幻燈日記帳

認める・認めない

東京滑車倶楽部

1月22日

自宅作業

 

23日

自宅作業、夜はラジオ出演。Tokyo FMのRoomie Roomieという番組で、パーソナリティは野呂佳代さん。地元がめちゃくちゃ近くて大盛り上がりした。楽しい時間であっという間。弾き語りは「期待と予感」。歌えば歌うほど好きになる。

眉村ちあきさんにもお会いすることができた。体調を崩している従姉妹が大ファンなので一緒に撮った写真を送った。子供の頃いろんな迷惑をかけたと今になって思うけど母方の従姉妹にはいろんなものを見せてもらった。険しい道だと聞いたけれど少しでも元気になってほしい。

 

24日

夕方、金麦新CMのミックスチェック。いい仕上がりになった。コチンニヴァースに寄ってカレーをテイクアウトして帰る。通り道にある小さな本屋に都度都度寄るがどこにもダンピアのおいしい冒険の最終巻が置いていないから最終的に吉祥寺まで出て漫画を買い込んで部屋に戻る。しかし、年明け以降の忙しさから部屋の汚さは過去最高に達している今、部屋で漫画を読む気にはなかなかなれないが、カレーは本当においしい。

 

25日

レコーディング。とんでもない締切の案件だったためリハーサルに入ることができず、ゼロリハでの録音。しかしいい曲が書けた。金剛地さんにもギターを演奏してもらって、仕上がりは最高。ライヴ感あって瑞々しい。コロナ禍以降ずっと考えているけど、どうやってバンドをやっていたんだろう。リハーサルやって休憩の合間に無駄話がしたいだけなのかもしれない。

 

27日

広島で弾き語りライヴ。正直集客をものすごく心配していた。7割入ってくれたら最高なんだけど……!最高なんだけど……!(それさえも危ういのでは)とか話していたらほぼ満席。いい弾みがついた。演奏もいい調子。「期待と予感」がやっと自分のものになった気がした。しかし反省をするならばせめて最初の3曲ぐらいまではセットリスト決めたほうがいいということだ。緊張して立ち上がりが遅れた。打ち上げも含め、素晴らしい夜になった。連れて行ってくださったお好み焼きの店はパーフェクトな店で、ソースをかけなくても楽しくおいしく食べることができた。もともとソースとあまり相性が良くないみたいで、ソースがかかったものを食べるとソースの味しかしなくなるタイプの人間なのでこれは本当に嬉しい出会いだった。打ち上げで人生ベスト漫画の話が出る。「神戸在住」か「菫画報」、いまたまたま読み返してて持ってきてる「この娘うります!」あたりかなーなんて話す。どれも20歳になる前に出会った漫画だ。人生のベストとなるとそうなってしまう。松永さんから「トランスルーセント」の話が出て久しぶりに読み返したくなった。

 

28日

昼過ぎまで広島を堪能。マネージャーA氏と目をつけていた天津飯をキめる。天津麺に天津飯小だったが、小のサイズじゃなくて笑いながら食べた。マネージャーと別れて広島の街を適当に歩く。すると古本市が開催されているのが見えた。呼ばれてるぜ〜と近づいて行ったその角度に菫画報の全巻セットが置いてあってカルマを感じた。もちろん購入。路面電車に乗ってGroovin'で買い物してマネージャーと落ち合い福岡に向かった。

 

福岡の港のすぐそばの施設で開催された風と街音楽祭は手作り感も相まってすごくいい雰囲気だった。aldo van eyck観たかった。自分のライヴもものすごく悩んで楽曲よりもギターと歌が前に出るものばかり選んだ。昨日の反省を生かして事前に曲順は組んだ。これはこれであり。TENDOUJIはいつどんなところで見ても最高。こんなにチャーミングなバンドは他にはないよ。ヨシダくんは「長い声のネコ」の魔法陣のタトゥーが入っている。これだけ伝えたらそのチャーミングさをわかってくれる人も少なくないはずだ。

 

29日

この日は2本だけラジオ出演。なんて贅沢なプロモーション。夕方からなので昼間は福岡を巡る。宿を出てダコメッカで家に持って帰る用のパン買って、地下鉄に乗った。知らない街の公共交通機関はいつだってグッとくる。ハイダルに向かう道が下り坂でその景色が妙に懐かしい。無事にカレーにありつき、グルーヴィンで数枚買ってそのまま開店時間の13時に田口商店に向かうが今日も開いていなかった。ボトムラインにたどり着いてこちらでも最高の収穫。時間が余ったので引き返してアマムダコタンも寄ってみたのだが全てのパンは売り切れていて、隣のカフェスペースで茶をしばきながらぼんやりとする。荷物をとりにホテルに戻り、そこからラジオに出て無事終了。

 

31日

歌録り。いつもと違うめちゃ広いスタジオ。いろいろな巡り合わせでここになったのだがここに来るのも久しぶりでまた来れると思ってなかったから嬉しい。仕上がりは最高です。春にかけていくつか新曲聴いてもらえる機会がありそうですが、どれもすごくいい……

 

2月1日

昨日歌録りした曲、この日までにタイトルを決めてくれと言われていた。タイトルを決めるのは得意ではない。これ!と胸を張って言える事柄を歌うことはあまり多くないのだ。歌詞の中から取れる時と取れない時があって今回は取れない。物語の表面に浮かんでるものの要素をいくつかつまみあげて小麦粉つけて卵液くぐらせてパン粉つけたものをいくつか候補として出してスタッフのみんなに意見もらってようやく油で揚がって皿に盛られたのはこの2日後。

