幻燈日記帳

認める・認めない

アイム・スティール・ウェイティング

7日

グレイモヤβを観にいく。凄まじいグルーヴに圧倒される。おおいに刺激を受け、夜中作曲をしにスタジオへ。いい曲ができる。

 

9日

ラジオの収録のあと、歩いて四谷へ出てカツ丼を食べ、ギリギリのギリで免許の更新を済ませた。更新を済ませて新宿の街を歩く。たまに行っていたエロ本屋はもうなくなっていて、2店舗あったが、どちらも飲食店になっていた。とらのあなの跡地は焼肉屋になっているそうだ。私の性欲に似た何かがこの街でまだ蠢いているのに、それはもう私のものではない気がする。私はこれを寂しいと言えるのだろうか。

 

10日

ゼキさんと妻で焼肉新年会からのロイホ新年会。

 

某日

ひたすら作曲、作詞の日々。あれをやったらこれが来る。が一日3時間Apexをやるのもザラだ。バランスが取れない。アンインストールしてしまおうか、と年明けからずっと思っているのだがやはり勇気が出ない。

 

17日

松本素生さん、磯部正文さんとスリーマン。特濃な組み合わせでそれに見合ったライヴができた気がする。磯部さんが震災にしっかり向き合っていて自分の小物さを思い知る。一緒にシェアハウスしていた友達が観にきてくれたのが嬉しかった。終演後、物販に座っていると昔から聞いてくれてた人が声をかけてくれてその流れでMySpaceにアップしていた曲の話になって自分でもそれを聴きたくなってしまった。2011年にアップしたやつだろうか、それは「だれかれ」という曲のデモで、なーんか気持ち悪いアレンジだったということだけ覚えていた。MySpaceはもう影はあっても形はないサーヴィス。そこから生まれた物語がいくつもあったサーヴィスなのにもう誰も覚えていない。

 

20日

ストップ・メイキング・センスのスタンディング試写会でDJ。深夜イヴェント。カーネーションのライヴを諦め、部屋でレコードを取っ替え引っ替え見ていく。家を出る5時間前にようやくテーマが決まった。トーキング・ヘッズが活動していた期間に発表されたレコードで構成する、というものだった。実際の上映は本当に素晴らしく、「Swamp」以外はずっと踊りまくっていた気がする。そして自分のDJもとても気持ちよくやれた。普段はもっとニッチで斜に構えた感じなのだけど、この日ばかりはそうはいかず、でも好きな音楽が大きい音でかかるというのがこんなに楽しいのか、と実感できた。(途中、音が大きすぎてグロッキーになった時間もあったけど……)

 

21日

踊り狂って家に着いたのは5時だっただろうか6時だっただろうか。このまま眠ってしまいたかったが数年前から寒暖差アレルギーが出るようになってしまい、冬には家を出る前にシャワーが浴びれない体になってしまっているから這ってでもシャワーを浴び、束の間眠った。

葛西さんのイベント、ユーバランス。あまりに寝ていなさすぎて佐藤優介の本番が終わったあとビデオボックスにたどり着いた。普段だったら借りないようなAVをレンタルするだけして一応再生だけして2畳ほどの部屋でそのままスコーンと眠る。起きたらもちろんAVもタイトル画面に戻っていて、虚しさが心に杭を打つ。テレビに変えると震災のニュース。被災地の受験生の話題だった。高校受験のために生まれた街を離れ、集団避難する、という内容だった。その中で、女の子がヘヴィな避難生活には邪魔だから、と髪を切った、という話題が一瞬だけ差し込まれた。私の心はぐしゃぐしゃになってしまい涙が込み上げてきた。私にはその子の髪のながさがどれぐらいだったか、と想像することしかできない。私は本当に無力だ。やはり1月1日の時点でしっかりと向き合うべきだった。たとえ心が内に向こうが向き合うべきだったのかもしれない。想像すらできていなかった痛みが痛みを通り越したものとして私の体に入ってきた時、それをどう処理するべきなのだろうか。時間がなんとかしてくれるのか?音楽がなんとかしてくれるのか?金銭がなんとかしてくれただろうか。行動が手を差し伸べてくれただろうか。

人混みの渋谷を歩く。通り過ぎた若者が楽しそうに話していて、余計に混乱した。混乱した頭と、シンプルな寝不足からライヴは緊張感のあるものになった。この日、一緒に演奏するゴンドウさんはリハーサルが終わった頃からもう飲んでいて、きっと本番の頃には酔っ払ってどうにもならないだろうな、とうっすら思っていたが本当にその通りになって笑ってしまった。最高だった。そういう全てが組み合わさって「静かな夜がいい」に着地できたことは、嬉しい。