幻燈日記帳

認める・認めない

もち鷹枕製造販売

11月18日

1日部屋の掃除。涙で明日が見えない。掃除代行とかに頼むべきじゃないのか。

 

19日

延ばしてもらっていたGOODYEAR MUSIC AIRSHlIP〜シティポップ レイディオ〜の収録。それからナイポレ、夜はTJNY座談会。楽しかったけど、これはTwitterの素晴らしき副産物だったんだなと改めて実感。こちらの感度が鈍くなったんではなく電波塔がつぶれてしまったような気持ちになる。

 

20日

昼取材、うまく話せただろうか。夜のスタジオまで下北沢をうろつく。かつて山角という食堂のスタッフの方が場所を変えて土土土というお店を始めた、と聞き、訪問。おいしかった。山角の暖簾分けの店はあと二つほどあるらしい。いかねば。スタジオでyes, mama ok?。タクさん不在のデュオ編成。Steeplechaseがデュオのぐしゃっとした感じにハマってうれしい。

 

21日

佐藤優介の卒業コンサートを観に行く。最初の何曲かでマイクスタンドに手をかけて歌う優介をみて「散会ライヴの幸宏さんだ!」と膝を打った。あらゆるものごとの両端を優雅にもつ素晴らしいバンドだった。全く違うものになるだろうけどアルバム楽しみ。

 

23日

yes, mama ok?ライヴ当日。リハーサル終わってサンマルクカフェで妻と金剛地さんと三人で時間を潰す。机が信じられないぐらい小さくて驚いた。そこから中華料理屋に移動して、食事を摂る。すっかり馴染みの景色になっているけど、yes, mama ok?の金剛地武志さんと演奏して、飯まで食っているんだな、と一瞬気が遠くなる。何だこの人生。会場であるグリーンアップルはキュートでとっぽい不思議な場所で、バスドラを踏むだけで時代が遡っていくような気がした。慣れない編成だったけど、もうどうなってもやるだけ。ハマる瞬間がかなりあって楽しかった。リハでも手応えのあった"Steeplechase"がやはり良かった。とにかく頭も体もフルで使い切ってへとへと。帰り際、金剛地さんと充実感のある握手を交わす。

 

24日

さぼうるでDJという規格外の仕事。片想いのイヴェントで、出演者はその場で明かされる。サプライズパーティというよりは日常に寄り添ったイヴェントだと受け取る。とにかくこれがとんでもなかった。さぼうるは中二階、一階、半地下、と言った構造をしていて、DJブースと片想いのステージは半地下で行われる。自分が好きな音楽がさぼうるに響き渡るのはもちろんだけど、片想いの演奏、というか鳴り方がとにかくヤバい。染みるなんてもんじゃない。泣きそうになった。歌とキーボードはスピーカーから鳴らされるけど他はアンプや生音。照明や音響、全てがお膳立てされてミュージシャンがそこに飛び込むライヴは最高だよ、でもこの景色、この音色、ここにはゆらぎがあり、音楽があった。音楽がさぼうる全体で鳴っているんだ。こんなに美しい光景はあるかね。あまりに最高な気持ちで(食事を摂りに)街に出る。大勝軒でカレーを食べた。おいしかったのだけど、なんでラーメン食べてないんだ、という気持ちがときどき顔を出す。街を歩く。時間が経ってしまって大好きだったうどん屋のまる金もない、コミック高岡もない、ジャニスもない、それでもまださぼうるはある。戻ると片想いの2部が始まるぐらいだった。さっきとは違って中二階に席をとってライヴを聴く。真下で音楽が鳴り始める。スピーカーがあるのは演奏されている半地下だけなので、音が遠い。でもその音の遠さに涙が出た。さっきの親密さとは違い、他人事のように音が鳴っていて、その他人事に私は再び音楽を見出した。真剣に耳をそばだてて聴いて涙する私のような人から、同行者と談笑しながら聴く人、まるでただ喫茶店にいるだけかのように見える人、それぞれの中に今、この瞬間の片想いがスパークしている。これがあまりにも美しい光景だった。帰りの車では音楽というものについて改めて考え直したりした。

 

25日

取材・リハ・原稿。高野寛さんをゲストに迎えるシティポップレイディオに向けて「続く、イエロー・マジック」を読んだり、改めて最新作から過去作まで聴いていった。どのアルバムも好きなんだけど、やっぱり「TRIO」が大好き。どうしたらこういう音になるんだ。本を読むとそれが少し伝わる。

TRIO ‑「Album」by 高野寛 | Spotify

 

27日

小西康陽さんのライヴを観にいく。コットンクラブにいくのは初めて。大学生の時にジョージィ・フェイムの来日公演がコットンクラブであって、やっぱり金がなくて観に行けなかったことがあって、それ以降、つねに私の心のどこかにコットンクラブが、ある。あれから15年以上経っていると思うけど、やっと。ライヴははっきり言って最高。来年の福岡、大阪が観れる人がうらやましい。ビルボードでのライヴもすごくよかったけど、今回はよりロックの香りがあったような気がする。「失恋と得恋」収録の「衛星中継」に刻まれた「テレビの衛生中継で」と歌われるあの言葉、歌そのものの強さは多分、ロックだと言ってしまっていいものだと思うんだけど、そういう感覚に満ちたライヴだったような気がする。エンディングも猛烈に感動した。曽我部さん、岡田崇さんと途中まで一緒に帰って、感想を話し、また熱くなった。東京駅までの短い間だったけど、この時間もまた永遠なのだ。

 

28日

取材。対談だったのだけど、気持ちとしてはインタヴュアー。めちゃくちゃいい話がいっぱい聞けて最高。記事に割かれるページ数は多くないだろうけど濃いものになるといいな。

 

29日

MURABANKU。とツーマン。やっとツーマン!フルバンドでのライヴが見れるからとても楽しみ。バンドもスリーピースは好調。MURABANKU。のYouTubeにスタッフとして入っていたタカラくん(スーパー若人)がこの日も来ていて、ヴィデオ(文字通りのVHSを記録媒体としたどでかいヴィデオ!)を回してくれていたのでいつか公開できるといいな、と画策中です。MURABANKU。もパワフルとふにゃふにゃを行ったり来たりしていてかっこよかった。終演後のアフターパーティでレコードを回した。もう出演者とスタッフしか残ってなかったけど笑、どのレコードかけてもおかしいぐらいいつもよりよく聞こえる。そういう夜だったんだな、と思って嬉しくなった。

 

某日

パソコン音楽クラブを迎えてナイポレの収録。先日の高野寛さんとの収録でも強く思ったけど人と音楽の話をするのが本当に楽しい。中年としての自覚が芽生え、何に飢えているのかわかるようになってきた。

 

12月2日

大阪でライヴ。初めての十三、あまりのいかがわしさに戸惑う。優介が「ファミマの前のガチャガチャに電マが入ってた」と教えてくれて、優介と妻と3人でリハ抜け出してラーメン食いに行ったとき確認に行く。本当にあった。なんという街だ。

この日はchelmicoとダウ90000とスリーマン。事情でダウの参加がギリギリの発表になったから埋まるか心配だったけど完売とまでいかなくても満員、大盛況。嬉しいよね〜。それぞれがそれぞれのステージに影響を与えてバンバン良くなる理想のイヴェントの形だった。最高すぎる。打ち上げも盛り上がり、飲めないのに2次会まで参加した。

 

3日

みんなは早い新幹線で帰る、というので妻とちょっとだけ大阪に残り昼ごはんだけでも食べてから帰ることに。ロンドンティールームでお茶してどこ行こう話し、昔は遠征といえばここ、という焼肉屋に向かうことにした。昆虫キッズの遠征で豊田さんに教えてもらった焼肉屋。参鶏湯が絶品なのだ。注文して参鶏湯の鶏をほぐしているときに「あー、ここにくるならみんなも誘えばよかった」と突然気がついた。なにか取り返しのつかないようなことをした気分になるが、参鶏湯も焼肉もやっぱりおいしくて一旦棚上げ。次は絶対みんなで行きたい。

 

7日

関西蚤の市でのライヴのために大阪に前乗り。夕方の新幹線でduolingoにどっぷり浸かりながら大阪に向かう。もう2年近く経つけどまだ英語はぜんぜんわからない。もう課金(一年単位)やめてもいいよな、とか思って確認したらちょうど1日前に引き落とされていた。むう。明日は万博公園でのライヴだからホテルは不慣れな新大阪。どこで晩ご飯を食べていいのやらわからず、googlemapを見るとタカラくんが教えてくれた蕎麦屋、あたり屋が割と近かったからホテルで荷物をおろし、電車に乗った。寒い。自分でもしみる。あたり屋は最高だった。「鴨 かき ごまだれ」というメニューがあって、半信半疑で頼んだのだが最高。また行きたい。

 

8日

ホテルを出る。まだ体は寝ている。電車に乗る。まだ頭は寝ている。モノレールに乗り換える。やっと調子が掴めてきた。配信が開始したばかりの「火をともせ」をなんとなく聴く。いい。寒い朝にしみる。駅に着いて、ホームを降りて、万博公園に向かう。「火をともせ」が終わってSpotiryが提案する何曲かをザッピングしていたらマテナイというグループの「巻きもどる」という曲が流れた。ある晴れた冬の朝、カーブするモノレール、公園、そのの全てがハマった。めちゃくちゃにいい。

