幻燈日記帳

認める・認めない

いまは最悪

7月の後半から新しく仕事に手をつける。過去に全くやったことがないわけではないけれど、いままであまりやってきたことがない作業。あまり家から出ることもなく、毎日が過ぎていくため、たいしたことが起きない。でもそれも人生なので、日記に落とし込もうとつとめる。

 

7月末、某日

とまいちゃんに誘われて上野耕路さん率いる捏造と贋作チームの朝食会に参加する。特別ゲストはなんとラッセル・メイル!!!本当か、そんな催し本当にあるのか、と半信半疑で参加すると本当に捏造と贋作チームとラッセルがコーヒーを囲んでいた。序盤は英語力の無さからニコニコと佇んでいるだけだったのだけど、後半は勇気を出して「ハリウッド・ボウルまで観に行ったんですよ!素晴らしい体験でした」とか伝えることもできたし、サインもいただけた。”Thanks For To Coming The Hollywood Bowl!”と書いてもらえたし一生の宝物がひとつまた増えた。ラッセルと別れて、捏造と贋作チームでハンバーガーを囲んでいろんな話を伺う。当時のニューウェーヴのシーンだったり、上野さんが聴いてきた音楽の話を聴いて嬉しくなっちゃった。

夜はNICE POP RADIOの収録で松永さんと音楽の話ができて、より最高の一日になった。

 

8月某日

健康に想いを巡らせながらネットサーフィンをしていた。Hi-Fi Record Storeの新入荷は見ると毒(この世に素晴らしい音楽が溢れすぎていて、それを手にいれるだけの稼ぎがないという事実を突きつけられる)なのでなるべくみないようにしてきたのだが、やっぱり見ると楽しい。新入荷にトッドのセカンドがあがっていて、異常な俺はアメリカのレコードサファリで買ったトッド・ラングレンのセカンドに針を下ろす。大学生の頃に聴いてから大好きな1枚で、学生の頃に買ったCD、ちょっと前に大阪で買った日本盤のLP、そして今回のオリジナル盤という流れ。日本盤のLPについていた中川五郎さんの翻訳した訳詩を読む。「Bleeding」に「いまは最悪」という節があり、心がぐっと近づいていくのを感じた。

 

Bleeding - 2015 Remaster - song and lyrics by Todd Rundgren | Spotify

 

某日

ときどき思い出してはあの時の自分は間違っていた、と思うべきなのか、いやそうではない、とあの時の自分に声をかけるべきなのか、だとしたらどうやって?と考えを巡らせていることがある。10年ぐらい前だ。コミティアに参加した時、「私も音楽やっているんです。よかったら聴いてください。スカートすごく好きで、YouTubeでいつも聴いています」と言われて、話しかけてくれた人をちょっとだけ冷たく「あ〜そうですか〜あざ〜す」って言ってしまったことだ。なんなら当時、Twitterでもう〜んみたいなことも書いた。当時の私はコミティアという場において、創作に対価を払わないのが気に入らなかったのだろう。どっちにしろ私はそのバンドのメンバーの一人からブロックを喰らうに至っている。私はどうしたらよかったのだろうか。

 

某日

18000字あるアメリカ紀行から切り出して整えたライヴレポートが公開されています。日記でありながら、どこかにライヴレポとか書けないかな、って思っていたから中間みたいな感じになっていますが、この日記を読んでいるみなさんには是非読んでいただきたい。

スパークス&ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツLA公演レポート | TURN

 

某日

岩本ナオさんの「マロニエ王国の七人の騎士」のアクスタリリースの知らせをツイッターで見てその素晴らしさについオーダーしてしまった。おれは今まで岩本作品の登場人物で一番好きなのはライララさんだったけど、今はコレットさんが好きで、あまりにも素敵すぎるそのアクスタを組み立てることもできず、改めて読み返している。6巻172ページの麺すすってるコレットさんかわいすぎる。

 

ブルームアベニュー - 小学館少女まんが誌公式通販サイト

 

なんでもない毎日を日記として記録するのが好きだったはずだったのだが、昔のようにはいかないらしい。私は歳を取った。アーティストは27歳、30歳、33歳と社会的な折り合いがつかなくなるから気をつけなければならない、と自分に言い聞かせて、33歳まで頑張ろう、そうしたらまた開ける何かがある、と生きてきたが、33歳を超えると毎日は毎日なのだ。

