幻燈日記帳

認める・認めない

もちがほしい

31日

 

吾妻光良さんと牧裕さんのデュオとツーマン。外は大雨だったそうだ。吾妻さんはかつて大宴会in南会津というイヴェントで一緒になって、その時にはじめて生のパフォーマンスを観て驚愕、いつかご一緒したい、と思っていたが、7年経ってそれが叶った。自分の演奏を終えて、ステージの隅でドリンクを飲みながら楽しむ。時には笑いながら、時にはグッと来ながら。グラスの氷が溶ける音が手の中で広がり、吾妻さんは歌う。最高の夜になった。打ち上げで大宴会の話が出た。あの日のことはわずかにしか覚えていない。楽屋がコテージだったこと。転換中にすごくかっこいい曲が流れて、慌ててShazamしたらミルトン・ナシメントの"Gran Circo"だったこと。真城さんとカジさんが居たこと。当日に入って、当日に帰った記憶もぼんやりとあったが、とにかくそれらに加えて、吾妻光良さんのパフォーマンスが最高だったこと。他のことは覚えていなかった。どうやって行ったのか、なぜ一泊しなかったのか、話しながら、検索しながら、少しずつ思い出してきた。そうだった、ミツメもいたんだった、2017年の出演だった、日付は9月17日だったのか。それでも南会津まで行って日帰りだった理由がわからなく、当時のスケジュールを確認してみると前後に予定があって、メジャーデビュー直前の慌ただしさの最中だったとわかった。こんな私でもメジャーデビューは忙しくさせてもらって、ものすごく楽しかった反面、その、ものすごく大変だった。見事に消耗して、20/20のツアーが始まるころには、ストレスで呼吸がうまくできず(吸っても入っていかないという感じだったといえばいいのだろうか)思うように歌えなくて悔しい思いをした。状況的にはものすごくいい方向に行くワクワクと、ひもはいくつも伸びてるようにも見えるが、そのどれから来ているかすらわからないストレスの両方で情緒が完全におかしくなっていた時期で、そりゃミツメがいたことすら覚えていなかったわけだ。そんな中で吾妻さんのステージを観たことが自分にとってどれほど大きかったか。そんな吾妻さんとようやくご一緒できて嬉しい。牧さんも相当なブロッサム・ディアリーファンで、ダフォディルが〜フォンタナが〜とか言い合って本当に楽しい一日になった。

 

8月1日

 

ビッグビューティー最後の収録。感慨はあるが達成感はない。生産性は全くなかったと思う。でも、心の底から本当に楽しかった。本当のことを言うとツーマンもミニイヴェントもあるからまだまだ実感はなかったけど。とにかくぴんくさんには感謝しかない。こんな番組ほかにはあんまりない気もする。

ビッグビューティー(スカート澤部×街裏ぴんく) | Podcast on Spotify

この番組の初回の収録が終わった後、「あぁ、そうか、あまりうまくいかなくて大学の非常階段でガラスの仮面読んでた頃の私は、松本くんに「我々もお笑い芸人目指さない?」と誘われるのを待ってたのかもしれない」と気がついた。私は結局、夢だったミュージシャンになれたし、松本くんも夢だったテレビマンになれて、それぞれのとんでもない地平で活動ができている。これ以上望むものはないけれど、あったかもしれない道にも思いを馳せたのだった。最終回を経て、とんでもないご褒美のような仕事だったな、と改めて感じた。

収録が盛り上がって押してしまい次の仕事に遅れた。失恋の歌をうたい、油淋鶏食って帰る。

 

3日

原宿まで「化け猫あんずちゃん」の原画展、いましろ先生と大橋裕之先生のトークショーを観に行く。このイベントが発表された時、原作ファンの母に教えると大変喜んで、すぐに予約していた。あまりに暑い都会を歩き、会場のペニーレインにつくと、母もちょうど着いたところだった。あんずちゃんは大学生の時にバイト先の南天堂で買って、あまりに最高なので母に貸したらそれきり戻ってこなかった。私も母のレコードを勝手に持ち出して、棚に並べ、なんなら母のもののはずなのに「泰安洋行」にサインまでいただいてしまったのだから、ひとつも文句はない。

前の席に座っていた母に声をかけようとした時、私は母をなんて呼んでいた、呼んでいるのか、まったくわからなくなった。「おかあさん」といつまで呼んだか、「サヨちゃん」と言ったこともあったが人前では呼んだことないよな、と考えを巡らせ、結局「ねえチョット」と声をかけた。

 

5日

ぴんくさんとのツーマン、東京公演。大爆発!最高!脳汁出まくりあっという間の3時間。弾き語りでの「静かな夜がいい」はいい意味で頭打ち、完成し切ったと思っていたけど柴田さんとの磔磔でのライヴからまた一皮むけ、このツアーでさらに開けた。ぴんくさんのおかげ。終演後、サインしてる時に2人ほど「最後の漫談も嘘なんですか……?」と訊かれていて、それが本当に最高だった。「図工」と言う漫談だったのだけど、その直後に「君はきっとずっと知らない」をやるのが今年のエンディングだった。自分でも不思議なほどに自然と収まった感覚があったから、もし「図工」の漫談が本当の話に聞こえたことに、自分の歌が僅かにでもかかったのならこれほどうれしいことなない。

https://youtu.be/GwVgo6U3zVc?si=hV7XF8rwL8WBumq4

 

6日

ゼキさんと打ち合わせ。遅刻。

 

7,8日

久しぶりに稼働がない!うれしい!一日中だらだらNICE POP RADIOの選曲したり、書き物の仕事したり、掃除して、Apexして適当に過ごす。この日、気合いを入れたら終わったはずの仕事もあったが、一旦これでいい。この間、車が本格的に調子悪くなっていく。慌てて以前もらった自動車のパンフに目を通す。200万ぐらいかかりそうなんだけど。貯金ゼロおじさんの明日はどっちだ。

 

11日

車の調子が怪しいから車に乗らずリハ。汗だく。この日は優介だけ都合つかず4人でライヴのセットリスト考えた。雑談で吾妻さんとツーマンしたよ、と報告すると、あの日のことは佐久間さんの方が全然覚えていた。よく覚えてますね!そんなこと!と衝撃を受けたが、何を覚えていて衝撃を受けたのか忘れてしまった。車で来ていたなおみちさんは帰宅したけどボーイと佐久間さんと3人で適当な中華料理屋に入り、閉店時間まで談笑。『ババ・オライリー』の歌詞の解釈の話になって、なんだかいいね〜いい歳の取り方しているんじゃないの、と思ったところで、果たしてこれは本当にいい歳の取り方なのだろうか、一瞬不安になったが、結局のところ楽しい。

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