幻燈日記帳

認める・認めない

山 _ 山

3日

NICE POP RADIO、新入荷報告会の収録。1月放送の新入荷報告会でかけきれなかったものも多くあったから、そういうのもかけたい、SONGSのツアーももうそろそろなのでスカートの曲もかけたい、と思っていたのだけど純粋な新入荷があまりに多かったのでそれらは1曲もかけられなかった。選曲作業を終えたところで吉祥寺のココナッツで買ったレコードから1曲も選曲されていないことに気がついて、はて、と思っていたらある日買ったレコードがごっそり聴けていない、ということがわかってしまった。今回も最高ですけど、次回の新入荷も相当濃いものになりそうです。

 

4日

常備している薬がなくなったので耳鼻科に診療にかかる。土曜日だったのでなかなかな混雑具合で、一度受付を済ませて本屋に向かった。すべての本が黙っているような店内、新刊コーナーに並んでいた田沼朝さんの漫画と高津マコトさんの新刊を買って待合にまた並ぶ。土曜日である。

吉祥寺のココナッツでレコードを買う。目当てだったパイザノ・アンド・ラフは売り切れてしまっていたけど、ゲイリー・マクファーランドの「バター・スコッチ・ラム」は買えた。他にもアート・ヴァン・ダムの1958年にリリースされたアルバムの日本盤EPやジャケ買いしたGuy Cabayの7インチなんかも買った。

トリプルファイヤーのワンマンに行く。道が混んでいて10分遅刻してしまった。着いたら増本さんに「3曲目です」と言われ、そうか、押さなかったのか、と悔やみ、久しぶりのグッドマンの扉をあける。ライヴハウスあるあるだろうけど、入り口はぎゅうぎゅうでこりゃ定時に始めるわ、と人がいっぱいのライヴハウスを見て嬉しくなった。数曲演奏したあとに吉田が「俺はライヴハウスはいつも10分ぐらい遅刻してしまう」という話をしていてまさに俺の話じゃねえか、と居心地悪くも笑ってしまった。この日のファイヤーは新曲中心のセット。それもまだ出ていない次のアルバムの次に出るアルバムに収録される新曲。まだ出ていないアルバムはアフロであり、ファンクであり、呪術的でもあり、祈りのようでもあり、そういうエグい新曲が溢れているのだが、今回披露された新曲の多くは、10年前のファイヤーが持っていた性急さやニュー・ウェーヴィーなムードを決して(過去への再訪という意味に於いては)振り返らず、更新していてシビれた。アンコールで演奏された「スキルアップ」も、「アンコールだからサーヴィスで代表曲を」という感じではなく、10年経って今再びの提示のようにも感じられてグッと来た。最高だった。

部屋に帰ってレコードを聴く。まずは今日買ったレコード。特にGuy Cabayの7インチが素晴らしすぎて目が覚めた。それとA氏から譲り受けたレコード・コレクションに針をおろしていく。Prefab Sproutの"Crimson / Red"というアルバム。大好きなアルバムだったのだけど、針をおろし、音がなって、段々と興奮してくる。この感覚は"Jordan : The Comeback"と全く同じ感覚だ。改めてこの気持になれるなんて思っていなかった。冬でよかった。

 

5日

新宿文化センターにグレイモヤβを観に行く。5年ほど前に「バスク」を観に来た時はエレベーターで上まであがった記憶があるが、階段で3階まであがらなければならず、ヘトヘトになってしまった。息を整えるために水も買った。オッパショ石が不気味で素晴らしく、村田大樹さんのピンネタで一番の爆発があって嬉しい。帰り道、裏手の薬局に寄ったのだが空いてなく、遊歩道のような道を妻と歩いているとき、通り過ぎた女性二人組も「オッパショ石が〜」と話していてよかった。

 

6日

SONGSツアーのリハーサル初日。セットリストの叩き台を作っていってそれを全員で検証する。有意義だった。2020年の頭につきっきりでついてくれいたマネージャーが辞めたこともあり、野良犬のようにやっていたこともあったけど、客観視ができなくなっていたので全員でやりとりして問題点も見え、再検証して、それをまた近々のリハーサルで試してみることになった。いつもよりスタジオの回数が増えたから集客が増える訳ではないけれど、多くのバンドがコロナ禍でそうであったように、ライヴバンドとしては瀬戸際のような状態から、あの磔磔でのライヴに繋ぐことができたのだから、腹を据えてやるのは今しかないのかもしれない。

 

7日

フューチャーフィッシャー昴生すごかったな。

 

8日

最近は、といってもここ何年か、頭が働いていないように感じる。コロナ禍に頭が慣れてしまったのか、脳だけがおいてけぼりになって、体だけが前に進んでいるような感覚に陥っていたのだけど、今日は体もだめなようだ。やりたいことがあったのに、なんだかだるくソファに座ってゲームやることしかできなかった。ゲームに飽きては本を開く、そしてまたゲームに戻る、という究極の堕落だと昔なら感じただろう。必要な時間だ、と解釈するようにしている。脳のザルの網目がどんどん荒くなっていくのを感じる。しかし、これも正しい表現ではない。繊細になるところは繊細に、粗くなる部分は粗くなっているようなのだ。都合よく年齢を重ねているのだろうか。やろうと思っていたことはほとんどやれないまま、夕方布団に潜った。そういう日だ。