幻燈日記帳

認める・認めない

タライ・シャッフル

ナイポレメンバー大集合回の収録無事終わり。俺にはディレクター大和氏の倫理観と優しさを信じることしか出来ない。

 

天袋を少し整理することにした。レコードがあまりにも棚から溢れ出ているからだ。すると天袋からは5000円ぐらいで買ったけど指の太さから即諦めたヴァイオリンやもう4年ぐらい叩いていないボンゴとか出てくる出てくる。そこをなんとか整理していってすぐには聴き返さないだろうけどあとで聴きたくなったときに手に入りづらそうなレコードやなかなか聴き返さないレコードを詰めていく。学生の頃、金がなくて持っていたCDを手放していたとき、ひとつの基準に「この作品は絶対にいつでも買える。(なぜならそういう歴史的なものだから)」というのを敷き、そういったものから手放した。だから高校生の頃に新品で買った「空中キャンプ」もない。今我が家にあるCDはSHM-CD紙ジャケットで再発されたものだ。あれほど聴いたデータも128kpbsで、いつのまにか256のデータにアップデートしてしまった。30歳超えたぐらいで「私の手元にはあのときの空中キャンプが戻ってくることは二度とないんだな」とおもうようになった。手放すことに慎重になってしまったが、たとえば買い戻したレコードをよく聴いているか、と問われると実はそうでもなかったりする。もうどうしたらいいのかわからなくなってきた。

 

突然襲ってきた締切のBig Waveに備えて作曲作業を再開。数日前に「おれはな、本気出すねん」と息巻きながらライダーズのライヴ以降ろくにケースから出しもしなかったアコギとフェンダーの弦を買えて満足していたが、リッケンの弦も変えてリッケンを持った。奥津さんの作業をする前に作り始めていたメロディのスケッチを整理していくところから始める。A、Bと良いメロディが出来たのでどういう構成だったら興奮するだろうか、ということを考える。ここからこういって、ああいけたら、でもこのままだと長くなる、やっぱり3分台目指すにはどうしたらいいかな、と考えながら、手を動かしつつ、考えないようにしてラララ〜と歌っていく。うまくまとまらずApexに逃げた。そうこうしていたらまた日が暮れた。

タフ常備菜

作詞と部屋の掃除を行ったりきたりする。消防設備の定期点検が9月にあるのでそれまでになんとかすればいいのだけど作詞に行き詰まったら掃除して、テレビ見て、フジロック見て、掃除して、結局だいたい一日掃除していた。

 

クーラーのきいた部屋で過ごすだけの夏に於いては部屋から一歩も出ずにおもうことってどうしても偏りが出てきて、自分でその偏りに耐えられなくなる時が多く、頭を抱えては目線が移り変わり、日付が変わっていく。不連続の連続から連続という判断がなくなってあっという間に時間がすぎるのだ。「私は今、大きな困難の中にいる。」言葉にしてみるが、クーラーのきいた部屋で過ごすだけの日々を選択(か獲得)してしまった私が口に出すにはあまりにも現実味がない。そうしてまた日付が変わった。それでも数時間前に見たナンバーガールの演奏はそのグラつきから一瞬開放させてくれた気がする。

 

夜中に友人とLINEしてて軽口で「サンキュ.(ドリカム)」って送ったら自分で「「感謝(驚)みたいに言うなよ〜〜〜〜!」と妙なツボに入ってしまった。

アンテナ会の夢

部屋の掃除をしていて、新しくフェンダー買って以来部屋の本棚の前に立て掛けておいたリッケンを少し動かそうと手に持ったら知らない間にネックがものすごく黄ばんでいた。何ヶ月も触っていなかったからなのか、もともとそうだったかもしれないけれども、とにかくこれが本当にショックで、なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだ、どこでこうなってしまったんだ、少しでも触っていたらここまで黄ばんでなかったのかな、と何度も自分に問い詰める。ネックに見覚えのない打痕もひとつ増えていて更に嘆き、悲しむ。そして、その嘆きも、悲しみも、どこか上っ面なのを感じて余計にダメージを食らった。誰からのダメージで、誰に食らわされたダメージなのか、イメージが頭の中で離散して戻ってこない。せめてこんな夏じゃなかったら。

 

仕事がなかなか進まず、行ったり来たりする。気分や環境だけではどうにもならず録画していたテレビをいくつか見て、おおいに笑い、気を紛らわせることができた。芸人ポーカーでの麒麟川島さん、異常に調子が良くてなにか言うたびに笑いながらぐっときてしまった。

 