夜、ASH & Dの事務所ライヴに行く。事務所ライヴに行った経験がそんなにないので雰囲気が普段行くライヴと違ってそういう意味でも面白かった。

 

4日

田渕ひさ子さんとツーマン。そのうち配信あります。是非見て。この日のことはいつかちゃんと書く。

 

5日

ミックスチェック。雪が降るなか、スタジオに向かう。いつもは使わないバス、初めて乗るバスで環七を走った。不思議な気持ちになった。スタジオは暖房の調子が悪いらしくときどき音もなく止まる。足からじんわりと冷えていき、暖房が止まったんだと気づく。その繰り返しだった。ミックスは最高の仕上がり。帰りにギリギリ開いてたラーメン屋にみんなで行くことに。強くなる雪、べちょべちょになった歩道を歩く。葛西さんやスタッフは気づかずにすいすいと歩いて行ってしまったが私はどうにも歩きづらく時間がかかっていた。みんなが気づかずに遠くにいってしまうのがひどく心細かった。

安藤マネとタクシーを相乗りして環七を北上、高円寺まで出た。ホームに向かうと人は少なく、まぎれもない静かな夜だった。森雅之さんの漫画で見たような雪の日は人生にまだない。あんな夜を私はずっと待ち望んでいる。

 

某日

しばらく作詞の日々。

 

10日

仕事が早く終わったから台風クラブとTENDOUJIのライヴを観に行った。仕事していたのが中野坂上だったから微妙にアクセスしづらく、地下鉄とバスを乗り継いで新代田に向かった。環七を走っているとよく妻が「新代田行きの……バス……!?」というのだが、そのバスに乗った。夕暮れ時の環七を走るバスはどことなくブルージーで、ライヴに向かう楽しい気持ちでなかったら私はどうやって吊り革に掴まっていただろうか。

ライヴは両アクト最高だった。ヤマさんを前にして「最高だった……うん、そうとしか言えないね」としか言えなかった。たまたま仕事が早く終わって、台風クラブとTENDOUJIがライヴをやっていて、当日券がある。こんなに素晴らしい条件が揃ったなんて、感覚だけで言うと奇跡のようなものだった。

 

14日

妻と宮城へ向かった。パンダコパンダ展が石巻で開催中だというのだ。私の心の映画の一本、パンダコパンダの展なのだから行かねばなるまい。しかし昨年からやっていたというのにあっという間に会期も後半になってしまっていた。仙台にとったホテルの部屋でひとつ打ち合わせを済ませてそれぞれが行きたいところへ行く。妻は百貨店、私はレコード屋。行ってみたかったVolume One (Version)を訪れる。お店はひっそりとしていて、照明のひとつが切れかかっていて、棚にはレコードがほとんどない。一体どうしたと言うんだ、と店内を見渡す。いわゆる普通のレコード屋にある棚の仕切りに1枚ずつレコードがある状態。しかしその1枚1枚がなんというか強い。明確な意志を感じるセレクトだった。店主の方がとても驚いていたように話しかけてくれた。話を聞くと最近お店に来た若いお客さんにスカートとミツメのスプリットを勧めたら買ってくれた、と言うものだった。この円環、この循環、私が望んだものが起こっていた。本当に嬉しかった。店主との会話も弾みレコードを3枚、GUIROのCDも買った。夕食はラヴィット!ファンにはマーボー指輪でお馴染みの竹竹さんで。私はマーボー焼きそば、妻は汁なしマーボー坦々麺。確かにマーボー焼きそばは最高だったけど、その最高を突き抜けたのが汁なしマーボー坦々麺だった。優勝でした。

フジテレビの黒木さんの訃報を受け取った。社長は葬儀の詳細とか後ほど送るね、なんて言ってくれた。私が行ってももいいんだろうか。なんて考えていたがその後社長からの連絡は来なく、葬儀はどうやら無事に終わったらしいということをあまたの有名人の参列を報じるゴシップ記事で知った。

インディーシーンでやってるだけだった私にSMAP×SMAPの特別編のBGMで声をかけてくれたこと、本当に嬉しかった。ある日、暇を持て余して入った有楽町の地下の喫茶店でたまたま会ったのもとても印象に残っている。PARKSという音楽番組にも誘ってくれた。あれは本当にいい番組でそのうちきっと掘り返されてより強く評価されていくと思っている。そしてなにより、病室から指示をしたというハイドパークフェスティバル。(私は結局完成形を!観れていないのだが!)岡田徹を失ったばかりのあの日のムーンライダーズの演奏が映像に残って、それを誰かが観ていた、ということが私にとってどれほど大切なことだったか!ああ黒木さん。そう伝えたかった。伝えればよかった。もっと話がしたかった。

 

15日

レンタカーを借りて石巻に向かう。パンダコパンダ展は小規模なものだった。東京から来てこれか〜とも思ったのもしょうじきなところだが、しかし見たことなかった設定画とかもあって満たされました。

道の駅寄って買い物して、タバコを吸いに行った妻を待つ車で電話を受ける。高田書房だ。きっと何か新しいいい入荷の知らせだろう、と電話をとると「今日で閉店なんです」という。あるのっぴきならない事情で閉店することになったそうだ。高田書房は私が高校の頃から通っている大切な店。店があるうちに一度の挨拶も出来ずに閉店してしまうのはあまりにも惜しい。

仙台に戻る。レコードライブラリーではRieber Hovdeのレコードが買えた。なーんか探してるレコードが必ずあるのがレコードライブラリーだよホントに。

藤崎という百貨店に行ったのだけど古いのに上品な本当に素敵な場所だった。子供の頃の近所のダイエーがいまもあの感覚であったならこうあってほしい。私は密かに感動していた。