 

 

正しいこと委員会

アメリカ日記は18000字になってしまったのでちょっと考えます

 

20日

キングサイズのベッドの夢も見れず泥のように眠り、大阪に向かう。大比良瑞希さんのライヴのため。自分でもよくやるよ、というスケジュールだったが、なんだがこの慌ただしい感じは経験がないので、楽しい。体は日本だが、頭はまだ太平洋に浮かんでいるようで、セットリストを決めた方がいいのか、と思ったのだけど、冷水ぶっかけないと頭が日本戻ってこれないような気がして、荒療治だがいつも通り、舞台で演奏する曲を決めていった。結果、惨敗ではなかったが、普通に反省が残る感じになった。しかし不思議なのがあの曲の次はあの曲じゃなかったな、とかじゃない。もっとピリッといくか、ニコッと行くか、その線引きが曖昧だったのかもしれない。アンコールで演奏した大比良さんとの新曲めっちゃよかったでしょう。タイトルはその場でデモを送る時の仮タイトルが採用されました。"1000 Love Songs I Don't Like"。大比良さんには言えなかったけどタイトルの元ネタはOur Hourが嫌いなバンドを列挙していくこれ……

10000 Groups I Don't Like - song and lyrics by Our Hour | Spotify

打ち上げでスタッフY氏とバカ盛り上がって私物で何枚もストックしているレコードをいくつか送ってくれることになった。嬉しい。ものすごくいい一日だった。

 

21日

ちょっとだけ大阪の街を散策するも、ギターを背負って歩ける天気じゃなかった。LAの気候が恋しい。ギター以外の手荷物は百貨店に預けることができたので、おいしいものいっぱい家に買って帰った。何にも考えずに夕方前ぐらいの新幹線に乗ったら東京着いた頃には帰宅ラッシュでもっと遅い時間か早い時間にすればよかったと後悔。

 

22日

数日前に見たスパークスの東京公演。会場はduo。ひと月前に立ったステージにスパークスがいるというのは不思議な気分だ。そして数日前見たスパークスをまた見る。ところがハリウッドボウルとは何から何まで勝手が違う。スタンディングというのもそうだけど、音響の感じもやはり変わってくる。大音量!という感じでバンド感がありありと見えてくるライヴだった。ハリウッド公演ではカットされてしまった"Escalator"と"The Toughest Girl In Town"が復活。"The Toughest Girl In Town"なんて「インテリア・デザイン」からの演奏だよ!!!元は打ち込みだったけど、生演奏になることによってとんでもない次元に昇華されていたし、何より"Balls"がライヴハウスだと全く違う聴こえ方をしていたのが楽しかった。ギュっとする感じって言って伝わるだろうか?とにかくハリウッドボウルでの"Balls"とduoでの"Balls"は機能が全然違った。言語化はできない。

この日はハリウッドボウルの後だったからか、ちょっと肩の力抜けていて、ラッセルもロンも"This Town"で間違えていて、そういうのもこのduoに合っていてバンド感マシマシ。最高だった。

 

23日

恵比寿のBaticaで開催される大ヴァーリ・トゥードにDJとして参加。主催のT氏からはシティポップ風で、とオーダーされたがいろいろ持っていってはいたものの、いつもの感じ+サヴァンナ・バンド風味といったセットになった。どうなるかと思ったけど、結果的には好評だったようで安心する。この日はとんかつ街道や車海老のダンスと共演できて嬉しかった。

 

24日

大興奮のNICE POP RADIO収録。お恥ずかしいほどの大興奮だった。

 

25日

スパークスを見に渋谷公会堂へ。わずか10日もたたないうちに3度もスパークスをみるなんて酔狂がすぎる、と思っていたのだが、結果的に全日見に行けて本当によかった。ハリウッド・ボウルは完璧なショウを見せてくれるスパークス、duoはライヴバンドとしてのスパークス、渋公はそのいいとこ取り、といった感じだっただろうか。この日、胸に染みたのは「The Number One Song In Heaven」。この日は演出として結構な量のスモークがたかれていて、照明も相まってまさにヘヴンリィな演奏だった。同じ曲でもここまで表情が変わるのか……自分もそういうライヴをやりたい!!がんばるゾ

 

 

