幻燈日記帳

認める・認めない

ジゴロの頃

コロナの症状は発症してから4日ぐらいはその日ごとに一番つらい症状が違う感じだった。初日はのどの痛み、次の日は鼻水、次の日は熱、次の日は喉、しばらく喉が調子でなく、だんだんとやんわり収束に向かっていって最初に感じていた喉の痛みだけが戻ってきて、痰が残った、という形。明日はどこが悪いんだろう、と考えるだけでも精神衛生上最悪で、軽症で済んで良かった、となにかに感謝する他ない。それでも飛ばしてしまったライヴが一本、飛ばしたリハーサルが一本、飛ばしたレコーディングが一本。それらを思うと未だに整理がつかない。落ち着かないのだ。喉をやって入院して3本ぐらいライヴを飛ばしたことがあった。その時も相当食らったけど、自分自身やり過ごすためにどう気持ちを持っていくべきか、みたいなのが見えていた(ような気がする)はずだけど、何か比にならないしこりが残ってしまった、という実感だけがある。

療養中、かかった耳鼻科から電話が来た。妻の咳があまり良くならず医師に相談したかったからちょうどいい!なんて手厚いサービス!これからはここにお世話になろう!と感動していたら、話を聞くと、身内に感染者が出てしまい、濃厚接触者になってしまったから病院をしばらく閉めないといけないんだ、と言っていて気が遠くなった。新しく薬を出してもらえることになって、妻の症状はどんどんよくなったのでそれは嬉しいのだけど、これから数日間、その診察を受けられない人もいるのか、と複雑な気持ちになるしかなかった。

療養が明け、コンビニに行った。「夏が暑い」「ビーサンで歩くというのはこういう気持ちだっただろうか」。俺は何事もなかった街を歩く。ハロハロを購入し、手で掴んで部屋に戻る。その道中、昼間の暑さが残る深夜の歩道で少しずつ溶けていくハロハロを眺めることしかできない。このハロハロは今の俺だ。

療養で押しに押しているスケジュールに泣きながら口づけをしていく。そのために久しぶりにファミレスに向かい、詩を書くことにした。復帰初日だから、とあまり期待しないでノートと何冊かの漫画を持っていったのだ。店内には最近仲良くなった若いミュージシャンも居て、彼も締め切りで苦しんでいるようだった。こちらはなんと夕方以降の数時間の滞在で詩が書けてしまった。こんなにうれしいことはあるかい。出るタイミングが一緒だった若いミュージシャンのお茶代も気前よくかつ恩着せがましく支払い店を出た。彼も最近コロナにかかっていたのでその話題を少ししたのだが「外に出ると深呼吸しちゃいますよね、とりあえず。マーベルの映画とかで封印されてて復活したキャラが深呼吸するのってそういうことだったんだ、って」と話してくれたが、昨夜の俺は「夏が暑い」だったので笑いながら「そうだよね〜」と言ってしまったが、心のどこかで感受性の死を感じるほかなかった。

炎の文化人

18日

 

ライヴを終えて、物販に立つ。握手を求められても、以前だったら断っていたけど、最近は快く受けてそのままポケットに忍ばせていたアルコールをお互いの手に塗布するようにしていた。iimaさんを見て、タクシーを手配してもらい、小浜線まで出る。待合のロビーにものすごく見たことのある時計が飾られていた。ピンクとブルーで1時間経つと確か中から人形が出てくるものだ。覚えている時計なんて人生にいくつあっただろう。幼い頃の記憶をたどる。ひとつはいとこの山下家にあった鳩時計。もうひとつは子供の頃見た「ちいさい秋みつけた」のアニメーションに出てくる公園の時計。あれが超怖くて今でも打ちながら鳥肌が立っている。ところが形まで思い出せるものはこのぐらい。もうひとつあるとするならば、高六小のとなりにあったはすのみ児童館だろうか。

乗り遅れると一時間来ない小浜線に無事乗車して敦賀を目指す。翌日に控えたどついたるねんのライヴのためにどついたるねんを電車の中で聴いた。ぶっ飛んでいきさえしてくれない景色を眺め、この場所でこうやってどついたるねんを聴いている今というのは本当に尊いものだ、と暮れていく車窓を見て考え込み、思いを巡らし、ひとつの答えが出た。どついたるねんを聴いている場合じゃない。今回、家庭の事情から出演できない先輩のパートをいくつか歌うことになっていたのだが、最後のリハーサルで"R☆"という曲の「俺はカート・コバーンの生まれ変わりだ」というセリフを照れながら言っていたことがずっと引っかかっていた。どついたるねんの再生を停止し、Spotifyに「ニルヴァーナ」と打ち込んだ。そして「THIS IS NIRVANA」と銘打たれたプレイリストを聴く。1曲目に流れたのはかの有名な"Smells Like Teen Spilit"。ちゃんと聴いたのは前回の新潟遠征でDJ佐久間氏がかけてくれたのが初めてだったと思う。正直よくわからない。学生時代に特に話もしなかったけど、ニルヴァーナが好きだった矢野くんは今でも元気だろうか。それだけを思い出す。呆然と聴いていると、これまで自分でも驚くほど聴けていた曲が突然聴けなくなる。つい、スキップをしてしまったのだ。それはどうしてだ、と収録曲を調べてみるとドラマーがデイヴ・グロールじゃない、ということがわかった。デイヴ・グロールのドラムは最高、ということが1時間の間でわかったことが今回の収穫だった。この曲はなんか好き。

