幻燈日記帳

認める・認めない

パラレル風呂

9/19-22

ライヴは延期になってしまったのだが、もともと参加できないはずだったムーンライダーズのリハーサルの初日から参加できることになった。頭が働かないような日に仕事が入ったのは不幸中の幸いと言えるだろう。このまま部屋に居たらやりきれなさが募ってしまっていたはずだ。今回のライヴはレコ発ライヴ。そのアルバムからほとんどの曲を演奏するという攻めたライヴだ。僕自身、いつものリハーサルより悪戦苦闘するが、いつものライヴのように流れの中に身を任せるしかない。本番当日のリハーサルまで毎日進化していった。今回は岡田さんが不参加だったので、LINEを送ると「留守の間は頼むね!」と返信が来る。普段だと行き帰りはセットリストをプレイリストにして、それを聴いたり、リハーサルの音源を繰り返し聴くのだけど、それらは家の作業に回して、車の中だけはムーンライダーズを全曲シャッフルにして聴いていた。その方が練習になる気が何故かしたのだ。そして旧曲に混ざって時々「It's the moooonriders」の曲がかかる。その立ち姿を見極められたら嬉しい。

リハーサルの帰り道に優介と「9月の海はクラゲの海」について語り合う。比較的そういう話はめちゃくちゃするほうだと思うけど、なんだか学生の頃を少し思い出していた。

リハーサルが終わってはロイヤルホストに向かい詩を書いた。蓮見くんから送ってもらった資料を読みながら、時々漫画を読みながら作業をする。鼻先の人参としてのおいしい食事を摂る。この1週間で私はロイヤルホストに2万は遣った。そうしないと救われない魂や物語があるのだ。

 

9/23

書き上がった詩を手に新大久保のフリーダム・スタジオで歌入れ。はじめてのスタジオ。あの『フリーダムのピチカート・ファイヴ』のフリーダム・スタジオだ。今回録音で入ったのは3Fのブースがひとつあるスタジオだった。思ったより時間はかからず終わったのだが、それには理由がある。どちらの曲も2分ない曲だったからだ。

終わってひどい雨だったが一芳に行く。かつては大行列を誇ったタピオカドリンクの専門店だ。新宿にも渋谷にも吉祥寺にもあったがコロナ禍とブームの終焉により店舗は激減。現在は大久保と浅草にしかないようだ。ひさしぶりに飲めて気分が晴れる。歌入れが全曲終わった開放感もあるかもしれない。

 

9/24

ムーンライダーズのレコ発ライヴ。楽屋に入ると良明さんが譜面を広げて博文さんやくじらさんと意見を出し合っていた。はじめての人見記念講堂は広く、残響が多く、決してやりやすい環境ではなかったが、「S.A.D」でくじらさんが爆発しているのを見て、本当に嬉しくなった。あとで配信の動画を見せていただいたのだが、まさにその瞬間がカメラに抜かれていてこんな顔していたのか、と驚く。ライヴは緞帳が降り、客出しの最中もインプロヴィゼーションが続いて、再び緞帳があがると空っぽの客席があった。言葉にできない感動があった。(通常、ライヴはお客さんがいるところに我々が入り、お客さんに見送られて帰っていく。事前のリハーサルもあるし、ことが済んだら片付けなどをしにまたステージに戻るから)空っぽの客席に感動したわけではない。楽器を持ったまま緞帳があがり、誰もいないが熱を残した客席のように見えてとても異質なものに感じたのだ。

 

9/25

昼、NICE POP RADIOの収録。とんでもないスケジュールの中、選曲はうまくまとまったのだが、あとで放送を聴いたらなんかえへらえへらしてる自分がいて改めよう、と心に強く刻んだ。

夜は神田明神ホールにSouth Penguin×街裏ぴんく×進行方向別通行区分のスリーマンを観に行く。すごいライヴだった。見たことない景色だった。あとで調べたら進行のライヴを観に行くのは6年ぶりとかだったみたいだ。失礼な話、もう少し懐メロっぽく聞こえてしまうんじゃないか、って思っていた部分もあったんだけど、まったくそんなことなかった。異端でありポップ。

帰り道にアナーキー吉田氏と遭遇。ジョニー大蔵大臣は怪我のため来れなかったそうだ。10/9のワンマンライヴの成功を神田明神に祈願した。

 