 

某日

ナイポレの収録。高田書房の閉店の知らせを受けて急遽、高田書房で買ったレコードたちで構成した1時間になった。真正面にボールを投げていく。勢い任せの収録になってしまった。今年に入ってから多いなこのパターン。そしてその勢い任せはいい方向に転がることもあるにはあるのだが、今回最後のシメ方を私は逃げてしまったのではないか、と感じている。閉店してしまったレコード屋への感謝、音楽そのものへの感謝をある一曲の一節に託した。いい感じには聞こえるかもしれない。しかし私の考える円環。それをもっと言葉にしなければならなかったのではないか。これからそれをずっと考えていく。

 

17日

ツチカさんが原作のアニメーション映画「北極百貨店のコンシェルジュさん」の打ち上げに向かう。時間を間違えて持て余してしまったと家を出た後に気がついて吉祥寺まで歩いて向かっていたのだがあまりに完璧な曇天。夕暮れのない夕方。ただただ夜になる前段階であるその様に圧倒され、感動して、こんな天気の日にバスにすら乗らないような人間になった覚えはない、と進路を大きい通りに変えてバス停を目指す。がらんとしたバスの後ろの方の席に座って、ただただ街が流れていく。そういう景色を思い描いていたのだが、バスに乗ってみると窓から見えた外はもうただの夜になってしまっていた。

打ち上げは美しいものだった。会場に入った瞬間、こりゃいかん、お呼びでない!と直感したが(TB(tofubeats)ちゃん(氏)は来れなかったけど)ツチカさんともちろんを見つけてからはずっと楽しかった。門外漢だったからかもしれない。もちろんからアニメの話をいろいろ聞けたのも収穫だった。

渋谷の駅まで3人で向かったあの感じが胸に残っている。

アイム・スティール・ウェイティング

7日

グレイモヤβを観にいく。凄まじいグルーヴに圧倒される。おおいに刺激を受け、夜中作曲をしにスタジオへ。いい曲ができる。

 

9日

ラジオの収録のあと、歩いて四谷へ出てカツ丼を食べ、ギリギリのギリで免許の更新を済ませた。更新を済ませて新宿の街を歩く。たまに行っていたエロ本屋はもうなくなっていて、2店舗あったが、どちらも飲食店になっていた。とらのあなの跡地は焼肉屋になっているそうだ。私の性欲に似た何かがこの街でまだ蠢いているのに、それはもう私のものではない気がする。私はこれを寂しいと言えるのだろうか。

 

10日

ゼキさんと妻で焼肉新年会からのロイホ新年会。

 

某日

ひたすら作曲、作詞の日々。あれをやったらこれが来る。が一日3時間Apexをやるのもザラだ。バランスが取れない。アンインストールしてしまおうか、と年明けからずっと思っているのだがやはり勇気が出ない。

 

17日

松本素生さん、磯部正文さんとスリーマン。特濃な組み合わせでそれに見合ったライヴができた気がする。磯部さんが震災にしっかり向き合っていて自分の小物さを思い知る。一緒にシェアハウスしていた友達が観にきてくれたのが嬉しかった。終演後、物販に座っていると昔から聞いてくれてた人が声をかけてくれてその流れでMySpaceにアップしていた曲の話になって自分でもそれを聴きたくなってしまった。2011年にアップしたやつだろうか、それは「だれかれ」という曲のデモで、なーんか気持ち悪いアレンジだったということだけ覚えていた。MySpaceはもう影はあっても形はないサーヴィス。そこから生まれた物語がいくつもあったサーヴィスなのにもう誰も覚えていない。

 

20日

ストップ・メイキング・センスのスタンディング試写会でDJ。深夜イヴェント。カーネーションのライヴを諦め、部屋でレコードを取っ替え引っ替え見ていく。家を出る5時間前にようやくテーマが決まった。トーキング・ヘッズが活動していた期間に発表されたレコードで構成する、というものだった。実際の上映は本当に素晴らしく、「Swamp」以外はずっと踊りまくっていた気がする。そして自分のDJもとても気持ちよくやれた。普段はもっとニッチで斜に構えた感じなのだけど、この日ばかりはそうはいかず、でも好きな音楽が大きい音でかかるというのがこんなに楽しいのか、と実感できた。(途中、音が大きすぎてグロッキーになった時間もあったけど……)

 

21日

踊り狂って家に着いたのは5時だっただろうか6時だっただろうか。このまま眠ってしまいたかったが数年前から寒暖差アレルギーが出るようになってしまい、冬には家を出る前にシャワーが浴びれない体になってしまっているから這ってでもシャワーを浴び、束の間眠った。

葛西さんのイベント、ユーバランス。あまりに寝ていなさすぎて佐藤優介の本番が終わったあとビデオボックスにたどり着いた。普段だったら借りないようなAVをレンタルするだけして一応再生だけして2畳ほどの部屋でそのままスコーンと眠る。起きたらもちろんAVもタイトル画面に戻っていて、虚しさが心に杭を打つ。テレビに変えると震災のニュース。被災地の受験生の話題だった。高校受験のために生まれた街を離れ、集団避難する、という内容だった。その中で、女の子がヘヴィな避難生活には邪魔だから、と髪を切った、という話題が一瞬だけ差し込まれた。私の心はぐしゃぐしゃになってしまい涙が込み上げてきた。私にはその子の髪のながさがどれぐらいだったか、と想像することしかできない。私は本当に無力だ。やはり1月1日の時点でしっかりと向き合うべきだった。たとえ心が内に向こうが向き合うべきだったのかもしれない。想像すらできていなかった痛みが痛みを通り越したものとして私の体に入ってきた時、それをどう処理するべきなのだろうか。時間がなんとかしてくれるのか?音楽がなんとかしてくれるのか?金銭がなんとかしてくれただろうか。行動が手を差し伸べてくれただろうか。

