ話した。さて、果たして一連のこれはノスタルジーだったんだろうか。だとしたら、なんかちょっと想像していたノスタルジーとは違うな。

 

某日

 

部屋の掃除をしようと思ったのだけど、それより前に部屋にものが多すぎる、という話になった。レコードが棚から溢れている。漫画が棚から溢れている。CDもだ。CDは150枚分ぐらいのプラケをソフトケースに入れ替え事なきを得た。そしてついにレコードを売ろうという決意をする。頭の中では100枚近いレコードを車に積んで「これ買い取ってくれますか」という絵が見えていたのだが、結局大きめのトートに入り切る数を店頭に持っていくだけだった。ジャケ違いだから…とかプレスした国が違うから…とか言って2枚持っているやつを中心にしてしまったから30枚ぐらいしか手放せなかった。もっととことん突き詰めるべきだ。それかその前にもっと沢山ものが置ける部屋に住めるぐらいの稼ぎになるかだ。部屋の掃除はまだ続いている。ストレスなく掃除機をかけられるようになるまで今回はやる。

 

某日

 

ポニーキャニオンで打ち合わせ。未来の話をすると、未来のことを考えるのだけど、すべてが現実味がなく、またその逆でもある。僕は今、人生で一番リアリティに浸り、なおかつファンタジーで身を穢しているのだ。すべての未来が等しく明るく在りたいね。打ち合わせを終えて少し足伸ばして丸香で釜玉カルピスバターを食べた。地下鉄の神保町のホームにはいい予感のいい思い出しかないから、心は弾むのに階段を駆け上がってももうコミック高岡もジャニスもないのが本当にさみしい。探していた漫画があったのだが三省堂でもグランデでも売り切れてしまっていた。

 

某日

 

友人の松本くんの粋な計らいでカナメストーンさん、ゆーびーむ☆さんとごはんを食べることに。松本くんとは中学の頃からの友人で、高校の頃は同じ美術部に所属していて、今でも「こういう音楽がよかった」「こういうテレビが面白かった」という話をよくする。松本くんに薦められて見たAマッソの動画で改めてお笑いにハマることにもなった。いくつか劇場に足を運んでライヴを見るうちに、カナメストーンさんも僕らの音楽を好きだということがわかり、更に松本くんの今の仕事がテレビのディレクターで仕事を一緒にしていたということもあり、今回の席が用意されたという流れだった。漫画家さんと話すときもそうだけど、物の見方、接し方が似ているようで違う。とにかく笑った。たとえば冗談を飛ばす山口さんにゆーびーむさんが言い返して、はたいて、ワインを注いだ。些細なことかもしれないけれども、冗談に対して言い返すのはわかる。はたくのもわかる。だが最後にワインを注いだのだ。逸脱した瞬間、どこだかわからない場所に感情が持っていかれる。こういう瞬間のために自分は生きているんだ、と大げさに言ってしまおう。年明けに見たカナメストーンの漫才もその凄みがあったのだ。「どうもありがとうございました」という言葉の意味さえ改めて考えさせられる。(twitterには別の載せたけどこっちも好きだからこっちにはこれを載せよう…)

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尾道広島大阪

想定していた時間よりも少し遅く目がさめる。すぐに支度、ホテルをでる。外は雨が降っていたので徒歩2分のコンビニで傘を買った。スーツケースを駅のコインロッカーに預け、尾道に向かう。福山から尾道は20分ぐらいで着く、と昨日聞いていたのだ。耐震のためか柱にワイヤーが巻きつけられ、天気のせいだけじゃない薄暗いホームで電車を待った。定刻通りに電車は着いた。ぼんやりとした雨雲を裁つために電車は走ってくれない。