巻きもどる ‑ by マテナイ | Spotify

想像以上の寒さで、ステージではマフラーをしないとしんどいぐらいだった。リハーサルで少しずつ体を慣らさせて本番。ライヴの途中で年内最後だと気がついてなんとなく狼狽える。しばらく歌っていくと朝のひんやりとした気分が昼の陽光に押し出されて行って、最終的にはマフラーも外した。「火をともせ」初おろし。やっぱりいい曲。でもどこがいいか説明が難しい。

ライヴが終わった充実感の中、蚤の市を軽く回る。柑橘系のジューススタンドが出店されててそこで飲んだジュースが特によかった。知らない世界と知ってる世界のちょうど中間。

カンキツスタンドオレンジ

 

某日

カクバリズムの事務所の一室を借りて作曲をすれば捗るのでは?と試しに3日予定を入れて通ってみることにする。いつもは深夜のスタジオで曲を作っていたけど、通勤みたいな感じで外に出るのもよかろう、夜中じゃない方が集中できるかもしれない、となったわけだ。初日はいきなり遅刻。カクバリズムの事務所は景色がよくて、夕暮れには思わず写真を撮った。差し入れやお歳暮も食べ放題だし環境は最高。やる気はあがったのだが、成果にはつながらず、この日は過去のモチーフを整える方向にシフト。二日目は急な仕事が入って行けず。三日目はスケジュールの連携がうまく取れていなくて断念、トボトボ帰った。あまりの情けなさに目の前が暗くなった。年内に8曲揃えると言ってた私はどこに行った?行き場のない虚しさをduolingoにぶつける。しかしduolingoはduolingoでいつもの頭打ち(やりがい要素として与えられている経験値、XP欲しさにクイズとしては正解していくけど、理解には到達してない状態が長く続くと本当に何を聞かれているのか、何を答えたらいいのか全くわからなくなる時が何ヶ月かに一度来るのだ)の予感があり、これはこれで泣きそう。結局、吉祥寺で漫画買って、おでんを買って帰った。むちゃくちゃにならないと気が済まなかった。

 

某日

GOODYEAR MUSIC AIRSHlIP〜シティポップ レイディオ〜の選曲に二日ほどあててここ一年で来たメッセージ、リクエストを片っ端から読み、資料をあたって改めて感動する。なんでいいリスナーがついてくれたんだ。番組はGOODYEARさんが抜けても継続することにはなったけど、やっぱり寂しい。車と音楽は切っても切れない。GOODYEARさんとの最後の収録の別れ際、担当のT氏に「今度浮ついた入金があったら絶対GOODYEARのタイヤに履き替えます」と誓った。この番組を通して気づいたこと、知ったこと、気づけたこと、知れたことはあまりにも多い。

 

13日

豊田さんのライヴで佐藤優介の新バンド、歯の治療ライヴ。 思いっきりやらせてもらえてすごく楽しかった。豊田さんじゃないとああ言う遊び場は作れない。つくづくsexyなひとだ。

 

某日

深夜のスタジオに場所を移し、ひたすら作曲。これ!というモチーフがなかなか出てこない日は過去の断片を掘り起こしたり、仕事で作ったけど別案提出してボツになった曲とかを掘り起こして精査した。なんかいくらでもモチーフ出てくる〜みたいな日もあった。いずれにしても集中力はどんどん落ちていて、出てきたモチーフを広げてひとつにする、というのに時間がかかるようになってしまった。

それから年内は昼間掃除、夜は作曲の日々。泣きながら年が暮れていく。

 

22日

M-1めっちゃ面白かった。ママタルトは絶対またあそこに戻っていつもの調子の漫才を見せてくれる。その反対に数日後、ダイヤモンド解散の知らせに落ち込む。

 

某日

メンバーと出来上がった4曲分のデモを聴きながらわいわいやるオンライン会議開催。あんまりこういうのしたことなかったからなんか嬉しい。書き残しておく。

 

29日

ゴールデンラヴィットのプールに浸かる本波さんみて今年一番ぐらいに爆笑してしまって、腹筋にきていたダメージが2日遅れて筋肉痛になった。今まで筋肉痛が遅れることなんてなかった。私もりっぱな中年になりました。本年もお世話になりました。

フルで炊く

10月18日

ライヴの前に福岡に前乗りしてキャンペーン。ラジオ数本。栗田善太郎さんの番組で楽しく話す。podcastにあったのでシェアハピ。夜はもつ鍋を食べる。ひと月も日記を書かなかったから記憶が薄くなってきていて悲しい。

11月9日放送分 - blank verse | Podcast on Spotify

 

19日

昼間はハイダルでカレーを食べて、レコード屋をいくつか回った。グルーヴィンで買ったカナダのミュージカル「赤毛のアン」は大当たり。ボーダーラインでもXTCのインスト盤2枚を見つける。子供の頃からの習慣としてXのコーナー見ちゃうクセが抜けないんだけど、滅多にみないアイテム。めちゃ嬉しい。「街の灯」出演。いい演奏ができた。共演のバンド、蜃気楼シング・シングも、みなはむさんのジャケットが最高でレコード買ってたコバルトボーイも一癖あって楽しかった。元インスタント・シトロンの松尾さんとインスタント・シトロンのゴローさんがDJで、特に終演後の選曲がバシバシささって最高だった。ゴローさんがかけてたThe New Vaudeville Bandは東京帰ってすぐ探した。

 

20日

多摩の野外イヴェントに出演する予定があったので、早い時間の飛行機に乗るその前に、とダコメッカでパンを買っていたらジャーマネA氏から連絡が入り、強風のため中止との報せが入る。そりゃ仕方がない。安全が第一よ。寂しいけれど仕方ない。飛行機はずらせなかったそうでそのまま真昼の東京に降り立った。吉祥寺でサラダだけ買って家に戻り、たくさんのパンとともに平らげた。

 

某日

詩を書きながら、次のアルバムについて自分のケツをける。今年中に全曲完成させるゾ〜とかやってたら毎週1曲ずつ書かないといけないと気づいて椅子から転げ落ちるほど衝撃を受ける。やれないことはない、やるしかないんだ、今がその時だ、と言い聞かせたが、11月が終わりそうなの今、この瞬間の現状、てんでだめ。

 

26日

トーチのイヴェントとライダーズのリハーサル初日。楽器の搬入が大変なのに車がないからどうしよう、と考えた結果、実家の車を借りることに。スムースとまではいかなかったが車移動じゃなかったら多分泣いてた。リハスタ搬入→JIROKICHI→リハスタ。事前にライダーズのリハーサルが入っていたけどトーチのイヴェントは絶対出たい、と野田さんに相談して飛び込み・飛び出しでギリうまいことやれた。ライヴは漫画と親和性が高い曲を上からやっていく、というライヴになった。リハーサルも戻って順調。そのまま車を返しに実家に戻る。俺は何をやっているんだ。

 

某日

ライダーズのリハーサルが無事終了。笹川さんが「みていて今までで一番バンドっぽい」と言っていたのが妙に残る。

 

某日

ライダーズのリハが終わった翌日、ラジオの収録を終えて、新曲の歌入れとパーカスダビング。ライダーズのリハで耳と頭がよく働いていたので、その蓄積が残っていたのか、着くなり「顔色悪いですよ」とボーイに笑われてしまった。確かに信じられないぐらい集中できなかった。通常のプロセスを踏めた気がしなかったのだが仕上がりはよかったのでよしとする。

 

11月1日

ライダーズ本番。今回も優介と話し合いながら曲順を決めさせてもらった。「アマチュア・アカデミー」は音楽的には工業的・労働的な要素はあまりないが、当時のライヴステージではメンバーの多くがタンクトップを着て、鉄屑が敷き詰められ、最終的には爆音でオペラがかかる中、ステージに置かれた車を解体した、という。「マニア・マニエラ」は工業的・労働的な要素があり、その反動に「青空百景」があり、その延長と断絶の先に「アマチュア・アカデミー」があるのなら、どういうライヴができるだろう、なんて話しながら、「塀の上で」を1曲目に持っていくのはどうだろう、と提案。工業地帯から「アマチュア・アカデミー」を見る。圧倒的な過去から過去を見れば、現在がどう映るかも変わってくるだろう。反対されるかもしれないけど提出するだけしてみよう、となったのだが、採用となって嬉しかった。本番では「G.o.a.P.」「B.B.L.B.」「俺はそんなに馬鹿じゃない」が特にグッとくる。「B.B.L.B.」が終わった後の歓声はやたらと胸に沁みた。そして40年前は車を解体したエンディングでは、オペラを流しても何も壊さない、という演出を選んだ。40年前がどういう時代だったか、私には想像したり、資料を読むことしかできないが、これほど様々なものが壊されてしまった現在、我々が自主的に何かを壊す必要性はもうなくなったのかもしれない、と受け取った。

 