トンメトーパア

17日

やついフェスティバル出演。サーキットイヴェントに出るのは本当に久しぶりで、あの独特な雰囲気を思い出すのに随分と時間がかかった。ロンドンへ向かう優介を見送り、メンバーで王将ステージへ向かい、酒やソフトドリンクを浴びていた。ぎゅうぎゅうのEASTに戻って、スチャダラパー、お笑いステージを続けてみる。ダウ90000のみんなにも会えて嬉しい。頼もしい、いい顔をしていた。

トリプルファイヤーを観に行ったが入場規制がかかるほどの大盛況。入れてもぎゅうぎゅうすぎてとてもいられなく、音漏れを聴いては「やべ〜〜〜」とか話していた。後半、ようやく入れてじっくりとみる。やっぱり最高。いつでもトリプルファイヤーだけが俺を裏切り続けてくれる。

 

20日-23日

ムーンライダーズのリハーサル。元々三日しかリハーサルがない、と聞いていたので優介とセットリストの叩き台を決める時に新ネタはあまり多くは入れられないね〜と話していて、3曲ぐらいにとどめていたのだけど、気がついたら四日に増えていた。優介はピーター・ガブリエルを観にロンドンに行っていたので最後の一日だけの参加でヒヤヒヤしたが、見事に乗りこなしていて、いつもより優介がまぶしく見えた。

終演後に流れるCiao!のアナログ盤の盤起こしを買って出て、家で作業をする。悲しくなっちゃってメソメソしていたのだけど、EQのアナライザ見て涙が止まった。16kあたりの超高音域がピーンと立っていて爆笑してしまった。サージェント・ペパーズの犬を困らせるやつ(子供の頃は「犬のためのレコードがあってもよくない?」って伝え聞いていた気がする)だ!芸が細かすぎる。

 

25日

ハイドパーク、circleとなんとか無事だったけどこの日の「さよならは夜明けの夢」はさすがにヤバかった。慶一さんが演奏のあとに「どうもありがとう」と言ったのだけど、その言葉が幾重にも意味があるように聞こえた。

 

某日

数日、作詞でロイヤルホストに缶詰になる。安い客だと思われたくないからつい注文してしまうから普通に経済的でない。大比良瑞希さんのは割と筆が乗ったのだけど、U-25 OWARAI CHAMPION SHIPのテーマ曲の方は今までにない感じをチャレンジしたくて、ものすごく時間がかかってしまった。ふと窓の外を眺める、みたいな余裕が全くない、これはよくない、と、普段飲まないコーヒーを淹れてみたり、普段なら注文しないであろうフィッシュ・アンド・チップス頼んでみたり、注文したことがなかったヨーグルトジャーマニーを頼んでみたりしたけど、どれも大きな効果はなく、結局ものすごくギリギリに詩は完成した。けど、書き上がった詩を見て「チャレンジしたくて」と言っていた自分はどこに行ったのだろうか。トイレの鏡を見てみたが、どうやら私はここにいるようだ。

 

29日

元昆虫キッズの高橋くんと弾き語りのツーマンライヴだった。エレキギターを弾く高橋くんを観て、あ〜そうだよ、昆虫キッズは最高のロックバンドだった、と思い出せた。そして今、ソロをやっている高橋くんが頼もしく写ったのも嬉しい。私は高橋くんと出会った頃に作った曲を中心に演奏した。CALLも視界良好もやらなかったけどスミレとヘルメットとショパンはやった。そんなライヴになった。

高橋くんに「こないだ福岡行った時に向井さんと飲んだんだよ」というと「えっ、スカートで福岡行ったの?」と訊かれたので「あ、いやムーンライダーズ」と答えた時に、高橋くんと出会った頃から今が突然一本の線、いや一本の矢のようなものが駆け抜けていくのを感じた。言葉に表せない驚きだった。

終演後、出待ちの青年たちが居てカリスマとしての力量の違いも見せられた。俺のライヴだとそういうのほとんどないっすよ

 

7月1日

ブロッサム・ディアリーのボックスが届く。自分の夢以上のなにかがこのボックスセットだ。未発表のどの曲を聴いても嬉しくてたまらない。オランダでのライヴ盤を聴いた時に、「1971年のブロッサム・ディアリーはドラム、アコースティック・ピアノ、エレキ・ベースという編成だったのか!」と驚いていたけど、その延長にいろいろまた見えてきて興味が尽きない。そしてライナーちゃんと読めるようになりたい。その一心からDeepLに文章ちまちま打って翻訳していたのだが、ある時カメラからテキスト読み込める、と気がついて気が抜ける。しかし知りたい情報は書かれていなかった。