All Apologies - song by Nirvana | Spotify

敦賀から米原へ。米原から東海道新幹線に乗り換えた。東海道新幹線では40代のアベックがマスクを外してずっと喋っていた。俺の気持ちはどこへ行くのだ。東京駅まで迎えに行くよ、という妻の申し出を退けて荷物を抱えて自宅についた頃には23時を過ぎていた。

 

19日

どついたるねんの「伝説の一日」に向かう前に部屋でもう一度NIRVANAとついでにレッチリも聴いた。"先輩のライクアローリングストーン"という曲に「打倒柴田聡子 or ジャック・ジョンソン ノンノンノン ジョン・フルシアンテ」という詩が出てくるためだった。つまらなそうにニルヴァーナを聴いていると「ニルヴァーナはね、MTVアンプラグドっしょ」と妻。行きの車でも首をかしげながらニルヴァーナを聴いた。FEVERに到着。久しぶりに岩淵さんに会えて嬉しい。リハーサルの段階で轟音過ぎて途中で受付で売ってた耳栓を買う。アンコールの「鳥貴族」をやったときに先輩の合いの手である「イッツ・オールド・スクール!」という掛け声もカラオケに入ってるということを失念していて、おんなじタイミングで「イッツ・オールド・スクール!」と言ってしまって俺はどれだけ先輩が好きなんだ、と恥ずかしくなってしまった。リハーサル終わって優介と3人でラーメンを食べた。本番では自分なりのパンクを気取り、歌うとき以外は極力マスクをして演奏した。異常な轟音の中で歌をうたっていたら速攻で声が飛んだ。ライヴ中に龍角散ののど飴をなめたりしたが、ダメージは残り、終演後、致死量とも言える量ののど飴をなめ散らかした。ステージでは可能な限りふざけるんだけど、演奏は手を抜かない、という1曲目が始まったときに降りてきたコンセプトに則り、ライヴは本当に手応えがすごかった。とにかくスペシャルな演奏になったと思う。この動画、公開されてから一日一回は見てます。

BESTHITS LP発売記念ライブ「伝説の一日」より人生の選択~R☆~080 - YouTube

 

20日

冷房の設定を間違えたらしく寒くて目が覚めた。やってしまった。喉と鼻の間が痛い。喉風邪をひいてしまった。昨日のライヴで声も潰れてしまった。龍角散を手放せない一日を過ごす。一度ゲップをしたらどんでもない味のゲップだった。目が一発で覚めるようなもので、龍角散の変な味の部分が20倍ぐらいに濃縮されたのが頭部いっぱいに広がった。

 

21日

スケジュール帳には「掃除大会」と書いてある。それに加えて、デモを制作。メンバーにデモを送信。掃除はもちろん進まなかった。喉風邪はひどくならず、いつものやつだな、と感じたが、鼻水がアレルギーのように出る。悪い予感もしてスーパーで野菜や肉を買い込んだ。

 

22日

朝起きると耳閉感がある。ここまで熱はまったくの平熱。こりゃなんにせよよくない、医者にかからねば、と近くの町医者に電話をかける。すると「来週の水曜日まで予約でいっぱい」と非情の宣告。妻を送る道中で抗原検査キットを購入。部屋で検査をする。抗原検査は何度かやったことがあるが、信じられないほど「あっ、これ絶対ダメじゃん」という速度で陽性の判定が出た。慌てて関係各所に連絡を入れる。マネージャーが根回しをしてくれて、近い病院で診てもらえることになった。と、言っても陽性はもう確定なので、保健所への連絡がスムースに行くための診察とのことだった。現在の症状を話す。熱を測る。37.7。待っていると、向かいに中学生ぐらいの女の子が母親と座っていて、女の子が泣き出してしまった。「わたしXX行けないじゃん」と言っていた。夏休み入ったばかりの学生を地に落とすような現状に納得がいかない。俺がもし紳士だったらこんなときカバンの中から何か楽しいものでも取り出せるのだろうか、とカバンを見てみたが、福井で頂いた奇妙礼太郎さんの新譜と、福井の帰り道に読もうと思って一切手を付けなかったボリス・ヴィアンの「北京の秋」が転がっているだけだった。

診察を終え、症状がとても軽い、という自覚がだんだんと出てきた。妻とうまく連携して入れ替われるように部屋を変わってもらう。医師と相談した結果、この時点では抗原検査で陰性だった妻はホテルへ逃げてもらうことになった。翌日にはホテル療養入れるかな、と思っていたが、病院でもらったホテル療養などの説明が書いてある紙を見て、朝9時から4時までの受付だと知る。夜が深くなると関節がふわふわしてきて、熱がじわじわ上がっていった。38.4を確認して解熱剤を飲む。目が覚めたらよりひどくなっていたらいやだな、と思って何故かなかなか布団に入れず、4時過ぎまでずっとゲームやっていた。NICE POP RADIOを聴きながら自分で選曲したはっぱ隊の「YATTA!」にものすごく心が揺さぶられた。「生きているからLUCKYだ」という詩は本当にすごいな。泣いてないけどほとんど泣いてた。

