幻燈日記帳

認める・認めない

なにがサマーでだれがオブ・ラヴ

電車のなかで少しずつ「スキップとローファー」を読みすすめていく。3回くらいの外出に連れて行ってまだ読み切れていない。だいじに読むのだ。

 

某日

 

ナンバーガールが再結成される、と聞いたとき動揺した。小学生の頃に「透明少女」のMVを夕方のテレビで見てぶっ飛ばされ、ちょっと間あいて本格的に聞き出したから、中1から中3という痛々しい中2病をともに過ごしたのがナンバーガールだった。それゆえに実際開いちゃいけない記憶の蓋もいくつか開いた。中3から高1にかけて自分の中で価値観が変わることがいくつかあった。自分はロックが好きなんだ、と思っていた頃に軸としていたのはナンバーガールだったんだな、と今なら思う。そしてナンバーガールを軸にしてロックの範疇を広げようとしたとき、その軸はナイーヴ過ぎたのだった。僕が求めていたのは「学生通りは午後6時」「交差点でおれはいまいちだった」「俺、憂い夕暮れに たまーにさァーとなるカンジ」「福岡空港から離陸しますって実況する俺の真上に ヒコーキ雲が すぐに消えてなくなるのだろうか」というようなそれだった。中3の頃にyes, mama ok?をちゃんと聴き出したのも大きかったけど、いろいろあって高1の時にロックと折り合いがつかなくなり、そのまま距離を置いてしまった。そして時間だけが経った。アナログが出たときはもちろん買ったし、その時一通り聴いてしおらしい気持ちになったりもしたけれど、再結成となると話が変わってくる。複雑な気持ちからチケットの先行を見送ったもんだから、その後もちろんチケットが取れるはずはなかった。同じくナンバーガールが大好きな佐久間さんといろいろ話していてくうちにやっぱりみたいね、となり、野音に音漏れを聴きに行ったのだった。会場の周りには大勢の人が来ていて、度々「道を開けてください」と警備員の指導が入るほどの大盛況だった。仕事終わりでこっちに向かう佐久間さんにLINEで「今この曲やってます!」なんて実況しながら演奏を聴く。障壁がいくつもあるので音はもちろん悪い。でもその壁を乗り越えて響くギターの音は僕が聴きたかったナンバーガールそのものだった。真剣に聞き入る人、生け垣に座ってハンディレコーダーを回す人、何人かで聞きに来てときどき雑談をしながら楽しむ学生、奇声をあげる人、周りは様々だった。そのうち佐久間さんと合流、ココナッツの中川くんともばったり遭遇して「いいっすねえ」「この曲やるんだね」「最初はね、なんか外でもバランス悪かったんスけど」「普通にいい曲だよね」なんて言いながら最後まで見た。終演後、佐久間さんと恋人と松本楼に入った。中学生の頃、池袋のPARCOには松本楼があって、母と買い物に来るとよく連れて行ってもらったものだった。おそらくあの頃と同じ味のオムライスを食べながら今日見れなかったけど聴いた感想を言ったり、年末から始まるツアーの日程を見ながらいろいろ話した。さて、果たして一連のこれはノスタルジーだったんだろうか。だとしたら、なんかちょっと想像していたノスタルジーとは違うな。

 

某日

 

部屋の掃除をしようと思ったのだけど、それより前に部屋にものが多すぎる、という話になった。レコードが棚から溢れている。漫画が棚から溢れている。CDもだ。CDは150枚分ぐらいのプラケをソフトケースに入れ替え事なきを得た。そしてついにレコードを売ろうという決意をする。頭の中では100枚近いレコードを車に積んで「これ買い取ってくれますか」という絵が見えていたのだが、結局大きめのトートに入り切る数を店頭に持っていくだけだった。ジャケ違いだから…とかプレスした国が違うから…とか言って2枚持っているやつを中心にしてしまったから30枚ぐらいしか手放せなかった。もっととことん突き詰めるべきだ。それかその前にもっと沢山ものが置ける部屋に住めるぐらいの稼ぎになるかだ。部屋の掃除はまだ続いている。ストレスなく掃除機をかけられるようになるまで今回はやる。

 

某日

 

ポニーキャニオンで打ち合わせ。未来の話をすると、未来のことを考えるのだけど、すべてが現実味がなく、またその逆でもある。僕は今、人生で一番リアリティに浸り、なおかつファンタジーで身を穢しているのだ。すべての未来が等しく明るく在りたいね。打ち合わせを終えて少し足伸ばして丸香で釜玉カルピスバターを食べた。地下鉄の神保町のホームにはいい予感のいい思い出しかないから、心は弾むのに階段を駆け上がってももうコミック高岡もジャニスもないのが本当にさみしい。探していた漫画があったのだが三省堂でもグランデでも売り切れてしまっていた。

 

某日

 

友人の松本くんの粋な計らいでカナメストーンさん、ゆーびーむ☆さんとごはんを食べることに。松本くんとは中学の頃からの友人で、高校の頃は同じ美術部に所属していて、今でも「こういう音楽がよかった」「こういうテレビが面白かった」という話をよくする。松本くんに薦められて見たAマッソの動画で改めてお笑いにハマることにもなった。いくつか劇場に足を運んでライヴを見るうちに、カナメストーンさんも僕らの音楽を好きだということがわかり、更に松本くんの今の仕事がテレビのディレクターで仕事を一緒にしていたということもあり、今回の席が用意されたという流れだった。漫画家さんと話すときもそうだけど、物の見方、接し方が似ているようで違う。とにかく笑った。たとえば冗談を飛ばす山口さんにゆーびーむさんが言い返して、はたいて、ワインを注いだ。些細なことかもしれないけれども、冗談に対して言い返すのはわかる。はたくのもわかる。だが最後にワインを注いだのだ。逸脱した瞬間、どこだかわからない場所に感情が持っていかれる。こういう瞬間のために自分は生きているんだ、と大げさに言ってしまおう。年明けに見たカナメストーンの漫才もその凄みがあったのだ。「どうもありがとうございました」という言葉の意味さえ改めて考えさせられる。(twitterには別の載せたけどこっちも好きだからこっちにはこれを載せよう…)

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