2日

東京蚤の市でライヴ。早起きと雨が身にこたえる。リハーサルで演奏した「ランプトン」がなんだか今の自分にしっくり来た。演奏を終えて、出店を見る。食事も摂る。ミトンの手袋を探していたのだけどいいやつがひとつ見つかった。最近はみんな指先があいたような形のものしかなく、純粋なミトンの手袋、しかも私の手が入るサイズのものはなかなかないのだ。嬉しい。空気公団のライヴをがっつりと見る。「レモンを買おう」で泣きそうになったけど、この日の「きれいだ」は絶品だった。ゆかりさんにもご挨拶。一緒に写真も撮って、物販も買う。古着を見たり、遠くから高野寛さんのライヴを見たり、限界まで楽しんだ。部屋に戻って翌日に控えたナイポレの収録のため、細かい調整&ザ・コレクターズの過去のアルバムを時間の限りもう一度聴き返していく。どうして「ぼくはプリズナー345号」がかけられないんだ、と自分を呪いながらも全体像のためにカットを決意。「わめいて気が済むほど子供じゃない 理くつでごまかせるほど大人でもないんだ この僕は」という詩には、本厚木から30分ぐらいかけてバスに揺られながらあの大学に向かう途中、「ぼくはプリズナー345号」を泣きそうになりながら聴いていた俺がまだいる。

ぼくはプリズナー345号 ‑ by ザ・コレクターズ | Spotify

 

3日

ナイポレ収録は無事終了。余波でコレクターズばかり聴いたらライヴにも行きたくなってきた。

飯を食っていると咀嚼したものが鼻の奥に張り付くようになってしまった。これはなんだ、と思ったらすぐ医者にかかるべきだった。

 

5日

昼、すき家のCM曲のマスタリング。無事納品できてホッとする。夜のスタジオの前に個人練習に入って曲を書こうとするけどうまくいかなかった。

 

8日

フレンズに誘われて大阪でツーマン。久しぶりのシャングリラ。フレンズと対バンするのはすごく久しぶりで2017年の年明けに行われたZeppでのライヴぶりだ。清竜人25奇妙礼太郎さん、フレンズ、スカートという布陣で、お客さんはいっぱいにはもちろんならなかったけど自分にとって大切なライヴだった。狭間の時期だ。その時を一緒に過ごしたフレンズ。音楽的には決して近しいものはないかもしれないけれど、誘ってくれたことが嬉しくてライヴは気合が入った。その当時の曲を多めにセットリストに入れたのもそういう背景(と、ワンマンにも似たようなコンセプトを自分なりにあてがっていて、偶然に一致したというの)があった。フレンズのライヴは衝撃的だった。随分観ていない間にさらにショウ・アップされていた。ただ曲を演奏して、その隙間に入り込んでもらうようなステージをしていた我々とは違い、なんとフレンドリー、なんとアウトゴーイング。昔大森靖子さんが「いい曲書くだけじゃダメだ」というようなことを言っていて、あれから何年も経ったけど、その言葉がどこかに傷をつくり、跡が残ってしまっている。36歳にもなって私はいつまでシャイぶっているんだろう。

 

某日

買い替えた車が届く。当分・かなり・キツい。黄色いNBOX。「朝 目を醒まして最初に考えたことはなに?」

ロールスロイス ‑ by ピチカート・ファイヴ | Spotify

 

10日

新曲をアトモスのミックスも出す、ということが決まってそのサウンドチェック。よくわからない領域の話だからお任せしちゃおうかとも思ったけど結局顔を出した。しかしものすごく難しかった。ものすごく正直に頭を抱えて何度もあーでもない、こーかもしれないなんて言っていくうちに問題だ、と思っていた部分がクリアになっていき、無事に完成。興味深いミックスに仕上がって、聴ける人は聴いてみてほしい。完成して、やっぱり任せなくてよかったのかもしれないけど、モノミックスには立ち会ってステレオミックスは割とお任せだったという1967年までのビートルズの気持ちはちょっとわかった。苦悩したということだけ書き残しておきたい。

電車に乗って高円寺へ。JIROKICHI吾妻光良トリオ+1とのツーマン、というかジョイント・ライヴというべきか。スカートの曲も吾妻光良トリオ+1が勤めてくれる、というスペシャルなライヴ。バッパーズに8ビートの曲なんてあったか!?ないよな!?さあ!どうなる!?とめちゃくちゃ心配だったけど音を合わせていくとバッチリ。特に「君はきっとずっと知らない」は歌ってて泣きそうになった。「CALL」も最初のベースを8分の刻みから全音符にしてもらうなどちょっと工夫するとめちゃくちゃよく仕上がった。想像もしたことなかったけど自分の曲で間奏や後奏がxtime(ソロのために、盛り上がりに応じて同じコード進行を回数を決めず繰り返すといえば伝わるだろうか……)になっていて、密かに感動していた。リハーサルに気をよくした我々は先輩たちの習慣に倣って事前打ち上げに参加する。酒が飲めない私は飲まなかったのだけど、そこでほどよくほぐれていくみなさんをみて、この日ほど酒を飲めないことを憎んだ日はあまりないだろうな、だなんて考えた。「ツェー万(1万)かかっちゃうよ」「いや、他にも費用がかかる。デー万(2万)コースだな」「そりゃエイメン(アーメン)だな」というやりとりに感動する。本番もドがつくほど緊張したけど「サイダーの庭」を演奏し終わったときの充実感が最高。はっきり言って荒い演奏だったかもしれない、でも何度も思い出すような夜にはなった気がする。

終演後、打ち上げで話し込んで、帰り道にも「楽しかった」と何度も言った。最近はライヴの後は「疲れた」か「楽しかった」しか言っていない。歳をとるわけだ。

ライヴで声の調子は良かった方だったのだけど、終演後ちょっと崩れる。明らかに腫れ出している。龍角散を舐めたり多めに水分を取ったりしたのだけど、部屋に着いた頃には唾を飲むのも痛くなり、眠る前にはしんどくなって、熱も出ていた。9年前に倒れた時の教訓として医師と相談し処方してもらっている抗生剤のストックが普段ならあったのに、たまたま切れてしまっていて、部屋にある喉に良さそうなものを全て試して眠りにつく。ここから2週間近く、食事はずっと具をたくさんぶち込んだそばかうどんになる。

 

11日

あまり眠れず、喉は痛くなる一方だし、熱も38度を越え、声もほとんど出なくなった。これはコロナ、インフルかもしれない、と部屋を出て内科にかかる。外に出た時、暑いのか寒いのかもわからず適当な格好をしてしまったが、待ち時間がとにかく長く、しばらく経って「これは寒いんだ」とやっと気がついた。検査をして、結果をきくとどちらも陰性。シンプルな扁桃炎だった。今年二度目だ。でも前回は声が出なくなるほど腫れはしたが、熱までは出なかった。結果に安心はしたのだけど、そのままはしごしようと思っていた耳鼻科の午前の診療に間に合わず、部屋に戻って午後の診療を待とうかと思ったがあまりのだるさにひたすら眠る。それでも熱はどんどんあがっていって、解熱剤を飲んでいるにもかかわらず真夜中には40.1度を記録。少なくともこの10年では一度もないし、人生でも初かもしれない。ひたすらしんどい。

 

12日

耳鼻科にかかる。カメラも入れてもらって現状をいろいろ診てもらう。とにかく声帯は無事。副鼻腔炎とかいろいろ発動していて、声が出てないけどその辺りが良くなればライヴも多分できる、とのことだった。多くの仕事をキャンセルしてしまったが、一安心してひたすら寝て、ひたすらうどんに生姜を入れ続けた。昨晩40.1を記録した熱も、昼過ぎには37.0にまで下がって、体も動くようになる。しかし頭がここにない。ずれている。ともかくバンドのリハーサルはキャンセル。これは……!という曲だけクリックとギターとメロディ弾いてスタジオに送信、ZOOMでスタジオに繋いでもらって簡単な打ち合わせを経て終了。不安だ。夜はまた発熱。

 

13日

延ばしてしまったNICE POP RADIOの収録。話し声はもう全然ダメ、カスカスぐらいのテンションで喋っていたけど、あとで聞いたらそこまで酷い声ではなかった。しかし喘息は悪化。お先真っ暗。

 

14日

yes, mama ok?のリハもキャンセルして安静・静養・耳鼻科にもう一度かかる。声は出るようになったがまだ歌うとなるとまだ制御がうまくいかない。どうしたもんか、と泣きつき、いくつか薬を処方してもらう。「出すか」「止めるか」で2種類薬をもらった。「出す」は出るけどその分、痰がどんどん出ます。「止める」は止まるけどその分、頭がぼーっとします。さあどちらを選ぶべきか。

 

15日

「止める」薬を選択してタワレコでインストア。「3〜4曲でいいんじゃないですかね」と不安そうにみるスタッフを「いや、今夜30分歌い切れないと明日はないっすよ……」といなし、8曲やるつもりでステージにあがったが6曲で切り上げてしまった。声は出る。でもコントロールの部分があまりにも難しい。「ストーリー」がこんなに難しい歌だったのかって久しぶりに思った。13年前にシェルターで弾き語りした日みたいな気持ちが戻ってきた。

youtu.be

帰宅後も声が酷くなることはなく、喉にいいことを全部やって本番に備えることに。

 