2022年7月22日(金)20:00~21:00 | NICE POP RADIO | α-STATION FM KYOTO | radiko

 

23日

目覚ましより早く目が覚めた。喉がちょっときつい。ピリピリするのだ。悪くなった部分もあるが、熱は下がったようで、37.1。寝起きにしてはやや高いが、平熱という意味ではこんなもんだ。熱が下がったことにより、何でもやれそうな気がする。でもぼんやりする。少しでもポジティヴに考えていないと気持ちが折れてしまいそうなのだろう。まったく繋がらないホテル療養相談センター。あまりに繋がらなかったので渡されていたホテル療養の説明の紙に書かれていたQRコードの一番上の電話にかけてみたがもちろん「そういうことじゃない」と言われてしまった。でもホテル療養相談センターは300台の電話で対応している、と教えてくれた。繋がったと思ったが、この時点で声が出しにくい感じになっていて、電話で「名前は?住所は?どこの病院で診てもらいましたか?」などをいちいち声に出して説明するのがあまりにだるい。潰れてしまった声だったため向こうも聞き取りづらかったらしく、何度かやり取りが往復したり、訂正するのに「これってインターネットじゃだめだったんですかね……」と漏らしてしまった。これって電話以外じゃダメだったの?この2年半何してたの?

そうしてホテル療養の受付だけが完了。細かいことはまた折返しの電話で説明する、とのことだった。夕方まで眠る。折返しの電話で「明後日にならないと部屋があかない」と言われる。事情を説明して、妻が今後もし陽性になることがあったら我々は部屋にいていいのか、そうなったらホテル療養のキャンセルはどうするのか、などを質問する。「前日の夕方以降にどこのホテルに入るか電話が行く。そのときでも大丈夫だし、ホテルに入るため、当日に迎えに行く際、電話で連絡するからその段階でもキャンセルは可能」と言われる。妻にも報告。録画して5年観てなかったビデオを見たりして1日があっという間に過ぎた。

楽しみにしていた崎山くんとのクアトロも延期が決まってしまった。せっかくなので延期と同時に振替の日程も出したいそうだ。そりゃそうだ、二度手間になるからまとまったからにした方がいいに決まってる。しかし、クアトロの空き日と我々のスケジュールが合わなく、調整は難航。(即発表にならなかったのにはそういう理由がありました)

 

24日

妻から連絡があり、妻も熱があがってきてしまった、そうして実家の猫も亡くなってしまった、とのことだった。渡してあった抗原検査キットをやってもらうとやはり陽性。発熱相談センターに電話をして、熱だけはすっかり下がってしまった私がホテルまで車で迎えに行く、というのが最善、と判断された。妻を迎えに行って複雑な気持ちになる。ホッとしたような気もするが、マヤちゃんの死に目に合わせられなかった原因を作ったのは俺だ。その後悔ものしかかってくる。生活とは。

車に乗り込んで妻を迎えに行く。街はいつもの日曜日だった。

妻が陽性ということがわかったため、また発熱相談センターに電話をかける。これがまた繋がらないんだ。なんで電話じゃないとだめなのこれ。ようやく繋がってまた出づらい声でいちから説明していく。「旦那さんが診てもらった病院で診察してもらうのがいい」と言われ、仕方がない、翌日に病院に電話することになった。

妻の熱は引かず、解熱剤飲んでようやく37度後半に落ち着く程度だった。妻は汗をあまりかかないので、汗だくになって布団で寝転ぶ姿を見るのは衝撃的だった。

実家の父と母から連絡があり、妻も陽性、予定していたホテル療養がなくなったことを伝える。そうするといくつか食料を届けに来てくれる、というのだ。素直に甘えて納豆や牛乳、卵や肉類を買ってきてもらった。

夜中、苦しくなる。しかしこの苦しさは見覚えがある。ストレスから発症する喘息の症状のひとつだ。でも、そうじゃなかったらどうしよう?と頭をよぎる。パルスオキシメーターも家になかったから不安になり、余計に嫌な気持ちになった。

 

25日

本来だったら今日からホテル療養のはずだが一向に連絡は来ない。それともうちうちにあそこの家は嫁も陽性だからという情報が行って自動的にキャンセルになったのだろうか。診てもらった病院があく時間の少し前に起きて、電話をかける。全く繋がらない。携帯片手に台所に立つ。昨日、父母が買ってきてくれた生鮮食料品の中にもうあとは揚げるだけのチキンカツも入っていて、それの賞味期限が一番近かったので揚げて食べた。結局150回ぐらいかけ直して、2時間過ぎてようやく繋がった。事情を説明すると、今からは無理だけど夜だったら診ます、と丁寧に説明してくれた。ひと安心。そうこうしている間に澤部渡新型コロナウイルス罹患に伴い7月27日のイヴェント内容の変更が発表された。表向きのちゃんとした文章は崎山くん側の発表とカクバリズム側の発表があるから、ぼく個人としては軽めにしよう、軽症をアピールしたほうが心配かけない、と思って要約すると「軽症で〜〜す!チキンカツ食ってま〜〜〜す」みたいなツイートをするが反感を買ってしまったようで反省もしている。慌てて深刻なツイートも併せてしようとしたが、どうしても文字数が足りないとわかり、諦め、適当な感じになってしまった。俺の諦念があのツイートに漂っている。それとは別に「気持ちを切り替えて、在宅ライブしようぜぇ〜!!」とリプライが来てめちゃくちゃ腹がたった。いちいち説明しなきゃいけないのか。軽症だけど軽症なだけであってしんどいはしんどいんだよ〜〜〜〜とか、崎山くんとのツーマン、それも渋谷のクアトロというところに意味があるんだよ〜〜〜〜〜とかいちいちツイートしないとわかってもらえないのか。