人混みの渋谷を歩く。通り過ぎた若者が楽しそうに話していて、余計に混乱した。混乱した頭と、シンプルな寝不足からライヴは緊張感のあるものになった。この日、一緒に演奏するゴンドウさんはリハーサルが終わった頃からもう飲んでいて、きっと本番の頃には酔っ払ってどうにもならないだろうな、とうっすら思っていたが本当にその通りになって笑ってしまった。最高だった。そういう全てが組み合わさって「静かな夜がいい」に着地できたことは、嬉しい。

 

 

 

さしみず同盟

16日

ムーンライダーズのイヴェントに参加。80年代を中心としたトークと数曲ライヴ。私は翌日が命日だったかしぶちさんの「二十世紀鋼鉄の男」と「狂ったバカンス」をセレクト。大袈裟にいうと博文さんが選んだ「ウルフはウルフ」がなんかすごい切れ味になっていて演奏していて腰を抜かしそうになる。ムーンライダーズって本当にすごい。底がしれない。

 

18日-20日

ムーンライダーズのリハーサル。最初のリハーサルの頃は本当に緊張しすぎて自律神経おかしくなっていたけどようやく体が慣れてきたのか、ここ最近のリハーサルは変にならない。ひとつの進歩だろうか。「ロシアンレゲエ」をこれから合わせようという時に、各々音を出していたら博文さんが笑いながら「懐かしすぎて泣いちゃうかもしれない」と言っていたのがとても印象に残っている。

20日の夜、リハーサルが早く終わったのでシンリズムくんが招待してくれたKIRINJIのライヴを観にいく。遅刻しそうだったけどなんとか一曲目に間に合った。リズムくんがサポートで参加しているのが本当に誇らしい。そしてなんて素晴らしいバンド。あれだけ上手いメンバー集めて全くサーカスにならず、ただただ音楽であり、歌であり、言葉である、という事実に打ち震え胸が熱くなった。アンコールで「千年紀末に降る雪は」が演奏されて驚いた。クリスマスも近かったから「クリスマスソングをなにか」は聴けるかな〜とか思っていたらこれだ。(多くある解釈だろうからちょっと恥ずかしいんだけど)おそらく第三者の視点から次の1000年後か、はたまたそのさらに1000年後か、形骸化したサンタクロースの孤独が描かれていくのだが、後半、突然目線が切り替わ(ったように私は捉えている)り「知らない街のホテルで静かに食事」と歌われる。あの圧倒的な描写。ただそれだけの描写である。でもその描写のかなしさと言ったら。この日の演奏は、レコードの中からその孤独が目の前に飛び出してきたように思えるほどで、涙が溢れた。帰り道、「千年紀末に降る雪は」を思い出して時々涙が出た。これは数日続いた。

 

21日

作曲。

 

22日

締切当日、息も絶え絶え提出。

 

23日

22日に提出としたのは聞こえはいいかもしれないが、実際は23日に日付が変わって提出している。デモを清書するにあたって聞き返すと、いい曲なんだけど果たして作品にあっているかどうか怪しくなってきてもう1曲作ることにした。真夜中にまたスタジオに向かう。自分の中に斉藤哲夫さんが降りてこないか、と車を停めてギターを背負ってスタジオへ続く道、誰も歩いていない道を歩きながら「ねえ岡田さん助けてくれヨォ」と呟き、「バイバイ・グッドバイ・サラバイ」のピアノに想いを馳せた。思った通りのものにはならなかったがいい曲はかけた。

 

24日

2曲分のデモを先方に送って反応を見ることに。束の間肩の荷がおりて心の底からM1を楽しんだ。ママタルトは最高のものを見せてくれたし、トム・ブラウンはこれ以上続いたらおかしくなっちゃう、と向こう側に突き落とされた。笑いすぎて頭が曖昧になっていってそこにさらに追い打ちをかけるようにわからなくなっていく、あの時間の素晴らしさよ。本戦もみんな面白かった。みんなおもしろかったからこそ真空ジェシカの5位も悔やまれる。あれだけ面白いのに点数取れないの?と思っていた1年前や2年前とはなにかが少し違う。それがいいことなのか、どこかボタンを掛け違えてしまったような感覚なのか自分ではまだ判断がついていない。

 

25日

ムーンライダーズ最終リハーサル。いままで4日まとめてガッとはいるのがライダーズのリハの通例だったが今回は3日+1日と飛び石でのリハ日程となった。通しリハぐらいの予定がまた新しいアイデアが投入されて変わって行くことになった。この渦巻く感じ、たまらない。

 

26日

打ち合わせ。納期を逆算して行くと第一デモ提出日は1/3が適切ということがわかり「ワオ!」という。

 

27日

ムーンライダーズ本番。「9月の海はクラゲの海」「くれない埠頭」は万感の思いで演奏。クラゲの間奏の良明さんのギターから佐藤優介のソロ、というのがあまりに素晴らしすぎて舞台から降りてすぐ優介に「あのソロ最高だった」と興奮気味に声かけてしまった。金剛地さんが観に来てくれて終演後の楽屋に来てもらった。「前半歌いっぱなしで後半泣きっぱなし」と言ってくれて本当に嬉しい。義理の母も観に来てくれてある種の親孝行の二枚抜きが達成される。

