幻燈日記帳

認める・認めない

CIIYC

9日

下北沢SPREADでyes, mama ok?のライヴ。口径の小さいドラムは叩きにくいのだけど、妙なグルーヴが出ることもある。めちゃくちゃ楽しかった。最近のyes, mama ok?楽しすぎる。

 

10日

私が14歳の頃にDJを聴いて衝撃を受けまくった臼山田洋オーケストラ a.k.a. うすやま氏に呼び出され、ナタリーで雑談。コミナタのイイヤンさんやオリュウさんなんかもきてわいわいやっているとものすごい感慨が押し寄せてきた。みなさんと一緒にだらだら深夜のモナレコードで過ごした13年前の私も私だったが、今の私が私でいることの尊さよ。雑談では私の「爆裂愛してる」への異常な愛情が爆発。本当にすごい曲。M!LKは「イイじゃん」を楽しいヴァイラルヒットとして接して楽しんでいたけど、「好きすぎて滅!」でなるほど、となっているところに「爆裂愛してる」が届いた。「音楽」として最高のものがこの八方塞がりの日本に届けられたのだ。コード進行、歌詞、メロディ、アレンジ、歌い方、全てが本当に一級品。リリースされてからずーっと聴いてる。本当にずーっと何回も聴いてる。スパークスとかムーンライダーズとかカーネーションとか好きになったときもハードに聴き倒したけどこんなにもなんども聴いた曲なんてかつてあっただろうか。ともかくナタリーのスペースは雑談好きにはおすすめ。

https://x.com/natalie_mu/status/2042551471032668235?s=20

 

11日

そのうすやま氏をナイポレのゲストに迎えて収録。本当に「音楽を好きでいてよかった」と何度も涙ぐんだ。4回聴いた。5回だったかもしれない。

 

12日

片想いとNRQのライヴを観に行く。NRQを見るのは少し久しぶりだったけど相変わらず最高。NRQはもちろん録音物も最高だけど、片想いの演奏も相待って改めてエリック・ドルフィーの「When you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again.」なんていう言葉も頭をかすめる。

 

15日

音大の授業初日。どんな立場の学生がいるかもわからなかったので丸腰で向かう。それで話を聞いていってどういうふうにしていくかを考えよう、とした。実際直接会ってみると、「こういうことができたらいいな」と思っていたことはそれぞれの環境や経験からちょっと難しそうだったり、その逆で「こういうことができるな」というのが見えた。そういう経緯もあって初回はすっげえ時間が余った。とにかくずっとひえ〜って言ってる。打ち合わせで大学に行った時、校舎そのものがひとつのノスタルジーの大きな塊のように見えて、それがとてもグロテスクに映った。しかし実際最初の授業を終えた頃にはノスタルジーは影も形もないではないか。私はなんていい加減で、なんて都合のいい人間だったのだろうか。

 

16日

スカートの打ち合わせ。「スペシャル」出来たのに今年のフェスにひとつも呼ばれてないっていうことはもうそういうことっすよね〜と弱音を吐くなどする。むう。

 

18日

スラッシュパイル主催の「このヤッホイがすごい」を観に行く。ここ最近、行くお笑いのライヴごとに爆笑を掻っ攫っていくヤッホイとは一体なんなんだ……という時にちょうどいい催し。めちゃくちゃに面白かった。お笑いと漫画の未来はずっと明るい。

 

某日

ライダーズの録音ラストスパート。自宅作業をわずかに残し終了。すごいものができている。

 

25日

どついたるねんのレコ発出演。リハーサルを済ませてどついたるねんと話していると、昔は共演ってなるとカヴァーやってたね、なんて話になる。そういえばそうだった。特に印象深いのはSHELTERでBiSや昆虫キッズと一緒になった時に演奏した光GENJIの"STAR LIGHT"や、バラサブックス建て替え・解体GIGで演奏したCHAGE and ASKAの"SAY YES"あたりだ。そうしたらカヴァーやらなくちゃね、と楽屋で歌詞カードに入っていた曲を数曲さらって首を傾げる。果たしてナンバーガールの"タッチ"や大滝詠一さんの"君は天然色"でいいのか……?と…… あの頃のフィーリングで好きな曲を歌うならM!LKの"爆裂愛してる"しかないのでは、となって楽屋で慌てて耳コピ。環境が環境だったから精度も高くないし、開場の時間が来ちゃったから通して練習できなかったけどステージに投入。実際歌ってみると全く言葉が途切れる瞬間が訪れず、想像以上に大変だったけどなんとかやり切った。続けて光GENJIの"STAR LIGHT"を歌うともう喉が終わっていて笑った。どついたるねんのライヴでギターを弾いた時に一発で声を飛ばしたことを思い出した。終演後、ひたすらに龍角散ののど飴を舐めることでことなきを得た。安心した。

くじけなもどついたるねんもよかった。どついたるねんはすごくいい意味でバンドになっていた。異形の3人組だった時期も見ていたから、嬉しくなっちゃった。

 

30日

還付金が入る。人間として戻ってくるべきところにやっと戻って来れたような気がする。

 

5月1日

いくばくかの金を握りしめてココナッツで何枚かレコードを買う。キャロル・キングがダニー・コーチマーらと組んでいたユニット、 The Cityのレコードを買った。このレコードは正規リリースの日本盤で、たとえポイントが20倍でもタワーレコードの通販で買うわけにはいかなかった。このアルバム、The Cityのこの唯一のアルバムは街のレコード屋で買いたかったのだ。レコード袋を抱えて部屋に帰って、ターンテーブルに乗せて、針をおろすとTHE CITYが流れる、みたいなことがしたかった。正直、端から端まで大好きなアルバム、何度も聴いたアルバム、ではない。それでも、このアルバムが持つムードというのは前夜のそれで、そのムードに大いに共振する。実際に針をおろすと、60年代末のロサンゼルスと、90年代初頭の東京が2026年の練馬区の端に満ちていく。これはきっとレコードでしか感じられないものだったと思う。本当に嬉しい。

 

某日

うれしい人に呼ばれてうれしいラジオの収録。(書いてる時はまだ公開されていなかったけど、日記を公開する頃にはもう放送が終わっていた。上白石萌歌さんでした〜うれしい〜)たのしく話せた。収録が終わって「散漫なジム通いも1年続いたのにまったく痩せるどころか太った。もう水を飲んでも太るんだと思う」と軽口を叩いて地下鉄に乗り込む。移動のお供は「11人いる!」だった。

新宿で降りて麻辣湯を食べたがちょっといいところのランチビュッフェみたいな値段になってて笑ってしまった。因果。

 

4日

妻の実家で母のVHSをデジタル化。「佐代子ベストヒット」「RC SUCCESSION in 武道館」と書かれたVHSだ。子供の頃に観てキョーレツだった「い・け・な・いルージュマジック」のトップテン出演時の映像や、デヴィッド・ボウイのサタデー・ナイト・ライヴの映像や、ボウイの"Heroes"に海外の青年が窓のそばに座ったり日常的なシーンが続く映像をもう一度見れるかもしれない、と思って、まず「佐代子ベストヒット」を再生してみると、テープが切れてしまったようでデッキから出て来ない。慌てて天板を外してあーだこーだやりながらテープを無事に救出。ネットで修復方法を検索し、その通りにやってみたらなんとまた見れるようになった。しかし、ビデオはなんてことのない1984年のベストヒットUSAが2回分記録されているだけだった。「佐代子ベストヒット」のVHSのケースには「カンボジア難民救済コンサート イアン・デューリー スペシャルズ RC」と書かれていて、この「ベストヒット」にカンボジア救済コンサートも入っていて、サタデー・ナイト・ライヴが入っていると思っていたからとてつもない肩透かしを食らってしまった。それでも冒頭にAppleのCMが入っていて義母、妻と大きく声を上げた。

「RC SUCCESSION in 武道館」はその名の通り、1981年の12月に行われたRC初めての武道館ワンマンの録画だった。中学生の時、「ソウルメイツ」というベスト盤に収録されていたレア音源、"トランジスタ・ラジオ"のロング・ヴァージョンはフェイド・アウトしないで完奏されるテイクで、そのアレンジを「聴いたことがある!なんでだ!」と不思議がっていたが、なんてことない、子供の時にこのビデオを一度だけ見たからだった。ライヴが終わると「トップテン」で演奏された「い・け・な・い ルージュマジック」!!!教授にキスをして、カメラに唾を吐く清志郎!!これこれ!!これが見たかったんです!と全員で興奮してテレビに釘付けになった。それが終わると日立サウンドブレイクという番組が残っていて、それでボウイの"Heroes"が流れて、記憶にあった映像が流れた。しかしそのヴィデオはそこで終了。ボウイのサタデー・ナイト・ライヴは録画されていなかった。

母にたずねてみるとやはり3本あったはずだよ、とのこと。でも手元にあるのは2本だけ。それで思い出したのだけど、YMOやRCに興味を持った時に母が物入れから出してきてくれて見始めたのだけど、どこかのタイミングでテープが切れてVHSがダメになって破棄してしまった、ということをうっすらと思い出した。今なら修復できたのに……!記憶が正しいのなら本当にもったいないことをした……

 

5日

コーネリアスとスパークスのツーマンが本当に素晴らしかった。スパークスは去年ぶり、コーネリアスを生で観るのは2019年のフジロック以来。手短に結果だけ話すと、自分でも驚いたのだけど、3回泣いた。1回目は"Another View Point"だった。中学生の頃、熱心に聴いた『Point』(2001)収録の楽曲で、スクリーンには古今東西の音楽にまつわる映像が矢継ぎ早に映し出されいた。前半は数多の民族音楽、後半はポピュラー音楽の歴史を一瞬で駆け抜ける。参ってしまったのはいろんなポップ・スター、ロック・スターが映し出されていくあの瞬間の集積。後半に向けて演奏が盛り上がっていく中、反復からうまれた高揚の只中で涙が出た。「もういない人がいっぱいいる」と急に気がついたからなのだろうか。2019年のフジロックでもこの映像がベースにあったような記憶があるのだけど、2026年、あれからたったの7年しか経っていないのに意味合いが自分の中でずいぶんと変わった、変わってしまったんだ、と気がつき、我々は今、音楽の歴史の先端にいる、ということを改めて噛み締めた。2回目は"Turn Turn”。高橋幸宏さんと細野晴臣さんによるユニット、Sketch Showのカヴァーで、原曲はリリースされた頃から何度も聴いていたけど、コーネリアスが演奏するのを聴いて「そうか、原曲の"Turn Turn"は和音みたいな概念からはみ出したソウル・ミュージック(のようなもの)だったのか」とやっと気がついた。これにはシビれた。本当に感動した。自分のポップに対する態度として呪文のように何度も「継承と発展」と唱えてきたけど、これがまさにそれだ、と示してくれた。3回目は続けて演奏された"環境と心理”。この曲は高橋幸宏さんが率いたMETAFIVE、そして幸宏さんにとっても遺作となった『METAATEM』(2021)に収録された1曲のセルフカヴァーだった。”Another View Point"で観たものと"Turn Turn"で表現されたものがかつて”環境と心理"によって一本の線になった。私はここに辿り着いた、私はここにいる、たとえここにあなたがいなくても、今この場所に”環境と心理”が鳴っているということを強く認識することができて涙が止まらなかった。

スパークスも本当に素晴らしかった。昨年のツアーの延長でありながらレア曲も満載、もちろん定番曲も惜しげもなく投入。『Angst My Pants』(1982)収録の”Sherlock Holmes"は以前弾き語りでは聴いていたけど待望のバンドアレンジで聴くことができた!2009年のEASTぶり、同アルバムからの”Mickey Mouse"も完璧!不遇とされる時期に発表された"Let's Get Funky”も飛び出して余計にグッとくる。小山田さんゲストの"The Number One Song In Heaven"も最高。小山田さんのギターによる16分のカッティングは時々エフェクターによりゆがめられて、そのたびに重力が軽くなるような気がした。サプライズで登場したHOTEI氏の熱狂も素晴らしかった。HOTEI氏はHOTEI氏なのだけど、そのギターから布袋少年が透けていてなんとも言えないいい気分になった。置かれた状況、鳴らしている音楽、求められる姿、それらが全て違ったとしても、音楽のもと、軽々と飛び越えられることもある、と知った。いい瞬間だった。ライヴという場においてスパークスはずっと過去の宝石箱からみんなが見過ごしている輝きを再提示してくれるけれど、本編最後に演奏された"A Walk Down Memory Lane"には本当に驚いた。まず、この曲がすぐにはなんの曲かわからなかった。終演後に舞台に貼られていたセットリストを見ても「なんだっけ?」となっていたし。妻は「新曲か……?」と言っていて、私もいかにも1988年らしいクラップのシークエンスに後ろ髪をひかれながら「そうかも……」とか答えていた。ライヴハウスを出て調べてみると、1988年リリースの『Interior Design』の最後から2曲目に収められていた曲で、「あ~~~~」と声が出た。その後、あたらめて"A Walk Down Memory Lane"を聴いてみると、確かに1988年の音をしていて、その奥にあるものに気づけていなかった、ということがわかった。ライヴではBメロにいく時、FからDmに行く間に、経過音としてEが弾かれているのだけど、その経過音がギターによってちょっと強調されて聴こえて、たったそれだけのことなのにこんなにも聴こえ方が変わるんだ、いやいや、この輝きはもともとあったものじゃんな、と本当に反省した。(しかしサビのコード進行、F→F#→Gm→F#って何これ!!!ヤバすぎる!!!)当時リリースされた日本盤に掲載されている渡辺淳さんの和訳によると、"ちょっと歩いてみよう 記憶の小路を歩くんだ 細い道を照らす 時代の標識を次々と通り過ぎて そして、何が今の世の中を このようにしたのか判断しよう そして、誰がこの世の中を 良くする可能性があるのか"と歌われている。去年の来日でも印象深く演奏された"Please Don't Fuck Up My World"(お願いだから私の世界を台無しにしないで)ほどではないかもしれないけれど、現状と照らし合わせて注意深く選曲されたということがよくわかった。