夜、妻の診察をしてもらう。僕も軽く見てもらう。血中酸素濃度も問題なく、やはりいつもの喘息だった。とひと安心。一緒にいるけど僕の自宅療養期間は変わるのか。などなどいくつか質問もした。72時間、熱が出なければ、7/30に自宅療養期間が終わることに変わりはないそうだ。

寝っぱなしでいられるほど熱があるわけでもないので、かと言って集中できる感じでもないので、頭を使わなくていい作業をいくつかやる。その中で一番大変なのが部屋の掃除だ。

ゆめサンバ

某日

ラジオの収録のあとに整体入れようと思ったが妙にタイミング合わなくて諦める。

 

某日

ミツメとサニーデイのツーマンを楽しみにしていたのだが締め切りの関係で諦める。

 

某日

ムーンライダーズのリハーサルが始まる。自分でもどうなるんだろう、と思っていたのだがいざ音を出してみるとなるほど、こういう形になっていくのか、とワクワクする。ある日、慶一さんがとっかえひっかえにいろんな歌をうたっていて、最初はザ・バンドビートルズビーチ・ボーイズを経て、どこかで加川良になり、斉藤哲夫になった頃、しびれをきらした(ように感じた)くじらさんがはちみつぱいの曲を演奏はじめて、そこから演奏にながれていったのがとにかく最高だった。「センチメンタル通り」から「マニア・マニエラ」はたったの9年のできごとなのか。

 

某日

ナイポレの収録。直前で(深い理由じゃないんだけど)事情あり選曲テーマ変更。限られた時間のなかでどれだけ面白いものにできるだろうか、と思ったがひたすら私がぶち上がる回となってしまった。先週の妙な曲特集とは違ったベクトルでリスナー置いてけぼり回にはなると思う。最高に楽しかった。つかの間の休息にもなった気がする。

 

16日

ムーンライダーズのライヴ。1stセットも2ndセットも多分すんごくよかった。今回のライヴのためのリハーサルは最初の曲から順番に手をつけていった。「スカーレットの誓い」はレコードと同じDのキーではなく、普段のライヴでやっている通り、Cのキーでやる予定だったのだが、「温和な労働者と便利な発電所」をあわせ終わった後に、Dのキーでやった方がいいんじゃないか、と感じてしまい、「Dでやってみませんか?」と提案してしまったのだった。「出過ぎた真似をしたかもしれない」とちょっと心にひっかかっていた部分もあったのだが、本番でのあの感じはちょっと言葉では言い表せない高揚感だった。

 

17日

福井へ前乗り。移動している途中に社長から連絡が入り、当日に入る予定だったスタッフの家族にコロナ陽性が出てしまい、社長も野音の階段で転んで負傷してしまった、と伝えられ、一人旅が確定した。東京駅から米原、そこから敦賀でのりかえ。このまま素直に小浜線に乗っても良かったのだが、ちょっと時間が空いたので敦賀の街の地図を見る。少し離れたところにブックオフがあるな、と気づいた頃にはタクシーに乗っていた。ミツキヨの「強烈ロマンス」が落ちていたので購入。タクシーで駅の方に戻り、運転手さんから教えてもらったRecoyaにも載っていなかったオーディオ渡辺というお店でレコードを見る。MPSのジャズのアルバムなど、いくつか購入。いい店だった。時間があまりなかったのでいつかまたじっくり見たい。ギリギリの時間で小浜線に乗り、小浜駅を目指す。車内で平方イコルスンさんの「スペシャル」の3巻と4巻を読む。ずっと不穏だった気もするけどぐっとその色が濃くなる。そして過ぎていく田舎道が「スペシャル」の世界観に少しずつ重なっていくようだった。小浜駅に着き、海っぺりのホテルに着き、チェックインをした後、タクシー運転手さんにおいしい、と勧められたごはん屋さんに入る。確かに何食ってもうまい。自傷に近い気持ち(私は魚が食べられない時期が長かった)で注文した刺し身の盛り合わせもどれも美味しく、自傷に近い気持ち(私は酒を飲める時と飲めない時がある)で注文した日本酒も美味しかった。店を出るときにそのお店の女将さんから「あなたはね〜〜〜癒やされる!」と強い言葉をかけていただく。うれしくなって15分ほど歩いて最寄りのコンビニでガリガリ君を買った。夏の海でおれは心のバイブル、ムービックから出た方のたかみち先生の画集の世界に入り込むためにはそれが必要だった。コンビニから出ると女性ふたりに声をかけられて、話を聞くと明日共演するバカがミタカッタ世界のおふたりだった。偶然の出会いに嬉しくなり、海岸線で食おうと思っていたガリガリ君をふたりと別れた後に食べた。人がひとりも通らないほどの真夜中ではなかったはずだったが人はひとりも通らず、足音とときどき走る車の音だけが響く。海っぺりに戻ってくると、さすがに3組ほど人がいて、花火をしていたり、座って話しているようだった。私も少し離れて石垣に腰をおろす。灯台もなく、対岸のあかりがにじむ。カーブに沿って等間隔に強いあかりがあって、きっとあれは街灯なのだろう。街灯のあかりが飛び石のように海の中で弱くなっていく。明日はライヴだ、という気持ちにだんだんなっていった。マニア・マニエラ再現ライヴとどついたるねんのワンマンの間に挟まれたライヴはどんな気持ちで臨めばいいか、わからなかったのだ。