9/26

最後のダビングで管楽器に登場していただく。詳しくかけないけど超いいっす。共同でアレンジ考えてくれていた方も大変喜んでくれていたはず!テープ操作のエフェクトを1曲録音して、そのままスタジオに残り、エンジニアを加瀬さんに変わってもらってもう1曲、ダウ90000のオープニングを録音。葛西さんはそのまま葛西さんの作業場に向かいミックスを始めてもらう。

 

9/27

ラジオ収録。国葬による混雑を予想して30分はやく家を出た。10分早く着いた。どうしてこんなことに。収録は無事に終わる。肝いりというと変だけど、気合い入れた回の収録でもあった。10/15放送のGOODYEAR MUSIC AIRSHIPは「シティポップ番外地」と第してお届けします。うまく話せているといいんだけど。そこから神保町で打ち合わせのため神保町に向かう。レコード屋を見たり、うどんを食べたりしていると打ち合わせが神保町じゃなくて麹町だと気がついた。慌てて車に乗り込む。ナビが九段下の方にいけ、というので面白半分の気持ちで向かう。警備がものものしくショックを受ける。どうしてこうなっているのか本当に意味がわからない。ちょっと遅刻してしまう。打ち合わせも快調に進む。

 

9/28,29

葛西さんのスタジオでミックスに立ち会う。あ〜でもない、こ〜でもないと口を出しながら、自分の理想のものになっていく。ぎりのぎりまで粘りながらいい落とし所を探ってもらう。「この音の質感がナントカでこのギターのXXkhzあたりを1.2dbぐらい下げようか〜〜」とか言えたらいいんだけど、「ここ、もうちょっとなんというか、柔らかい感じになりませんかね」とか言うから情けない気持ちになる。

 

9/30

NICE POP RADIO収録を閉店後のココナッツディスク吉祥寺店で敢行。全ての機材を広げたところでUSBのケーブルがないと気づき慌てて家に取りに帰る。矢島さんとディレクターY氏を待たせる展開に泣きそうになりながらもう一度吉祥寺通りから井ノ頭通りを右折しようとした瞬間、奥に「一芳」の看板が見えた。吉祥寺に一芳が帰ってきた。うれしいのだけど現実である自信がなくて泣きそうになった。もう離さない。

ナイポレの収録はとても楽しかった。いくらでもこうやって話せそう。ココ吉に来たのは、中3だったかの頃、エチケットレコーディングのコンピを取り置きしてもらったのが最初だったはずだ。その時は高島平の自宅から成増までバスに乗り、成増からまた吉祥寺へバスで向かった。これまで乗ってきたバスは大通りを行くものばかりだったから、上石神井の駅前の通りが狭すぎて衝撃を受けたことを今でも覚えている。実家を出て最初にその街に住むことになったのだからなんとも奇妙だ。そうして私は当時まだそんなに店舗数がなかったグラニフでTシャツを買い、取り置きしていたCDを買い、テクノデリックのLPを500円で買った。グラニフはかつてanvilのボディにプリントされていて、大柄な私でも入るサイズがあったのだが、大学に入ったあたりで自分の成長を止められなかったことと、ボディが変わってしまったことが原因で買わなくなってしまった。段々と世界から弾かれていく、そういうことを実感したいくつものうちのひとつだ。

 

10/1-2

ミックスチェック。全曲終わってホッとする。家に帰ってもう一度聴いてみると、途端にそれまで気になってこなかったノイズとかが気になりだす。バランスを見直したくなる。葛西さんに泣きついて翌朝、次の仕事が始まるまで時間を頂いて処理してもらうことになった。

 

10/3

チェックしていくと全部で8曲も直しがあった。泣きそうになりながらも根気強く葛西さんが対応してくれてなんとかなった。が、数曲翌日に持ち越し。

 

10/4

13時のマスタリング開始ギリギリまで葛西さんのスタジオで粘る。粘った結果、取れないと思っていたノイズの原因が解明。少し遅刻してマスタリングスタジオに着いた。事前に送ってくれていたデータを元に1曲目のチェックが早速開始される。小鐡さんのスタジオは本当に音がいい。ミックスの音源をまず聴いて、そこから小鐡さんが化粧してくれた音に切り替える。ミックスの表情を尊重しながら新しい面を引き出してくれる。マスタリングは個人的にはメロンを桐の箱にいれる作業だと思っている。学生の頃になんとなくそう思って、そのまま来てしまったのだが、どうやら大きく間違ってはいないようだ。ときどきメロンを切って皿に盛ることがマスタリングだと思っている人もいるようだが、小鐡さんのマスタリングは学生の頃に思い描いていたそれだった。後はメロンを受け取った人が冷やしたり、スプーンでくり抜くなりなんなりすればいい。8曲目までやってその日の作業は終了。