 

2日

ムーンライダーズのアナログ視聴会はとても楽しかった。Happnings......のアナログめちゃくちゃ音良くて最高。終わった後、皆さんと食事会で、楽しい話をいくつも聴いた。アメリカに旅行に行く、という話になり、くじらさんがかつてアメリカに行ったときの話を聞かせてもらった。セコイヤ国立公園の景色の話だ。今回行くのはハリウッドだから少し距離があって多分行けないけれど、GoogleMapにピンを立てる。そうしてきっとずっと忘れない。

 

7日

前日に見たお笑いライヴは面白かったのだけど、心の置き所がわからなくなってしまい、悶々としながら4時まで起きてしまっていたため、ふらふらでランドリーに向い、洗濯を済ませる。部屋に戻り、赤城忠治さんの訃報を受け取った。むう。

大比良瑞希さんのYouTubeの撮影で六本木待ち合わせ。数日前に車のエアコンが故障してしまって大汗かきながら向かったのだが行けども行けども青梅街道は大混雑。ただでさえ7分ぐらい遅刻していたのだが、ひどい混雑に巻き込まれ、対処方法も見つからず、30分遅れて到着した。さらに最悪だったのが集合場所を間違えてしまっていたことだ。50分の遅刻はさすがに人間として最悪すぎる。俺は醜い。というのに大比良さんチームは暖かく迎えてくれた。収録中、カメラが熱くなりすぎてカメラが止まるハプニングがあったが、私の気持ちは勝手に救われていた。

楽しい収録を終え、一度部屋に戻り、PANTAさんの訃報を受け取った。どうしたら。ぼんやりした頭を抱えながら、リハーサル。7/13のリハーサルだった。持ち時間がめっちゃ長くて全14曲。久々な曲もある。長い持ち時間が故に、セットリストの可能性が無限すぎて困った。いわゆるチョー定番はもちろん、nestに出演する、ということも加味して今でもよくやるけど、あの頃にはもっとよくやっていた曲などで構成できた。最初持って行った叩き台を主に佐久間さんに意見を仰ぎながらいい具合に収まった、と思いたい。バンドでは2018年ぶりのo-nest、お見逃しなく。

neutral「スカート×ゆうらん船」 : スカート オフィシャルサイト

 

某日

NICE POP RADIOの収録。追悼に思うところがあって、うまく立ち回れなくなってしまった。番組全部を使って追悼した幸宏さんの時と違って、岡田さんの追悼は簡単にしかできていない(その時のブート動画がYouTubeに残ってるhttps://www.youtube.com/watch?v=_9yWWh-_48Uんだけど、局にあったヴァージョンがアウトロカットされたものであったため、わざわざ盤から起こして差し替えたのに、その重要なアウトロがカットされていて本当に悲しい。アップした人はきっとこの日記なんて見てないだろうけどTwitterでブート動画あげなおしてくれよ!というのはなんか違う(裏アカで一度投稿したけど結局すぐ消した)ので気持ち表明だけさせてください)。その後も、追悼とは一体なんなんだ、とずっと考えているのに上手くいかない。でも6/25のライヴも迫っているし、自分の中でも思いを託すために、選曲リストに入れて、それで話してみよう、とドラムレス選曲に「さよならは夜明けの夢に」を選曲した。のだが。結局うまく話すことができず、なんの解説もできず、小粋な思い出トークもできず、ただただ「さよならは夜明けの夢に」がかかることになってしまった。自分としては、それでもいい、とも思っているのだけど、やはり不親切だった気がする。反省している。岡田さんがいない悲しみというのは、さざなみのように押し寄せてくる。

 

ステーションホテル

6/1

レコーディング。久々のレコーディング。大比良瑞希さんに提供する曲と、もう1曲。この日はそのもう1曲のためにギリギリまで曲がかけなく、2日前にデモを送信というていたらくで、メンバーにも迷惑をかけてしまったのだけど、あがりはものすごくいい。ボーイが細かくいい仕事をしてくれて最高。みんなめっちゃいい……感謝しかねえ……早く聴いてもらうには歌詞をかかなければならない〜〜〜〜

 