アンコールの1曲目、我々は度肝を抜かれた。大好きな『Hello Young Lovers』から大好きな"(Baby, Baby) Can I Invade Your Country"がプレイされたのだ。ものすごく物騒なタイトルで、アメリカの国家をそのまま引用して、"Can I Invade Your Country"とまるで女性を口説くかのように歌われるこの曲(実際に別歌詞のヴァージョンがあって、そっちでは口説くように「ビートルズだと誰が好き?」とか言ってる)はブッシュ政権下の2006年には2006年の響き方があったと思う。トランプ政権下の2026年には2026年の響き方をする。そしてそれは"A Walk Down Memory Lane"のそれと呼応していたような気がしてならない。

(Baby, Baby) Can I Invade Your Country ‑ 曲・歌詞:Sparks | Spotify

A Walk Down Memory Lane ‑ 曲・歌詞:Sparks | Spotify

ざあざあしとしとぽつぽつ

2月は慌ただしくすぎていった。動く台車に乗せられたまま日々がすぎて行って、記憶があまりない。そんな中、15日に行われた福島空港での公開収録は印象深い。福島に行くのは初めてだ。父のルーツに福島が関わっていた気がする、米が毎年送られてくるし……ぐらいの距離感だったのだけど、ライヴはとても上手くいった。"視界良好"はライヴでやった中でも一番よくできた気がする。コロナ禍直前の川辺くんとやった風知空知であまりにうまく行きすぎて「このままこの調子で演奏できたらどえらいことやで」とうきうきしながら演奏していたら間違えてしまったことがあったので、集中してしっかりやり通せた。嬉しい。長く曲を歌ってると、ごく稀に自分の手に負えなくなってくる時期がくることがある。「視界良好」もそういう1曲になりかけていたのだけど、9年経ってやっとまた自分のものになった気がしたのが嬉しかった。ライヴが終わった後に両親に結局澤部家と福島の関係ってなんなんでしたっけ?と訊ねると、父方の祖母のヒデサヨ(私の母もサヨコなので私は彼女のお三味線の芸名か何かからヒデサヨと呼んでいる)の疎開先で、アウトドア狂の父の出掛け先のひとつ、という感じだったそうで、収録時に詳細がわかっていなくてよかったようなよくなかったような……しかし母から母方の祖父、山下家は福島出身だときいて、目を丸くした。母方の祖父も祖母も私が小さい頃に亡くなってしまって、時々秩父の墓に墓参りに行くのがせいぜいで、あまり話題にもあがらず、よく知ろうともしてこなかったのだった。奇妙な縁ではない、ありふれた縁だと思うけど、忘れてしまっていただけかもしれないけれど、今更山下家のルーツが福島だと知るなんて、少し奇妙に映った。

 

某日

向井さんからの提案でアンコールをご一緒することに。曲は大滝詠一さんの「君は天然色」。選曲に大いに驚く。数年前にWWWの横の階段のギャラリーでやってた向井秀徳展で上映されていたヴィデオには若かりし頃の向井氏による「それはぼくぢゃないよ」のカヴァーが収められていたから、こう、言葉にするのが難しいんだけど、私も向井さんもいろいろあってここに辿り着いたんだ、こういう形で一本の線になるのか、と感慨深い気持ちになる。高校生の頃に買った『A LONG VACATION』をターンテーブルに乗せ、耳コピをして、その細かいワザに改めてクラクラする。歌詞カードを広げ、テキストエディットに歌詞を手打ちする。儀式のようなものだ。

 

6日

向井秀徳さんと弾き語りのツーマン。気合いを入れるために録画するだけして見ていなかった「幸せな結末」のドキュメンタリーを観る。冒頭、画面に大写しになった大滝さん直筆の「"pop"」という文字に胸を打たれてさめざめ泣く。あとでわかるのだが、それは1971年の手帳に書かれた言葉だった。この「"pop"」が胸にデカデカとプリントされたTシャツを着たい。

会場に入ると、向井さんはすでにステージに居た。中学生の頃のヒーローのひとりだ。向井さんがいなかったらきっと、中学生の頃の私はF#m7を2x2200や2x2222のようなポジションでは弾いていなかっただろう。リハで向井さんがギターをギャンと弾いた瞬間、つい妻の方を見た。

リハーサルで「君は天然色」。歌い分けを確認してから、演奏を初めて、向井さんがどういうふうにやっているのかをなんとなく汲み取っていく。最初はサビはユニゾン、という感じだったけど、向井さんの提案でハモに回ることになって、探りながらドカンと声を出した瞬間、何かすごい力が働いた。以前、どついたるねんのライヴで歌った時に一発で声が枯れたことがあったのだけど、それに近い負荷を感じ、このままの力でやったら飲み込まれる、と慌てて力加減を修正。この組み合わせなら調和を取ろうと努めることもまた、アウタナティヴ(Alternative)なり。

自分のライヴは最初の4曲目ぐらいまではフワついていたけど、どんな曲やっても盛り上がるし、MCもウケるわで怖いものがない状態だった。あの曲が!この曲が!全曲がめちゃくちゃにうまく行ったんですよ!という感じでは正直なかったけど流れみたいなものに満ちていて楽しく演奏できた。向井さんのライヴも最高だった。VIVA!YOUNGのクラヤマさんも大盛り上がりで本当にいい一日だった。

 

某日

CPAPの機械を変えることになる。1年近く使用して、やはり合わない(1時間ぐらいですぐ取ってしまう)、という話になり、もうぼちぼち諦めようと思うんです、と伝えると、機械のメーカーを変えよう、という提案を受ける。T社からP社へ。機械を受け取ってみると、何かの手違いで鼻だけのマスクしか入っていなかった。まあそれも人生、と早速試してみたのだが、生まれてこの方、鼻炎のため、両鼻が綺麗に通っている時間は合わせてもひと月分もないのではないか、というこの私、合わないどころの騒ぎじゃなくてP社のカスタマーサーヴィスにすぐ電話をかけ、口を覆うタイプのマスクに変更してもらうことになった。しかしそれも正直よくわからない…… 質の良い睡眠が手に入る日は来るのか……

 

15日

nestでワンマン。音作りに大変苦労をする。「勝手知ったる」はずだったnestもコロナ禍での改修もあってステージの質感がちょっと変わっている。あの頃と違うのは床材だけではない。私も床材相当のどこかが変わっているのだろう。私が豊田道倫さんの『東京の恋人』レコ発で初めてnestに行ってからもう21年経つ。初めてスカートで演奏したシャムキャッツと王舟くんの企画、猫王会からももう15年経つんだ。過去にあった私と今ここにある私は本当に地続きの私なのだろうか。そういうことを確かめながら演奏したような気がする。16歳の時に作った「ウーリッツァー」から37歳の時に作った「スペシャル」への着地が綺麗に決まったような気がして嬉しい☺️ 終演後に馴染みのお客さんから「アンコールの2曲はどちらも約束にまつわる曲でしたね」と言われてハッとした。

 

某日

4月から週一だけど母校の音大で講師をすることが決まった。へんな人生。今はうまく行く気がしない。

 

19日

タカラくんと葛飾出身くんとで亀戸にあるカセットテープが豊富に在庫されているというレコード屋に行く。タカラくんはカセットテープコレクターで、部屋の家具・家電を70年代のある時期より前に製造されたもの以外は置かないようにしている、という若人で、葛飾出身くんは「トゥー・ドゥリフターズ」のMVを作ってくれた葛飾出身くんだ。

たとえばロータリーがある。そこに「締め出そう」以外の文字が退色しているなにかを啓蒙する塔がある。横断歩道を渡るとちょっとした広場があって、そこには薬物使用は「ダメ、ゼッタイ」と訴えるモニュメントがあって、その奥には噴水のようなものがあって、中心には亀のオブジェがある。初めて降りる亀戸は全く知らない街なのに、それらが配置されているルールだけ知っている感じがあって空恐ろしさを感じた。

蕎麦屋でゆるりと昼食を摂って、ゆるりとレコード屋へ向かって、それぞれ物色をする。東京コレクターズというお店で、カセットの在庫数はやはりエグくてちょっとドキドキするぐらいだった。知ってるアルバムの知らない顔を見せられるような感じがあって、私もスティーヴィー・ワンダーの『シークレット・ライフ』のカセットを購入。他にもレコードを見ていて驚いたのが鈴木さえ子さんの『緑の法則』の黒盤・帯付きのいわゆる通常盤仕様。私が持っているのも緑色のクリア・ヴァイナル盤だけだったのでもちろん購入。嬉しい。そこから少し歩いてやたら湿気の強い喫茶店に入って音楽の話をする。楽しいネ!!! 餃子を買って帰る。

 

22日

マーライオンが会社を設立する、というのでそのパーティでDJをすることに。阿佐ヶ谷のTABASAはカフェアリエのコウノさんがときどき間借りで漂流カフェアリエをやっている、というからいつか……と思っていたらこんなに時間が過ぎてしまった。初めて行くTABASAはぎゅうぎゅう、お客さんで一杯で、もっと空いているとき、それこそコウノさんがいるときにくればよかったなあ、なんて思った。店長の高原さんがTABASAを離れるのをきっかけにアリエも離れる、という。

DJは初めて使うCDJに悪戦苦闘。日本語が表示されないだけならまだしも、LINKモードも搭載されておらず、1台のCDJで闘うストロングスタイルになってしまった。普段がレコードだけでやってきたっていうのもあるけど、今までいかに恵まれた環境でDJしてきたかを思い知らされた。砂の壁のmaoさんのDJプレイもはじめて聴く曲が多くて最高だったし、ごきげんなマーライオンはもちろん、姫乃さんにも久しぶりにあえてうれしい一日になった。

 

23日

トッド・ラングレンを観に行く。聴きたいと思っていた曲は半分も聴けなかったけど、いいライヴだった。『A Cappella』なんて学生の頃に首を傾げながら聴いてそれっきりだったから"Honest Work"という素晴らしすぎる曲に気づけてさえいなかった。『ライアーズ』(ナイポレでトッド特集をやるにあたってやっと聴いた2004年のアルバム)収録曲なんかも聴いて思ったけど、ライヴで演奏されることの素晴らしさは時系列や録音された状況を飛び越えて並列になる、ということだなあ、と改めて実感する。私もそうありたいけれど、これは(かつて観て大いに感動したティーンエイジ・ファンクラブと比較すると)振れ幅のある表現をしてきた人の方が効果がでる、ということも身に染みた。すごい。

 

26日

りーもこちゃん(ex.ムラムラタムラ氏)にお誘いいただいて単独公演のゲストとして出演。自分を強くもて、ここはアウェイだ、と言い聞かせまくった割には平常心で演奏することができたし、2度目の大喜利もまずまずの結果が出せてほくほく。演奏終わって「フゥー!」が多いとアガるのと同じで、何か言ってウケると嬉しい。ぴんくさんの時とは違う感覚だった。

 

27日

単身、岡山へ向かう。28日、29日と山口の遠征が決まって慌てて組んだ西日本弾き語りツアーが始まった。スタッフなしでどこまでやれるのか、中一日あけてライヴやると自分がどうなるのか、という人体実験も込みのツアー。春のうららかさも桜のはかなさも慌ただしい旅程で吸い込まれていき、あまり記憶がない。旅のお供に大江田真さんの本、『大切なことは小さな声で語られる』を読みながら。音楽に関する話は聴いてこなかった音楽、知らなかったものでも楽しくなるからいい。

夕方も目前に近づいた岡山に到着して、ホテルについて荷物をおろし、リハーサル。最低限のチェックを済ませて、orab recordへ。元GREEN HOUSEのオーナーが新しく立ち上げたお店だそうで、店の大きさから清潔さから、おいてあるものからとてもよかった。本番は2曲目の「火をともせ」で盛大にコードを間違えて心が折れかけたけど、温かいお客さんのおかげで正面からスカートの音楽を見せられるライヴにできた気がする。でもどういうわけかMCが全然キレなくて申し訳なかった……なんというか、頭に浮かんだ状況を言葉にするために余計なひとことふたことが常に乗っかってしまうような……うーむ

