某日
ハリウッド・ボウルでのSparksのチケットを取った。結局TMBGのサイトがサイトでフリー音源DLした人には先行のコード出しますよ、と言っていたのでそちらから購入。チケット代はステージから少し離れた場所だけど、俯瞰で見れる場所。55ドル。
29日
狭山でライヴ。トノバンズ、楽屋でアコースティックリハ。これがまたなんとも言えずいい。そりゃもとがフォークなんだから、と言われそうだけど「シトロン・ガール」とか「どんたく」の感じがまたよかったのだ。本番も快調。
ムーンライダーズ。慶一さんに託された「さよならは夜明けの夢に」を歌っている時の気持ちはどう言えばいいのだろう。涙は流れていないけど確実に泣いていて、自分でもよく冷静を装って歌えるものだな、と(冷めているように思われそうだけど全く違う次元で)思った。
5月4日
かが屋の単独を見に行く。寿司屋のコントがあまりに素晴らしすぎて打ちのめされる。感動のあまりに「わっ」とか「アッ」とか言ってたら妻に叱られた。しかしどえらいものを目撃した。もちろん他のコントも素晴らしかったのだけど、最高。妻は当日券で2日後また見に行っていた。
某日
街裏ぴんくさんと松本くんとの打ち合わせは盛り上がりに盛り上がり、累計10時間を超えた。松本くんが細かく色々考えてくれて形になった。本番が楽しみ。
8日
想像を超える内容のライヴになった。自分でも知らなかった自分の曲の側面が出た。そういうライヴはいいライヴ。自分を超えた何かがあった気がする。
近くの居酒屋で軽い打ち上げをした。メニューにかんぱちがあったので注文をする。6年前のCIRCLEの打ち上げや藤井隆さんとの打ち上げを経て、少しずつ苦手だった魚介類に近づきつつあったので、興が乗ってオーダーした形だったのだけど、いざ食べてみると自分が苦手だった魚の要素が一口食べて口の中いっぱいに広がった。いつもの私なら落ち込んで使い物にならなくなるところだったけど、今日は違う。なぜなら最高のライヴをしたからさ。
9日
GOODYEAR MUSIC AIRSHlIP〜シティポップ レイディオ〜の収録。前日の熱が体に残り、口がうまく回らず、何度も「今薄いことしか言えなかった」と収録を戻したりした。
11日
どついたるねんのリハーサル。先輩が途中で手紙を読み出して、それがすごい内容で終わったあとに尋ねたら、95年の24時間テレビでキムタクが自分に向けて書いた手紙のパロディだという。感動しちゃったよね。YouTubeの動画だとピアノのBGMが邪魔だな。
24H TV 1995 木村拓哉、自分自身への手紙 - YouTube
12日
ライヴは大盛況。チケットの予約ないって話聞いていたからどんだけガラガラなんだろう、って怯えていたけど結果的にまあまあ人が入って嬉しかった。帰りがけにHOGO地球のだらりくんの住所を無理矢理聞き出し、その場でAmazonでほそやゆきのさんの「夏・ユートピアノ」を送りつけた。
前も話したけどこの日記読んでる人は全員読んでほしい。
15日
ムーンライダーズリハーサル。この日のリハーサルは珍しく丸く囲まれた配置でいつもと違う。NHKで放送された「30年のサバイバル」はこんな感じだったよな、なんて思い出す。夜明け近くまで旅の支度をした。明日から5泊6日だ。
16日
ぴんくさんとのツーマン、大阪編。東京とは違ったグルーヴになった。東京の方ははじめての割にはすぐにふたりのムードになった気がするけど、この日は少しずつ時間をかけてとんでもないことになっていった感じがして、それはそれでめちゃくちゃだった。「静かな夜がいい」めっちゃよかった。特にショートネタを3つずつ披露するゾーンは「もし俺が客だったら」って強く思った。客席で観たかった。打ち上げも濃厚に終え、ホテルの部屋で泥のように眠る。
17日
めちゃくちゃ暑い。喫茶店でお茶をしてたこやき食べて札幌に向かう。翌日、TENDOUJIのライヴに弾き語りで出演するためだ。飛行機を降りるとめちゃくちゃ寒くてどうにかなりそうだった。急いでホテルの部屋に向かい、荷物を解く。久しぶりの長旅でいろいろ詰めたトランクが悲鳴をあげ、ポケットに入れてあったビオレが爆発していた。一旦その事実を無視して体を温めることに専念。部屋でぼんやりしたのち、せっかくだからとジンギスカンを食べにいった。何も考えずにオーダーしていたら1万円超えていて流石に泣きそうになった。でもめっちゃくちゃ美味しかった。でも泣きそうにはなった。部屋に帰ってビオレが爆発したトランクと向き合う。幸い、Tシャツ一枚だめになっただけでどうにかなったが、いろんな澱は積もっていく。深夜、テレビをつけたら0:15から水曜どうでしょうが始まって、さすがすぎた。昔、札幌入ってテレビつけたら流氷にアザラシ乗ってる映像流れてたことあったけど、そのとき以来に「北海道」の大きさを見せつけられた瞬間だった気がする。