16日

昨日より良くなっている。安心する。しかし頭がここにない。ずれている。でもよかった。この数日生きた心地がしなかった。ライヴは一旦中止になったり延期になったりすると別のものになってしまう。それは2020年4月開催予定だった「真説・月光密造の夜」が延期になり、その半年後に開催された時に強く感じたことだった。「Extended Vol.1」が外向きの作品になった分、その反動が今夜のライヴで出せる、と思っていた。5人だけのスカートでやるための11/16。できるんだったらやりたかったのだ。ライヴはうまくいった方だと思う。5曲目ぐらいまで投薬と照明のせいで頭がかなり混乱して1カポの曲なのに曲の途中でカポしてなかった!となって2フレット弾けばよかったのに3フレット弾いたり、歌詞カード見ていて、文字も読んでいるのに、認識しているのに、頭に入っているはずなのに、声に出す段階でなにか齟齬が起こって間違えてしまったりした。録音を聴き返すと、決して万全ではなかったけど、その分丁寧な部分があって、バックステージに戻るとスタッフからはとても良かった、と迎えられた。「ヘロヘロになりながらもなんとか終わったライヴ」ではなく、プラスアルファの何かはたせたような気がした。2時間はやったんじゃないか、と思っていたが、90分ほどのライヴだったらしく、終演後、車を取りに駐車場に向かうとまだHMVが開いていた。普段のライヴだったらもう閉まっちゃっている。なんというか、気持ちが助かった。人もまばらな夜のレコード屋。知らぬ間に傷ついたどこかが癒えていくのを感じる。新入荷だけ見てJoan Baezの「Any Day Now」というレコードのジャケットがなんとも抜けが良くて購入。ボブ・ディランの曲ばかりカヴァーしたレコードで、よくわからない音楽でもあったんだけど、それと同時に、ああ、いまこれを聴きたかったんだ、という部分もあって、自分でも複雑。

Love Is Just A Four-Letter Word ‑ by Joan Baez | Spotify

 

17日

体調がいい。突然コミティアに行くことにした。今回はしばらくお休みしていた成年漫画家rcaさんが新刊を出すというのと、志村貴子さんが「放浪息子」のスピンオフ?と言っていいのか?登場人物、千葉さんと高槻さんのルームシェア本が出る、というのに突き動かされた形になった。行くならいろいろ欲しいものがある。藤本和也さんも新刊出すと言っていたし、川西ノブヒロさんも、タカラさんのスペースも見たい。とにかくコミティアはいいところだ。いつも希望しかない。湯治に行くようなものだろう。紳士なので成年漫画の島から回っていく。最初に立ち寄ったのもrcaさんのところだった。成年漫画はあまり深追いせず。そこからティアズマガジンを片手に興味があるジャンルを中心に端から端まで回っていく。段々と体にコミティアが充満していく。でも何かが足りない気がしてしまった。それが一体何なのかわからない。しばらく見ていくとあらゐけいいちさんのスペースに友人・知人がいっぱい。最高。買えないだろうなと思っていた新刊も買えた。相模さんは百合島かな、と回ってみたけど見つからなくて、ティアマガで調べてみると一棟離れた場所(東7,8ホール)にいる、と知る。東1-6を巡って、7-8ホールに入った途端、「これがコミティアだ」と不思議と思えた。足りないと思っていたものの全てがここにあるような気がした。入ってすぐののもとむむむさんのスペース、つのさめさんのスペースがあって嬉しくなった。端から端まで歩くだけであのサークル、このサークル、あの友人、その友人がいる。「金子朝一来てるらしいよ」と言われると「いつか会えるっしょ」だなんて思える。結局朝一には会えなかったけど、靴下ぬぎ子さんのスペースで買い物しているとイイヤンさんに会えた。そして圧倒的な寂しさが胸に押し寄せる。「Extended Vol.1」や「火をともせ」は配信限定だからここに並べることができないのだ。私はここにいるのに、魂がない。そんな気持ちになった。

車を買ったことから来る金欠のため、買うアイテムをめちゃくちゃ絞ることにしたけどそれでもあっという間に用意した金のほとんどがなくなってしまった。今回は過去いちばんぐらいに会場で声をかけられた。漫画がお好きな澤部さんならいるよね、という人からどうしてここに……という感じの人まで多く声をかけてくださってうれしい〜。さらには本をくださったすこやかあんこう鍋さん、犬の畝のぼるさん、GUTCHさん、リサショのつどいという合同誌をくださった方(お名前失念!申し訳ない!)、あと新刊買ったらおまけで前のやつつけてくれたオベチミミさんもありがとうございます……

家に帰ってしばらく経って川西ノブヒロさんもタカラさんも行くのわすれた、と気がついてしまった。やはり計画的になった方がいい。

80-90-00

某日

作詞に精を出し、部屋の掃除に精を出す。どちらもどうにもならない。諦めずにやっていくんだ、と口にだけ出す。いつかは終わる。

 

某日

部屋でCluts Percussion Ensembleを聴いていたら遠くの方から子供達が声援を送る声が聞こえてきてここが現実なのか現実でないのかわからなくなる。

www.youtube.com

 

5日

高野寛さんとツーマン。数年前に神戸で一緒にライヴをやらせていただいたときは、私も牧村チルドレンの端くれとしてここまで辿り着いたか……と非常に感慨が深かった。その後も何度かご一緒させていただいてすっかりグルーヴが出来上がっているようでとても楽しかった。ゆったりまったりやろうと思っていたけど途中でなんか変な火がついてガーッとやる感じになってしまったのがよかったのか悪かったのか、今でもわからない。ライヴがハネて街に出ると楽器フェアが開催されていてハープとかV-Drumとか触って帰る。V-Drumが家にあったら楽しいだろうな。

 

6日

名古屋で弾き語り。ふらっといってふらっと帰ってきてしまった。とにかく暑い日で、新しく買った長袖のシャツと暑さの相性が悪く、後半は朦朧としながら歌い切った。「波のない夏」歌ってる途中で記憶が飛んだ。A→2A→B→A'→2B→C→Outという構成なのだが、気がついたらCを歌っていて、今までにない経験だったからとても驚いた。もしかしたらA'と2Bを飛ばしたんじゃないかって今でも思ってる。

 

某日

11月10日にある吾妻光良トリオ+1とのライヴのために数日部屋にこもっていろいろ整理していく。レッドクロスの打ち上げて提案された「ゲストの方の演奏を我々がまるっと担当します!」というコンセプトのライヴだそう。こんなに嬉しいことはない!最高!というわけで普段やらないようなカヴァーとかの耳コピをやっていく。ブロッサム・ディアリーの曲なんだけど全然取れない曲があっていろいろ試してあくせくやってようやく形になった。オリジナルの録音は不明瞭すぎて、近年発表されたライヴテイクのいくつかで検証、これでいいかな、というところまで持って行けたが、果たして私は歌えるのか。これはちゃんと練習せねばならない。

 

某日

突然寒くなった。妻と立川のスコーンパーティに行き、色々買っていい思いをした。マリアージュフレールのスコーンやっと食べれて、うれしい☺️

 

12日

大橋裕之監督作品「変哲の竜」のイヴェントで歌う。高円寺のfunny mealというお店。大橋さんは古い付き合いで、2007年池袋ロサでのスカートの初めてのライヴも観てくれているから、かなり古い曲(たとえばショパンとか)を久しぶりに演奏した。大橋さんのリクエストのカヴァーをいくつかやって、後半はお客さんにリクエストを募ってその曲をやるというライヴになった。私は楽しかったけど「果たしてCALLもODDTAXIも波のない夏も地下鉄の揺れるリズムでもやらないライヴでよかったのだろうか……」だなんて考えてしまった。どうやら大丈夫だったようだけどちょっとだけ反省することにした。久しぶりに高円寺を歩いたけれどこんな街だっただろうか。高校生の頃に来た時のあの妙な高揚感はもはやないのかもしれない。数日後、ムーンライダーズのイヴェントで下北沢を歩いた時は不思議とそこまでは思わなかった。何もかもが変わってしまった気がするのに「こんな街だったかな」とはならないのだ。この違いは一体なんだろう。

部屋に戻ってTBSに齧り付く。キングオブコントは今年はどうも事前の感じはノれなかった。うお〜こうなるんだ、というよりも「そりゃそうなるよな」というメンツに思えたからだった。でも今年は妙に忙しくてお笑いのライヴも全然行けていなかったからどうこう思える資格はない。だからちょっと気後れしていたのだけど(もちろんネタの好き嫌いはあるけど)文句なしに楽しめた。特に好きだったのはやはり冨安四発太鼓ということにになってしまうだろう。それにしてもラブレターズの優勝嬉しい。

 

13日

大宮のNACK5へ生放送。大宮に行くのはいつぶりだろうか。記憶が正しければ大学生の時に、ネットサーフィンをしてたらあるレコード屋のブログに「No.1 In Heaven」の入荷の報せがあって、慌てて電話して取り置いてもらって買いに行った時以来だ。近くて遠い、大宮。早めに行ってどこかで飯でも食おうかといろいろ彷徨った結果、てんやですます。てんやは最高。ロイヤルグループはいつも私を満たしてくれる。生放送も無事終了。

 

15日

ムーンライダーズで風知空知。閉店を受けて普段は少数精鋭でやるステージも7人で演奏。普段のライヴとは違ってリハーサルも当日のみ、だからこそ滲み出る凄みみたいなのがあって演奏してて興奮しっぱなしだった。「A FROZEN GIRL, A BOY IN LOVE」とかうねりがすごかったし、「九月の海はクラゲの海」で慶一さんが僕の歌うメロディに対してハモってくれったのなんてちょっと泣きそうになった。楽しい一日だった。

 