尾道に着いたはいいのだが1時間後の電車に乗らなければならない。昨日仕入れた情報をもとにたつふじまでタクシーを飛ばす。横付けしてもらうと数人並んでいた。尾道ラーメンといえば晩年のサンデーサンにあったメニューだ。高校の頃、学校のそばにありよくたむろしていたし、先輩はバイトのウエイターに「いつもの」というとほうれん草のソテーとドリンクバーのオーダーが通るようになっていたりした。色々思い出の詰まったファミレスが閉店してしまう少し前、メニューに「尾道ラーメン」が追加され、よく食べた記憶があるのだ。そして、それ以降尾道ラーメンは食べていない。埃をかぶった記憶というのは総じて美しくなるものだけれども、その思い出を前にしてもグッとくる美味しさだった。ただ、尾道の街を歩いた先にこのラーメンがあったらもっとうまかっただろうな、と思った。思ったよりも早く平らげたので歩いて駅まで戻る。知らない街を歩くのは楽しい。学校が終わったあとなのだろうか、男子3人、女子1人の中学生をちょっとずつ追い越そうとした時に会話が聴こえてきた。「おれさ、髪型どうしよう」「坊主にしろよ!」「ツーブロックがいいんだよな〜」なんて男が言っているとショートカットの女子が「私、これから髪伸ばすよ!」「うそうそうそ」「そしてね」「成人式の時にまた切る」と言って、男子はどう返していいかわからなそうだったのがすごくよかった。途中に挟まれた「うそうそうそ」とは何だんたんだろう。十字路で彼らはまっすぐ、僕は右に向かってしまったから、彼女の表情ももう読み取れないし、少年たちがそのあと、彼女とどんな話をしたのか、もう知ることができない。マネージャーと落ち合う福山へと向かう電車に乗り、車窓を眺める。突然、線路沿いの建物のガラスに今乗っている電車がバンと反射した。黄色い電車だったんだね。

広島に向かいキャンペーン。最初の生放送で「尾道ラーメン食べてきたんですよ!つたふじで」とオフラインで言うと「正確に言うならば」「つたふじは尾道ラーメンじゃないと言う意見もある」詳しく訊きたかったのだが生放送のラジオ番組なんて儚いものですぐに別れの時間が来てしまう。キャンペーンを終えて一泊するかどうしようか迷うが、その前にレコード屋へ行こうじゃないか、とGroovin'に向かった。7インチを中心に洗っていく。秩父山バンドの7インチ、マック・ドナルド・ダック・エクレアの7インチ、ザ・ムーヴの謎ベスト盤、さらにはサニーデイのMUGENのLPも買ってしまった。MUGENは安くはないがいまだにどんどこ値段上がってる気がするのでトドメをさす気持ちで購入。いい買い物ができた、と隣のディスク・ステーションも覗く。CDはそんなに熱心に見なくてもいいかな〜とか思いながら店内を物色していたら「でかジャケCD」(アナログサイズのジャケットを持ったCD)のコーナーを見つけたので普段だったら見ないのになぜかひょいひょいと指を動かしていた。するとマイクロ・スターのファーストLPが新品で置いてあるじゃないか!リリース当時、欲しかったのに買えなくて、あれよあれよとレア盤になってしまった作品が今!新品で!

思いがけない出会いに気を良くして「これは泊まらないで帰れって言うことだな」と解釈。広島駅に戻り最終の新幹線を手配したのだった。お土産を買い込み、新幹線に飛び乗ったまではよかった。岡山を通過、神戸を通過、新大阪に着いたのだが新幹線は止まってしまった。静岡で豪雨が発生、運転見合わせとのことだった。待てど暮らせど新幹線は動く気配はなく、隣の席のサラリーマンの咳も次第に大きくなっていく。自衛も込めてマスクとヴィックスを差し上げた。しばらくすると頭の中に悪魔が現れて「あれはね、泊まり込んでも広島のレコード屋をそのまま掘り続けろ、と言う解釈が正しかったんだよ」と囁く。「過ぎたことは仕方がないじゃないか!」新幹線を飛び降り、自販機でポカリを買って座席に戻った。それからしばらく大人しく待つのだけどこりゃどうにもならない。駅員さんに訊いてみると「この後動き出します。目処が立ったんです」「ですが東京に着くのは3時ぐらいです」その言葉を聞いた時、大阪に泊まる事を決意した。差額分の払い戻しを受け取り、慣れない土地で宿をとり、向かう。地下鉄から上がるととんでもない土砂降り。ご挨拶じゃないか。本当だったら自宅で食べるはずだった「むさし」のお弁当を宿の部屋で食べる絶妙な虚しさよ。