終演後、ムーンライダーズとあがた森魚さんのコピーバンドで高名な架空楽団のメンバーも見にきてくださって黒瀬さんから手厚いもてなしを受ける。真夜中の地下室でギターを持って思いつくままに曲を演奏した。ライダーズの曲は難しくてあーでもないこーでもない、となってしまったが、あがたさんの曲は今まで耳コピしたことない曲でさえ弾いてみたら弾けた。シンプルである、ということの強さをこういう角度で体感するとは思わなかった。自分にとっては美しい瞬間のように思えた。黒瀬さんは稀代のコレクターでもあり、いろいろコレクションを見せてもらったのだけど、写真を撮り忘れるぐらいのむちゃくちゃなものばかりがあった。私の実家も動物が勝手に集まる実家だけど、きっとものが黒瀬さんのところに集まってくるんだと思う。

 

28日

今年はじめて開催される湯飯祭に出演するため、山口の長門湯本温泉へ移動。新山口から主宰のスタッフ青年、早野くんの運転で宇部空港によってマコイチくんをピックして、そのまま山道を走る。後部座席に乗っていた私はうとうとしていて、意識が遠のく直前に「エヴァって通ってる?」という会話が聞こえ、そのまま「さわまんはどう?」と振られ、戻ってきた。「はっ、うとうとしちゃってた。エヴァはねえ、通ってないんだよね〜」と言ったのだが、それ以降エヴァの話は一度も出なかったから意識が遠のく直前の幻聴だったのかもしれない。そうだとしたらハズかしすぎる。

山道を1時間ほどいって、ある道を左に曲がった途端に山道ではなく「町」になった。不思議な感覚だった。嘘なんじゃないか。まだ眠りかけている途中なんじゃないか。しかし車は駐車場に着いた。温泉街といえば車が走るのも躊躇われる狭い道を所狭しと宿や商店が立ち並ぶ、という光景を想像していたのだけど、ゆったりとした温泉街で暮らしの中に宿や商店がある、という控えめな景色が広がっている。桜の木もワサーっと植えられているのではなく、要所要所にあって、その情景が余計に現実感を打ち消しているように思えた。

長門湯本温泉は一度は飲食店もゼロになったことがある温泉街だそうで、でも「ひなびた温泉地」という感じもしない。どういうわけか、と誰かに言われて思い出したのは、安倍元首相とプーチンの会談に使われた大谷山荘もここ長門湯本温泉にあったのだった。パワーというのはすごいな。

開催されている湯飯祭をチェックしていくとなんともいえないいい湯加減。ちょっとした山?丘?の上に神社があって手を合わせる。そこから見えた景色がまるでゼルダの伝説 Breath of the Wild / Tears of The Kingdomの中のカコリコ村のようで、パラセールでヒョイと飛びたくなった。そうしてみるとこのあたり一帯はめちゃくちゃハイラル。川を渡ると今にもリザルフォスが出てきそうだし、橋の下の石をどかせばコログが出てきそうですごくいい。これならいい気分でDJができるかもしれない、と思ったのだけど、実際に回してみるとDJブースのテントが視界を遮り、反応や雰囲気が全くわからなくて妙な不安に潰されそうにもなった、ふふふ。「好きな曲をいい感じの音量で聴いていればそれでいいじゃん」に達するまでちょっと時間がかかった気はするけど、結果的に楽しくやれた。「ダンスに間に合う」をかけたらマコイチくんが歌ってくれたのも嬉しかった。

DJブースに貼られていた翌日のタイムテーブルをよくよく見てみると、翌日はリハの時間はほとんど取れなさそう、しかもやるなら朝9時から、と言われてしまったので、DJが終わってから少しだけ調整させてもらうことになった。マコイチくんと現地の音響さんと連携を取り合っていい具合に聴けるところを探っていくと、不安は取り除けた。翌日出演する古燈くんも特に音を合わせたわけではないけど、勝手が知れて不安は少しは無くなったようだった。翌日9時からリハをするという古燈くんにマコイチくんと「明日のリハーサル我々も付き合います」と告げ、解散。私はお世話になる宿、soilのすぐ横にある恩湯でゆったりする。この温泉がとにかく最高だった。真新しい施設が頼もしい。結構ぬるっとしたお湯で、顔を湯に近づけると硫黄の匂いがかおる。温度もぬるめで目と鼻の先に源泉があり、それをちょっとだけ加温して提供しているそうだ。今までの人生でも屈指の温泉体験を得た私は親睦会でいい感じに飯を食い、その後マコイチくんとスタッフの早野くんの3人でピザやパスタなどをギチギチに詰め込んだ。たらふく酒を飲んでいるであろうマコイチくんが「明日起きれるかな」と心配していて、(酒が飲めない私からすると)なんか羨ましかった。

 

29日

目覚ましがなって、止めて、を繰り返したら9時を過ぎていた。慌てて古燈くんのサウンドチェックに向かう。朝の温泉街とミスマッチな光景がなんだかおかしい。マコイチくんとふたりでキーボードのロー感どうだろ、とか、ボーカルのミッド削ろう、とか言い合いながらチェックして無事いいところに落とせた。こうやっておせっかいおじさんになっていくのだ。ホテルに戻ると朝食の提供時間を過ぎていて(後で調べたら9時までだった)、恩湯に入ることにする。昨日の夜はわからなかったけど、誰もいない恩湯に入ってみてわかったことがある。脱衣所を抜けると道が二手にわかれている。左に行けばシャワーがある。そこからちょっと直進して突き当たりの少し手前には掛け湯があり、突き当たりを左にいくと湯船がある。そしてその奥には恩湯の守り神なのだろう、石像が祀られていて、それはもう試練の祠なのであった。湯船をアイスブロックで乗り越え、水面に沈んでいる鉄(製かどうかは知らないけど、湯船の底からもお湯が出るようになっていて、格子状のパネルが沈んでいるのだ)を利用してセンサーをストップさせて、石像まで辿り着く……私はもうハイラルの住人になっていた。

食いっぱぐれた朝食を取り返すべく出店しているお店で気になっていたいくつかを食べ歩く。ラザニアもフォーもおいしい。とにかくずっといい気分でいられる。行き交う人々の表情も心なしか軽い。古燈くんのステージを観る。今回はじめてあった古燈くんは24歳で、あまりにもまぶしい。私にも24歳の頃があったなんて今ではもう誰に言っても信じてもらえないだろう。いいステージだった。私はゆるやかな雰囲気に押されてパリッとやるというよりはなごやかに進行。いい意味で力が抜けたいいステージだったと思う。

夜は大谷山荘にまで足を伸ばしてリッチな日帰り入浴。大きい浴場、力強い岩肌の露天風呂、檜風呂は確かに良かった。限界まで焼き鳥を食べて倒れるように眠った。

 

30日

味噌汁屋の方と、整体をやっていた方と相乗りで新山口方面に送ってもらう。途中、生ういろう屋によってもらったり、道すがらあった大嶺酒造の施設にもフラッと寄って、とても楽しい帰り道になった。それぞれ別れ、新山口駅に荷物を預けて防府にあるというレコード屋へ。ちょうどいいところがあって何枚か買う。もう随分見なくなっていたけど、かつては大きめの新譜を取り扱うレコード屋には必ずあった検索機が現役で動いていて嬉しくなってしまい、お店の人に事情を話して『スペシャル』の取り寄せ用紙を出力。いいものが手に入って嬉しい。

タッツが取ってくれた新幹線の時間なんてとっくに出ちゃったあとで、連絡すれば座席の変更してくれたのかもしれないけど、なんとなくそれも違うよな、と新大阪行きの新幹線の自由席で京都を目指す。夕方の少し前に山口を出たつもりだったが、大阪に着くともう真っ暗。乗り換え。大阪からは大混雑でびっくりした。大荷物で焦っていると「澤部さんですか?」と声をかけられる。なんとNegiccoのファンでスカートを知って度々観てくれている、という方だった。世間は狭すぎる。自由席で移動してみるもんだ。

京都へ着いて奈良へ移動。取ってくれた宿は駅の目の前で気持ち的にとても助かった。これで駅から遠かったらちょっと落ち込んでいたかも知れない。

どこでもいい、近場で夕食を済ませたい、とGoogleMapを開いてみると近くにいい具合のラーメン屋があったので向かった。正直あまり合わなかったのだけどそれ以上に、店内のBGMがずっとライチャス・ブラザーズの"Unchained Melody"だったのが正気じゃなくて良かった。奈良は怖い街だ。

 

31日

あいにくの空。降るのか降らないのかギリギリの線をずっと行く感じ。奈良駅の1階に入っていたうまいものプラザみたいなお店のちょっとしたランチバイキングが最高だった。メインの料理をオーダーすると一回そのバイキングゾーンから盛れるのだけど、かぼちゃもナスもピーマンも食いてえな……と追加オーダーでおかわり自由のオーダーに切り替えた。実際どれもおいしかった。野菜がたくさん食べられるのは実にうれしい☺️ 次いくことがあるならおにぎり+バイキングのおかわり自由にすると思う。

入り時間まで時間があったのでシルエロレコードで買い物。明らかに「和モノ」コーナーから妖気がビンビン出ててたじろぐ。いいレコード買えた。下にあるプリトミさんも入った途端に斉藤哲夫さんの「僕の古い友達」がかかっていてそれだけで最高。わずかな時間だったけどいい奈良体験だった……

リハーサルを丁寧に済ませて本番。昨日の電車で一緒になった人も観にきてくれた。内容は、というと近年やったライヴの中でも群を抜いて良かった気がする。あまりに手応えがあって帰り道、宿までの20分ぐらいの道のりを資料で回していたボイスメモを聴きながら帰るほど。「火をともせ」は本当にいい曲だな……

山菜に聞け

1月1日

松本家と初詣に行く。すっきり晴れていい感じ。初詣の列に並ぶ間、松本ジュニアとしりとりをした。「チンナンゴ」という謎の言語に振り回され、勝ち負けがどうでも良くなる。いい一年の滑り出しである。今年もいい予感だけはする。部屋で日記を書いて、あとは更新ボタンを押すだけ、そんで押したら押したで数日前にキャッシュを削除していたのを忘れていて、ログインされていなかったために書き足した分が全部消えた。フゥ〜〜〜〜〜

 

2日

実家に顔を出したあと、ボーイの家で開催されるというDope新年会に合流。かつてはウォッカと肉しかないパーティだったそうだが、今年は持ち寄ったものは食べる柔軟な会になったっぽい。結局明け方までビートルズのライヴ動画を観て優介、佐久間、澤部の3人が「あ〜〜〜」とか「わ〜〜〜」とか「うお〜〜〜」とか言ってるのを、ビートルズ全然興味ないボーイが見下す構図になって面白かったが、それと同時に申し訳ないネとも思う。ボーイがうんざりして「ジジイ〜〜」と罵ったあとに佐久間さんが深くしみじみと「やっぱり……ジョン……」って言ったのが本当に最高だった。幸先いい。

 

某日

「デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター 増補新版」を刊行する野中モモさんからリクエストをいただきNICE POP RADIOでデヴィッド・ボウイ特集

 

某日

ムーンライダーズのRecが始まる。前作は「三叉路のふたり」だけ伺ったけど今回はそうではなく最初っから。ヒィ〜〜〜〜。一体なにが起こっているんだ…… 

 

10日

ムーンライダーズのレコーディングを早退して「スペシャル」のレコード発売記念インストアをココナッツディスクで開催。やっぱりココナッツでのライヴは本当に特別。「アナザー・ストーリー」と「スペシャル」がレコードでリリースされたことを受けての夜なので、それらのアルバムを中心に演奏すると感激もひとしお。ライダーズのレコーディングから自分のインストアという取り合わせが信じられなくて妙な気持ちになる。心地よい疲労感で一日が終わった。

 

11日

yes, mama ok?で阿佐ヶ谷LOFTで新年会のようなパーティ。トークをしながらときどき演奏という内容でこれがめちゃくちゃに楽しかった。決して上等ではない機材のなか、パーティー感が強調され、過去最高に近い仕上がりだった気がする。特に"Perfect Young Lady "をやっている時は本当に幸せだった。この日は母が観にきていて、高橋さんとスティーヴン・キングの話でちょっと盛り上がったりしていて楽しそうでなにより。家まで送り届けて猫たちに挨拶だけして帰宅。

 

