幻燈日記帳

認める・認めない

水色・縦縞療法

5月24日

グソクムズのライヴに行きたかったのに仕事が終わらなくてファミレスで作詞、作詞、作詞。

 

25日

頭が爆発して仕事を全て投げ出しKIRINJIの25周年記念ライヴに向かう。あまりにも素晴らしい。1曲目から弾き語りで「ムラサキ☆サンセット」!?と度肝を抜かれる。4人編成で演奏された「Drifter」に打ちのめされた。伝わるかわからないけど、「Drifter」が1972年ごろのアメリカでリリースされた曲だったとして、それがめちゃくちゃヒットしたとして、あらゆるカヴァーヴァージョンが生まれていたとして、その中のひとつ、みたいに聞こえてきて空想と情緒が全部焼き尽くされ、ボトルの水により消火された。前回のツアーと同じ布陣で固められた最後のブロックのステージはただただ最高。絶対に目立つ場所だからこっそりノってみてようと思っていたけど途中で崩壊。立って踊りながら最後まで観た。「朝焼けは雨のきざし」はリアルタイムで追うようになった頃にリリースされたシングルで、とても思い入れが深い。大きな拍手で迎えられたその曲のあとに「明日こそは」がドロップされると、同じぐらい大きな歓声で迎えられて「これが今のKIRINJIと……そのファン……!!!」と目眩がした。キリンジ/KIRINJIは何度も意図的に形を変え、誤解を恐れずに言うならば「分断」を作ったグループだといえるかもしれない。だからこそ、今回みたいな長尺のライヴで過去の曲にスポットがあたったとき、(分断なんてなかった、といいたいわけではないが)こんなにも地続きだったんだ、と気持ちが熱くなった。そしてアンコールで披露されたのが現段階での最新作から、というのがこんなにも嬉しい。最高のライヴだった。

 

某日

ずっと仕事。こんなに切れ目なく切り替わってくのは今までにあまりない。素直に言ってしまいたい、大変だ。今までにないタイプのまだら模様で仕事をこなしていく。それでも一日まるっとル・ポールのドラァグ・レースを観る日を作った。アトロクでドラァグ・レースについて語ることになったためだった。一日じゃ全然足りなく、結果2日かけて観る。WOW Plusに加入していたので過去シーズンもちょっと観て、妻にも助言をもらいつつ意見を形にしていったのだが、本番は最初の5分ぐらいアワアワしちゃって申し訳ない。

 

ワンショット:スカート・澤部渡さんイチオシのカルチャー作品をご紹介!! - アフター6ジャンクション 2 | Podcast on Spotify

 

某日

世の中に溢れる何気ない言葉を歌詞にする、というコンセプトの番組「世界には歌詞があふれている。」にゲスト出演。番組内でも触れているけど出演依頼が結構ギリギリで、なおかつ仕事も手いっぱい、いただいたメールの中から自分で手をいれる時間もなく選んだのは夏目漱石さんの「草枕」の冒頭。電車で慌てて「草枕」を読みながらラジオ局入り。結果的になんとかなった。いい曲かけた。詞先は大好き。出演後のSNSに「作詞:夏目漱石 作曲:澤部渡 最強のコラボソング誕生!」って書いてあって笑ってしまった。

 

5月の終わり頃

無理が祟ったのか、喉を痛める。5年前の今頃、扁桃腺がパンパンに腫れて点滴を打っていたことを思い出す。今回は扁桃腺が白くなるほどに腫れてはいなかったけど大いに焦る。そして5年前、点滴を受けながら医師が私に「35歳過ぎて扁桃腺腫れる人って見たことないんだよね、あとちょっとの辛抱だよ」と言っていたことも思い出した。私は今、36歳である。5年前はたまたま仕事がない時期だったからよかったけど今回はそうはいかない。作詞も終わりきっていない。仕事は山積み。ライヴも、歌入れだってある。医者にかかり、診察を受け、机の上でできる仕事だけして安静に過ごす。作詞の締め切りをとうにすぎた案件が一つあり、なんとか書き上がったが歌える状況ではなかったため、友人のミュージシャンに連絡をして仮歌を歌ってもらうことになった。歌ってくれたのがなんとも嬉しく、そしてこんなメロディと歌詞だったのか〜と突然客観視ができて面白い体験だった。あらゆる喉にいいことだけを試し、次の日にはちょっとずつ良くなっていって、結果的には大事にはならなかった。安堵。

 

31日

柴田さんのライヴに行きたかったけど大事をとっていくのをやめた。差し入れ持って柴田さんのライヴに行って、すごいライヴ観て、っていうのを想像していたから、悔しくて柴田さんにハーゲンダッツのギフトを送りつけてしまった。

