幻燈日記帳

認める・認めない

元気のいい人



 浅川マキさんの訃報を大学で見てひっくりかえる。周りにマキさんの音楽を聴いている人がいないので途方に暮れた。本当に暗かった大学1年の時に校舎から本厚木までのバスでよく「闇のなかに置き去りにして」というレコードを聴いていた。大学2年のときに、周りの聴いている音楽を寂しく思って、大学の図書館にDARKNESSの1から3をリクエストしたら、本当に置いてくれたので、すごく好感度があがった時期もあった。
 浅川マキさんをはじめて聴いたのは、母が昔聴いていて、そんな話をしていたら、父の友人がテープをくれるというので、それではじめて聴いたんだったと思う。いくつのときだかあまり覚えていないけど、確か、中学生くらいだったと思う。もしかしたらもう少し早かったかも。はじめて聴いた印象とか、そういう話ではなくて、気がついたらよく聴く音楽だった。マキさんのライブには何度も足を運ぼうと思っていて、高校の頃は確か、よく音楽の話しをしていた中川君と一緒にいこうか、だなんて話もしていたような気がする。それで中川君からは「薔薇門」とか借りて聴いていた。「20歳になる前には観に行かなくちゃ」と思っていたけれども、19歳の秋の公演を金銭の問題から見送らなければならなくて、20歳になった頃には「20歳を過ぎたらいつ観ても同じな気がして来た」と考えてしまって、結局見れなかった。豊田道倫さんともときどきマキさんの話をした事があった。「20歳になる前に観ておくべきだったなあ、って」と言った20歳になりたての僕に「そりゃ、あたりまえだよ」と豊田さん。後悔の想いは尽きないが、僕はてっきりマキさんは死なないものとでも思っていたようだ。言いたかないけど、人は死ぬんだなあ。眠るのが、怖い、とは思わないが、淋しさには名前がないんだなあ、と、考えた。