某日

ムーンライダーズのリハーサルが始まる。岡田さんが亡くなった後のガーデンホールでのライヴのリハ以来のスタジオでちょっと胸が痛む。いつも4日だけど今回は2日やってから間を空けてまた3日、と多めに組まれていた。結成50周年のキックオフライヴとして渋谷公会堂でライヴをするから余計に気合いも入る。優介と選んだセットリストも修正なしでオーケーが出て、曲順で少しずつさらっていく。我々が想定した流れのようになった部分、楽器の持ち替えなどの影響もあって想定したようにはならなかった部分、どちらもあったけど結果、いいセットリストになって良かった。

「髭と口紅とバルコニー」のハモ確認の時、一番高いところを歌っていると良明さんが「おっ、斉藤哲夫のパートだね」とニヤっと笑った。ただそれだけだったのだけど、そのひと言に50年の重みというのが突然香って、気合が入った。

リハーサルの終盤、"Cool Dynamo, Right On"をやってて、演奏がむちゃくちゃ上手くいっていて感情が昂った、ならわかるんだけど、まったくそうではないシーン、ハモを歌っているときに自然と涙が出た。どういうことだったんだろう。岡田さんがここにいないことへの涙だったのか?それとも自分の人生を想って涙が出たのか?正体は不明。でも強烈に改めて"Cool Dynamo, Right On"が胸に刻まれた瞬間になった。

 

16日

ゴリラ祭ーズのレコ発に参加するため、10年ぶりに心斎橋のCONPASSを訪れた。今回はスタッフもつかないハードコア遠征だけどなぜか気持ちは楽。ふらりと旅に出る気持ちだ。締め切りやムーンライダーズのリハーサルで張っていた部分を新幹線で少し緩める。着いてみると、ゴリラ祭ーズも全くスタッフがいなくて笑ってしまった。こんなにいいバンドなのに!本番は、10年前にCONPASSに訪れたのが「CALL」のレコ発だったということもあって「ワルツがきこえる」なんかをやった。この曲を作った時、同居人の稲本くんと居間でくだらない話をしていた。お金があんまりなかったから「どうして木って食えないんだろうね」とか言っていたら(普段そんなことはあまりないんだけど)突然曲が出来そうな気配に満ちて、「あ!ごめん!曲できそう!」と言い放ち、部屋に戻り書き上げた曲だった。10年経っていろいろ変わった。思うところもある。でも「ワルツがきこえる」も「CALL」も本当に好き。いい曲。それが変わっていないのが本当に嬉しい。本番が終わって、ゴリラ祭ーズのライヴを見ようとしたら満員で入れなく、柱の真後ろで聴いたり、楽屋に戻って音漏れを聴いたりしていたけど、フロアーに入るためのカーテンの隙間からかろうじて古賀くんが見えることに気づいて、後半は外からカーテンを眺めながら演奏を聴いていた。なんかいい時間だった。

ライヴが跳ねてゴリラ祭ーズは滋賀へ。私は宿へ。なんとなくテレビをつけたらどぶろっくさんがおゲレツな番組のコーナーを受け持っていて最高だった。それにしても腹が減ったよ、とこの時間でも開いている店を探す。インバウンド向けの雰囲気が出ているラーメン屋だったが、おいしかった。食事を済ませ、宿に帰る。日記を書いているひと月後の私からすれば、それ以外のことはポケットに手を突っ込んで冬の大阪をただ歩くだけの感覚と、エレベーターのボタンを押した感覚がわずかに残っているだけだ。

 

某日

合間を縫ってコンペのための楽曲を仕上げる。断片がいくつも足元に転がった。スタッフには4曲出します!と豪語したが結局2曲。ウ〜ム

 

25日

ムーンライダーズ、渋谷公会堂。いいキックオフライヴだったと思う。0曲目の「悲しいしらせ」でモニター等、人が入った状態でチェックもできたのも良かったのか、1曲目の「Who's gonna die first?」は自分も客席で見たいぐらいの渾身の演奏になった気がする。本当に嬉しかった。

 

30日

440でライヴ。中川昌利くんのライヴに呼んでもらう。豊田道倫さんとのバンドでベースを弾く中川くんは観たことがあったが、ライヴを観るのは初めて。歌われる言葉の素直さに気圧されそうになる。私は私で440は大変に思い出深い場所なので、その思い出にまつわる「ハル」に気合が入った。

 

柿なら柿ねば

11月29日

yes, mama ok?のライヴで大塚へ。ギターポップレストランは毎回不思議な手触りのイヴェント。yes, mama ok?は全員爆音で"KEEP FROZEN"が完全にひとつのよくわからない塊になった瞬間があってびっくりした。良し悪しはわからないけど、なんかすごかった。良し悪しはさておき、これがyes, mama ok?だ、という瞬間だったような気がする。

 

1日

電撃澤部倶楽部発足の報せが世界中を駆け巡った。いわゆるファンクラブだ。ファンクラブというものの存在意義の第一は取りづらいチケットを取りやすくする、ということだと思う。私もかつてゆずやASKA氏のファンクラブに入っていたときは大いに助かった。しかしスカートはチケットが取りづらくなるようになるような兆候すらない。一生、ほどほどの規模をそこそこ埋められる、そういうバンドになるんだ、一生かけてそういうバンドをやるんだよ、ということをだんだん受け止めてきた。だからこそコンテンツが魅力的でなければならない……魅力的なコンテンツになるかどうかわからないけどともかく年齢的に忘れていることも増えてきたので、自分がどういう音楽に触れてきたかを振り返るエッセイを書くことにした。数年前、ユニコーンのベスト盤を小6の時、図工の先生に借りた時のことを思い出そうとして昔の日記を読み返していたら「HMVの袋に入っていた」と書いてあって衝撃を受けた。私はそれを忘れてしまっていたのだ。忘れたくなかったし、忘れていたことを思い出したくもなかった。でもこのまま忘れてしまうのはもっと嫌だった。自分の音楽がどこからきてどこに向かったのか、ということを少しずつ思い出しながら書いていて、今現在、大学3年生まで来た。どうしてこうなったんだ、とぼんやり思ってきたけれど、そりゃそうなるわよ、というのがよくわかった。他にもボイスメモで録音したライヴの共有や、会員限定ライヴなんかも予定しています。歌う有料note、踊るPixiv Fanbox、Fantia純情派、だと思っていただけたら。

https://subscription.app.c-rayon.com/app/skirt/home

 

2日

Francisの企画に呼んでもらってyes, mama ok?でドラムを叩く。最高のライヴになったと思う。近年のyes, mama ok?の中でも屈指の大充実。正直ドラムはいくつかああできていたら、こうできていたらという部分もある。でもそういうものを全部包み込むムードというのがあった。yes, mama ok?で演奏するようになってもう15年も経つんだなあ。

 

3日

アトロク漫画部の部員としてアフター6ジャンクション2に出演。今年面白かった漫画などについて話す。漫画の話をずっとできる友達ってあんまりいなくて、ゼキさんぐらいかもしれない。でもここで話すと、「みんな読んでないだろうな……」というものもチェックしてる人が誰かいる。話の中で出てきた知らなかった作品とかは今後の参考にもなる。実に楽しい空間ナノデス。ひとしきり漫画の話で盛り上がった帰り道、途中まで聴いていたゴリラ祭ーズのニュー・アルバム『The Drifter』の続きを聴く。この日、道には無数のイチョウの葉が落ちていた。この日のイチョウの葉はパリパリで、車で踏んでもそれがわかるほどだった。神宮のイチョウ並木に差し掛かったとき、「めくるめく師走」が流れて、カーブを曲がった。もし、神様がいるならばこれをエンドロールとするだろう。いつもより運転に気をつけて無事に家につけた。これ以上ないタイミングでこれ以上ない曲がかかることは人生にごく稀にあるけれど、今回のこれはまさにそれなのであった。

めくるめく師走 ‑ 曲・歌詞:ゴリラ祭ーズ | Spotify

 

4日

トリプルファイヤーのワンマンを観にいく。リキッドルーム!少し遅れてしまって、もう演奏が始まっていたのだけど、「相席屋に行きたい」が演奏されていて、これが1曲目だと確信した。この数年育ててきた切り札のような1曲をまず最初に切ったんだ、「相席屋に行きたい」が後半になくても魅せることができる、という判断をバンドがした、という事実に胸がアツくなった。この日のファイヤーはもちろん最高だった。内容的には『EXTRA』の手応えをみんなで反芻しながら、リリース前後のムードの総決算、といった感じのライヴ……になるかと思ったらアンコールで演奏された「YouTube見て死んだ」という新曲に度肝を抜かれることになる。ここ数年のトリプルファイヤーは「現場に行かなきゃいけないバンド」の相当上位で、観にいく度に進化がある。今回はあくまで総決算かもしれない、とちょっと油断していた。もちろん「コインとキノコ」のアップデート版は最高だったよ。それでも、ここまで駆け抜けたのだから、と、ちょっと油断していたのだ。ヒーッ、というわけでトリプルファイヤーのライヴは今後も絶対観た方がいいです。6月にはワンマンもあります。

トリプルファイヤー 史上最大の作戦| Spotify O-EAST・O-WEST・O-Crest・O-nest

 

7日

管楽器を交えてのリハーサル。どうしたってテンションがあがって最高。帰り道にはDough-istのパンも買えてバッチリ。

 

9日

優介こと想像力の血のワンマンを観にいく。西田くんのギターで久しぶりに見れたけどめっちゃ良かった。優介の音楽、特にライヴで繰り広げられるそれはそれ以上言葉で伝えられない。

 

10日

ゲネ。最終調整だったが、それぞれの善意が重くのしかかり、しかも全部掛け違ってしまって、最終的にめちゃくちゃになってしまった。いくつもそういうことがたまたま重なっちゃっただけなんだけど、ひとつがイヤモニの導入についてだった。近年のいくつかのライヴで歌が取りづらそうにしている私をみかねての提案だったのだが、限られている時間を長く費やして「向いてない」「時間と費用をかける価値はなさそう」ということがわかっただけになってしまって、そこから負のピタゴラスイッチが始まり、善意の小さな鉄球が、善意のちょっとした磁石が、全て私のやわらかいハートに沈んでいき、とんでもない気持ちで帰路についた。誰も救えないほど傷ついてしまった私を見て、スリーピースの確認中にボーイと優介は「今後は澤部さんにもっと優しくしよう」と話し合った、と後日教えてくれた。

 

11日

ラジオの収録。山田玲奈氏にお会いする。FCのエッセイで昔のことを思い出していたから「テレバイダー」でのお姿が鮮明に頭に浮かんで感慨が深い。以前もお会いしたことがあったけど、それももう随分昔だと思うので、今のタイミングでもう一度お会いできて本当に良かった。それから遅刻してムーンライダーズの録音へ。

 

12日

ムーンライダーズの録音2日目。くじらさんがマンドリンのフレーズをダブルで重ねようか、と演奏したら、トリルなのに最初のテイクと全く同じテイクが録れて本当にびっくりした。鳥肌がたった。くじらさんは日本の、いや、音楽の宝です。

 

13日

ナイポレ収録。ゲネとレコーディングで頭がいっぱいだったからなのか、収録してる途中に「えっ、これじゃダメじゃない?」と気づいてちょっと入れ替えてなんとか形になった。恐る恐る放送を聞いたらなんの問題もなかったし、放送後の反応もよくて安心した。普通にナーヴァスになっていただけだったようだ。

 

14日

Zepp Shinjuku公演当日。慌ただしくリハーサルをギリギリまでやって(開演遅れてすみません)、本番さえ始まっちゃえばゲネの時の気持ちも忘れて最高だったわけです。本当に嬉しい。終演後、バンドメンバー+重住さんで新宿の中華料理屋で飲む。いい締め。

当日の録音を聴き返すと、ヴォーカルが普段だったら滅多にこうならないのに!っていう音の外し方を何箇所かしていたけど、演奏も歌も勢いがあって、でも緻密さもあり、余裕もあるけど、逼迫感や切迫感も同居する、ある意味理想的なライヴになった。特に本編最後に演奏した「地下鉄の揺れるリズムで」はどっしりと構えてグルーヴするドラムとベース、単純にウキウキさせてくれるパーカッション、なんて優雅なキーボード、管もコーラスもバッチリ、私ものびのびやっている!我々にとってもご褒美みたいな演奏になっていた。嬉しすぎる。

 

某日

ゼキさんとシズラー行ってライヴのご褒美と言わんばかりに野菜を詰め込んだ。

 

某日

取材で母校に顔を出すことに。写真撮影と簡単な取材を済ませて、美術部の副顧問だった先生の忘年会に混ぜてもらった。こうして見ると、本当に時間がたった、ということがわかる。学校出てから20年経つのか。二軒目には3年の時の担任も来てさらにいろいろ話す。今更お互いナンバーガールが好きだと知って、驚く。時間が経てばそういうこともある。会を終えて、少し離れた場所に停めていた車に戻る途中、当時のままのセブンイレブンに入った。なんとなくチャーハンのおにぎりと揚げ鶏を買って食べる。学生の頃、革命が起きた、と思うぐらいに好きだったチャーハンのおにぎりは昔のものと比べると味がぼんやりしていて寂しい気持ちになった。去年の同窓会以降、人生に「懐かし」が必要になってきてしまったことに気がついて狼狽え続けている。

