幻燈日記帳

認める・認めない

東京滑車倶楽部

1月22日

自宅作業

 

23日

自宅作業、夜はラジオ出演。Tokyo FMのRoomie Roomieという番組で、パーソナリティは野呂佳代さん。地元がめちゃくちゃ近くて大盛り上がりした。楽しい時間であっという間。弾き語りは「期待と予感」。歌えば歌うほど好きになる。

眉村ちあきさんにもお会いすることができた。体調を崩している従姉妹が大ファンなので一緒に撮った写真を送った。子供の頃いろんな迷惑をかけたと今になって思うけど母方の従姉妹にはいろんなものを見せてもらった。険しい道だと聞いたけれど少しでも元気になってほしい。

 

24日

夕方、金麦新CMのミックスチェック。いい仕上がりになった。コチンニヴァースに寄ってカレーをテイクアウトして帰る。通り道にある小さな本屋に都度都度寄るがどこにもダンピアのおいしい冒険の最終巻が置いていないから最終的に吉祥寺まで出て漫画を買い込んで部屋に戻る。しかし、年明け以降の忙しさから部屋の汚さは過去最高に達している今、部屋で漫画を読む気にはなかなかなれないが、カレーは本当においしい。

 

25日

レコーディング。とんでもない締切の案件だったためリハーサルに入ることができず、ゼロリハでの録音。しかしいい曲が書けた。金剛地さんにもギターを演奏してもらって、仕上がりは最高。ライヴ感あって瑞々しい。コロナ禍以降ずっと考えているけど、どうやってバンドをやっていたんだろう。リハーサルやって休憩の合間に無駄話がしたいだけなのかもしれない。

 

27日

広島で弾き語りライヴ。正直集客をものすごく心配していた。7割入ってくれたら最高なんだけど……!最高なんだけど……!(それさえも危ういのでは)とか話していたらほぼ満席。いい弾みがついた。演奏もいい調子。「期待と予感」がやっと自分のものになった気がした。しかし反省をするならばせめて最初の3曲ぐらいまではセットリスト決めたほうがいいということだ。緊張して立ち上がりが遅れた。打ち上げも含め、素晴らしい夜になった。連れて行ってくださったお好み焼きの店はパーフェクトな店で、ソースをかけなくても楽しくおいしく食べることができた。もともとソースとあまり相性が良くないみたいで、ソースがかかったものを食べるとソースの味しかしなくなるタイプの人間なのでこれは本当に嬉しい出会いだった。打ち上げで人生ベスト漫画の話が出る。「神戸在住」か「菫画報」、いまたまたま読み返してて持ってきてる「この娘うります!」あたりかなーなんて話す。どれも20歳になる前に出会った漫画だ。人生のベストとなるとそうなってしまう。松永さんから「トランスルーセント」の話が出て久しぶりに読み返したくなった。

 

28日

昼過ぎまで広島を堪能。マネージャーA氏と目をつけていた天津飯をキめる。天津麺に天津飯小だったが、小のサイズじゃなくて笑いながら食べた。マネージャーと別れて広島の街を適当に歩く。すると古本市が開催されているのが見えた。呼ばれてるぜ〜と近づいて行ったその角度に菫画報の全巻セットが置いてあってカルマを感じた。もちろん購入。路面電車に乗ってGroovin'で買い物してマネージャーと落ち合い福岡に向かった。

 

福岡の港のすぐそばの施設で開催された風と街音楽祭は手作り感も相まってすごくいい雰囲気だった。aldo van eyck観たかった。自分のライヴもものすごく悩んで楽曲よりもギターと歌が前に出るものばかり選んだ。昨日の反省を生かして事前に曲順は組んだ。これはこれであり。TENDOUJIはいつどんなところで見ても最高。こんなにチャーミングなバンドは他にはないよ。ヨシダくんは「長い声のネコ」の魔法陣のタトゥーが入っている。これだけ伝えたらそのチャーミングさをわかってくれる人も少なくないはずだ。

 

