幻燈日記帳

認める・認めない

貸出記録

19日

新曲が発表になる。これほど嬉しいことはない。我々はいつだって多くの人がこの曲を聴いてくれることを期待しながら生きています。「君はきっとずっと知らない」、名曲だと思います。Gm7-5、C、C7っていう冒頭の進行がキマっている。バンドインした時の気持ちよさ半端ない。シンプルなリズムの曲だからデモで入れたベースほとんど身動き取れなかったのになおみちさんはそこを華麗に潜り抜け素敵なベースラインを書いてくれたよ。デモだと冒頭はリズムボックスだけだったけどボーイがギロ入れてくれたことにより、ただそれだけなのに多層的になったのも見逃せない。僕の前に出るギターの感じとと佐久間さんのタイム感の気持ちよさ、あとはもう優介のウーリッツァー。終盤の切ない感じは優介にしか出せない気持ちよさです。聴いてくれ!!

 

スカート - 君はきっとずっと知らない [Official Music Video] - YouTube

 

21日

恵比寿のBATICAのお笑い+音楽のイヴェントに出演。タイムテーブルもらった時はみたい芸人たくさんいる!あそこからあそこまでは絶対みたいな〜って思っていたけどいざ始まってみると人多過ぎてみるのを諦めた。そして居場所もないのでスタジオで曲作りでもしようか、と検索すると部屋が空くのは1時間後だそうだ。時間を潰すため、喫茶店を探して入る。入ってみると結構な混雑、人気店なんだな〜なんて思ってなんとなく列に並んだところ喫煙可の店だと気づき退散しようと思った矢先、席が空いてしまって席が用意されてしまった。私はどうにもタバコが苦手なのだ。しまった、と思ったがここで断れてたら俺はもっと出世していただろう。気がつくと相席の横長のソファーにちんまりと座っていた。憧れていたけど自分には合わない世界だから、と距離を取ってしまった世界がいくつかある。たとえば、病的に顔が覚えられないということから映画・ドラマを諦め、そして喫煙文化と切っても離せない喫茶店を諦めた。スタジオの時間まで文庫本をめくり、煙に耐え、オーダーしたパフェを食べ終わってあっという間に出てしまった。駅の反対側まで歩いてスタジオに入り作曲。うまく行かね〜〜〜〜ってやっていたらふっと曲ができて一安心。安堵の中、弾き語りをスタッフに送信する。

ライヴは3曲演奏した。「CALL」「君はきっとずっと知らない」「ODDTAXI」。楽しかったのだけど、いったいどういう気持ちになれば良かったんだろう。ふふふ。前にグレイモヤに出た時のよりもずっと夢みたいで不思議な夜だった。

 

22-30

深夜だったり夕方だったりのスタジオに入ってひたすら曲書き。ときどき仕事。

 

27日

群馬で弾き語り。マネージャーが家まで迎えにきてくれたから「行って帰って」があっけなくて笑ってしまった。群馬でのライヴは8年ぶりだそうだ。前回はバンドだったけど今回はひとり。駅前にある駄菓子屋みたいなところでねじられたゼリーを20年ぶりぐらいに食べた。こんな味だったっけな。花に囲まれたステージで、親密な空気のいいライヴができた気がする。イヴェント自体がずっといい雰囲気で、お店のなかにあった大きな暖炉が忘れられない。

 

30日

「ひらやすみ」MV公開。スカートは「君に会いに行こう」という新曲を添えております。これもまたいい曲なんだ〜〜 自分が歌うより他の人に歌ってもらおうと思ったのは曲がフォーキー路線になり、自分で歌うと作品どうこうよりも「真造くんと私」になってしまいそうだ、と考えたからでした。井上さんはVIVAヤングでの対バンで知り合えたバンドで、あの日のライヴもレコードもすごく良かったからオファーを快諾してもらえて嬉しかった。録音はフォーキーでありながらいわゆる超エイトビートな感じとそこから引っ張るようなニュアンス(リンゴ・スターっぽいといえば伝わる人には伝わるだろうか)が同居していてその感じが気に入っています。阿佐ヶ谷は大叔母が住んでいた街で子供の頃、何度か出かけたことがあるし、19歳ぐらいの頃にミックスナッツハウスの林さんと遊んだ街でもあり、rojiもあるし、lilmagのモモさんとは納品ついでによくgionにも行った、実に思い出深いのです。そこにスカート活動初期に知り合えた真造くんまで絡んでくるからさあ大変。「ひらやすみ」的なものもそうだけど、どうにか西荻窪に住んでいた友人の家から帰る時に交差点から見えた中央線の高架のあの感じを曲に落とせないか、とあくせくして、それがうまくいったような気もする。聴いてくれ〜〜〜〜〜

『ひらやすみ』×『スカート』コラボPV - 阿佐ヶ谷篇 - YouTube

 

 

5月1日

元マネージャーの結婚パーティだった。パーティは得意じゃない。過去に友人の結婚パーティでコミュニケーションの不全が大爆発を起こしたことがあって(パーフェクト・ワールド - 幻燈日記帳)そのトラウマがあったのだけど、意を決して出席して「君がいるなら」「花束にかえて」「愛のメモリー」の3曲を歌った。いいパーティだった。お幸せに!

 

2日

レコード店勤務でお世話になっていた田中さんと風知空知で再会して、その流れでDJパーティに呼んでもらった。にぎやかな店内で私はとても嬉しい気持ちでいた。途中で着いてしまったのだけどドリアンさんのDJも、自分のDJも楽しく、カレーも美味しくいい一日。 Kashifさんも来てくれたけどあんまり話せなかったのだけが心残り。

 

3日

新曲!発売!最高!「波のない夏 feat. adieu」名曲です。映画の印象的なラストカットに目掛けて最初の音をどう鳴らすか、ということから作曲を始めました。そして「萌歌さんが歌ってくれたら最高だよな……」と思いながら作曲、打診、快諾だったのでもうその時点で最高なわけです。それでレコーディング始まってみたらもう最高の連続。オープンのハイハットとボンゴでぶっ進むビート感、なおみちさんのベースラインはいつだって最高だね、ベースなのに浮力がある。そして優介のサビでの地に足つくかつかないかギリギリのフレージング、レコーディングの直前に思いついて来ていただいた金剛地武志さんのギターも最高。ありもしないあの夏が音楽の中で立ち上るのは金剛地さんのフィードバックによるものだと思います。私の歌もいい具合だしなにより萌歌さんがいい……気軽に言いたい言葉じゃないけど浄化されましたね……魂が……一生聴いてほしい曲ができましたので一生聴いてください。

 

波のない夏 ‑ 曲・歌詞:スカート, adieu | Spotify

 

4日-7日

作詞強化。1曲分しか終わらず。

 

9日

ビッグビューティー初回収録。めちゃくちゃ楽しくやれた。どうなるんだろう、っていう不安も大きかったのだけど、いざ収録が回ったらただただ楽しいだけ。最高。

#1 天国の商店街 - ビッグビューティー(スカート澤部×街裏ぴんく) | Podcast on Spotify

夜はかが屋の単独を観にいく。これがとんでもなかった。かが屋はずっと面白いけど、この日は面白いということが面白過ぎてずっと面白い。私はBlu-rayの購入を決意しましたが配信もあるので観た方がいい。5/25からです。

https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=2417830&rlsCd=001

見つめるちから

4月1日

ゼキさんと焼肉を食う。

 