ホテルに戻って平方イコルスンさんの「スペシャル」の続きを読んだ。あまりにも、あまりにもな物語の終わり方に涙が止まらなかった。おまけ漫画の最後のコマのセリフが胸に刺さって仕方がない。ほのぼのナンセンスユーモア漂う漫画だったはずが、どうしてこうなった、とも思うのだが、以前平方イコルスンさんが書かれた「無理」という短編がすごく好きだったので、あの作品のヒリつく感じがそこにあって嬉しくもなった。

 

18日

ライヴは調子がよく、調子が良すぎてコードも歌詞も間違えた。ときどきなる。コロナ禍初期に開催された川辺くんとのツーマンで「視界良好」を歌っているときに「このままこの感じで歌い続けられたらぼくどうなっちゃうの」と思ったことがあるのだが、そのときとまったく一緒の感じ。そしてなによりどの曲を歌っても「スペシャル」のふたりの歌に思えてくる。我々は不測の事態に備えて、リスクを考えながら練習するのだが、頭がスパークしちゃった状態に備えることができない。どうしたもんか。

ジャンプ日和

27日

yes, mama ok?の久しぶりの対面の会合だった。東京を離れるヨーコさんの壮行会でもある。久しぶりに会えて嬉しい。yes, mama ok?はあらゆる意味で原点なので、また早くライヴがしたい。

 

28日、29日

某レコーディング。

 

30日

直枝さんと弾き語りのツーマンライヴ。暑すぎる6月に「市民プール」がしみる。「Blue Black」も弾き語りで聞けて嬉しい。アンコールでは一緒に「防波堤のJ」と「離れて暮らす二人のために」を演奏。「防波堤のJ」はかつて豊田道倫さんのイベントの手伝いをしていた頃、直枝さんとツーマンをやったことがあって、そのアンコールで豊田さんと直枝さんがセッションしていた思い出深い一曲だった。本番終わるまで食事を摂らないぼく(食べるとゲップがでるので本番4時間前からはなにも食べないようにしている)を見かねた直枝さんが、終演後にバーカウンターで売られているソフトクリームをごちそうしてくれた。この夏一番おいしいソフトクリームはこれ以外にない。

 

7月1日

どついたるねんのリハーサル。全員が爆音で耳が即死。カバンに入っていたイヤフォンで対応を試みるも撃沈。受付に耳栓は売っていないのか、と訊ねると非常のノー。仕方ないのでDJ用で貸し出ししている側圧の強いヘッドフォンをレンタルしてなんとか最後までやりきった。これがパンクバンドか。丸腰だった。と強く反省をする。リハーサルが終わった後も振動が身体に残った。

 

7月に入って制作がヤバ過ぎるのだがどうにもこうにもうまく行かない。出来上がった曲のサビがル・クプルのまんまだと気がついて破棄する。

はゔ・あ・まーしー

18日

 

オッドタクシーフェス。前日には気持ちを作るために有田ジェネレーションのダイアンラップバトル回を見てから眠った。当日、楽屋に入り、借りてきた猫のような気持ちでいたがSUMMITのみなさんが優しくしてくれて泣きそうになった。METEORさんと濃い漫画の話をしていて、そのあとOMSBさんが「宮本から君へ」を勧めてくれた。苦手な気がしてずっと避けてきてきたものがいくつもあるけれど、新井英樹作品はそのひとつで、すぐに読めるかどうか、わからないけれども、気持ちは近づいた。

なかのZEROホールは音楽のライヴとは違う熱気があった。我々はどちらかというとアウェーだろうな、なんて考えていたが、熱は平等だったようで緊張しながらもとても楽しく演奏することができた。

演奏が終わってそのまま飛び出しで名古屋に向かう。最終で名古屋に到着。せっかく名古屋に来たのだからおいしいもの食べたいという気持ちもどこかにあったはずだが、なにも考えられなくて、ホテルからすぐそばの沖縄料理屋に入った。名古屋とは。沖縄とは。部屋で考えられるあらゆる身体の危機に備えてR-1やらアミノバイタルやらキメまくったらときどき起こる身体は眠っているのに頭が眠っていない状態になり、決して熟睡できたとは言えない睡眠になってしまった。