 

20日

M-1を翌日に控え、いてもたってもいられなくて高円寺のジュンジョーで行われたカナメストーンの壮行会に参加する。告知が出たものの、どこでチケットを買ったらいいのか詳細が掴めず一旦行ってみよう、と会場に足を運んで立ち見で観覧。コーナーで元ダイアモンド野澤さん、元忘れる。の橋本さんとカナメストーンの二人でバンドを組んでいて、その演奏が異常に眩しかった。明日はきっといい日になる。

夜は街裏ぴんくさんの独演会に。全体的にもちろん面白かったんだけど途中で「俺の話もさせてや」と「つんく♂ものまねショー」が挟まれるんだけどこれが信じられないぐらい面白かった。会場はもちろんウケてるんだけど、私と妻の他に数人常軌を逸したウケ方してる方がいて、そうだよな、これそういうやつだよな、と心の中で熱く握手を交わす。終演後、妻は「マジでどういうことなの?こんなおもしろいことやってどういうつもり?」と怒り心頭。わたしも同じ気持ちです。超ハードコアでした。

 

21日

今年のM-1はすごい。決勝に残った他事務所組(真空ジェシカ川北さん曰くニセ漫才師)であるママタルト、真空ジェシカヤーレンズは私がお笑いを好きなって劇場行くようになった2017年ごろに新宿バディオスやハイジアV-1など、西武新宿の小劇場でたくさん見たコンビだ。そこにさらに敗者復活戦にはいま劇場で熱い視線を送るイチゴや豆鉄砲、2017年ごろからメキメキと頭角を表していったカナメストーンもいる。最高。だから私は方々で「今年のM-1はママタルトと真空ジェシカと敗者復活で上がってきたカナメストーンが同点で最終の3組に残って、3票ずつ入って大会史上初の3組同時優勝です🫵」とか言ってた。

この日は平松稜大くんのレコ発のゲストがあるため、敗者復活戦をカナメストーンが出るBグループを途中まで見て家を出た。とにかく逐一連絡ください、と伝え、車を走らせる。環八から甲州街道に左折する信号で待っていると、妻からカナメストーンがBブロックをトップで通過したという連絡が入った。嬉しすぎる。ちょっと泣きながら信号を左折して、泣きながら甲州街道を走る。あんな左折はきっとこれから二度とできないし、あんな気持ちで甲州街道を走ること、これから先の人生で何回あるだろう。

なるべく情報を入れないためにSNSを遮断して過ごしていたが、本番5分前に妻から敗者復活はカナメストーンに決まったという連絡が来た。あ!これはすごい!泣いちゃいそう泣いちゃいそう!と狼狽えていたが、開演が10分押してことなきを得た。

本番はフォーク青年平松くんのイメージを透過してスカートでもフォーキーな曲を選んだのだけど、後半お客さんはハードなものもお好みと気づいて、かなりいいグルーヴまで行けたのがよかった。平松くんのステージもいい。やっぱりコーラスがいい。前にベルマインツと一緒にやった時もコーラスに感動していた。我々みたいな稼業は今後どんどんAIに仕事を奪われる。でも人間が集まって三声でハモったときの快楽というのは文明がある限りいつまでも必要とされるものだと再確認できた。いいものみた。

終演後、遠藤賢司さんのスタッフをされていたという方から声をかけてくれて、「エンケンが!にゅって出てきた!」と言っていただく。ちょうどCREAの連載で母について書いた時、エンケンさんが鍵になったばかりだったのでそれもお伝えする。うれしい。そして和装の女性からこれでお飲み物でも……とおひねりを頂戴するなんていう珍事まで発生して驚く。多分人生初。めでたい。

帰宅してM-1を観る。私は正直に話すと、賞レースと折り合いが悪いことが多くて「どうしてこれが決勝に……?」とか思ってしまうタイプの悪いお笑いファンなのだけど今年はそういう疑問がほぼなかった。確かにカナメストーンもママタルトも真空ジェシカも優勝できなかったけど不思議と気分は晴れやか。いい大会でした……

 

22日

朝起きて「カナメストーンが決勝行った世界だ……」となる。

夜、某CM(3年目だ!飲もう金麦)打ち上げに誘われてメンバーにも声かけたら佐久間さんとボーイが来てくれた。中止になってしまったミュージカルで共演していた天野はなさんにも久しぶりにちゃんと会えたしうれしい。暖かい屋内は人がいっぱいだったので凍てつくテラスで冷え冷えのドリンク飲みながら楽しく過ごしていい年末が来ていることを実感した。

帰りの車で佐久間さんとボーイを乗せてどこかの乗り換えが簡単な駅までおろす、という感じだったのだけど盛り上がりすぎてそれぞれの家まで送る。いい年末。

 

某日

iPhone変えたときに契約のプランを見直した。月の使用量みると大体30GB少し超えるぐらいだったので、30GBまでのプランにして気をつけながら使えば問題ないっしょ、と軽い気持ちでプラン変えたら、そのこと自体を忘れてて月末の手前で30GB突破してしまった。1000円払って1GB追加。気をつけながら使っていたはずなのに24時間で1GB使い切ってしまって人生初の通信制限を受け止めることにした。プランも戻した。人生を感じる。

 

25日

J-WAVEのGRAND MARQUEEでクリスマスソングの弾き語りを、というオファーに答えNRBQの"Christmas Wish"と、番組からのオファーで「静かな夜がいい」を歌った。セレイナ・アンさんの前で私のだめだめプロナンシエイションにお付き合いいただくというプレッシャーもめちゃくちゃあったのだけどなんとか楽しくゆったり歌えた。あと「静かな夜がいい」ってSilent Nightじゃん、と当日気がついた。

 

26日

ライダーズのレコーディング。大きなうねりは小さなきっかけからはじまるのだということを思い知らされる。すげーっ

 

27日

シェイカーひとつ持ってyes, mama ok?のインストアイヴェントに顔を出す。お店入ってすごい人がいて本当に嬉しい。トークだけもっと用意すればよかった!と反省しています…… それにしても本当にリリースできてよかった……1/11には阿佐ヶ谷LOFT Aでイヴェントが、1/18にはユニオンのベストアルバムストアでインストアがあります。よろしければ。

そこからカクバリズムの忘年会でDJ。東日本橋の会場のCITANまで歩いて向かう。年末の夜の街を陽気に歩いて気分は最高。CITANの扉を開けるとすでに片想いのライヴが始まっていて、すごい人だった。人をかき分け会場に入ると音の質感が少しこもっていてそれがとてもいい。どうしてこういう音像なんだろう、と周りを見渡すと、厚着の人が多いことに気がついた。もしかしたら厚い服が音を吸ってこの質感になっているのかもしれない、と思ったら無性に嬉しくなった。DJも楽しかった〜いい納め。

シャムキャッツの藤村くんが近くでライヴが終わった後に顔を出してくれて途中まで一緒に帰る。ぼくはぼくで鞄のシェイカーが歩くたびにシャカシャカなって、藤村くんは藤村くんでタンバリンがシャンシャンなっていて最高だった。

 

28日

ムーンライダーズの活動休止ライヴの上映イヴェントに参加。このライヴは当時、自分のライヴとかぶって参加できなかったのが悔しくてblu-rayもってても見れてすらいなかった。でもCDだけは聴いていて、シリアスな曲が多かったこと、当時の気持ちから、重たいライヴ、という印象を勝手に受けていたけど、映像でみるとなんとスカッとしたいいライヴ。「進化したらまたお会いしましょう」の通りのライヴだった。来年50周年、を迎える今、このタイミングで観れてよかった。

 

30日

佐久間さんとスタジオに入って新曲の制作。7時間とって飽きたら帰ろう、とか言っていたのにまとまった休憩1回だけ取ってあとはずーっとあーでもないこーでもない、とやっていて逆に驚く。一旦形になる。

 

31日

夜、毎年恒例の松本家での年越し。飯を食いながらダラダラと新年を迎える。今年もお世話になりました。

スピンスピンスピン

10月13日

沖縄二日目。レンタカーを借りる。3日間借りるのだがこれも安い。どうなってるんだ沖縄。春にきてまた絶対に行きたかったメキシコでタコスを腹一杯食べる。半揚がりぐらいのトルティーヤに必要最低限の具材で本当に美味しい。どうなっているんだ沖縄。その後、ハードオフでレコードをみたりして、再びホテルに戻り、荷物を取りに帰ってOutputに。ぴんくさんとのツーマンは快調。打ち上げは上江洲さんおすすめのむちゃくちゃな牛丼屋でぶち上げて終了。その後2日間、沖縄の食事とマンガ倉庫を目一杯楽しんで帰京。

 

某日

昼はゆっきゅん氏と対談。マガジンハウス社に初めていった。現在発売中のananに載ってます。初対面だから尚更、ゆっきゅん氏と話すということはDIVAについて考えることに近い。自分の中のDIVAはどこにあるのか、そういうことを考えながら「天城越え」も歌ったし、その時私は本当はDIVAになりたかったんだ、と気がついた。ステージではなにか変なギアがかかって、子供の頃からなりたかった、みたいなことを言ったけど、あれは場の流れ的にそういう言葉が引き出されてしまったわけであって、実際にDIVAになりたい自分は居たが、その頃、私の中にDIVAという概念が存在していなかった。子供の、幼稚園ぐらいの頃の私がゆっきゅん氏に接していたら「私もDIVAになりたい」と思っていたと思う。

 

某日

夜ナイポレ収録して、その後、我らがMOONRIDERSのジャーマネ、ミサコ・ノダ氏のバースデーパーティーにちょっとだけ顔を出して、真夜中にユーバランス、ピンク・マチウラ氏、ケント・マツモト氏との打ち合わせ、というむちゃくちゃな一日。とびきり濃厚だった。

 

某日

ayU tokiO、あゆくんと近況を交換しながら親交をあたためる。「澤部君は友達のミュージシャンの情報をRTだったり、シェアしてくれる。えらい」と言ってくれてうれしい✌️

 

21日

さとう。さんとツーマン。湯浅湾とのツーマンと同じ場所、同じツーマン、でも質感が全く違う。割と堂々とやれた気がする。アンコールもさとう。さんの曲を一緒に、スカートの曲を一緒に演奏して、日村がゆく!の高校生フォークソンググランプリからさとう。さんも私もここまで来たんだなあ、と胸にジンとくる。この曲とても好きです。

つよがり ‑ 曲・歌詞:さとう。 | Spotify

 

某日

新婦が知り合いで、可児正さんの結婚の証人になる、というよくわからない人生イヴェント発生。可児さんは2021年の伝説のライヴ、「サラリーマン川西の夏のボーナス50万争奪ライブ」で初めて見て衝撃を受けた。その時は北島三郎氏の「まつり」に合わせて果物がどういう並びになるか当てるクイズに挑む、という内容で、「まつりだ」が持っている断定の「だ」の意味合いが知らない間にすげ変わっていく気持ちよさにはシビれた。

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ちょっと前にグレイモヤGで見たこのネタもヤバい。「ボレロ」が持つトランシーな部分を明石家さんまを通して見つめる。

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パフェ食って、ハンコ押して、ゲームセンター行って、と大変有意義な時間だった。お幸せに!