2日

珍しく積極的に人と会う日が続いていて、川辺くんとトリプルファイヤーで飯を食いに行った。あまりに楽しく、酒を飲んでこなかった人生だったからこういう夜をいくつ取りこぼしてきたんだろう、と寂しくなった。

 

3日

ダウ90000の単独ライヴを観終わったゼキさんを車に乗せて馴染みのファミレスで閉店まで語らう。あそこのあれがああだったよね!なんて話し合うのは楽しい!という当たり前の感情に落ち着く。ドラゴンボールとかスラムダンクとか読んでおけば、エヴァとかたけし映画とか観ていたら、と人生を振り返り、いくつそういう会話を取りこぼしてきたんだろう、と寂しくなった。

 

6日

下北沢THREEで生活の設計と砂の壁と対バン。砂の壁はあゆくんから教えてもらって聴いていたけどライヴが良かった。そうそう、ライヴってCDにおさまらない何かがあって、それが目先の言葉でおさまらない何かだったよね、経験を積むとその何かが「熱量」とか名前が決められていってしまうけど、そうならないものがあったのが良かった。

私は最後に機材費を払ったライヴが下北沢THREEだったからその思いが乗ったライヴになったと思う。あの頃、本当に傷ついてもうライヴをやめてしまおう、これからはスタジオバンドになるんだ、と決意を書いた日記がずっと下書きにあったのだけど、はてなダイアリーはてなブログに移行したときのどさくさに消えてしまった。時々思い出しては読んで、ダメージを受けるぐらい生々しいその日記、世の中に出さなくてよかったけどこうしてもうあの時の気持ちが具体的に残っていないのは寂しいよね。

生活の設計のライヴはPICOの「I LOVE YOU」のカヴァーが最高に決まっていた。最近発表された「キャロライン」はあらゆる過去の集合体から現在の街をつくってそこから未来を見るような曲で、胸が熱くなる。最後のメロディが大好きなフリッパーズを引用していてそこがグッとくる。

Sending to your Heart / 恋してるとか好きだとか (Remastered 2006) ‑ by Flipper's Guitar | Spotify

 

某日

しばらく曲書きの毎日。ゼキさんとアンドウくんと3人で飯を食った。

 

10日

シマダ選手権。物販には8062年のカレンダーが販売されていた。これは優介のライヴのあと、王将キメてるときにボーイが「カレンダー作りたいんですけど余ったら売れなくなるじゃないですか」と言っていたのを佐久間さんが「先のカレンダー売ったらいいんじゃないの?」と言い出し私が「凄すぎる発想だよ。今まで未来を売ったケースは多くはない。あってもいつかくる未来に追い越される。しかもその未来は遠くない未来だ。さらに、それは誰も未来を買ったことがないということでもある。でも未来のカレンダーを作ればそれが達成される。何千年も先の未来を印刷物という形で提供できるなんて信じられない。これは希望でもある。私は猛烈に感動している」と捲し立て、製作されたカレンダーはそんなに売れなかったらしいです。責任を感じるのでみなさん物販で見かけたら買ってください。

 

11日

ひらやすみの7巻が発売される。すぐ本屋にいって買ったのだけど自分の顔がこう印刷されているのは、なんというか照れる。

 

12日

喉に違和感があり医者にかかる。見た目はなんともないのだけど心配だったのでカメラを入れてもらうと、見事に声帯がむくんでいた。明後日からの関西行脚がどうなってしまうのか。緊急の薬は処方する、とりあえず1錠で様子を見て、だめだ、と思ったら2錠、しかしもし三日連続で服用してしまうようなことがあれば本当は来院して欲しいけど無理そうだからともかく絶対に電話はください、とにかく安静にしたまえ、というので自宅でやるべき仕事をキャンセルして薬膳的なものを食べてデトックスを試みたり、白湯にマヌカハニー溶かしたり、あらゆる方法で自分をセーブ、なんか怖い薬も飲んで不安の中眠りについた。

 

13日

起きて喉に違和感はさほどないので1錠追加。悪くはなっていないようだ。安心した。部屋の外へ出ると寒いぐらいだった。天気予報を見ると数日の間は暑いぐらいのはずだったのだけど、天気予報なんて当てにならないからな、とジャケットを羽織る。磔磔でエレキの弾き語りもしたくてギター2本持って部屋を出た。東京駅までは妻がついてきてくれたが、新幹線の改札入って以降、あまりの人、あまりの荷物でうまく進めず目の前で新幹線が行ってしまった。マネージャーに連絡をして、遅刻を詫びる。次にきた便の自由席にいい感じに落ち着けた頃、買っていた万カツサンド開封すると末吉だった。バンドではじめて北海道に行った2016年、用意されたぐだぐだの行程で飛行機に乗れなかった過去があるのだけど、その時も諦めの万カツサンドが末吉だったことを思い出す。万カツサンドだけは俺の未来を見ている気がする。しかし、2016年も行程は最悪だったけどライヴは盛り上がったしいい思い出にはなっている。そうなればいいのだ。

Duolingo捗る道中を経て大阪に着く。遅刻して着いたがてんしばは開放感あるいい公園。お客さんもいっぱいいて嬉しい。この2日間、歌うことをセーブしていたから実際に蓋を開けてみないと自分の喉がどういう状態なのかわからなかったけどうまいこと行きそうな気がした。初めて聞く人も多いだろうから、フレンドリーな選曲にして、本当にやりたかった曲はリハーサルに逃した。春、公園といえば「離れて暮らす二人のために」なのだ。

本番は絶好調〜〜〜とまではいかないものの、快調に終えた。大阪で歌う「視界良好」は格別です。終演後にたべたこんにゃくの唐揚げ、新感覚で良かった。

ホテルの部屋にはいってドカッと眠る。目が覚めて夜中、外に出る。天王寺公園を彷徨く。静かな夜です。池があり、緑があり、ときどき人とすれ違う。昼間の喧騒とはまったく真逆の世界で楽しかった。しばらく歩いてラーメン屋に入る。チャーハンに卵焼きととびっこが乗ったむちゃくちゃなサイドメニューが最高としか言いようがなかった。部屋に戻り、わざわざ持ってきたマヌカハニーを白湯に溶かして飲んで、直でも舐めてから眠る。

 

14日

喉は相変わらずだが、悪くはなっていない。安心して薬の服用はやめた。テレビをつけると納骨堂のCMにテツandトモさんが出ていた。最高。ホテルのそばのカレー屋でカレーを食べて移動開始。この日はα-stationでナイポレの収録。終わってマネージャーアンドウくんと二人で、何年も行くたび休みだったりもう受付終わっちゃってたりしていけなかった肉なべの店に落ち着くことができた。うまい。アンドウくんはセンマイが好きだということがわかった。部屋に戻ってマヌカハニーをホテルに忘れたと気がついて電話をするが見つからないとのこと。きっと捨てられてしまったんだろう。あと4000円分ぐらいはあっただろうに。少し落ち込む。

 

15日

喉は前日と同様。ひとまず安堵。早く目が覚めてしまったがお腹がすいたので空いている店を探す。最近オープンした店があるというので向かう。丸太町の駅の少し手前、ふらっと歩いていたけど見落としそうになるようなお店で、汁そばみたいな感じといえばわかるだろうか、ミスドの飲茶のめっちゃおいしいやつで最高の朝食になった。