 

19日

岐阜のOUR FAVORITE THINGS repriseというイヴェントに出演。駅でうどんを啜ってから特急電車に乗り岐阜に向かう。この日の会場は各務原市の村国座という農村歌舞伎舞台。容赦なく日差しが照りつける大変暑い日だった。塩キャンディなめたりして、それでも会場の雰囲気があまりに素晴らしく、柔らかい衝撃を受けた。畳野さんのライヴも王舟のライヴもすごく良くて、とてもいいイヴェントになった気がする。ありそうでなかった組み合わせも嬉しくなった。

 

20日

作業日にあてたはずだったがなにもせず成果はあがらず。

 

21日

MURAバんく。の土屋くんとひょんなことから仲良くなって、土屋くんの提案で「日常」のコンセプトカフェ(今調べていたらコラボカフェっていうのが主流らしい。昔はコンセプトカフェって言ってたよね……)に行くことになった。シティポップのラジオ収録を終えて、はじめてスカイツリーに行った。妻にもなんかコンセプトカフェいくっていうのが恥ずかしくてだまって来てしまった。グッズも完売だったけど、土屋くんと音楽と漫画とアニメの話できたからいいや。とても楽しかった。

MURAバんく。 「喪服の裾をからげ」 MV - YouTube

 

22日

作業日だったが成果はあがらず。

 

23日

名古屋でライヴ。崎山くんとツーマン。連日のライヴだったのにさすがに仕上がっていてどう転んでもいい具合にはなったのだが、自分の反省点として、さすがに気合が入りすぎた、もっとリラックスしてやってもよかった、と崎山くんの演奏を見て思った。俺が漫画の登場人物だとしたら崎山くんのライヴを見て「ギターから龍が出てきたぜ」とか言うだろうな。PARCOの中にあるホテルに宿泊。チェックインする際にロビーにうっすらオルゴールアレンジの音楽が流れていて、これはどういう感情になればいいんだ、と困惑する。

 

24日

ここ数日、遠征が続いていたにも関わらず、ほとんどレコード屋に行けなかったのでこれは身体によくない、と一日時間を作って体力の限りレコード屋を巡ることにしたのだ。ホテルをチェックアウトする際にうっすら聞こえたオルゴールアレンジの曲が「あたりまえ体操」だとわかって気が遠くなる。外に出るととにかく暑い。宿から大須まで歩く。コンパルで朝食を食べて、ものすごく久々にGreatest Hitsを見ることができた。ニューウェーブのレコードをいくつか購入。バナナレコードでは小坂忠さんの「もっともっと」を状態は少し悪いやつだけど3000円で買えた。他にもシティポップの目線であれ持ってない、これ持ってない、というものをいくつか購入。移動してラジオデイズレコード。ジミー・ウェッブが曲を書いたRevelationというグループのレコードを買えた。意地になって歩いてディスクユニオンについた頃には目が滑り出してしまって、うまく選べなくなっていた。新入荷に刺さっていたXTCのスカイラーキングの日本盤を見て(あれっ…これエンボス加工がない…うちのは確かあったよな…)と購入したのだが、我が家にあったスカイラーキングもエンボス加工がなかった。生態系を乱してしまった。ホテルに戻り、荷物をまとめて移動して名駅前のバナナレコードで締め。デア・プランと以前シンムラテツヤさんに勧めてもらったWE ALL TOGETHERをようやく購入。いい収穫がたくさんあって嬉しい。疲れ果てて夕食を諦め、東京に帰った。

 

25日

NICE POP RADIOの収録。放送の7/1がα-STATION開局31周年の日だというのでラジオに関する曲をいくつかオンエアー。そういえば中期のコステロ金剛地さんの影響で聴いていたけど、僕がはじめて初期のコステロ聴いたのって名駅のバナナレコードでかかっていたのが最初だったはずだ。その時かかっていたのが"Radio, Radio"だった。

夜はミックスのチェック。葛西さんの新スタジオではじめてのミックス。いい仕上がり。お楽しみに。

 

26日

月光密造の夜。素晴らしい一日だった。リハーサルのあとにタワレコに向かう。昨日の収録とミックスの合間に昨日買ったレコードをいくつか聴いて、Xao Seffchequeがあまりにかっこいいもんだから他のCD出てないか調べた結果、渋谷のタワレコに在庫があったので、"Softly"の取り置きついでに、とポチッと取り置きした。結果的に暑すぎて取り置きすら後悔する。暑さでゆだった頭でDJ、ミツメを見ながら復活してきて、トリプルファイヤーで興奮、自分のライヴといい具合にすすめることができた。ライヴの内容も良かった気がする。「沈黙」で大サビの終わりの方に優介が弾いたフレーズがあまりに凄すぎて歌詞カード見てたのに歌詞が飛んだし、めちゃくちゃ笑顔になってしまったので、お客さんからしたらシリアスな曲で突然いい顔になっちゃった狂人に見えたのではないか。それか歌詞飛んでごまかそうとしていた顔にみえたのではないか。