16日

小西康陽さんをゲストに迎えてシティポップレイディオの収録。盛り上がってとても楽しい回になる。自分で言うのもアレですけど神回だと思っていただいて大丈夫です。

 

17日

曽我部さんと柴田さんでレコードの日の特番の収録。起きたら集合時間の20分前で布団から這い出てその場でタクシーを配車。運転手さんとこのままタクシー乗っちゃったほうがいいのか、それとも吉祥寺まで出て井の頭線がいいのか協議した結果、井の頭の方が早いという結論に。結果、30分の遅刻で済んだ。マネージャーが気を利かせて(実際に起こっていた)中央線の遅延のせいで、ということにしてくれて私も現場で「いや〜大回りしなくちゃいけなくて大変でした」とか言っていたのだけどその後、というか現在に至るまで良心が痛んでいるので日記にだけでもこのことを残しておきたい。本当にすみませんでした。しかも持ってくるべきレコードを忘れた。撮影のために入ったユニオンで欲しかったレコードがあった。吾妻光良 & The Swingin' Boppersの「Hepcats Jump Again」のアナログ。でも高額盤。しかしプライスカードをよく見ると「レンタル落ち」の表記が。でもよく見るような黄色いステッカーは貼っていなく、さらによく見ると御茶ノ水のジャニスのステッカーが貼ってあったのを見て、思いを巡らす。家から渋谷までタクシーだったらこの値段じゃ済まなかったかもよ、とかなんとか言い聞かせて、私は結局それを購入した。歴史を買ったのだ。これもレコードの醍醐味のひとつ。とかなんとか言っちゃって。収録も楽しく終了。帰り道にケラさんにも遭遇。完璧じゃ〜ん。

ミントのかざぐるま

18日

うまく整備工場と連携は取れたのだが私が動けない一日で父が動いていろいろやってくれた。助かる。

 

19日

整備工場から正式に軽自動車の訃報が入る。父親の乗っていた車を乗り回すクソ放蕩息子という構図ではあったのだが、なにせ24年そばにいたのだ。中学生の時に学校で突然高熱が出てぶっ倒れた時も母はこの車で迎えに来てくれたし、高校生の時に兄を呼び出して学校から借りたコントラバスを無理矢理積んだのもこの車だったし、今の妻と一緒にスパークスを観にフジロックを観に行ったのもこの車なわけだ。数々の現場にも行ったし「ずっとつづく」のMVにも登場している。ああなんて寂しいお別れ。そして車を買わなければならないのか。調子が悪かったこの数ヶ月、お別れの覚悟は少しずつできていたが、痛すぎる出費の覚悟はまだできていなかったようだ。気持ちが暗くなる。そして銀行の口座の残高を見て「人間向いてねえ」と独りごつ。

 

23日

Kaedeさんの生誕祭東京公演。父からグランビア(1996年のものだそうだ)を借りて多い楽器の数に対応、と思ったが、こちらから持っていく楽器はなく(新潟終わりで全部預けた)翌日がレコーディングだったため、事務所がすべて吸い上げてくれてわざわざ車で来る必要がなかったと気がついたのは終演後だった。演奏は今までで一番気持ちよかった。「サイクルズ」がお客さんの湧き方も含めてとても心に刻まれている。万感の思いで「いけない」を演奏した。

 

24日

ポニーキャニオンのスタジオで「SONGS」のカッティング確認。その後夜、レコーディング。疲労がぼんと爆発して終盤ほとんど眠ってしまった。クタクタで部屋に帰って粗大ゴミを捨てた。

 

25日

軽自動車の告別式。積みっぱなしだったあまりに多くの細々したものを回収。最後に「あの世でまた会おうな」と軽自動車に声をかけると整備士さんが「それぞれのパーツはまたリサイクルされますので、なんらかの形で戻ってきますよ」と言う。小粋なことを言うじゃんとも思ったが、思い切った別れにならなくて心の中にさらに大きく穴が開く。

 

27日

ミツメのライヴを観に行く。2012年の2月、シェルターで対バンした時から大ファンのバンドが一度休むというのだ。限られた関係者・友人のバンドマンには伝えられていたようで会場は半ば同窓会のような雰囲気さえあった。ライヴは本当によかった。いい演奏だった。選曲も最高。「会話」や「クラーク」、「幸せな話」といった選曲にも驚き、それにしても「エスパー」って本当にいい曲だよな、としみじみきた。終演後、みんなと話す。みんな晴れやかないい表情をしていた。まおくんに「みんな説得する夢見たんだって?メンバーよりバンドのこと思ってるよ」と笑われてしまった。そう、私はミツメの活動休止を知らされてからずっと考え込んでしまっていて、しまいにはある日、夢を見た。メンバーをひとりひとり訪ねて「さわべくんがそこまでいうんだったら僕たち休むのやめるよ」と言われたところで目が覚めたのだ。しかし晴れやかな気持ちになるいいライヴだった。「トニック・ラブ」のドラムが入ったあの瞬間だったり、「ミツメのテーマ」で3人がコーラスした時とかにつくづく「いいバンドだなあ」って強く思った。

活動休止の話を川辺くんから聞いて、吉田と3人で飯を食いに行った日、寂しくて、話している途中で突然泣きそうになった。どうにか涙を押さえつけたが、そのかわり、一瞬声が濁った。あの時泣き出しちゃっていたら、2人はどんな顔をしていただろう。あの日「でもね、続けるための活動休止だから」といってくれたのが嬉しかった。

 

28日

所沢でライヴ。ハイドパークフェスティバルで知り合った平松くん、Chihanaさんのユニット、エクスキュゼ・モワのライヴにゲスト参加。おなじくハイドパークでお世話になった恭子さん、一緒にステージに立ったペティブーカの奈歩さんにも久しぶりに会えて嬉しい。しかも河村さんからはThey Might Be Giantsのグッズのカタログを頂いた。90年代後半のものだ。リアルタイムであの頃に触れられてるのが羨ましくてたまらない。演奏は上々。

 

29日

ナイポレの収録を終え、妻と高崎にジルベルト・ジルを観に行く。いっぱい聴いてきたわけじゃないしどうしよ〜、ミツメのライヴと被ってたし、なんなら普通にチケットも完売しちゃってたし、でもこれを観ないと後悔しそうだな、と高崎まで足を伸ばす。高崎の駅で降りるのは初めてで少し気持ちが浮つく。駅から続く近代的な歩道を歩いて会場について写真を撮っていたらまおくんに遭遇。さらには夏目くん。なんと野中モモさんまで!嬉しい偶然に胸が熱くなる。ライヴはもちろん最高。音楽って最高。本当に見にきてよかった。あんまりこういうこといいたくないタイプなんだけど、いろんな得体の知れないパワーをもらった気がする。終演後、下手のプレイヤーが弾いていたベースがカッコよかったからメーカーを調べにステージの方まで向かう。スタッフの方がやさしくGianniniというメーカーのものだと教えてくれた。そうすると「勉強熱心だね」と声をかけられ「えへへ……」とかやりすごしていたらミックスナッツハウスの林くんだった。440で一緒に演奏した時以来だから5年ぶりとかかしら。いい音楽がいろんなものを引き寄せてくれたんだな……なんてさらにパワーを追加で受け取る。帰りはグリーン車でおべんとう食べながら帰る。

 

街ではこれがいい

某日

ビルボードで共演するグソクムズと対談。とにかく暑い日でたどり着いただけで汗だくだったのに取材先の部屋もうっすら暑くて近年稀に見る悪いコンディションの写真が撮れた。せつねえ。

夜は鳥居ゼミの打ち合わせ。わいわい話しただけだったけど、中野の駅で降りる、なんて随分久しぶりな気がしてそわそわする。中野は本当によく行った街だった。バンドのリハーサルもある時期までは中野だったし、理由もなく訪れたことだって何度もあったはずだ。ようやく「かつてよく行った街」というのができたのか、と寂しくもなったが、感慨深くもなった。イヴェントはきっといいものになる。

 

8月30日

リハーサル。台風でどうなることかと思ったけどそんなに雨も降らずなんとか開催。車の不調を押して練馬区にファンベルトの超絶キュルキュル音を撒き散らしてリハスタに向かう。途中でボーイを拾い、フリーライヴに向けたリハーサル。久しぶりにやる曲がめっちゃあるわけではないけど、妙に気合がはいるセットリストになった。

 

9月1日

yes, mama ok?でライヴ。YOKOさんも久しぶりの参加、そこに指ドラムでホンジョーさんも参加。僕がはじめてライヴハウスに行った中学三年生のときに観たyes, mama ok?のドラムはホンジョーさんだった。リアルドラムを叩いているのが自分だということに妙な気分になりつつも、本当に楽しいライヴになった。翌日も早かったから早めに帰ってしまったけど終電のギリギリまで本当は居たいような夜だった。

 

2日

ビルボードでグソクムズとライヴ。しかし台風が接近。前日まで車で大阪向かうか?と会議が重ねられたがJRが2日の新幹線は動かす、と発表、半信半疑で東京駅に向かったが新幹線は動いていて無事に大阪着くだけでなんかぐったりしてしまった。藤井隆さんと後藤輝基さんとで行われたツアーぶりのビルボード。グソクムズも堂々としていてかっこよかったし、私は私でよくやれて嬉しかった。東京に戻ってかえぽの生誕祭の練習。

 

