幻燈日記帳

認める・認めない

写真・懐かしい

某日

ナイポレの収録のために選曲をすすめる。次の週はアーティスト特集。持ってなかった音源や手放してしまった音源をユニオン上の在庫から買い戻すなどをする。そこで久しぶりに聴くレコードなんかを大音量で聴いて信じられないぐらいの悦に浸る。音楽最高。生きててよかった。

 

1/27

ダウ90000の単独へ行く。この期間、いくつも見に行くライヴをキャンセルしたのだけど1/29のライヴをやるとハラを決めたならばエンターテインメントを見に行く、というのがどういうことなのか、っていうのを一度考え、行動しないとだめなのでは、とか思ったりもしたし、でも心のどこかでなんだそれは、って思う自分もいて、どうするべきか、心がぐにゃぐにゃになりそうになったけど、思いの外塞ぎ込まないでいられるのも最初の一年で驚くほどふさぎ込んだからかもしれない。あらゆる言い訳を両手にかかえるなんてしたくないし、したくないというポーズも取りたい自分も見えた。軽薄さと切実さの狭間にはさまるその紙はいったいどんな手触りをしているのだろうか。ダウ90000のステージは最高だった。人が少ないわけではない新宿。人の営みとは。文化とは。そうしておれは明後日ステージに立つんだ、と改めて気持ちを固めた。

 

1/28

レコーディング。憧れのONKIO HAUSだった。ちょっと変わった仕事で、クライアントさんが押さえてくれたのがONKIOだった。1日で全部終わらせなければならないスケジュールで大変だったけど今の5人でギュッとした演奏ができて嬉しい。昼過ぎに集合してベーシックが終わって、パーカッションのダビングも終わって、ヴォーカルの録音も終わって、ミックスを待っている間、スタジオの中心に置いてあるピアノに向かい、曲をひねり出す。超ポップな曲を書きたい、と思っていたのに妙な曲の断片が出来上がった。深夜にミックスが終わり高速道路で家に帰る。

 

1/29

ライヴ。直前までやるのかやらないのか、と気をもんでいた少し前とは違って堂々とした気持ちでいることができた。そうでもしないとおかしくなる、というのもわかったけれども、私の身を守ってくれるのは音楽しかない、という(哀しい)事実がこの軽自動車の後部座席に横たわっている。約2ヶ月ぶりのライヴだったがリハーサルに入ることができなかった。13日に入ったリハーサルスタジオで知り合いのバンドと入れ替えでスタジオに入ったのだけど、彼らがコロナに感染してしまいライヴをキャンセルした、という知らせをその一週間後の録音スタジオで知って「どうしたもんか」となってしまったのだ。とにかく本番のステージにみんなで立つ、ということを目標に設定したらリハーサルに入る、という選択肢を消さざるを得なかった。なので、一人でセットリストを弾き語った音声ファイルをメンバーに共有して、曲間などを確認してもらった。更に他の予定の都合で佐久間さんが当日のリハーサルに参加できない、ということもあり、本来だったら焦ったりもしたんだろうけど、そういう状態でライヴをする、ということが本当に久しぶりだし、昔の馴染みの景色のような気もして、なんだかとても楽しみだったのだ。家主とのツーマンだったっていうのもあると思う。車をWWWXの前に停め、機材をおろす。久しぶりに本田さんに会い、駐車場の札を受け取ろうと思ったら「コロナ禍で維持することができなくなっちゃって……」と寂しそうに駐車場の閉鎖を知らされた。なにもかも変わってしまった。アローパーキングに車を停め、佐久間さん不在でふざけまくったリハーサルが終わり、タワーレコードに向かう。ほしいレコードがあったのだけど、妙に目が滑って早々に出てしまった。ライヴのMCで話したような悲しい顛末があり、WWWXに戻った。ライヴは意外にも快調で、今こうやって勢いだけのライヴがやれたことが本当に意味が大きい気がして、終演後に楽屋に戻る階段を駆け上りながら佐久間さんに「今日、ここ最近でも一番よかった気がしますわ」と言うと仕事を終えて駆けつけ、即ステージだった佐久間さんは「とにかく今は全く客観的にはなれてないよ!」と笑った。

終演後、見に来てくれた松永さんに「ふふふ、明後日収録のナイポレはXX特集です」と言うと「えっ、それは出たい」となりそのまま松永さんの参加が決定。ちょう嬉しい。

ローディーの秋山さんにすべての楽器関連を任せ、溶け出しそうなぐらい楽屋でだらけ、車を取りにWWWXを出る。東急ハンズを過ぎて、笑いながら女性が「あはは、ねえ、もう一本煙草吸っていい?」と言いながら通り過ぎていった。誰かのほんの一瞬がとても輝いたものに見えて声しか聴こえなかったその人に大いなる幸あれ、と駐車場の精算を済ませた。

 

1/30

まーごめ

劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ | Zaiko