10時チェックアウトのところを11時まで延長して部屋でダラダラしてゆっくり身支度してから京都の街を歩いた。最近できたというフェイスレコードを見ていたら最高のディスコ・ミュージックがかかりだして慌てる。ディスプレイされたレコードには女の子が3人写っている。穂口雄右さんとも、筒美京平さんとも、馬飼野康二さんとも、林哲司さんとも、船山基紀さんとも違う気合いの入ったディスコ歌謡でクラクラする。最高すぎる。A面4曲目のサビが衝撃的すぎて「これください」とついにレジに告げた。その後、ホテルの部屋でクレジット確認したら大村雅朗さんの名前と宮川泰さんの名前があってのけぞる。どちらもあまりディスコのイメージがなかったから新鮮に響いたのかもしれない。B面は船山さんの名前も穂口さんの名前もあったがA面の衝撃と言ったらないぜ……

磔磔に入り、リハーサル。いつもはすっと終わらせてしまうけど念入りめにやっていたらあっという間に時間が来てしまった。柴田さんとのセッションのリハーサルも楽しく終わる。スカートを名乗る私が「あなたはあなた」を歌うことの意味よ!

ラジオの公開収録で柴田さんの特大エモエピソードが飛び出し、盛り上がって公開収録は終了。柴田さんのライヴもYAMAHAのCPを効果的に使った素晴らしいライヴだった。「雑感」がなんかとんでもない飛距離でこちらに向かってくる感じがあってあれはなんだったのだろう、と今でも考えている。

終演後、いただいた差し入れを柴田さんと食べる。お互いの様子を伺いながらおはぎを2つずつ食べた。おいしいものを食べた時に眉間に皺がよることを「真実の眉間」というんだ、と教わる。ガビンさんが差し入れてくれたおはぎも、小堺さんからいただいた桜餅も最高。京都愛してる。

私のライヴも昨日よりかは調子良くやれて胸を撫で下ろす。「静かな夜がいい」はいい意味でもう頭打ちだったライヴでのパフォーマンスにさらに加速がついた感じがした。何度もやるのも大切なんだなあ、って実感する。打ち上げも軽やかに楽しく夜が更けた。夜の京都の裏道をみんなで歩いている時に「もう一年ずっとこの気候がいいな」というと柴田さんが同意してくれた。そういう夜だった。

 

16日

大阪・神戸でプロモーション。前から気になっていた中華料理屋に向かってみるといっぱいで入れなかった。くやしい。たこ焼きだけ道中で押さえて南森町へ。FM802では新曲の初OAをしてもらい、楽屋のようなスペースでみんなと話す。今日は神戸終わりだからもう神戸に泊まっちゃおうかって思っているんだよ。と話すと「それなら!今夜どこかプロモーション組めるかトライします!」と言ってくれる。どうやら忙しいと思ってくれててセーブしてくれていたようだ。確かに忙しい。締め切りを4日過ぎた私がここにいるのだ。でもせっかくこうやっているのだから逃げて養生して先に向かいたいのも本当だ。神戸はKISSFMに向かって、タクシーが思っていた場所に向かっていないことを不審に思うと移転したのだそうだ。前回出た時は2020年の3月。「駆ける」のプロモーションだった。信じられないぐらい閑散とした神戸ではもうなかった。

今夜あるかもしれない追加の収録に備え、大阪に向かった。電車に乗ってしばらくした頃、明日の収録になったと連絡が入る。そういうこともある、仕方ない、と昼行って空いてなかった中華料理屋に行ってみると予約で満席になっていた。この絶望をどうやって乗り越えるべきか、とスタッフと話し合ったところ、焼肉を食べるしかない、という話に落ち着いた。

私は焼肉屋で神戸の宿を押さえ、そのまま逆戻り。どうしてここまで神戸に固執したのか。収録系で神戸で終わるということが稀だったこともあり、気持ちが神戸になっていた、とか理由はいくつかあるが集約されていくのは「神戸在住」という漫画が好きだから、ということだ。私が今のように漫画を読むようになった決定打が「神戸在住」で、数年前に御影ロマンスというイヴェントに出演した際は「桂が父親とフレンチディナーキメた街じゃん……」と嬉しくなり、夜は霧深い北野の街を意味もなくうろついたりしている。真夜中の神戸に降り立ってホームでマスク外して空気を吸い込む。ここが神戸か。静かな感動が押し寄せた。

 

17日

朝起きてテレビをつけたら「ラヴィット!」でちょうど坂道系のアイドルの女の子がビリビリイスに処されたその瞬間だったからきっといい一日になるんだろうな、って思った。

神戸旅行記はコラムで書こうとオモウッス

果樹園ごっこ

13日

マーライオンに呼び出されてPodcastの収録。マーライオンはいつもまめに連絡をくれて、既読スルーをしてもそれでも連絡をくれる。マーライオンとのここ13年ぐらいを思い返してみる。彼が作った音楽どうこうでいうと実は思い入れはほぼない。ラップアルバムを出した時には驚いた。一曲目の最初のリリックが「俺は悪いマーライオン」だったから再生を止めた。でも「ばらアイス」がレコードで出た時は「これが店頭に並んでいるというのは私の人生でもある」という気がしてほぼ発売日に買った。ニューアルバムに入っていた「花屋で待ち合わせ」という曲はそのタイトルと詩は実に奇妙だ。「花屋で待ち合わせ 君に似合う花を買いに行く」となっている。待ち合わせの場所が花屋であり、その待ち合わせた先で君に似合う花を買いに行く、となっている。恋人のために花を買いに行くのに待ち合わせなどするな、花ぐらい一人で買え、という気持ちと、どんなことでも二人でやるのは素敵なことかもしれないね、ということがないまぜになり、あまり感じたことのない気持ちになったのだ。マーライオンPodcast出演しました。

マーライオンのにやにやRadio | Podcast on Spotify

 

17日

僕とジョルジュのリハーサル。レコーディングぶりに演奏するもんだから戸惑うかと思いきや意外とすんなり済んだ。哀しいことにこの哀しい音楽が身体に入ってしまっている。ということか。

04/10(Wed) 鶴岡龍 / トリプルファイヤー / 僕とジョルジュ(スカート・姫乃たま) ×シマダボーイズ / Fullface | SCHEDULE | Shibuya WWW - WWW X

 

19日

ラジオの収録を終え、映画音楽の最終チェックへ。作業が終わってすぐ次の作業だったから感慨に耽る間もなかったからようやくその手のものが押し寄せてきた。

 

21日

深夜、MVの撮影。部屋から1時間もかからないところで撮られたMVはないはずなので、撮影場所が家から比較的近くて気持ちが楽だった。音楽のやり場のない気持ちが映像になっていくようで気分がいい。

 

某日

実家に顔を出す。パンダコパンダ展で宮城に行った際、老犬の介護から解放されてジョジョ狂いのタガが外れた母から「むかでやに行って買い物をして吉良吉影の「ボタン付け代」の領収書をもらってきてくれ」という依頼を受け、もらっていたのを渡しに行ったのだ。借りてた「銀河の死なない子供たち」も返却。LINEでも近況として聞いていたが、最近はジョジョのノベライズから乙一さんにハマり、この数ヶ月で15冊読破し、会田誠さんの絵画に興味津々なんだそうだ。乙一さんが流行っている時にターゲットになっていた世代だったからどうしても手を出しづらい作家になってしまうんだけど「乙一は半径1mの世界だけを描いている。これは何かっていうとレイ・ブラッドベリとかとおんなじなの」と言っていて、なるほどそれなら、とも思うわけだが、多分読むのはだいぶ先になるだろう。