某日

かえぽリハ。燃え尽きた。佐久間さんも優介もなおみちさんもときどきかえぽやってるけど私は3年ぶりだ。優介が書いたステージで演奏する前提が全くない曲に苦しめられながらも、いい曲すぎるから結果的にはいい気分になれた。しかし燃え尽きた。

 

Extended Vol.1 ‑「EP」by スカート | Spotify

EPリリース。頼むから聴いてくれい

 

5日

鳥居くんのトークイヴェントに参加。雑談ベースでめちゃくちゃ楽しかった。本当にあと何時間でも話せた。喫茶店行こう。あと私物放出キャンペーンのためにいろいろ探っていたら11年前の月光密造の夜の入場者チェックリストが出てきた。70人近い無断キャンセルがあって頭を抱えた夜の記録である。

 

6日

JK RADIO出演。何度か出させてもらっているけど毎回とんでもなくカロリーを使う。使ったカロリーは補填しなくちゃね!妻と合流してバルバッコアでランチを食べた。動きたくないほど肉と野菜を喰らい、ポール・マッカートニーの写真展を観に行く。これが個人的には結構な衝撃。63年から64年、激動のビートルズの舞台裏を捉えた、ぐらいに思っていたけど、とんでもない、時代そのものを切り取るような瞬間がいくつもあってあまりにもグッときた。飛行機から撮影された、整備士が笑いながらメンバーたちに向かってギターを弾くふりをしている写真は、なんと説明していいのかわからないんだけど、胸に迫って泣きそうになった。この日記書きながら絶対にいらないだろうけどメンバーにポストカードおみやげで買ってたことを思い出した。勢いで渡せたらよかったけど今からとなるとなんだか勇気がいる。夜はNICE POP RADIOの収録。

 

8日

グソクムズとのツーマン。大阪の楽屋でなんとなく「スローバラード」をカヴァーすることが決まった。NHKのCoversに出てから自分の中のカヴァー観がまた変わった気がする。自分ひとりで歌うならあんまり選ばなかった曲だと思う。でもグソクムズと一緒ならやれた。10年ぐらい前、出演したイヴェントのアンコールで「90年代初頭、イギリスのロックの名曲をセッションでやりたい」と言われて、当時の自分のカヴァーに対する姿勢からやりたくなかったんだけど、曖昧な断り方をしてしまい、結果的に歌ったことがあった。あの苦味は今でも忘れがたい。ああならないかちょっとだけ不安だったのだけど拍子抜けするほどにやれた。つくづく私という人間は適当なんだな、と思い知る。ライヴもよかった気がする。「いつかの手紙」をリハーサルでやったらスタッフの人に「今の曲めっちゃいい曲ですね……」って言われて嬉しくなりました。いい曲だよね。

いつかの手紙 ‑ by スカート | Spotify

 

某日

某打ち上げのくじ引きでMg安藤くんがお笑いグッズ詰め合わせセット当てて笑ってしまった。

 

某日

ディーラーではなく、車検とかしてもらってる整備工場に軽自動車を診てもらうことになった。ディーラーには見捨てられたこの軽自動車であったが、どうやらすぐに不調の部分がわかったそうで、簡単な整備でまた乗れるようになった。

 

13日

フリーライヴ。あまりに久しぶり、あまりにいい光景だったから3曲目ぐらいまでちょっとふわふわしてしまった。映像見返したけど勢いあっていい。間違え方も爆発みたいな間違え方してて笑ってしまった。これはこれで個人的には面白いんだけど、1曲目から端正にやれたらもっとよかったかもしれない。思い返せばいい一日。もっと頑張ります。部屋に帰ってナイポレの仕込みの最終調整。

 

14日

ナイポレ収録。

 

15日

部屋で寝る前に明日のKaedeさんのライヴに備えてローカルにリハーサルの音源いれておこう、とiPhonemacに繋げる。iPhoneの容量がいっぱいだからバックアップできませんよ、と言われ、いくつかの写真や音源を消して、それからまた再接続。音源を手動で管理しようとしたらどういうわけか入れていた音楽がほとんど消えた。最初は写真も全部消えてた。こっちはなぜか復元されたけど。ともかくそりゃ無いよ。明日の出発時間と照らし合わせてちょっとでも音楽をローカルに詰めようと試みる。1時間ぐらい格闘したけど、手動で突っ込んでも入っていないファイルがほとんどだった。リハ音源、NICE POP RADIOで特集を組むであろう、と用意していたCHAGE and ASKA、近年ナイポレのために盤起こしした曲はなぜかほとんど入っていたが、他は歯抜けでなんともいえない気持ちで床に着いた。

 

16日

新幹線に乗って新潟へ。久しぶりの高田世界館。Kaedeさんの生誕祭も3年ぶりの開催とあとから数えて驚いた。高田世界館の周りは8年前と印象があまり変わっていない。駐車場の場所は覚えていたけど、8年前はどんなところが楽屋だったかが思い出せない。しかし暑い。8年前の写真を見たら私は長袖で、ズーシミにいたってはちょっとした上着を羽織っていた。どうなってしまったんだ。昼食に絶対行きたい、と中華料理屋上海に向かったが長蛇の列で断念。辛い。近くのスーパーに寄って、セブンにも寄ってアイスを買って食べた。リハーサルは快調。本番もいい具合。佐久間さんに「スウィート・リグレットのソロ、固唾をのんで見守っちゃったよ」と言われて笑った。

 

17日

MVの撮影。直前で1時間でも長く眠れそうだから、と全体行動をキャンセルして、車で千葉まで向かう。遅刻。(全曲シャッフルしてもリハ音源とCHAGE and ASKAとナイポレのために盤起こしした曲ぐらいしか流れないけど)音楽を聴きながら車を運転することがこんなに楽しかったかしら、と軽自動車との迫り来る別れの予感なんてちょっとしかないドライヴに身を委ねる。着いた先は東成田という駅で、かつては成田空港の最寄駅として開業したが1991年に新しく成田空港の駅が開業したことにより名前も役割も奪われ、電車の本数も減り、ホームの数も減ってしまったのだそう。で、今は使われていない3/4番ホームを使っての撮影だった。あまり使われていないということもあって、とにかく暑い。撮影が始まった最初の30分はカットがかかるたびに上着を脱いで一点を見つめることしかできなかった。主演のふたりの瀬戸さんが反対側のホームで振り付けの確認をするために踊っているのが見えたとき、この世のものとは思えない景色でついに死んだんじゃ無いか、って思ったほどだった。現場が慣れてきて、巨大な扇風機が導入されたり、スタイリストさん、メイクさんがハンディファンで煽いでくれたことにより人間性が戻ってきたけど、人生で一番過酷な時間だった、と言ってしまいたい。

人間性は戻ってきたけど、人間の形が戻ってこない。自分の出番の撮影は終わったけど、次の撮影の現場に顔を出すまでに寄り道することにした。適当にレコード屋と入れると「レコちゃんカンパニー酒々井店」と出てきたので、寄ってみたのだけど、出張買取のため臨時休業だった。外観から見るに、レコード屋という感じではなかったけど、一体どんなものがあったのかだけでもみてみたかった。車を走らせていたらたまたまあったゆで太郎で投げつけるようにカツ丼を喰らい、高速に乗る。あまりの西日。先日、「俺、目強いんですよ、あんまり眩しいとかなくてね」とかのたもうていたのに、たまたまダッシュボードに入っていたサングラス(先日の僕とジョルジュのライヴでかけていたやつだった)を探り、かけ、ハードボイルドな気持ちになり、東陽町ダウンタウンレコードで買い物をしてから次の撮影地に向かったのだが、一つ先の撮影地に着いてしまってduolingoをやりながら待った。

撮影されていく映像やその現場をハタから見ていると、どういうわけかいつもと違う気がする。本当に嬉しいよ。こんな当たり前じゃ無いこといつまで続けられるんだろう。

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ゼキさんとすしざんまいに寄って今日を労い、ゼキさんを送って家に着いた。駐車場にバックで入庫しようとしたその瞬間、ボンネットの隙間から煙が上がりだした。今までこんな経験なかったから慌ててしまった。保険会社に電話をかけ、レッカーの手配をして、ちょうど町田の故障車の世話をした帰り道だという近所の整備工の人が来てくれた。ボンネットをあけ、エンジンルームを見て、「あ〜これは多分ラジエーターのパンクですね。ほら、ここがこうなっている、なんにせよレッカーはレッカーだけど幸いここはあなたのご自宅だ、このまま私が今夜レッカーで持っていくよりも、普段見てもらってる整備工場と連携を取り合って明日以降いろいろされた方がいい」とアドバイスをくれて、この日は解散。これが千葉に向かう途中の高速道路でもなく、東京に帰る途中の駐車場に停める瞬間に煙を吐いて倒れるなんて、なんて感謝してもしきれないッスよ……

くたくたになってラジオのコメントを録って眠った。

 

19日

十九人の単独「メイヘム」を観にいく。最後のネタでなんだか泣きそうになった。

 

某日

シティポップレイディオの収録で菊池桃子さんにお会いする。個人的にはうすやま氏がDJでカルロス・トシキ&オメガトライブ菊池桃子さんをかけた2010年あたりにひとつの歪みが生じていてその歪みから湧き出てきたものがいくつもあったので妙に神妙な気持ちになった。めちゃくちゃ楽しく話できました。お楽しみに。