 

23日

ムーンライダーズのファンクラブイベントのためのリハーサル。滅多にやらない曲から意外とやってる曲まで幅広くやりたい曲をみんなが言い合うセットリストに。名曲ばかりだぜ…… 私のリクエストは「彼女について知っている二、三の事柄」でした。夜は決起集会。1月のライヴのセットリストも優介と共に任されることになり、本当に気が引き締まる。

 

24日

ユーバランス。ぴんくさんとのツーマン。アウェイもアウェイ。でも「何が起こるんだ?」と観に来てるお客さんばかり、という意味ではホームでもあった。2時間半の予定で演目組んだら3時間半近くになっちゃってたことがある我々としては退館時間とのせめぎ合いでもあったけど、短い時間の中で妙な爆発が何度も起きていてめちゃくちゃに楽しかった。終わったあと中華料理をみんなで食べながら大いに語らう。

 

25日

紀尾井町で行われたパンと音楽のイヴェントに出演。小雨降る中、正直人来ないかもしれない、なんて思っていたけど全然来てくれて本当に嬉しい。野外と無料という条件が重なるライヴは調子良くできる傾向がある気がする。ギターケースを演奏するテントのふちに立てかけておいたら、テントが微妙に雨漏りしていてケースが湿ってしまった。むう。

終わってすぐ会場を飛び出し、ライダーズのファンクラブイヴェントへ。演奏もいい調子。「今すぐ君をぶっとばせ」とか演奏していて気持ちがよかった。

 

某日

細野さんのトリビュートの録音。小西さん本人から締切はいついつ、と言われたあと、事務所がやり取りした過程で「XXまでに完パケ」と伝わって、それをめがけて作業するつもりだったのだが、その日にマスタリングを終わらせたいという意味の完パケだったそうで小西さんから「まだですか……」と連絡が来て冷や汗がドバドバ出た。仕込みはあらかた済ませていたから、どっしり録音することはできたが、ミックスしているうちにだんだん「変だな」と思う箇所がでてきた。ジムで体を動かしながら何度も聞き返して原因がどこにあるのか考えて、ひとつコードが違う、ということがわかった。冒頭の下降していくところ、3拍目をF7で弾いてしまっていたけど、FM7だった。この曲調でそんなことあるのか!ぎゃーっ!なにかに!細部のなにかに触れてしまった!翌日録音し直す。前日のテイクを超えることもできて、安心。なんてプレッシャーのかかる仕事!内容にも満足。嬉し過ぎる。

 

某日

ホフディランとのツーマンでセッションをやろう、とお声がけをいただき、事務所でちょっとした用事を片付けてからリハーサルに向かう。私からは「極楽はどこだ」を提案、ホフからは「ストーリー」。鉄壁のホフの演奏がとにかく最高。特にキタダマキ氏のベースラインがメロディアスで、そういうやり方があったんだ、と目から鱗が落ちた。キタダマキ氏は言わずと知れたSyrup 16gのベーシストだが、私からするとパラダイス・ガラージの「I Love You」のベースを弾いたミュージシャン。人生の1曲であるその曲のベースを弾いた人だ。単純にぎゃーってなる。

 

31日

尊敬する(こういう言い方って、ちょっと斜に構えたニュアンスとかも混ざっちゃう気がするんだけど、本当にこういう他ない大好きなミュージシャン)真部さんの新プロジェクトwidescreen baroqueのイヴェントに呼んでもらう。widescreen baroqueはベーシストであり、ギタリストである真部さんがギターもベースも入れない野心的なプロジェクト。これとかめっちゃ好き。

NO.5 ‑ 曲・歌詞:Widescreen Baroque | Spotify

久しぶりに会う真部さんは気さくで優しかった。今度こそ絶対に飯いきましょう、という。そうです、私は飯を誘えない人間……私は変わった、絶対に今度こそ誘う。

 

11月1日

翌週に迫ったフルバンドでのライヴのリハーサル。慣れてる曲ばかりだったこともあるかもしれないけれど、スッとまとまる。

 

2日

ホフディランとのツーマンで早稲田大学に足を踏み入れる。ここがあの……早稲田……!どんなイヴェントに呼ばれても普段はそんなこと考えなかったのに、この日ばかりが「みんなエグい受験を経てここにいる……中学入試以降まともな入試を一切受けていない私とは……一体……」みたいな気持ちが支配してくる。控室はアメリカの刑務所のような殺風景な廊下のただなかにあり、気が引き締まった。出演する教室はお笑いサークルのLUDOの隣でなおピリっとして、会場に入るとホフディランがいるもんだからさあ大変。ホフは子供の頃に見た「長い秘密」の飛び蹴りをかます広告の写真が心に刻まれていて、子供の頃によく聴いた清志郎さんのトリビュートライヴではワタナベイビー氏が参加していたし、日本でTMBGといえば小宮山雄飛氏だし、スカートがメジャーデビューした頃、ホフもポニーキャニオンに復帰して、ちょうどリリースも近かったから親近感を勝手に抱いていた。それぞれに直接、間接、飛び火的に影響を受け、今日がある、というのが嬉しい。ライヴは最高だった。「欲望」も聴けて嬉しい。

ライヴが終わって祭りも終わりに近づいた校内を少しだけうろつく。大隈重信銅像と写真を撮り、帰路に着く。行きは高田馬場からタクシーで向かったのだが、サスペンダーズのラジオのタイトルよろしく、私も「馬場歩き」を体験してみたい、と高田馬場の駅まで歩いて帰った。豊かな時間だった。

 

3日

大阪、北加賀屋の造船所跡地で行われたイヴェントで弾き語り。正直ミスとかもたくさんあったけど、雰囲気がよく、ライヴとしてはすごくいいライヴになった。終演後、DJも任されていて、海っぺりのちょっと高いやぐらのようなところに仮設されたDJブースで好きな曲をかける。夕暮れの海辺の景色とラー・バンドの相性が素晴らしく、この秋一番の思い出になった気がする。

 

8日

ローカルグリーンフェスティバルで赤レンガ倉庫へ。10年前に比べると野外で演奏する機会も格段に増えた。野外で演奏するのは、集中するのは難しい時もあるけど、それでも楽しい。この日も遠くに見える人の流れが心地よかった。自分たちの演奏はまったく関係ない人たちが、遠い景色のいいところ歩いているのが見えたのだ。どの曲の演奏がうまくいった、とか、印象に残った、というよりは、なんかよかった、というよりない。

 

15日

ダウ90000の「ロマンス」追加公演を観に行く。とにかく面白かった。舞台的な表現が〜とかあそこのシーンで誰々が〜とか言おうと思えばいくらでも言える。しかし「伝えたいことはしっかり伝えなければ」と思わせてくれたことを伝えたい。「ロマンス」を観て「スペシャル」を出した時に「CD・買ってくれ」と言えた。きっと「ロマンス」を観てなかったら「CD・買ってくれ」なんてナカグロいれて言っていなかったと思う。

https://officekanibubble.zaiko.io/e/roman-senyu

 

16日

tbちゃん(tofubeats氏)のライヴにシークレットゲストとして参加。寿司スナイパーオカミのワタールとして初めて人前に立つ。歓声がちゃんとあがってひと安心。寿司スナイパーオカミはtbちゃん(tofubeats氏)の狂人サイドの割合が多いプロジェクトだったので意外と求められてないこともありえるのか……と一瞬思っていたが、頼もしい仲間たちに囲まれ、私も狂人としてステージに立てた。音楽って本当にいいな、って思えることって何度もあったけど、この日の「音楽って本当にいいな」は角度が全く違って最高だった。痛快だった。

 

20日

ワンマンに向けて一旦スリーピースでセットリストを詰めていく。ゲスト多く、パズルのように組み上がった第一案をもとにして、ここがこうなったらもっといいのでは、というのをやりあってセットリストが仕上がった。人生最大規模のワンマンももうすぐそこに迫ってきているのだ。

 

某日

11月は制作。空いた時間は作曲に捧げた。11月中に3曲作った。もっと書きたい。

それに加えてコードブックの準備もしていく。過去にコミティアで作っていたコードブックをワンマンの物販で売ろう、という話になったのだ。久しぶりにあーでもないこーでもない、とギターを持ってコードを書き込んでいく。忘れていた押さえ方がいくつかあって、自分のためにも、いい。

最後のだってしょうがないじゃない

9月23日

ファミレスで譜面の最終整理。リハで躓いたところなどを整理しながら譜面に強調のメモを追加したり、曲によっては五線譜をやめて歌詞だけみる、コード譜をあらたに作る、などの作業をする。これでバッチリ。

 

24日

ムーンライダーズ「ANIMAL INDEX」ライヴの本番。ジョーゼットの幕をメンバーの前にそれぞれ垂らして、そこに映像を投影する、というリリース当時にはテントの中で行われたというライヴの雰囲気を踏襲した演出。スタジオのリハーサルではジョーゼットの幕までは取り入れられなかったから、ここで初めて対峙する。想像上ではやりづらいことこの上なし、かと思ったけど、いざやってみると見えないことはあまり問題ではなかった。しかし会場の特性なのか、反響と低音の回り込みがすごくて狼狽える。リハーサルの半分以上はトラブルに見舞われて、それの対策をどうとるか、などに費やしてしまった。最終的にはいいところに着地できたが、それでも本番、人が入ったら吸われると思っていた低音がより膨らんでいて驚く。低音が回り込んでくると、途端に音階というのがわからなくなってくる。慶一さんも悔しい思いをしたそうだ。私はなんとか気合いで乗り切っていたが「駅は今、朝の中」でいよいよどこを歌っているのかわからなくなった。少し焦って、すぐに冷静になって、初めて「駅は今、朝の中」を聴いた18歳の自分、それ以降、その時々に「駅は今、朝の中」を聴いてきた自分、歌ってきた自分に助けを求めてなんとか乗り切ることができた。録音を聞き返せてはいないけれど、観にきていた妻曰く、問題ないとのことだったので一旦はそれを間に受けることにする。終演後、じゅうたんの導入や、イヤモニの導入など真剣に考える。イヤモニはまだ懐疑的で、歌っている時に顎全体がガッツリ動いて、その動き次第で耳の中で聞こえ方がその都度に変わる、という経験があって、そういう集中力の削がれ方は私にとっては負担が大きく感じるところがあって、じゅうたんあたりから始めるか、と落ち着いた。

 

25日

想像力の血のリハーサル。初手も初手に "Blue Book"を合わせているとき、「ここはフリーで」と言われて、佐久間さんも私もさぐりさぐり優介のいう「フリー」の意図を探っていると「二人ともフリー下手っすね〜」と言われてしまった。速度がはやい。

 

26日

青森に向けて出発。翌日、りんご娘さん擁するRINGO MUSICさんのフェスに出演するため、前乗り。スタッフなしのひとり旅。青森に行くのは初めて。本州でいうなら仙台より北に行くなんていつぶりだろう。子供の頃に雫石にいった記憶はあるが、それが正しいのならばそれが最北。新青森について、iPhoneの充電が寂しかったので構内にある時間貸しの充電器を借りていたら、弘前行きの電車に乗り遅れそうになった。息を整え、座席に座ると流れていく景色があまりにも知らない景色。とにかくススキが多い。今までススキがこんなに揺れてる景色を見たことあっただろうか。多分ない。でもこの景色を私は知っている。思いめぐらせてみると、四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」で歌われる景色だと気がついた。

空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ ‑ 曲・歌詞:四人囃子 | Spotify

夕暮れ迫る弘前に到着して、ホテルにチェックインして荷物を預け、また駅に戻る。GoogleMapにレコード屋と入れたら出てきたジェイ・アンド・ビーというお店があるらしく、黒石という駅に向かった。少し外れた場所にあるレコード屋は無条件でわくわくするものだ。とても駅にある券売機とは思えない、学食にある券売機のような券売機できっぷを買い、2両編成の電車に乗り、黒石を目指す。外は暗くなっていて車窓の景色さえ流れていかない。灯りばかりがどこかにある。40分経たないくらいで黒石について、遠くに来たんだな、と改めて思った。閉店間際だったので焦っていたが、駅を出たらタクシーが停まっていてなんとかなる。店の入り口が見つからずに電話をかけると地図上のピンからすると想定外のところに店はあった。お店の広さも置いてあるものもめちゃくちゃいいし、次の電車が来るまで、と閉店時間が過ぎてもレコードを見せてくれた。ブレンダ・ラッセルのセカンドやセルジオ・メンデスのYe-Me-Leなんかが買えて嬉しい。会計の時にお店の方が「珍しいものがあるわけじゃないでしょう?買い付けとかじゃなくて買い取りだけでやってるから……」なんて話してくれて、買ったレコードの重みが一気に増す。気が引き締まった。

弘前に戻って、葛西さんが薦めてくれた居酒屋に向かったのだが、残念、満席。しかし、カウンターで食事をしていたご夫婦が私に気がついてお店に「もうすぐ食事も終わるからここに彼を」と話をつけてくれた。なんと明日のライヴで観に来てくれるそうで、さらに昨年、新潟で上海という人気の中華料理店で、行列を見てそのまま帰っていくスカート一行を目撃したことがあったそう。2017年だったかな?とにかく昔行ってとてもいい思いをした記憶があったから今回も行きたいね、なんて話していたのにリハーサルの合間だったから行列に並ぶ時間はなくてなくなく断念したのだった。そういうこともあり、せっかく弘前まで来たのに!と話をつけてくれたのだそう。ご厚意にあまえてひとり居酒屋でひとり飲めない日本酒を飲みながらこれもおいしそう、あれもおいしそう、と注文してたらいい値段になっていて驚いた。そういうば1人で居酒屋に来たことなんてほとんどなかった。人は傷ついて成長する。それにしても何を食べてもおいしかった。ピーマンの天ぷらがこんなにおいしいなんて知らなかった。最高。

2日後に本番を控えた優介のリハ音源を聴き返しながら青森の夜を歩く。

 

27日

ライヴ当日。10月も目前の青森でしょ、長袖でしょ、と向かってみたのだが、激アツ。夏みたいな天気でたじろぐ。少し時間があったので弘前のいくつかの和菓子屋をめぐることにした。戸田うちわ餅店までタクシーで向かい、餅を買い、歩いて大阪屋まで行く。雪国だときいていたわりには雪深そうな装備がある街に見えず、ハテ……と思う。札幌は入り口が二重になったり、高くなっていたはずだ。でもそういうムードはなかった。各家に掲げられた灯油のタンクが印象にのこる。大きな大学病院のそばを通って、道路の反対側に不動産屋があったので横断歩道を渡り、その土地の賃貸の値段や、一軒家の値段を見て、東京はどうしてこんなに家賃が高いんだ、とめそめそする。私が2016年に部屋を借りてから、大家に払った金額でしっかりした一軒家が買えることがわかって人生の意味を大きく見つめる。