 

某日

GOODYEAR MUSIC AIRSHlIP〜シティポップ レイディオ〜にASKAさんが来た。大変緊張したのだけど、不思議と放送に乗ったことが多くを伝えていて、補足することがあまりない。強いて言うならば"MOON LIGHT BLUES"の話題は、ピアノに作る楽器が変わったというのは知っているけど、なにか音楽的に影響を受けたものがあるのでは、と思ってした質問だった、ということぐらい。あまりにも大きいことだからなのか、どういう一日だったか思い出せない。宝物のような一日になった、といいたいのだけど、宝物を構成するものはASKAさんだけじゃないはずだ、それなのに、この日の電車は?帰りに寄った街は?妻とどんな会話をしたのか?それらが不思議と思い出せないのだ。

 

6月1日

アーモンドミルクフェスに参加する。有楽町の真ん中で不思議と気持ちはかろやかに歌えた。ずっと行ってみたかった狛犬hug meさんも出店されていて、初めて食べたけど美味しかった。店舗にも絶対行きたい。東京で陽が暮れきる前に仕事というかライヴが終わるというのが珍しくて楽しい。電車に乗って車窓を眺める。荷物がもっと少なかったら学生の頃のような気持ちになれたのかもしれない。前日に著作権印税の振込があったから気持ちが大きくなっていたからなのか、タワレコに寄って藤原さくらさん、KIRINJI、ZAZEN BOYSのアナログを買う。荷物はより重くなったが学生の頃には味わったことがない気分で電車に乗り、車窓を眺めた。

 

2日

仕事が終わらずグレイモヤβをキャンセル。痛恨の極み。それでも歌詞(月末のとはまた別のやつ)は仕上がらなかった。

 

3日

MARZで学生たちが立ち上げたイヴェントでライヴ。前にMARZでやったのは確かControversial Spark、宮本菜津子さん、クリトリック・リスとスカートというイヴェントに出て以来だ。それはいつかと調べてみたら11年も前の2013年のことだった。気が遠くなった。せいぜい2015年ぐらいだと思い込んでいた。抉られる。Momくんと同じ楽屋で人見知りなりにしゃべったつもりでもあったが、書きかけの歌詞に気を取られ、ヒントを探して漫画を読んだりもしてしまって、脳が落ち着かなかった。「大学生のインスタに映り込むのが夢なんです」とMCしたが、後日別のライヴを観にきてくれた男女二人がが「この子、女子大生なんです」と突然言ってきたので反応に困っていたら「女子大生のインスタに映り込むのが夢、って言ってましたよね……?」と返ってきて私がただの変態どスケベ中堅害悪SSWになっていて笑ってしまった。大学生のストーリーに憧れたあの一瞬の煌めきはなんだったんだろう。私の土色の青春。

 

4日

レコーディング。ベーシック。いつもと違う方法での録音。早めに終わってそのままロイヤルホストに入って詩を書く。A/B/間奏/B/Aという構成の曲で、印象からして最初のAと最後のAは同じ歌詞にしたい、と粘っていたがどうにも全く同じと言うわけにいかず、自分を曲げてみたらいい歌詞かけた。明るい曲なのに暗い。でもそれが気に入っている。

 

5日

管楽器のダビングと歌の録音。詩は無事書き上がった。ヒヤヒヤした。文字の乗り方についてみんなで検証しながら歌を録っていった。

 

6日

そのままミックス。やっていたら女性コーラスが欲しくなり、追加作業が決定。夜はラジオの収録。バッチリ。

 

7日

松本・ぴんく・澤部でようやく対面で打ち合わせができた。すごいグルーヴ。あとはこれを維持しながらより磨く。そうしてクアトロツーマンライヴになる。たのしみたのしみたのしみ。

夜は友田オレ氏の単独へ。会場BGMがラビ・シフレでビビり倒す。ちなみに前回はJAPANのブリキの太鼓だった。1本目が最高だった。

 

8日

大阪でライヴ。前回は遅刻してしまって自由席に乗ることになったので反省して早めにつく。弁当は崎陽軒だ。新大阪について、御堂筋線に乗って、心斎橋で降りたらすぐPARCOだった。変わった場所でのライヴだったからか、一瞬集中が途切れてしまって視界良好の間奏のコード進行とサビのメロディが飛んだ。こんなこと滅多にない。全くないわけではないが滅多にない。あんなに演奏している曲なのに。少し落ち込んだ。宿から近かったスパイスカレー屋で夕食を摂る。ソフトドリンクの欄に書かれているチャイティーの横にラムチャイティーもできる、という具合に書いてあったから注文したんだけどガッツリお酒だった。美味しかったけど最後まで飲みきれず店員さんに「すみません、残しちゃって、お酒が得意ではないということを忘れていました」と謎の言い訳をかまして悲しくなって大阪の夜の街をうろつく。電車に乗る。何度か乗り換えたら元いた駅に戻ってきた。一泊。