 

22日

ここしかない、とダウ90000の「旅館じゃないんだから」再演を大阪まで観に行く。夜はMVのカラコレがあるので、朝行ってすぐ帰ってくる弾丸旅行だ。日曜日ということもあり、ちょうどいい新幹線は埋まってしまっていたので人生初のグリーン車を取った。爆睡。グリーン車であることのありがたみを頂戴する前に大阪にたどり着いてしまった。それがグリーン車のありがたみなのだろうか。

3年ぶりに観る「旅館じゃないんだから」は最高だった。頭の中でかつてをトレースしながら新しいものにアップデートされていく。でも上書き保存ではなく、3年前の劇場で観たものは観たものとして保存されていた。実に気分がいい体験だった。

劇場の上で北海道展があったからいかめしとザンギだけ買って速攻で東京に戻る新幹線に乗って、品川で降りてMVのカラコレ。マスタリングのような作業だろうか。どこにどう気合が入ったのかわからないが、妙に気合が入った。ゼキさんと五反田まで足を伸ばしてオニヤンマでうどん食って解散。

もちをよこせ

12日

ビッグビューティーのミニイヴェント。ついに一連の動きが終わる。名残惜しさを抱えながらも、軽い打ち合わせでもう爆笑。そんで始まってしまえばラジオの通りの脱線に次ぐ脱線。「中野サンプラザの大きさのなか卯」で大爆笑。いつか放送されるといいですね…… 終わってすぐそばのもうやんカレーで妻、ぴんくさん、ぴんくさんのマネージャーと4人で食事を摂る。オーダーを終えて気がついたが、私が好きなもうやんカレーは昼間のビュッフェにあるほうれん草のカレーなのであった。絶対またビッグビューティーやりたい。

 

某日

昼間シティポップレイディオの収録。言葉が何度か途切れ、時間をかけて言葉を選んだ。そういう回は多分いい回になっているはず。移動してEPのマスタリング。小鐡徹さん、さすがの仕上がり。打ち合わせをしつつ、夕方前に終了。池袋に寄り道して沖縄物産展でもずくを買い、ココナッツでも買い物。中川くんと近況の立ち話。先日のあんずちゃんの原画展で母が「前に学校の友達と原宿のシェーキーズ来たことあったよね。あれ誰とだったっけ?」と訊かれた。「そういえばそんなことがあったような気も。松ちゃんとかかな〜。でもなんで原宿なんて行ったのか思い出せないね」とか話していたのだが、中川くんは最近の私のSNSを見ていてくれたらしく、「昔さ〜、澤部のお母さんとゆず観たあとシェーキーズ行ったよね」というではないか。そうだった。多分「ユズモア」リリース時のツアー、代々木第一体育館でのライヴがハネたあと行ったんだ。記憶のパズルはなんとか納まってくれたのだが、むずがゆい気持ちにもなる。あんなに大好きだったゆずのライヴ、きっと心を弾ませて観に行ったであろうあの日のことの一切を私は忘れてしまっていたのだ。

 

某日

EPに関する取材を一本。酷暑の中、長袖でなんとか汗をかかないように撮影。地獄。でも30分ぐらい外うろうろしていたけどなんとかなった。こまかくあおいでくださった皆様のおかげです。早めに終わったから吉祥寺寄って帰ろう〜とか言ってユニオン見てたら川辺くんから連絡があってこの日、ご飯行こうと約束していたのを忘れてしまっていたと気がついた。さも元から忘れてなかったかのようにふるまい、吉田も誘って、久しぶりにファミレス行こうよ、とサイゼリヤへ行く。お盆の時期といえども、(いや、だからか)混雑していて、先に到着した私は明らかに浮いているように思えた。信じられないぐらい奥まった場所で2人を待ち、閉店近くまで最近あったことを話し込んだ。吉田は先に帰って、川辺くんとなぜか歌舞伎町を少し歩く。10年前の新宿とは全然違うね。話し足りない気持ちもあったけどグッと抑えて電車に乗った。

 

15日

昨日、パ音からマスタリングに対して意見を受け取っていた。その部分を言われるまで全く気が付けなかった。意見というのはシンプルにいうと音圧がもう少しあった方がいいのでは、というもの。スカートのアルバムとしてまとめようとしていたから、先日のマスタリングでオッケーと私は判を押したのだが、パ音のそれはれっきとしたダンスミュージックなのであった。小鐡さんに無理を言って一曲だけ差し替えてもらう。快く引き受けてくれたし、またいいものになった。"Extended Vol.1"9/4、配信開始です。

夜はカクバリズムの夏祭り。オールボーもmei eharaさんも最高だし、社長とのバック・トゥ・バックも最高だったけど、キセルがとにかく素晴らしすぎた。2度泣いた。「ベガ」で泣くのはわかる。しかしこの日私が泣いたのは「二度も死ねない」だった。豪文さんがドラムを叩き、友晴さんがベースを弾く。ギターはオケ!ぎこちなさとも違う、絶妙なグルーヴで音楽が紡がれることに猛烈に感動したのだ。そして8月15日にこの歌を聴くというその意味。

二度も死ねない ‑ by キセル | Spotify

 

16日

台風近づく東京。

昼過ぎ、ナイポレ収録。ベース始まりで、と選曲を進めたのだが、何周かして引き出しの手前にあった曲ばかりになってしまったけど、うまくまとまった気もする。

夜、yes, mama ok?のリハーサルに向かう。部屋を出ても大した天気でもなく、なんなら傘すら必要じゃなかった覚えがある。これなら大したことないな、と人もまばらな上りの電車で「つるばらつるばら」を読む。15年以上前の私が「もう私に向けられたものではないかもしれない」と思った理由もわかる。それでも鮮やかに曖昧に私の心は揺れる。表題作を読み終える頃、乗り換えの駅で顔をあげたらこの世の終わりみたいな空の色だった。セピア色の街だ。恵比寿で降りるとやや天気が悪い程度。スタジオに着く。ドラム叩くのも久しぶりになってしまって感覚を戻す気持ちで頑張った。ホンジョーさんと一緒にやるのは初めてで、これまたいい具合。次のリハーサル、本番が楽しみ。9/1、ロックンロール中学校の美術準備室で待ってるぜ。

スタジオを出るとひどい雨。でもここからさらにリハーサル。翌日に控えた「SUMMER SONIC 2024」、PUNPEEさんのステージに参加するからそれのためのちょっとした確認のため、別のスタジオに向かう。地下鉄を降りると雨も止んでいて、高速道路の隙間からはいわゆる有名な「ジンライムのようなお月様」も見えた。確認も超スムーズに済む。PUNPEEさんからの提案でカヴァーすることになったフィッシュマンズの「BABY BLUE」も気持ちよく決まった。しかし、体にこびりついているぐらいに思っていた歌だったのに、いざギターを弾きながら歌ってみると、また違ったギアに入る。歌おうとしても歌詞が曖昧になってしまうのだ。何度も聴いて、頭の中でもあれほど反芻してきた曲なのに、その頭の中にあるものを頭の外に出そうとすると違った形になってしまっていたのだ。不思議な体験だった。単純に自分以外が聴くことを想定しないで歌っていただけかもしれないけど。慌てて歌詞をチェックする。そうだった。これがこう。消えてから浮かぶ。うんうん。で、そして次はこの言葉。「今にも僕は泣きそうだよ」。

 

17日

夕方までぼんやり過ごす。さすがに緊張するけど同じ幕張でも不思議と(以前PUNPEEさんに招かれゲスト出演した、幕張メッセでの大きなイヴェント)POP YOURSの時よりも気分は落ち着いている。調子の悪い車(ワゴンR)に「ごめんね」と声をかけ、千葉に向かった。ドライヴは好調。車降りると海沿いだから多少の涼を期待したのだがクソ暑いだけだった。あっという間に移動、あっという間にステージ横。海辺のステージだったが、暑さに加えて潮風のベタつきが加算されてなかなかの歯応え。しかし、PUNPEEさんのステージが始まりさえすればそんなバッド・コンディションも吹き飛ぶ。ステージ脇から慎重にチラチラ見る。どれぐらい人がいるか把握できない。ステージ上手に向かうスロープのすぐ横は浜辺で、視認できない夜の海はこんなに怖いものなのか、と怯えた。PUNPEEさんに呼び込まれ、ステージに出ていくと埋め尽くす人!人!人! 「ODDTAXI」のパフォーマンスも上手くいって、「BABY BLUE」が始まった。PUNPEEさんが「サマー・シンフォニー」をキックして、私が歌い出した途端に花火があがった。そして光に遅れて音が鳴り出し、観客も気がついて歓声が上がった。なんという景色だろう。まず、大勢の人がいる。それは残念だけどスカートでは見たことのない景色だ。そこに花火まであがった。私はその景色から様々なものを受け取った。今起きてることを受け止め切れるかギリギリだ、これ、って思ったのだけど、この感覚はこないがの松本伊代さんの「NEW ERA...」もそうだし、いつぞやの風呂入っている時に真夜中のFENから流れてきた「ONCE IN A LIFETIME」もそうだ。あとあれだよ、ちょっと長くなるけど書きます。あれは2015年の慶一さんのライヴにゲストで出演した時、私はトーベヤンソン・ニューヨークのライヴもあったのでリハーサルをアンコールのリハーサルまでは出れず、自分の出番の最小限だけで済ませてしまっていたのでした。実際の本番、アンコールで私は矢部さんと幸宏さんのドラムセットの間に立っていました。曲は(優介アレンジの!これも重要!)「エイト・メロディーズ」。私は賑やかなコーラス隊の一員だったのだが、矢部さんと幸宏さんが同じフィルインを叩き出したあの瞬間。あらゆるプラスの感情があの一瞬に過入力を起こしたので、最後の例はちょっと違うかもしれないけど、ともかく、そういうご褒美としか言えない瞬間。自分が努力して、努力して手に入れたものは本当に素晴らしい。ねうちのあるものだよ。私にだってその成果を愛おしげに眺めることだってある。でもこういう瞬間にはどうしたって勝てない。