 

28日

NICE POP RADIO収録。テーマは「反・お屠蘇気分」。ここ数年、金曜日が正月過ぎて逆に避けていた悲しい曲や暗い曲、正月からこのような曲を聴かせてくれるな、といわれても仕方ないような曲をかける特集。悲し過ぎて自分でも途中で飲み込まれそうになった。

 

30日

シアターマーキュリーにお笑いのライヴを観に新宿へ行った。年末の新宿はとても混雑している。伊勢丹に寄って人並みをかき分ける。全ての人に故郷があるのだ、当たり前のことなのに不思議な気持ちになった。仙太郎で和菓子をいくつか買ってから劇場に向かう。道中、あらゆるレストランに行列ができていた。ライヴは真空ジェシカもトム・ブラウンもダウ90000も素晴らしかった。いい劇場納めになった。マネージャーA氏も観に来ていてらんぶるに入って雑談。

 

31日

急遽松本家で年越し。美術部で比較的集まりに参加してくれる先輩もスノーボードに行ってるらしく妻と松本家での静かな年越し。桃鉄ぷよぷよブロックスでいい滑り出し。

 

1日

仮眠をとり、松本家の長男氏も連れてお参りへ。そこからしばらく歩いて大きな公園に出る。のどかな日だ。長男氏はお店やさんごっこ。石を買うために石を支払った。おみくじは大吉。たべっこどうぶつの一番くじではいいなーとおもったプレートも当たった。素晴らしい滑り出し!2024年やれる。松本くんの息子氏に触れ合ったあたりから自分に子供がいたらどうなるんだろう、なんて想いを巡らせる。生活とは、社会とは。夕方ぐらいに松本家を出て部屋に帰って地震を知る。すぐには受け止めきれず妻ともども部屋で眠ってしまった。真夜中に目を覚まして枕元の携帯を探るようにおそるおそるニュースをいくつか見る。SNSからは少し距離を置かないと心が壊れそうになる、とわかっていながらスクロールしてしまう。3.11の時はこれとニュースの見過ぎでおかしくなった。どうしても冷静でいられないからしばらくリストだけを見ることにした。

 

2日

実家に顔を出す。母方・父方両チームの親戚揃い踏みで新年の挨拶を済ませた。母方のいとこたちは会うのも久しぶりでえっKくんっていくつになったんですか?なんて訊く。子供の頃はみんながいくつかなんて考えたこともなかったのだ。年齢を皮切りに少しずつそれぞれの生活の輪郭がくっきりしていく。PSY・Sが好きだったS姉えにはいまプロデューサーがやってたバンドやってるんですよ、なんて話した。

親戚が帰った後の実家でテレビを観ていると少しずつ地震の被害の全容が明らかになっているようで慌ててチャンネルを変えたりした。このだんだん見えてくるその感じがとても怖い。そうこうしてたら今度は飛行機が燃えていてまた気持ちが暗くなる。人は脱出したらしい、という情報を得たが乗務員は?帰省先の実家から持たされていたお土産は?座席のポケットに入れっぱなしになっていた携帯電話は?貨物室のペットは?と次々に浮かんでは消える。

部屋に帰って明日に迫ったデモ提出に向けて作曲しなければと考えを巡らせていたらナイポレディレクターY氏から連絡が入る。反・お屠蘇気分は適切じゃないかもしれない、と私もわかっていたのですぐに再収録に同意して作曲は取りやめ。スタッフにも連絡を入れて新しく選曲を始めた。コロナ禍突入したての頃も思ったことだけど、結局音楽聴いて胸が騒ぐような瞬間が大切だ。いろんな悲しみの表し方がある。私に何ができるのか。出来ないことの方があまりに多くて悲しくなるので考えながら考えないようにして、私は私の仕事で世界を美しくするしかない。半分冗談で半分嘘だけど本気なのだ。素敵な音楽を電波に乗せることだってかなしみの表明のひとつだ。ちなみに反お屠蘇気分の一曲目はジョン・レノンの「マザー」でした。

 

Mother - Remastered 2010 ‑ 曲・歌詞:ジョン・レノン | Spotify

 

3日

日付を跨いで最近買ったレコードを片っ端から聴いていく。なんとかんく積んでいたものも含めてかなりの数を聞いた。その中でマリ・ウィルソン、トット・テイラー、ロックパイルが強烈に胸に響く。収録は無事終えた。録り直して多分よかった。反・お屠蘇気分は平和だからできたんだ、なんて思いたくないが、なにかに冷や水をぶっかける気概で望んでいたのは事実。収録中、いろんな考えが頭をよぎって、最後の最後、言葉にした後で今の言い方は今の自分にとってあまりしっくりこない言い回しがひとつあった。言い直そうかと思ったけど、ふるいの網目に残ってしまったものだと捉え、それは残してしまった方がいいと判断する。

 

4日

作曲。夕方部屋を出て歩いてスタジオまで行く。電線が風で揺れているだけで身構える。SNSを遮断する前に見てしまった動画では、神社にお参りしている時にあの大きな地震が来て灯籠は揺れ動くし、奥にいた男性は立っていられなくなってしまったようだった。身構えたところで実際には風で電線が揺れているんだな、とも頭でわかっている。でもあの一瞬だけ見た映像が離れない。暮れていく街。スタジオに着いたが全く進まない。漫画読んでギター握ってピアノ弾いたが成果はあがらず。

 

 

 