 

29日

キネマ倶楽部にsorayaのライヴを見にいった。山手線が遅れてしまったため、最初の方が少し欠けてしまったが素晴らしいライヴだった。ポップ・ミュージックの妙な手触りの新しい冒険。曲が終わって、メロンソーダを飲んで、冷たさが全身に駆け巡ったあと「レコード」という曲が始まった。人生に何度か訪れる完璧な瞬間だった。キネマ倶楽部では2017年にも完璧な瞬間が訪れたことがあった。カーネーションのライヴだった。矢部浩志さんのドラムが完全にキマっちゃってて、フィルインが入るたびに隣で見ていた優介と目を合わせて感動していたのだ。その日の日記、絶対書いてると思っていたのだけど書いていなくて驚く。あまりに感動した我々は乗り換えの新宿の改札口でハグして別れたことは書き残しておきたい。

 

30日

作曲が捗らず、掃除が捗る。意を決して深夜、スタジオに入り形が整い始めたころにギターの弦が切れた。もう終わりにして部屋に戻った。作りかけの曲は悪くはない、でももっと良くなる。でもどうすれば、何が足りない、と考えていたら頭が起きてしまって、体は疲れているのに眠れなくなってしまった。再ダウンロードしてしまっていたApexに手をかける。気が済むまで負けた頃には夜が明けていた。おれはダメ人間だよ。

 

 

 

 

ぱん・ぱか・ぱん

2月20日

ラジオの収録を終え、銀座で手土産を買う。今日はダウ90000のライヴと優介のライヴがあるのだ。なにかいい感じの手土産を、お菓子を買ってから六本木に向かう。ライヴはチュートリアルさんとの合同ライヴ。個人的にお笑いを好きになったのは遅かったからチュートリアルさんのネタは多く見ていなかったのだけど、わずかに見ただけの私でも強烈にチュートリアルだとわかる記名性がネタの随所にありゾッとするぐらいに面白かった。楽屋に挨拶に行っても結局「最高だったよ〜〜〜」としか言えないことへのもどかしさも抱えているがそうとしか言えないその気持ちも大切にはしたい。が、もうちょっと言葉にできるようにもなりたい。

夜は佐藤優介のライヴを目撃。めちゃくちゃカッコよかった。「このまま打ち上げとかしないでレコーディング・スタジオ入った方がいいよ」と訳わからないことを口走るぐらいよかった。佐久間さんがノイズ担当でいろいろ出していたんだけどその中で加工されまくってなんだかわからないけどかつて人の声だった何かが聞こえてきた瞬間、ゾっとした。後で聞いたら過去に私も参加した「友蔵」でも使用したたけしのヴォイス・サンプルだってさ!

 

21日

歌の録音。私はハモりに回り、ゲストに来てもらってメロディをがっつり歌ってもらった。ぼんやりとしていた輪郭がはっきりとして、そういう表情にもなるんだ、と驚く。軽い打ち上げも盛り上がってうれしい。翌日そのままミックス。いい仕上がり。

 

24日

ムーンライダーズのイヴェントに参加する。ファンクラブイヴェントでミニライヴ。お客さんもぎゅうぎゅうだったからピアノに背中がつく立ち位置だった。慶一さんがピアノを弾くたびに音の振動が背中にぶつかってくる。その感覚たるや!「大寒町」は宗像さんがアップされてるのでお好きな方は観た方がいい。

https://twitter.com/munekata/status/1761330727659168141/video/1

慶一さんがビートニクスのポスターにサインを入れててその時に自分のサインの下に「with Y.T.」といれてて泣きそうになり、サニーデイ・サービスの詩を思い出す。「君がいないことは君がいることだなぁ」。私がそう思えるのはきっとずいぶん先だろうし、もしかしたら来ないかもしれない。来なかったらその歌を一生胸に抱いていくだけだ。

 

26日

ふらっと入った家系ラーメン屋の米が人生ワーストを更新。あまりにも辛い。すべてのやる気が削がれる。

 

某日

同業のInstagramを見ながら暗い気持ちになる。その人はイスラエルパレスチナを巡る問題について細かく追っていて、普段から見ていて考え方の参考にもしていた。どういうことが起きているのか知ると心が砕けそうになってしまうから見ないようにして自分を守ってしまっている私にとっては不意打ちで浴びせられない限り遮断してしまっていたことだから知るきっかけのひとつになっていた。しかしある日「失望している、どうして同業の人たちは声をあげないんだ」と書いているのを見て、「それは私の心がさまざまな古傷や生傷からもうズタボロになっていて、これ以上ヒビが入ったら日々の暮らしや仕事ができなくなるからなんだよ」と返信することもできず、ただただ悶々とする毎日をしばらく送った。これだけじゃなく、別のぐんにゃりすることもあって実際数日の間はろくに制作もこなせず部屋を掃除するだけの1週間になった。

 

3月4日

田渕ひさ子さんとのツーマンのコメンタリー収録。赤坂のスタジオに向かったのだがメールをよく見ていなかったから「ああ、この名前のスタジオだったな。何階だろう」と集合ポストを見てみると5階と書かれていたので階段でのぼったが誰も来ている様子はなかった。階段に腰をおろし暮れかける街を見る。10分ぐらい経っても誰も来ないのでおかしいな、と思っていたらスタジオは1階だった。遅刻していた。改めてこの日のライヴを観たけど、ドキュメンタリーとしていい仕上がりだった気がします。絶対観てほしい。

Great Hunting Night Vol. 79|eContent・イーコンテンツ

 

6日

宗像さんが書いた慶一さんの本の出版イヴェントに出席。優介から「こないだ差し入れでくれたお菓子めちゃくちゃおいしかったんですけど。なんていうお店なの?」と言われ無性に嬉しくなっちゃった。

 

7日

マスタリングに向かう。今回も小鐡さんにお願いする。仕上がりはやはりバッチリ。「君はきっとずっと知らない」と「波のない夏 feat. adieu」の2曲をマスタリングしてもらったんだけど、これらの曲まじで大好き。早く聴いてもらいたい。

 

9日

街裏ぴんく氏R1優勝。これほどめでたいことはない。妻と泣いて喜ぶ。

 

10日

おしゃれロックでDJ。私の心の師であるうすやま氏もブッキングされていてアガった。うすやま氏と岸野さんと並んで話す。直接的/間接的に人生をめちゃくちゃにしていただいたふたりだ。そのふたりを前にぼんやり話しながら、街裏ぴんく氏が優勝したこの世界でなら、私はもっとやれるのではないか?と考えが渦巻いていく。POP YOURSで打ちのめされたあの日のような気分にだんだんとなっていた。

この日はシークレットゲストに林以樂さんが決定していて、岸野さんの粋な計らいにより一緒に演奏することになった。演奏する曲が届いたのは前日、譜面も歌本スタイルのものだけなのに決まり事が多くてなかなかにキョーレツだったがとても楽しかった。川本さんとやる時みたいな無茶ブリから発火していくあの感じがあった。

 