大阪屋は店構えからして名店の雰囲気が立ち込めていた。気になっていた竹流しを購入。「錦玉」とだけ書かれた紙が貼ってあって、パワーを感じ、それも購入。買ったお菓子をひとつも食べていないというのに達成感がある。老いている証拠だと思う。会場に向かうためにタクシーを拾おう、と不動産屋のあった大きい通りに出る。地図上だけの質感で見るとタクシーアプリで配車しないと捕まらなさそうな雰囲気なのに意外とちょいちょいタクシーが通るらしく思ったよりもすぐ乗れた。街というのはわからないものだ。

無事に会場に入り、前室に1時間前に入るという珍しいスケジューリングだったが、これ絶対いいフェスじゃんというのが仮説のテント越しにひしひしと伝わってくる。さあこれからステージ、というときに主催の方がやってきて、「今日も観にきてくれている友人の奥さんがあなたのご両親のいとこなんです」と言い出した。えっ?登場人物多くない?どういうこ?と動揺しているうちに出番がくる。笑っちゃった。

ステージは極めて暑く、日光が直にあたり、目が開いているのに、目視しているのに歌詞カードが読めない、という現象に見舞われる。過去にもあったのでそれほど驚きはしなかったけど、あの現象なんなんだろうな。

終演後、一息つきながら母に連絡を取る。すると父のいとこだということが判明。物販に向かうと、その友人と奥さんがいらっしゃって、最初は親戚があまりに多い家だったから思い出せていなかった。めっちゃ多い祖母の兄弟・姉妹(確か8人いる)をそれぞれの住んでた地名で認識していた(阿佐ヶ谷のばーばなど)のだが、ある地名をきっかけに段々と思い出すことができた。なんと物販までめちゃくちゃに手伝ってもらって本当に助かった。カクバリズムは時給払ったほうがいい。物販を終わらせてふぅ、と一息をつきながら昼食。ケータリングは青森の地のものの小規模なビュッフェだったのだけど、どのメニューもめちゃくちゃおいしい。獄きみという品種のとうもろこしの天ぷらとか、椎茸を焼いただけ、みたいなシンプルなものにこそ強い力が宿っているような気がして(昨夜のピーマンの天ぷらも思い出して)ちょっと恐ろしいものを感じてしまうほどだった。

ぼちぼちおいとまします、というときになんと父親のいとことその旦那さんが新青森まで送ってくれる、というではないか、しかも寄りたい、と話していたJOYPOPSまで寄ってくれる、という。ダメ親戚ムーヴでJOYPOPSに寄ってもらうと、昨日のジェイ・アンド・ビーとはまた違った天国。いい角度でいいレコードがたくさんあった。特に「火の玉ボーイ」のLPは嬉しい。1時間ほど見ただろうか、本当に迷惑な親戚だ、と思いながらも私はDigを止められないのであった。ダメ親戚というよりもダメ人間そのもの!そして新青森まで送ってくれて、なんと土産まで渡してくれたのだ。俺はいろいろ払ったほうがいい。間違いなく酒飲みである母に届けます、と誓い、新幹線に飛び乗って、東京に戻る。

 

28日

優介のユニット、想像力の血のライヴのため、神戸に向かう。ゴリラ祭ーズとの対バンで嬉しい。QUILTという新しくできたライヴハウスは以前は変わったカフェだったそうで、その豪華さの名残がある豪華なソファや机にシビれる。リハーサルが終わって、カレーをいただいて、ホテルの部屋に入って束の間眠った。ぼんやりした頭でQUILTに戻る時、シャツにシミができていることに気がついた。私はまたカレーをこぼしたのだ、オフホワイトのこのシャツに。情けなくて泣けてくるよ。トイレで落とそうとするも落ちなくて肩にも似たようなシミがあることに気がつく。つまりカレーではない。しかしシミがつくような瞬間などあったか?おれはこのシミに気づかず東京から神戸まで来たのか?情けなさばかりが増す夜。

少し遅れてゴリラ祭ーズのライヴ。一曲逃した。無念。めちゃくちゃよかった。下世話な言い方するけど売れるよ。

本番はちょっと段取りグダついたことを除けば楽しく演奏ができた。特に"Quaggi"は格別。ギターを弦楽器というより打楽器のつもりでぐしゃぐしゃ弾くのが楽しい。でもときどきコードも鳴らせる。なんて曖昧。それを許してくれるような器の大きい曲なのである。

Quaggi ‑ 曲・歌詞:想像力の血 | Spotify

終演後、ホテルに戻り荷物を置いてゴリラ祭ーズと軽く打ち上げ。魚が苦手な私でも打ち上げの席なら勇気を出して試せる。この日は佐久間さんがオーダーしたカツオがうまい、というので試してみたがダメだった。しかしアジフライはいけた。日進月歩。3人とも腹いっぱいだっていってるのにラーメン食って穏やかな死を迎える……はずだった。

ホテルに戻ると鍵がない。普段は注意深くホテルの鍵と接している私が、日々の張り詰めた連続から警戒を解いてしまったようだ。立ち寄った店の全てに電話をかけたがどこにもなく諦める。フロントに「諦めたんですけどどうしたら……」と訊ねると、再発行するとその時点で料金がかかるのでチェックアウトまで探されたほうが……とのこと。「料金」と確かに言ったが、詳しくは聞かなかった。眠れなくなるからね。

 

29日

鍵はもちろんなかった。チェックアウトの際、ヒジャブをしたフロントの女性に「鍵をなくしてしまったんです。探したけどやっぱりなかった」と伝えると、9000円かかる、と言われる。盛り上がるオーディエンス。ホームランバッターにでもなった気分だ。「一応伺いますけど……まからないですよね?」と訊くと、彼女はふふっと笑った。オーケー私はその微笑みに9000円を支払うんだ。

「傷心の先輩が行く店選んでください」と優介が言うので、真城さんが前にインスタに投稿されてていつか行ってみたかった洋食のあさひというお店に行く。人気店だけど平日だからそんなに並んではなかろう、と思ったら大行列。新幹線の時間に間に合うか心配になる程だったが、結果最高のランチになった。傷心の先輩を前にして後輩がランチと新幹線を待つ間のクリームソーダを奢ってくれた。ぴえん🥺

東京戻って速攻ナイポレ収録が終わってやっと一息つく。慌ただしい秋が過ぎていくが、長袖では暑い日が多かったこともあり、風情を見出せない。

 

某日

提供曲の作詞。いい具合。

 

10月4日

MASH UP FESTIVALというフェスで高野寛さんと共演。神戸に向かう。起きる時間を一時間間違えてしまったことに気づいて大いに焦った。土曜日、満席の新幹線はこんなに心許なかっただろうか。ギリギリに到着。会場に到着すると、我々の直前の出番の川辺くんの本番が始まるちょっと前のタイミングだった。フェス自体は神戸の海辺の公園の何ヶ所かで開かれていて、私と高野さんの特別デュオは小規模で自由度の高いステージの出演だった。川辺くんのリハを聴きながら、セッションの数曲の確認を済ませて本番。会場は確かに海辺の公園のはずなのだが、あまり海っぽくない。でも海岸線再訪を歌う。前を向くと海辺の気配だけはする。ステージの後ろは古い建物に新しい建物がくっついたような建物も見えていよいよ情緒がおかしくなる。ステージは好調。一緒に演奏した「夢の中で会えるでしょう」には感激。

ステージを終えて、高野さんと夕食をご一緒することになる。少し時間があったので塩谷のジパングレコードへ。地図を見てみると、電車に乗れば夕暮れの海辺が見れるのかもしれない、と思ったのだけど、全然そんなことはなかった。塩谷の駅で降りるのは多分はじめて。10年ぐらい前にライヴで何回か来たけど、どれも車で行ったはずだ。古い駅の階段を降りて、駅前の小さな商店街を歩く。車も通れないような狭い道でなんだか嬉しい。道がまっすぐじゃなくて嬉しい。小さなのぼりくだりがあって嬉しい。すぐにジパングレコードに着いた。店内はニューウェーヴのいいところがかなりあった。ニューウェーヴと捉えていいかわからないけど、もっと体調がよければ(それか気持ちがニューウェーヴだったら)レジデンツとか絶対買ってた。高野さんとの待ち合わせまでまだ時間があったので線路沿いを歩いて須磨まで歩いてみることにした。ところがランナーと釣り人しかすれ違わないような暗黒街道で、容赦なく陽は暮れるし、海はほとんど見えないし、潮風の感じもなく、情緒のようなものはほぼなかった。ただしっかり歩いた、という気概だけが体に降り積もる。そして思ったよりも須磨まで遠くて高野さんとの待ち合わせに遅刻してしまった。すみません……

 

6日

湯浅湾とのツーマン。お声がけに気が引き締まるタイプのオファーで、ちょっとチャレンジするつもりで立ち向かった。ブランクスペースがいい出来だった記憶がある。久しぶりに「しるしをたどる」をやる。『SONGS』はライヴ映えとか考えないで書かれた曲がほとんどだったから今のモードだとやりづらい曲が多いんだけどやっぱりいい曲多い。なんてことない曲だけど、それがいい……

しるしをたどる ‑ 曲・歌詞:スカート | Spotify

 

9日

なおみちさんを介してクジヒロコさんにお誘いを受けてクージー祭りに初参加。迷いに迷って「喝采」「ハッとして!Good」「ハイティーン・ブギ」「天城越え」でキめる。もっとマニアックに行こうか、とか思ったんだけど、どういうわけか正面切りたくなってしまった。リハに入るまでは心配で仕方がなかったのだけど、一度合わせさえしちゃえばなにもかもがばっちり、俺は今夜、たからかに歌うためだけに生まれてきた、と思わせてくれるもんだからクージーバンドはすごいっす。ライヴもトータルで最高だった。特にex.くるりもっくんさんがドラム叩きがたりで遠藤賢司さんの「俺は勝つ」を歌ったところは本当にグッときた。もっくんさんはエンケンさんのバンドのドラマーとしても活動していた分、なんだか泣きそうになった。俺は多分ああいうふうに「さよならは夜明けの夢に」を歌えたりはしない。本当に言葉にできないのだけど、感銘を受けたし、感激したし、出番の前だったこともあって、冷静になろうと努めたけどほとんど泣いてた。すごいものを見た。「天城越え」だけTikTokにフルであげてます。気になる方は自分で探してください。

 

12日

沖縄で街裏ぴんくさんとのツーマンがあったために前乗り。ひと月ぐらい前に2泊3日でパックになってるチケット取ろうとしたら普通に一人で8万ぐらいしたんだけど、3泊4日にしたらめっちゃ安くなったので妻も連れて夕方の飛行機で沖縄に入る。到着したころには浮かれた感じと怠惰が重なり合ってホテルのレストランのビュッフェに飛び込む。メニューはなんと九州の名物料理特集で、沖縄らしいものがほとんどなくてそれはそれでいい。

だってしょうがないじゃない・征服

8月20日

カクバリズムの夏祭りでDJ。社長とバック・トゥ・バックで盛り上がる。Advertisingで大盛り上がりしたのは今年の夏のいちばんいい思い出のひとつといっていいっしょ。

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全出演者最高だった。毎年思うけどもっと人来ていい。キセルは私の考える国の宝です。涼しい顔で心の深いところまで入り込んできて掻き乱す。でも不快感はない。いくつもある「音楽ってそうじゃなくっちゃ」の大いなる一つ。

 

22日

美術部のマブ、石村まなみがアメリカから帰国して国内でレジデンスで制作をやって、それの展示をやっている、というので本人と友人(ジューリア / 演劇部に顔出してた時期に演じてた彼女の役名がジューリアだったから今でもそう呼んでる。俺だけ)と妻の4人で長野に向かう。我々からしたら比較的早めの時間に集合して、昼過ぎの到着を目指してゆっくり長野に向かった。途中、アメリカ暮らしも長くなったまなちゃん(石村)が「AC……あ、ごめん、エアコン」というのを2回繰り返したので全員が同時に「ACでいい」といったのが非常によかった。休憩のために寄った道の駅で果物とナイフを買ってそのままアッチアチのベンチに腰掛けて食べる、みたいなワイルドな振る舞いは人数いないとできないから楽しい。

事前にまなちゃん(石村)からは「あたしも運転するよ〜」と言われていたのだが、後部座席から「ミラー、ガコンってやっちゃって」と聞こえてきたのでひとりで運転することを決意したのだった。