ジャックはどこに行った

3日

横谷加奈子さんの「遠い日の陽」を読んで、衝撃を受ける。記憶を巡らせていくと多分以前コミティアで本を買ったことのある人だと気がついて、改めてコミティアという場に対して敬意を新たにした。そうしてその漫画がコミティアで出版されると知って、「明日は予定がない。もし明日、目覚ましをセットしないで8時までに起きれたらコミティアに行こう」と布団に入った。目が覚めると7時50分ぐらいだった。ゆっくり支度をして部屋を出て、ビッグサイトに向かう。サークルチェックもろくにしない思いつきコミティアは不安でもあるが、こういうときのワクワク感も嫌いじゃない。11時半ぐらいだっただろうか、会場に着く。ビッグサイトに向かうのだが、いつもと人の流れが違くて西ホールでの開催だと知った。西に来るのは11年ぶりぐらいだろう。コミティア102の時、なぜか壁に配置された思い出が蘇る。会場にはつのさめさんが描いたポスターが貼ってあってすでに私は祝福されているように感じた。会場は穏やかな人の入りで、あまり並ばずにティアマガも買えたし、入場もできた。入り口のすぐそばが「その他」の島で、横谷先生のスペースにもすぐに来れた。本は1冊売り切れていたけど、「遠い日の陽」は買えて、そのままぐるりと回っていく。久しぶりに会う人にも会えた。初めて会う人にも会えた。コミティアのこの楽しさはなんなんだろうか。いい本いっぱい買えたけど予算の都合もあってイラスト島をまともに回れなかったのが心残りだ。またいつか出たい。

 

遠い日の陽 - 横谷加奈子 / 【コミックDAYS読み切り】遠い日の陽 | コミックDAYS

 

7日

土屋くんに誘われてDJのたけたけさんと合同で開催している「でんじは」というイヴェントで弾き語り。完膚なきまでに今、好きな曲だけやった。会場のSPREADの雰囲気も手伝ってか、なんだか10年ぐらい前のライヴハウスの気分を思い出した。選んだ曲は面倒なコード進行の曲ばかりだったけどあの頃の気分が少し透けたような気がして、それもよかった。途中ハプニングがあり、会場を抜けなきゃならなかったのが悔やまれる。でも自分の出番に間に合って良かった。

 

9日

長野の渋温泉に向けて前乗り。温泉地でライヴイヴェントを企画する一風変わった集団のお誘い。渋谷で待ち合わせ、佐久間さんは寿司とワンカップを片手にやってきてもういいライヴの予感しかしなかった。道中ツルヤに寄って爆買い。佐久間さんとなおみちさんは手荷物に、私はクール便で発送するほどいろいろ買い込んだ。いいライヴの予感がする。会場に着いて夕食を摂って年内最後のライヴを楽しむ反面、どうしても慰安旅行のムードも漂ってしまうのでやっぱり5人で来たかったな〜と噛み締める。しかしステージの大きさや、搬入経路のそれを見ると3人で身動き楽に取れる体制じゃないと実現しなかったかもしれない、という現実も見た。金具屋は歴史の古い旅館で、目に入るものすべてが知っているものばかりのはずなのにすべてが目新しい。経験したことのあまりないドアや、経験したことのあまりない天井の高さ、すべてが束になって私に向かってくる感覚。ノスタルジーだなんていうありきたりな言葉では表せない何かだった。車に忘れ物をしたことに気がついて取りにもどる。暗い夜道だが星空でいっぱいと言う感じでもない。ときどき突然湯気が湧き上がっている。知らない街にいる。という実感が湧き上がってきた。車に戻り、荷物を回収して来た道とは違う道を歩いて戻る。枯れ葉を踏みしめてみるが東京とおんなじ音がした。ハリウッドに枯れ葉が落ちてたらまた違う音がしただろうか。リオデジャネイロは?広州は?メルボルンは? 温泉街を歩いてGoogleMapの口コミを頼りに入った店で夕食を摂り、射的をして、風呂に入った。安藤くん、佐久間さんと3人で露天風呂に浸かっていると川辺くんと山崎くんが入ってきてつい「運命じゃん」って口走った。部屋に戻って4人で酒盛りをして翌日に備える。仕上がりは順調だ。

 

10日

7時ぐらいに起きて部屋から移動して静かな会場で地味だけど美味しい朝食を摂る。体が起きるのを待って8時後半ぐらいからリハーサル。誰もいない大広間を突き抜けて、早朝の温泉街に"ODDTAXI"が鳴り響いているのがなんともおかしかった。ライヴは文句なしの満点!ではなかったかもしれないが、昼前(ミュージシャンからしたらまだ早朝)のライヴということと、2回目ということと、変わった環境ということを前提とするならば、よくできたと言っていいだろうし、達成感がある。「3と33」とか今こう響くのか、と新鮮に驚きながら演奏していた。演奏を終え、マネージャーが次の現場があるため、早々に帰京。しかし、日曜だったこともあり、道は混雑。練馬で降りたからそこから家に寄ってもらって一部楽器を積み替え、なおみちさんと佐久間さんを家に送ったので、だいぶ遅い時間の帰宅となった。

 

11日

ムーンライダーズのライヴに向けたミーティングに出席して、夜はアフター6ジャンクション。この日のために買い込んだ漫画をちびちび読んでいたけど、本当にどれも面白かった。放送でも話したけど、私は宇垣さんが藤田和日郎さんの漫画を紹介してくれたことで初めて読むことができたのだけど、とにかく衝撃だった。あと対面で漫画の話するの楽しすぎて時間が押したあとその場にいた全員が「もはや告知なんていいから漫画の話させてくれ」ってそわそわしていたのがおかしくてたまらなかった。ちょうど同じタイミングでTBSにいたカナメストーンのおふたりには会えなかった。零士さんの自作曲、最高でしたよ、って直接伝えたかったのに叶わなかった。無念。