6/2

6/1にむけてどう生きるかしか考えていなかったから抜け殻になってしまった。カレンダーも6/1以降いつなにがある、だなんて気にもとめなかったからそれ以降の予定に少しずつ皺寄せが行ってしまったような気がする。

この日はナイポレのロック選曲の収録。合間を縫って少しずつ選曲していたから構成も決まってロックな回に仕上がった。

 

6/3

「作詞」とスケジュールに書いてあるのを眺めてゼルダやったら一日が終わった。

 

6/4

yes, mama ok?のリハーサルを終えて、原稿の締め切りがあるというタクさんは帰宅してしまったので金剛地さんとふたりで食事。音楽の話から人生の話まで、何度も言うけどいまだにこうやって金剛地さんと一緒に音楽をやれていることがわけがわからない。yes, mama ok?の諸作を作った頃の話を聞いて改めてディテールの細かさに感動した。興味深かった話は、TR-606ハイハットは電池駆動でやると独自のノリが生まれる、という話だった。そうやって録音されたトラックを思い起こしてみると確かにそんな気がする。会話が弾み、食事も弾んでしまったため、恵比寿から渋谷まで歩いたのだが、なんだかもう少し歩きたくなって神泉まで歩くことにする。大きな駐車場が工事中になっていた。ドラムを叩いている間もポケットにiPhoneを入れていたせいでこの日の歩数計は15000歩を超えていた。ずるいと自分でも思う。

 

6/5

スカートのリハーサル。優介とスパークスの新譜の話しよ〜って思って行ったのにするの忘れた。

 

6/8

新代田FEVERでライヴ。優介にあってスパークスの新譜の話したら全然盛り上がらないで終わってしまった。butajiくんのライヴを袖から少しみた。何度か観る機会があったのだけど、観るたびに「これらの言葉は自分には歌えない」と敬虔な気持ちになる。この日のライヴも特別なもののように感じた。スカートは「高田馬場で乗り換えて」バンドで久しぶりにやるな〜って思ってたけど実際は1年ぶりだった。リハの時に「最近やらなかったっけ?」って言った佐久間さんが正しかった。

 

楽屋で久々に見たけどやっぱり最高だった。

 

https://youtu.be/F9vhni6eNR8

 

6/9

yes, mama ok?のライヴ。珍しくキラーさん参加!会場着いたら誰よりも早く会場入りして驚いた。金剛地さんがDJでThe Headcoateesの"Ca Plane Pour Moi"をかけていてブチ上がった。最高のカヴァーだよ。

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ライヴはコロナ禍以降の3本のライヴでも屈指の出来だった気がする。"Q&A call 65000"はテンポよく決まったし、"Tea Party”の混沌はなんとも言い難いものだった気がする。打ち上げではキラーさんが「今後積極的に参加するから」と宣言も出ていた。

終電を見事に逃し、タクさんと青梅街道を歩けるところまで歩いた。酔っ払っているタクさんも今日のライヴを受けて機嫌が良さそうでそれがなんともよかった。

 

6/10

毎日何かしらやらなければならなかった数日を経て、ナイポレの収録。新入荷報告会で選曲はキマったのだけど、コメントがうまくいかなかった気がする。実際聞いて足りない!と思ったらここで補填するしかない。

 

6/11

LOVE INDIAでRRRについて語るという謎仕事。Twitterで写真がバズったから読んでもらえたに違いない。SNSとかラジオでさえうまく言えなかったRRRへの愛情を語ることができた。実際「エイヤッ」と話してみないと自分の頭が整理されないこともある。今回はまさにそんな感じだった。

まかないで出店のカレーをいただく。まかないは14店舗の全部乗せ!!それぞれめちゃくちゃうまいのだけど境界がどんどん曖昧になっていくのが楽しくてしょうがない。感動的だった。

 