29日

この日は2本だけラジオ出演。なんて贅沢なプロモーション。夕方からなので昼間は福岡を巡る。宿を出てダコメッカで家に持って帰る用のパン買って、地下鉄に乗った。知らない街の公共交通機関はいつだってグッとくる。ハイダルに向かう道が下り坂でその景色が妙に懐かしい。無事にカレーにありつき、グルーヴィンで数枚買ってそのまま開店時間の13時に田口商店に向かうが今日も開いていなかった。ボトムラインにたどり着いてこちらでも最高の収穫。時間が余ったので引き返してアマムダコタンも寄ってみたのだが全てのパンは売り切れていて、隣のカフェスペースで茶をしばきながらぼんやりとする。荷物をとりにホテルに戻り、そこからラジオに出て無事終了。

 

31日

歌録り。いつもと違うめちゃ広いスタジオ。いろいろな巡り合わせでここになったのだがここに来るのも久しぶりでまた来れると思ってなかったから嬉しい。仕上がりは最高です。春にかけていくつか新曲聴いてもらえる機会がありそうですが、どれもすごくいい……

 

2月1日

昨日歌録りした曲、この日までにタイトルを決めてくれと言われていた。タイトルを決めるのは得意ではない。これ!と胸を張って言える事柄を歌うことはあまり多くないのだ。歌詞の中から取れる時と取れない時があって今回は取れない。物語の表面に浮かんでるものの要素をいくつかつまみあげて小麦粉つけて卵液くぐらせてパン粉つけたものをいくつか候補として出してスタッフのみんなに意見もらってようやく油で揚がって皿に盛られたのはこの2日後。

夜、ASH & Dの事務所ライヴに行く。事務所ライヴに行った経験がそんなにないので雰囲気が普段行くライヴと違ってそういう意味でも面白かった。

 

4日

田渕ひさ子さんとツーマン。そのうち配信あります。是非見て。この日のことはいつかちゃんと書く。

 

5日

ミックスチェック。雪が降るなか、スタジオに向かう。いつもは使わないバス、初めて乗るバスで環七を走った。不思議な気持ちになった。スタジオは暖房の調子が悪いらしくときどき音もなく止まる。足からじんわりと冷えていき、暖房が止まったんだと気づく。その繰り返しだった。ミックスは最高の仕上がり。帰りにギリギリ開いてたラーメン屋にみんなで行くことに。強くなる雪、べちょべちょになった歩道を歩く。葛西さんやスタッフは気づかずにすいすいと歩いて行ってしまったが私はどうにも歩きづらく時間がかかっていた。みんなが気づかずに遠くにいってしまうのがひどく心細かった。

安藤マネとタクシーを相乗りして環七を北上、高円寺まで出た。ホームに向かうと人は少なく、まぎれもない静かな夜だった。森雅之さんの漫画で見たような雪の日は人生にまだない。あんな夜を私はずっと待ち望んでいる。

 

某日

しばらく作詞の日々。

 

10日

仕事が早く終わったから台風クラブとTENDOUJIのライヴを観に行った。仕事していたのが中野坂上だったから微妙にアクセスしづらく、地下鉄とバスを乗り継いで新代田に向かった。環七を走っているとよく妻が「新代田行きの……バス……!?」というのだが、そのバスに乗った。夕暮れ時の環七を走るバスはどことなくブルージーで、ライヴに向かう楽しい気持ちでなかったら私はどうやって吊り革に掴まっていただろうか。

ライヴは両アクト最高だった。ヤマさんを前にして「最高だった……うん、そうとしか言えないね」としか言えなかった。たまたま仕事が早く終わって、台風クラブとTENDOUJIがライヴをやっていて、当日券がある。こんなに素晴らしい条件が揃ったなんて、感覚だけで言うと奇跡のようなものだった。

 

14日

妻と宮城へ向かった。パンダコパンダ展が石巻で開催中だというのだ。私の心の映画の一本、パンダコパンダの展なのだから行かねばなるまい。しかし昨年からやっていたというのにあっという間に会期も後半になってしまっていた。仙台にとったホテルの部屋でひとつ打ち合わせを済ませてそれぞれが行きたいところへ行く。妻は百貨店、私はレコード屋。行ってみたかったVolume One (Version)を訪れる。お店はひっそりとしていて、照明のひとつが切れかかっていて、棚にはレコードがほとんどない。一体どうしたと言うんだ、と店内を見渡す。いわゆる普通のレコード屋にある棚の仕切りに1枚ずつレコードがある状態。しかしその1枚1枚がなんというか強い。明確な意志を感じるセレクトだった。店主の方がとても驚いていたように話しかけてくれた。話を聞くと最近お店に来た若いお客さんにスカートとミツメのスプリットを勧めたら買ってくれた、と言うものだった。この円環、この循環、私が望んだものが起こっていた。本当に嬉しかった。店主との会話も弾みレコードを3枚、GUIROのCDも買った。夕食はラヴィット!ファンにはマーボー指輪でお馴染みの竹竹さんで。私はマーボー焼きそば、妻は汁なしマーボー坦々麺。確かにマーボー焼きそばは最高だったけど、その最高を突き抜けたのが汁なしマーボー坦々麺だった。優勝でした。