 

9日

チェックアウトしたあと、フロントが楽器を預かってくれなかった。「えっ、何年も楽器持ってホテル泊まってきましたけど一度も預かってくれなかったことなんてなかったんですけど」とつい口から出てしまって、なにか空恐ろしいものを感じた。クレーマーはいつだって自分の中にいるのか。慌てて大きい荷物を預かってくれるところを見つけ出し、ことなきを得た。一旦全てを忘れて大阪をレコード屋ばかり、ぶらぶらする。雨降るからまだ長袖かもな、と長袖を着たのが運の尽き。汗だくで一日過ごすことになってしまった。不思議と時間がゆっくりと流れていかない。ベルトコンベアに積まれているかのような感覚だ。あっという間に新幹線の時間が来た。

 

某日

TBちゃん(tofubeats氏)に招かれて北極百貨店のコンシェルジュさん音楽チーム+原作者でプロダクションIGに社会科見学。どのようにしてアニメが出来上がるのかというのを見せていただく。アニメは明るくないから驚きの連続で、横にいたmochilon氏はさらに驚きの連続だったようだ。異業種の方と触れ合い、刺激を受け取るという素晴らしすぎる時間。こういうの、5年くらい前までよくやっていたようなことがどうしてなくなったんだろう、ああ、コロナか。

 

某日

久しぶりに一日家にいれる日だったからMOTHERのおんがくのための仕込みをはじめる。譜面を用意して音源をひたすら聴く。妻に「トンズラブラザーズも知らねえで?マザーの?おんがく?」と言われてしまったからゲームも始めた。あなたのかっこいいと思うものは?みたいな質問されたから「さわだけんじ」と入力したら必殺技の名前が「PKさわだけんじ」になった。

 

某日

ムーンライダーズアー写撮影。なんともはや。暑い日だった。荒木町のあたりに車を停めて中華でランチをとってからスタジオに向かった。ライダーズのアー写撮影は2度目。前回はリハーサルの合間の時間にリハスタで撮影だったからはじめてのスタジオ撮影。感慨が押し寄せます。ね、かっこいいでしょ

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15日

蓼科でライヴ。今までの人生で一位二位を争う寝坊をぶちかます。起きたら家を出る時間とかじゃなくて、電話で起こされた。アラームもかけて寝たのにどうして。優介には「そうなんですよ、アラームかけてもね、鳴らないんですよね」と同意された。違うんだ。でも違くない。私は!私は!

 

ライヴはたいへん気持ちよかった。一瞬本当に人が入っていないようにみえるのだが、とにかく広い場所にキャンプのお客さん含めていらっしゃる、という感じ。ゆるくいい具合にチルなライヴができた。ODDTAXIはメンバーの演奏がキマりまくってて最高。帰りのパーキングでお土産いっぱい買った。

 

そんで22時からコーラス録音。さらに良くなった!地獄のような疲労感に苛まれながら寝落ちしながら3時ぐらいまで作業。しかし最高。カンゲキ

 

16日

御茶の水KAKADOでライヴ。若いバンドのライヴのクロージングアクトのような形での出演。若いバンドマンたちから「大学の頃コピーしました」とか言われてそんな世界が本当にあったのか?と気が遠くなる。スカートはいつだって、誰が聴いているのかがわからない。だからライヴの場が大切だったんだけどコロナ禍以降そういう目測も立てられなくなってたから、面と向かって聴いてましたなんて言われると嬉しくてたまらないわけです。しかしこんな日記まで読んでくださってるようなみなさんの存在が頭にあります。顔見えないし年齢も性別も知らないけどそういうところへも歌っていきたいよ……ありがとうこれからもがんばります……会場で買った山中タクトくんのLPを小脇に抱えて帰宅。

 

17日

昼ミックスチェック。最高。

銭湯でライヴ。夏場の銭湯は暑く、本番は首振りに設定したサーキュレーターが再び私に当たるのを心待ちにしている瞬間もあり、集中力だけをみるならば、あまりいいライヴではなかったかもしれないが響きを生かした選曲やパフォーマンスができて、満足度が高い。えんぷていのレコードも買ったし、銭湯のマスコットのキーホルダーも買った。帰りに神楽坂の香港酒家という店に寄った。はじめて一人暮らしした街でお店をやっていた方が移転した店だ。懐かしくてうれしくなっちゃった。

 