一度部屋に帰り、もう1時間レコードを選び直して浅草はKAMINARIで開催される「お洒落ロック」へ向かう。着いた頃にはヒット曲でお客さんがめっちゃノリまくってて気圧された。手元にあるレコードはヒット曲もほとんどない。こりゃヤバい、完全に間違えた、と冷や汗をかいていたのだけど、結果的にいい具合にまとまった。古井戸の「ねえ君」が今日の俺の一番の「お洒落ロック」だ、と息巻いで少しずつ少しずつそっちに気分を変えていく。限界に挑もうとする人たちの気持ちが一瞬わかった気がする。最後は今日の無礼を詫び、先日の金剛地さんのDJからパクってThe Headcoateesを。信じられない盛り上がりになり、これがDJの快楽か、と震えた。フロアから「蛍の光相当のものをかけてくれ!」とリクエストをもらってThe Youngbloodsの"Ride The Wind"をかけて終了。結果的に半分ぐらいが普段のDJでかけるような曲になってしまったけど、古井戸や竹千代、ムーンライダーズをかけられて本当によかった。音楽好きでよかったぜ〜〜〜〜〜〜と心から思える最高の夜になった。Def Techかかりだしたときはどうしようかと思ったけど結果的によかった。

 

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某日

 

楽屋で優介と佐久間さんが音楽の話しててなんとなくiPhoneから10秒ほど流した音楽がめちゃくちゃカッコよくてそのままメモしてそのまま注文したKassa OverallのAnimalsというアルバムだった。しばらく経ってようやく聴いて確かにめちゃくちゃカッコいいんだけどそれ以上にロウきついな、と感じてしまって冷静な判断がまだできない。ロウ感ひとつで世界に取り残されてしまうのか、俺は。

 

 

ジョークのつもり

某日

朝、ラジオの録音して、終わってそのままCIRCLEで使った楽器を川崎の方まで取りに行く。1時間ちょっとの道が本当に知らない場所まできたような気持ちになり、持て余した。無事に楽器を受け取り、眠り足りなかったので少しだけ眠って、リハーサルに向かう。「今日はね、ラジオ録音して楽器の受け渡しやって、ちょっと眠って今ですね」と佐久間さんに説明したのだけど、疲労感をこれっぽっちも伝えることができなかった。

 

連日作曲が続いている。仕事で曲を書いているのだけど、右往左往してその度にうまくいかない、と嘆く。しかし2、3年前とは違って、ギターを持ってコードを弾けば自然とメロディが出て、簡単なスケッチにはなる。ぼんやりとしたオーダーだけど、力強いオーダーなので、たびたび立ち止まっては検証し、また別のスケッチを描いていく。自分に納得のいくものを作ると、オーダーに応えらている気がしなくなって不安になった。こんなにひとつのオーダーに対して何案もスケッチだけだけど書くことは今まであんまりなかったので、楽しい、という気持ちまで混ざり始めて頭がこんがらがる。夜中のスタジオのミキサーの電源の音すら気になる日もあったし、向かいでドラマーが個人練習していても気にならない日もあった。

 

某日

ZOOMで打ち合わせだったのだが、自分のモニターで後ろにあるレコード棚に畑中葉子さんの「後ろから前から」が置いてあることに気がついて、どういう気持ちになったらいいのかわからなくなってしまった。何日か経ったが今でもわからない。

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26日

森、道、市場の前乗り。ロックの話になり、やっぱりまだOASIS(オゥエイシス)がわからない、という話をした時、「団地出身の持たざる若者が楽器を手にして、それが聴衆を巻き込んで大きいところでライヴやる、みたいな部分をみるなら、今のヒップホップに近い」(意訳)と佐久間さんが言っていて、膝を打った。いまいちハマれないのはストーリーと音楽が同等にあったからなのかもしれない。音楽の先にストーリーがあるのは好きなのだけど、ストーリーが同等になるとそれは確かに中学の頃から嫌悪が始まったロックのそれではあったのか。しかし、それは俺自身が抱える、自身のストーリーのなさからの反発なのだろうか。

 

27日

森、道、市場。いつか呼ばれないかな、と思い続け幾星霜。やっと出演できて嬉しい。嫌われているとさえ思っていたからョ……

 

某日

やっと曲の形になった。超ギリギリで提出、イントロを別案にするだけでなんとかなりそうで胸を撫で下ろす。

 

某日

yes, mama ok?のリハーサル。ずっと曲を書き続けていたそのさなかだったから一曲一曲の重みにシビれ倒す。ここで……こういって……ここへ……!!!?で驚きたい、という気持ちと、もっとライトなものも作りたい、という気持ちがないまぜになって今のスカートがある。それでも1曲だけでもyes, mama ok?のような曲がいつか作れたらいいのに、って思い続けて、曲を書き続けるのだ。(えっ、サブスク一時期コロムビアのもあったのにどうしてLD&Kだけになってるの……)

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