12日

奇妙礼太郎さんとのライヴ。リハが巻いたのでタワレコで買い物をする。クーポンあるかな、と確認しようとしたら「オンラインのオーダーならポイント20%還元」と買いてあり、手に持っていたレコードを棚に戻し、その場でオンラインのオーダーを済ませた。もちろん罪悪感があまりにまとわりつくため、CDやレコードを少し買ってライヴハウスに戻った。ここに入荷されたレコードを手に取って棚に戻した私のこと。私が棚に戻したレコードのこと。あらゆることがぐるぐると巡っていく。消費者としての最善の選択が人間として美しくない気がしてしまう。この乖離は一体なんなんだ。

この日はお客さんもたくさん入って嬉しい。2部構成のライヴとのことだったので、エレキとアコギのどちらも持って行った。特殊なライヴのため、曲順を決めた。一箇所どうにもハマらない場所がありマネージャーA氏に意見を求めると「3と33」をやるのはどうかと薦められる。もともと決めていた曲にするか、そちらにするかギリギリまで迷ったが結局「3と33」を演奏した。演奏中は自分に入り込むような曲すぎて失敗したかも、と思ったが終演後声をかけられるとこの曲のタイトルが出てきて少し安堵する。奇妙さんのステージも軽妙でかっこよかった。自分ももっとカヴァーを身軽にやれたらいいな。

 

13日

マーライオンPodcastにゲスト出演。マーライオンは私に持っていない力を持っている。それはマメに連絡するという人間力だ。

 

某日

朝起きて2時間ぐらいやってしまうApexをSwitchからアンインストールした。やっと決断できた。しかしこの強烈な依存からどう抜ければいい?とPS4を起動してパワプロのサクセススペシャルをやろうとしたら昨年末でサーヴィス終了していたことがわかった。痛みをもってして痛みを得たような気分だ。

 

某日

「そもそも音楽家がいなければ音楽評論家は存在しません」という書き出しの記事を読んだ。とにかく不愉快だった。FBで和久井光司さんが「ビートルズのオリジナル・モノ持ってないやつは語る資格なし」とおっしゃっていた。とにかく不愉快だった。

東京滑車倶楽部

1月22日

自宅作業

 

23日

自宅作業、夜はラジオ出演。Tokyo FMのRoomie Roomieという番組で、パーソナリティは野呂佳代さん。地元がめちゃくちゃ近くて大盛り上がりした。楽しい時間であっという間。弾き語りは「期待と予感」。歌えば歌うほど好きになる。

眉村ちあきさんにもお会いすることができた。体調を崩している従姉妹が大ファンなので一緒に撮った写真を送った。子供の頃いろんな迷惑をかけたと今になって思うけど母方の従姉妹にはいろんなものを見せてもらった。険しい道だと聞いたけれど少しでも元気になってほしい。

 

24日

夕方、金麦新CMのミックスチェック。いい仕上がりになった。コチンニヴァースに寄ってカレーをテイクアウトして帰る。通り道にある小さな本屋に都度都度寄るがどこにもダンピアのおいしい冒険の最終巻が置いていないから最終的に吉祥寺まで出て漫画を買い込んで部屋に戻る。しかし、年明け以降の忙しさから部屋の汚さは過去最高に達している今、部屋で漫画を読む気にはなかなかなれないが、カレーは本当においしい。

 

25日

レコーディング。とんでもない締切の案件だったためリハーサルに入ることができず、ゼロリハでの録音。しかしいい曲が書けた。金剛地さんにもギターを演奏してもらって、仕上がりは最高。ライヴ感あって瑞々しい。コロナ禍以降ずっと考えているけど、どうやってバンドをやっていたんだろう。リハーサルやって休憩の合間に無駄話がしたいだけなのかもしれない。

 

27日

広島で弾き語りライヴ。正直集客をものすごく心配していた。7割入ってくれたら最高なんだけど……!最高なんだけど……!(それさえも危ういのでは)とか話していたらほぼ満席。いい弾みがついた。演奏もいい調子。「期待と予感」がやっと自分のものになった気がした。しかし反省をするならばせめて最初の3曲ぐらいまではセットリスト決めたほうがいいということだ。緊張して立ち上がりが遅れた。打ち上げも含め、素晴らしい夜になった。連れて行ってくださったお好み焼きの店はパーフェクトな店で、ソースをかけなくても楽しくおいしく食べることができた。もともとソースとあまり相性が良くないみたいで、ソースがかかったものを食べるとソースの味しかしなくなるタイプの人間なのでこれは本当に嬉しい出会いだった。打ち上げで人生ベスト漫画の話が出る。「神戸在住」か「菫画報」、いまたまたま読み返してて持ってきてる「この娘うります!」あたりかなーなんて話す。どれも20歳になる前に出会った漫画だ。人生のベストとなるとそうなってしまう。松永さんから「トランスルーセント」の話が出て久しぶりに読み返したくなった。

 

28日

昼過ぎまで広島を堪能。マネージャーA氏と目をつけていた天津飯をキめる。天津麺に天津飯小だったが、小のサイズじゃなくて笑いながら食べた。マネージャーと別れて広島の街を適当に歩く。すると古本市が開催されているのが見えた。呼ばれてるぜ〜と近づいて行ったその角度に菫画報の全巻セットが置いてあってカルマを感じた。もちろん購入。路面電車に乗ってGroovin'で買い物してマネージャーと落ち合い福岡に向かった。

 

福岡の港のすぐそばの施設で開催された風と街音楽祭は手作り感も相まってすごくいい雰囲気だった。aldo van eyck観たかった。自分のライヴもものすごく悩んで楽曲よりもギターと歌が前に出るものばかり選んだ。昨日の反省を生かして事前に曲順は組んだ。これはこれであり。TENDOUJIはいつどんなところで見ても最高。こんなにチャーミングなバンドは他にはないよ。ヨシダくんは「長い声のネコ」の魔法陣のタトゥーが入っている。これだけ伝えたらそのチャーミングさをわかってくれる人も少なくないはずだ。

 

29日

この日は2本だけラジオ出演。なんて贅沢なプロモーション。夕方からなので昼間は福岡を巡る。宿を出てダコメッカで家に持って帰る用のパン買って、地下鉄に乗った。知らない街の公共交通機関はいつだってグッとくる。ハイダルに向かう道が下り坂でその景色が妙に懐かしい。無事にカレーにありつき、グルーヴィンで数枚買ってそのまま開店時間の13時に田口商店に向かうが今日も開いていなかった。ボトムラインにたどり着いてこちらでも最高の収穫。時間が余ったので引き返してアマムダコタンも寄ってみたのだが全てのパンは売り切れていて、隣のカフェスペースで茶をしばきながらぼんやりとする。荷物をとりにホテルに戻り、そこからラジオに出て無事終了。

 

31日

歌録り。いつもと違うめちゃ広いスタジオ。いろいろな巡り合わせでここになったのだがここに来るのも久しぶりでまた来れると思ってなかったから嬉しい。仕上がりは最高です。春にかけていくつか新曲聴いてもらえる機会がありそうですが、どれもすごくいい……

 

2月1日

昨日歌録りした曲、この日までにタイトルを決めてくれと言われていた。タイトルを決めるのは得意ではない。これ!と胸を張って言える事柄を歌うことはあまり多くないのだ。歌詞の中から取れる時と取れない時があって今回は取れない。物語の表面に浮かんでるものの要素をいくつかつまみあげて小麦粉つけて卵液くぐらせてパン粉つけたものをいくつか候補として出してスタッフのみんなに意見もらってようやく油で揚がって皿に盛られたのはこの2日後。