 

12日

十九人と人間横丁のツーマンを観に行く。ネタ終わったとのコーナー?では「100万円あったらどこに一泊二日の旅行に行くか?」とホワイトボード出しながら話し合うあのおかしさはなんだろう。楽しかった。

 

13日〜15日

スケジュール帳には「作曲」と書いてあるが、この三日間私の手元に成果としてあがったのは絶対に仕事向きじゃない曲の弾き語りのデモだけだ。部屋が汚ねえから仕事がうまくいかねえんだよ、と悪態ついて片付けようとしたが、全く片付かなかった。もし生まれ変われるなら勤勉な人間になりたい。怠け者なんだ、という実感が年齢を重ねるにつれてわかってくる。小学生の頃、加藤さんに「お前はいい加減だ、今日からお前はいい加減太郎だ」と言われたことが年齢を重ねるごとに骨身に染みる。

 

某日

帰り道に月を見上げると半月だった。子供の頃、盲腸で入院したとき、入院していた日大病院のすぐそばにあったお菓子屋で売っていたグレープフルーツのゼリー(1/4ぐらいにカットされたグレープフルーツがドラえもんのポケットのように見えていた)がずっと頭の中にあって、半月を見ると俺のグレープフルーツムーンはこれだよ、なんて思ったりしている。

 

 

 

 

 

 

蛇腹街道

1日

OPULENCEを観に行く前に大きいサイズの洋服店をたずねる。あったかい外套はボロボロのしかないのだ。今日もそのボロボロのコートを着て街へ出ている。2つのフロアーを見て回ったのだが悪くはないよね、と思える程度でいいな、と思えるものがなかった。妥協してこれなら着てもいいかな、というものもあって、試着して鏡に向かったのだが、鏡の中の私は寂しそうな顔をしていた。どこにも行けないこの虚しさ。

その虚しさをOPULENCEが吹き飛ばしてくれるよね、と序盤はめちゃくちゃ楽しんで見ていたのだけどインターバルを挟んだ後半、出演者がプレイしている曲で、低音がエグい曲が3曲続いて、これ以上いたら具合悪くなってしまう、と判断して一度ロビーに出る。誰もいないロビーだ。低音が体に回ってしまっていたこともあったのか、がらんとしたロビーは一度も来たことがない場所に見えて恐ろしくなってしまった。居場所も失ってしまったような気がして心に穴があいてしまいそうだ、私はどうしたらいいんだ、と思っていたら救いの手が伸びてきた。扉を隔てた向こう側のフロアからチャカ・カーンの「I'm Every Woman」が流れてきたのだ。ディスコ・ミュージックでありながらその範疇からもはみ出た本当の名曲だ。嬉しい気持ちをいっぱいに抱えて扉を開けるとパイナップル・ドレスを身に纏ったマニラ・ルゾンがそこにいた。前の曲に比べると笑っちゃうぐらい低音がない。でもそれがいい。その隙間にリズムが満ちていく。そうして私の心は浮き足立つ。完璧なパフォーマンスに私も音楽を全身に浴びることで応えた。最高の夜になった。

I'm Every Woman ‑ 曲・歌詞:チャカ・カーン | Spotify

翌日に控えたナイポレの選曲のためにメル・トーメをここ数日聴き返していたのだが、帰宅後、追い込みでさらにいろいろ聴いていたら頭が開いてしまった。音楽最高。音楽ってこんなに嬉しいものなんだね、と気がついたら指を鳴らしてしまっていた。悲しいこともいくつかあったけど音楽がふたをしてくれた。

 

2日

昼間ナイポレの収録。頭がパカーンと開いてしまったため、情熱が語彙力を追い越してしまって変な感じになってしまった気がする。

夜はレコーディング。「窓辺にて」以来のTANTAでこれまたいいテイクが録れた。たのしみ。

 

5日

朝、シゲルさんに髪を切ってもらって11時開店のはずの大勝軒が10時半には開いていてラーメンを食べた。本屋を冷やかして吉祥寺に出る。ルーエでアフター6ジャンクションの予習も兼ねて本を何冊も買って家に戻った。

夕方、大比良さんのライヴに向かうために下北沢に向かう。表情の違う朝と同じ道をまた行く。ADRIFTは初めていくライヴハウスでいいところだった。新しい場所だし、とてもきれいなのに、私が今まで演奏してきた公民館や体育館やライヴハウスも頭をかすめるような不思議な場所だった。いい意味でライヴハウスっぽくなくてここで好きなバンドのライヴを見れてたらいいだろうな、なんてふと思った。ここで誰を見たら気分がいいんだろう?

終演後、直枝さんが観にきてくれたと知って驚く。ちょうど昨夜、カーネーションの新譜を聴いていたのだ。「カルーセル・サークル」は傑作で、そのしなやかさ、その軽やかさは一体なんだろう、とドキドキしながら聴いていたから、目の前にその当人が現れて、数えたらもう10年とかの付き合いになるはずなのにはじめて話すファンのような気持ちになってしまった。とにかく「カルーセル・サークル」は私をそうさせてしまったアルバムだ。傑作、聴くべし。

Carousel Circle ‑「Album」by カーネーション | Spotify

 

 