 

18日

仕事が終わらない。でもどうにもならない。思い切ってパソコン音楽クラブのワンマンに出かけた。開演時間を間違えててちょっと遅れちゃったけどDTMスペシャリストのカードも買えた。夢見たいな光景だった。音楽も映像もお客さんも全てがハマっていた。そしてTBちゃん(tofubeats氏)から「最後、映像が川辺くんとパソコン音楽クラブの2人を3人3分割で並べてチャーリーズ・エンジェルみたいにするらしいですよ」と耳打ちされ、そいつはヴァイラル・モーメント!!と思ったが、実行されずふたりで肩を落とした。

 

19日

昼は仕事。近くのファミレスに向かうと冷房が壊れたため新規入店ができない、という。なんとなく西荻窪に出て今野書店。お店に入って胸いっぱいに本の匂いを吸い込み、漫画を数冊買う。それから高架下のサイゼリヤに向かった。ノートを開くが怖いほど何も思い浮かばない。漫画を読んだりして3時間ほど経った頃、諦めがついた。今日はダメです。部屋に戻って妻とトリプルファイヤーを観に出かける。序盤から中盤の感じ、なんだろう、なんだろう、って思っていたんだけど、高校生とか大学生の頃に読んだレイ・ブラッドベリの手触りだ、と気づいて空恐ろしい気分になる。なんてバンド。しかし、(後で気がついたのだが)これはなんてことはない、「下半身モヤモヤ・みぞおちワクワク・頭クラクラ」(細野さんが提唱したリズム・メロディ・コンセプトの三本柱)なのであった!!!やってくれるぜトリプルファイヤー!今まで「EXTRA」が出て、これがトリプルファイヤーの「リメイン・イン・ライト」だと考えていた。しかし、今日のライヴを観たら、もしかしたら「EXTRA 」は「フィアー・オブ・ミュージック」なのかもしれない、なんて思うようになった。まだ来ない未来は明るい。世界を照らせトリプルファイヤー!

EXTRA ‑「Album」by トリプルファイヤー | Spotify

 

 

 

 

もちがほしい

31日

 

吾妻光良さんと牧裕さんのデュオとツーマン。外は大雨だったそうだ。吾妻さんはかつて大宴会in南会津というイヴェントで一緒になって、その時にはじめて生のパフォーマンスを観て驚愕、いつかご一緒したい、と思っていたが、7年経ってそれが叶った。自分の演奏を終えて、ステージの隅でドリンクを飲みながら楽しむ。時には笑いながら、時にはグッと来ながら。グラスの氷が溶ける音が手の中で広がり、吾妻さんは歌う。最高の夜になった。打ち上げで大宴会の話が出た。あの日のことはわずかにしか覚えていない。楽屋がコテージだったこと。転換中にすごくかっこいい曲が流れて、慌ててShazamしたらミルトン・ナシメントの"Gran Circo"だったこと。真城さんとカジさんが居たこと。当日に入って、当日に帰った記憶もぼんやりとあったが、とにかくそれらに加えて、吾妻光良さんのパフォーマンスが最高だったこと。他のことは覚えていなかった。どうやって行ったのか、なぜ一泊しなかったのか、話しながら、検索しながら、少しずつ思い出してきた。そうだった、ミツメもいたんだった、2017年の出演だった、日付は9月17日だったのか。それでも南会津まで行って日帰りだった理由がわからなく、当時のスケジュールを確認してみると前後に予定があって、メジャーデビュー直前の慌ただしさの最中だったとわかった。こんな私でもメジャーデビューは忙しくさせてもらって、ものすごく楽しかった反面、その、ものすごく大変だった。見事に消耗して、20/20のツアーが始まるころには、ストレスで呼吸がうまくできず(吸っても入っていかないという感じだったといえばいいのだろうか)思うように歌えなくて悔しい思いをした。状況的にはものすごくいい方向に行くワクワクと、ひもはいくつも伸びてるようにも見えるが、そのどれから来ているかすらわからないストレスの両方で情緒が完全におかしくなっていた時期で、そりゃミツメがいたことすら覚えていなかったわけだ。そんな中で吾妻さんのステージを観たことが自分にとってどれほど大きかったか。そんな吾妻さんとようやくご一緒できて嬉しい。牧さんも相当なブロッサム・ディアリーファンで、ダフォディルが〜フォンタナが〜とか言い合って本当に楽しい一日になった。

 

8月1日

 

ビッグビューティー最後の収録。感慨はあるが達成感はない。生産性は全くなかったと思う。でも、心の底から本当に楽しかった。本当のことを言うとツーマンもミニイヴェントもあるからまだまだ実感はなかったけど。とにかくぴんくさんには感謝しかない。こんな番組ほかにはあんまりない気もする。

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この番組の初回の収録が終わった後、「あぁ、そうか、あまりうまくいかなくて大学の非常階段でガラスの仮面読んでた頃の私は、松本くんに「我々もお笑い芸人目指さない?」と誘われるのを待ってたのかもしれない」と気がついた。私は結局、夢だったミュージシャンになれたし、松本くんも夢だったテレビマンになれて、それぞれのとんでもない地平で活動ができている。これ以上望むものはないけれど、あったかもしれない道にも思いを馳せたのだった。最終回を経て、とんでもないご褒美のような仕事だったな、と改めて感じた。

収録が盛り上がって押してしまい次の仕事に遅れた。失恋の歌をうたい、油淋鶏食って帰る。

 

3日

原宿まで「化け猫あんずちゃん」の原画展、いましろ先生と大橋裕之先生のトークショーを観に行く。このイベントが発表された時、原作ファンの母に教えると大変喜んで、すぐに予約していた。あまりに暑い都会を歩き、会場のペニーレインにつくと、母もちょうど着いたところだった。あんずちゃんは大学生の時にバイト先の南天堂で買って、あまりに最高なので母に貸したらそれきり戻ってこなかった。私も母のレコードを勝手に持ち出して、棚に並べ、なんなら母のもののはずなのに「泰安洋行」にサインまでいただいてしまったのだから、ひとつも文句はない。

前の席に座っていた母に声をかけようとした時、私は母をなんて呼んでいた、呼んでいるのか、まったくわからなくなった。「おかあさん」といつまで呼んだか、「サヨちゃん」と言ったこともあったが人前では呼んだことないよな、と考えを巡らせ、結局「ねえチョット」と声をかけた。

 

5日

ぴんくさんとのツーマン、東京公演。大爆発!最高!脳汁出まくりあっという間の3時間。弾き語りでの「静かな夜がいい」はいい意味で頭打ち、完成し切ったと思っていたけど柴田さんとの磔磔でのライヴからまた一皮むけ、このツアーでさらに開けた。ぴんくさんのおかげ。終演後、サインしてる時に2人ほど「最後の漫談も嘘なんですか……?」と訊かれていて、それが本当に最高だった。「図工」と言う漫談だったのだけど、その直後に「君はきっとずっと知らない」をやるのが今年のエンディングだった。自分でも不思議なほどに自然と収まった感覚があったから、もし「図工」の漫談が本当の話に聞こえたことに、自分の歌が僅かにでもかかったのならこれほどうれしいことなない。

https://youtu.be/GwVgo6U3zVc?si=hV7XF8rwL8WBumq4

 

6日

ゼキさんと打ち合わせ。遅刻。

 

7,8日

久しぶりに稼働がない!うれしい!一日中だらだらNICE POP RADIOの選曲したり、書き物の仕事したり、掃除して、Apexして適当に過ごす。この日、気合いを入れたら終わったはずの仕事もあったが、一旦これでいい。この間、車が本格的に調子悪くなっていく。慌てて以前もらった自動車のパンフに目を通す。200万ぐらいかかりそうなんだけど。貯金ゼロおじさんの明日はどっちだ。

 

11日

車の調子が怪しいから車に乗らずリハ。汗だく。この日は優介だけ都合つかず4人でライヴのセットリスト考えた。雑談で吾妻さんとツーマンしたよ、と報告すると、あの日のことは佐久間さんの方が全然覚えていた。よく覚えてますね!そんなこと!と衝撃を受けたが、何を覚えていて衝撃を受けたのか忘れてしまった。車で来ていたなおみちさんは帰宅したけどボーイと佐久間さんと3人で適当な中華料理屋に入り、閉店時間まで談笑。『ババ・オライリー』の歌詞の解釈の話になって、なんだかいいね〜いい歳の取り方しているんじゃないの、と思ったところで、果たしてこれは本当にいい歳の取り方なのだろうか、一瞬不安になったが、結局のところ楽しい。

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