夜、ASH & Dの事務所ライヴに行く。事務所ライヴに行った経験がそんなにないので雰囲気が普段行くライヴと違ってそういう意味でも面白かった。

 

4日

田渕ひさ子さんとツーマン。そのうち配信あります。是非見て。この日のことはいつかちゃんと書く。

 

5日

ミックスチェック。雪が降るなか、スタジオに向かう。いつもは使わないバス、初めて乗るバスで環七を走った。不思議な気持ちになった。スタジオは暖房の調子が悪いらしくときどき音もなく止まる。足からじんわりと冷えていき、暖房が止まったんだと気づく。その繰り返しだった。ミックスは最高の仕上がり。帰りにギリギリ開いてたラーメン屋にみんなで行くことに。強くなる雪、べちょべちょになった歩道を歩く。葛西さんやスタッフは気づかずにすいすいと歩いて行ってしまったが私はどうにも歩きづらく時間がかかっていた。みんなが気づかずに遠くにいってしまうのがひどく心細かった。

安藤マネとタクシーを相乗りして環七を北上、高円寺まで出た。ホームに向かうと人は少なく、まぎれもない静かな夜だった。森雅之さんの漫画で見たような雪の日は人生にまだない。あんな夜を私はずっと待ち望んでいる。

 

某日

しばらく作詞の日々。

 

10日

仕事が早く終わったから台風クラブとTENDOUJIのライヴを観に行った。仕事していたのが中野坂上だったから微妙にアクセスしづらく、地下鉄とバスを乗り継いで新代田に向かった。環七を走っているとよく妻が「新代田行きの……バス……!?」というのだが、そのバスに乗った。夕暮れ時の環七を走るバスはどことなくブルージーで、ライヴに向かう楽しい気持ちでなかったら私はどうやって吊り革に掴まっていただろうか。

ライヴは両アクト最高だった。ヤマさんを前にして「最高だった……うん、そうとしか言えないね」としか言えなかった。たまたま仕事が早く終わって、台風クラブとTENDOUJIがライヴをやっていて、当日券がある。こんなに素晴らしい条件が揃ったなんて、感覚だけで言うと奇跡のようなものだった。

 

14日

妻と宮城へ向かった。パンダコパンダ展が石巻で開催中だというのだ。私の心の映画の一本、パンダコパンダの展なのだから行かねばなるまい。しかし昨年からやっていたというのにあっという間に会期も後半になってしまっていた。仙台にとったホテルの部屋でひとつ打ち合わせを済ませてそれぞれが行きたいところへ行く。妻は百貨店、私はレコード屋。行ってみたかったVolume One (Version)を訪れる。お店はひっそりとしていて、照明のひとつが切れかかっていて、棚にはレコードがほとんどない。一体どうしたと言うんだ、と店内を見渡す。いわゆる普通のレコード屋にある棚の仕切りに1枚ずつレコードがある状態。しかしその1枚1枚がなんというか強い。明確な意志を感じるセレクトだった。店主の方がとても驚いていたように話しかけてくれた。話を聞くと最近お店に来た若いお客さんにスカートとミツメのスプリットを勧めたら買ってくれた、と言うものだった。この円環、この循環、私が望んだものが起こっていた。本当に嬉しかった。店主との会話も弾みレコードを3枚、GUIROのCDも買った。夕食はラヴィット!ファンにはマーボー指輪でお馴染みの竹竹さんで。私はマーボー焼きそば、妻は汁なしマーボー坦々麺。確かにマーボー焼きそばは最高だったけど、その最高を突き抜けたのが汁なしマーボー坦々麺だった。優勝でした。

フジテレビの黒木さんの訃報を受け取った。社長は葬儀の詳細とか後ほど送るね、なんて言ってくれた。私が行ってももいいんだろうか。なんて考えていたがその後社長からの連絡は来なく、葬儀はどうやら無事に終わったらしいということをあまたの有名人の参列を報じるゴシップ記事で知った。

インディーシーンでやってるだけだった私にSMAP×SMAPの特別編のBGMで声をかけてくれたこと、本当に嬉しかった。ある日、暇を持て余して入った有楽町の地下の喫茶店でたまたま会ったのもとても印象に残っている。PARKSという音楽番組にも誘ってくれた。あれは本当にいい番組でそのうちきっと掘り返されてより強く評価されていくと思っている。そしてなにより、病室から指示をしたというハイドパークフェスティバル。(私は結局完成形を!観れていないのだが!)岡田徹を失ったばかりのあの日のムーンライダーズの演奏が映像に残って、それを誰かが観ていた、ということが私にとってどれほど大切なことだったか!ああ黒木さん。そう伝えたかった。伝えればよかった。もっと話がしたかった。

 

15日

レンタカーを借りて石巻に向かう。パンダコパンダ展は小規模なものだった。東京から来てこれか〜とも思ったのもしょうじきなところだが、しかし見たことなかった設定画とかもあって満たされました。

道の駅寄って買い物して、タバコを吸いに行った妻を待つ車で電話を受ける。高田書房だ。きっと何か新しいいい入荷の知らせだろう、と電話をとると「今日で閉店なんです」という。あるのっぴきならない事情で閉店することになったそうだ。高田書房は私が高校の頃から通っている大切な店。店があるうちに一度の挨拶も出来ずに閉店してしまうのはあまりにも惜しい。

仙台に戻る。レコードライブラリーではRieber Hovdeのレコードが買えた。なーんか探してるレコードが必ずあるのがレコードライブラリーだよホントに。

藤崎という百貨店に行ったのだけど古いのに上品な本当に素敵な場所だった。子供の頃の近所のダイエーがいまもあの感覚であったならこうあってほしい。私は密かに感動していた。

 

某日

ナイポレの収録。高田書房の閉店の知らせを受けて急遽、高田書房で買ったレコードたちで構成した1時間になった。真正面にボールを投げていく。勢い任せの収録になってしまった。今年に入ってから多いなこのパターン。そしてその勢い任せはいい方向に転がることもあるにはあるのだが、今回最後のシメ方を私は逃げてしまったのではないか、と感じている。閉店してしまったレコード屋への感謝、音楽そのものへの感謝をある一曲の一節に託した。いい感じには聞こえるかもしれない。しかし私の考える円環。それをもっと言葉にしなければならなかったのではないか。これからそれをずっと考えていく。

 

17日

ツチカさんが原作のアニメーション映画「北極百貨店のコンシェルジュさん」の打ち上げに向かう。時間を間違えて持て余してしまったと家を出た後に気がついて吉祥寺まで歩いて向かっていたのだがあまりに完璧な曇天。夕暮れのない夕方。ただただ夜になる前段階であるその様に圧倒され、感動して、こんな天気の日にバスにすら乗らないような人間になった覚えはない、と進路を大きい通りに変えてバス停を目指す。がらんとしたバスの後ろの方の席に座って、ただただ街が流れていく。そういう景色を思い描いていたのだが、バスに乗ってみると窓から見えた外はもうただの夜になってしまっていた。

打ち上げは美しいものだった。会場に入った瞬間、こりゃいかん、お呼びでない!と直感したが(TB(tofubeats)ちゃん(氏)は来れなかったけど)ツチカさんともちろんを見つけてからはずっと楽しかった。門外漢だったからかもしれない。もちろんからアニメの話をいろいろ聞けたのも収穫だった。