冷蔵庫のもろもろが底をつきかけているので夕方にスーパーに出かける。8月の真ん中なんでこんな感じだったかな、と傾きかけた街を眺めながら買い出し。生鮮食料品、ティッシュの買い置きなど、もろもろ済ませて店の外に出るとすっかり夜になっていた。早くこんな夏終わってくれ。

 

素晴らしい秋の予感だけ傍らに置き、窓を開けてジャズのレコードばかりを聴く。Maurice Vanderの"Du cote de chez swing"というアルバムを久しぶりに聞いて胸が高鳴る。その熱のまま、Maurice Vanderの未聴のレコードはなにかないか、とタワーで検索をかけたら「サラヴァ・ジャズ」というコンピレーションが再発されていた、と知る。そもそも存在知らなかったから存在していた、と知る。タワーの解説だと、詳細は書かれていなく、おそらくモーリスは「ムーン・リヴァー」だけの参加と思われるけど、ジャケも最高だったのでそのままよく調べもせずにカートに入りっぱなしだったAaron Frazerの7インチと一緒に購入してしまった。解説を含めてとても楽しみ。

 

Champion Jack Dupree/サラヴァ・ジャズ

 

なあ私のリッケンよ、どうしたら機嫌がなおってくれるんだ、とサウンドハウスで新しい弦を何セットか注文をする。

TAIGAINISEEYO

作詞のために部屋を片付ける。自分でも驚くのだけど、やはり汚い机は創作に向かない傾向があると認めざるを得ない。以前のシェアハウスはどんなに部屋が汚くても居間に戻ると何もない机があって、夜な夜な作詞をすることが出来た。机の汚さから紙で書くのをやめてみよう、といろいろ試してみたけど、机の上はきれいであることに越したことはないらしい。ろいろ机の周りに散らばりまくった漫画CDの類を整理していく。その中で手放す本を段ボールに詰めていく。かつて駿河屋に送ろう、と思って作っていた段ボールが3箱あったのだが、どれもデカイ段ボールに思いつくままに突っ込んでいたから持ち運びたくない重さの段ボールが3箱。それはもう部屋の隅に追いやるしかなくなるわけだ。(集荷をすればいいのに、頼む申し訳なさから)もっと手で運べそうな重さにできそうな段ボールに詰め替えていき、いくつかの漫画に対して裁判をかけていく。今の部屋ははじめて自分だけで借りた部屋だし、家賃もすごく安くて本当に助かっているけど、引っ越せるぐらい稼げるようになりたい。このような先を見通せない日々のなか、羅針盤もランタンもあったもんじゃない。

 

机の掃除はだいたい終わり、集中力の高まりを感じるかと言われれば、決してそうではない。不思議なものだ。

椅子があるから座りたくなるんか

実際にケツに火がついた状態とはいえ気持ちがシャキっとするまでに時間がかかるようになってしまったようでここ数日はふんにゃりとして毎日を過ごしている。主に掃除をして来たるべきときに備えているが、来たるべきときとはなんのことだったのか忘れてしまったようだが、それさえもおぼろげだ。

 

換気扇が無事に取り変わった。いつ冷蔵庫の茄子が朽ちてしまうのか、と思っていたけどなんとか間に合ったようだ。火をつけていい暮らし。空気が入れ替わる暮らし。

 

明日は雨がひどい、というので久しぶりに生鮮食料品を買い求めにスーパーへでかけた。ゴミ出し以外での外出も久しぶりな気がする。肉、野菜、少しの冷凍食品を買い込む。テレビを付けるとニュースで大雨の情報が繰り返し流れていく。

 

佐久間さんが話題に出していた「奈良へ」を読んだ。なんとも珍奇、複雑怪奇とはこういうことなのか、と読み進んでなんとも言えない読後感を過ごしていたのだが、町田康さんの解説を読み、もう一度読んでみることにした。

 

マキタスポーツさんがTwitterで自身の公演が成功したことに「ちゃんとやれば出来る!」って喜んでらっしゃって自分のことのように嬉しくなる反面、ちゃんとやったのに出来なかった(自分が出演する予定だったのも含めて)公演のいくつもが頭のなかをめぐる。

SGF

本格的な部屋の掃除がようやく始まる。床に散らばった衣類、段ボール、片方しか見つからない靴下、洗濯物のすべてをうっちゃっていたらあっという間に夜が来て今夜も適当な炊き込みご飯を作った。野菜が食いたい。きのこしか食ってない。

 

急に仕事がポンポン入りだしてしかもどれも締め切りがヤバい。この1年半に及んだスナフキン暮らしのツケが回ってきやがった。払い終えることができるのか!だが不思議と焦りは今はそんなにない。なんだか楽しくなってきちゃった。うふふ。