 

10/5

マスタリング2日目。全曲の調整が終わり、通しで聴いて確認していく。1箇所だけ曲間の見直しが入ったが、他は全く問題なくまたいいアルバムが仕上がった。スランプだったし、もっと苦悶したようなみっともないアルバムになったかもしれないけれども、そうはならなかった。トワイライトの延長みたいなアルバムになっちゃうかもなって心配していたけれど、そうはならなかった。でもどうしてそうならなかったのかがまだわからない。出来上がるまでも何度も何度も聴いたアルバムになった。毎度のことだけど、出来上がっても何度も何度も聴いている。

 

10/6

医者にかかる。血液検査の結果も比較的良好だった。診察を終えて、荻窪のルミネの地下で昼食を漁ったのだが、なんかテンションあがらず吉祥寺に向かった。道中できあがったばかりのアルバムをイヤフォンで聴く。久しぶりに電車に乗る気がする。窓の外を眺めると、等間隔に並ぶ送電塔がくもり空に消えていく。いいアルバム。妻のリクエストでバインミーを買って帰った。

夜はダウ90000を観に行く。書きかけの台本を送ってもらって詩やオープニングを書いたから、文字で見ていた言葉がこうやって形づいていくのか、と興奮した。最終的には決定稿も送ってもらっていたのだけど、詩も完成させた後だったので、なんとか自制をかけ、決定稿を読まずに当日を迎えられた。ファンとしてはドキドキしながら物語の終わりを待つのだが、クレジットされている身分からすると、その後の展開から考えたら書いた曲が合っていなかったらどうしよう、とヒヤヒヤしていたのもまた事実だったが、どうやら杞憂に終わって最高に晴れ晴れした気持ちでシアタートップスを後にすることができた。11/1から配信開始です。エンディングテーマのギターソロはシンリズムくんに弾いてもらっています。

【動画配信】ダウ90000「いちおう捨てるけどとっておく」 | ぴあエンタメ情報

 

10/7

初回盤につく弾き語りを少しずつ録音していく。いろいろ試す。2時間ぐらいみっちりやったら疲れてしまった。

 

10/11

夜、渋谷のWWWXに出かける。アントニオ・ロウレイロとハファエル・マルチニのデュオと長谷川白紙くんのライヴを観に行くためだ。部屋を出て、耳栓を持ってないことに気がついて戻る。白紙くんのライヴは音が大きいかもしれないから念のため。そうしてまた部屋を出て、廊下を歩いているときに突然(電車の中で「SONGS」聴きてえ……)と思い、また戻り、イヤフォンを手に持って家を出た。夜の上りの電車は空いているから最高なのにこの日は少し混んでいた。景色がぼやけていて、そういう景色に「SONGS」はとても気分良くハマった。渋谷の駅で降りるなんていつぶりだろうか。昔みたいな渋谷を歩き、WWWXの階段をヒーヒー言いながら登っていく。当日券を買い求め、会場に入るとすでに結構人が入っていた。葛西さんにもばったり会えた。ダウ90000の公演を見た葛西さんとほんの少しだけ「よかったよね!」と交わしあった。フロアーに向かい、こういう時間を持て余しているときはどうやって過ごしていただろうか、と心細くなる。白紙くんのライヴは最高だった。queさんがアニメーションを制作している花譜さんの「蕾と雷」を作者である白紙くんが歌っていてぐっと来た。

【組曲】花譜×長谷川白紙 #98「蕾に雷」【オリジナルMV】 - YouTube

発表されたときは少しだけ意外にも思えていた組み合わせだったけど、なるほど三途の川の対岸にミナスが広がるようなライヴだった。ロウレイロとマルティニのライヴは極上だった。特に3曲目があまりに素晴らしく、物販で「3曲目って……どのアルバムに入っていますか……」って訊きそうになったのだけど、訊いたところでわからないだろう、シャイボーイが顔をだして結局マルティニのアルバムを3枚買うことになった。後悔はもちろんない。(家に帰ってアルバム聴いたけど多分入っていなかった……)