フジテレビの黒木さんの訃報を受け取った。社長は葬儀の詳細とか後ほど送るね、なんて言ってくれた。私が行ってももいいんだろうか。なんて考えていたがその後社長からの連絡は来なく、葬儀はどうやら無事に終わったらしいということをあまたの有名人の参列を報じるゴシップ記事で知った。

インディーシーンでやってるだけだった私にSMAP×SMAPの特別編のBGMで声をかけてくれたこと、本当に嬉しかった。ある日、暇を持て余して入った有楽町の地下の喫茶店でたまたま会ったのもとても印象に残っている。PARKSという音楽番組にも誘ってくれた。あれは本当にいい番組でそのうちきっと掘り返されてより強く評価されていくと思っている。そしてなにより、病室から指示をしたというハイドパークフェスティバル。(私は結局完成形を!観れていないのだが!)岡田徹を失ったばかりのあの日のムーンライダーズの演奏が映像に残って、それを誰かが観ていた、ということが私にとってどれほど大切なことだったか!ああ黒木さん。そう伝えたかった。伝えればよかった。もっと話がしたかった。

 

15日

レンタカーを借りて石巻に向かう。パンダコパンダ展は小規模なものだった。東京から来てこれか〜とも思ったのもしょうじきなところだが、しかし見たことなかった設定画とかもあって満たされました。

道の駅寄って買い物して、タバコを吸いに行った妻を待つ車で電話を受ける。高田書房だ。きっと何か新しいいい入荷の知らせだろう、と電話をとると「今日で閉店なんです」という。あるのっぴきならない事情で閉店することになったそうだ。高田書房は私が高校の頃から通っている大切な店。店があるうちに一度の挨拶も出来ずに閉店してしまうのはあまりにも惜しい。

仙台に戻る。レコードライブラリーではRieber Hovdeのレコードが買えた。なーんか探してるレコードが必ずあるのがレコードライブラリーだよホントに。

藤崎という百貨店に行ったのだけど古いのに上品な本当に素敵な場所だった。子供の頃の近所のダイエーがいまもあの感覚であったならこうあってほしい。私は密かに感動していた。

 

某日

ナイポレの収録。高田書房の閉店の知らせを受けて急遽、高田書房で買ったレコードたちで構成した1時間になった。真正面にボールを投げていく。勢い任せの収録になってしまった。今年に入ってから多いなこのパターン。そしてその勢い任せはいい方向に転がることもあるにはあるのだが、今回最後のシメ方を私は逃げてしまったのではないか、と感じている。閉店してしまったレコード屋への感謝、音楽そのものへの感謝をある一曲の一節に託した。いい感じには聞こえるかもしれない。しかし私の考える円環。それをもっと言葉にしなければならなかったのではないか。これからそれをずっと考えていく。

 

17日

ツチカさんが原作のアニメーション映画「北極百貨店のコンシェルジュさん」の打ち上げに向かう。時間を間違えて持て余してしまったと家を出た後に気がついて吉祥寺まで歩いて向かっていたのだがあまりに完璧な曇天。夕暮れのない夕方。ただただ夜になる前段階であるその様に圧倒され、感動して、こんな天気の日にバスにすら乗らないような人間になった覚えはない、と進路を大きい通りに変えてバス停を目指す。がらんとしたバスの後ろの方の席に座って、ただただ街が流れていく。そういう景色を思い描いていたのだが、バスに乗ってみると窓から見えた外はもうただの夜になってしまっていた。

打ち上げは美しいものだった。会場に入った瞬間、こりゃいかん、お呼びでない!と直感したが(TB(tofubeats)ちゃん(氏)は来れなかったけど)ツチカさんともちろんを見つけてからはずっと楽しかった。門外漢だったからかもしれない。もちろんからアニメの話をいろいろ聞けたのも収穫だった。

渋谷の駅まで3人で向かったあの感じが胸に残っている。