渋谷の駅まで3人で向かったあの感じが胸に残っている。

アイム・スティール・ウェイティング

7日

グレイモヤβを観にいく。凄まじいグルーヴに圧倒される。おおいに刺激を受け、夜中作曲をしにスタジオへ。いい曲ができる。

 

9日

ラジオの収録のあと、歩いて四谷へ出てカツ丼を食べ、ギリギリのギリで免許の更新を済ませた。更新を済ませて新宿の街を歩く。たまに行っていたエロ本屋はもうなくなっていて、2店舗あったが、どちらも飲食店になっていた。とらのあなの跡地は焼肉屋になっているそうだ。私の性欲に似た何かがこの街でまだ蠢いているのに、それはもう私のものではない気がする。私はこれを寂しいと言えるのだろうか。

 

10日

ゼキさんと妻で焼肉新年会からのロイホ新年会。

 

某日

ひたすら作曲、作詞の日々。あれをやったらこれが来る。が一日3時間Apexをやるのもザラだ。バランスが取れない。アンインストールしてしまおうか、と年明けからずっと思っているのだがやはり勇気が出ない。

 

17日

松本素生さん、磯部正文さんとスリーマン。特濃な組み合わせでそれに見合ったライヴができた気がする。磯部さんが震災にしっかり向き合っていて自分の小物さを思い知る。一緒にシェアハウスしていた友達が観にきてくれたのが嬉しかった。終演後、物販に座っていると昔から聞いてくれてた人が声をかけてくれてその流れでMySpaceにアップしていた曲の話になって自分でもそれを聴きたくなってしまった。2011年にアップしたやつだろうか、それは「だれかれ」という曲のデモで、なーんか気持ち悪いアレンジだったということだけ覚えていた。MySpaceはもう影はあっても形はないサーヴィス。そこから生まれた物語がいくつもあったサーヴィスなのにもう誰も覚えていない。

 

20日

ストップ・メイキング・センスのスタンディング試写会でDJ。深夜イヴェント。カーネーションのライヴを諦め、部屋でレコードを取っ替え引っ替え見ていく。家を出る5時間前にようやくテーマが決まった。トーキング・ヘッズが活動していた期間に発表されたレコードで構成する、というものだった。実際の上映は本当に素晴らしく、「Swamp」以外はずっと踊りまくっていた気がする。そして自分のDJもとても気持ちよくやれた。普段はもっとニッチで斜に構えた感じなのだけど、この日ばかりはそうはいかず、でも好きな音楽が大きい音でかかるというのがこんなに楽しいのか、と実感できた。(途中、音が大きすぎてグロッキーになった時間もあったけど……)

 

21日

踊り狂って家に着いたのは5時だっただろうか6時だっただろうか。このまま眠ってしまいたかったが数年前から寒暖差アレルギーが出るようになってしまい、冬には家を出る前にシャワーが浴びれない体になってしまっているから這ってでもシャワーを浴び、束の間眠った。

葛西さんのイベント、ユーバランス。あまりに寝ていなさすぎて佐藤優介の本番が終わったあとビデオボックスにたどり着いた。普段だったら借りないようなAVをレンタルするだけして一応再生だけして2畳ほどの部屋でそのままスコーンと眠る。起きたらもちろんAVもタイトル画面に戻っていて、虚しさが心に杭を打つ。テレビに変えると震災のニュース。被災地の受験生の話題だった。高校受験のために生まれた街を離れ、集団避難する、という内容だった。その中で、女の子がヘヴィな避難生活には邪魔だから、と髪を切った、という話題が一瞬だけ差し込まれた。私の心はぐしゃぐしゃになってしまい涙が込み上げてきた。私にはその子の髪のながさがどれぐらいだったか、と想像することしかできない。私は本当に無力だ。やはり1月1日の時点でしっかりと向き合うべきだった。たとえ心が内に向こうが向き合うべきだったのかもしれない。想像すらできていなかった痛みが痛みを通り越したものとして私の体に入ってきた時、それをどう処理するべきなのだろうか。時間がなんとかしてくれるのか?音楽がなんとかしてくれるのか?金銭がなんとかしてくれただろうか。行動が手を差し伸べてくれただろうか。

人混みの渋谷を歩く。通り過ぎた若者が楽しそうに話していて、余計に混乱した。混乱した頭と、シンプルな寝不足からライヴは緊張感のあるものになった。この日、一緒に演奏するゴンドウさんはリハーサルが終わった頃からもう飲んでいて、きっと本番の頃には酔っ払ってどうにもならないだろうな、とうっすら思っていたが本当にその通りになって笑ってしまった。最高だった。そういう全てが組み合わさって「静かな夜がいい」に着地できたことは、嬉しい。

 

 

 

さしみず同盟

16日

ムーンライダーズのイヴェントに参加。80年代を中心としたトークと数曲ライヴ。私は翌日が命日だったかしぶちさんの「二十世紀鋼鉄の男」と「狂ったバカンス」をセレクト。大袈裟にいうと博文さんが選んだ「ウルフはウルフ」がなんかすごい切れ味になっていて演奏していて腰を抜かしそうになる。ムーンライダーズって本当にすごい。底がしれない。

 

18日-20日

ムーンライダーズのリハーサル。最初のリハーサルの頃は本当に緊張しすぎて自律神経おかしくなっていたけどようやく体が慣れてきたのか、ここ最近のリハーサルは変にならない。ひとつの進歩だろうか。「ロシアンレゲエ」をこれから合わせようという時に、各々音を出していたら博文さんが笑いながら「懐かしすぎて泣いちゃうかもしれない」と言っていたのがとても印象に残っている。

20日の夜、リハーサルが早く終わったのでシンリズムくんが招待してくれたKIRINJIのライヴを観にいく。遅刻しそうだったけどなんとか一曲目に間に合った。リズムくんがサポートで参加しているのが本当に誇らしい。そしてなんて素晴らしいバンド。あれだけ上手いメンバー集めて全くサーカスにならず、ただただ音楽であり、歌であり、言葉である、という事実に打ち震え胸が熱くなった。アンコールで「千年紀末に降る雪は」が演奏されて驚いた。クリスマスも近かったから「クリスマスソングをなにか」は聴けるかな〜とか思っていたらこれだ。(多くある解釈だろうからちょっと恥ずかしいんだけど)おそらく第三者の視点から次の1000年後か、はたまたそのさらに1000年後か、形骸化したサンタクロースの孤独が描かれていくのだが、後半、突然目線が切り替わ(ったように私は捉えている)り「知らない街のホテルで静かに食事」と歌われる。あの圧倒的な描写。ただそれだけの描写である。でもその描写のかなしさと言ったら。この日の演奏は、レコードの中からその孤独が目の前に飛び出してきたように思えるほどで、涙が溢れた。帰り道、「千年紀末に降る雪は」を思い出して時々涙が出た。これは数日続いた。

 

21日

作曲。

 

22日

締切当日、息も絶え絶え提出。

 

23日

22日に提出としたのは聞こえはいいかもしれないが、実際は23日に日付が変わって提出している。デモを清書するにあたって聞き返すと、いい曲なんだけど果たして作品にあっているかどうか怪しくなってきてもう1曲作ることにした。真夜中にまたスタジオに向かう。自分の中に斉藤哲夫さんが降りてこないか、と車を停めてギターを背負ってスタジオへ続く道、誰も歩いていない道を歩きながら「ねえ岡田さん助けてくれヨォ」と呟き、「バイバイ・グッドバイ・サラバイ」のピアノに想いを馳せた。思った通りのものにはならなかったがいい曲はかけた。