キネマのよる

11日

札幌入り。昼過ぎに優介・なおみちさん・ローディ秋山さんの4人で先に入る。佐久間さんは深夜入り、ボーイは翌日入り。札幌でライヴをやるのは3年ぶりだ。トワイライトのツアー。あのときはキーボードはにしのちなみさんだったからこの5人で来るのは「遠い春」のときのツアー以来かも。弾き語りで北海道に来たとき、前野健太さんと一緒に行ったジンギスカン屋がおしかったからまた行こうと思ったが空いておらず、毎回行ってしまうラムしゃぶの店にたどり着いてしまった。結局うまい。問題ない。この日はなおみちさんが底なしの胃袋ぶりで魅せた。久しぶりの札幌だから、と夜のすすきのを歩く。もうすっかり気が緩んだ街を見て「怖い」と思うことも減ってきた。若者が歩きながら「おれ"踊ってたら楽しい"の領域超えたわ。ジャンプしたい」と言っていて最高だった。この瞬間のために俺は街に出たのだ。ドン・キホーテでトランプ買ってホテルに帰る。

 

12日

朝起きてにぎりめしでおにぎりを食べる。インスタには3つあげたが、食べ終わった後にもうひとつ追加で注文したから結局4つ食った。会場は札幌芸術の森にある野外ステージ。ホテルから40分ぐらいかかっただろうか。とても天気がいい日だ。楽屋のケータリングに北海道の銘菓がずらりと並んで、それはそれは壮観だった。待ち時間をトランプをしたり、白紙くんのライヴを見たりして過ごす。とにかく環境は最高。天気も最高。ステージの形状と演者の立ち位置からなのか、モニターがよくわからないカオス(モニターがうまく行かず、聞き取れないならそれはそれでやり方があるのだけど、薄皮1枚で音が聞き取れて今まで経験したことのない状況になっていたのだ!)になっていたが、ミドルエイジ、10年選手の意地でねじ伏せ、良好なライヴを展開することができた。とにかくなにもかもが最高なイヴェントだった。

ライヴを終えてあまり時間もなく飛行機でとんぼ返り。そりゃないぜ、と空港にあった松尾ジンギスカンで祝杯をあげた。もっとゆっくり来たいね。

 

14日

京都の磔磔でライヴ。TENDOUJIとのツーマンだ。アップテンポでちょうたのしい彼らのライヴに比べてスカートの寂しさよ。コロナ禍の前は弾き語りのセットリストはほとんど決めず、その時やりたい曲を演奏する、というやり方をしていたのだが、弾き語りの筋力が衰えていたので、最近は弾き語りでもセットリストを決めて臨むことが多かったのだが、先日のクアトロでの手応えも加味して久しぶりにノープランでやることにした。「月の器」とか本当に自分でもやると思ってなかったけどなんか気持ちがよかった。スタンディングの磔磔でライヴができる喜びを噛みしめる。軽い打ち上げを磔磔の中でやる。久しぶりにあったけど仲良くしてくれてまじで嬉しい……

 

15日

ナイポレの収録があるので一泊。チェックアウトの前には目が覚めて、朝食を摂りに出かけたのだが、行きたかった店(うどん屋)がひとつは定休日、もうひとつ(定食屋)は定休日じゃないのに行ってみたら開いてない、もうひとつ(カレー屋)は臨時休業だった。カレー屋に向かっていたタクシーで打ちひしがれる。「運転手さん、ぼかあどこにいけばいいんですかね」すっかり朝食なんていう時間は過ぎていた。「そうですね、ここからなら龍園ですかね。餃子が美味しんですよ。オーダーしてから皮を伸ばすんです。味噌ダレで食べるんですけど、ラー油を垂らしていい塩梅を探るのがいいんですよね。」ほほう、いつか誰かから聞いてGoogleMapにはピンが立っているじゃないか。そのまま連れて行ってもらった。裏通りにひっそりと龍園はあり、店の構えもいわゆる町中華のそれだ。店は10人も入ればいっぱい。メニューは店の中に貼ってあるものだけ。とてもシンプルだ。焼き飯、餃子、天津飯、天津麺とそれらの定食ぐらいだったはず。餃子定食をオーダーし、目の前に出された餃子の可愛さよ。そして先に出された中華スープのうまさよ。餃子は野菜の甘みと薄いはずなのにとんでもない食感の皮のマッチングがすごくたまらない一品だった。食事を終えてα-STATIONに荷物を預けて街に出る。レコード屋を何軒か回ろうと思ったがJoe's Garageもお店が開いていなかった。今日はもうそういう日だ。トボトボとα-STATIONに戻り、収録。2つテーマを設けてひとつは即興的に選ぶ。うまく話せていたかいまでも心配だ。荷物をそのまま預けてレコード屋を見る。移転したあとのHOT LINEにはじめていく。あんなにたくさんのレコードが積んであったのにかなり小さくなっていて驚く。でもいいレコードはあった。JETSETに向かっていたら、JETSETの前に小野さんを発見。そのまま話してお店に向かう。小堺さんとも話せた。店内にはNICE POP RADIOのコーナーがあり、そこにあるデルロイ・ウィルソンのレコードを1枚買った。そこから芙蓉園という中華を目指そうとしたが、定休日だということがわかり、突然やってられなくなる。芙蓉園からほど近いグリル富久屋に行こうと歩いてみると、なんと臨時休業。もう今日はそういう日だ。即座にタクシーを捕まえ、ワンメーターで行けるGion Duck Noodleに向かい、鴨のラーメンを食べて京都の旅が終わった。