石村の展示は壮観だった。この土地で製作されたという作品と、美術館自体の持つパワー見たいなものがかけ合わさって大変素晴らしかった。同級生として鼻が高いぜ。ちょっと休憩をして、渋温泉を回ることになったのだけど、これが嬉しかった。去年渋温泉でライヴをやったときに、宿の風呂はいくつか入れたのだけど、渋温泉の醍醐味でもある外の温泉は回れなかったのだった。ここぞとばかりに3箇所回った。疲れを取り、無事ひとりでの運転を完遂することができた。

 

某日

レーニングルームでエアロバイク漕ぎながら息も絶え絶えDuolingoやってたら、以前にも一度声をかけてくれた青年から再び声をかけられた。「スペシャル」のツアーを観てくれたのだそう。「スターみたいでした」って言われたような気がした。エアロバイクとDuolingoに全ての感覚を捧げた私が導き出した幻聴かもしれない。俺にもスターみたいに振る舞えた瞬間があったってことなのか……?とデヴィッド・ボウイを思い浮かべる。想像力は年々衰えていくものだとしても、貧困にもほどがある。

 

23日

台風クラブのワンマンを観に行く。最高。普段のライヴではバンドの演奏の中にある石塚くんの歌がしっかり響いていて、堂々と歌っていて、そこが本当に良かった。

 

某日

NICE POP RADIOのために「灯りは遠く」を弾き語る。レコーディングのときぶりに演奏するから、最初のコードを探るのに時間がかかった。ちょっとだけ変な開放弦の響きがあって、譜面にどこ押さえたか今後は書こう、と後悔。

 

27日

Fievel Is Glauqueを観に行く。彼らを初めて聞いたのは忘れてもしない、中野駅のホームだった。SpotifyBlossom Dearie Singsの最後の曲を再生して、スキップ、するとこのアルバムがお好きなあなたに、と言わんばかりにおすすめを提示してくれる。そのおすすめの中にFievel Is Glauqueの"Go Down Softly"があって、私は一発でやられたわけです。サブスクで現行のアーティストを好きになる、みたいな機会がまだギリそんなに多くないので少し戸惑いながらも作品を聴いていくわけです。するとどうでしょう、彼らの音楽はものすごくいい意味で捉え所がない。ポップでありながらポップにおいて重要な何かが欠けているような音楽で、好きで何度も聴くんだけど、聴くたびに頭のなかで同じ形でとどまってくれない。想像力の血の音楽もそういうものだけど、そういうポップさ。なんといびつなポップさ!その彼らが来日っつーわけなので大変。ライヴもべらぼうによかった。頭の中の形のままの曲もあれば、ちょっと変わっている曲、そもそもわからない曲が全部混ざるとどーでもよくなって、フラットになっていくのが本当に気持ちよかった。ふにゃんとしているのに芯があって実にミョー。いい夜でした。

Go Down Softly ‑ 曲・歌詞:Fievel Is Glauque | Spotify

 

某日

楽曲を書いた声優の土岐隼一さんの歌Recのために初めていくポニーのスタジオで録音。土岐さんが来る前にパラダイス・ガラージ/豊田道倫トリビュートの歌も録音。3月に「ひとつ欠けただけ」のストリングスを録音した際に一緒に録音していた弦楽四重奏、これが私の夢でした。私の夢という点でいうなら、あとはムンズの"Carsex"をジャズトリオで録音すれば完璧です。とにかく感無量。

土岐さんのレコーディングはスムーズで普段の自分のペースと照らし合わせて考え込んでしまった。指示らしい指示をしていない気もするけど、そう言う指示を一瞬で自分のものにしてしまう力があって惚れ惚れとしていました。アルバムでどうあの楽曲がなるのか、多分浮きます。でも楽しみです。11月発売。

 

9月5日

PUNPEEさんとBIMさんのライヴで代官山UNITPUNPEEさんはいつも違う景色を見せてくれる。今まではまずストーレート、シンプルに会場の規模感でそれを感じたのだが今夜はUNIT。我々も何度か立ったことのあるステージだ。ぎゅっとした客席で大盛り上がりの観客たち。毎回思うのだけど私ももっと頑張ろう、と強く心に刻む。楽しい夜だった。締切を抱え、打ち上げにも参加できず家に帰る寂しさよ。

 

6日

ナイポレ収録。「クイズ選曲」をリクエストされ二転三転しながら、疑問形の曲でひとまとめでどうだ、とどうにかこうにかまとめるも迷いながら走っていてなんだか締まりが悪かった。全体がぼんやりする回はそれはそれで好きなんだけどWho Are You(The Who) / あんた誰?(谷啓) / 誰だっけ?(ゆらゆら帝国) の3曲連続が良かった分、出だしも後半もうまくまとまらなかったことがずっと心にささくれのように残った。

 

某日

藤井隆さんとラジオの収録。これが本当に楽しかった。藤井さんと会って、話して、最近人とちゃんと話してなかったかもしれない、と気がついた。話の頭に「なんか」と言ってしまうのがここ何年かのクセになってきてしまっていて、それを是正しよう是正しようと何度も思っていたはずなのに、ここでもそれが出てしまったし、話すのが楽しい、となるとそんなことどーでも良くなってしまって「なんか」が出てしまうのだった。これをどう受け取ったらいいのか、まだわからないが、いまはもっと人と話をしたい、と思う。

 

12日

荻窪でライヴ。家から近すぎて遅刻した。Top Beat Clubは初めて行く箱だったけど、いわゆるキャバーンクラブのようなつくりでめちゃくちゃかっこいい箱だった。独特の反響や慣れないヴィンテージ機材に手こずりつつも「やり切るしかねえ」という強い気持ちに身を浸し、ライヴは無事完走。いい演奏をするだけがいいライヴではないが、この日はまさにそう。決して余裕のある演奏を聴かせることができた、みたいな手応えはなかったけど、振り落とされまい、と気を張り続けて独特の緊張感の中、達成感を得る、と言ったようなライヴだった。

 

某日

突然バービーボーイズがわかった。処分するレコードを選んでいる時、過去に「いつか好きになりそうだな」と買っていた「Black List」というLPを改めて手に取って、針をおろしたら度肝を抜かれた。「C'm'on Let's Go」のアコギの音が眩しくてものすごく引き込まれて、そこからちょっとずつ聴いていたのだけど、「泣いたままでListen to me」で「しゃくりあげてわめいてもいいんだ 殴りたけりゃ今日がその最後のチャンス」という歌詞が耳に入ってきて、最後なんて歌うんだ……!?と期待して待っていたら「言葉の通りだぜ」と締められて圧倒される。やられた。最高。しかし迫り来るライダーズのリハに備えてチャンネルを書き換える。

泣いたままで listen to me (Original Mix) ‑ 曲・歌詞:バービーボーイズ | Spotify

 

14日

「ほうせんか」という映画の深夜イヴェントでDJ。監督はオッドタクシーの木下麦監督で、音楽はcero。直前までレコードを選ぶ。これが大変だった。映画のトレイラーを観て、時代背景も見えきらなかったから70年代頭ぐらいから現在に至るまでの「日本の」「レコードを」「たくさん」持っていった。それに加えてついでに何かあったときのために、とUSBも持参。車で渋谷へ向かったのだが、祝前日、深夜の渋谷をナメすぎてた。超快調にbunkamuraの交差点まで来たのだけど、円山町の坂に差し掛かった途端に人が溢れすぎていて車が動かなくなってしまった。左折しようとしたら道の真ん中にペットボトルが置かれていて、これが本当に人間のやることなのだろうか、とゾッとする。ここは私の知っている渋谷じゃない。nestの隣のクラブの黒服のセキュリティがここまで頼もしく見えたことはなかった。

映画はとてもいい映画だった。物語に殉じる傑作と言っていいでしょう。静かなのに活劇のムードもあってそこが良かった。

とにかくEASTの環境で聴く「8月の現状」と「EXTRA」の音の素晴らしさは一生忘れないと思う。最高だった。USBに入っていた曲も1曲だけかけたけど、「25セントの満月」でみうとと氏がぶち上がってくれたから持っていって本当によかった。

25セントの満月 ‑ 曲・歌詞:ゆうゆ | Spotify

 

某日

コロナに罹ってしまった母の代わりにジョジョグッズを恵比寿に買いに行く。暑い。夏が終わってくれない。普段、酒とは一定の距離をとって生きている自分からしたら酒造関係の施設に近寄ることさえ稀だったので、いいカルチャーショックになった。

 

19日

ムーンライダーズのリハーサルが始まる。ANIMAL INDEX and more。優介とand moreを選曲して、メンバーおよびスタッフに投げて、みんなで揉んで今回の形になった。and moreはもちろん、ANIMAL INDEXの名の下に選曲。ふたりで動物がテーマになった曲を出して選んだ。「"アニメーション・ヒーロー"はどう?天井裏に一匹のネズミ!」「さすがに細か過ぎますよ」と愉快かつシリアスにご覧いただいた選曲になりました。アンコールは最初別の曲が挙がっていたけど、みんなと共有していく過程で誰からか他のにしたいね、なんてなって、人間がテーマになっている曲として二人で選んだ3曲が全曲採用になった。初日は緩やかに始まった。大枠を埋めるというよりも、初日から細やかにああしよう、こうしよう、と詰めていったらみっちりやってて、この日はアルバム全曲までは到達できなかった。

 

20日

ライダーズのリハーサルの前から決まっていたライヴのため、リハをお休みしてつくばへ向かう。機材車の移動で良いですか?とスタッフに訊かれて固まった。以前、Kaedeさんのライヴで新潟に機材車で移動したとき、私は助手席に座っていたから気が付かなかったのだけど、背もたれが座面に対して直角だったことから佐久間さん曰く「中世の拷問」だったのだそう。それでなおみちさんと佐久間さんに訊いてみると「居住性は機材車よりN-BOXの方がいい」というので自走でつくばに入ることになった。ちょっとしたドライヴ気分でライヴに向かうなんていい身分だし、実際に最高だった。リハーサルが終わって科学館にみんなで行ったのも良かったし、適度にほぐれたのか演奏も良かったと思う。やはり畳野さんと一緒に演奏した「波のない夏」と「ひとつ欠けただけ」は印象に残った。帰りの車ではiPhoneを佐久間さんに託して「QUIZ ブランキー・ジェット・シティ」が炸裂。「センスない単車乗りばかり集まった人口わずか15人の新しい国、その彼らの単車の中で一番長いフロントフォークを持つ人物の名前は?」という問題の答えが「C.B.Jim」だったときはさすがにアハが過ぎた(クイズの元になった「Punky Bad Hip」収録アルバムのタイトルが「C.B.Jim」)し、「ガイコツマークの黒い車はある音をかき消しながら進みます。どんな音?」という問題に対して「これね、多分実在する音じゃないと思うんです」という私の名推理も光ったが結局正解には辿り着けなかった。

佐久間さんを送り届けたあと、なおみちさんを送る過程で送られてきたライダーズのリハ音源を確認。一気にモードが切り替わった。

 

21日

リハ3日目。この日はリハを夕方に早退して、品川まで車で出て、大阪でライヴが一本、という予定。舞台監督の笹川さんが「新横浜から乗るの?」と言って、本当だ、絶対にそっちの方がいい、と初めて冷静になれた気がする。品川ではなく新横浜から乗れば、もともと乗ろうとしていた時間も後ろにできる。駐車場も品川に比べれば豊富だろう。気持ちにも少し余裕が生まれたが、それでもリハーサルは目まぐるしくアンコール手前まで参加して、慌ただしく車を新横浜まで走らせた。「頼むからグリーン車にしてくれ」というお願いをしたらすでにグリーン車だった。ありがとうカクバリズム。眠って気がついたら大阪についていた。本当にありがとうグリーン車。イベンターさんと落ち合う。万博の混雑のため、道路の渋滞も予想できない状況にあるらしく、一番確実な地下鉄でPARCOに向かう。気持ち的にもなんだか落ち着かなくて、でもその落ち着かない感じが心地よかった。ライヴも疲労を吹き飛ばすようなものにできて、終演後にカレーを食べるレポートもやって、充足感のなか、ホテルのベッドで眠りに落ちた。カレー大作戦は10/26まで開催中。

今年もいよいよ始まる心斎橋PARCO『カレー大作戦』! コラボカレーが登場した『MASHUP FESTIVAL kobe』のプレイベントに潜入し、先行レポート! | MARZEL – ぼくらが今、夢中になるもの|関西のカルチャーWEBマガジン

 

22日

思ったよりも早く目が覚めたのでKyutaroでうどんをキメて、新幹線に飛び乗る。ふとSpotifyに目をやると「お気に入り」に「3104丁目のダンスホール」が追加されていて、膝を打った。怪盗佐久間は粋な人だぜ。私が早退して以降のリハ音源も含め、いろいろ聞き返しながら自分がやるべきことを改めて整理していく。その整理もとても捗る。さすがグリーン車。ありがとうカクバリズム。無事にリハーサルも終了。とてつもない疲労感ととてつもない開放感を感じ、妻を誘って焼肉をキメた。いい選択だし、必要な選択だったと思う。