 

24日

2曲分のデモを先方に送って反応を見ることに。束の間肩の荷がおりて心の底からM1を楽しんだ。ママタルトは最高のものを見せてくれたし、トム・ブラウンはこれ以上続いたらおかしくなっちゃう、と向こう側に突き落とされた。笑いすぎて頭が曖昧になっていってそこにさらに追い打ちをかけるようにわからなくなっていく、あの時間の素晴らしさよ。本戦もみんな面白かった。みんなおもしろかったからこそ真空ジェシカの5位も悔やまれる。あれだけ面白いのに点数取れないの?と思っていた1年前や2年前とはなにかが少し違う。それがいいことなのか、どこかボタンを掛け違えてしまったような感覚なのか自分ではまだ判断がついていない。

 

25日

ムーンライダーズ最終リハーサル。いままで4日まとめてガッとはいるのがライダーズのリハの通例だったが今回は3日+1日と飛び石でのリハ日程となった。通しリハぐらいの予定がまた新しいアイデアが投入されて変わって行くことになった。この渦巻く感じ、たまらない。

 

26日

打ち合わせ。納期を逆算して行くと第一デモ提出日は1/3が適切ということがわかり「ワオ!」という。

 

27日

ムーンライダーズ本番。「9月の海はクラゲの海」「くれない埠頭」は万感の思いで演奏。クラゲの間奏の良明さんのギターから佐藤優介のソロ、というのがあまりに素晴らしすぎて舞台から降りてすぐ優介に「あのソロ最高だった」と興奮気味に声かけてしまった。金剛地さんが観に来てくれて終演後の楽屋に来てもらった。「前半歌いっぱなしで後半泣きっぱなし」と言ってくれて本当に嬉しい。義理の母も観に来てくれてある種の親孝行の二枚抜きが達成される。

 

28日

NICE POP RADIO収録。テーマは「反・お屠蘇気分」。ここ数年、金曜日が正月過ぎて逆に避けていた悲しい曲や暗い曲、正月からこのような曲を聴かせてくれるな、といわれても仕方ないような曲をかける特集。悲し過ぎて自分でも途中で飲み込まれそうになった。

 

30日

シアターマーキュリーにお笑いのライヴを観に新宿へ行った。年末の新宿はとても混雑している。伊勢丹に寄って人並みをかき分ける。全ての人に故郷があるのだ、当たり前のことなのに不思議な気持ちになった。仙太郎で和菓子をいくつか買ってから劇場に向かう。道中、あらゆるレストランに行列ができていた。ライヴは真空ジェシカもトム・ブラウンもダウ90000も素晴らしかった。いい劇場納めになった。マネージャーA氏も観に来ていてらんぶるに入って雑談。

 

31日

急遽松本家で年越し。美術部で比較的集まりに参加してくれる先輩もスノーボードに行ってるらしく妻と松本家での静かな年越し。桃鉄ぷよぷよブロックスでいい滑り出し。

 

1日

仮眠をとり、松本家の長男氏も連れてお参りへ。そこからしばらく歩いて大きな公園に出る。のどかな日だ。長男氏はお店やさんごっこ。石を買うために石を支払った。おみくじは大吉。たべっこどうぶつの一番くじではいいなーとおもったプレートも当たった。素晴らしい滑り出し!2024年やれる。松本くんの息子氏に触れ合ったあたりから自分に子供がいたらどうなるんだろう、なんて想いを巡らせる。生活とは、社会とは。夕方ぐらいに松本家を出て部屋に帰って地震を知る。すぐには受け止めきれず妻ともども部屋で眠ってしまった。真夜中に目を覚まして枕元の携帯を探るようにおそるおそるニュースをいくつか見る。SNSからは少し距離を置かないと心が壊れそうになる、とわかっていながらスクロールしてしまう。3.11の時はこれとニュースの見過ぎでおかしくなった。どうしても冷静でいられないからしばらくリストだけを見ることにした。

 

2日

実家に顔を出す。母方・父方両チームの親戚揃い踏みで新年の挨拶を済ませた。母方のいとこたちは会うのも久しぶりでえっKくんっていくつになったんですか?なんて訊く。子供の頃はみんながいくつかなんて考えたこともなかったのだ。年齢を皮切りに少しずつそれぞれの生活の輪郭がくっきりしていく。PSY・Sが好きだったS姉えにはいまプロデューサーがやってたバンドやってるんですよ、なんて話した。

親戚が帰った後の実家でテレビを観ていると少しずつ地震の被害の全容が明らかになっているようで慌ててチャンネルを変えたりした。このだんだん見えてくるその感じがとても怖い。そうこうしてたら今度は飛行機が燃えていてまた気持ちが暗くなる。人は脱出したらしい、という情報を得たが乗務員は?帰省先の実家から持たされていたお土産は?座席のポケットに入れっぱなしになっていた携帯電話は?貨物室のペットは?と次々に浮かんでは消える。

部屋に帰って明日に迫ったデモ提出に向けて作曲しなければと考えを巡らせていたらナイポレディレクターY氏から連絡が入る。反・お屠蘇気分は適切じゃないかもしれない、と私もわかっていたのですぐに再収録に同意して作曲は取りやめ。スタッフにも連絡を入れて新しく選曲を始めた。コロナ禍突入したての頃も思ったことだけど、結局音楽聴いて胸が騒ぐような瞬間が大切だ。いろんな悲しみの表し方がある。私に何ができるのか。出来ないことの方があまりに多くて悲しくなるので考えながら考えないようにして、私は私の仕事で世界を美しくするしかない。半分冗談で半分嘘だけど本気なのだ。素敵な音楽を電波に乗せることだってかなしみの表明のひとつだ。ちなみに反お屠蘇気分の一曲目はジョン・レノンの「マザー」でした。

 

Mother - Remastered 2010 ‑ 曲・歌詞:ジョン・レノン | Spotify

 

3日

日付を跨いで最近買ったレコードを片っ端から聴いていく。なんとかんく積んでいたものも含めてかなりの数を聞いた。その中でマリ・ウィルソン、トット・テイラー、ロックパイルが強烈に胸に響く。収録は無事終えた。録り直して多分よかった。反・お屠蘇気分は平和だからできたんだ、なんて思いたくないが、なにかに冷や水をぶっかける気概で望んでいたのは事実。収録中、いろんな考えが頭をよぎって、最後の最後、言葉にした後で今の言い方は今の自分にとってあまりしっくりこない言い回しがひとつあった。言い直そうかと思ったけど、ふるいの網目に残ってしまったものだと捉え、それは残してしまった方がいいと判断する。

 

4日

作曲。夕方部屋を出て歩いてスタジオまで行く。電線が風で揺れているだけで身構える。SNSを遮断する前に見てしまった動画では、神社にお参りしている時にあの大きな地震が来て灯籠は揺れ動くし、奥にいた男性は立っていられなくなってしまったようだった。身構えたところで実際には風で電線が揺れているんだな、とも頭でわかっている。でもあの一瞬だけ見た映像が離れない。暮れていく街。スタジオに着いたが全く進まない。漫画読んでギター握ってピアノ弾いたが成果はあがらず。