 

 

東京佐賀福山

7/19

早めに起きて投票へ向かう。行って帰ってきただけだったのに汗だくになってしまったため、シャワーを浴びていたらクアトロの入り時間に遅刻。ツアーも4本目ぐらいになるとリハーサルって慣れてきて結構いい加減にやる(いい意味で。体力の温存にもなるし)もんなんだけど、それぞれ結構しっかり確認していった。リハが終わってヘルシンキのリハを少しみてLOFTに買い物に行く。ペンとかドライシャンプーとか買って楽屋へ戻り、弁当を食べる。用意されていたものは二種類。一つは生姜焼き。もう一つはカツ。とんかつかな、と思ったのだけども、しかしこのカツ、様子が少しおかしい。切れ目がないのだ。先に弁当を食べていた数名もそこを不審に思い、カツの方には誰も手をつけていなかった。ここで先を行かずして何がフロントマンだろう。カツを選択して食べてみたらシャケのカツでした。

ライヴは好調。やはりホームと言うこともあり盛り上がるお客さんを前にその熱にあてられず冷静に演奏することが出来た。どんな曲をやっても(それこそ「アンダーカレント 」とかで!)大歓声があがっていたけど終盤「トワイライト」を演奏し終わった頃には(心にもないことを言うよ!)いたずらにフゥー!(すまない!本当は嬉しいよ)とか言われなくなって大きな拍手だけが鳴り響いたことがグッとお客さんをアルバムを軸にした世界に引き込めた、と言う手応えになった。演奏が終わって、サイン会を終える。クアトロを出るとじとっと嫌な夏の感じ。車を取りに駐車場へ向かい、鍵を開けてバンッとドアを開ける。運転席に座ると少しだけ涼しく感じた。エンジンをかけるとエアコンがかかりだした。一番低い温度設定で、風力もまあまあ出ていた。夏の抜け殻とはこう言うことだったりもするのだろうか。

7/20

家に帰り支度をする。なんだかんだであんまり眠れず佐賀へ向かった。行きのバス、飛行機、めちゃくちゃ眠った。Living Alohaは二度目の出演。ビーチパーティに二度目のお声がかかるなんて!会場はあいにくの雨模様なんて言い方があるけれどその向こう側に広がる土砂降り。お客さんは大変だったかもしれないけれども海に向かって歌う身分としては土砂降りの雨が海面を駆けていくのが見えた。こんな経験は絶対に出来ない。チェックで歌っていた「アンダーカレント 」がとても印象に残った。本番が始まると少し雨は弱まり、最後に演奏した「静かな夜がいい」でまた土砂降り。海に向かって歌った「花束にかえて」はきっと当分忘れられない。

7/21

Living Alohaは佐賀だったけど宿は福岡。なのでお昼をハイダルで食べる。土日祝限定メニューにようやくありつけた。うまい。辛い。とにかく辛い。でもチャイまでいくと全て整う感じがするから不思議だ。ところで、悠長にカレーを食べてる間に福岡も土砂降りになり、最初は食べ終わったら大きい道路まで出てタクシー拾うつもりでいたけどそうは行かない感じに。しかしjapan taxiのアプリではタクシーもまったく捕まらない。新幹線の時間もあるので検索してタクシー会社に電話しても振られ続けていたところにハイダルさんからDidiと言う福岡に特化したと思われる配車アプリを教えてもらって即DL。結局最初にjapan taxiのアプリで車探してから30分経ったころ、ようやくDidiでタクシーが捕まった。雨ということもあり、結局最初に乗るはずの時間には間に合わず、乗車変更をしてもらう結果に。大変失礼しました……。