18日
日本橋の催事で来ていた洋菓子店、ププリエにやっと行けた。催事のときはガレットだけだったけど、この日の目当てはケーキ。喫茶のスペースも再開されていて、そこでチョコレートケーキ、カボチャのプリンと紅茶をいただく。どちらもめちゃくちゃうまい。カボチャのプリンもチョコレートケーキもシンプルながらも複雑、つまりは最高。お店の方に声をかけられ、なんとスカートを知ってくれているという。大泉洋大先生のサインの入ったポスターの横のポスターにサインを書かせていただいた。驚いちゃうよね。あまりの美味しさにホテルで食べる、と言っていくつかケーキを取り置きしてもらった。そこから楽音舎で買い物。NRBQがカール・パーキンスとやってるやつとかいいもの買えて嬉しい。
ライヴは(広義の)パンクバンドに挟まれ、弾き語りをしなければならなかったため、どうなるかと思ったのだけど、想像以上にパンクにやれた手応えがあった。TENDOUJIは本当にチャーミングなバンドだ。いつ観てもワクワクする。
打ち上げ参加するかどうか尋ねられたけど、翌日が8時台発の飛行機だったため、泣く泣く断念。GoogleMapで一番評価が高かったラーメン屋でラーメン食って部屋で眠る。
19日
寝起きでププリエで買ったケーキを食べ、にぎりめしでおにぎり買って、飛行機。そのまま福岡へ入る。ライダーズのメンバーとは少し時間がずれるのでひとりだけハイダルにいった。マトンのカレーを食べ、ようやく全てが落ち着いてきたような気がする。
この日はラジオ局を一緒に回る。慶一さん、夏秋さん、そして僕。「ムーンライダーズの鈴木慶一さん、夏秋文尚さん、澤部渡さんにお越しいただきました」と言われて背筋が伸びる。
夜はESPにてインプロアルバムのドキュメンタリー?の上映会。当日、スタジオ内がどんな感じか見れていなかったのでとても興味深かった。この音はこの人が出していたんだなあ、なんて今更ながらに思ったりもした。
打ち上げも楽しく、料理も美味しかった。ずっと落ち着いた味の料理が運ばれてきていたのに最後の最後にガーリックライスが運ばれてきて情緒がどこかへいった。食ったけど。
CIRCLE。ライダーズのライヴはとてもうまくいった気がする。良明さんがぶっちぎってて最高だった。演者でありながら客として見にきていた頃の「うおー、かっこいい、これこのあとどうなるんだ!」を体験していた。DJも多くの人が見にきてくれて嬉しかった。終演後、社長と同じバスに乗り、ホテルに向かい、10時からのムーンライダーズの打ち上げに参加する予定だったけど、冷えてきたし早く帰りたい、とゴネたら相乗りでもよければ席が空いたら案内してくれる、ということになった。しばらく経って「澤部さーん」と声をかけられ、バスに飛び乗ってみるとSOILの社長さんと向井秀徳さんが乗っていた。あまりの事態にガチガチになったのだけど、意外なことに向井さんが声をかけてくれた。「ムーンライダーズ、すごく良かった。先輩たちの姿をみると勇気がでる」というのだ。「気がつくとそこに ポケットに手を突っ込んでセンチメンタル通りを 練り歩く17歳の俺がいた」とかつて歌った向井さんが今のライダーズを見て、そうおっしゃってくれていることが嬉しくてたまらなかった。中学生の頃に心酔したナンバーガール、そして大学生の頃に心酔したムーンライダーズ。それがこういう形で、こういう場所で交わったのだ。それからいくつかの雑談を経て、ホテルの部屋に行こうとしたら、飲みに行こうか、と誘ってくれた。その時点でほぼ10時になりそうだったのだが、ライダーズには「なんやかんやあって遅れています!」とだけ伝えることにした。タクシーに乗り、向井さんは一言「親不孝通りまで」と運転手に告げる。シビレル。タクシーを降り、連れていってもらったロックバーで向井さんが「ジンライム」とオーダーするので、私もジンライムをオーダーした。普段飲めない私が、コアントローでBAD入っちゃったこの俺が、ジンライムなんてオーダーして大丈夫なのだろうか、と思ったのだけど結果的に意外と飲めた。緊張のあまり飲めたのかもしれない。向井さんは機嫌良くバンドがライヴをやったあとのバーで「今夜はきっと彼らがこういう演奏をしたに違いない」と「ばーっばっばっばばー」「スウィージェーン」と捻り上げた。なんという光景だろう!音楽やっててよかったよ!!しかし、ムーンライダーズの打ち上げにも参加したかったので情けないことに途中で席を立ち、そちらに到着。くじらさんが壁にかかった絵の傾きを直していた。
Sweet Jane - song and lyrics by The Velvet Underground | Spotify