 

16日

渋谷クアトロのYouTubeチャンネルで鈴木慶一さんと対談。面白い話がいくつも聴けた。街と音楽について。雑誌のインタビューならあとから直せるけど、うまく言えなかった瞬間があって、あそこがどうなってしまっているか心配。

 

17日

昼間、いわゆる営業、というべきか、クローズドな場所でのライヴを一本。羽田空港の駐車場P1〜4は激混み。急遽腹をくくってP5まで足を伸ばす結果となった。第1ターミナルのなかにあるカフェでのライヴだった。夕方の空港はきれいだった。

部屋に帰り、深夜のライヴの支度をする。ヒトリカンケイさんフェアウェルコンサートに参加。翌日もあるため、ほどほどの時間に帰ってしまったのがもったいないくらい妙なヴァイブスに満ちていた。

感じるスピードくじ

6/4

胃痛はいまだ続いている。消化器科を受診するも異常は見られず。自律神経の問題、と言われ、悪くはなってはいないものの、ここまで良くならないなんてあるのか、絶対なんかあるっしょ、と思い続けてより悪くなっていく、という負のスパイラルの真っ只中にいた。青柳くんの整体も久しぶりに通い始めて気持ちは少しは楽になってきたが、不調は変わらず。月に一度通うことになった消化器科で採血を受ける。過去に10回、血管にアタックしてようやく採血できた奇跡の腕を持つ私に医師が3人がかりでアタックをかけていく。前回、「今回採れた場所を覚えておいてね。次もそこから採るから」と言われていたので、「右腕のこのへん」とおぼえていたので、最初はそこからはじめることになったが、結局採れず。左に移ってもう一箇所。駄目。もう一箇所、普段ならもはや採血などしない偉い先生にまで見てもらう。腕よりも手背の方が痛みは強いが血管が見えやすく、そちらでやろうとするのだが「本当に赤ちゃんみたいな手ですね」と言われ幻に終わる。右腕でもう一度試してみるもこちらも失敗。そこで、検尿のカップに並々注がれた水を2杯飲んでもう一度トライすることになった。待合室で水を飲み干し、呼び出されると手術着のような服を来た先生が新しく参加。椅子ではなく、ベッドに寝かされ無事成功となった。「あまりに悪い数値だったら電話しますんで」と言われ、落ち着かない日々を過ごしているが、5日経って電話がないということはひょっとしてひょっとするのだろうか。そうだといいな。

 

6/7

消化器科の先生にも確認を取ってワクチン打ってもいい、というのでこの日にワクチンの予約をwebで取ったつもりがうまくできていなかったようだ。シティポップレイディオの収録のあと、近くの集団接種会場に向かい、飛び込みで3回目の接種を受けた。モデルナ/モデルナという順番で打ったがここでファイザーと来た。いままで打ったワクチンのなかで一番痛かった。2回目なんて打たれてないんじゃないかと思ってたから針を打たれた途端にギャッとなった。喘息持ちのため、30分の観察経過を経て、ふらつく頭でスーパーを見る。集団接種会場に併設された高級品ばかりのスーパーだ。どうせ数日寝込むんだよ、と自分へのご褒美に高いものをいくつか買ってしまった。ぼんやりするものの、熱もあがらず、でも確実なぼんやりがそこにあり、頭にガムが張り付いているような気持ち。重い左の腕と手首を気にしてあっという間に一日が過ぎた。

 

6/8

翌日、翌々日と寝込む前提だったので仕事をひとつもいれなかった。しかし、予想に反して元気な私だ。曲を作らなきゃならないけどせっかくのオフだ、と漫画を読むわけでもレコードを聴くでもなく、一日じゅうテレビを見て、ゲームをやってぼんやりして過ごした。

 

数日前、日銀総裁の「値上げの許容度は高まっている」という発言をニュースで読んで「こんなことあるかよ」って思って頭に来ていたのだが、数日経ってあの発言が各国の値上げに関するアンケート、日本なら8000人から取ったアンケート(「値上げの後でも他に行かず同じスーパーで買う」という人が他の国に比べて多かったらしい)の数値を見て、の発言だったのではないか、というのを見て、余計にフクザツな気持ちになる。許容したつもりはやはりないのだが、かと言っていつも行ってるふたつのスーパーより安いスーパーを探す努力をしていないのもまた事実だ。しかしいつも行ってるスーパーのひとつはエブリデイ・ロウプライスでおなじみのオーケーストアだ。ろくでもない、でも最悪はここではない、まだまだ底があるんだ、と確認するような毎日であ〜る。

 

6/9

今日も予定を入れていなかったのでずっと荒んでしまっていた部屋の掃除をエイヤッ、とやっていく。溢れたもの、もの、もの。以下略、というやつである。カラオケ行ってバーバラ・セクサロイド歌いてえ〜