広島は福山、ポレポレにてさとうもかさんとツーマン。自分の出番は最初固かったけど徐々に伸びていった気がする。最初の5曲はツアーと同じ曲順、アンコールはツアーの本編ラスト2曲をやる、と決めてあとはフリー。3連チャンの最終日、もっと燃えカスになってるかも、と思っていた割には充実した演奏になった気がする。汗を拭くためのタオルを背後に置いていたのだけど、その背後には大きな窓があった。汗を拭くために振り返るたび、街が少しずつ暮れていって、最後には夜になってしまった。久しぶりに演奏した「すみか」が印象に残った。終わってみなさんと「そのだ」で打ち上げ。ラムパクチー炒飯、最高でした。

 

 

 

 

熊本にいくつもりじゃなかった

結果から言うと熊本には行かなかった。妙なノリにみんながあてられている感じが楽しかった。そこにいる誰かに翻弄されている訳じゃなく、そこにいるみんながなにかに翻弄されている感覚というのはなかなか味わえない。(実際は私が翻弄されているだけであったとしても!)

部屋をチェックアウトしていくつかのレコード屋で買い物。JUKE RECORDは最高。スティーリー・ダンの「うそつきケイティ」、「綿の国星」イメージ・アルバムとかを買う。いくつか回ってLIVING STEREOさんに。お店の方が知ってくださっていていろいろ聴かせてもらう。80年代に活動していたインディーバンド、The Rachaelのレコードや、店頭でかかっていたAlberto Herreroというキューバのポップシンガー?のレコードを購入。帰りの便に向けてそろそろ動き出そうか、というところでポニーのTさんから連絡が入り、そのまま福岡のラジオの生出演が一本決まる。悩んだが平日ということもあり、宿泊費が安かったため延泊が決定。生放送が終わった後ポニーのTさんと打ち上げ。90年代の音楽の話で盛り上がった。素直に就寝。

9時過ぎに起きてバスに乗った。知らない街の知らないバスはいい。福岡市博物館長くつ下のピッピ展を見に行く。テレビ局に収録に行ったとき、ロビーにポスターが貼ってあったから軽い気持ちで見に行ったのだった。リンドグレーンは「カッレくん」シリーズが好きだからきっといいだろう、と見に行ったがやはり楽しい。でもピッピを読んでなかったのはさすがに暴挙だったかもしれない。なぜならカッレくんの原画は一枚もなかったし、原書と同じだと勝手に思っていたイラストは日本のイラストレーターが描いたものだとその場でわかった。それでも展示されている絵のたとえば牧場の何気ない景色だったり、お菓子やさんで買い物していたり、知らない物語のひとコマに大いに刺激を受け、もうすぐ展示が終わりだ、という頃にリンドグレーンの葬儀の案内状に添えられたイラストをみて心が大変な事になった。イラン・ヴィークランドが描いたそれは、菩提樹を抱きしめる少女の絵だった。胸がいっぱいになった。自分がそこから何を思ったのか、というのがもはや説明できない。そのさきの展示をみては戻り、また少し戻ってはその菩提樹の絵に戻った。そのイラストに添えられた解説を何度も読み返した。「神戸在住」でピカソの絵をみた辰木桂はこういう気持ちだったのだろうか。多分違うのだけど。

展示を出てグッズを見る。あの菩提樹のイラストを使ったグッズはないのか、と見て回る。たとえばポストカードがあれば僕は作業部屋に貼るし、いくらでも出す、という気持ちで見て回るがやはりなかった。いくつかポストカードやグッズを手に持ち、レジへ向かう。レジを打つ方に図録を指差し「このイラストのグッズはないですか?」と訊いてみるも「今出てるやつで売り切れているものもないし、見ていないのでないですね〜」といわれてしまい、そのまま図録も買った。こうして私の長い6泊7日+1は終わっていったのでした。