19日

ビッグビューティー収録。何にも覚えてない。夜はさとうもかさんとツーマンライヴ。ソールドアウトしていて驚く。ライヴが続いたからかストイックな選曲になってしまった。初めて見る人からしたら「CALL」も「君がいるなら」も「静かな夜がいい」も近年ドラマのために書いたような曲もないライヴになってしまったから申し訳なさも感じつつ、前方には椅子が出されていたので、じっと聴くにはちょうどいいであろう「粗悪な月あかり」とか「ハローと言いたい」とかが映える感じにもなって嬉しかった。さとうもかさんからのリクエストで「Diamonds」を一緒に歌う。ナイポレやシティポレイディオとか熱心に聴いてる人ならわかってくれるかもしれないけれど、子供(未就学児)の頃に夢中になって聴いた音楽の一つにプリンセス・プリンセスがあった。大人になっても好きで、再発見や再評価を自分の中で何度も繰り返している。「Diamonds」はずっと歌いたい言葉やメロディだったけどサビになるとキーが高すぎて出るには出るけど綺麗に歌えず、自分に課している「カヴァーをするなら原曲キー」という呪いによって歌えていなかった。サビをもかさんに任せてハモに回って、おおげさにいうと夢が叶ったと言っても過言ではない。「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」という詩には未就学児の頃だった私が選ばなかった道の先にある何かが宿っているような気がした。

 

20日

世界には歌詞があふれている、収録。「トマト缶」を15分で作る。昔の気持ちが戻ってきた。詞先はやっぱり楽しい。そして中野信子さんと話していると自分まで頭が良くなった感じがしてくるから不思議だ。最高にプレッシャーだけどその分あまり感じたことのない楽しさがあった。好きな歌詞の曲は?というオファーに対してすきすきスウィッチの「おみやげ」をあげられたのも中野さんだったからだろう。

 

21日

マスタリング。最高。終わって、23日のNICE POP RADIOのためにHi-Fi、ココナッツと取り置きを回収する旅に出た。道中はずっとMOTHERのリハ音源を聴いて、脳内でブラッシュアップできるところはないか探っていった。最初はHi-Fi。次は池袋のココナッツ。最後は吉祥寺のココナッツ。ゲームの音楽聴きながらやった方がいいだろうけどリハ音源をさらに聴きながらMOTHER2ラストスパートをかける。バキバキ。だが全クリまでは持っていかなかった。

 

22日

MOTHERのおんがくに出演。配信のライヴのため、イヤモニでモニター。普段とは勝手が違い戸惑うこともあったが本番はいい具合に演奏できたはず。会場には楽屋がなくてみんなが階段に座って弁当食べてる光景がなんだかおかしかった。緊張感は確かにあったけどゴンドウさんが使ってたカウントが幸宏さんの声で、それが、よかった。本当のこと言うと、その声があることによって不在も感じてしまって少しだけ寂しい気持ちにもなったけど、その反面気が引き締まった。終演後、車を停めていた明治大学の駐車場に閉館時間ギリギリにたどり着くと、守衛室の横を通っての入場で、館内には「蛍の光」が流れていた。自分の知らない「大学」の顔だったから少し戸惑った。大きな流れとしての大忙しはここでようやく終わった。長かった。

 

某日

Xで都知事選の混乱を見て心底落ち込む。ところが街を歩くとあの混乱はないかのように選挙ポスターは凪だ。23区のはじっこにはあの混乱が届いてない。この気持ちは一体なんなんだろう。なんにせよ、今の都知事がどういう成果をあげたか調べ、なるほどいい成果もあったのか、でもそれであの点とこの点が本当にいやだな、というところに落ち着き、もうちょっと様子をみることにした。こないだ人と話していて選挙の話になり、「もうちょっと様子を見て何が変わるの?」と言われ、「その候補者を応援している人のムードがみたい」と答える。

 

26日

8年前にアメリカに留学して、そのままアメリカで教職について、アメリカで結婚して子供まで産んだ美術部のまなちゃんが日本に一時帰国するというので妻と会いに行く。すると演劇部だったジューリアも来ると言うので、結果的にかしましい女子会になった。時々言うことなのだけど、私の中には「おれ」と「ぼく」と「わたし」と「わたくし」と「あたし」があって、それぞれの境界は実に曖昧だ。彼女たちは「あたし」で話せる数少ない仲間なので、楽しかった。まなちゃんは英語もろくに話せないのにアメリカに飛び込んだのだけど、やはりそれがとてもかっこよく映る。どうして私はこう言う形で音楽をやっているんだろう、と考え込んでしまった。どういうきっかけがあったら私は日本に的を絞らない活動ができただろうか。どういうきっかけがなかったから私は今こうやってのうのうとやれているのだろうか。