川からスーパー山からデューパー

某日

スケジュール的には作曲しなければならない日だ。昼過ぎに起き、食事を摂り、テレビを見た。やる気になるのを待つ。素晴らしい音楽の予感を探るのだ。昨夜入れなかった風呂に浸かってduolingoで英語の経験を積む。またソファに座り、テレビを見る。素晴らしい音楽の予感を探るのだ。ところが眠くなり、ソファでうとうとしてしまった。夕方が過ぎていた。これではいけない、と部屋の掃除をする。素晴らしい空腹の予感をキャッチし、先回りして夕食を食べた。作業部屋でレコードを聴きながら積んでいた漫画を読んだ。あっという間に時間が過ぎて、こういう時間が必要だったんだ、とふいに気がついた。こうして今日も私は作曲をしなかった。

 

25日

下北沢で弾き語りのライヴ。駅前の広場?みたいな場所で行われていた古着のイヴェントだった。お客さんもすごく多くて嬉しくなった。寒かったからか、歌もギターもベストコンディションとは言いがたかったのだけど、不思議といいライヴだった、と言えるライヴができた気がする。「私はこんな体型だから選択の自由がない、でも皆さんにはそれがきっとある、楽しんでいってください」みたいなことを冗談でいったけれども、半分以上に本心が宿っている。

ゼキさんとシティポップレイディオのADの子も見にきてくれて、マネージャー安藤くんと4人で終わったあと寒空の下、お笑いの話をずっとしていた。安藤くんとゼキさんと場所を変えて車でロイホに向かい、閉店まで話した。ふたりからマユリカのラジオを勧められたので後日聞いて#2でゾッとした。中谷さんのネットの遺跡をほじくり返される回だ。めちゃくちゃ面白いんだけど私は中谷さんを阪本さんと一緒になって笑えなかった。私もwebの大海に高校1年生から日記を書いているもんだから余計にゾッとしたのだ。この日記だって最初の最初に戻れば大学1年生から書いている。今から17年前のある日に興味本位でアクセスしてみる。生きづらそうだった。しかしこの頃の私を私は笑うことができない。生きづらさは形を変えて今でも私のすぐそばにある。

 

某日

電車で仕事に向かう。昔だったらそれだけのことで一日分の日記を書けた気がする。しかし、すり減った中年は自らを些細なことから繰り返しの毎日に自らを押し込めてしまうのだ。慣れない仕事だったから成果があがったかよくわからない。OAはちょっと先。解禁されたらSNSでお知らせします。

畑々段

某日

ラジオの仕込みのためにいっぱい音楽を聴かなきゃならない日があったので、吉祥寺まで散歩がてらiPhoneで音楽を聴いた。部屋でネットサーフィンしながら聴くより頭も働くしとても良かった。習慣にしたい。

 

某日

カクバリズムで打ち合わせ。ミュージシャンとしての壁は27歳、30歳、33歳だと言い聞かせて生きてきたが33歳の壁はコロナ禍によって3年先延ばしになっただけなのかもしれない。なんとか壁を乗り越えていくために気合を入れて行きたい、という話をする。

 

某日

成年漫画家、高柳カツヤ先生の2冊目の単行本が出た。発売日に手にいれるためルーエに向かう。Twitterで見た表紙のあまりのカッコよさにもシビれていたが店頭に並んだその様があまりにも美しくて泣きそうになった。そして手に取りさらにシビれる。小口(本の側面)が真っ白なのだ。ここまで小口が白い成年漫画は大横山飴先生以来な気がする。komiflo(エロ漫画サブスクサービス)で読んでいるときから漫画として惹かれる部分があって、そこがどこなんだろう、って考えていたけどまさか小口の白さだと思っていなかった。奥付けを読み、「日陰の糸」から5年経っていたと気がついてゾッとした。

 

某日

MURABANKU。のトークイヴェントで土屋くんがたまこまーけっとの話をしたい、と言っていたのでU-NEXTに加入して途中まで見る。「ドラマチックマーケットライド」、リリースされた当時は装飾に耳が行っていて全然正面から聴けていなかったと気づいた。終わりの方のメロディが片岡知子としか言いようがないメロディで泣いてしまった。ちゃんとアニメを観るのはODD TAXI以来かもしれない。アニメはどうも難しいのだ。折り合いがつかないことが多い。今回も4話で妹のあんこの話があったのだけど、抜けてる姉、たまこよりもしっかりした妹として描かれていたのに突然好きな男の子に出会ってしまったら部屋のクローゼットに逃げ込んでしまう描写が全く理解できずそれ以降はうわのそらでの鑑賞になってしまった。アニメに限らずこれまで、たとえば「台風クラブ」では好きな映画だな〜と思って見ていたけど最後に「これが死だ!」と飛び降りた少年を八つ墓村STYLEで死なせるその様が理解できなかったり、「ペット」観たとき大蛇が理由もなく死んだのが受け入れられなかったりしてきたことを思い出していた。これもまた大きな諦めのひとつになってしまいそうだ。

 

15日

土屋くんの話を聞いて考え方が少し変わった気がする。宇多丸さんが「北極百貨店のコンシェルジュさん」を語っていたのを目の当たりにして自分はアニメーションをどう見たらいいのかを全くわかっていなかったと反省していたのだけど、土屋くんの目線で立つとまた別の見え方ができそう、と言うことがわかった。でもまたちょっと落ち込んでいるので続きを観るのはまた今度、とした。

 

某日

ある収録のため、ヒゲの長さを整えようとバリカンを手にもちバスルームで一人きり大暴れしていたらアタッチメントの毛詰まりを改善しようとしたのち、アタッチメントがバカになっていたようでまったく一本のラインとしてまるっと刈り上げてしまった。ヒゲを全部剃ってしまうのもどうかと思い、慌てて鬼越酒井さんスタイルに変更。収録はギリ乗り越えた。